視点

 「微笑みの来た道」は「イスラームも来た道」

東京藝大美術館「みろく」展を観て想う
(2021年10月18日 13:00)

もう閉会してしまいましたが、東京藝大美術館で開かれていた「みろく―終わりの彼方 弥勒の世界―」展を観てきました。

2016年にバーミヤン摩崖仏が納められた石窟天井壁画の「天翔る太陽神」復元展が同じ藝大美術館で開かれ、また翌年2017年には法隆寺壁画再現などにかけた藝大のスーパークローン展示会も観ました。それらのすばらしさはすでに体感していたので、今回はちょっと油断してしまいました。拝観したのが最終日になってしまいました。ご覧になった方は多いと思いますが、もっと早く観覧してニュースメールで案内すべきであった、と反省。

今回の展示は、ユーラシア世界の歴史時間と広大な地上空間で演じられてきた人間の美術宝物創造を藝大が開発したスーパークローン技術によって4次元的によみがえらせようとする野心的なものでした。

展示の中心はバーミヤンでした。ちょうど20年前の2001年3月にバーミヤンの東西2体の摩崖仏破壊をターリバーンが世界に向けて宣言し爆破したのはほとんどの方が覚えていらっしゃることでしょう。偶像崇拝を否定するイスラーム教の教義にもとづくとして当時のタ―リバーン最高指導者オマル師が前月に破壊命令を発出したのでした。

バーミヤンの大仏が日本で有名なのは、なんといっても629年から645年にかけてインドへ求法の旅に出た玄奘三蔵が著した『大唐西域記』を通してでしょう。
バーミヤンを歴史の中に正確に刻んだのは玄奘三蔵が最初だそうです。632年(630年という説もある)、玄奘三蔵はバルフから南下して、ヒンドゥークシュの険しい山谷を超えバーミヤンへやってきました。このヒンドゥークシュ越えは「氷河や砂漠よりはるかに危険」「山は高く谷は深く、尾根や岩石は危なっかしく、風と雪がやむことなく、真夏でも凍っており、雪が積もり谷を覆い、谷川の道はきわめて渡りにく」く、「父母から受けた大切な体を危険な旅路にさらす」難儀のすえ、ようやくバーミヤンの入り口にたどり着いたそうです。そのとき玄奘の目に飛び込んできたのは、金色に輝き、宝飾をきらめかす荘厳な摩崖仏2体と巨大な涅槃仏とでかざられた仏の都でした。(前田耕作著『アフガニスタンの仏教遺跡バーミヤン』晶文社より抜粋)

バーミヤンでは128年にクシャーン朝を建てたカニシュカ王の保護のもと仏教が栄えました。現在はパキスタン領内のガンダーラとともに西のグレコローマン文明と東のインド文明が混交融合して新しい文明であるヘレニズム文明が生まれた土地です。

「ヒンドゥクシュの山々が連なるアフガニスタン、ここは東と西の文明が交差する十字路だ。古来、このあたり一帯では、ペルシャのゾロアスター教が広く信仰されてきた。紀元前4世紀、アレクサンドロス大王の大遠征によって、ギリシャ文明がもたらされ、さらに紀元2世紀頃、クシャーン朝カニシュカ王の時代に、インドからガンダーラ地方を経て、仏教がアフガニスタンに伝わる。カニシュカ王は仏教を厚く保護したことで知られているが、この時代、仏教とゾロアスター教では太陽神となったミスラが運命的な出会いを果たすのだ。」(井上隆史『図録 みろく』収録解説)

そのバーミヤンの大仏は、ターリバーンが2001年に爆破し完全に破壊するまえイスラーム勢力がバーミヤンを占領した後9世紀ころから部分的な破壊(大仏の顔のそぎ落としなど)が始まったという(前田説)。風化による損壊もありました。

人為であれ自然であれ形あるものは崩れる。今回はバーミヤンの岩壁に穿たれた800もの洞のなかでも比較的大きなE窟の天井壁画「青の弥勒」の復元(スーパークローン)が展示された。金よりも高価と言われるアフガニスタン特産のラピスラズリを砕いて顔料とした青をふんだんに配した衣(ころも)をまとったふくよかな弥勒は、技術と情熱によって永遠の命をもってよみがえりました。人類とクローン技術が存在する限り、釈迦入滅56億7千万年後に衆生を救済するために現れる弥勒菩薩もお姿が風化されることもなく安堵されるのではないでしょうか。

井上説が述べるように、バーミヤンはギリシャ、メソポタニア、ペルシャ、インドの古代宗教が旅をして出会い共生融合した交差点でもありました。

「みろく―― 終わりの彼方 弥勒の世界――」展のテーマは、ギリシャ文明と出会うことによって弥勒菩薩の概念がガンダーラやハッダやバーミヤンで彫像として具現化され、新疆ウイグルを貫くシルクロードをへて日本へと伝わってきた道筋をその地その地の弥勒像を展示ないしスーパークローン技法で再現し、提示するスケール壮大で野心的な展覧でした。

このコンセプトは、NHKの『シルクロード・美の回廊 II「“微笑み”がきた道」』(出演:ヤマザキマリ 、前田耕作。2019年5月11日放送)のコンセプトとも共通するものでした。

アルカイック・スマイルと言われる仏像の深遠で含蓄深い微笑みの微妙な変化をたどるこの番組のコンセプトが今回の実物仏像やクローンで展示されたわけです。

グレコローマン的、ゾロアスター的、ヒドスターン的微笑みが、新疆ウイグル/中国を経て日本の弥勒菩薩の表情に定着していく様は興味が尽きません。とくに広隆寺の半跏思惟像の完成された微笑みは、学校教育の場で日本人のほとんどは一度は見せられたはずです。衆生の救済を深く思惟する慈愛に満ちたほのかな微笑みはガンダーラ仏の雄々しい表情とは対蹠的できわめて日本的で宗教的境地の高いものといえます。

私はこの展覧会とNHKの放映でアルカイック・スマイルの変遷を見ながら、いささか複雑な感懐に陥りました。それは、実体験した、「微笑みの来た道」は「イスラムの来た道でもある」という感想です。

仏像の破壊はバーミヤンだけではありません。私が目撃して強い衝撃を受けたのは、新疆ウイグルの旅で、キジル千仏洞とベゼクリク千仏洞を訪れたときでした。アフガン・イラク・シリアとイスラーム過激派の動きが激しくなり、新疆ウイグル地区もそのうち行けなくなるかもしれないと危惧し、6年前、ツアーに参加しました。ウイグル族は中央アジアのチュルク系民族でアフガニスタン北部の民族とも近しいつながりを持っています。現地ではほとんどアフガニスタンといっても大げさでないほどの近親性を感じました。この点についてはまた別の機会に論じたいと思います。

今回は、キジル千仏洞で得た感慨について記します。
キジル千仏洞とは新疆ウイグル地区最大の石窟群です。壁のように視界をふさぐ赤茶けた巨大な山塊の岩石壁に無数の石窟が彫られています。岸壁に穿たれたひとつひとつの洞は仏僧がそこにこもって修行する洞窟です。洞の天井や左右の壁いっぱいに小さな仏がそれこそひとつの洞に千体ほどあるのではないかと思われるほど描かれた祠です。そのような洞が千も穿たれているわけです。祈るだけでなく、インドからもたらされた仏典の翻訳も行われました。玄奘三蔵が持ち帰った仏典の翻訳もなされましたし、3世紀中ごろから取り組まれていました。玄奘以前に翻訳事業に取り組んでいた鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が有名で銅像が創建されていました。

鳩摩羅什の銅像越しに岩山の山肌いっぱいに穿たれたバーミヤンの光景に似た千仏洞を眺めると、宗教的情熱のすごさに圧倒されます。

岩山に穿たれた洞の全部の天井や壁には、本来、大小さまざまな仏像がびっしりと描かれていたのですが、それらの破損の原因を聞いて、考えさせられてしまいました。
もちろん、風化による損傷はありました。近年、欧米からの探検隊が保存のよいものは壁ごとはぎ取って持ち帰りました(ドイツのものは第2次世界大戦の爆撃で全損という悲劇もあります)。プロレタリア文化大革命のときには、宗教否定の思想から(日本の廃仏毀釈のように)壁画をドロで塗りつぶしたりしました。それ以前に9世紀ころから進出してきたイスラーム勢力も手当たり次第に壊したのですが、とにかうたくさんあるので、壊しきれません。最後は、祈りに欠かせない仏像の顔、それも眼だけをくりぬいて作業終わりとしているものが見られました。削る方も天井を上向いたり背丈よりも上に描いてある仏像に手を伸ばしたりと、かなり疲れたんじゃないでしょうか。

規模はぐっと小さくなりますが、もうひとつ訪れたベゼクリク千仏洞(トルファン火焔山周辺)はキジル千仏洞から数百km東にありました。ここでも壁に描かれた仏像の目や口が削り取られています。イスラム教東漸の痕跡と言えます。そこからさらに500Km以上東にある敦煌の莫高窟にも洞があります(敦煌は未踏)。敦煌の壁画はイスラームによる破壊はそれほどでもないと聞いています。敦煌の仏像(弥勒菩薩)や仏画は中央アジアからの影響を受けて両足を交差させており、仏教が来た跡をイスラームが追いかけてきた歴史の積み重ねが見られるようでとても興味深いものがあります。

ベゼクリク千仏洞を見学していた時、小学校高学年らしき一団が見学に来ていました。仏教、イスラム教、欧米探検隊、プロ文革と受難を経てきた仏たち。地層の重なりのごとく受難の痕跡をとどめた遺跡を現代中国愛国教育を受ける子供たちにどう教えるのか、ウイグル族でムスレムの中国人ガイドに聞いてみました。答えは、「そのまま教えます。歴史ですから」との答え。実に淡々としています。

「歴史ですから」という答えは、エジプトを旅した時に付き添ってくれたエジプト人ガイド(敬虔なモスレム)からも聞きました。原始宗教をはぐくんだエジプト文明は思いっきり偶像崇拝そのものです。「モスレムとしてどう思う」と聞くとやはり「歴史ですから」と答え、「商売になります」と笑っていました。この「歴史ですから」という答えは、大連で日露戦争の戦跡を見事に整備し乃木将軍の二人の息子の戦死場所を祀ってくれている中国人にも聞いてみました。「水師営会見場跡」博物館など日露戦争の戦跡だけでなく、満州国史跡の保存など、びっくりするほど丁寧に保存していたからです。ここでもなぜ、と聞いてみたらやはり同じく「歴史ですから」との答え。

アフガニスタンに話を戻します。
今度のターリバーンは、20年前に爆破したバーミヤンを警備しているそうです。また、博物館なども略奪が起きないよう警備をしているそうです。ターリバーンが「歴史ですから」と言う日が来るのでしょうか。

「新疆ウイグルの旅」は「ユーラシア」コーナーにあります。【ここをクリック】

【野口壽一】

 

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 アフガン問題の本質-パキスタンに注目を!
(2021年10月04日 13:00)

Web Afghan in JAPANでは、アフガニスタンと世界の「平和と進歩と人権」を守る視点からのアプローチをベースに編集をしてきました。女性の教育や人権の尊重はもっとも尊厳な課題のひとつです。その意味でこの間のアフガニスタン国内や世界での女性の権利擁護の声を集中的に集めてきました。
この立場は、アフガニスタンで生まれ育ちあるいはゆかりを持つ個人・個々人の立場に徹底してたつ、ミクロの観点です。それはアフガニスタン内部の古きもの抑圧するもの外部からの強圧に対する闘いや抵抗です。あるいは普遍的には、アフガニスタンという国家の枠を越えた、21世紀の国際的な支配システムとの戦いにまで至るかもしれません。

と同時に、アフガニスタン問題の本質に迫り、その解決の方向をさぐるため、アフガニスタン人の取り組みについて提言や論説の収録を進めています。現在はPDPA政権下のふたりの副大統領やアフガン人ジャーナリストに健筆をふるってもらっています。こちらではミクロの視点だけでなく、鳥瞰図的大所高所的マクロな視点からもアフガン問題を解明しています。

当ウェブの特徴のひとつは、アフガン問題を、現代の世界地図が示すアフガニスタンという国境線で区切られた領域だけの問題ではなく、アフガン問題は突き詰めればパシュトゥーン問題に他ならない、との視点で論を展開しています。「アフガンの声」、「世界の声」で紹介するアフガン人のデモや集会での主要スローガンは女性の人権を守れという声と、パキスタンを制裁せよ、という要求であふれています。日本の報道では、前者は大きく扱われますが、後者の扱いは小さいか主張されることはまれ。せいぜい、ターリバーンに対するパキスタンの支援に触れるくらいです。

しかし、国際的にみればターリバーンを創ったのも育てたのも内戦を指導したのも武器を与えたのもパキスタンであることは隠すことのできない事実として扱われています。

これまでアメリカ(およびサウジアラビア、西側諸国)は、アフガンに侵攻したソ連と戦わせるためにムジャヒディーン(イスラム過激派)にパキスタンを通じて武器および経済援助を行ってきたため、ムジャヒディーンやターリバーンを支援するパキスタンの扱いに苦慮してきました。

しかしアフガニスタンから完全撤退する際の撤退劇があまりにもみじめであったため、アメリカ国内でもバイデン政権に対する責任追及が始まっています。撤退作戦の不始末だけでなく、パキスタンとの関係にまで追及はおよび、パキスタンを制裁すべし、との声が共和党には出てきています。先週は上院の22名の議員が、タリバン及びタリバンを支持する国、したがってパンジシール渓谷でのターリバーンの攻撃に加わったとしてパキスタンにも及ぶ国ぐにへの制裁を要求する法案を提出しました。

パキスタンのイムラン・カーン首相はパシュトゥーン族の出身です。彼は国連演説でもターリバーンを支持する演説をし、アフガンターリバーンとの仲を隠さなくなってきています。しかし、その一方で、アメリカに屈従してきたこれまでの言い訳のつもりか、アメリカを「恩知らず」と批判するなど苦しい発言をはじめています。

ターリバーンのアフガン全土掌握はパキスタンの完全勝利に見えますが、それはいままでとは異次元のさらに苦しい矛盾のるつぼにパキスタンがはまり込むことになるのかもしれません。

大局的に見た場合、つぎのような困難がパキスタンを襲います。

下記の、パキスタンを中心にした地図を念頭に置いて考えます。

・印パ関係
パキスタンはインドと3度戦争し、3度目は東パキスタンを失い(バングラデシュの独立)、さらには恒常的にカシミール問題をかかえ常にインドとの戦争の危険におびえています。パキスタンはインドとアフガニスタンに挟まれ縦に細い国土のため、インドから攻め込まれると防衛が困難です。そのため、軍は背後のアフガニスタンを後方陣地として確保するため親パキスタンにしておく政治的軍事的な影響行使を行ってきました(縦深戦略)。ターリバーンをつかってパシュトゥーン主体の親パキスタン政権を作ることには成功したが、パシュトゥーン族(ターリバーン)や他民族の全アフガン勢力はいまのパキスタンとの国境とされているデュラント・ラインを国境として認めていません。対インド関係だけでなくこれがパキスタンの頭痛の種のひとつです。

・いまだ不確定なパキスタンの国是
パキスタンの民族構成は2017年のThe World Fact Book(WFB)によればパンジャブ系(48%)、パシュトゥーン系(15%)、シンド系(14%)、バローチ系他(23%)。宗教は97%がイスラム教となっています。1947年の英領インドからの分離独立時の国是はイスラム教ですが、国の成り立ちはまったく人工的なもので、国名にそれがあらわされています。P(パンジャーブ州)、A(アフガン)、K(カシミール)、S(シンド州)、TAN(バローチスタン)。この5つの州からパキスタンは構成されます。国名決定段階からB(バングラデシュ)が入っていなかったのは運命的ではありませんか。さらに国の行政から独立した連邦直轄部族地域(アフガン族=パシュトゥーン居住区)があり、イスラム教にもいろんな宗派がありまとまりを欠いています。パキスタンの政治は選挙と軍のクーデタが繰り返されており、疑似民主主義国家、破綻国家と呼ばれ、イスラム過激派の温床となってきました。ターリバーンが勝利したため、いま、パキスタン内のイスラム過激派が勢いづいています。

・パキスタン首相、ISIのジレンマ
現在の首相イムラン・カーン氏がパシュトゥーン人であることに象徴されるように、パシュトゥーン人はパキスタンの政界や軍、官僚上層部にも進出しています。総人口比では15%と言われていますが、軍部やISIではそれ以上、20%を超えるのではないかと言われています。ISI(軍統合情報局)がアメリカの武器と資金でムジャヒディーンを育ててきたように、内部対立が激しく非パシュトーンが多いムジャヒディーンを見限ってパシュトゥーン人主体のターリバーンを育成してきました。パキスタン政界でのパンジャブ人、シンド人などのなかには影響力を増大させているパシュトーンへの対抗意識も生まれてきています。パキスタンの政官軍内のジレンマが増大します。

・パキスタン内のパシュトゥーンと非パシュトゥーンの葛藤
パシュトゥーンも一枚岩ではありません。アフガニスタン内部のパシュトゥーン人の対立は、Sami氏の論説で詳しく論じられていますが、パキスタン内のパシュトゥーン人のなかでも、部族や氏族の対立があり、また、パキスタンの政官財軍に進出しているパシュトゥーンとアフガニスタンにいるパシュトゥーンとの一体化を望む勢力とがありいずれか一方に収れんできない葛藤を抱えています。つまり、パシュトゥーン人やバローチ人が一体となり独立を望めばパキスタンの領土は現在の半分以下となり消滅の危機に直面します。パキスタン領内のパシュトゥーン人やバローチ人は、独立に近い自治権は欲しても国を割ってまで、という選択を迫られるとパキスタン国民としての権利を失うのでひるんでしまいます。これは現代の国民国家システムでは解決不能に近い難題と言えます。

・イスラム主義者内の暗闘
ターリバーン運動ひとつとっても、アフガニスタンのターリバーン運動はパキスタン政府やISIは支持し援助していますが、パキスタンのターリバーン(TTP)は弾圧しつぶそうとしています。サウジアラビアと共同でムジャヒディーンを育成してきた歴史から、サウジアラビアの過激派やアルカイーダ、それらから派生したISなどさまざまな過激集団がアフガニスタンだけでなくパキスタンには存在しています。それらのイスラム諸過激派があるときは連携し、ある時は対立して争っています。そのような争いからパキスタンの政と軍は自由ではありえません

・パシュトゥーン内部の確執
アフガニスタン内部のパシュトゥーン人の対立、パキスタン内部のパシュトゥーン人の対立があります。社会の進歩や民主主義の浸透などに対する受容度に差があり、旧来のパシュトゥーンの伝統も影響を受け、パシュトゥーン内部の軋轢の原因ともなっています。米軍主導のアフガニスタン政府内でもカルザイとガニー両大統領派の争いはパシュトゥーンの2大氏族(ギルザイ族、ドゥラーニー族)の対立が反映していたとSami氏は論じています。

・タリバン内部の争い
いま本サイトで連載されている「米国アフガン占領20年の失敗―その原因」(Fateh Sami)で詳述されているように、カンダハールを中心とするアフガン民族主義派とパクティア州をルーツとし「カリフ」制を主張する過激イスラム主義集団でテロ強硬派のハッカーニ派の両派が競っています。対立が激化するのはこれからでしょう

・パキスタンとアフガニスタンのアキレス腱
いうまでもなく、デュラント・ラインです。これは両国にとって譲ることのできない境界線です。しかし、民族自決権を優先する思考では決して解決することのできない矛盾です。国境線を承認したうえで両国が国民国家をつくり(連邦制などの考えを駆使し)共存する姿勢に立たない限り永遠に解決できない課題です。

・ターリバーン政権の国際承認、国内経済建設
パキスタンはどうしてもターリバーン政権の国際承認をとりつけ、国際支援を導き入れたいとおもっています。そうでなければ、以前のように、サウジアラビアやUAEなどと少数でアフガニスタンの経済を背負うしかありません。ただし、20年前とは柔軟性を示しているターリバーンは前回時よりは承認国は増えそうです。しかしそうなればそうなったで、各国の思惑がアフガニスタンの地で交差し、課題と障害はより大きなものとなるでしょう。

以上、ざっと大局的観点からの今後のアフガン問題(パキスタン問題)を見ていく場合の視点を整理してみました。

以上の諸問題に加え、直接アフガニスタンに関わるプレーヤーとして、英米NATO以外に、周辺国であるイラン、サウジアラビア、ロシア、トルコ、中国、アフガン北部民族と同族のタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなどが絡んできます

美しく表現してユーラシア中心部での壮大なる叙事詩となることを望みますが、悲しいかな実際は血なまぐさいニュー・グレート・ゲームとなる公算が大きそうです。われわれとしては、そうならないことを祈りつつ、か細き声であっても声をあげ、見守っていきたいと思います。

【野口壽一】

 

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 アフガニスタンとパキスタンは普通の国ではありません
(2021年9月27日 13:00)

今もさえる頭脳と視点

あの「忍者外交」で世界を驚かせたヘンリー・キッシンジャー氏は、失礼ながらまだご存命のようでした。98歳! ご長命であるだけでなく頭脳の鋭さ、視点の的確さに驚きました。

『courrier JAPON』(9月5日付け)に同氏の発言「アメリカはなぜアフガニスタンでの戦争に失敗したのか」が掲載されています。全文転載して読んでほしいのですが、3000字を超える長文で、著作権の問題もありますから、ほんの2点だけ引用させていただきます。(全文はここをご覧ください→https://bit.ly/3CP47WA)

何に驚いたかというと、マスコミでアフガン問題を論じる論者のほとんどが、アフガニスタン国軍は闘う意欲もなくターリバーンに各都市を明け渡した、となんの疑いもなく書いています。ところがキッシンジャー氏は、その俗論を「『アフガンの人々は自分たちのために戦おうとはしない』という現代のアメリカの議論は、歴史に裏付けられていない。彼らは一族のため、部族の自治のために、激しく戦ってきたのだ」と一笑に付していることです。国軍に士気がなかったのでなく実は、アフガン政府側のトップが、ターリバーンとおなじ一族・部族でターリバーンへの権力移譲を図って国軍を投降させたのです。このことは、本サイトでファテー・サミ氏が「アフガンの声」コーナーで徹底的に暴露しています。いま、パンジシール渓谷で抵抗をつづけているのはパシュトゥーン人ではなくタジク人が主体なのです。

さらに、ほとんどの論者がアフガン問題を地図上のアフガン国境内だけを見て論じているのにたいして、その視点を一言で退けます。いわく、「(米・アフガン共同の)軍事作戦は当初大きな効果を上げた。実質的にタリバンはパキスタンの聖域に逃れ、そこからパキスタン当局の一部の支援を得てアフガンで反政府活動を行ったのだ」と。ベトナム戦争で北ベトナムが南の基地になっていたのと同じ です。本サイトが紹介する<アフガン人の声><世界の声>が、パキスタンの侵略行為を糾弾し、国連や世界に対してパキスタンへの制裁を要求している現実をキッシンジャー氏はアフガン戦争の本質として的確にとらえています。

アフガンとはパシュトゥーンという意味

「アフガニスタン」という国名は「アフガン人の国」という意味です。アフガン人とはパシュトゥーン人のことです。「アフガニスタン」とはつまり「パシュトゥーン人の国」という意味です。アフガニスタンは多民族国家で、パシュトゥーン人以外にバルーチ人、タジク人、ウズベク-トルクメン人、ハザラ人などがいます。

アフガニスタン王国は1747年にパシュトゥーン人によって建国され、以来、2次のアフガン英戦争をへて1880年のアブドゥル・ラフマーン王の即位後、西洋をモデルとした近代化がはじまりました。(明治維新とおなじころアフガンでも近代化が始まった、とアフガン人が言うのはこの事実に基づいています)以後、1978年のクーデターと人民民主党による四月革命によって最終的に打倒されるまでほぼパシュトゥーン人の王が続きました。(1929年のタジク人バッチャイ・サカオの乱を除く)この間、1893年に英領インド帝国外相モンティマー・デュアランドとアフガニスタン国王アブドゥルラフマーン・ハーンとの間でデュランド・ライン条約(英領インド帝国の勢力境界線)が調印されました。この境界線はアフガニスタンをロシアとイギリスがいわゆるグレート・ゲームの緩衝地帯とするものでしたが、現実に存在するパシュトゥーン人とバルーチ人の生活圏を分断することとなり、現代のアフガニスタン・パキスタン紛争の原因となっています。
次の図はデュランド・ラインおよびパシュトゥーン人とバルーチ人の居住地域を表す地図です。(wikipediaより)

(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6e/Major_ethnic_groups_of_Pakistan_in_1980.jpg)

緑がパシュトゥーン人、ピンクがバルーチ人、茶色がパンジャブ人(パキスタンの多数民族)の居住地域を示します。パシュトゥーン人の居住地域が真っ二つに割かれ、バルーチ人地域がアフガニスタン、パキスタン、イランの3カ国に分割されていることがわかります。
パキスタン側のパシュトゥーン人は自らの居住地域における自治権を主張し、連邦直轄部族地域(旧FATA:2018年にKP週に併合)や北西辺境州(NWFP)としてパキスタン国民でありながらあたかも別の国であるかのような特権を享受しています。そしてこれら特別自治区がソ連にバックアップされたアフガニスタン人民民主党政権やアメリカや有志連合がつくったカルザイ・ガニー政権への戦争の基地となったのです。アメリカやサウジアラビア、パキスタンなどがPDPA政権に対して「宣戦布告なき戦争」をしかけるためパキスタン内のパシュトゥーン居住地域でムジャヒディーンを育成し、武器を与え、実際に戦争を指揮した、その行為がムジャヒディーンやアル・カーイダなどのテロリストを育て、パキスタンによるターリバーン創生につながり、今日までアフガン戦争を継続させたのです。アフガニスタンでの戦争が40年以上続いている、というのはこういう意味です。

パシュトゥーン人のふたつの顔

アフガニスタンでは国勢調査が行われていない(行える状況にない)ので、正確な数字は不明ですが、各種機関の推計に基づけば、おおよそ下記のように概算できます。
・アフガニスタンの総人口:3000万人
・うちパシュトゥーン人1300万人(43%)
・それ以外の人口:1700万人(57%)
・パキスタン領内在住パシュトゥーン人:2100万人
・パキスタン総人口:1億8000万人
本サイトで、ケシュトマンド氏やサミ氏が「アフガニスタンではパシュトゥーン人は多数ではない」と主張する根拠はここにあります。パキスタン領内の人口を加味すればパシュトゥーン人は圧倒的多数となりますが、アフガニスタン領内だけでみれば多く見積もっても43%でしかないのです。なのに、「アフガニスタンの国王」はいつもパシュトゥーン人で、ほんの一瞬(いわゆる北部同盟)が政権を取ったときにタジク人が大統領になったことがあるだけで、PDPAのときもカルザイ・ガニーのときもほぼすべてパシュトゥーン人がトップで、その他の少数民族は差別されたり抑圧されたり、時代によっては奴隷として売られたりしてきた歴史があります。
さらに重要なことは、パキスタンではせいぜい人口比12%でしかないパシュトゥーン人が軍人全体では20%近くを占め、ムジャヒディーンやターリバーンを育成・武装させ指揮してきたパキスタン軍統合情報局(ISI)幹部にしめる比率はもっと高いと言われているのです。当然議会や官僚上層部にも進出しています。2018年から首相をつとめ、ターリバーンを強力に支援し国家承認にも積極的なイムラン・カーン首相もパシュトゥーン人です。パシュトゥーン人は自らの民族的利益増大のためにデュランド・ラインを悪用してアフガニスタンとパキスタンというふたつの国を使い分けて利用していると言えます。 パシュトゥーン人の名誉のために言うと、パキスタンにはパシュトゥーンのリベラル組織もあります。パシュトゥーンタハフズ運動(PTM)がターリバーンを支援してアフガニスタンの不安をあおるイムラン・カーン首相に反対する運動を行ってきたのなどはその一例です。(https://bit.ly/3AOHiScほか)
(かつてパシュトゥーンには辺境のガンジーと言われた非暴力反英闘争の指導者ガッファル-カーンという偉人がいますが、その紹介はまた別の機会に)

過去と未来のせめぎあい

パシュトゥーン人はアフガニスタンを南北にわかつヒンズークシ山脈の南側で紀元前から遊牧や農牧で生活をしてきた歴史ある民族です。イスラム教の受容も古くパシュトゥーン人がもともともっていた民族の伝統習慣とイスラム教を融合させた独特の統治スタイルをもっています。パシュトゥーンワリという習慣法やジルガという合議システムをもち西洋的三権分立の民主主義とはことなる統治方法で長い間生きてきた民族です。 パシュトゥーンワリは復讐や男尊女卑それに残酷な刑罰などを肯定する遅れた「掟」のように喧伝されていますが、なんのことはありません、日本だって明治維新のころまでは大して変わりません。仇討、幕末のテロ合戦、ハラキリなど。維新後7年たっても政敵の首をはねてさらし首にする(大久保利光が江藤新平を)なんてことが平気で行われていました。みせしめです。ターリバーンの公開処刑やむち打ちなども本質的にはおなじことです。
ただし、アフガニスタンは世界とつながっています。19世紀の終わりころから西洋風近代化の波は何度も押し寄せてははねかえされしつつ変革の記憶は社会に刻まれています。最近では1980年代の人民民主党政権下、また、腐敗にまみれた政権だったとはいえカルザイ・ガニー政権の20年間、合計少なくとも30年間、都市部では自由化と民主主義の時代が存在しました。その時代に育ったアフガン人も少なくはないのです。そのうえいまはネット社会。アフガニスタンの山奥にもスマホでホットな情報がとどきます。
これまではソ連やアメリカ・ISAFという外国勢力=異教徒の支配に対抗する戦争(ジハード)の大義名分との戦いがあり社会の近代化がまともに取り組まれる環境ではありませんでした。しかしターリバーン支配となったこれからは、異教徒という邪魔者はいなくなり、自分たちの闘いとして、アフガン人が手にしようと苦しんできた国民的統一と近代化とあらゆる差別(性別、民族、貧富、都市と農村の格差)の克服と、なにより生存への闘いが、始まる のです。当然にも、テロ容認の危険な国家ともいわれてきたパキスタンの民主化も視野にはいらざるをえないでしょう。
アフガン国内や国外での闘いの現在は、未来を手にするための過去とのせめぎあいなのではないのでしょうか。

(野口壽一記)

 

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 アフガン人はどうしてあんなにアメリカを批判するんだろう?
(2021年9月20日 0:00pm)

 

このサイトを韓国で見ている若い友人(日本人)とチャットしました。彼とは共通のアフガン人の友人がいます。

「パキスタンがあんな形でアフガニスタンを間接侵略 しているなんて知らなかった。アフガン人がパキスタンを批判するのはわかるけど、どうしてアメリカをあんなに批判するんでしょうか。いくらアフガン政権や軍部が汚職まみれで腐敗してたといってもアメリカを批判するのはわからない

「アフガン人同士を戦わせて自分らはドローンで爆撃。アメリカ兵の犠牲も多かったけど圧倒的な犠牲者はアフガン人。しかも誤爆で民間人の犠牲者はケタ違い。そこにタリバンがつけこんだんじゃないかな」

「でもアメリカを非難するのはお門違いじゃありませんか。経済支援だってしてたんだし、ある程度民主化は支持されてたはずだし。アメリカはもっとうまくやれなかったんだろうか

「自己の力を過信しすぎたんじゃないかな? ムジャヒディーンやパキスタンを利用してソ連をやっつけた。味をしめた。戦争は最大のビジネス。ついでにイラクまで攻め入って中東支配を盤石のものにしようと調子に乗ったんじゃないか 。一極超大国時代だ、と。」

「ソ連は体力が尽きて撤退した。ついでに国まで亡びたけどアメリカはシェールガスが採れるようになって中東の石油に依存しなくてもよくなった。撤退はソ連のようになる前に、ってことですかね

「オサマ・ビン=ラーディンを殺したときに国際世論に反テロ戦争勝利をアピールしてすぐ撤退していたらこれほど傷つくことはなかったんじゃないかな」

日本でうまくいった占領政策の成功体験を引きずっていたんですかね 。アフガニスタンやイスラム原理主義を甘く見た? ちなみに韓国では、ベトナム、アフガン、次は韓国だ、と右派が恐怖を煽ってます。左派の望む通り米軍が撤退するとああなるんだと。大統領選挙前なので色々騒がしいです」

「アメリカは世界舞台で赤っ恥をかいたわけだけど、日本や韓国に危機感をあおる狙いがあるね。対中国包囲網を作りたいんで。したたかなアメリカは転んでもただじゃ起きない

「示し合わせたように北朝鮮がミサイルをぶっぱなして、緊張激化ですよ。できすぎのようで怖い」

「日本だって総裁選で〝領土を守る〟なんて勇ましい声が大きくなってる。先月はイギリスの航空母艦クイーン・エリザベスやオランダの艦艇も参加して沖縄沖で米日英オランダ合同演習をしたね。とたんにきな臭くなってきた。アメリカのアフガン撤退と東アジア・東南アジア情勢は無縁じゃない」

「インド太平洋構想クワッドとかもありますよ。日米印豪四カ国で中国を締め上げようというわけでしょう。昔日本がABCD包囲網を打ち破るんだ、大東亜共栄圏だ、とかいって無謀な戦争をやったんだけど、こんな露骨な中国包囲網の挑発に中国が乗らなきゃいいんですけどねぇ

「中国は一帯一路をぶち上げて包囲網を切り裂こうとしてる。アフガンが親中になればもともと親中のイラン・パキスタンをつないで広大なユーラシアの〝中原〟に打って出ていける。太平洋にも出られれば米との世界分割も夢じゃない。チャイニーズ・ドリームだ」

「なんだか三国志やグレートゲーム現代版みたいな話になってきましたね。でも、現実味があるだけになおさら怖い」

「核兵器時代だからな。中国、北朝鮮、インド、パキスタン、それに米・英と核保有国がそろってる。油断はできないよ」

「日本の核武装も議論されてるんでしょ? 韓国じゃ北が持ったから切実です。核戦争になったらアメリカが守ってくれるはずない、と」

「日本でも核武装を唱える人がいるけど、核保有国同士の戦争になったら世界は終わり。1、2発ですむ話じゃないからね。中国は、毛沢東が、アメリカは張り子の虎、核戦争になっても人口も国土も広い中国は生き延びる地域がある。そこからまた国を再建すればいい 、と言った国だぜ。そんな国と日本が核戦争したらどうなる? 日本全滅、中国半滅。話にならない。だから核戦争にならないよう、核保有国らと膝を交えて議論して解決するしかないのさ」

「話がずれて随分大きくなってしまったけど、話を元に戻すと問題はアフガンの平和と発展 ですよね。発展の前に女性の人権、特に教育を受ける権利の実現や目先の生活問題の解決がまず先ですよね」

冬を前にして飢餓の心配もある」

「困難を抱えた後進地域を先進国が援助する必要、いや義務があるんじゃないですか」

「その通り。そのためにもターリバーンに国際常識 を受け入れさせなけりゃなぁ」

「できますかね」

「歴史を中世に引き戻すことなどできないから、アフガン人がその気になれば、時間がかかっても必ずできると思う。辛抱強く見守って、応援していく必要、いや、君が言うように義務なんじゃないか」

「ネット時代になって世界中がリアルタイムでつながりました。遠く離れててもこんな議論が簡単にできるし、世界中で戦っているアフガニスタンの人たちの活動にも参加できる。素晴らしいことだと思いますよ」

「そうだね、お互い、注意してクズ情報に惑わされず頑張りましょう」

(野口壽一記)

 

 

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 9.11、20周年、ターリバーンは、ネズミ小僧かゴエモンか、はたまたロビンフッドか
(2021年9月11日 10:30pm)

 

ニュースレターを出し始めてあるメールをいただきました。

「タリバンはナチスのような悪ですか。そんな悪を育てたのはアフガン人自身じゃないんですか。タリバンを利用して儲けていたのはガニー政権やその政権に巣くう連中、それら全体を利用していた外部世界じゃないんですか」

まったくその通りです。だからヘラートの女性が書いた詩「ガニーを逮捕せよ!」を全文、転載し紹介しました。憎しみがほとばしり出ていました。ヘラートの都市部住民だった彼女ですらそのような感情をガニー政権にいだいています。

しかし、農村の貧困と因習に縛り付けられ、乾燥した枯れて貧弱な土地にしがみつき、つねに飢餓の恐怖にさいなまれながら生きている農民にとってターリバーンは、私に言わせれば、悪銭をしこままため込んで豪奢に暮らす豪商から金品を回収して貧民に分け与える鼠小僧か、石川五右衛門のような義賊か、はたまた悪代官を懲らしめるロビンフッド のように、思えたに違いありません。しかもソ連をやっつけた後に利権争いの戦乱でかえって国をズタズタにしたムジャヒディーンをかたずけてくれたのです。ターリバーンのみじめで汚い身なりや在りようもそんな農民にとっては自分自身の写し絵と映ったのではないでしょうか。

アメリカがやってきて、西洋風民主主義を押し付け、法による統治などと叫び田舎に持ち込み、隣とのいざこざひとつ片づけるのに、読めもしない文字で書類を書かされたり、国民の意思表示だとわけのわからない箱に紙くずを入れさせられたり、不便な生活を強いられるより、昔ながらの常識で、悪い奴を一喝してもらって即座にもめごとが片付く方がどんなにいいか。しかも、国の軍隊だとかのたまわりきれいな軍服で着飾って、幻の兵隊の給料を懐に入れる上官をやっつけてくれるんだからこんな痛快なことはない。
しかも、アメリカやNATOやニッポンの金持ちに支援されたアフガン政府の歳入のなんと半分はそれらの国からの支援金。また外国軍を取り巻いて戦場ビジネスで儲ける外国人や、その金に群がってブイブイ言わしているアフガン人。しかもソ連やムジャヒディーンらにひどい目にあわされているときは外国に逃げていて、カルザイが出てきたら一緒に舞い戻ってきて大儲け。戦争が続けば続くほど儲けが増える、と思っていたのにパトロンさんたちが持たなくなって逃げかえることになった。ざまあみろ、と言いたい。しかも、都会の連中は西洋かぶれていい目をみてる。妬みや怨嗟のまとじゃいと、思うひとが相当数いるんです。たとえそれが、中世の暗黒や無知蒙昧の、半封建部族社会の民といわれようと。女に教育は無用だ、結婚は家と家のものだ嫁も婿も父親が決める、といった社会でも。

でもね、江戸時代や明治維新のころの日本だってそんなものだったんですよ。というより、団塊世代の小生だって、そんな時代の名残のころ。小中高と同じ学校で、小生といつも学年1、2位を争っていた(ホントかな?)成績優秀で生意気な女の子、高校生になったら女子だけのクラス。親には「オナゴは(イナゴじゃありません、鹿児島弁で〝オンナ〟の意)大学なんかいかんでよか(行く必要ない)」援助してもらえず涙。しかし偉いのは、大人になっても勉学の意思をすてず、50過ぎて東大入試を正面突破、4年じゃもったいないと7年間も学生生活を満喫し卒論も仕上げて無事卒業、マスコミの寵児になりました。性、年齢、職業(自営業)、乳がん手術といくつもの障害を乗り越えましたから、当然です。

小生が〝Web Afghan in JAPAN〟を始めようと思ったのは、もうアメリカはもたないな、次はタリバンの世になる、75年のサイゴンのような事態の後、アフガンでは本当の民主化の闘いが始まるに違いない、と思ったからです。それを応援しなくっちゃ、と。9.11が過ぎて、アメリカがアフガンに乗り出してカルザイが出てきて、日本に来た時、この人たちは日本に集金に来てるんだな、と直感しました。(このあたり、カルザイ氏やアブドゥラ氏らとの面会が設定された時のエピソードは「編集室から」に書きました。)そのあとも、アフガン大使館に呼ばれたことがありますが、アメリカ大使館のすぐ近くに日本の金で作られた豪邸には行きたくないと固辞しつづけました。

このサイトを立ち上げたのは、アフガン問題は実は日本問題だという認識があるからです。これまで、アフガン問題の大きな視点からの問題点、デュラントライン問題、パシュトゥーン問題、いや実はパキスタン問題と論じてきましたが、私の認識の根本には、民主主義、人権、民衆の権利、の視点があります。

アフガニスタンに最初に行ったのは、ソ連がPDPAに軍事支援を始めた1980年でした。当時の日本では社会主義を支持する人や組織でさえ、ほんの一部を除いて、国中がソ連やアフガンを締め付け叩きのめそうとしていました。日本共産党などその最先頭で口汚くののしっていました。私も〝カルマルの手先〟とやられました(笑)。そのころ私は、アフガニスタンのように資本主義以前の遅れた国が社会主義に進むためには、腐った鯛でもソ連社会主義世界体制の支援を受けなければ無理であるし、軍事的経済的社会的な全面的な支援があれば可能である、と信じていました。(そんな人間がいたと信じられる人は少ないでしょうね(笑))(そのうち詳しく語らせてください)。

しかし、(中略)、80年代に10年間アフガニスタンと付き合う過程で、進んだ(と思われる)社会システムを外から持ち込んで定着させることは無理だと悟りました。幸せは輸出も輸入もできないのです。しかも、アフガニスタンはイスラム教の国でした。無宗教の国で「科学」と「真理」は人間にかならず理解される、と素直に信じていたころです。若さですかね。そのころは養老先生の『バカの壁』はまだ出版されてませんでしたから。

権利、人権、人間らしい生活、それらすべて、幸せの原点は、そこにいる人びとが自ら闘いとるものであることを知りました。民主主義からもっとも遠いと思われているアフガニスタンで民主主義の本質を教えられた気がしました。

それまで、「民主主義は闘いとるものである」「主張し闘わなければ権利は実現しない」、と教科書の知識で理解していました。日本の民主主義は憲法も含めGHQによって与えられた民主主義で、ニセモノなのだ、と。

頭でっかちでしたね。だから、いま、カーブルでターリバーンの銃剣のまえでもひるまず立ち向かう女性の姿に本当の民主主義を見るのです。ソ連軍が支援した80年代のカーブルではブルカを被らない女性がたくさんいましたし、教育現場はほとんど女性教師でした。男は戦場。男抜き花嫁だけの結婚式に立ち会ったこともあります。
PDPAの10年間もアメリカ主導の20年も無駄ではありません。ターリバーンが引きずりだした闇の部分もありましたが、民主主義の素晴らしさを知る人びとも増えたのです。戦争ばかりだった40年間とはいえ、ターリバーンが復権してからの女性たちの闘いぶりは光といえるのではないでしょうか。これからのアフガン人は、自分たちの権利は自分たちで闘いとらなければ、誰も与えてくれません。

日本人はそのような闘いをしたことがあるでしょうか。
これからのアフガン人に学ぶべき点は多いと思います。

(野口壽一記)

 

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 パキスタン軍、ドローンを使ってパンジシールを爆撃 
(2021年9月6日 10:30pm)

昨夜(9月5日)、タリバンに対抗して戦っているパンジシール勢力(NRF:国民抵抗戦線)に対してパキスタン軍のドローンによる爆撃が行われたそうです。複数の現地情報によればアフガンの有名なジャーナリストのファヒム・ダスティさん(写真)が犠牲になりました。

彼は捕虜にしたパキスタン系タリバン兵士からの聞き取りをしていたそうです。
そのほかにも犠牲者がでているもよう。
爆撃のなまなましい動画がフェイスブックで拡散されています。
https://www.facebook.com/Khalilzad-buidaqi-104028041616192/
マスメディがほとんど報道しませんが、アフガン問題はアフガン国境内の問題でなく、パシュトゥーン問題、もっと正確に言うとパキスタンがパシュトゥーンと組んだアフガン支配の事件にほかなりません。

パンジシール渓谷の国民抵抗戦線(マスード派)への5日の爆撃はパキスタン軍のドローンによるものでほぼ間違い無さそうです。パンジシールに逃れたサレー第一副大統領は国連に調査要請を発したと報じられています。インド系のメディアが盛んにパキスタンによる爆撃の事実を報じています。
https://bit.ly/38MbH7a
パキスタンによる、ターリバーンを使った代理戦争だけでなく、あからさまな侵略行為は今後国際的にも問題になりそうです。もしこのまま表ざたにされないとすれば、パキスタン軍によるパンジシール爆撃は米・NATO撤退シナリオに組み込まれた陰謀の可能性もあります。

真実を広めてください。(野口記)

 

 カーブル陥落3週間 (2021年9月1日 10:00am)

● カーブルが陥落して3週間目を迎えた。アメリカやNATOなどの軍隊が撤退してから2日目。

● アフガニスタンは再び中世の暗闇にもどるのか、それとも20年前のアナクロニズムは賢くなって帰ってきたのか、それとも・・・

●世界中が固唾をのんで見守っている。

●なぜこうなったのか? 2001年、タリバンを打ち倒してからの20年はなんだったのか? 壮大な虚無? 2011年には事件の元凶とされた親玉は殺害されたはずなのに。

●アフガニスタンの罪なき人々にとっては血みどろの虐劇。世界の警察官をやめたはずのアメリカにとっては壮大な悲喜劇。かき回された中東/中央アジアの人びとにとっては大迷惑

●アフガニスタンを人工的に創られたアフガニスタンの囲いのなかだけで考えている人びとには見えない、極東/東南/南アジアとの連関と緊張の伝播

●アフガン国内の事態は周辺諸国の諸矛盾の反映。ターリバーンを構成するパシュトゥーン人はアフガンとパキスタンにまたがって存在し、パキスタン軍部にはパキスタン国民の15%以上を占めるパシュトゥーン人が高い位置を占め、ターリバーンを創り、後押ししている。彼らの存在の脊髄であるイスラム教はアラブの過激なイスラム主義と連携/連動しつつ軋轢相克軋む関係。アフガニスタン問題の大きな要因は宗教的に不安定な人工国家パキスタンの未成熟の反映。(本Web「アフガンの声」欄参照)(本Web「研究/提言」欄参照)

●アフガニスタンとパキスタンを隔てる係争国境・デュランドラインの存在。インドとの戦争にそなえアフガニスタンを後方基地とするパキスタン軍の軍事戦略(Strategic Depth=従深戦略)にもとづく同ラインの悪用。(本Web「研究/提言」欄参照)

●アフガニスタンの内部は、大英帝国との独立戦争に勝利し西洋化をめざしたアマーヌッラー・ハーン以来、近代化とイスラム主義/イスラム文化との間の動揺の100年。ターリバーンはその歴史の中の何度目かの揺り戻し

●人権外交をかかげるアメリカは〝人権の擁護〟でなく自国利益の擁護に〝人権〟の大義名分を利用しているだけ。新疆ウイグル地区の〝人権〟もアメリカ利益擁護戦略のテコのひとつ。アフガニスタンの人権はアフガン人自身が獲得し守るしかない。今度の件でアフガニスタン人自身が一番自覚している。それが8月28日の全国35カ国でのアメリカ・タリバン一斉抗議運動によって示されている(本Web「アフガンの声」「世界の声」欄参照)

アフガン事件は、台湾・尖閣問題(つまりは対中問題)と直結している。日本も台湾も自主自立の精神でこれに対処しなければならない。アフガニスタン事件は、日本人への自覚を迫っている。それは、軍事力の強化によって果たせるものではない

● アフガン問題を日本問題と読み替えて本Web(Web Afghan in JAPAN)をご覧いただけると幸いです。

(野口記)

 

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 カーブル緊急報道 (2021年8月16日 10:00am)

アメリカ軍の完全撤退を受けて、早晩、ガニー政権は倒れ、ターリバーンが再度アフガニスタンを支配し内戦は継続、アフガニスタン情勢が再び三度国際政治の最前線に躍り出る、との判断で2カ月前、このサイトの立ち上げを開始した。米バイデン大統領は撤兵をくりあげて8月末との期日を発表した。それまでにグランドオープンすべくWeb制作作業を進めてきた。だが、われわれの作業スピードをはるかに超えてガニー政権の逃亡とターリバーンのカーブル入場が実現した(8月15日夕)。
この間の事情は当サイト「アフガンの声」でFateh Sami氏が喝破しているように、アメリカ・パキスタンが演出・仕組んだものであり、コインの裏表に過ぎないガニー政権(ガニー/カルザイ/ハリルザド三人組)とターリバーンのパシュトゥーン人プレーヤーが演じる陰謀劇である。それは20年前への逆戻りのように見えるが、人権と民主主義の観点からは中世への逆戻りである。
しかし、一見、中世の闇が現代を覆うように見えるこの事件は、アフガニスタン周辺だけでなく、イスラエル・パレスチナまでのシリア・イラクをふくむ中東全体をさらに不安定にする要素となる。そして今回注目しなければならないのは、ターリバーンは上海協力機構の一員として中国・ロシアとも連携して動くことである。しかしこの関係は呉越同舟であり、今までのアフガニスタン・パキスタン問題にロシア・中国がふかくインボルブされ、これに従来の戦火を交えている印パ、印中対立が直結することになる。アメリカの狙いは、アフガンで転んでもただでは起きず新疆ウイグル問題を持ち出し中国を西と東と南からゆすぶろうとするところにある。アフガニスタン問題が日本から遠い問題でなく、直結するとわれわれが判断するゆえんである。
アフガニスタンでの宣戦布告なき40年戦争はこれで終わるのでなく深層地震のようにもっと地下深くから地球全体を揺るがす大地震に発展しかねない。
アフガニスタンをめぐる情勢を油断することなく見つめ続けなければならない。

(野口記)

 

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 なぜ今またアフガニスタンなのか? 

(2021年7月4日)

名探偵シャーロック・ホームズの相棒「ワトソン君」も従軍したアフガン英戦争。南下を企むロシアと、それを阻止してインド利権を死守せんとするイギリスとが激突する「グレートゲーム」の戦場として世界的に有名です。中央アジアの十字路、中心、ハートとも呼ばれるアフガニスタンは古代から周辺諸国諸民族の抗争の場でした。超大国の世界支配の野望がせめぎあうホットポイントにされつづけてきたのです。グレートゲームは現代にも引き継がれました。

1980年代のソ連の進駐、90年代のパキスタンやアラブの息のかかったイスラム原理主義勢力の侵入、2000年に入ってからのアメリカと欧州軍の侵攻。パキスタン、イラン、トルコ、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンなどとアフガニスタン国内の民族的つながりが引き起こす内部対立と混乱。アフガニスタンは最近の半世紀の間も内戦が絶えず、国民生活は改善、進歩どころか戦乱と流血、硝煙と血の匂いに呪われた日々がつづいてきました。

アメリカは、2021年9月までにアフガニスタンから軍隊を完全に撤退させると表明しました。本来なら喜ぶべき事態なのですが、アフガニスタンの内部事情をみると、むしろ混乱がさらに増すのではないかとの懸念が深まります。地政、経済、資源をめぐる周辺諸国の「グレートゲーム」の暗闘が国内諸勢力に影を落としています。

そのような状況にあってアフガニスタンの人びとは、アフガニスタンという難しい地域で国家的な統一を取り戻し平和と発展を目指すにはどうすればよいか、真剣な議論を展開しています。私たちはアフガン人の前後左右上下硬軟色とりどりの声に耳を傾けたいと思います。

ひるがえってアジアの東端を見ると、英露がアフガニスタンでグレートゲームを展開していたころ、ユーラシア大陸最果てのさらに離れ小島にあって、日本は露英米仏独のグレートゲームに巻き込まれました。しかし、幸か不幸かアフガニスタンのような民族的複雑さを背負わず、超ハードな中央集権国家の道を歩み、グレートゲームの被害者になるのでなく、あろうことか、ワン・オブ・ザ・プレーヤーズとなってゲームに参戦し、結果、悲惨な敗北を喫してしまいました。アフガニスタンの人びとはアジアの西と東で同時代に生起した対照的な歴史をよく知っており、自国と日本を比べます。「アジアで自力で独立を勝ち得たのは日本とわが国だけだ。なのになぜ、現在のような違いが生じてしまったのだ」と。

明治維新後、西洋に拝跪した日本が歩んだ道は中央集権的軍事独裁封建帝国主義路線でした。第2次世界大戦後、その道は「 軍事独裁+外資 」の方程式に姿を変え韓国や台湾、東南アジア諸国に引き継がれ、一定の成果をあげました。現在は最後のランナーのひとりとして中国がその方程式をもちいて頂点に立ち繁栄を謳歌してい(るように見え)ます。しかし、内部的に異なる多くの民族をかかえ周辺諸国との強い血縁的宗教的つながりを持つ複雑で多様なアフガニスタンにとってその道を選択するのは困難、むしろ不可能に違いありません。

一見、日本はアフガニスタンとは対極にあるように見えますが、今後を考察すると、各種格差が拡大し多様な矛盾と意見が錯綜する複雑な社会へ変貌しつつあります。米中というスーパーパワーのつばぜり合いの狭間で、かつてのようなファッショ的超中央集権的軍事国家をめざしていけるのかどうか、国家と社会の在り方が問われています。遅れているように見えるアフガニスタンですが、実は、アフガニスタンで〝平和と進歩を求める人びと 〟は分断を克服して多様性を認め合う統一した「邦(くに)」と社会の在り方を求めて現代世界の最前線で戦っているのだ、ともいえるのではないでしょうか。

私たちは、このような理由から、アフガニスタンをめぐるファクトとディベート に注目します。

さらに、日本人のわれわれにとっては、もっと切実で逃れられない直接的な危機があります。それはアフガニスタンからの撤退を決めた米国大統領バイデン政権の世界戦略です。米国政府はアフガニスタンを手放して単純にタリバンにその地位を譲る、と考えてはなりません。目下、中国とロシアを主敵とするアメリカ政府はアフガニスタンを内戦化し長引かせロシアと中国を泥沼におびき寄せ、はまり込ませようと考えています。もしそうなればアフガニスタンの戦乱は収まらず、世界はますます不安定化し、日本に住むわれわれにも多大な困難が背負わされます。危機の由来と現状を知り、日本人としてなにができるのか考えたい、これが、本サイトを急遽立ち上げたもうひとつの理由です。

このサイトをご覧になった方のご意見やご協力(特にペルシャ語に堪能な方)を切に望みます。よろしければメールマガジン(無料:随時発行)をお申し込みください。アフガニスタンの最新情報や分析、シルクロード諸国の文化などについての情報をお届けいたします。

(野口壽一記)