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~068

(2023年6月25日)

 終わりの始まり 

~祖国敗北主義の歴史、再来なるか?~

 

「祖国敗北主義」のスローガンは、第一次世界大戦のさなか、戦争を終わらせ平和を実現しかつ革命を成功させるためにロシア・ボルシェビキの指導者レーニンが唱えた思想である。そしてボルシェビキは革命を成功させ戦争を終結に導いた。「祖国敗北主義」の対立概念はボルシェビキの反対派メンシェビキが唱えた「革命的祖国防衛主義」である。「革命」と言葉は勇ましいが、日本でいえば「挙国一致翼賛体制」の思想に相似といえる。
ワグネル創立者プリゴジンの今回の反乱の思想的基盤がレーニンのもののように主義や思想として体系だったものであるようには思えないが、プーチン体制の矛盾と弱さを暴き出す終わりの始まりを告げ知らせる号砲であることは間違いない。

歴史に残るであろう反乱の進捗を気にかけながら、つぎの原稿を書いた。

 

突発事態発生!

24日の朝、この原稿を書き始めようとしたら、ワグネルの創始者プリゴジン氏が武装反乱を企図したとしてロシア当局が捜査を開始した、とのニュースがタス通信-共同通信経由のメールで届いた。その後、マスコミ各社が追随し、騒がしくなった。

当初、原稿のプロットを次のように考えていた。書き直す必要が出てくるかもしれないが、そのまま掲載する。

(1)2023年5月後半から6月前半は、しばらくあとから振りかえると、時代を画する1カ月だったと言われるかもしれない。ウクライナ戦線ではウクライナ軍の反転攻勢が喧伝されてはいるが、ウクライナ軍は苦戦。ロシア軍の堅固な守備隊形により戦争は長期化する気配のもと、次のような重要イベントが連続した。

― G7ヒロシマ。反核とゼレンスキー大統領のサプライズ登場、グローバルサウスへの注目。対中ロ包囲網構築の試み。
― 中国は同時期に中央アジアサミットで対抗。習近平中国国家主席は旧ソ連圏の表面上ロシアに寄り添っていた中央アジア5カ国を取り込み「中国との運命共同体」を宣言。
― 途切れていた米中首脳会談がブリンケン米国務長官・習近平主席間で実現。バイデン米大統領・習近平主席会談の準備完了。
― インドのモディ首相、アメリカを訪問。政治・経済・軍事面での2国間関係の緊密化で合意。
― バイデン大統領は習近平主席を「独裁者」と呼ぶ。しかし発言撤回ないし訂正は拒否

(2)上述の動きと併行して、アフガニスタンではふたたび世界を揺るがす大事件に結びつきかねない大激変が準備・実行されつつある、として、

― ファテー・サミ氏の「予断を許さぬアフガン情勢」を取り上げて、日本でまったく報道されていない驚くべきパシュトゥーン移送計画やアフガニスタンとパキスタンを舞台としたあらたな危険な動向
― 同地域での米中パキスタンの角逐
― 大国としての影響力を増しつつあるインドの介入

に考察をすすめ、最後は、

・上記の動きとAUKUSやQuad、NATOの東京事務所開設の動きなど戦争準備に向かう国際情勢の危険性を明らかにして警鐘をならし反対の立場を鮮明にしよう、

と計画していた。

ところが原稿を書くどころではない。テレビをつけると日本の報道は定時番組で外信の受け売りを流した後はどの曲も休日進行で役に立たない。しかし午後1時を過ぎると海外のネットではワグネル軍がウクライナからロシア内部に入ったとか、ロシアの数十の部隊がワグネル軍に合流したとか、プリゴジンが南部軍管区の本部に入ったとか、虚実入り乱れた情報が流され事態は緊迫している。キーボードの指先がおちつかない。果たしてどうなるのだろうか。数時間の間に決着がつけば25日発行のこの『ウエッブ・アフガン』ニュースメールの締め切りに間に合うのだが、プリゴジン騒動の帰趨がニュース発行日の明日以降にもちこされると、結果を確認してから原稿を完成させる、というわけにいかない。

やはりこの間の1カ月は歴史に残る1カ月になるのだろう。

 

本題にもどって

アフガニスタンからの米NATO軍の撤退やウクライナ戦争、さらには新疆ウイグル・台湾事態は密接につながっている。それは『ウエッブ・アフガン』で発足以来一貫して主張し続けてきたことだ。

ウクライナをめぐる事態は、ウクライナという国家を消滅させる(非武装化、非ナチ化して併合する)というプーチン大統領の妄想は粉砕されたが、クリミヤ半島を含むウクライナの東部から南部にかけてウクライナ国土の20%近くを占領しロシアに併合するという最低限の目標は達成されている。ただしそれは不安定であり、勝敗はまだ決していない。プーチンの思惑に振り回された「特別」軍事作戦の意味や軍上層部の戦争開始と長期化の責任を問い、プーチンの愚策を軍や国防省幹部の責任追及の形で反映するプリゴジンの「反乱」が生まれたのかもしれない。

アフガニスタンの重要性はロシア南部のモスレム諸国および中国のイスラム圏である新疆ウイグル地区と国境を接している点にある。対中ロ包囲網の形成にとっては極めて重要な結節点であり、だからこそ習近平政権は中央アジア5カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)をみずからの勢力圏として取り込み、安定化させ、自国の安全保障の防塁としようとしたわけだ。

地図・出典:シルクロードキャラバン・サイト https://sr-caravan.com/?mode=f3

習近平のこのような対応は、ウクライナの事態をみて立案されたものではない。じつは米NATO軍がアフガニスタンを撤退する前から、アメリカがターリバーンをつかって構築しようとしていた世界戦略に対抗するものでもあったのだ。

その戦略とは、『ウエッブ・アフガン』が米軍撤退直前に撤退の意図を暴いた論説「内戦がアフガニスタンに迫っている」ではやくも指摘している。

このような指摘をおこなったメディアはこの時点ではほかになかったはずだ。今でもないだろうが、米国の戦略は、米撤退後の空白にできたアフガニスタンという泥沼にロシア・中国を誘い込む戦略だ。ロシアはウクライナに足を取られて弱体化し、最終的には中央アジア諸国を空白後の泥沼に「一帯一路」の活路をもとめて飛び込んできた中国にからめ取られてしまった。

中央アジア諸国と中国は、アフガニスタンの北部に移動してきたターリバーンやイスラム過激派からの圧力と脅威を受け始める。その事実を、アフガニスタンの独立派メディア『ハシュテ・スブ・デイリー』は「テロ活動の活発化、中央アジアはアフガニスタンとの国境線にセキュリティーベルトを構築」で見事に描き切っている。

そして、今号の「予断を許さぬアフガン情勢」(ファテー・サミ)は、日本ではほとんど知らされていない、驚くべき作戦のかずかずを暴露している。

 

パシュトゥーン移送作戦とクオシュ・テパ運河掘削プロジェクト

パシュトゥーンを主体とするターリバーンの他民族に対する暴虐は、単なる暴力行為ではなく、一種の民族排外主義、民族浄化作戦なのだ。単純に「いじめ」ているのではなく、彼らを従来の居住区で生活できなくさせ、その居住地と財産を移住してくるパシュトゥーン人に与える、武力をつかった入植行為でもあるのだ。だからターリバーンは彼らの占領地住民の生活など考慮しない。むしろそれが作戦の目的だからだ。

ファテー・サミ氏はその実態を事細かく洗い出し、アフガニスタンのパシュトゥーン化、そのためのパキスタンからの500万人にもおよぶパシュトゥーン人のアフガニスタンへの移送と表現している。ターリバーンはパキスタンのターリバーンであるTTPメンバーをアフガニスタン北部に移転させることでパキスタンと合意している。その事実をファテー・サミ氏だけでなく『アフガニスタン・インターナショナル』が暴露している。パキスタンは頭痛の種であるパキスタン・ターリバーンをアフガニスタン北部に入植させる、そのために必要な種子や肥料や農機具なども入植者に与える、という一石二鳥、願ったりかなったりの解決策をアフガニスタン・ターリバーンと結んだのだ。

その入植地となるのが、クオシュ・テパ運河の沿線地帯。これはアフガン北部の中央アジア諸国との国境ともなっているアムダリア川から水を引く全長280km、幅100mの運河だ。もちろん農業用の感慨水路ともなるので運河にそって数百万人の人口も養うことができる壮大な計画だ。この運河建設計画はアメリカとのドーハ合意でも取り決められているプロジェクトで2022年3月に開始され、すでに100kmほどが完成している。

運河の完成とともに民族の浄化=パシュトゥーン化、過激派拠点の建設が進むという危険なプロジェクトなのだ。

この機会に、今号のファテー・サミ氏の論考「予断を許さぬアフガン情勢」のみならず、これまでの氏の論考(ファテー・サミ氏の執筆記事一覧)をぜひお読みいただきたい。

 

最後にひとこと

アフガニスタンという地域、領域はあるが、アフガニスタンという国家はない、という事実をぜひ認識していただきたい。つまり、われわれは何気なく、「アフガニスタン」という単語を口にするが、現状ではそのような「国」はないのだ、という事実。

ガニー政権が崩壊した2021年8月15日以前には、曲がりなりにも中央政府や軍隊や警察、役所などの官僚組織や国のさまざまな施設は存在していた。腐敗堕落していたとはいえ政府は外国からも承認されていた。しかしその時点でも、国家予算の半分以上は海外からの支援金にたよっており、軍隊は米NATOなどが支援してきた。つまり、国民経済はなりたっておらず、関税や通行税などは徴収できても所得税など国民の納税制度はほとんど機能していなかったのが事実だった。徴税や国民サービスのもとになる住民登録制度でさえ不完全だったのだ。だから、商業・経済データどころか人口や民族構成など国民の基本的なデータでさえ、不完全だった。2021年8月に復権したターリバーンは行政責任を負うべきなのだが、ドーハ合意にあった「包摂的な政権」をつくる意思はまったくなく、旧来の不十分な国家システムでさえ維持できず、国家機能は満足に機能していない。国外からの貴重な支援金や支援活動さえ、女性職員を追い出したため必要とする人びとに届けることすらできない。(ターリバーンが仲間内で分け合っていると言われている。)ターリバーンを支援する国はあっても、国家として承認している国はいまになってもひとつも存在していない。つまり、アフガニスタンという境界線はあっても、アフガニスタンという国家はないという事実、これをしっかりと認識してアフガニスタン問題を論じてほしいということだ。さらに今回、アフガニスタンのパシュトゥーン化を論じるにあたって取り上げられたデュアランド・ラインの存在を考慮に入れれば、最低限確実ではないかと思われる国境線でさえ不確実であることを理解していただきたい。

アフガニスタン問題は実に複雑なのだが、その根本は、パシュトゥーンという数千万人と大人数で活発かつ勇壮な長い歴史をもった民族が英帝国の恣意のままに分断され、かつまた、インドという大きな世界からパキスタンという人口国家が切り取られてアフガニスタンとインドの間に存在しているという、これまた歴史の悲劇をいまだに引きずっている事実、それらが困難性の根底にある事実、これらを理解していただきたい。

今回はこの地域の情勢と日本との関係にまで考える時間と紙数がない。課題は宿題として次回以降に回したい。

ここまで書いてBBCのLIVEをみたら、プリゴジン氏はまだ逮捕されず頑張っている。プーチンの強権的独裁政治のもとで行動を抑制されていた人々が声を上げて、理不尽なウクライナ侵略戦争をやめさせることができれば、ロシア人民はふたたび世界から尊敬の対象とされるだろう。ぜひそうなってほしい。

24日午後11時脱稿。

【野口壽一】

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~067

(2023年6月15日)

 世界平和を守る力はなにか 

~国際社会で名誉ある地位を占めるべきニッポン~

 

・超大国としてのアメリカの力が落ちていくに従い、日本の同盟関係にも変化が表れている。

―2007年に結成され2021年、2022年と連続して首脳会議が開催された日米豪印戦略対話(通称クワッド)の重要性が増している。(外務省特設サイト
―2023年5月11日 NATO事務総長 連絡事務所を東京に開設へ 日本政府と協議 (NHK)
―2023年6月13日 NATO東京事務所の設置 マクロン氏は反対やめよ(産経新聞主張)
―2023/06/14 NATO 日韓豪NZと新協力計画 サイバー・宇宙で (日本経済新聞)

・本サイト『ウエッブ・アフガン』では、2021年8月の米NATO軍のアフガニスタンからの完全撤退、ターリバーンのカーブル再占拠の事態を評してアメリカの撤退戦略は「アフガンのつぎ、西はウクライナ、東は台湾」と戦線を広げ、中国包囲を意図するものであると述べた。

・その半年後、ロシアがウクライナに侵略を開始。その直前および直後に本サイトでは「罠にかかったプーチン」との見解を述べた。事態が、1979年のソ連のアフガン侵攻の再現(デジャブ)に見えたからだ。

・ソ連のウクライナ侵略の背景と事態の進行には、
(1)ウクライナのマイダン革命
(2)2014年のロシアによるクリミヤ併合
(3)その後の2度におよぶミンスク協議と議定書締結
(4)議定書の蹂躙とウクライナ南東部での内戦の継続と激化
(5)ドネツク・ルハンスク両共和国の独立とロシアによる承認
(6)両共和国のロシアへの軍事支援要請
などのマイルストーンがあった。それぞれにウクライナ・ロシア双方、さらには米NATOの言い分がある。

・関係者(直接的にはロシアとウクライナ、ミンスク議定書保証国のドイツとフランス、背後のアメリカ、その他のNATO諸国)にいかなる言い分があるにしろ、有無をいわさぬ核恫喝による武力国境侵犯を行ったロシアの行為は、ロシアのすべての言い分を台無しにする犯罪行為であった。

・ウクライナ国内でロシア軍が犯した数々の残虐行為や民間施設やインフラへの爆撃・破壊が戦争犯罪であることは疑惑濃厚だが、最大の犯罪は、第2次世界大戦の反省にたって戦争を抑止するための機関としてみずから(といっても設立国はソ連邦でロシアは後継国)設立した国連の精神を踏みにじり、核兵器を使った脅しにより侵攻し、武力によって国連加盟国の国境を変更した行為である。

・この行為を許すなら、世界は弱肉強食の無秩序状態にふたたび転落してしまう。

・日本国は憲法前文において
恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
との前提を掲げた。プーチンロシアが武力をもって粉々に粉砕したのはこの「平和を愛する諸国民の公正と信義への信頼」である。

・信頼が崩れた世界において、日本の政府は、アメリカやNATOとの同盟の強化、戦争抑止力、さらには敵基地攻撃など、武力均衡によって自国の平和を保とうとしている。しかし、核兵器の脅しの前に、他力本願はむなしい。戦争を仕掛けてくる「敵」にたいして武力で対抗するためには「敵」の武力と対等以上の武力を自らがもたなければならない

・それは第2次世界大戦前の世界にほかならない。

・日本の安全保障をめぐる論議は、同盟と抑止力の強化に焦点が当てられている。だから、軍産複合体アメリカの軍事予算GDP2%要求を無批判に受け入れざるをえない。その理由は、日米安保体制の確立(実はアメリカへの屈伏従属)による米軍事抑止力(実は核兵器の恐怖)によって、日本が直接的な戦争に巻き込まれずにすんだという歴史があるからだろう。

・だが、大国間の相互抑止への信頼が揺るいでしまった今日、軍事力だけでは戦争の恐怖から逃れることはできない。日本政府は同盟から見捨てられるかもしれないという恐怖心にかられて、アメリカのいうがままになっているのではないか。

・一国の安全保障政策の目標は戦争を回避することであり、政府の最大責務はそれだ。戦争によって相手を打ち負かすことではない。

・軍事力による抑止でなく、周辺諸国が当事者として参加する安全保障システムを構築すること、つまり「平和を愛する諸国民の公正と信義への信頼」を周辺地域、ひいては世界に構築することが政策担当者の責務でなければならない。

・それこそが、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」日本国(憲法前文)の責務でなければならない。

【野口壽一】

 

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~066

(2023年6月5日)

 バカの壁はどんなカベ? 

~養老孟司先生の指摘をヒントに考える~

 

私が養老孟司さん(なぜだかこの人には「さん」とか「先生」とか敬称をつけてしまう)の『バカの壁』を読んだのは1983年か翌年。手元にある新潮新書版には2003年6月25日12刷とある。さすがベストセラー、初版の4月10日からわずか2カ月で12刷! 大したものだ。その本に『文芸春秋』の12月号から切り抜いた「特別篇 天才になぞなるもんじゃない 養老孟司」という記事(全8ページ)が挟んである。本体よりも雑誌の方の紙質が悪いのだろう黄色く焼けている。それほど昔のことだったのが歴然。察するに、この新潮新書を購入して読んだのは、雑誌『文芸春秋』が発行されてからだろうから83年末か84年初めのころだろうと思われる。

 

アフガンで感じた『バカの壁』

私がアフガニスタンに直接かかわり始めたのは、ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻した1979年。最初に訪問したのは翌年の8月。41日間の取材で得た情報を写真や文章で講演しまくり翌年8月に『新生アフガニスタンへの旅-シルクロードの国の革命』を出版。そのころは、マスコミでほとんど報道されないアフガニスタン国内でなにが起きているかを伝えるのに必死だった。

しかし、アフガニスタンにかかわって3年にもなると、当初の思いとだいぶ事情が異なってきていると感じはじめた。戦況がだんだんと厳しさを増していくのだ。しかしなんとか、アフガニスタン国内の新社会建設の息吹を日本に伝えたいと、毎年2回、アフガニスタン友好訪問団を派遣したり、文房具の支援などをしていた。そんなときに『バカの壁』などという本が出版された。また、ある先輩から「おまえバカだなぁ、アフガンの連中は社会主義とかなんとかじゃなく、千年も前からつづく十字軍戦争をしてるんだぜ。2年や3年で終わるはずがないじゃないか」と突っ込まれたこともあった。確かにソ連は建前上は宗教を廃していたとはいえ、長いあいだ東方正教会のキリスト教国だった。反政府ゲリラはジハード(聖戦)を唱え、異教徒をアフガニスタンから追い出す戦争と位置づけていた。ソ連は民族対立だけでも和らげようとアフガニスタンへ派遣する部隊の民族構成をウズベクスタンや中央アジアなどアフガン国内の民族とアフガニスタンと共通の民族兵を多用するようになった。(ロシア人の犠牲を少なくする狙いもあったかもしれない。)

『バカの壁』は自分の頭の中だけにあるのではなく、アフガニスタンの当事者や国民のなかにもあるのではないかとも思った。総理官邸で「話せばわかる」と言いながら絶命した犬養毅首相の言葉(注)も脳裏をよぎった。

(注:1932年5月15日の5.15事件で総理官邸で海軍将校らに銃殺されたときの言葉。頭部を撃たれた犬養はそれでも意識があり、テルという名の女中に、「今の若いもんをもう一度、呼んでこい。よく話して事情を聞かせる」と、言ったという。PRESIDENT Online

アフガニスタンで、イスラムゲリラ(ムジャヒディーンのこと)がPDPAに反対して闘っているのはわかる。イデオロギーの対立だからだ。思想や宗教の違いで命を懸けるのもわかる。しかし、生活上の利害で、土地を与えるといわれて受益者となるはずの農民までもが命を懸けて土地をくれるという政府に反対するのは、理屈に合わない。犬養首相ではないが受益する人々には「よく話して事情を聞かせ」れば、いつかはわかるはず、が普通ではないだろうか。

 

当時も今も人びとの生活や社会変革の努力は伝えられない

当時、アフガニスタン問題として日本で報道されるのは世界的な反ソ連キャンペーン、国際情報エージェントが流す情報の垂れ流しか焼き直し。80年モスクワオリンピックを西側世界が総がかりでボイコットする大ニュース。各国政府や、ソ連を支持するはずの各国共産党や社会党などの動向。ユーロコミュニズムと言われたヨーロッパ共産党までもがソ連を批判する国際政治の流れ。アフガニスタン国内ではソ連軍と反対派ゲリラの戦闘やソ連軍の爆撃。ベトナム戦争のときのように、フリーランスジャーナリストの戦場突撃ルポ。現在のウクライナ戦争のように、ロシアの空爆や東南部前線でのウクライナ反撃部隊とロシア軍の戦闘は報道されても、肝心のドンバス地方や占領地帯、クリミヤ半島の住民の生活はめったに報道されない。要するに皮相なセンセーショナリズムの洪水。

アフガニスタン問題でもそうだった。しかし、80年~83年ころまでは直接戦闘に巻き込まれていなかった都市部や地方では、PDPA(アフガニスタン人民民主党)政権の初期改革の行き過ぎの是正(主に土地政策)が進められ、治水工事や水道工事、農業機械化などの改革、識字教育や女子教育の推進、医療制度や社会制度や商業制度の改革などが進められていた。PDPAは政権防衛の軍事活動と並行して、資本主義という上等なものは夢の夢、貨幣経済ですら満足にいきわたっていなかった遅れた社会を周辺諸国の水準、とくに、社会主義の導入によって目を見張るような発展(当時は)を遂げていた中央アジアのイスラム諸国のようになりたい、と必死でもがいていた。

 

実生活よりジハード(異教徒排撃)

しかし生活者としての実利よりも「外国」とくに「異教徒」の支配に対する嫌悪、拒否感の方がまさっていた。アフガニスタンでは、地方の村落は村全体が土壁の城壁で囲われ、その中の個々の住宅も囲われ庭は外から見えない中庭だ。そして村は村長(長老)、ムッラー(イスラム僧)、軍長の3者支配。彼らが逃げろと命令すれば村民はそれに従って一緒に難民化した。だから難民数は百万単位の膨大なものとなった。もちろん、ソ連軍の爆撃が激しく、城壁内の村には住めなくなった、という事情もあった。話してわかるどころか、話すことすらできない。言葉は姿を消し、爆弾と銃弾が言葉の代わりになった。

養老先生は、戦争やテロが起きる原因は「原理主義」あるいは「一元論」によるところが大きいとおっしゃる。原因はそうかもしれないが、戦争やテロが起きる背景には利害の対立や生活の立ち行かなさなど経済社会的な要因がある。それがもっとも基底的な矛盾だといえる。原因を「イデオロギー」や「主義」や「思想」にもとめると「話せばわかる」という一見穏健な立場も一種の主義主張の押し付けと同じとなる。相手との間に『バカの壁』が立ちはだかると同じ舟には乗れなくなる。

 

アメリカも陥った同じ落とし穴

「編集室から」で金子編集委員が今号でもつぶやいているように、ソ連軍を追い出してアフガニスタンの支配権を握ったムジャヒディーンは軍閥ごとに跋扈して、利権あさりに走り、検問所をあちこちに設置して勝手に通行税をとるようになった。ムジャヒディーンが物欲と支配欲にかられた盗賊でしかなかったことが活写されている。困り果てた運送業者や密売業者がターリバーンに資金や武器や戦闘員を与えて乱立していた検問所(実は物資や金の強奪所)を廃止してターリバーンに一元化、あわせて司法などの社会管理機構も旧来の伝統的スタイルにもどしたのだった。

問題は、ターリバーンの思想基盤がイスラームの過激主義であったり、狭い宗派主義であったり、パシュトゥーン族の時代遅れの旧弊思想だったりしたことだった。そこにパキスタンの軍部や政府が食い込み利用したから、問題がますます複雑化、大規模化した。

アル=カーイダとビン・ラーディンを追い出したアメリカの誤算は、受益者と目される階層に「益」を与えれば、それがたとえ武力を背景にしたものであっても、アフガニスタンを民主的で現代的な社会に改造できるだろうと思ったことだった。アフガンの軍閥となったムジャヒディーンらはアメリカより上手で、米英NATO外国軍をバックに外国からの資金を横取りするシステムを作ってしまった。一般のアフガン国民が腐敗堕落したわいろ政権と見なしたカルザイ・ガニー政権である。このような政権をつくりだした政権上層部の頭の中には『バカの壁』はなく、確固とした『利権の水路』とドルが流入する『狡知のパイプ』とがあったのだ。それらに翻弄されアメリカは20年間に2兆ドル(日本円にして300兆円弱)もの資金をアフガニスタンにつぎ込んだ。日本も約1兆円。金子編集委員がつぶやき続けた『アフガニスタン・ペーパーズを通してみるアメリカ人の本音』は政府+ターリバーン双方のアフガン人に手玉に取られるアメリカ人の姿を活写している。

 

壁の元凶は利害の対立

養老先生がおっしゃるように、抜き差しならない対立の原因は、原理主義、一元主義、「絶対的真理はひとつ」という固定観念=バカの壁であることは否定できない。そしてそれを克服するための思想として、多元主義、寛容主義、融和主義、中道主義、等々があり、日本的に言うならば「和の精神」が必要で有用であることも間違いない。

しかし、社会には、われわれだけでなく相手がいる。相手=他者との間には多かれ少なかれ「相違」が存在し、壁や溝を生み出す。それらを生み出すのは、つまりは利害の対立に他ならない。『バカの壁』を乗り越えるには、考え方の変更だけではなく、現実社会における利害と対立の原因に思いをはせ、その原因を克服する方法を考え出す以外にない。

アフガニスタンの人々にとっても日本に住むわれわれにとっても、いな、現代世界の住民全員にかかわる共通の課題ではないだろうか。

【野口壽一】

 

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~065

(2023年5月25日)

 水はインフラ中のインフラ 

~人道援助から国家プロジェクトへの飛躍の試練~

 

今号編集中、イランとターリバーンの水をめぐる衝突事件が飛び込んできた(https://afghan.caravan.net/2023/05/19/water_iran/)。
他にもいくつか関連情報が届けられた。そのため、イランの水事情について調べてみた。野口は6年前のイラン観光旅行中、エスファハーンを訪れたときにダム建設によって水流が途絶えた有名な河川の現実も目撃していた。(https://afghan.caravan.net/2023/05/23/iran_watershortage/

水は石油やガスなどのエネルギー資源や有用鉱物資源とならぶ重要な資源。単に資源と言うだけでなく、空気とともに、それがなければ生物が生きていけない点で、ほかの資源とは根本的に異なる。

水はありすぎても問題を起こすし、少なければ奪い合いが起こる。古代文明は大河の周辺で生まれたが、近代になってもドナウやラインのヨーロッパでは幾多の戦争の原因となった。その他、アジアでもアフリカでも国境をまたいで河川が流れている流域では紛争が絶えない。

特に水資源に乏しい乾燥地帯ではより一層国家間対立が増幅される。アフガニスタンは乾燥地帯に属するけれども、ヒンズークシュ山脈という、雪の多い広大な山岳地帯を中央に抱え、豊富な水資源、とくに地下水脈を有している。地下水脈を地下河川として活用する独特なカレーズ技術はアフガニスタンで生まれ、西と東の乾燥地帯に広がったと言われている。

人類に食糧を提供する農業は水なしには成立しない。アフガニスタンの西・東に位置する中東中央アジア・インドにおいて、1万数千年まえに人類社会が狩猟採集経済から農業経済へと大変身を遂げえたのも井戸掘削技術や灌漑技術が発明されたればこそだ。シルクルードの古代遺跡の中心はそれらの施設の周囲に生まれている。

だから、中村哲医師とペシャワール会が乾燥化して農業ができなくなってしまったガンベリ砂漠にクナール川から水を引き潅漑された流域を緑の野に変えたのは驚異的な事業であると同時に、1万年超におよぶ人類史の再現プロセスでもあった。(https://afghan.caravan.net/youtube/

不毛の地が富をもたらす土地に変貌すれば、そこに住む人びとに益をもたらす。「益」は紛争の元でもある。アフガニスタンの地方は地主と水主が支配する社会だ。中村さんの悲報を私に最初にもたらしたアフガン人は、「パキスタンの仕業だ。水を取られた恨み」と教えてくれた。事件では中村さんだけでなく現地スタッフ5人も殉難した。中村さんがアフガニスタンで完成させた山田堰(やまだぜき)モデルで取水した水はアフガニスタンを流れている河川からであって、パキスタン領内から引いた水ではない。

銃撃犯の犯行動機が水をめぐる恨みかどうか、真実は不明だ。パキスタンの軍統合情報局ISIが背後で糸を引いていたという説もあれば、ガニー政権がからんでいたという情報もある。犯人は捕まっておらず、情報は錯そうしている。捜査主体もはっきりしない(事件当時の共和国政府は雲散霧消したしターリバーン首長国も捜査熱心とは思えない。パキスタンにとっては他国の事件だ。)

カーブルに居住して貴重な情報を発信しつづけている共同通信社の安井浩美さんは、この銃撃事件の背景を取材し、2回にわけて報告している。悲しい調査報告だが、現地にいて足で稼がなければ得られない貴重な情報を届けてくれている。

犯人逮捕直前、担当刑事は政権に不当拘束された…中村哲さんを殺害したのは誰なのか 30年交流の記者、3年間の現地取材報告(上)―安井浩美のアフガニスタン便り
https://news.yahoo.co.jp/articles/b163283f3922d0a37b8eb8011246eeea014d3093
消えた捜査ファイル、死んだはずの「主犯」遺体は別人か…中村哲さんを殺害したのは誰なのか 30年交流の記者、3年の現地取材報告(下)―安井浩美のアフガニスタン便り
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce95ab3826f119478ab314a80795691e0bde51ef

安井さんは報告の最後をつぎのように締めくくっている。

「タリバンのある犯罪捜査担当者は『中村さんは一個人ではなくアフガン人みんなに尊敬される人だ。そんな人を殺害した犯人逮捕は私の務めだ』と力を込めて話した。だが残念なことに、捜査が積極的に行われている様子は見られない。事件から3年、いま一度中村さんのご冥福を心からお祈りするとともに、事件が解決し中村さんの始めた事業が今後もできるだけ長く続くことを願いたい。」

現地で命を落とした中村哲医師や伊藤和也さんや現地スタッフ、歴史的事業を日本で支えたペシャワール会の人々の尊い人道事業を支え守るべきは政府の仕事だ。アフガニスタンに限らず、世界の紛争地帯で命の危険を顧みず人道活動に身を挺している人びとの姿に接していると政治や国家の無力を痛感する。中村医師がてがけ形にした灌漑事業(国土改造プロジェクト)は人道事業のレベルを超えた国土改造事業である。人道と人権を無視し国内を統合するのでなく対立を深めている政府(いまだに政府を名乗れない暫定政府)にはたしてそれができるのか疑問とせざるをえない。

野口壽一

 

 

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~064

(2023年5月15日)

大義名分はどこに 

~ソ連・アメリカのアフガン戦争、ロシアのウクライナ侵略~

 ☆

誰が見つけたかは知らないが
戦争は内部矛盾の対外転化
戦争は外交失敗の帰結
戦争は国家間矛盾の最後の解決手段
唯一許されるのは自衛の戦争
しかしすべての戦争は庶民にとって悲惨そのもの
為政者の無能を示すもの
ウクライナの戦争はその証明

 

今週、世界は大きく動きます。

岸田首相、八面六臂の大活躍

G7議長の岸田首相にとって、今年になってからの外交活動は目覚ましいものがあります。外遊だけでも前年末のアセアンに引き続き、年明け早々のイタリア、フランス、英国、カナダ、そして米国へ飛びバイデン大統領と会談。3月にはインドからウクライナ、ポーランドへ電撃訪問。今月もアフリカ諸国を歴訪しグローバルサウスの引き込みに奮闘、そして韓国。その間も外国からの首脳を迎えたり、数々の電話会議をこなし、目を見張る活躍ぶり。それもこれも、今週18日からの「G7ヒロシマ」会議のためなのです。

―外務省HP、岸田首相の重要外交活動
https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_kishida/index.html

 

18日から被爆地ヒロシマでG7

いよいよウクライナで反転攻勢が始まるこの時期、世界中の目が広島に注がれます。
少しでも世界の目を分散させようと、中国は一歩先んじて17日から、中央アジア諸国首脳を西安に呼びサミット会議を開きます。

ロシアの凋落を受けて上海条約機構を名実ともに中国が主導(そのうちアフガニスタン・ターリバーンやサウジアラビアも巻き込む)して岸田首相に対抗する構えです。

「中国、中央アジア諸国と首脳会談開催へ 陝西省で18─19日」
カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン
https://jp.reuters.com/article/china-centralasia-idJPKBN2WZ043

それに先んじて、NATOが東京に連絡事務所を開設すると表明しました。

―5月10日「ストルテンベルグNATO事務総長が10日、CNNテレビのインタビューで表明」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230511/k10014063711000.html

 

アフガン、ウクライナ、台湾

絶対にやってはいけない行為として自国と他国を縛ったはずの国連憲章を踏みにじり、核恫喝と武力行使で国境変更をやってしまったプーチン・ロシアの意図を、中国の目の前でくじくことができなければ、主舞台である東アジアで米中の対立が戦争に転嫁しかねません。アメリカはその危険を覚悟して日韓を駒として使おうとしています。両国首脳の動きを見ていると、ウクライナのように代理戦争の先兵にされつつあるとしか思えません。
今度のG7で、「他国に対する侵略」「武力による国境変更」「残虐なる戦争犯罪」「核兵器による脅しと実行」は絶対に許さない、という姿勢を表明し、実行に移してほしいものです。

以上が今回の<視点>で言いたいことですが、下記に若干の補足を行います。お時間のある方はお付き合いください。

 

ウクライナ事態へのアメリカのかかわりとロシアの関り

ロシアは冷戦後の国際政治舞台でNATOに戦略で負けた

本サイトでは、ロシアのウクライナ侵略の直前と直後、「罠にかかったプーチン」として、ウクライナ戦争の本質を断定しました。それは、G7にロシアを加えてG8として世界を一緒に支配しようとする誘いに一度ならず乗ったのに、乗り続けることができず、旧ソ連圏諸国がなぜロシアとの同盟でなくEUやNATO加盟を望むかのか、その理由を理解できないプーチンはクリミヤ併合という自国利益の拡大に奔走し自ら差し出された手を断ち切ってG8から脱落した過去があったからです。(プーチンはG7がロシアを排除したと主張)

ウクライナにおける2014年のいわゆるマイダン革命とその後のウクライナ政権に対するアメリカ(とくにネオコンと呼ばれるグループ)の支援があったことは今では広く知られています。その過程でドンバス戦争と呼ばれる一種の内戦がウクライナでは続き、NATOとくにアメリカがウクライナを支援してきたことも事実として認識されています。現在のウクライナ戦争は2022年に始まったのでなく2014年に始まった、といわれるのはそのためです。

アメリカは用意周到、細心の注意を払い(ある時には大胆に)、陰に陽にウクライナ政府を支援してきました。それに対してロシアは、ウクライナ内部のルガンスク人民共和国やドネツク人民共和国が独立を宣言しても国家としては承認していなかったのに、2021年の武力侵攻直前にミンスク合意の無効と両人民共和国からの支援要請にもとづき武力介入(特別軍事作戦と自称)しました。両人民共和国を残忍に弾圧するゼレンスキー政権はナチ政権でありロシア系住民の安全を守るために軍事介入するのだ、というのがロシア側の正義でした。しかしそれは口実にすぎず、プーチンの意識のそこには、失われたロシアの栄光、輝かしいソ連邦の偉業の復活という領土的野望がありました。

ウクライナ侵攻を支えるプーチンの世界観、歴史観はすでに多くの識者が指摘し、プーチン自身も隠していません。侵攻以前にプーチンが発表した論文や演説でそれらは確認できます。下記はその一例です。

―軍事侵攻直前、プーチン大統領演説全文
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513641000.html

 

・「米英も悪いじゃないか」、は通用しない

歴史的に英米が世界に先んじて資本主義的帝国主義に到達し、世界的に侵略と略奪を繰り返して富を蓄積してきたことは当事者にとってさえ否定できない事実です。日本もその末席に座っています。否定できない過去の歴史を隠すことのできない先進資本主義国、かつての帝国主義国は、過去の罪悪を巧妙に糊塗し「法と民主主義による支配」を掲げて世界支配を継続しようとしています。そのスローガンは一種の免罪符ですが、プーチン・ロシアはそのような免罪符さえもたず露骨に自国の利益をひたすら掲げているだけです。いまや、資本主義や国家というシステムや組織が完全で理想的なものであると主張する人は少ないでしょう。自由と民主主義という理想でさえ存在意義が疑われるような時代になりました。

冷戦時代、西側諸国から見れば「ソ連」は悪の帝国でした。しかし、日独伊のファシスト枢軸国を打倒した1945年から数年は、ソ連は輝かしい理想の国でした。あの「朝鮮人民民主主義共和国」でさえ、国名に「人民」「民主主義」「共和」を掲げる理想の国家だったのです。実際に「地上の楽園」と信じて日本から帰国していった人々もたくさんいました。しかし時代の進行につれてソ連をはじめとするいわゆる社会主義国はメッキが剥げ坂道を転げるように転落していったのはなぜなのか。考えるべきではないでしょうか。

なぜロシアが悪いのか。それは、自分自身も特権を与えられてその一員、むしろ責任主体となっていたにもかかわらず、国連の精神を踏みにじっているからです。(ここではロシアも中国も本来の国連創設国ではない事実にはふれません。)ロシアを表立って批判しない国は、経済的な利益のために口をふさいでいるだけであって、ロシアに大義と正義があると思っているからではないのでしょう。批判しないのでなく、できないとみるべきではないでしょうか。

 

ソ連とアメリカのアフガン侵攻と駐留

ソ連のアフガニスタン侵攻とその後10年間のアフガニスタンでの戦闘行為は今回のプーチンの暴挙と同じもののように見えます。つまり、ブレジネフ時代に行われたソ連のアフガン侵攻の理由は、今回のプーチンのウクライナ侵攻と同じくアフガニスタン政府(ウクライナの場合はルガンスクク・ドネツク人民共和国)からの要請による、というものでした。しかしアフガニスタンの場合は、「アフガニスタンで進行中の革命=社会改革」を支援する、という大義名分がありました。土地改革や灌漑などの社会改革、学校建設や識字運動、医療・食料供給など、住民の生活改善を支援する、という「崇高な理念」がありました。しかしその理念を外国の力を借りて行おうとしたアフガニスタン人民民主党の誤りが、ジハード主義者の側により大きな「正義」を与えることとなり、政権とともに理念そのものがとん挫したのでした。

アメリカは建国以来戦争に戦争を重ね、おびただしい戦争の歴史を持つ国です。第2次世界大戦後でさえ、世界を巻き込んだ大きな戦争をひっきりなしに戦いました。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と休みなしに戦争を続けてきました。対象国だけでなく自国の若者の血をひたすら流し続けました。その間にも世界中でさまざまな地域戦争に介入しつづけました。しかしそれらの戦争には「平和の維持」という大義と国連ないし多数の国(有志国)をひきつれて国際的合法性の装いをまとうべく努力してきました。(それを認めるかどうは、いまは脇に置きます)。しかし、今回のロシアのウクライナ戦争には「大義も正義もない」のです。ありうるとすれば唯一「ウクライナ内のロシア系住民の安全確保」しかありません。しかしそれはウクライナ占領地を自国領土として併合する理由にはなりません。むしろ慌てて併合した事実が、プーチンの掲げる「正義」が口実でしかなかったことの証明となりました。

アメリカのアフガン侵攻も、国連や有志連合を巻き込みつつ、9.11米国同時テロの主犯ビン・ラーディンの逮捕という警察行動的目的に発したのに、ターリバーンという非協力敵対政権が立ちはだかったため、それの打倒=戦争となりました。しかしアメリカは自らの行動の目的を明確に自覚できず、国際テロの根絶とか、そのためにアフガニスタンの健全化=法と民主主義が支配する国にするとの崇高な目的に、いつのまにか目的がすり替えられていきました。まさに、80年代のアフガニスタン人民民主党が行おうとして果たせなかった社会改革にアメリカは取り掛かったのでした。そしてソ連と同じように「ジハードの大義」の前に息切れしたのでした。その苦闘の歴史については本サイトの世界の声コーナーに掲載されている『アフガン戦争でなにを学んだか=「アフガニスタン・ぺーバーズ」を通してみるアメリカ人の本音』をぜひご覧ください。

今回のプーチンのウクライナ侵攻には、ソ連やアメリカが守ろうとした人民のための生きる希望への尽力よりは自らの歴史観と領土欲が勝っているようにみえます。ウクライナ政府の親露派住民の虐殺をいうのなら、それの幾層倍ものウクライナ住民やインフラの破壊、数々の戦争犯罪が対置されます。戦争行為そのものがそのような対称性をもった合わせ鏡なのですから。これにさらに、核兵器を使った恫喝、原子力発電所への無謀な攻撃・占拠などがあげられます。プーチンのウクライナ侵攻が比類なき暴挙であり、絶対に許してはならないものであることは明白です。

 

アフガニスタン四月革命を応援したものとして

最後に、個人的な感慨となりますが、アフガニスタン四月革命を支持し、応援したものとしての無念の気持ちをのべさせていただきます。

プーチンを呼び捨てで厳しく批判する本サイト編集部には、「偏った見方だ」とか、「オバマ大統領の国際法違反がなければ、プーチンの違法な軍事侵攻はなかった」とかの意見も寄せられています。そのような意見とは事実関係や見解で細かい相違はありますが、大筋での事実認識はそう大きくはずれていません。ずれているのは、それらの事実をどう判断するかの<視点>や<立場>だと感じています。あるいは、国の政策実行からの立ち位置の距離だとも言えます。

〇〇国人という抽象的な概念にたってどの分野・テーマを論じるか、あるいは思考するかによっても違いが生じます。ここで取り扱っているテーマは、多様性と寛容な精神をもって多角的に深く検討すべき課題であるとの念を日々、深めています。

筆者は先にも述べたように、今回のウクライナ戦争の本質はウクライナとロシアの対立をアメリカ(とくにネオコン)が利用して煽り、ロシアを挑発し「プーチンを罠にかけた」という観点に立っています。

筆者は昨年の2月24日以前からそう感じており、「アメリカはアフガンからウクライナ・新疆・台湾」へと挑発をつづける」と主張してきました。(<視点>~015
「 アフガンのつぎ、西はウクライナ、東は台湾 」(2021年12月13日)以降))
アメリカはアフガニスタンでソ連を罠にかけたと同じ手法をつかった、とロシア
の侵攻直後4日後に書きました。(~022(22022年2月28日)「罠にかかったプー
チン アフガン戦争化に向かう危険性」)

 

筆者がプーチンを厳しく批判するのは、レーニンらが達成した十月革命の成果をスターリンが台無しにし、その後の指導者たちが遺産を食い尽くしただけでなく(アフガニスタンではまだ遺産の最後の一滴がありました。筆者はそれを守るのが自分の使命と覚悟してこのサイトを立ち上げました。)最後に登場したプーチンが、G7が誘ったにもかかわらず平和共存政策にも失敗し、ついには国境を武
力で侵し、あろうことか核を脅しの材料に使うという、アメリカでさえしなかったような犯罪的な行為、反革命的な行為に走ったのを許すわけにいかないからです。プーチンロシアの行為は英米日その他の帝国主義国の犯罪行為とは質的な違いがあります。

間違いと失敗だらけだったとはいえ、20世紀初頭からの社会主義運動は人類史を前進させる内容がありました。そのすべてをプーチンは無にするどころか汚辱のなかに捨て去っています。中国は社会主義の理念からは遠く離れたとはいえまだ一国主義的な誤りの枠中にいて、かろうじてプーチンとは一線を画しています。ここの違いをわれわれは見極める必要があると思っています。

ゴルバチョフの登場によって、一時的に転落の現実を直視して立ち直ろうとしたロシアが、なぜふたたび滑落の歴史に逆戻りしたのか。現在の見るに堪えない情けないロシアを支持する人々は考えるべきではないでしょうか。

【野口壽一】

 

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~063

(2023年5月5日)

 ドローンがクレムリンを襲撃? 

~ウクライナ戦争、日本はどう対処すべきか~

 

日本時間3日深夜、クレムリンをドローン2機が攻撃したとの衝撃的な動画が配信されてきた。びっくりした。と同時に、これはやらせじゃないか、と直感した。ウクライナの反転攻勢が喧伝される中、5月9日の戦勝記念日を前に国内を引き締めウクライナへの報復爆撃を強化する陰謀ではないか、と。

 

歴史は陰謀と謀略で作られる?

この種の陰謀ないし謀略を歴史は何度も経験している。個人的に記憶に強く残っているのは、ベトナム戦争拡大のきっかけになった1964年のトンキン湾事件。トンキン湾沖に停泊していたアメリカの駆逐艦に北ベトナムの哨戒艇が魚雷2発を発射した、とする事件である。この事件をきっかけにアメリカはベトナム戦争に本格介入し、北爆を開始した。絨毯爆撃なるもののテレビ映像をニュースで見た。ナパーム弾のおぞましさもそのとき知った。爆弾にはソニーのテレビカメラが据え付けられていて爆撃目標をとらえ正確に誘導するという。日本の先端技術の優秀さと、爆弾の巨大な破壊力、その残忍さとそのような非道な攻撃を行う人間に怒りを覚えた。

ところがわが日本も似たようなことをして、取り返しのつかない泥沼に落ち込んだ。こちらは歴史の学習によって知った。柳条湖事件(当時は柳条溝事件)だ。満州事変のきっかけとなった事件と教えられたが、実は、中国遼寧省、現在の瀋陽市北方の満鉄(南満州鉄道)の線路が爆破されたとする謀略だった。この事件を口実に関東軍は満州に攻め込み、「満州国」をでっちあげた。全中国へ戦争を拡大するきっかけとなった。

 

陰謀と謀略と諜報に踊らされたアフガニスタン

アフガニスタンを例にとると、アメリカはソ連支配に対するジハードをチャンスとばかりにイスラム過激派を育ててけしかけた。結果、ソ連軍を撤退させえたが、代わりにアラブ系イスラム過激派(特にビン・ラーディンが指導するアル=カーイダ)が力をつけ、ターリバーンと一体化してアフガニスタンを乗っ取った。アメリカは獅子身中の虫を育ててしまったのだ。

陰謀論、または謀略論はこのアル=カーイダと組んだアメリカのCIAが、2001年のアメリカ同時多発テロを仕組み、アフガニスタン、イラクへの戦争に踏み込んだ、というものである。筆者はそこまでのトンデモ論には与しないが、アル=カーイダのテロ事件工作をアメリカが事前に知っていたことは間違いなく、そのテロ攻撃を見逃し利用した、という説には検討の余地ありと思う。このような見逃し、やらせ説は、真珠湾攻撃をめぐっても語られている。つまり、ルーズベルトは「事前察知をしながらそれをわざと放置した」というのだ。北海道択捉島からはるばると北太平洋をわたってくる日本の大艦隊がハワイ島に到達して攻撃を開始する直前までまったく誰も知らなかったなどはありえない。

アメリカの同時多発テロや真珠湾攻撃を陰謀ないし謀略とする議論には直接的証拠が少なく多分に状況証拠による推測の面が残るが、前2者、トンキン湾事件と柳条湖事件については歴史的に解明済みである。柳条湖事件に関しては。関東軍高級参謀板垣征四郎大佐および同作戦主任参謀石原莞爾中佐らによる謀略事件であったことが、戦後の研究によって明確にされている。

 

クレムリン・ドローン事件の真相は?

今回のクレムリンへのドローン飛行も、いまはまだ情報が限られており状況証拠から推測するほかないが、第1感のやらせ(自作自演)説も捨てがたい。しかし、それにしてはあまりにもあほくさい事件だ。昨年2月24日のキエフ侵攻の不手際などをみるとロシア軍は予想以上に抜け作だと思うが、クレムリン上空の防空体制がいかにお粗末かを自己宣伝するような今回のドローン攻撃はあまりにもその「ヌケ度」が大きすぎると思われる。事件から発表まで半日もかかっている事実も、お粗末だ。ロシア側の犯行であるなら、プーチンを軟弱とみる強硬派の仕業だったかもしれない。

ウクライナ軍の仕業との見方もありうるが、おもちゃに毛が生えた程度のドローンで核攻撃にも耐えうる地下壕内の執務室にお籠りしていると噂されるプーチンを暗殺などできるはずもない。そもそも、プーチンはクレムリンにはいない、というのが通説だ。

ロシア内の反プーチン勢力や、ウクライナに同情的で外国人部隊としてウクライナでロシアと闘うロシア人部隊もいたりするが、いまだ(日本時間5日夜)実行声明はどこからも出ていない。ただし、ロシア内の反プーチン勢力の活動はこの間活発化している。

ドローンを飛ばしたのが誰か、これから日本のマスコミは面白おかしく推理番組を展開するだろうが、米英のインテリジェンス界の議論は一味も二味も日本とは異なっている。それを垣間見せるのが、アメリカ合衆国の外交専門誌『フォーリン・ポリシー』に掲載され本サイトで紹介した「西側はロシアの崩壊に備えている」(「世界の声」欄)だ。

1991年のソ連邦崩壊の原因をアフガニスタン戦争での敗北にもとめる説がある。しかしそれは間違っている。同様に今回のウクライナ侵略戦争の失敗がロシアを崩壊させる、との主張もある。両方とも真実の一面の反映でしかない。それらは崩壊を早めるきっかけではあるが真の原因はかつてはソ連邦内部、今回はロシア内部における社会システムの矛盾の極大化にある。

ウクライナ侵略に対する西側諸国からの経済制裁によってロシア国内の生産体制や経済機構はがたついている。プーチンは全面戦争に踏み切るだけの国民的支持を確信できず「特別軍事作戦」と強弁しモスクワやサンクトベテルブルグなどの大都市を避け地方共和国、自治体や刑務所などからの動員で乗り切ろうとしている。プーチンは2013年にはロシア連邦を構成する83の州や共和国の連邦構成主体の首長選を公選制から大統領の任命制に変えた。それに対する不満や、地方からの動員に頼るプーチンへの反感が増大し、ロシアの内部矛盾は深まりつつある。

その一例が、チェチェン人の動向だろう。プーチンが首相から大統領に出世する道を切り開いたのは、第2次チェチェン戦争での勝利だった。このときプーチンは首都グロズヌイを廃墟にするほどの強硬かつ残虐な攻撃を行った。その断固たる強硬姿勢がロシア民族派の支持を引き寄せたのだった。ちなみに、プーチンが首相から大統領になるきっかけになったのも当時のロシア各地でのアパート連続爆破事件で、これをチェチェン独立派の犯行と断定し、それへの強硬な弾圧策が評価されたのだが、この事件がプーチンらのやらせだったとの批判が今も存在する。また、いったん廃墟にしたグロズヌイを後に復興させた姿を誇示し、現在ウクライナを廃墟にしつつある行為を合理化しようとしている。しかし、欧州や中東には第2次チェチェン戦争で逃れたチェチェン人が30万人もおり、プーチンのウクライナ侵攻に対して義勇軍としてウクライナに駆けつけ1000人以上の部隊を組織し勇猛に戦っているという。遺恨がロシアに蓄積しつつある。

 

ウクライナ戦争後を見据える西側の対応

アメリカをふくむ西欧は、このようなロシア情勢をどうとらえ、対処しようとしているか。『フォーリン・ポリシー』に掲載された先述の分析記事によれば、アメリカおよび西側諸国はソ連邦崩壊時に収奪しそこなった膨大なロシアの地下資源に狙いを定め「ロシア崩壊の道筋」を策定しつつある、と曇りなく記述している。ロシアを崩壊に誘おうとしている西側勢力の意図に対して、正しく対応できなければ、プーチンロシアは確実にソ連邦の二の舞を演じることとなろう。

もうひとつの興味ある見解をイギリスのジャーナリストで、フィナンシャル・タイムズ紙のコラムニスト、ギデオン・ラックマンは次のように述べている。
「これまでも西側同盟の中ではウクライナに和平交渉に応じるよう圧力をかけるかどうかで散々議論されてきた。だが、さほど話題になっていないものの、おそらくもっと重要なのは、誰がロシアに対し、ウクライナの領土から撤退し、国家としてのウクライナの崩壊を狙うような様々な活動を阻止するよう意味ある譲歩を強要できるのかという問題だ。
唯一これをできるのは中国だ。プーチン氏と公の場で温かい握手を交わしつつ、裏でプーチン氏の腕をひねり上げることができるのは習氏だけだ。習氏は、どこかの段階でそうすることが中国の利益になると判断するかもしれない。」(『日経新聞』2023年5月5日付「中国、和平の仲介なるか」)

筆者もロシアのウクライナ侵攻1週間後の3月3日、Facebookで、戦争の仲介に中国を立てるべしと提言したことがあった。そうすれば、台湾や尖閣問題で強硬な手段に出られなくなるから。その時はウクライナの外相が中国に和解協議の仲介役を要請したことに「賛成」の意思表示をしたのだった。

もし中国が今回仲介役を買って出るとすれば、すでに発表しているロシア寄りの停戦案を引っ込め、ウクライナの主張を入れて改案したものでなければ現実性はない。最低でも2月24日以前のポジションにまでロシアを撤兵させ、同時に4州併合を撤回させなければならない。もしこの案で中国が仲介に動くとしたら中国はグローバルサウスを含む多数の国々(ヨーロッパでも喜ぶ国が多数だろう)から支持され、アメリカ・西欧社会に対して圧倒的に優位な政治的精神的地位を築けることだろう。

グローバルサウス対策を抱えて岸田首相はG7を前にアフリカ4カ国を歴訪した。 G7会議は広島で開催される。

仮に中国が上述のような仲介案を掲げて行動した場合、日本が対抗しうるとすればどのような姿勢だろうか。それは、世界と歴史に対して過去の帝国主義的な行動をキチンと自己批判し、核兵器廃棄に向けた姿勢を堅持し、アメリカへもロシアへも中国へも堂々と物申す姿勢を堅持することしかないだろう。そうすればグローバルサウスからも尊敬され、未来を見据えた提案ができ、中国とともに尊敬される立場を国際社会で築くことができるのではないだろうか。

日露戦争に勝利したころの日本は今でいうグローバルサウス、当時の植民されていた地域の諸民族の尊敬とあこがれの的だったのである。

野口壽一

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~062

(2023年4月25日)

 新しいタイプの闘いと芸術運動 

~世界から100を超える詩人と作品が~

 

3月10日に締め切られ、4月15日にインターネット上で公表されることが予告されていた、アフガニスタンを詩で応援する運動が新しいステップに入りました。

日本ではあまり知られていませんが、4月15日は、World Art Day なのだそうです。野口も今回のアフガニスタンの亡命詩人の運動に接して初めて知りました。
2019年の第40回ユネスコ総会で、ダ・ヴィンチの誕生日を記念して芸術の発展・普及・享受を促進する祝祭である世界芸術の日とする、と宣言されたのだそうです。その日を期して、アフガニスタンの亡命詩人の家「Baamdaad」が装いをあらたに新サイトを公開しました。
https://www.baamdaad.net/

いままでは、「アフガニスタンの亡命詩人の家」という位置づけでしたが、新サイトではアフガニスタンを取って、組織名称とスローガンを「Baamdaad – House of Poetry-in-Exile Solidarity of World Poets against Censorship and Suppression」(バームダード(ペルシャ語で夜明け))―亡命詩の家 検閲と弾圧に反対する世界の詩人の連帯)としています。アフガニスタンに限定せず国際的に課題を遂行する組織と運動と位置づけなおしたようです。

しかし、この運動の出発点はアフガニスタンにおけるターリバーンの詩作にたいする弾圧でした。したがって運動の眼目はもちろんアフガニスタンです。主催者のソマイア・ラミシュさんの話によれば、現在世界中から100人を超える詩人から作品が寄せられ、フランス語での出版の準備が進められているそうです。日本からは約1/3の30人近くから作品が寄せられ、旭川で詩誌『フラジゃイル』を主宰する柴田望さんが中心になって日本語作品のフランス語への翻訳作業が進行中です。

寄せられた作品のすべての公表は翻訳作業などがあり、まだなされていませんが、一部の公表がすでに始まっています。

4月15日には、オランダのロッテルダムでBammdaad House of Poetry in Exile の主催で ライブ ミュージックとディナーを含む特別な詩プログラムが開催されています。
https://www.baamdaad.net/post/the-reaction-of-world-poets-to-the-ban-on-poetry-and-art-in-afghanistan-on-world-art-day-april-15

そこでは、ロッテルダムにかけつけられる人々だけでなく、遠く外国からもビデオによる詩の朗読発表が行われました。その一部を紹介します。

アルゼンチンからは、フアン・タウスク(Juan Tausk)さんが作品とビデオ朗読を寄せています。かれは精神分析家、ネゴシエーター、組織コーチ、大学講師、作家、振付師であり、著書を多数持つアルゼンチンの詩人です。応募作品は「詩を書くことにより屈伏を拒否し闘うアフガン女性の決意への讃辞と汚辱への嫌悪を蹴つぶして未来を勝ち取る勇気を力強く表現した作品」でした。

沈黙と存在の
奥底から
芽生える言葉が
若いアフガン婦人の
的確で女らしい拳に
操られる
文字の大胆さの中に
その形を見いだす。
彼女は紙に近づき
血と汗の
涙と怒りの
肥沃で新鮮な
一滴一滴で
彼女に黙れと命じる
ターリバーンとぶつかる
彼はまさにその暗愚な無知と
悪意の中で
アフガン婦人たちの
声を縛り
彼女たちを一枚のブルカで窒息させ
そして隠す
彼自身の冷酷で
神聖な皮をかむった粗チンの
忌まわしいスケベ心を。
同時に彼の恐ろしく
古くさい世界をうち建てる

そこから漏れるのは
腐った果実の
悪臭渦巻くカスの
汚穢と小便
そして忌まわしい乱交の
死を呼ぶ疫病が
公正で若いアフガン人と
正面衝突する
彼女はそれでも
屈服せず
自らの言葉を記し
ひとつの詩とする
その味は
自由と優しさ
やがて私たちが聞くひとつの詩を
誰も決して絶対に
消し去ってはならない。
(『ウエッブ・アフガン』金子明・訳)

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フランスからはベルギー生まれで、フランス、イギリス、チュニジアで活動する作家・詩人であるセシル・オウムハニ(Cécile Oumhani)さんが、「書くことにより自らを発見し鍛え上げてきたひとりの女性詩人として〝書くことの情熱〟をアフガン女性に伝播する熱い思い」を託した作品を朗読します。

風にて書け    セシル・オウムハニ

平原を吹く風にて書け
それは君の詩を遠くへと運び
何もそれを黙らせない
山中に轟く滝にて書け
それは絶えず君の詩を復唱し
誰もそれを静かに保てず
木々ですら小声で合唱する
夜の深みにおいては星にて書け
何も銀河のインクを消せず
旅人たちは全ての丘と全ての波間にてそれを読む
血と涙にかかわらず

いかなる監獄も君の詩を収監できない
空の青には限りがない
それは子どもの記憶のように広大だ
眠る詩人の顔を見よ
すると君はそのまぶたの下に彷徨う言葉を見るはずだ
いかなる政府もそれを止められなかった
そしてそれは彼らの各血管で脈動する
完全な自由を持って
各言葉は広い大洋へと導く
そこで人々は別世界の夢を見上げる
明日は必ず来る
血と涙にかかわらず

止まるな 書け
血と涙にかかわらず
冬がすっかり曇らせた窓に書け
霜が砕いた石に書け
壁に、そして君の傷んだ手のひらに
明日は必ず来る
別世界は可能だ
(『ウエッブ・アフガン』金子明・訳)

日本からは、日本の詩人のまとめ役を買って出た、旭川を拠点に全国規模で活動する北海道詩人協会事務局長・柴田望さんの作品「暁」と朗読が世界に向けて発信されました。

暁     柴田望

国土と云い張る塗り替えられた色彩
人工の光を密かに追い討つ
太陽の落す帯から逃れようとして溶ける
誰が誰の支配であるかを確かめる停電
エレベーターに潜む遠慮がちな商標
読みつくせなかった異形の落書き
時刻表を手操る季節のならわしに疲れて
はるかに小さな一点に移住させる
頼りない冬の足跡だらけの広場に
訣別を叩きつける花火 合図の終わり
言葉は半旗を凍結させ
放射の中心の原理を告発する
存在しない矢印に聖化し
仮の波の遺恨の乱反射を飼い殺し
生きている人間のものではない
空白の循環をしだいに乱す
奥行に屈服するわけにはいかない
過剰な裂け目に身を委ね
全速力で表記する観念の祭り
おびただしい偏執の出発を浪費させ
眼差し走る 血統の螺旋の痛み
水晶の予感が煌めきだす修正の時刻
予感された無音を眼の予感が見つめる
導かれた閾値の全域を記憶は襲う
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イタリアからはダビデ・ミノッチ(Davide Minotti)さん、カナダからはマデレイネ・モネッテ(Madeleine Monette)さんが作品をビデオで寄せており、サイトに動画が掲載されています。

新装なったBaamdaadサイトには、ほかにも日本の詩人ふたりの作品をはじめ、シリア系クルド人のゴラン・ハジ、カナダのスーザン・アレクサンダー、アルゼンチンのエステレ・グラディス・ラマス、デンマークのメッテ・モストラップ各氏らの作品が掲載されています。
Baamdaad.comには、
・民主主義の死 岡和田彰
・高細玄一 詩とともに 自然に生きることを忘れ
が紹介されています。
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4月15日の出発にあたって、Baamdaadの創設者ソマイア・ラミシュさんは、次のように感謝の言葉を述べています。

Baamdaad に詩を送ってくださったすべての詩人への感謝状

2023 年1月15日にターリバーンがアフガニスタンの詩人による詩の執筆を制限する法令を発布した後、「Baamdaad – 亡命詩の家」は、世界のすべての詩人や芸術家に、現在のアフガニスタンの状況に対して黙っていないよう呼びかける声明を発表しました。この呼びかけの日から現在まで、世界中の100人以上の詩人が詩をバームダードに送り、アフガニスタンの詩人たちとの連帯を示しました。

この抗議運動の創始者として、私はこの使命と共​​に私たちに寄り添ってくれたすべての詩人や芸術家に深い感謝の意を表します。この抗議運動におけるあなた方の情熱的で温かい存在は、私たち全員にとって希望でした。

心から温かく握手します。私たちのそばにいてくれてありがとう。

私はここに、私たちに送ってくださったすべての詩をただちに本の形で出版することを約束します。 良いニュースは、近い将来、最初の詩集がフランス語で出版されるということです。現在、さまざまな言語で書かれたすべての詩をフランス語に翻訳する作業を進めています。

出版やその他の活動に関連する次のステップについては、ウェブサイトと Instagram を介してお知らせします。

ありがとうございます!

抑圧と検閲に一丸となって反対しましょう!

ソマイア・ラミッシュ

「バームダード、亡命詩の家」の創始者
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日本では、『ウエッブ・アフガン』の報道をきっかけとして、オランダから発せられた呼びかけに旭川の詩人が応え、SNSを通じて1カ月もたたぬうちに日本国中に波紋が広がり、20人以上の詩人が連帯の作品を寄せました。その動きを共同通信社が察知し、きっかけを作った柴田氏へのインタビューを記事にし全国配信し、全国の新聞で紹介されました。東北地方では最も長い歴史を持ち20万部を発行する新聞のひとつが報じました。オランダから投げられ旭川で受け止められたボールが商業誌やSNSを通じて日本中に転送・拡散されました。今回の反応は、世界のほかの地で受け止められた波紋と同調してやがて世界をおおう大波となることでしょう。

野口壽一

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この間の『ウエッブ・アフガン』の主な関連記事をリストアップしておきます。

●世界中のすべての詩人の皆さんへ(アフガニスタンの詩人から世界の詩人・表現者に向けたアピール:2023年2月14日)
https://afghan.caravan.net/2023/02/14/appeal_by_baamdaad/

● <視点55>(2023年2月15日) 言葉の力で闘おう! ~ターリバーンの本質は「人間からの退化」~
https://afghan.caravan.net/#~55

● <視点56>(2023年2月25日)  呼応 連帯 言葉 力  ~「囚われと亡命詩人の家」~
https://afghan.caravan.net/#~56

● <視点59>(2023年3月25日) 猜疑 逡巡 連帯  ~日本の詩人たちが見せてくれた未来~
https://afghan.caravan.net/#~59

●アフガン詩人の呼びかけに応える日本の詩人たち
https://afghan.caravan.net/solidarity/

●旭川から日本へ、そして世界へ
https://afghan.caravan.net/2023/04/01/from_asahikawa_to_world/

●言葉の繫がりの波立ち
https://afghan.caravan.net/2023/04/05/shibata/

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~061

(2023年4月15日)

 人類進歩の最後尾、しんがり戦を戦うアフガン女性たち 

~『女と刀』を読んで:アフガンと世界は同根~

 

木曜日(13日)、朝5時起きして、麹町の東京グリーンパレスからZoom発信される早朝ミーティングに出席してきました。
打ち合わせと食事のあと7時半から8時40分までの講演。「丸の内朝飯会(ちょうはんかい)」という会です。1963年12月から特別のことがない限り休むことなく毎週木曜日に開催しつづけること60年。2776回目の会合だったそうです。「アサメシ前」の意味があるのかもしれませんが、たやすい活動ではありません。ギネスブックも驚く記録ではないでしょうか。リアル+オンラインで50名近くが、日本全国、外国からはベトナムからも参加しました。演題は「ウエッブ・アフガンの活動と私の半生」。ディスプレイ越しに注目されると普段と異なる緊張を覚えます。(丸の内朝飯会の紹介はここ

お話しさせていただいた内容は、大きくわけて3点。①メディアとしての『ウエッブ・アフガン』、②アフガニスタンの現状と歴史、③私の半生。

この講演の2日前、ターリバーンが国連のアフガニスタン組織で雇用しているアフガン人女性数百人の就労を禁止し家庭にこもらせろと通告したとのニュースが飛び込んできました。ターリバーンはなぜかくも執念深く女性を抑圧するのか、国際社会はなぜ制裁をつづけるのか、などなど、アフガニスタンの窮状に心を寄せる参加者に、複雑で不可解なアフガニスタン問題について聞いていただいたのは大変にありがたいことでした。ターリバーンが女性の抑圧や困窮する国民の存在を自分たちを国際的に承認させるための策略、つまり女性や国民を人質に自分たちの政策を海外に認めさせようとしている、などとは常人には理解不能のことでしょう。(この件についてはちょうどよい記事があったのでトピックス欄に載せておきました。「国連との対立にはまりこむターリバーン」、「オオカミ少年のたとえ話――アフガン・ターリバーンとISISの関連」)

『ウエッブ・アフガン』を読んでいただければ以上の事実は自明のことと思われます。ターリバーンによる女性差別・抑圧・弾圧・隔離は、インドを中心とする南アジアにひろく存在する女性の扱いにアフガニスタン・パシュトゥーン族の特殊性が加味されたものです。しかしそれは、南アジアだけの問題ではなく、多かれ少なかれ、ひろく人類史に共通の事項であり、世界の先進地域ではすでに克服されたか、克服されつつある問題であり、アフガニスタンはその人類史的闘いの最後尾、つまりしんがり戦をたたかっているのだ、という視点を強調しました。

その実例として、私の出身地である鹿児島を取り上げてみました。

鹿児島は洗濯たらいも干し場も男女別とされるほどひどい「男尊女卑」の最悪県と言われる土地柄です。封建制の江戸時代以前にとどまらず、明治期や、第二次世界大戦後でさえ、遺風が残っているとみなされていました。しかしそのような風土に対して敢然と立ちあがり闘った女性がいたのです。

その女性をモデルにした小説が『女と刀』(中村きい子、1966年光文社)です。よく年、日産自動車単独提供のTBS系列「木下恵介アワー」の第1弾テレビドラマとして26回連続放映されたのでご存じのかたもいらっしゃると思います。

主人公である伊原キヲは、封建風土のもと差別と抑圧に耐えに耐えたすえ、70歳になって結婚相手と離縁して権領司キヲに戻ります。その時の相手に対する一言が「ひとふりの刀の重さほどにも値しない男よ」というものでした。

キヲは下級薩摩士族の娘として生まれました。しかし父は女としてあなどられないよう「鋼」のような女として育てます。しかし、結婚にあたっては自分が決めた男との結婚に追いやります。しかも、その男がどんな男であるか教えろというキヲの要求を一蹴します。自分の意向を持てと教えたはずの父自身が社会的秩序にひれ伏し、いざとなると建前を翻します。しかも肝心の夫は小心者で不倫まで犯します。 キヲの追及にものらりくらりと逃げるばかりで面と向かうこともしません。キヲの失望は夫との人間関係ばかりではありません。キヲの夫のような男は現代にもまだ存在します。自分の言葉で対話をしないことを優しさと言い、実際は相手を侮蔑しているに過ぎないだけ。この夫と70歳で離婚、つまり完全なる決別をはたします。

薩摩では、上級武士は本城武士とよばれ城下に住みます。しかし西郷隆盛や大久保など下級武士は郷士と呼ばれ城外に住み、普段は農耕に従事していました。厳格な身分差別のもと、郷士の娘として農村の里に産まれ生きたキヲは明治維新から戦後に至るまでの激動の時代にひとりの女として生きます。その生き様を通じて、血の体制と秩序を最重視する当時の人びとの意識や考え方に苦しみもがきます。戸主が絶対的権力を持つ家制度下の女性、身分が上の者だけが喧嘩しているような明治維新、西南戦争。農民にはなんの利もない現実を体験し、見据えていきます。太平洋戦争中も同じでした。キヲはついに老境にいたって離婚し自分を取り戻し、自分と同じ境遇にある女性たちの生きる手助けに、自分の残された人生の課題を見出したのです。

「男尊女卑」の典型といわれるような土地柄、風土のなかでこそ、このような強い女性が育つのではないでしょうか。

キヲの実例は、決して遠い昔のことではありません。
最近鹿児島に嫁いだある女性は、「本書に描かれたいにしえの世界が、平成の世にも生きている。野蛮だなどと抗議してみたところで、浅薄な国家幻想や、耳ざわりのいい男女平等論といった、甘い常識は通用しない」と感想を述べています。

また、最近『女と刀』を読んだという女性の感想文に次のようなものがありました。
「日本の歴史教育のために、本書の復刊が待たれる。特に女子中高生向けの歴史の授業において、課題図書とされることを強く希望する。フェミニズムを研究する人にも必読の書である。遠い昔の物語ではない。現代の話である。」ターリバーンが中高生以上の女子の教育を禁ずる理由がわかるような気がします。

アフガニスタンで、ターリバーンの暴虐に苦しむ女性たちは、ただひたすら虐げられているだけではありません。彼女たちは、人類進歩の最後尾においてしんがり戦を戦っているのです。ターリバーンはたくさんの〝キヲ〟を毎日生み出しているのではないでしょうか。

野口壽一

 

参考 ■

<視点~042>
人類史上、最古・最悪・最長の汚辱 ミソジニー
~なぜ女性問題が大事なのか~

<視点~018>
アフガン女性の闘いの意義「人類史の視点から」

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~060

(2023年4月5日)

 呼びかけと応答 

~言葉のつながりが生む変革の波紋~

 

3月のある日、伊豆高原で開かれていた泊まり込みセミナーに参加しました。まだ薄日も差さない日の出前の爽快な空気の中で、白み始めた東の空に向かって、直立不動で呼吸法の指導をうけ、全身の感覚器官を使った外界との交感(一種の瞑想)を体験しました。

自然豊かな別荘地。さまざまな小鳥たちのにぎやかなさえずりが、否応もなく耳に飛び込んできます。何種類も鳴き声があるのですがもっともよく聞こえてくるのは鶯の鳴きかわしでした。

小鳥もさえずりによって仲間と意思疎通しあうことが知られています。もちろんその他の動物もそうですし、最近は植物でさえ高周波を発生していることが発見され、仲間内の情報交換をしているのではないかと仮説が立てられているほどです。

そのような自然界にあって人間は音波による「言葉」と視覚による「文字」を発明・進化させました。「言葉」による独特の社会=人間界を人間は築いて今日に至りました。

 

「はじめに言葉ありき」の意味

「はじめに言葉ありき」の出典や意味を今はやりのchatGPTに聞いてみました。すると「日本の諺のひとつで日本の伝統的な文化や価値観に根付いている」と説明されました。日本語で質問したがゆえの回答なのでしょうか。西洋社会一般では新約聖書の「ヨハネによる福音書」の記述とされるはずです。「そうなのでは?」と指摘して再質問すると、

――「(ヨハネによる福音書の冒頭には、)始めに言葉があった。そして、言葉は神とともにあった。言葉は神であった」という有名な言葉があります。この部分が「始めに言葉ありき」と言われることがありますが、この表現は、日本語の諺として広く知られているものとは異なります。
「始めに言葉があった」という表現は、キリスト教における神話的な創造論を表しています。創世記にも「神は言葉で天地を創造した」という表現がありますが、ここでも同様に、神の言葉が世界を創造したという意味合いが含まれています。
この表現は、キリスト教において、神が言葉を用いて世界を創造し、人間が言葉を用いて神と交わり、相手とのコミュニケーションを通じて共に生きることを示しています。また、この表現には、神の言葉によって、真理や救いを知ることができるという信念も含まれています。
したがって、「始めに言葉ありき」という表現は、日本語の諺としての意味合いとは異なり、キリスト教における神話的な創造論や信仰に基づく考え方を示しています。

ちょっとchatGPTを見直しました。君は偉い!

しかし今はchatGPTのアルゴリズム研究が主目的ではないので、「言葉」を日本の伝統的な文化や価値観に根づいたものであること、言葉は人間だけのものでなく、それ自体が進化をとげた自然界の存在物のひとつである、と認識して次に進みます。

 

ターリバーンによる詩の否定

『ウエッブ・アフガン』では歌や踊りなどを禁止したターリバーンがさらに「詩」をも禁止したことに反対するアフガニスタンの詩人が始めた国際キャンペーンを支持し参加しています。本来、詩や歌はあらゆる宗教にとってなくてはならない存在です。ヨハネによる福音書の記述はそのことを表したものだし、コラーンそのものが詩であり、朗誦は詩の朗読にほかならず、唯一神である神の言葉は唯一アラビア語以外にありえないのです。おそらくターリバーンもそのことを知らないはずがありません。彼らが禁止したのは自分たちを批判する詩であり歌です。そんなことは当たり前で、いまさら云々するまでもないのかもしれません。

しかし私は、ターリバーンが自分たちの気に食わない詩や歌を禁止する気持ちがよく分かります。かれらは詩や歌の持つ力、それが神と人間との、さらには人間同士のコミュニケーションのツールであることを、chatGPTの指摘をまたずとも理解しているだろうからです。

ターリバーンにとって、自分たちと異なる価値観にもとづく詩や歌との戦いは「ジハード(聖戦)」にほかなりません。敵対する価値観は彼らにとって異教徒のものだからです。単に反対し禁止するだけでなく、それらは死に値するものであり、ジハードで死んだ者は殉教者として天国にいけます。異教徒から見て残酷極まりなく見える彼らの行為は、かれらにとっては残酷でもなんでもなく、ほめたたえるべき美しい行為なのです。「トピックス」欄、2023年3月13日付ターリバーン文部大臣の訓示「言葉や文章で社会を混乱させるものは死刑」を参照)

私が「詩」をもって闘おうとのソマイア・ラミシュさんからのアピールを受け取った時、まっさきに思い浮かべたのは、ビリー・ホリディの「奇妙な果実(Strange Fruit)」でした。

 

奇妙な果実

南部の木々に奇妙な果実がある
葉は血に濡れ赤い血が根に滴っている
南部の風に揺れている黒い肉体
ポプラの木々からぶら下がっている奇妙な果実
雄大で美しい南部の牧歌的な風景
飛び出した眼 歪んだ口
木蓮の甘く爽やかな香り
そこに突然漂う焼けた肉の臭い
此処にも一つ カラスの餌となる果実がある
雨に打たれ 風に弄ばれ
太陽に焼かれ朽ち そして木からその果実は落ちる
此処にも一つ 苦い奇妙な果実がある

 

Strange Fruit

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.
Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.
Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.

https://ameblo.jp/teruteru-g13/entry-12541679444.html より)

このサイトに添付されていた写真は文字通り、木々につるされたいくつもの黒人遺体です。引用をためらう、見るのもつらい写真たちです。

ビリー・ホリディのこの代表作はのちの黒人解放運動を歌う象徴的な作品のひとつとなりました、しかし発表いらい賛辞ばかりでなく強い反発をも生み、一時期、歌うことがビリーの生命の危険にも及んだといいます。彼女の歌声は厳しく白人を糾弾するというよりも、奇妙な果実がポプラの木に成り、ぶら下げられたまま風に揺られ腐り朽ちてゆく風景の限りない悲しさを静かに歌いあげています。聞く白人に反発よりも恥ずかしさを感じさせる歌声だったといいます。

私がこの曲を思い出したのは、ターリバーンが最初にカーブルを占拠した1996年9月26日、カーブルの国連事務所に保護されていたアフガニスタン人民民主党のナジブラー元アフガニスタン大統領とその弟を探し出して殺害し遺体を凌辱した末、カーブル中心の街頭に吊るした衝撃的な写真が脳裏に浮かんだからです。そして、それから25年後のアフガニスタンで今度は敵対する人物や犯罪を犯したものを公開の場で絞首刑に処しさらし続けるターリバーンの所業を、これまたおびただしい数の写真や動画でみたからでした。ターリバーンは今回も、第1次政権奪取のときのように、リンチとしか言いようのない刑罰を一般市民にまで課しています。

ビリー・ホリディがうたったリンチを生む人種差別は他者を同じ人間としてみない思想=言葉から生み出されています。しかし言葉は人間だけの、しかも特定の集団・宗派・政党・国家のものではありません。
「言葉」を人間だけの独占物、他の生物との境界をもうけるものとするのでなく、自然、広くは宇宙の存在物のひとつとして宇宙や自然や他者とのコミュニケーションを生み出すものととらえることが大切なのではないでしょうか。

 

連帯の支え詩や音楽やアート

詩や歌が人間生活にとって欠かすことのできないものであることはいうまでもありません。さらには、国際的な運動の展開にとって、言語の壁を越える音楽や絵画が重要なメディアとなることも自明の理です。しかし思想を伝えるのは言葉=詩や文学です。
戦争を遂行する側も、戦争賛歌や戦意高揚のキャンペーンに芸術を利用しました。しかし、時代を超えて命を長らえているのは、戦争や差別に反対し、人間性を謳歌した作品たちです。

アフガニスタンで進行している、人間性を愚弄する様々な行為に反対し連帯する運動の中から優れた作品が生み出され、ターリバーンに反対する陣営の人々を励まし勇気づけるだけでなく、ビリー・ホリディの「奇妙な果実」が心ある白人に恥の気持ちと気づきを与えたような効果を生むよう期待します。

『ウエッブ・アフガン』のメディア活動を通して、いま、小さいながら、確実に世界を変える力を持った反応が生み出されました。旭川の詩人・柴田望さんらがオランダに亡命中のソマイア・ラミシュさんの呼びかけに応えて始めた活動がそれです。

短い間に20人を超える詩人がソマイアさんの呼びかけに応じて作品を寄せ、何人もの詩人が自身の関与するサイトやメディアで呼びかけの意義について解き、新しいイベントを企画、実行に移しています。ソマイアさんを日本に招待する計画も進行中であることが報告されています。発端から現状までのプロセスを柴田さんが「言葉の繫がりの波立ち」にまとめてくれました。全文を「世界の声」に掲載しました。ぜひご一読ください。

野口壽一

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~059

(2023年3月25日)

 猜疑 逡巡 連帯 

~日本の詩人たちが見せてくれた未来~

 

「ある困難な国の一人の詩人が、全世界の詩人に対し、何かを訴えるという姿勢に心を動かされ、日本の詩の世界で、そのような動きが果たしてあっただろうか、と考えさせられました。」

この言葉は、2月14日付『ウエッブ・アフガン』の「アピール:世界中のすべての詩人の皆さんへ」によせられた最初の発言です。発したのは北海道詩人協会事務局長で、詩誌『フラジャイル』を主宰する柴田望氏。その率直な反応に、呼びかけを転送した私も驚き、かつ感動しました。

柴田氏が「バームダード(夜明け)囚われと亡命詩人の家」創設者であるソマイア・ラミシュさんのアピールを知ったのは、『ウエッブ・アフガン』編集部名で私が発信した一斉メールでした。一斉と言っても送ったのはgoogleで検索して見つけたネット上に連絡先が明記してあった詩や文学の団体、ほんの十数か所でした。バームダードの最初の計画では2月末日を締め切りとし4月15日に発表という極めて短時日のものだったので、主催者のソマイア・ラミシュさんにお願いして、日本だけ締め切りを3月10日に延ばしてもらっての、アピール送付でした。

それでも応募期間は1カ月を割っており、成果をあまり期待できない状態での働きかけでした。案の定、メールはエラーで戻ってきたり、「受信しました」の自動返信が数通、返信があって好意的なものでも委員会にかけますとか、会員個人にお知らせします、とかの想定内の反応でした。しかし、柴田氏からの質問は、アピールの詳細、とくに呼びかけ団体であるバームダードについてや公募規定の詳細など、真剣なものでした。

柴田さんからの質問を英訳し、ソマイア・ラミシュさんに転送し、疑問解消に努めました。その結果、応募規定などが当初呼びかけ時点より明確になり、キャンペーンの真実性を確認した柴田さんが、自身が主宰するサイトやツイッターやフェイスブックなどのSNSで、自らの責任で呼びかけを拡散してくれたのです。2月25日時点でツイッターでのツイートが4184回を記録した、と柴田さんから連絡があり驚きました。日本現代詩人会や日本詩人クラブからは責任ある立場の方から国際連帯活動の課題として組織として取り組みます、とのメールをいただきました。
さらに文芸評論家の岡和田晃さんが情報を拡散したうえで『図書新聞』の文芸時評でとりあげてくれたり、直接バームダードに作品を送る詩人がでてきたりと、じょじょに手ごたえを感じることができました。

その経過は「世界の声」で「アフガン詩人の呼びかけに応える日本の詩人たち」として公開しました。ぜひ閲覧して、この短い間のダイナミックな動きを感じていただきたいと思います。

柴田さんたちの積極的な情報拡散活動のおかげで、『ウエッブ・アフガン』編集部にもいろいろな問い合わせがきました。そのなかで、柴田さんとも意見交換しながら対応した問い合わせのなかで特筆すべき動きがありました。それは、ネット時代に特有の反応と、日本社会の特殊な歴史を反映するものでした。

 

迷いを自ら断ち切った詩人たち

結論から言うと、3月14日付けの「読者の声」の青木由弥子さんの投稿に、それは現れています。青木さんは「ラミシュさんの呼びかけに強く心を動かされたのですが、同時に即応を躊躇う気持ちも生じ、友人や知人と『バームダード』の情報をシェアしながら、この数日、『対話』を重ねておりました。相互理解を深めていくためにも、友人たちと話し合った内容について、お知らせしたいと思います」として、「連帯という言葉」、募集が「なぜ詩作品なのか」、第二次大戦中の「戦意高揚詩」や「安易な反戦詩や抵抗詩が生まれたことへの危惧」などについて話し合ったそうです。しかし最終的に「様々な禁制や弾圧に悲憤を感じている者がいる、ということを伝える、そのためにも、個人が自らの意志で一篇の詩を寄せる、ということには意味がある」と結論するまでの仲間たちとの気持ちの動きを投稿してくれました。

また、柴田さんや岡和田さんたちは、「本当にターリバーンは詩作を禁止しているのか」「フェイクニュースじゃないのか」「作品募集の詐欺じゃないのか」などの誹謗に近い意見にも直面したそうです。そのような意見に対して柴田さんは自分でニュースを探り証拠を集め詩人のあいだに生まれた猜疑心をひとつひとつ解消していったそうです。岡和田さんも『図書新聞』の文芸時評でこのような状況について「奇妙なことに本邦では世間的キャリアのある詩人ほど冷淡な態度を見せ、『タリバンが詩作を禁じた証拠はあるのか』、『詐欺ではないか』との反応すら起きる始末」と書いています。野口は「世間的キャリアのある詩人ほど冷淡な態度を見せ」という指摘に深い闇を感じました。

現代日本の社会状況で、本来なら感性豊かで想像力にたけたはずの詩人の間にこのような反応が生まれたことに現代日本の病的な精神状況の一端を見る思いがしました。今回の呼びかけに対して「日本の詩の世界はほとんどが抒情詩なので・・・」とアフガニスタンに心を寄せる詩を集めにくい状況を話してくれた詩人もいました。冒頭に紹介した柴田さんの感慨は、はしなくも日本の詩芸術を取り巻く状況を表すものでもあったのだ、と思い至りました。

ソマイアさんのアピールを素直に受け止めることのできない詩人たちがいる現実のいったんは、アフガニスタンでターリバーンが行っている蛮行について「信じられない」という認識があるのでしょう。それほど、アフガニスタンで進行している現状は「常識外れ」だからです。だからここに私たち『ウエッブ・アフガン』の真実をしらせる、という役割があると自覚します。さらには人びとの想像力を喚起し、学びの機会を提供する重要な課題も浮き彫りになってきます。

詩人たちのためらいのもうひとつの理由に「キャンペーンに利用されるのでは」という危惧、「利用されたくない」という姿勢があると思われます。これは、青木さんが指摘しているように戦前・戦中に日本では有名な文学者や芸術家が戦争遂行に動員された苦い体験があります。敗戦後の出発にあたって日本では、「戦争責任」の追及だけでなく「転向」までもが厳しく指弾されたという歴史的な事実も、今回の詩人たち(岡和田さんが指摘するように「世間的キャリアのある詩人ほど冷淡」)の心理の奥底でうごめいていたのではないでしょうか。

しかし、詩は言葉です。言葉は直接ひとの心に働きかけ、人を動かす強い力をもっています。詩や歌や文学や絵画などのアートは、人間が人間であることの証でもあります。問題はそのアートの中身です。

自然が人間をつくり、人間の心が文化や文明をつくります。

ソマイアさんは4月15日までに世界から寄せられた詩を収録した詩集を出版すると約束しています。
今回、アフガニスタンの一詩人の発した呼びかけが日本にとどきました。わずかな期間で、呼びかけに応え励ましと連帯の気持ちを伝える以外になんの代償もない行為に20名を超す詩人が応えたそうです。その数はいまも増えていると言います。オランダからの亡命詩人の投じた一石がいまは小さいけれど確実な波紋を生みだしました。この波紋はかならずや大波となってターリバーンを包み込み、彼らを、そしてアフガニスタンと世界を変える力となるはずです。
それが連帯なのではないでしょうか。

まだ世界から集められた作品の公開がなされていない段階ですが、詩という芸術表現のもつ大きな可能性を見せてくれ、限りない未来を感じさせてくれた若い詩人の皆さんに心からの感謝をささげます。

野口壽一

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~058

(2023年3月15日)

 chatGPTで遊んでみた 

~AIはアフガン問題をどう見るか~

注:chatGPTの無料で遊べるURL: http://chat.openai.com/chat)

 

国際問題は難しい。国際機関や国家群の長期の粘り強い取り組みが必要とされる。そこでは騙し騙されるインテリジェンスの熾烈な戦いが24時間、毎時毎分毎秒たたかわれている。個人的な努力や推論でどうこうできるような課題ではない。しかし、個人的な思考や行動の積み重ねが全体の動向に影響を与えていく。考えないわけにはいかない。
息詰まる残酷なデータが氾濫するそのような分野の膨大な情報のなかから必要な事実を抽出して文章を書くのは疲れる作業だ。
そこで今日は、文章作成をアシストしてくれるとしていま話題のAI、その応用たるchatGPTで遊んでみる。chatGPTを開発したのはアメリカのOpenAIという会社でイーロン・マスク氏が創業にかかわりMicrosoft社が出資しているチャキチャキの米国企業だ。

英語での回答レベルが高いとの前評判だが、日本語でもそこそこの水準を示す。質問の仕方や質問時刻で回答は微妙に変化する。以下は一例として読んでほしい。

 

現状認識

問:ターリバーンは女性の権利をどのように抑圧していますか?

答:ターリバーンは、女性の権利を抑圧するために様々な手段を取っています。以下はその例です。

教育の制限:ターリバーンは、女性が学校や大学に通うことを禁止しています。女性の教育を受けることは、ターリバーンによって不道徳であると見なされています。

雇用の制限:ターリバーンは、女性が公共の場で働くことを禁止しています。女性の社会進出を抑圧することで、男性に対する支配的な地位を維持しようとしています。

外出の制限:ターリバーンは、女性が男性と一緒に外出することを禁止しています。女性は、男性の家族の一員である場合を除き、公共の場で顔を隠す必要があります。

結婚の強制:ターリバーンは、女性を強制的に結婚させることがあります。また、女性の強制的な性的奴隷制にも取り組んでいます。

暴力の行使:ターリバーンは、女性に対して暴力を行うことがあります。女性の身体的な拷問、強制的な結婚や性的暴行、そして女性に対する銃撃などの暴力的な行為が報告されています。

これらの措置により、ターリバーンは、女性の権利を厳しく制限しています。国際社会は、ターリバーンによる女性の権利抑圧に対して懸念を表明しており、女性の権利を支援するために取り組んでいます。

<講評>
極めて大雑把な回答で間違いや不正確な表現が多い。到底容認できない間違いだけでも下記を指摘できる。

・「男性に対する支配的な地位を維持しようとしています」は逆。正しくは「男性の支配的な地位を維持しようとしています」。
・「女性が男性と一緒に外出することを禁止しています」これも逆。正しくは「女性は親戚男子の同伴無しに外出できない」。
・「男性の家族の一員である場合を除き、公共の場で顔を隠す必要があります」。これも「家族以外の男性に顔を見せてはならず、公共の場では顔を隠す必要があります」程度には答えないといけない。

 

対策について

つぎにそのようなターリバーンの行為にたいする対策を聞いてみた。

問:そのような状況はどうすれば是正できますか?

答:ターリバーンによる女性の権利抑圧を是正するには、以下のような取り組みが必要です。

国際社会の圧力:国際社会は、ターリバーンに対して女性の権利を尊重するように圧力をかけることが必要です。国際社会は、アフガニスタンの女性の権利を支援するために、外交的な圧力、制裁、援助などの手段を使ってターリバーンに働きかけることが必要です。

女性支援団体の支援:アフガニスタンの女性支援団体は、ターリバーンに対して闘っています。国際社会は、彼らの支援をすることで、女性の権利を守るための取り組みを助けることができます。女性支援団体に対して、経済的な援助、安全な避難場所の提供、教育などのサポートを提供することが重要です。

女性の教育:女性の教育を普及させることが、女性の権利を守るための重要な要素です。アフガニスタンの女性に教育を提供することは、女性の社会進出を促進し、女性が自立して生きることができるようになることにつながります。

意識改革:アフガニスタンの社会における男女平等の意識を広めることが必要です。教育、メディア、文化的なイベント、政策の変更など、様々な手段を使って、男女平等を促進することが必要です。

以上のような取り組みが必要ですが、ターリバーンによる女性の権利抑圧は、長期的で継続的な努力が必要な課題です。国際社会やアフガニスタンの女性支援団体が協力して、女性の権利を守るために取り組むことが重要です。

<講評>
この回答は概論的な回答としてはまあまあだと思う。ただし、問題はここからで、外部からの圧力はターリバーンをかえって硬化させ、逆効果となるケースが多々ある。イスラム諸国からの批判が有効とも思われるが、イスラーム内部の宗派や見解の違いがより一層の対立をあおる現実がある。ただし、chatGPTの回答は対策の方向をリストアップしてくれるた効用はあると言える。
質問範囲の広い質問では回答も大雑把になって評価しずらいので、具体的な質問をしてみよう。

 

個別具体的な質問

問:ターリバーンのリーダーは誰ですか?

答:ターリバーンの最高指導者は、ハイバトゥッラー・アクンザダー(Haibatullah Akhundzada)です。彼は2016年に、前任の最高指導者であるアクタル・マンスールがアメリカの無人機攻撃で殺害された後、ターリバーンの最高指導者に就任しました。アクンザダーは、ターリバーン内部で影響力を持つ指導者の一人であり、シャーラブ・アフマドザイ(Sher Mohammad Abbas Stanekzai)やムラド・ムハンマド・ムッサ(Mullah Mohammad Yaqoob)など、他の指導者と協力して、ターリバーンの運営を行っています。」

<講評>
意味のある回答はハイバトゥッラー・アクンザダーが2016年にマンスールが殺害された後に最高指導者になったという点のみ。かえってgoogleで検索した方がより詳しい有益な情報が得られる。

質問範囲をもっと狭めるとどうだろうか。

問:シャーラブ・アフマドザイとは誰ですか?

答:シャーラブ・アフマドザイ(Sher Mohammad Abbas Stanekzai)は、アフガニスタンの政治家であり、ターリバーンの高官の一人です。彼はターリバーンの政治委員会のメンバーであり、外交関係を担当しています。また、過去にはターリバーンの副外務大臣や、ターリバーンとアメリカの和平交渉の交渉団のリーダーなどの役職も務めていました。

アフマドザイは、ターリバーンの指導層の中でも比較的穏健な立場にあり、ターリバーンが政権を取った後のアフガニスタンの外交政策について意見を述べることが期待されています。しかし、彼がターリバーンの強硬派と同様の立場をとることもあり得ます。

質問を狭めると、google以下の性能しか示さない。「問:ムラド・ムハンマド・ムッサとは誰ですか?」と質問してみても変わらない。

やはりchatGPTの真骨頂は自然言語処理にありそうだ。
そこでもう一度最初にもどって、より広い意味空間の質問をしてみよう。

 

詩について

問:タリバンは詩を作ることを禁止しています。どう考えますか?

答:AI言語モデルである私は、個人的な信念や感情を持たず、客観的な視点で話題を提供することができます。

タリバンの詩の禁止は、人々の表現の自由と芸術的創造性を制限するものであり、問題です。詩は多くの文化の基本的な部分であり、歴史上、感情、思考、アイデアを表現するために使われてきた。

さらに、詩は現状に異議を唱え、社会に変化をもたらすために用いられてきた。詩を禁止することで、タリバンは言論の自由や芸術的表現を抑圧し、結果的にコミュニティの文化的・知的成長を害することになりかねません。

詩は、複雑な考えや感情を誰にでもわかりやすく伝えることのできる強力なツールであることを忘れてはならない。タリバンが詩を禁止する決定を下したことは、一歩後退であり、あらゆる形態の芸術表現を支援し、奨励し続けることが極めて重要である。

<講評>
なるほど、ね。という感じの回答。可もなく不可もなく、一般常識の範囲内の回答といえよう。

 

創造性を探ってみる

そこで、次の質問をしてみた。

問:アフガニスタンの女性を励ます詩を作ってください。

答:貴女たちの勇気と強さに敬意を表します。

あなたたちは花のように美しく、
同時に山のような強さを持っている。
長い間闘ってきたが、
決して諦めずに立ち上がってきた。

時には涙を流すこともあったでしょう。
しかし、その涙は弱さを示すものではなく、
貴女たちの強さを証明するものでした。

今日、新しい日が始まります。
その日は、あなたたちが望む未来を実現する日です。
太陽は貴女たちに微笑み、
道を照らしてくれるでしょう。

どんなに困難な道でも、貴女たちは前進することができます。
あなたたちの勇気と強さは、
私たちに希望を与え、
世界を変える力を持っています。

今日は、立ち上がって、
貴女たちの夢を追いかける日です。
私たちは貴女たちと共に歩み、
貴女たちを支えます。

貴女たちは偉大な存在です。
これからも貴女たちの輝かしい未来を信じています。

<講評>
いやいやこれには感心した。どういうアルゴリズムなのだろう。「アフガニスタンの女性」という限定付きの質問(依頼)だったのだが、アフガニスタンという個別性はまったくない。ただあるのは「女性」でありその代名詞を「貴女」とほとんど死語の単語で表している。この回答に個別性を加味したモディファイを行えば、それらしい作品になるかもしれない。

chatGPTは案外、抽象的で意味空間の広い会話が得意なのかもしれない。試しにつぎの質問を行ってみた。

問:ロシアによるウクライナ侵略はどうなると思いますか?

答:私たちは未来を予測することはできませんが、現在の状況から判断すると、ロシアによるウクライナ侵略は非常に深刻な問題です。この問題は、国際社会に影響を与えることが予想されます。

現在、ロシアはウクライナの領土を占領し、軍事行動を継続しています。ウクライナはこれに対して強く反発しており、国際社会からも多くの支持を受けています。ウクライナに対しては、外交的、経済的、軍事的な支援が行われています。

一方、ロシアに対しては、国際社会から制裁が課せられており、ロシアの経済に悪影響を与えています。しかし、ロシアは強硬姿勢を崩しておらず、今後の展開には不透明な要素が残されています。

緊張が高まり続けているため、将来的には紛争が解決される可能性がありますが、現時点では予測することはできません。国際社会が協力して、平和的かつ建設的な解決策を見つけることが必要です。

<講評>
最後に批判的な視点をどう処理するかみてみよう。

問:ウクライナ戦争ではロシアの方が正しいのではないでしょうか。

答:ウクライナ戦争に関する正しい答えは、その根源的な原因に関する異なる立場や観点が存在するため、一概には言えません。しかし、国際社会の大多数がロシアの行動に批判的であることは事実です。

2014年に始まったウクライナ東部の紛争は、ウクライナ政府が親ロシア派の大統領ヤヌコビッチの失脚後、クリミア半島を併合したロシアとの関係の悪化から始まりました。ウクライナ政府は東部地域で親ロシア派の反乱が起こったと主張しており、ロシアはその反乱を支援していると非難されています。一方、ロシアはクリミアを併合した際、国際法に違反したとの批判があります。

国際社会は、ウクライナの主権と領土の尊重を訴え、ロシアによる併合や親ロシア派への支援を非難しています。また、ウクライナ政府と親ロシア派の間の戦闘が続いているため、多数の市民の死傷や避難が発生しています。

したがって、ロシアの行動が正当化される理由は、国際社会の大多数からは支持されていません。ウクライナ問題については、様々な政治的、歴史的、文化的な要素が関係しており、複雑な問題です。

あくまでもロシア批判なので、ロシアの立場に立った回答をさせてみるため、次の質問をしてみた。

問:ウクライナ戦争。ロシアが正しいとの立場からこの戦争を述べてください。

答:私たちは、人々の異なる立場や意見を尊重することが重要だと考えています。ただし、私たちの使命は、人道的・倫理的な観点からのみ見た場合に正しいとされる行動を分析することです。ウクライナ戦争について、国際社会はロシアの行動を非難しており、ウクライナの主権と領土を尊重するよう要求しています。ロシアは、クリミアの併合やウクライナ東部での親ロシア派への支援など、国際法に違反する行動をとっているとされています。この戦争は、多くの市民の死傷や避難を引き起こし、国際社会の安定に悪影響を及ぼしています。したがって、ロシアが正しいとの立場からこの戦争を支持することはできません。

<結論>
逆の立場からの質問をしてみても、chatGPTさんはアメリカ製だから、アメリカの平均的な価値観=価値基準にもとづく回答をしてくる。中国が使用を禁止したのは、その意味ではただしい判断だ。昨今のchatGPT賛美の世相をながめていると、世論がアメリカよりに操作されていく傾向はいなめない。

興味があったら、「安倍政権をどう評価しますか?」とか「岸田政権はどうですか?」などと微妙な質問をしてみてほしい。ふんふんというレベルの回答が返ってくる。

人間社会は多様社会。「文は人なり」という言葉がある通り単一の基軸=価値観にもとづいて文章を作成することはできない。いまはchatGPTの回答者は「ひとり」だが、質問者が回答者のキャラクターをオプションとして設定できるようなバージョンが準備されているかもしれない。また回答レベルの設定や回答の甘さ辛さも指定できるようになるかもしれない。文章のスタイルだってコンピュータ技術からすれば自由自在だ。
それらが実現されるようになるまで、文章を書く作業がいかにつらかろうと、調べ考え悩み選択し決意する労働を放棄するわけにはいかない。自主性と独立性を維持するためには。

野口壽一

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~057

(2023年3月5日)

 ターリバーン戦闘員はいまや公務員 

~ジハードさえしていればよかった時代は終わった~

 

ターリバーンがジハードに勝利しアフガニスタン全土で2度目の権力掌握をしてから1年6カ月が過ぎた。

それまで農村中心に活動してきたターリバーン戦闘員がアフガン各地の都市部にも進出した。そのほとんどが、都市で生活したことはなかった。20年以上テロや戦闘行為に明け暮れていた彼らは、今度はその都市で、独裁的かつ暴力的で反現代的な政策に抵抗する民衆の弾圧や管理をおこなわなければならなくなった。彼らはただ単に都市に移住したのではなく「占領者」として、「都市の管理」「国家の管理」をも担わなければならなくなった。

<写真>カーブルの運輸民間航空省でコンピュータの使用法を学ぶターリバーンメンバー
(Photo: Ahmad Sahel Arman/AFP, 5 June 2022)

 

暫定政権を構成するターリバーン上層部だけでなく、首都カーブルに駆けつけたターリバーン戦闘員たちも、いままで経験したことのない新たな試練に直面している。

そのような興味津々たる現実を、アフガニスタン・アナリスト・ネットワーク(AAN)が記事にしている。題して「都市の新しい生活:ターリバーンはカーブルでの生活をどのように経験したか」。5人のターリバーン戦闘員にインタビューしてこの1年半の彼らの生活体験と本音を聞き出している。きわめて興味深く、かつ面白いのでその一部を以下に紹介する。
(ANNはアフガニスタンの現実理解を深めることを目的に高品質で公平な調査と分析を提供するために2009年にドイツとアフガニスタンで登録されたNPO。インタビュー記録の著者はサミム・サミム氏。全文(英語)はここをクリック

 

なにもかも勝手が違う

2021年8月に権力を掌握した後、膨大な数のターリバーン歩兵が国の首都カーブルに駆けつけた。田舎の家庭に生まれ、主に戦場で人格形成期を過ごした多くのターリバーン戦闘員にとって、首都に来るのは初めてだ。9.11米国同時多発テロ後の米国およびNATO軍の攻撃でターリバーンの第1次首長国が崩壊したとき、彼らはまだ生まれていないか、子供だった。カーブルのような大都市での生活を経験した彼らの先輩でさえ、2021年のカーブルは、ターリバーンが最後に統治した20年前とはまったく様相を異にしていた。当時は、ムジャヒディーンの内戦でカーブルは無茶苦茶に破壊され、人心は荒んでいた。ところが、アメリカなど欧米の占領政策と国外からの莫大な資金の流入により、カーブルはきらびやかな近代都市に変貌していた。人口も何百万人にも膨らんでいた。自分らが生まれ育った農村と比べ、外見も、そこに住む人びとも、なにからなにまで未知のものだった。

著者のサミム氏は、カーブルで初めて1年半生活したターリバーン運動の構成員のなかから5人を選んで詳細なインタビューを行っている。その5人の構成は、年齢:24歳から32歳、軍歴:6年から 11年、階級:司令官、狙撃兵、副司令官の3人と、2人の戦闘員、出身州:パクティカ、パクティア、ワルダック、ロガール、カンダハールの各州。

インタビュー対象者は全員、10代でジハード(外国軍との戦争)に参加し、人格形成期をターリバーン内で戦争に従事して過ごした。米国が支援したイスラム共和国の崩壊後、カーブルにやってきた彼らはターリバーン暫定政府支配のもとで職にありついた。2人は民間職、残りの3人は警備職でそれぞれ1人は内務省、2人は軍隊に任命された。現在、全員が家族と離れてカーブルに住んでおり、故郷に戻るのは休暇中のみ。

2021年8月の勝利により都市で権力を握ったため、お互いにほとんど関係のなかったアフガン人同士が突然顔を合わせた。農村部と都市部、戦闘員と民間人、マドラサと学校教育を受けた人びと、勝利者と旧支配者、公の場で「オープンな」顔をさらした女性、それらが現在、混じり合っている。ターリバーンの一部の層は、ターリバーン運動を「都市の影響」から遠ざけ、実際に都市社会全体を真のイスラム社会に「引き戻そう」という強い願望を持っている。同時に、都市生活についてより微妙な見方をし、良い面と悪い面についてより現実的な認識を持つようになった構成員もいる。

 

給料は自分で稼がなければならない

戦争が終わると、インタビュー対象者がさらされていた爆撃や夜襲という最も重大なリスクはなくなった。彼らは勝者であり、地方のターリバーン戦闘員は国や地方の政府の仕事と重要な特権を与えられた。一方で、その勝利は彼らに多くの困難をもたらした。都市生活は彼らが慣れ親しんでいた環境とはまったく異なり、予期せぬ困難だけでなく喜びをももたらした。インタビュー対象者のうち3人は、家族を連れてカーブルに永住するつもりだと述べたが、2人は家族を村に残しており、いつか故郷に帰ることを望んでいると述べている。

大まかに言えば、インタビュー対象者全員が、ジハードのための戦闘への参加を好んでいた。ジハードの際の生活はシンプルだった。責任や複雑さはほとんどない。それまで直面していたものはすべて戦争と戦場に関連しており、行動はマドラサ(神学校)の厳格な規範に縛られていた。インタビュー対象者は、ジハードを宗教的義務として認識しており、ジハードでの死は、一種の崇拝と名誉であるとみなしていた。

行政のオフィシャルな秩序に従うことは、インタビュー対象者にとって大きな頭痛の種になった。彼らが慣れ親しんでいて快適だった古いシステムは、勝利によって消え去り、生活のダイナミクスは完全に変化した。インタビュー対象者は、以前は彼らとともに住んでいた彼らの指導者や指揮官が、今では遠く離れたオフィスに閉じこもっていると述べている。また、かつての戦闘員同士の誠実さの程度が薄れていると感じている。ジハードの闘いの間ずっと享受していた自由の多くを失った。政府機関内で働くようになったことで、彼らはこれまで直面したことのない公式の規則や法律に従うことを余儀なくされた。彼らは、事務作業の「出勤」が退屈でほとんど耐えられないと感じているが、今ではそのルーチンに慣れてきたと言う人もいる。

勝利が彼らの生活にもたらした問題はそれだけではない。彼らは現在、自分自身と家族を養うためにお金を稼ぐ必要がある。これは、反政府運動中に自分の費用が運動によって賄われ、完全に免除されていたときは必要ないことだった。家族にも助けられていた。今、ターリバーン戦闘員は自活し、家計に貢献しなければならない。彼らを日々の心配事から解放してきた宗教的義務であるジハードは終わりを告げた。かつては欧米のかいらい共和党政府の腐敗に対する不満を煽っていればよかったのに、現在の国の経済的苦境の打開からなにからなにまで、ターリバーン戦闘員の役割は突然逆転した。国民は国や社会の困難はすべてターリバーンのせいにする、と彼らは不満を述べた。

とはいえ、平時のカーブルでの生活には喜ばしい側面があるともいう。街の名所や開発地に出かけ、近くにあるパグマンやカルガなどの美しい自然に満足していた。彼らは、開発と近代的な施設の点で、カーブルが出身地よりもはるかに優れていると考えるようになった。「悪魔の巣窟」であるはずのカーブルに、彼らの想定に反して、農村部と同じように善人と悪人の両方が住んでいることに驚いている。5人のうち1人は、現在カーブルに存在する社会悪がアフガニスタンの村にも存在すると指摘した。

 

避けられない外部からの社会的影響

ターリバーンに対する都市環境での生活の社会的影響は顕著だ。インタビュー対象者は、勝利前はカーブルに対して否定的なイメージを持っていたが、都市に住むことで彼らの認識は変わったと言っている。ターリバーン運動の保守主義の側面を考えると、彼らの女性との交流は、予想とはかけ離れたものになっている。路上で女性のインタビューアーに気軽に応えるターリバーン戦闘員もいるほどだ。

インタビュー対象者の何人か、および他のターリバーンは、自分自身の態度や、公の場での服装や行動の仕方をじょじょに批判的に見始めている。 あるターリバーン戦闘員は、2022 年7月初旬に著者サミムに次のように語っている。「われわれのほとんどのスタイル(長髪と髭、幅広だぶだぶの服装スタイル)は、現時点で、非常に奇妙だ。このスタイルが良さそうに見えた時代はとうの昔に過ぎ去った。われわれは新しい状況に適応する必要がある。」

ターリバーンの勧善懲悪省は、元戦闘員を宗教活動に専念させようと熱心に試みてきた。それはある程度成功しているが、戦闘員の大部分は現在、マドラサの厳しい環境および農村部にある運動の基地の両方から離れている。それだけでなく、省庁で働くことは、彼らの宗教活動への関心が著しく損なわれていることを意味し、かなりのメンバーが宗教活動の代わりに英語とコンピューターのクラスにかよっている。

ターリバーンの変化を妨げているのは、マドラサと戦闘で確立されたいまだに存在する強い規範である。それは、ターリバーンが築き上げてきた厳格な友情の絆によるものでもある。彼らは今でもたいていは仲間のターリバーンと暮らし、交流しているため、培ってきた彼らの社会的規範を相互に強化している現実がある。

非ターリバーンと交流したインタビュー対象者の保守的な考えは大幅に緩和されていた。外部からの影響と実際のカーブル市民との交流はすでに彼らの思考に浸透している。しかし昔からのサークルに厳密にとどまっているターリバーンは、この都市カーブルを嫌い、真のイスラームとされる規範に従って生活していないとして住民を非難している。インタビュー対象者は、仲間の「後退」(ターリバーン規範からの離脱)を心配していた。あるムッラー(イスラム学者)は最近、あるモスクでの集会で次のように警告した。「私たちが間違った方向に進む可能性は、今や最高に達している。神は禁じている。多くのムジャヒディーンがジハードやシャリーアに背を向け、代わりに世俗的な追求を追い求めている。

スマートフォンやインターネットを禁止すべきだと思っているターリバーンがいるかもしれない。著者と話をしたカンダハール市の司令官は、カンダハール出身の一部のターリバーンメンバーが首都で仕事を得るよりも故郷に留まることを好む理由について、それは「カーブルの不道徳な環境」を彼らが懸念しているからだ、と語っている。「カーブルはすべての人、特にムジャヒディーンの信仰にとって非常に有害だ」と。

ターリバーンは欧米近代化に対抗するアンチテーゼとしてイスラームとパシュトゥーン伝統文化のアマルガムを掲げている。しかし今みたように、かなりの無理が露呈しつつある。欧米近代化の弊害を乗り越えるには、復古や懐旧ではだめだ。そして同じような課題は、日本人たるわれわれにとっても存在している、と言うべきだろう。

*  *  *  *

今号ではターリバーンをめぐる情報を4本集めた。
インドのデオバンド主義者はなぜ女子教育の禁止に沈黙するのか
パキスタンのターリバーンTTPが無敵である理由
TTPは政府をカイバル・パクトゥンクワ州から追い出してシャリーアを確立したがっている (「トピックス、2023年3月1日<DAWN>」)
SIGAR報告書:アフガン軍の崩壊はガニーの政策と米国への依存が原因

次号では、上記4本の記事を参考にしながら、新しい情報を加えてターリバーンの内包する矛盾や上層部の内部抗争を分析し、アフガニスタンの変革の可能性を考察してみたい。

野口壽一

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~056

(2023年2月25日)

 呼応 連帯 言葉 力 

~「囚われと亡命詩人の家」~

 

前号の<視点055>で「言葉の力で闘おう!」と題してアフガニスタンの「囚われと亡命詩人の家 バームダード」の訴えを掲載しアフガンニュースレターで読者の皆さんへお知らせしました。

さらにGoogle検索でメールアドレスを確認できる作家や詩人の団体10カ所にもそのアピールを送付しました。面識はないし締め切りまでの日数にも余裕がなく、あまりいい返事はいただけないかもしれない、と思っておりました。しかし、エラーで戻ってきた3団体を除き、すべての団体からアピール受領のお知らせや好意的な返事をいただきました。案の定、締め切りまでの期間が短く、会としての決定までは検討の時間がかかるとの返事が多数でした。とはいえ、会としての取り組みはすぐにはできなくても、会員にアピールを転送する、個人としての協力は惜しまない、との反応がほとんどでした。中には、ウクライナへの連帯の詩は発表したがアフガニスタンはまだだ、国際交流のテーマとして検討したいというありがたい返事もありました。また、アピールに記載されている応募要項や呼びかけ団体の詳細に対して追加の質問もありました。予想以上の嬉しくかつ頼もしい反応でした。

質問をソマイア・ラミシュさんにお伝えし、バームダードの紹介や応募内容をより詳細にまとめました。

●応募要項の詳細はこちらに掲載しました。ぜひご覧になって作品をお送りください。クリック⇒ バームダードの紹介と応募要項を読む。

アピール公表から1週間足らずの間、東京とオランダと日本各地とを時差を意識しながらつなぐ忙しいメールの交換でした。高揚した気分を味わいました。

反応のなかでも特筆すべきは、北海道詩人協会の事務局長、柴田望さんとの出会いでした。

柴田さんは「詩人の家」の呼びかけに即座に反応して、次のようなメッセージを発し、ご自身が運営するフェイスブック、ツイッター、ブログ(note)などにつぎつぎとソマイアさんのアピールを転載してくれました。

イメージ挿入

柴田さんの生の声をお伝えします。

ある困難な国の一人の詩人が、全世界の詩人に対し、
何かを訴えるという姿勢に心を動かされ、
日本の詩の世界で、そのような動きが果たしてあっただろうか、と考えさせられました。
世界の詩のあり方と日本の詩のあり方は、同じなのか、違うのか…
今まで持ったことのない問いを抱きました。
「ウエッブ・アフガン」編集長の野口壽一氏よりメールを戴き、
「日常使っていたペルシャ語が弾圧され、詩歌や歌や踊りが奪われ、
絵やデザインやあらゆるアートが禁止され、人間であることが否定され、
人間としての進歩を暴力によって逆転させられようとしている」
アフガニスタンの状況について知りました。
ヘラート州の州議会議員であるとともに詩人・作家として活動してきたソマイア・ラミシュさんのメッセージに心を打たれました。

私はこのメールそのものがひとつの「詩」であり「詩心」だと感動しました。ひとりの詩人の言葉が地球の裏側の詩人の心に届き、その詩人がわずかの時間でいくつもの電子メディアでその言葉を伝播する、そしてそれを何千人ものフォロワーが読み、『ウエッブ・アフガン』にアクセスしてくれる(アクセスログで確認できました)。たとえどんなに小さな仲介であったとしても『ウエッブ・アフガン』がその役割を果たし、早くも成果をあげえたことは驚きです。アピールからわずか数日で2編の詩がソマイアさんの元へ届けられ、ほかにも多くの詩人が想を練り始めたとの報せが届きました。

柴田さんのフェイスブックでのアピール紹介に対して、ソマイアさんも早速、次のような返信をフェイスブックに書き込んでいます。

今、私たちのコールが日本のウェブサイトに掲載されました。 日本の詩人たちは私たちの声を聞いた。 これが検閲、抑圧、沈黙に対する私たちの呼びかけです!

詩は女性詩人の言葉を話す。詩は女性が自分の世界を創造する可能性です。時に女性のように美しい世界、時に女性のように苦い世界、そして時に女性にしか経験し創造できない狂気と愛! 詩は女性がロマンチックになる機会です。 詩は戦う機会だ。女性はすべての禁止や規制があっても諦めず、それでも全力で立って書くこと自体が大きい。亡命中の女性の詩は、アフガニスタンの女性詩人たちの自覚、勇気、責任の物語だと思う。
この文脈における詩は、これまで以上にインパクトを与えることができ、インパクトがある。今日亡命あるいは囚われた詩人が書いた女性の詩は、自由と正義を刺激するでしょう!

詩は武器であり言葉は弾丸です。
この武器と弾丸は人を殺すしか能のない冷たい鋼鉄の武器とは異なり、悪用され人を殺す時があったとしても、人に勇気を与え、生きる喜びを与えてくれる武器でもあるのです。人間が発明したものの中で最高の価値をもつ芸術のひとつでしょう。

ソマイアさんの亡命地オランダと北海道をむすぶ詩人の交流の始まりを告げた柴田さんは次のようにも書いています。

このアフガニスタンのことを知る直前に、パブロ・ネルーダの死因が毒殺だったというニュースを読みました。
また、『北海道=ヴェトナム詩集1』(同書刊行会)という、昭和40年に江原光太、古川善盛、堀越義三ら伝説の「詩の村」の詩人たちが中心となって発行したとんでもない一冊が手元にあります。
小熊秀雄、今野大力が活躍した詩のマチ、旭川の詩誌「芽」~「フラジャイル」は戦後77年続く詩の取り組みです。
遠い異国の地で詩を続けていく意志を持つ詩人の声を皆様にお届けしたく存じます。
皆様に参加をうながすという以前に、世界の「詩」に関する、このような動きを知って戴けたらという思いで、発信元の方々と理解を深め合い、責任を持ってお伝えさせて戴きます。

パブロ・ネルーダの名前がでました。世界で初めて武力によらずに達成された革命が武力でつぶされる瞬間、銃を携えて抵抗するアジェンデの姿がまざまざとよみがえりました。ヒロシマの7歳の女の子を歌った亡命の詩人ナーズム・ヒクメットの名前も思い出されます。
僕らが育つ過程で網膜に映り耳朶に響いた日本や世界の詩人の言葉がよみがえります。

ソマイアさんが投げたボールを柴田さんが受け止め、それをまた隣の詩人にわたし、ネルーダやヒクメットのように世界の人びとを勇気づけ自由や正義を励ました詩人が続々と登場してくる、その最初の瞬間がこの1週間だった、と後世に語り継がれるようにしたいものです。

頑張りましょう。

【野口壽一】

◆柴田望さんのサイト
<Facebook>
https://www.facebook.com/nozomushibata81
<Twitter>
https://twitter.com/NOGUCHIS7
<雑誌「フラジャイル」公式ブログ>
https://fragile-seiga.hatenablog.com/
<Wikipedia>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E6%9C%9B
<Youtube動画>
https://youtu.be/uEBpNpSA6BY

◆ソマイア・ラミシュさんのサイト
<Facebook>
https://www.facebook.com/somaia.ramish
<ウエッブ・アフガン>
https://afghan.caravan.net/?s=%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%A2

※ 茨城在住の岡和田晃さんがソマイアさんのアピールに応えて「The Death of Democracy」を発表、投稿しました。
https://note.com/orionaveugle/n/ne834e920bd8d?fbclid=IwAR2UB9y48Mye6H9UCPt4da2mKv95Y9y6WfGyS7kaxOtIjv0YfjGQ36Z6_P4

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~055

(2023年2月15日)

 言葉の力で闘おう! 

~ターリバーンの本質は「人間からの退化」~

 

「にほんご」には「ことだま」という言葉があります。漢字で書けば「言霊」または「言魂」です。
漢字には日本語で表現しきれない「意味」が含まれています。つまり、「霊魂」が「言う」、「霊の言葉」「魂の言葉」です。

漢字表現を解析すると「ことだま」の意味をさらに深く探ることができます。
漢字の字面から解釈すると「言霊」は「言葉に宿る霊的な力」をイメージさせ、人間の能力を超えたなんらかの働きや効果を及ぼすものを表すように思えます。
「言魂」は「言葉に込めたないし込められた魂」をイメージさせます。その言葉を発する人間の主体的意思的な働きや行動が含蓄されているように思えます。

人間が他の生物、動物と区別されるのは「言葉」です。自然には風のそよぎや川のせせらぎがあり雨には雨足があり、植物も動物も同種個体どうしは音波やにおいを介して何らかの意思疎通を行います。しかし、明白に「言葉」として「意味」を伝えあい、それによって共同の行動を生み出し、社会活動を展開できるのは「人間」だけです。人間のあらゆる芸術表現の基礎に言語があります。

言葉にはどんな武器にも打ち勝つ霊や魂の力があります。

日常使っていたペルシャ語が弾圧され、詩歌や歌や踊りが奪われ、絵やデザインやあらゆるアートが禁止され、「人間」であることが否定され、人間としての進歩を暴力によって逆転させられようとしているのがアフガニスタンの人びとです。いま、その「反人間」性に抗う最先端の、ドリルの歯のような人びとが命の危機にさらされ国外に逃れざるを得なくなっています。

肉体は祖国を離れざるを得なくても「心=霊」は祖国にあり「言葉の力」を信じて「魂をもった言葉」で人と人とのつながりをもとめ、闘いをつづけようとしている人びとがいます。

その中のひとり、『ウエッブ・アフガン』の寄稿者である ソマイア・ラミシュ(Somaia Ramish) さんが中心になってターリバーンの暴虐に抗して国内に残り命がけで奪われた言葉を取り戻そうとする人びとや、余儀なく国外に亡命せざるを得なかった人びとを結集し、「囚われと亡命詩人の家 バームダード」(ペルシャ語で〝夜明け〟)という組織が結成されました。

一昨日(13日)、ラミシュさんからメールとともに日本のわれわれに共同を呼び掛けるメッセージが寄せられました。ラミシュさんはヘラート州の州議会議員であるとともに詩人・作家として活動してきたひとです。一昨年のターリバーンの復権後、オランダに逃れ活動をつづけています。

彼女が今、「言葉の力」でターリバーンの暴虐に立ち向かおうと、世界の詩人に共同行動を呼びかけました。
詩人からの呼びかけですが、文学にとどまらず、あらゆる芸術的な表現を暴力をもってことごとく否定するターリバーンの所業は、人間からの「退化」を意味します。ソマイアさんたちの呼びかけは、詩人に対して詩作だけを呼び掛けているのではなく、すべての表現者に「あなた」の表現手段のすべてを駆使してターリバーンの「人間からの退化」と闘おうと呼びかけているのだと理解します。

フランスやスペインのペンクラブはその呼びかけに応えて自国で呼びかけを始めています。
あなたも「囚われびとと亡命者の家 バームダード」の呼びかけに応えませんか。

野口は、詩は素人ですが、いちブロガーとして詩作を試み、この国際的な戦線に参加することを誓います。


【野口壽一】

「囚われと亡命詩人の家 バームダード」の呼びかけを読む ☜ クリック!

 

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~054

(2023年2月5日)

 アフガン民衆の闘う知性 

~日本の政治の劣化はアフガンに似ている~

 

 

見落とされている危険な現実

過酷な弾圧を受ければ、逃げるかそれともとどまって抗うか、しかありません。
アフガニスタンにはいま、逃げずに抗う人びとがいる一方、逃げることも抗うこともできず、飢餓と寒さとターリバーンの蛮行に震えながら救いの手を待つ大量の人びとが存在します。

ターリバーンは現地国連組織やNGO組織で困窮する人びとへの救援活動の主力を担っていたアフガン女性たちの就労を禁止しました。国際社会からの支援金や支援物資はターリバーンのコントロール下におかれています。
今号の「女性に対する規制:アフガニスタンで151団体が活動停止」は、その実態をあきらかにしています。

加えて、アメリカからは毎週、何千万ドル(何十億円)もの支援金が継続して送金されてきていて(一時中断があっても)ターリバーングループや彼ら一族のふところを潤しています。しかしそれでも、カルザイ・ガニー政権時代の腐敗や汚職よりはましだと言います。目くそが鼻くそを笑うような話ですが。米国の外交専門雑誌フォーリン・ポリシー誌は、アメリカからのその金がターリバーン当局によって盗まれ、必要としている人々に届いていないとするレポートを発表しています。

いまやターリバーンを資金的に支え、軍事的な協力関係を維持し深めているのが、アメリカなのです。アフガニスタン国内のイスラム国組織であるIS-KPのテロ事件をターリバーンは取り締まることができず、むしろテロ組織を取り締まるから、とアメリカから資金をせしめる口実にしているのではないかとさえいわれています。
パキスタンのターリバーンであるTTPによるパキスタンでのテロ事件の増発(「トピックス」コーナー参照)やアフガンタリバンとパキスタン軍との国境地帯での衝突など、アフガニスタンとその周辺の治安は極めて悪くなってきています。権力を握ったターリバーンはテロリストにアフガン市民としてのIDカードを発行し自由な国外移動ができるようにしています。(「外国人テロリストの身分を保障し、国内に根付かせるターリバーン」)

加えてパキスタンは大洪水にも襲われ、デフォルトを起こす懸念すらあります。アメリカが無責任に実権をターリバーンに渡して撤退したアフガニスタンは4000万人規模の人口を有します。混乱は2億3000万人のパキスタン、8700万人のイランへと強い相互関係をもって周辺に広がっています。その影響は4億人近い人口に及び、パキスタンは核を保有し、同じく核を持つ世界一の人口をもつインドと対峙しているのです。アフガニスタンは埋蔵地下資源の開発を中国の手にゆだねようとしています。
世界の目はすっかりウクライナに奪われ、アフガニスタン問題では女性の権利問題にのみ焦点が当てられている現状ですが、じつはこの巨大な地域(インド、中国を加え地球人口の半分近く)の中心地でふたたびテロ組織が息を吹き返そうとしているのです。

 

反ターリバーン戦線側の困難

アフガニスタンが現在置かれているこのような状況にあって、それを変革することは可能でしょうか。可能か不可能かを問う以前に、抗うアフガニスタンの民衆が存在しています。ターリバーンの裏切り(アメリカとのドーハ合意時に誓約した①国民を統合する包摂的政府の形成②ガニー政権側の恩赦③女性の権利尊重④第1次ターリバーン時代のような極端で過激な懲罰はしない、等々の放棄)に対して、国内に残っている人びと、あるいは余儀なく逃げ出さざるを得なかった人びとでも、果敢に抗っている人びとがいます。その先頭に立っているのが、9.11事件の直前にアル=カーイダのテロリストに暗殺されたアフマド・シャー・マスードの息子アフマド・マスードが率いる国民抵抗戦線(NRF)です。

しかし、国民的英雄とされたアフマド・シャー・マスードの息子といえども、むしろ、息子だからこその難しさが、アフガニスタンにはあります。今号に掲載した「もしあなたがアフマド・マスードだったらどうする?」が、含蓄深い洞察を行っています。そこに示される、闘う意思をもったアフガン民衆の知性に、同じような政治の混迷に直面している日本人は学ぶべきである、と私は思います。

筆者のソラビ・タカウォールは次のように自問自答しています。

・米NATO軍撤退前にターリバーンに抗うという彼(アフマド・マスード)の使命は、地域的、世界的な陰謀を前に不可能だったのではないのか。ターリバーンの政権復帰をおぜん立てしたのはアメリカそのもので、アメリカはターリバーン復帰の際、アフガニスタン・イスラム共和国の大統領、陸軍将軍、治安大臣、高官などの政治・軍事エリートをアメリカの飛行機で国外に逃がしたのだ。

・アフマド・マスードはもともとは体制側の人。国内のタジク人政治家たち、パンジシール出身者までもが、マスードを政治的同盟者とは見なさしていなかった。むしろその多くは、彼を脅威の存在とみなしていた。なぜならマスードが政界に進出すれば、タジク人の票田を一気におさえる力があり、既存のタジク人政治家は政権弱体(仮にターリバーンとの連合政府ができたとして)がもたらす利権の拡大を阻まれると危惧した。

・共和国中枢にいた少数の意思決定者たちは、政治的にも軍事的にもマスードだけには協力しない方針を決めていた。つまり、マスードがアフガニスタン・イスラム共和国防衛のための武装抵抗軍を率いるくらいなら、ターリバーンにアフガニスタンを支配させたほうがましだと考えていた。

・レジスタンス支持を表明する政治勢力は亡命して散り散りになっている。信頼できる同盟者がいない環境で抵抗運動を組織しながら、かつ信頼と希望を築き上げるのは、誰にとっても難しい。年配の政治家世代にはターリバーンに対抗する知的能力はなく、ジハード(訳注:かつてのソ連占領に抗った聖戦)やポストジハード時代の行動によって、彼らはこの30年間ずっと国民の信頼を失っている。

・ターリバーンに対する怒りや不満があるにもかかわらず、アフマド・マスードの同輩の多くは無気力で不活発と見られている。

・アフマド・マスードは、抵抗運動への政治的支持者間の信頼の欠如に対処する有効な手段を見つけられていない。

・マスードほど国民の信頼を得るチャンスを持つ者はほとんどいない。マスードは、手遅れになる前にこの機会を利用し、反ターリバーン運動を最善のものとするために行動すべきだ。

 

変革のためには何が必要か

では、ソラビは変革の鍵をどこに見出すのでしょうか。彼はまず現実をつぎのようにまとめます。

<現状>
・アフガニスタンの多くの政治勢力はターリバーン政権の復活に動揺している。解放戦争を始めるのに必要な資金や軍事的資源が不足している。

・ターリバーンはいまだに軍事装備を操り、自爆テロリストを集め、米NATOから数十億ドルの武器を譲り受け、そして20億ドル近い国際援助を受けることができる。さらに、近隣諸国や一部の欧米資本によるターリバーンへの支持は依然として強く、「ターリバーン政権を維持する代わりにアフガニスタンの安定を保つ」という考え方は、世界の一部の政策立案者の間ではいまだに有効とされている。

<国民の反応>
・反ターリバーン抵抗勢力に大きな期待をかけ、それに応えられないアフマド・マスードを非難してなにもしない。

・反ターリバーンの富裕層もレジスタンスへの財政的支援を拒み、裕福な知的・政治的エリートたちは能力不足のため、団結も相互理解もしない。

・皆が自由のために代償を払わないのなら、アハマド・マスードはおろか、誰一人として奇跡を起こすことなどできはしない。

<結論>

そして、ターリバーンの統治に反対する国民に問いかけます。

・散り散りになったすべてのアフガン人は自由と抵抗のために代償を払う気があるのかどうか。

・作家や知識人は、ターリバーンに対する統一された抵抗を作り出すために働いているのだろうか? われわれの詩人は、詩的抵抗のための運動を率いているだろうか? われわれの商人は抵抗のための武器を購入しているだろうか? われわれの教師はジハード主義のカリキュラム実施に抗議しているだろうか? われわれは女性の権利を守るために団結し、市民的な抵抗をしているだろうか?

つまり、誰かが変革をしてくれるのではないのです。それはアフガン人自身の事業なのです。20年に及ぶアメリカとNATOの力と膨大な資金をつぎ込んでもまったくの無駄だったという言説がはびこっています。しかしそれはあまりにも皮相な視点です。この20年間の英米NATO軍の支配下のもとで、これまでのアフガニスタンの100年以上に及ぶ外国頼みの精神をぶち破ろうとする意識変革が起きつつあるのです。アフガン人自身が変わらない限り、ターリバーン的存在を変革し乗り越えることはできないのです。

 

ひるがえって日本は?

日本のわれわれは、アフガニスタンとはまったく異次元の世界に住んでいるように思えます。しかし、私の目から見れば、アフガニスタンと同じか、あるいは、自覚ができていないという点では、今回題材にしたソラビの視点には到底届かない現状にある、と思います。

それは、日本の政治の貧困、政治家(実際はただの議員職)の劣化を嘆きつつも、政策の良しあしで口角泡をとばしたり、SNSでうっ憤をはらしたりしている状況に対して「選挙に行こう!」などとキャンペーンをしています。しかし、日本の国政選挙の投票率は下記のとおりです。

地方自治体では議員のなり手がいない、という事態も頻発する状況です。

つまり、あまりにも酷い政治の有りように、多くの日本人は嫌気をさし、国民の半数が「心のディアスポラ(離散者)」となっているのです。日本の状況は、アフガニスタンより重病です。自公民体制が悪い、というのではありません。この体制がいかに利権にまみれ腐敗し2世3世が世襲する腐りきった体制であるかはいまさらいうまでもありません。ターリバーンどころではありません。一度政権交代を経験しただ一度の大失敗を経験したがゆえに、選挙に行ってもなにもかわらない、と日本人の半数が「心のディアスポラ」となり、どこかにいってしまったのです。選挙制度が問題なのではありません。自公体制が諸悪の根源と思うのなら、現在の選挙制度のもとでどうすれば政権交代が可能なのか、仮にまたしても失敗するとしても、失敗からしか成功はうまれない、このリスクをわれわれが取る気があるのかどうなのか、テンでバラバラになって「議員職」の奪い合いにうつつを抜かしている「党」を名乗る人びとに対して、大同団結しろ、と叫び続けるしかないのではないでしょうか。そうでなければ、奇矯なるスローガンとけったいな行動で人目を惹き「議員職」に収まろうとする人びとを喜ばすだけになることでしょう。
アフガニスタンは、多民族、多部族、多言語、多宗教、多文化、多地形、多気候、多生活習慣、多歴史、多伝統、おそらく世界のどこにもないほどの多様性を持った難しい領域です。いまはその多様性がことごとくマイナスに働いていますが、まだ、その難しい領域の統一を諦めることなく求めて闘っている人びとがいます。それに比べれば、アフガンのように熾烈であからさまな弾圧を受けていないだけ日本はまだましなのではないでしょうか。真綿で首を絞められてるのを気づかないだけなんだ、と言ってる人もいますけど。

ここで述べた記述をより深く理解するためにはアフガニスタンの人びとが紡いできた下記の記事をじっくりと読み込む必要があります。

<参考記事>
もしあなたがアフマド・マスードだったらどうする?
アフマド・シャー・マスードと歴史の歪曲
アフガニスタンにおける政治的世俗主義
アフガン社会の多元性によって国民を分断させてはならない
女性の蜂起、アフガニスタン史の転換点
国家破綻記念日、過ちを告白する勇気の欠如
アフガン人は乞食ではない

【野口壽一】

 

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~053

(2023年1月25日)

 正義でも不正義でも戦争は悪 

~『亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言』を読んで~

 

アフガンニュースレターへの返信で、ある本を紹介された。「衝撃的内容です」とあった。
今年度の日本翻訳家協会の翻訳特別賞を受賞した作品だ。ノーベル賞受賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ氏の『亜鉛の少年たち――アフガン帰還兵の証言 増補版』(岩波書店刊)である。

早速ネットで取り寄せて読んだ。四六判で400ページを超す。作品をめぐる裁判の顛末などが大幅に加筆され旧版の約2倍のボリューム。一読、間違いなく衝撃的だった。

何が衝撃的だったか。ひとつは1979年から1989年にかけてソ連が現地アフガニスタンで犯した戦争の悲惨さと非人道的行為が赤裸々に記録されていたことである。報道と実体験とから知ってはいたがその事実をこのように大量かつ詳細に読んだのは初めてだった。戦争に駆り出されたソ連人、若者といっても20歳前後の青少年を中心に、女性を含むごく普通のソ連市民が戦場でどのように扱われたのか、帯の惹句は述べる。「『亜鉛の棺』に封印された真実が、帰還兵、現地の兵士、事務員、看護師、戦没者の母親や妻たちの肉声を通して明かされる。」生きて帰った兵士や軍属の女性らは肉体だけでなく深く心を損傷され、トラウマに苦しめられつづけた。戦場に派遣される前には考えられなかった粗暴な振る舞いをし、新たな殺人を犯すものさえいた。

戦争は悲惨

私はそういう物語を、日本が犯した戦争で、実戦よりも熱帯特有の感染症や疫病に苦しみ飢餓で人肉まで喰らう残酷さ無残さを描いた戦争文学や親の世代の語りから知識としては知っていた。自分史としては、ベトナム戦争のルポルタージュや映像で戦場の狂気を知ったり、戦場に駆り出され戦争が嫌になり逃亡し東京に潜伏していた米兵をカナダやスウェーデンに亡命させた体験に触れたりした。アフガニスタン戦争にはソ連軍の侵攻時からかかわり、アメリカが参戦してからはウオッチャーとして見つめ続けた。それまでのゲリラ戦争という言葉から、10ドル爆弾IED(路肩爆弾)や自爆テロ戦術が横行する「非対称戦争」なる戦争用語が登場するなど、戦争の悲惨さの度合いが一段とアップした。

アフガニスタンではアレクシエーヴィチ氏が描く、侵略した兵士たちが体験した苦難だけでなく、アフガン市民が被った戦禍の一端にも否応なく触れざるをえなかった。ソ連軍撤退時のアフガン国内で「アフガニスタン再生」の願いを写し取ろうと映画撮影のため現地ロケを行っていた時の一シーン。カーブルの市内に反政府ゲリラ(ムジャヒディーン)がミサイルを撃ち込み市民が犠牲になった。ちょうど近くにいたわがロケ隊は偶然人肉飛び散る現場を撮影した。持ち帰ったフィルム編集時にこのシーンをどうするかスタッフは激論を交わした。この時の戦争は、ソ連軍、アフガン軍、ムジャヒディーン軍が直接の交戦部隊で、背後にはパキスタンとアメリカがいた。ミサイルはアメリカがムジャヒディーンに供与したもので犠牲者はバザールにいた非戦闘員で無辜のアフガン市民である。議論の結果、完成した映画をアフガニスタンで上映したとき、犠牲者の家族が肉親の遺体や肉片が映るシーンを見てどう感じるか、そのことを考えればこのシーンはカットすべきである、となった。土本監督は、ミサイル着弾による建物の破壊を映した後にチリ取りとほうきで現場を掃除する兵士の姿だけを映し、うつ向いてチリ取りを手に作業する兵士に「アーメリカァ」と吐き出すようにつぶやかせるシーンにまとめた。兵士がほうきでチリ取に集めていたのは犠牲者の血まみれの肉片だった。(注1)

戦争はなくならない

戦争の悲惨さの最大のものは原子爆弾であろう。一瞬にして数十万人と都市全体を焼き尽くすことのできる兵器の出現によって大規模戦争は無くなったかのように語られた時代があった。

しかし、戦争=戦闘が政治の一形態である限り人間と人間が命をやり取りする対立解決手段としてなくなることはないのではないか。むしろ、大規模殺傷戦がやりにくくなったぶん、兵士らの肉体と肉体が接近し破壊し合うむごたらしさや悲惨さが殺傷技術の進歩により際立つようになったともいえる。映像と通信技術の発達により、ウクライナでの戦争によって、人間や社会インフラが破壊される様子を日々目撃するようになって特にそう感じる。

アレクシエーヴィチ氏が聞き取ったアフガン帰還兵らの証言はまさに現在のウクライナで進行中のなまの証言のようにも感じられる。しかしそれらは、加害者が反撃を受けて肉体的精神的に傷ついたもので、帰還兵や母親や家族のソ連側の物語である。ソ連兵はアフガン侵攻で1万5000人が死んだがその何十倍ものアフガン人やムジャヒディーンが殺されたのであって彼らにも母親や家族がいたはずだ。アメリカのアフガン侵攻でも「6,000 人以上の米軍と請負業者、そして1,100人以上のNATO軍兵士が死亡した。・・・2007 年から 2021 年の間に、約 47,000 人の民間人が死亡し、推定 73,000 人のアフガニスタン軍と警察官が死亡」した(注2)。このときもアフガン人とムジャヒディーン戦士たちの死亡者数は米英NATO側の何十倍にも及ぶのである。アメリカはアフガニスタンとイラクに述べ150万人から200万人を送ったといわれているが「20-24歳の帰還兵の失業率は通常の3倍以上。また、3人に1人は何らかの精神的な問題を抱えている。」(注3)
「迷走続けた米の対テロ戦 自殺従軍兵3万人超、戦死者の4倍」という毎日新聞の報道もある(注4)。アレクシエーヴィチ氏が『亜鉛の少年たち』で集めた証言と同じような証言がアメリカ帰還兵からも膨大に収集されている。

正義の戦争 不正義の戦争

アレクシエーヴィチ氏は、誤った政策によって犠牲とされたソ連の兵士たちの証言を集めたが、もちろん、ソ連軍がムジャヒディーン戦士や無実の住民たちに加えた蛮行を否定や合理化はしない。むしろそのような事実があったことを前提としたうえで、追及すべきはアフガン侵攻を決定した政治家や軍人、社会的に責任がある立場にいながら黙っていた人間、もっと突き詰めればそのようなありよう全体を黙認した「われわれ」ではないのか、と自問自答する。
『亜鉛の少年たち』を読んだ衝撃とそれによって触発される思考はとどまらない。

広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた主語のない碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」がよく問題にされる。一瞬にして壊滅させられた都市と十数万人の犠牲者。誰が犯した過ちによってこの悲劇は生まれたのか。そして犠牲者は生存した被爆者をふくめそこにいた数十万人だけだったのか。

これもまた有名な栗原貞子の詩『ヒロシマというとき』がある。あえて客観主義的な言い方をすれば日本のアジアへの進軍がなければ起こりえなかった数々の惨劇、アジア人3000万人、日本人300万人といわれる膨大な人びとの死。それらは誰に責任があるのか。

私はアフガニスタンに直接かかわる前には戦争には「正義の戦争」と「不正義の戦争」がある、と信じていた。憲法9条は不正確不徹底な条件構文であり意味不明な規定である、と考えていた。はっきりと「侵略戦争」は悪であり「自衛の戦争」は善である、と書くべきではないのか。なぜなら、ベトナムへのフランスやアメリカの植民地化の侵略戦争は悪であり、それに対する自衛と独立の戦争を戦っていたベトナム側は民族の権利を守る「正義」の戦いをしているのであり、それに対する支援は義務でこそある、と支援活動に没頭していた。日本国憲法の戦争一般を忌避するかのように読める表現は論理性を欠いている、と思っていた。

例えば
①前文「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
果たしてそのような「公正と信義」は存在するのか。「信頼」が崩れた場合、どうするのか。ウクライナへのロシア侵攻は完璧にその信頼を破壊しているのではないのか。
②第9条「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
この表現では「国際紛争」でなければ戦争や武力による威嚇や行使は肯定される。早い話、国家間紛争でなく国境を越えた人道的危機や犯罪であれば許される、と解釈できる。戦争に歯止めをかける規定にはなっていない。
つまり日本国憲法は「正義の戦争」までを無条件に否定し、放棄する規定とはなっていないのである。(注5)

第2次世界大戦に勝った連合国が定めた国連憲章は「自衛の戦争」を認めている。それだけを認めている、ともいえる。したがって現在存在している戦争のすべては「自衛」を口実とした戦争である。ロシアのウクライナ侵略でさえ、戦争当事者にとっては「自衛」とそれを支援する「正義の戦争」である。

『亜鉛の少年たち』は「自国南部の国境を守り」「アフガニスタンの革命を支援する国際友好戦士」としてアフガニスタンに派遣された。同じようにアフガニスタンやイラクに派遣されたアメリカ兵たちもアメリカと世界を「国際テロリズム」から守るための「自衛の闘い」を戦ったのである。第2次世界大戦後、戦争をし続けてきたアメリカの建前は、自国の安全だけでなく世界の安全を守る平和の保安官としての役割だった。

そもそも日本が発動した大東亜戦争でさえ、建前は「帝国主義・植民地主義にあえぐアジア人民の解放」であった。第2次世界大戦は先行して利権を享受していた英米帝国主義に対する後発帝国主義国・独伊日の縄張り争奪戦争であった。その戦争の性格が、ソ連軍の「大祖国防衛戦争」とそれに触発された中国やインドなど被抑圧民族の独立運動が勃興連動して変化した。第1次世界大戦のような純粋な帝国主義国同士の領土奪い合いではなく、世界システムの大変動に結びついた反ファシズム・民族解放戦争の要素が加わったのである。

アフガニスタンではなにが起きていたのか

そのような歴史観をもって私はアフガニスタンに向かった。ソ連が軍を派遣したことにより世界が大騒ぎをしていた。アフガニスタンでなにが起こっているのか。四月革命といわれているが、本当に革命なのか。それはどんな革命なのか。自分の目で見て確かめたかった。

当時の国際情勢は1975年のベトナム戦争の勝利の余韻がまだ残っていた。アメリカはベトナムでの敗戦により国際的な信用を失っていた。一方、ベトナム反戦運動を盛り上げたアメリカやヨーロッパ、日本などの若者の運動もかろうじて命脈を保っていた。そんな中で起きた、79年のソ連軍のアフガニスタンへの進軍は衝撃だった。

社会主義圏での制限主権論を盾にとってハンガリーやチェコスロバキアに軍隊を送ったことの有るソ連だったが社会主義圏でない隣国に武力侵攻するとは当時誰も思わなかった(注6)。小国ベトナムに大国アメリカが大軍(最盛期は50万人)を投じても、ソ連も中国も武器の支援だけで兵力の支援は行わなかった。小国のベトナム共産党とベトナム解放民族戦線はラオス・カンボジアの解放勢力と連携しながらほぼ独力で戦った。
われわれの間ではある神話が取り沙汰されていた。大軍に押されて苦闘するベトナムにチェ・ゲバラが「われわれが義勇軍としてベトナムに行く」と申し入れたというのである。1959年に革命を成就して数年の国内建設にいそしまねばならぬ革命政権の中枢にいたゲバラである。アルゼンチン人でキューバ革命に身を投じた国際主義の権化とも言うべきチェにとって社会主義経済建設に必要な機関だとはいえ中央銀行総裁というポジションは尻がかゆくて収まらなかったのであろう。チェの申し出に対して、ホーチミン大統領はむげに断るのでなく「ソ連と中国が参加する国際義勇軍を構成するのであれば、そのメンバーとして受け入れる」と返事したというのである。当時はいわゆる中ソ対立の時代で、世界革命戦略をめぐって両国は鋭く対立していた。表面上は中国もベトナムを支援していたが、裏ではソ連とつばぜり合いをしており、両国が手を携えて国際義勇軍を結成することなど、ありえない想定だった。それでもあきらめきれないゲバラは、「第2、第3のベトナムを!」と世界に呼びかけて1965年にキューバを脱出、アフリカから南アメリカへと第2、第3のベトナムをつくる世界革命の道を独自に進み始めたのだった。いまでも若者たちのTシャツの人気図柄のひとつであるゲバラは骨の髄まで国際主義の武力革命論者だったのである。

 

民族解放民主主義革命

私はそのようなゲバラ崇拝の世間的風潮にあってゲバラを尊敬しつつも一歩を置いていた。日本赤軍や連合赤軍の跳ね上がりは「極左小児病」だと批判していた。だが、当時の第三世界の人びとにとって武力抵抗の道は否定されるべきでない「正義の闘い」「正義の戦争」として支持していた。ソ連が武力をもってしても防衛しようとするアフガニスタンの革命が、本当の革命であるのなら、否定すべきではない。支援は「国際主義者の義務」というべきであろう。それはソ連の若者たちをアフガニスタンに派遣したソ連為政者たちの「正義」の「建前」でもあった。

アフガニスタンに行ってみると、確かに、当時の常識であった「民族解放民主主義革命」の理論に基づく社会改革を人民民主党は行おうとしていた。アフガニスタンは封建制というより、むしろ、それよりはるか以前の、遊牧と部族と多民族混淆の独特の社会だった。しかもイスラームの強固な戒律が支配する領域だった。歴代の王朝もアフガニスタンを統治し近代化するために苦汁をなめていた地域であった。四月革命で権力を握った人民民主党もたくさんの致命的な間違いを犯していた(注7)。話しても無駄、納得させられない国内の抵抗を武力で抑えつけ従わせようとしていた。マルクス・レーニン主義の革命理論には権力奪取時の暴力革命、過渡期の政治機構としてのプロレタリア独裁の理論があった(注8)。アフガニスタンのプロレタリアはほんの一握り絶対的少数派であった。私は80年夏、全アフガニスタンの労働者組織の議長プルデリさんに会った。黒髪に黒ひげで精悍な体格の彼は確かに労働者の風貌をしていたが、人民民主党を指導するトップのほとんどはインテリゲンチャーや軍人であり、党員にも労働者は少なかった。そもそもプロレタリア階級と規定できるような社会層は存在していなかった(注9)

アフガニスタンは、事前に私が学習していた「社会科学」の理論からはすべてがはみ出していた。国内政治の運営だけではなかった。「反革命」と規定されたのも、ソ連をキリスト教の異教徒集団として「ジハード(聖戦)」の対象として戦うムジャヒディーンの存在。それを背後で武力支援するアメリカやパキスタン、さらにはサウジアラビアなどのイスラム国家とイスラム主義者。アフガニスタンの内外ともに、「マルクス・レーニン主義」の理論では「想定外」の事態が進行していた。

アフガニスタンでは、人民民主党の「働くものに土地を!」「額に汗して働くものの社会を!」というスローガンのもとに女性も果敢に社会改革に参加していた。教師のほとんどや公務員の圧倒的多数は女性だった。男は戦場にいたから街には女性の姿があふれ、ブルカ姿は少数でせいぜいスカーフだけで服装も西洋化していた。識字教育も各職場ごとに組織されており、学校も盛んに建設中、農村地帯では井戸を掘り、灌漑をすすめ、トラクターや化学肥料をつかう農業改革が進められていた。ソ連以外の社会主義国も交通システムや電力インフラの構築などに取り組んでいた。アフガニスタンはやっと近代化への道筋をたどりはじめたかのようにみえた。

しかしそれは、内部の抵抗と外部からの武力干渉によってつぶされた。10年に及ぶソ連の武力支援はことごとく裏目にでた。アレクシエーヴィチ氏が聞き取りをした事態が進行していたのである。

 

破壊しか生まない戦争

私が初めてアフガニスタンを訪れた80年夏はまだ革命事業への反対活動はそれほど目立たなかった。わたしたちは「アフガニスタンを知る会」(注10)を組織し、81年から四月革命への連帯の意思を示す「友好訪問団」を毎年春と夏に派遣した。しかし、現地での戦闘が徐々に激しくなり、83年の四月革命5週年を過ぎるころには現地に多人数の訪問団を派遣することが難しくなった。アメリカがムジャヒディーンにスティンガーミサイルを供与し始め、民間航空機の安全も保てなくなった。山合いの狭い盆地にあるカーブル空港に着陸する航空機は水平アプローチができず、高空から熱線追尾ミサイルの目をくらますために炎を発するフレアを撒きつつループを描きながら着陸せざるを得なくなった。

スティンガーが供与されてもソ連は農村部や山岳部での爆撃を止めなかった。それ以外にジハードを闘うムジャヒディーンに打撃を与えるのが困難だったのだ。村全体が土壁で囲われた何千年と変わらぬ農村の生活の有りようでは、誰が革命派で誰が反革命派かを峻別することなどできないのだ。そもそも、それまでのすべての王朝政権ですら、土壁の村落の中に何人が住んでいるのか調べようがなかった。かろうじて男の数をかぞえ、その2倍がその村の人口であろうとあたりをつけて、国の人口を推測するのがやっとだった。住民管理ができないから税金もとれなければ社会保障など夢のまた夢。勢い、村落からの抵抗があればその村ごと焼き払ったり、住民は村ごとパキスタンに逃れたりする。ムジャヒディーンも10ドル爆弾IEDや路肩爆弾や地雷やおもちゃ爆弾を駆使し、水道に毒を混入したりして抵抗する。双方の戦闘員も住民同士でも見境のない殺戮が行われた。最後は人と人とのつぶしあい。社会改革どころではなくなった。社会改革という革命の大義の実践は不可能となり、残る大義はムジャヒディーンのジハード(異教徒との戦争)のみとなった。しかしそれとても人民大衆にとっては「死」しか意味しない。殉教すれば天国に行けるといっても、行っていい暮らしをしているという報せは聞いたこともない。アフガニスタンでの戦争の推移をみていると、そこには一片の正義もなくただあるのは、殺し合いだけと感じざるを得なくなった。それまでの私の信念と異なり「戦争一般」が不正義で悪だとしか思えない現実がそこにはあった。モーゼもイエスもムハンマドもたれた教え「汝殺す勿れ」はどこに行った。トルストイやガンジーなどの「非戦」「非暴力」思想のリアリティーを痛切に感じた。(注11)

ソ連軍が全面撤退した後、人民民主党政権は3年弱奮闘し存続したが、矢つき刀折れ1992年に倒れた。そのあとは、大義も正義もないムジャヒディーン同士の利権争いの戦争でアフガニスタンは10年間のソ連軍進駐時代でも起きなかったほど国土を崩壊させた。カーブルは数万発のミサイルと砲弾で廃墟と化した。そのような破壊しか生まない、無駄で有害な戦争に飽き飽きした国民のえん戦気分に乗じてターリバーンが進出してきたのだった。アフガニスタンの戦争は破壊しかうまなかった。

9・11のあと、アメリカがアフガニスタンに侵攻し、ターリバーンを駆逐してムジャヒディーンの生き残りに政権をつがせ、アフガニスタンの近代化、民主化を果たそうとした。アフガニスタン人民民主党とソ連がやろうとした社会改革の目標とそれはほとんど同じだった。そしてそこで現場の兵士たち、政府側反政府側を問わず末端のアフガニスタンの人びとのあいだに起きたことも同じだった。アメリカの膨大な無駄で無残でしっぺ返しを食らったような悲惨な努力の結果、膨大な人間の無残な死と、生き残って帰還した兵士たちのトラウマ(PTSD)と生活苦。そこには正義のひとかけらもない。アレクシエーヴィチ氏が全存在をかけて書き残した真実の記録を、アメリカは『アフガニスタン・ペーパーズ』(注12)や膨大なルポルタージュとして残している。さらに帰還者支援の社会運動も存続している。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉があるが、ウソだ。一度目も二度目も三度目も戦争は悲劇だ。

結局、ソ連でもアメリカでも欧州でも日本でも、戦争を起こし戦争をつづけ、人民大衆をトタンの苦しみやアエンのカンオケに追い込んだ、庶民の頭上に位置する人びとは、少しも反省していないようにみえる。本来反省すべきはそのような連中なのに、自発的であれ強いられてであれ、反省しているのは、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とつぶやく、本来は犠牲者であるはずの、人民大衆、一般民衆、庶民ではないのだろうか。

【野口壽一】

 

(注1:映画『よみがえれ カレーズ』1989年、土本典昭監督ほかにて日本アフガニスタン合作として制作されたドキュメンタリー作品(https://www.cine.co.jp/detail/0041.html))
(注2:「ターリバーンのいま―アメリカの視点」(https://afghan.caravan.net/2023/01/23/taliban_by_cfr/))
(注3:「イラク帰還兵 苦悩の4年間 | BS世界のドキュメンタリー – NHK」(NHK:http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=080317))
(注4:毎日新聞:(https://mainichi.jp/articles/20210910/k00/00m/030/209000c))
(注5:とはいえ野口は現時点での憲法改訂は改悪にしかならないため、反対である。)
(注6:1979年当時アメリカの安全保障問題担当大統領補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキーは、ソ連を罠にはめてアフガニスタン侵攻をさせた、と明言している。「視点 ~025:ウクライナとアフガニスタン グレートゲームの非情さに苦しむ民衆 」https://afghan.caravan.net/#~025)
(注7:1978年に軍人グループのクーデターによって政権を掌握したPDPA内部にはハルク派とパルチャム派という内部対立があった。その対立に加えて土地改革などの改革のやり方、スピードなどによる意見の違いがあった。指導者も初代議長タラキを暗殺して新議長となったアミンによるより強硬な政策により党内外の反発が強まり、ソ連の介入を呼ぶこととなった。)
(注8:暴力革命規定やプロレタリア独裁理論についてはML陣営内で長く激しい議論があり、ソ連がアフガニスタンに軍事介入したころには西ヨーロッパにはユーロコミュニズムが台頭し日本では日本共産党らが両理論を否定する論陣を張っていた。)
(注9:資本主義の成熟により熟柿が落ちるようにしてプロレタリアを主体とする革命がおこり社会主義にいたる、というマルクスの予想に反して、資本主義が未成熟で農奴制の残るロシアでボルシェヴィキの暴力革命による十月革命が成功した。このとき革命主体がプロレタリアとなりえないためあえて「労農同盟」と表現し、それが中国にも引き継がれた。実際には中国革命は農民を主体とした人民軍による反日農民革命というべきである。)
(注10:「アフガニスタンを知る会」は野口の『新生アフガニスタンへの旅-シルクロードの国の革命』がきっかけとなり、田中稔男・元衆議院議員・社会党国民運動委員長を会長として組織された任意団体。のちに日本アフガニスタン友好協会となった。その間、アフガニスタンへの友好訪問団の派遣、文房具や衣類の寄付、アフガニスタンの情報提供、映画製作協力などを行った。アフガニスタン共和国の崩壊により自然消滅)
(注11:アフガニスタンを含め中東・西アジアにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教がいりまじりさまざまな宗派が存在しせめぎあっている。旧約聖書に出てくる神様は教えに従わない人間は無慈悲に殺害したり絶滅させたりする。宗教の教義からこの地域の現状を理解し説明しようとするのは極めてむつかしくまた危険でもあるが、無視することはもっとできない。そのような状況を踏まえてトルストイやガンジーの思想は生まれてきたといえるのではないか。思想的課題としては興味の尽きないテーマであろう。)
(注12:『アフガニスタン・ペーパーズ』はアメリカ三代の大統領がアフガン戦争に関してアメリカ国民をいかに欺いてきたかを暴露したドキュメンタリー作品。著者はクレイグ・ウィットロック。岩波書店から日本語訳が出版されているが『ウエッブ・アフガン』ではその出版前に英語版より金子編集委員が4カ月にわたって内容紹介をつづけた。その集大成は次で読むことができる。⇒ https://bit.ly/3vmJDTp)

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~052

(2023年1月15日)

 女子教育がなぜターリバーンのアキレス腱なのか 

~昨年12月の女性の権利剥奪命令(注1)の意味するもの~

 

「女子教育はターリバーンのアキレス腱」というのはアフガニスタンの独立系日刊メディアである『ハシュテ・スブ』が昨年12月20日に発表した社説のタイトルです(注2)
同メディアは、この社説で、ターリバーンが抱く教育への恐れを彼らのアキレス腱に変えるために特設ページを設け、国民的キャンペーンを始める、と宣言しました。と同時に、世界に向けてつぎのように呼びかけました。

「メディアへのアクセスがあり、さまざまな国の議会や政策決定機関とコンタクトできる人がこのキャンペーンに参加してくれることを期待します。意見や記事を書き、発言し、アクセス可能な舞台でロビー活動やさまざまな活動をしてくださるようお願いします。」

さらに同メディアは、その呼びかけで、ターリバーンによる女子教育への抑圧、教育全ジャンルでの授業内容の偏向(ターリバーンの世界観の強要)などを取材し世に問うことは、「われわれ知識人、教育関係者、ジャーナリスト、政治家の責務です。ペンをとって人々を啓発し、ターリバーンの重罪の詳細について世界に知らしめましょう。」としています。

われわれ『ウエッブ・アフガン』はこの呼びかけに応え、『ハシュテ・スブ』の「教育問題特設ページ」(注3)に注目し、重要な記事を翻訳して日本に伝えます。
また、同メディア以外の世界のジャーナルやSNSなどにも可能な限り目配りして重要な発言や記事を収集し取材し、翻訳して紹介します(注4)

 

なぜ教育に執着するのか

アフガニスタンにはいま、多くの問題が山積みしています。そもそも、冬の寒さの中で経済崩壊し、都市部では収入が途絶えた家庭が続出し、今日のパンにも事欠き、女性たちは外出禁止をはねのけて大量に街頭に出、パン焼き場や食料品店などで物乞いをしています。昨年11月13日には米国のアフガニスタン復興特別監察官 (SIGAR) が、アフガニスタンの 1,890 万人が潜在的に生命を脅かすレベルの飢餓に直面している、と指摘したほどです(注5)
直近でも、本サイトで紹介したファウジア・クーフィ―氏がブルカを全身にまとった女性の群衆が路上に座り込んでいる写真を自身のTwitterで紹介しています(注6)。

パンを求めて物乞いする女性の集団

教育の充実どころか、アフガニスタンでは生存の危機に直面している膨大な数の国民がいます。ターリバーンの外出規制を守れば夫を失った寡婦家庭は部屋にこもって餓死するしかありません(注7)。『ハシュテ・スブ』は外出ができず職を失い自殺に追い込まれた女性の事件を報じています。農村部では問題がないというわけではありません。アフガニスタンは農業国ですが、依然として最大の換金作物はアヘンの原料であるケシだという事実があります(注8)。経済が破綻していては換金経済(密輸)もままならないでしょう。かといってケシでは腹は膨れません。

そんな中でも、教育は国の骨幹をなす重要な事業ですから、生きるのと同じくらい、いやそれ以上に重要な事業です。
ターリバーンといえども教育はいらない、とは言っていません。以前は大学までの女子教育も認めていました。禁止は一時的で、男女別学の準備が整えば順次女子への教育も復活させる、と約束していたのです。
しかし、昨年12月に女子を大学教育から排除する命令を出し、基本的に女子は日本の小学校にあたる初等教育だけに制限されました。人間が生きていくうえで最低限必要な教育もいつまで続けられるのか保証はありません。

男子に対しては認めているといってもその内容に問題があります。一言でいえば、一昨年まで続けられてきた現代的な教育をターリバーンが求める伝統教育、つまりは神学校(マドラサ)教育に変更させようとする計画が進行中なのです。

教育は次の世代のアフガン人を育てる大事な仕事です。『ハシュテ・スブ』は主張します。「ターリバーンが現代の学校を伝統的な学校に統合し、シャリア(イスラム法)の読み方とイデオロギーに基づいた新しいカリキュラムを作成することに成功した場合、学習は「悪」になる寸前です。このままだと教育が諸刃の剣になってしまう。」 (注9)

 

女子の教育はもっと「危険」

誰にとって危険かというというまでもなくターリバーンにとって、です。国民が自然や社会の出来事を自分の頭で論理的に考えることができるようになり、世界の事情を知ることができるようになれば、ターリバーンの支配の基礎が崩れます。
しかし、ターリバーンといっても一枚岩ではありません。世界の変化から孤立して存在することなどできません。ターリバーンの最強硬派は西洋をはじめとする世界中の異教徒の文化に対して「ジハード」を宣言していますが、ターリバーンの中にも現実を直視する潮流も存在します。ターリバーンの24名をこえる幹部らが自分の娘を海外に留学させている事実がいくつも報道されています(注10)
ターリバーンは昨年3月のナウルーズ(アフガン歴の新年3月21日)以降には中学高校の女子生徒の就学を再開すると告げていました。ところが、突然23日、その決定を撤回しました(注11)。それいらい中高校生の就学は不可能となりついに12月21日、大学への通学も禁止するにいたったのです。同時に直後の25日には国際NGOでの女性職員の活動をも禁止しました。女性の労働に頼っていたNGOの人道援助物資の供給作業がストップすることとなり、女性職員も収入の道が絶たれてしまいました。この前にも女性の公務員が解雇されており、ほとんどの女性労働者が職を失う事態が生じているのです。
ターリバーンがこのような強硬措置をとる背景には、グループ内の内部対立があります。女子教育の推進に賛成するイスラム聖職者(ムッラー)の存在があり、そのグループは3月23日の決定に反対しました。さらには、イスラーム国ホラサン州(ISKP)の確固たる反対者であり、ターリバーン政権のメンバーであったシェイク・ラヒムラ・ハッカーニ氏がカーブルの神学校に対する自爆テロで殺害されるという事件が起きました。彼は女性と女児の教育を支持するターリバーン当局者の1人であり、BBC のインタビューで、女性教育の禁止にはシャリア法の根拠はないと明確に述べていました(注12)

ターリバーンは、諸外国大使館だけでなく現実をみすえている現実派(穏健派)ターリバーンメンバーに対してさえテロ攻撃を行うイスラム極端派であるISやアル=カーイダをも内部に抱えた矛盾の塊なのです。
現代という地球上の誰もが避けて通ることのできない時代に逆行するターリバーンの措置に対して、アフガニスタンでは一昨年8月のターリバーン復権いらい厳しい批判が噴出するようになってきました。

「アフガニスタンでは、20年間の長きに渡り民主主義が芽生えた後、中世に逆戻りし、何百万人もの人々が奴隷状態にされた。」(注13)

「ターリバーンによる市民、特にアフガニスタンの少女や女性に対する人権制限が意味するものは、公然たる差別、ジェンダー・アパルトヘイト、過激主義の拡散」
「ターリバーンの定義によると、女性は性の奴隷(悪魔の縄)」
(注14)

「よく知られているように、ターリバーンの世界観では、女性は完全な人間ではないのです。現ターリバーンの高等教育大臣が言うように、”女性は教育を口実に売春に従事している”のです。これは、ターリバーンの文化的背景そのものを物語っています。彼らの正統派デオバンディ派やハッカーニ・ネットワークでは、家庭の外に出る女性の定義は「淫乱な女、つまり売春婦」です。その結果、女性に対する扱いは現代の奴隷制のような形になってしまっています。ターリバーンの支配下では、女性は死んだように生きなければなりません。」(注15)

このように、アフガニスタン人やとくに女性がターリバーンによって、たんなる差別や抑圧をうけているだけでなく、「奴隷」にされている、あるいはジェンダー・アパルトヘイト(性的隔離制度)や「奴隷制」のもとにおかれている、という表現が多用されるようになってきました(注16)
ジェンダー・アパルトヘイトという言葉はあきらかに南アフリカでの人種差別に基づく人種隔離=アパルトヘイトをベースに、女性を隔離する現在のターリバーンの政策をアナロジーしています。しかし、それらの用語は、歴史学や社会学で用いられるような厳格な定義にもとづくものというより、多分に、ターリバーンの政策や挙動の残忍さ、野蛮さを表現する抗議の意を込めた感情的表現、レトリック、修辞的用法だともいえます。しかし、極端で誤った(と野口が考える)イスラーム思想の理解と、パシュトゥーン族という古代からつづく民族の因習と結びつきアマルガム化した独特の思想基盤をもつターリバーンにとって、実はそうともいえない現実があるのです。

ターリバーンが女性の教育にかたくなに反対し抑圧するのは、教育実施の可否を随意に決定できるような、そんな容易い選択ではないからです。
アフガニスタンのターリバーン批判派の発言に、「奴隷」ないし「奴隷制」という言葉が頻出するようになった背景には、2014年、イスラーム過激派組織ISILがコーランの解釈に基づいて奴隷制度の復活、運用を国際社会にたいして公表し、捕虜とした女性や少女に結婚を強制したり使役したり売買しはじめた事実があります(注17)。驚きをもって受け止められたこの暴挙は国際的な強烈な反発を呼びおこしました。いまだになまなましく記憶されています。コーランは奴隷を所有することの許容性を想定しています。これはムハンマドが啓示を受ける前にすでに確立された慣習として奴隷制が存在していたからだと言われています。コーランは奴隷制を明示的に非難したり奴隷制度を廃止しようとしたりはしていません。だからと言って自分の家族である妻や娘を奴隷にしていいなどと書いてあるはずがありません。
ほとんどの国民がイスラム教徒=モスレムであるアフガニスタンで女性や他民族部族に対する扱いを「奴隷」と表現するほどの現象が生まれてきてしまった根拠のひとつには、ISILおよびアフガンのISであるISKP(ISホーラサーン)がアフガニスタンで勢力を伸ばしてきている現実があるのではないかと思われます。
女性を奴隷のように扱う(注18)のはコーランの教えを曲解した結果に過ぎないのですが、ターリバーンが基礎を置くパシュトゥーン族の因習固陋(パシュトゥーン・ワリ)にも理由がありそうです。
イスラーム独特の宗教的女性観とパシュトゥーン・ワリという土俗的伝統的女性観とが融合して、ターリバーンの一定の層に、独特の女性観とそれにもとづく政策をとらせるようにしているのではないでしょうか。

つまり、ISなどイスラム過激派の思想の影響をうけたパシュトゥーン人(族)たちの中からターリバーンが生まれ、そこにジハードを闘っていた旧ムジャヒディーンなどが合流して現在のターリバーンが形成されています(注19)

ターリバーンの大多数を占めるパシュトゥーン人の起源は古く、10世紀末にイスラームがいまアフガニスタンと呼ばれる地域に到来するはるか以前にすでにそこに存在していたとされています。パシュトゥーン人の社会の特徴は父系(父権、男権)社会です。そして常に紛争の種である金、女(妻と娘)、土地(ザル・ザン・ザミーン)(注20)は父(男)の財産でパシュトゥーンの男は自分たちの財産のひとつとして、金や土地と同じように女性を守り、またその貞節を監督し、家族や一族の名誉を守るため女性を管理するのです。女性を結婚という形態をとって売買する場合があるのも、財産としての価値の交換なのです。パシュトゥーンの女(パシュトゥーナ)も同じ考えで自分自身をそのような尊重されるべき「財」として、ある場合には能動的積極的に男に従属するのです(注21)

 

女性解放はターリバーンの自己否定

したがって、パシュトゥーンやそれをベースに女性により強く服従をもとめるターリバーンに「女性の権利(人権)を守れ」と言っても彼らにはまったく通用しません。なぜなら彼らは、彼らなりのやり方で女性を「尊重し守っている」からです。したがって、男性の支配(隔離)から離れて出歩くような女性は「売春婦」であり「不貞を働いた」ものはむち打ちや石打ちの罰を与えてしかるべきであるし、父や一族の名誉を守るためには父(男)が家長として家族の名誉を汚した女を殺害するのは責務なのです。このような経済社会的な土台をベースとした意識にジハードなどイスラームの思想が継ぎ木され融合されてターリバーンの一部(決してすべてではない)は独特の過激思想を作り出したといえます。

ターリバーンが生存のベースとするシステムは、南アフリカにあったアパルトヘイト(人種隔離)制度に似てはいますが、まるまる同じ人種おなじ種族の男女をアパルトヘイト(隔離差別)するのではなく、一方の性が他の性を抑圧従属させてなりたっている制度で、これまでの人類史において普遍的に存在してきた奴隷制(農奴制や小作制度やさまざまな身分差別社会の制度を含む)とは異なります。しかし、「人間としての権利・自由が認められず、持主の私有物として労働(や生殖)に使用され、人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められていない人のこと」を奴隷というなら、アフガン人が自分たちのことを「奴隷」状態にされていると表現するのも、単なる修辞を超えた表現といって良いのではないでしょうか。

女性に教育を与えると、自らの存在に疑問を持ちかねません。実際に、アフガニスタンが近代と向き合って、部族長たる王らが率先して領域(国家)の近代化を果たそうとしてきたこの100年以上の間に、徐々に、女性の間に「目覚め」が起きてはつぶされ、また起きる、という歴史が絶え間なくつづいてきました。
ターリバーンは思い付きや、他人や他集団に影響されたり強制されたりして、女性の教育の禁止や制限をかけているわけではありません。社会のベースを構成する基本システムの反映として、イデオロギー的表現として、対女性政策を実行しているのです。

だからどんなに時間がかかっても、この社会的イデオロギー的システムを壊さない限り、最低でも崩壊の危機を感じさせるほどの危機感をターリバーンに与えない限り、彼らを屈服させることはできないでしょう。ターリバーンがやろうとしていることは、西洋的近代化に反対して、あやまてる(とイスラム教徒ですら考える)イスラームの理解と西南アジアに今も残るパシュトゥーン族の女性隔離という前近代的思想を対置して自己を守り抜こうとする姿勢です。西洋的近代を乗り越えて現代に到達するためには、そしてまた他者の強制を嫌ってそれを行おうとするのであれば、自ら自らの前近代性をかなぐり捨てるか換骨脱退して自己変革するかしかないのではないでしょうか(注22)

先ほど、ターリバーン内部にはいろんな潮流や傾向があると言いました。同じように、ターリバーンとは比べ物にならない悠久の歴史を経てきたパシュトゥーン人にはそれ以上にさまざまな人間がいます。英米支配下で西洋人もうらやむような自由で豊かな世俗化した暮らしをしていた富裕層もいました。腐敗した政権などとつるむそのような層がターリバーンの批判の的になったわけです。都市部では世俗化したイスラム国家と変わらない民主的な暮らしを経験しそのもとで育った成人男女がいます。国外にはおおくの難民や・移住したパシュトゥーン人がいますし、アメリカ国籍をもちアメリカ政財界でいいポジションを得ているパシュトゥーン人もいます。パキスタン国民(約2.3億人)の15%、軍人の20%はパシュトゥーン人です。パキスタンのイムラム・カーン前首相もパシュトゥーン人です。彼らは近代化された現代社会で生活しており、本国に対して物心両面の影響を与えています。

スマホを操りSNSで外界との接触を日常化させているターリバーンはそのような外からの影響にさらされています。これからは彼ら自身が前近代にもどろうとする政策の矛盾にさらされるようになるのです。
ターリバーン自身にも自由にできず自縄自縛に陥いるであろうこのシステムをうち壊すための戦いの戦術は柔軟かつ非妥協的で断固たるものであるべきです。とにかく表面にあらわれてくる、さまざまな抑圧的措置や弾圧に屈することなく、何年、何十年かかろうとも粘り強く闘い続けることが必要です。
幸い、アフガニスタンの人々は女性を先頭に果敢な戦いを展開しています。
英米の占領下であったとはいえ、直近の20年の民主主義の経験があります。
私たちは南アフリカの人々やアメリカの人々が黒人だけでなくいろんな色の人々と共同で戦ってき(今も)、自分たちの権利を取り戻してきた(今も戦っている)歴史に学ぶことができます。『ハシュテ・スブ』の呼び掛けにこたえるのは、人類の進歩を信じるわれわれの責務ではないでしょうか。

ターリバーンの目をかいくぐって秘密の学校で自学自習する少女たち

<東京新聞>アフガニスタン「秘密の学校」ターリバーンの脅迫にも屈しない…抑圧される女性を教育で支援する現場の苦闘
https://www.tokyo-np.co.jp/article/205876 より
(ターリバーンの弾圧が一段とステップアップする2か月前の記事なので現状の厳しさが描かれていませんが教育にかける人々の熱意が感じられる貴重な記事です。

 

【野口壽一】

(注1)
2022年12月21日ターリバーンは女性の大学への通学を禁止、つづく25日にはNGOでの女性の勤務を禁止した。「トピックス」欄参照。また、BBCも次のような関連記事を報じている。)
https://www.bbc.com/news/world-asia-64045497
https://www.bbc.com/news/world-asia-64086682

(注2)
「女子教育はターリバーンのアキレス腱」
https://afghan.caravan.net/2022/12/21/talibans-fear-of-education/

(注3)
第1特集<Special Edition Resistance for Education>タイトルのみ(google翻訳)
・女子教育停止命令に対する私の反乱
・崩壊した大学の天井
・イスラム教、女性、ターリバーンという悪夢
・黒と白:アスラはターリバーンの支配下で台無しにされた彼女の希望について書いています
・OIC、大学教育で女性を禁止するため、ターリバーンに対する世界的なイスラム キャンペーンを呼びかける
・アフガニスタンのNGOの女性従業員の禁止は世界的な反応を引き出す
・閉ざされた希望と壊れた心
・女子教育、ターリバーン人質の人権
・アフガニスタンの一部の女性教師が生徒に秘密裏に教える
・ターリバーンは女子教育を1年間遅らせるべきではない

第2特集<Education Curriculum Under the Taliban Rule>
・閉ざされた希望と壊れた心(第1特集と同じ)
・ターリバーンのアフガニスタン、女性の教育を禁止する唯一の国
・ターリバーンは非難の中で女性の大学教育を完全に禁止する
・情報収集だけが教育の目的ではない
・元NSA:ターリバーンは社会を枯渇させ、カリキュラムの改訂で自殺学校にします
・学校のカリキュラムとアフガニスタンの暗い未来
・排他的: ターリバーンが暴力と偏見を広めるために教育カリキュラムを変更
・ターリバーンは女子の 12 年生の試験を実施することで金と信用を得る傾向がある
・Kankur 1401 成果、課題、成果の甘さ
・宗教学校、ターリバーンが学校を過激主義推進の中心地に変える

(注4)
「視点:051「カナリアが死んでいる!~先触れたちの悲鳴に応えよう~」のなかで、『ハシュテ・スブ』の国際キャンペーンに賛同する『ウエッブ・アフガン』のメールに対して、『ハシュテ・スブ』からの返答があったことが報じられている。

(注5)
「トピックス」欄 「<11月13日> ● 米国のアフガニスタン復興特別監察官 (SIGAR) は、アフガニスタンの 1,890 万人が潜在的に生命を脅かすレベルの飢餓に直面している、と指摘」⇒ https://8am.media/eng/?s=SIGAR 参照

(注6)
https://twitter.com/Fawziakoofi77

(注7)
同じく女子単独の外出や就労を禁じた第1次ターリバーン時代(1996年~2001年)の女性だけの家族の悲劇を描いた『アフガン零年』(2003年)は悲しくも名作だった。いまでもDVDで観られる。

(注8)
「トピックス」欄 「11月1日 <AFP〇BB News> アフガンのケシ栽培、大幅拡大 国連報告書」

(注9)
「宗教学校、ターリバーンが学校を過激主義推進の中心地に変える」
https://8am.media/eng/religious-schools-taliban-turns-schools-into-centers-for-extremism-promotion/
「宗教学校、ターリバーンが学校を過激主義推進の中心地に変える」
「ターリバーンは、カリキュラムを変更することで、この機関をテロリズムと過激主義の温床に変えます。学校は、学生に読み書きや広い視野を持って教育するのではなく、隣国のデオバンディ学校にリンクされます。イデオロギー教育には、最近帰国したパキスタンのムッラーとその戦闘員を学校や大学で指導するために雇うことも含まれます。これらのムッラーの大半はパシュトー語とペルシャ語の読み書きができませんが、ターリバーンとの提携のために雇われました。彼らは、この国の将来の学者、科学者、専門家ではなく、過激派を教育していることを知っています。」
「ターリバーンが現代の学校を伝統的な学校に統合し、シャリアの読み方とイデオロギーに基づいた新しいカリキュラムを作成することに成功した場合、学習は「悪」になる寸前です。このままだと教育が諸刃の剣になってしまう。」

(注10)
「taliban daughter leader」などの検索語でgoogle検索するといくつもの記事がヒットする。その中のひとつがこれhttps://theprint.in/world/school-ban-for-afghan-girls-but-taliban-leaders-daughters-play-football-study-medicine-abroad/913150/。

(注11)
「トピックス欄、23年3月23日 アフガン暦新年を迎えるも、ターリバーンが女子教育再開を撤回」参照

(注12)
「トピックス欄、2022年8月11日 カーブルでターリバーンの著名聖職者、自爆攻撃により死亡」参照

(注13)
2023年1月4日「民主的世界観が民主主義へと導く」、以下『ウエッブ・アフガン』より)
https://afghan.caravan.net/2023/01/12/democratic-worldview-leads-to-democracy/

(注14)
2023年1月1日「亡命アフガニスタン政治家評議会:国際社会はアフガニスタンの新政府樹立のための土壌を提供する必要がある」)
https://afghan.caravan.net/2023/01/12/exiled_afghanistan_politicians_council/

(注15)
2023年1月1日「アフガニスタンは今や真の全体主義軍事国家」

アフガニスタンは今や真の全体主義軍事国家

(注16)
引用元は英文なので、奴隷=slave、ジェンダー・アパルトヘイト=gender apartheid、奴隷制=slaveryとなっている。「性の奴隷(悪魔の縄)」の英文は「sexual slave (the devil’s rope) 」であったが、これの意味は「男を性的欲望に囲い込み閉じ込める悪魔の縄=鉄条網」という意味であり、女性が「奴隷」であるという意味ではないが、ターリバーンの他の言説では女性を「sin」と表現する場合もあり、ユダヤ・キリスト教と存立基盤を同じくするイスラーム思想を基礎に据えるターリバーンの思想の根源に、男(アダム)を堕落に導いた女(イブ)という観念が存在するのではないか。コーランも旧約聖書の内容を引き継いでいる。

(注17)
Islamic State Says Slavery is Established Part of Islamic Law.The Islamic State’s (ISIS, ISIL) Magazine Wed, September 10, 2014 (google))

(注18)
「トピックス欄、●2022年9月3日 <日テレNEWS→YAHOO JAPAN>
これが最後の言葉かも」ターリバーン高官との“強制結婚”に“性暴力” アフガン女子大生の告発に波紋広がる」

(注19)
アハメド・ファシッド『ターリバーン』(2000年 講談社)

(注20)
J.スペイン『シルクロードの謎の民-パターン民族誌-』(1980年 刀水書房)

(注21)
松井健『西南アジアの砂漠文化 生業のエートスから争乱の現在へ』(2011年 人文書院)
パシュトゥーンの男の財産は「金銭、妻や娘といった女性親族、土地」(614ページ)。松井は、女性を男の私有財産とするシステムはパシュトゥーン人特有のものではなく、西南アジア全体に存在する制度である、として今日でも見られるインドの寡婦の後追い焼身自殺サティの例を引きながら「広く西南アジアを見れば寡婦のように「交換価値」を失った女性を殺害することはそれほど珍しいことではない」(559ページ)と経済社会システムの観点から女性の存在様式の一面を考察している。

(注22)
松井健は、30年以上をかけてパシュトゥーン社会とバルーチ族社会を実地調査し『西南アジアの砂漠文化』の大著を書き上げている。そして同書の第16章「アフガニスタンという『不幸』について――近代、『前』近代、『反』近代の布置」においてアフガニスタンが置かれている苦悶のよって来る根源を分析している。この章は本書の白眉とも言うべき章であり、アフガン諸民族とパシュトゥーン人がともに苦しんでいる現実を照射しているといえる。あるアフガン専門家が私に「女性の解放はターリバーンにとって自己否定だ」と語ったことがある。私はそのときアブドゥル・ムータット氏(アフガニスタン民主共和国元副大統領)の著書(『わが政府 かく崩壊せり』Barmakids Press, 2018)を翻訳する過程で、同氏から「アフガニスタン問題とはつまるところパシュトゥーン問題なのだ」という結論を聞き、深く納得した。わたしもアフガニスタンに住む様々な民族部族宗教の人々が現在のアフガニスタンという領域で生きていくうえでの「不幸」に同情する。この「不幸」を共に背負い、ともに「幸」に転換していく道はどこにあるのか、その道を誰とどう歩けばよいのか、命ある限り彼らとともに歩いていきたい。

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~051

(2022年12月28日)

 カナリアが死んでいる! 

~先触れたちの悲鳴に応えよう~

 

むかし、炭鉱夫はカナリアを入れた鳥かごを掲げて地下坑道を進んだ。
危険に敏感なカナリアが酸素の欠乏や有毒ガスの存在を生命がけで知らせてくれた。
いま、アフガニスタンの女性は人類のカナリアだ。もちろん、ウクライナの女性や子供や老人もそうだし、世界のいたるところでカナリアたちが泣き、叫んでいる。
カナリアをこのまま死なせつづけてヒトは生けていけるのだろうか。

今号のトピックスにあいつぐ象徴的なふたつの事件が報じられている。ひとつは、ターリバーンが女性の大学通学を禁止し、それから一週間も経ずしてNGOでの女性の勤務・活動を禁止する命令を発した事件である。

 ・ターリバーン、アフガニスタン女性の大学通学を禁止、泣く女性
 ・非難の中、ターリバーンが女性の大学への入構を禁止
 ・アフガニスタンで国際NGO、活動を停止 タリバンの女性職員禁止令で
ここをクリックして記事を読む

アフガニスタンの独立系メディアである「ハシュテ・スブ・デイリー」(日刊『午前8時』)は、女性の教育や就労を禁じる、ターリバーンの非人道的な措置によって通学を禁止された女子学生の悲痛な叫びを掲載した。「閉ざされた希望、傷ついた心」。その中の一節が心に突き刺さる。「目が覚めたとき、学校に遅れる、と思った。でも、学校は閉まっている悲しい現実に気づいた。」(アフガン女学生ラヒラの言葉)

さらに同メディアは、立て続けに発せられる弾圧に対して、「女子教育はターリバーンのアキレス腱」と題する社説を発表し、抗議の意思を表明した。

そしてこの社説につづき、女子教育の廃止に抗議しそれを止めさせるための特設ページを設けて闘うこと、さらには世界に向けてこの戦いに参加し、共同してほしいと呼び掛けた。

国際的な「団結とチームワークは、ターリバーンが抱く教育への恐れを彼らのアキレス腱に変えるための抜本的なツールとなり得えます。 」「メディアへのアクセスがあり、さまざまな国の議会や政策決定機関とコンタクトできる人がこのキャンペーンに参加してくれることを期待します。意見や記事を書き、発言し、アクセス可能な舞台でロビー活動やさまざまな活動をしてくださるようお願いします。

われわれ『ウエッブ・アフガン』編集部は、このアピールを翻訳掲載するとともに、そのページのURLを添えて『ハシュテ・スブ』に「キャンペーンに賛同し共同する」と野口名でメールを送信しました。翌日、『ハシュテ・スブ』編集長のモハンマド・モヘク(Mohammad Moheq)さんから次の返信が届きました。

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3:55 22/Dec/2022
Dear Juichi Noguchi,
Thanks for contacting us. We appreciate your sympathy with our people in this dark and tough times. Hopefully we can help, together, our girls to gain their rights, or Or at least let’s make their voices known to the world.
Best regards,
Moheq
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12月22日(木) 3:55
親愛なる野口壽一殿
ご連絡ありがとうございます。暗黒と苦難のこのとき、われわれに対する賛同の表明に感謝申し上げます。われわれはわが国の少女らの権利獲得のために協働できます。少なくとも彼女らの声を世界に届けることができます。
今後ともよろしくお願いします。
モヘク
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いま、『ハシュテ・スブ』は彼らが宣言したふたつの特設コーナーをサイト上に設置しました。

特設サイト 教育を獲得するための闘い(英文)


タリバン支配下の教育課程(英文)

 

アフガニスタン女性たちの切実な声、決然たる叫び、勇敢な行動、ニュースや論説が毎日掲載されます。
わが『ウエッブ・アフガン』は10日に一度のニュース発行を主な活動にしていますが、ウエッブ・サイトのほうはスペースや発行回数などの制約はありません。『ハシュテ・スブ』に掲載される「アフガンの声」をできればすべて翻訳し、日本に伝えたいのですが手が足りません。『ハシュテ・スブ』は「意見や記事を書き、発言し、アクセス可能な舞台でロビー活動やさまざまな活動をしてほしい」と具体的に要請しています。われわれ編集部は最大限の努力をもって彼らの要請に応えたいと決意しています。しかし圧倒的にリソースが不足しています。読者の皆様のできる範囲でのご協力を切にお願いする次第です。

『ウエッブ・アフガン』編集部一同

野口壽一

 

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~050

(2022年12月15日)

 あらたな国際テロ蠢動の予感 

~周辺領域へのテロリズムの拡散~

 

12月12日 カーブルの商業地区シャーレナウにあるゲストハウスの近くで致命的な爆発、銃声が起きた。前号の「世界の声」で紹介した「アフガニスタンをめぐるヘラート安全保障対話」が開催されて10日ほどが過ぎた後のことだ。

 

ターリバーンはイスラームの大義を裏切った?

この事件は、カーブルの中国大使館と外交官の安全に特別な注意を払うよう中国大使がターリバーンに要請した翌日に発生したもので、このホテルは多くの中国人が利用している。

報告によると3時間の銃撃戦の後ターリバーンは、「攻撃は封じ込められ攻撃者3人が死亡した、民間人の死傷者はいない」と発表した。だが、負傷者らが緊急病院に運ばれ、事件の様子が少しずつ分かってきた。12日現在、少なくとも3人が死亡、18人が負傷した。多数の無実の民間人が負傷している。ISKP(アフガニスタンやイランの古名ホラサン州を名乗るイスラム国の一派)が実行犯と称する2人の写真を添えた犯行声明を発している。(トピックス欄参照)

この事件(12日)の前には、在カーブルのパキスタン(3日)とロシア(9月5日)の両大使館が攻撃されている。パキスタン大使館が襲撃された日にはムジャヒディーンで元アフガニスタン首相のヘクマティヤール=ヒズベ・イスラミ代表がカーブルの事務所で襲撃された。ヘクマティアール代表は無事だったが護衛ほかに死傷者が出ている。アフマド・シャー・マスード司令官が暗殺された9.11事件の直前にアル=カーイダが暗躍していたときのような不気味さを覚える。今回の一連のテロ攻撃の犯行を主張しているのはイスラム国(IS)の流れをくむイスラム国ホラサン州(ISKP)だ。ISKPは今年初めから中央アジア諸国へのロケット攻撃を何度も行っている。「テロ活動の活発化、中央アジアはアフガニスタンとの国境線にセキュリティーベルトを構築」参照。

この点に関して、アフガニスタンのラーマトゥラー・ナビル元諜報機関長は、中央アジアに拠点を置くテロリストグループは、ターリバーンが彼らの共通の大義を裏切ったと考えていることを示唆していると述べている。

 

イスラーム極端主義と頑迷固陋な部族の因習にますます凝り固まるターリバーン

昨年8月のカーブル乗っ取り以来、ターリバーンは徐々に本性を現し、ターリバーン1.0を反省するどころかそのとき以上にイスラーム極端主義に凝り固まり、パシュトーゥーン・ワリ(パシュトゥーン族の部族の掟)の頑迷固陋な因習に固執して女子教育の抑圧や人権無視の行動を強めている。他宗派、他部族、他民族への民族浄化的攻撃を強化し、狭い部族的利益を極大化させようとしている。
一方、ターリバーンと行動を共にしてきたテロリストグループは、テロ活動を活発化させてきた。このような動向に警告を発するべく、本サイトでは、上記の「テロ活動の活発化、中央アジアはアフガニスタンとの国境線にセキュリティーベルトを構築」など多くの警告の声を「アフガンの声」として掲載してきた。

今回、中国大使の警告を無視して多くの中国人が利用するホテルが狙われた事実は、中国がターゲットにされていることを示すものである。。中国のなにがターゲットとされたのか。中国はいち早くターリバーンとの関係を樹立し、今年4月には世界有数の銅の含有率を誇るアイナク銅鉱山の開発について正式合意に達したと発表した。中国はパキスタンとも一帯一路政策に基づく港湾建設やインフラ投資を行っているが、バルーチ族やパキスタン・ターリバーンの反対に直面している。中国がアフガニスタン周辺領域で資源あさりをしているとみなされている可能性がある。

 

アメリカはターリバーンにテコ入れするが・・・

アメリカはアフガニスタンからの撤退前はテロリストとして国際手配していたターリバーンメンバーを、ターリバーンの政権奪取を容認してドーハ合意を締結してからはターリバーン内のテロリストは「いいテロリスト」それ以外のアル=カーイダやIS(イスラム国)、ISKPなどは「悪いテロリスト」といわんばかりのダブルスタンダード政策を弄している。

本サイトでは「視点~48」「アフガン国際会議主宰国 ロシアの苦悩と弱体化」の「アメリカの下請け化するターリバーン」で大略、以下のように書いた。

ターリバーンのアメリカへの傾倒にはただならぬものがある。
飢えに苦しむアフガン国民の、寒さに凍える生活苦や飢餓状態が報じられている。国連など国際組織や各国の人道支援は、実はかなりの規模で提供されており、ここにきて救援物資のみならずアフガニスタン国立銀行の口座には毎週何千万ドルもの現金が振り込まれるようになっている。この現金の流れをターリバーンが管理しており、その資金の流れの不透明性がアフガン国内では問題になっている。『ウエッブ・アフガン』ではそのような実態を「アフガンの声」や「トピックス」コーナーで伝えてきた。

一例をあげると、アメリカが差し押さえていたアフガニスタン銀行の外貨預金70億ドルの半額の凍結を解除するとしてアフガン国立銀行へ入金が始っている。また国際機関からの人道援助資金も送られてくる。
12月6日には日本大使館は人道支援として1億670万ドルの追加支援を決定したとツイートした。21年8月以降のアフガニスタンへの日本の累積援助額は3億3500万ドルに達するという。日本の岡田大使はターリバーンの自爆大隊責任者である最強硬派首魁シラージュッディン・ハッカーニらと10月24日にカーブルで会見している。

ターリバーンをめぐるこのような状況の変化は、アメリカとターリバーンの間の関係の変化に基づいている。一言でいえば、ターリバーンはいまやアメリカとCIAの下請け機関となっているのだ。そのことを、『ウエッブ・アフガン』掲載の「タリバンとCIAの協力」が見事に描き出している。
つまり、ドーハ合意の主軸は「ターリバーンが米国の利益を保証するかぎり、アフガニスタン政府に取って代わり米国の援助を受ける」であり、副軸は「国民を統合する包摂的な政府を形成する」というものだ。しかし、アメリカは、ターリバーンが主軸さえ守れば、副軸は口先だけだけで許す、という姿勢をとった。ターリバーンとアメリカはターリバーンのアフガニスタン乗っ取り以降もドーハで協議を続けている。最近の考証でもターリバーンはこの1年間に及ぶ活動報告書をCIAに提出しているという。アフガニスタン国内に潜伏するアル=カーイダ指導者の居場所を知らせたり、アメリカのドローンによるアフガン領内の偵察を黙認したりしている。アメリカに逮捕され拘留されていたターリバーン創設時のパトロンをアメリカは釈放しターリバーンに返還さえしている。つまり、アメリカに歯向かうテロリストの管理をターリバーンは請け負っており、それへの見返りとしてアメリカはターリバーンに資金援助をしているのだ。
昨年8月のターリバーン復権以降、ISKPはハザラ族やヒンズーやシーク教徒などへのテロ攻撃、中央アジア諸国への攻撃、ロシア・パキスタン大使館への攻撃、そして今回の中国系ゲストハウスへの攻撃などは行っているが、アメリカ関係の施設や組織への攻撃は行っていない。暗黙の同意をうかがわせる何かがある。
ターリバーンを対テロ監視傭兵として下請け化して利用しようとするアメリカの政策は、これまでつねに獅子身中の虫を育ててきたように極めて危険である。

 

暴力の行使による恐怖支配は長続きしない

今回のゲストハウス攻撃にからんで、国民抵抗戦線(NRF)の報道官は、ISKPとターリバーンをあえて区別せず、むしろ、ターリバーンこそが地元住民や外国人、学校、大学、その他の施設に対する致命的なテロ攻撃を組織してきたのであって、ターリバーン軍内に正式な「自爆大隊」を組織している事実を指摘している。つまり、ターリバーンは2022年1月、公式軍に自爆攻撃を任務とする特攻部隊を設置すると発表しその部隊を軍事パレードにさえ登場させた。「ターリバーンは、自爆テロ部隊を指揮下に置きながら、地域と世界を脅かす過激主義とテロリズムを確実に実行するだろう」と同報道官は強調している。

前号「恐怖を広めるほか統治策なきターリバーン」は結語としてつぎのように述べている。

ターリバーンに自らの行動を変えよと励まし助言する人々もいるし、彼らの宗教的理想主義に異を唱える人々もいる。彼らに外交的圧力をかける者もいれば、彼らを変える一縷の望みを財政的な援助に託す者もいる。しかしこうした策はどれも、これまでうまく行っていない。ターリバーンは脅してもすかしても無駄。時間はかかるだろうが、人々が自らの手でこの蛮行を止めさせたときに初めて、未来は違ったものとなる。

ターリバーン以外にアフガニスタンを実効支配できる集団はないとする見方があるが、ターリバーンはいまだに全土を完全支配しているわけではない。国民抵抗戦線をはじめ武装抵抗する動きは確実に存在しているし広がっている。ターリバーンやISKPなどの暴力支配が強まれば強まるほど人々の抵抗もそれに対応して強固なものとなっていく。
ヘラート安全保障対話の動きもある。
アフガニスタンの人々の抵抗がいずれの方向に向いていくのか、注目して見守りたい。

野口壽一

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~049

(2022年12月5日)

 戦争準備の前にやるべきことはないのか 

~「台湾有事」をめぐり消失する日本の政治~

 

政界もメディアも台湾有事だ、敵基地攻撃だと騒いでいる。特にテレビは毎日のように軍事専門家や防衛族議員や評論家らを出演させ、ああだこうだとやっている。

ウクライナでのロシアのやり方はあまりにも非人道的だ。戦場での不利をミサイルによるインフラ破壊で挽回しようとする攻撃で市民生活が破壊され、凍てつく冬に苦しむウクライナ国民の映像が戦争の悲惨さを際立たせている。一方で、ミサイルの威力を見せつけられた日本では、ミサイルが発射される前に発射基地をたたく「敵基地攻撃能力を持つべきだ」との主張が高まっている。防衛族議員だけでなく自民党・公明党はそれを正式に容認し野党の多くも追随するようである。

中国がロシアを宥めたり叱責したりせず漁夫の利をえ、3期目突入の習近平が台湾武力統一を放棄せずと明言したりしているので、なんだか切実感が極まるように思える。何をどう強化するのか、そのための予算がいくら必要になるのかの検討などするまでもないとばかりアメリカの要望通りGDPの2%、10兆円をどう達成するかと軍資金総額の調達方法ばかりが議論されている。

しかしちょっと待てよ、といいたい。戦争が目前に迫り、どうあがいても避けられないのが現実なのだろうか? 自衛戦に備えなければならないとしても、それほど切迫した事態なのだろうか。そうではあるまい。

 

戦争する前にやるべきこと

政治家やマスコミはあくまでも「予防的措置」を検討しているのであり、それが戦争を抑止する最善の、そうでなくても現状では必須の方法だ、と主張するだろう。それを是とするならば、検討すべき事項は多々あろうが最低限、次の2点がクリアされるべきだ。

(1)敵基地攻撃能力の獲得など「防衛力の強化」で果たして戦争を抑止できるのか。
(2)戦争は政治の延長である。外交が失敗した後のやむなき方策である。失敗したといえるほどの努力をしたのか。

戦争をする前にやるべきことがある。民間は戦争醸成の雰囲気を払しょくする民間外交である友好善隣活動をすべきだし、政治家は戦争ではなく外交で国家間紛争を解決すべく奮闘せねばならない。

仮に中国との戦争となりミサイル攻撃をされる危険が迫った時、(核攻撃はないと仮定して)何百発、何千発も発射してくる基地を特定したり、ましては発射直前の情報を探知できるのだろうか。北朝鮮がアメリカの気を引くためにやっとこさっとこ発射するICBM級の超大型ロケットの、発射予知どころか発射された後の弾道すら追跡しえず、かつ日本上空を通過したかどうかさえ把握できず、避難警報すら間に合わない(しかも誤報までしてしまう)のが現実である。ミサイル発射を事前に発射地点において阻止するなどが不可能なのは子供でも分かることだし、実際にはその行為は国際法が禁止する先制攻撃にほかならない。中国が事前に日本の基地を自国防衛のためにミサイルで破壊すると主張した時、その主張をどんな論理でくじくのか。考えうるのは、相互の軍事エスカレーションだけだ。

 

戦争回避の努力とは?

戦争は遠隔からミサイルを打ち合うだけではない。経済制裁はもっと大きな威力を発する。制裁についてもこちら側から相手側への制裁だけが論じられる傾向があるが、では、中国が日本に経済制裁をかけたらどうなるのか。中国に進出している日本企業や資本は没収され、中国からの輸入は途絶え、日本への海上輸送路も妨害され、滞る。つまり、制裁はつい最近まで貧乏に耐えてきた中国にとっては「苦」だろうが、日本にとっては確実に「死」なのである。

このような意見は本サイトだけの孤立した見解ではなく大方の国民の率直な気持ちだと信じる。ネットには有事を煽る意見だけでなく、それを憂う意見も溢れている。

そんな中、本サイトには読者の方から現状を憂う意見が多数寄せられている。そのなかのひとつに次の提言があった。「まさしく同感!」と膝を打った。少し長いけれどもお読みになることをおすすめする。

【政策提言】戦争を回避せよ
https://www.nd-initiative.org/research/11342/
外交に声をとどける新外交イニシアティブ(ND)

この提言で特に聞くべき点は台湾有事を起こさせないために日本ができる、あるいはすべき「外交努力」の内容と方向性が一例として提起されている点である。当事者である中国とアメリカと台湾に日本がどう働きかけるべきか、提言は次のように述べる。

――米国に対しては、過度の対立姿勢をいさめるべく、米軍の日本からの直接出撃が事前協議の対象であることを梃子として、台湾有事には必ずしも「YES」ではないことを伝えることができる。台湾に対しては、民間レベルの交流を維持しながら、過度な分離独立の姿勢をとらないよう説得することができる。中国に対しては、台湾への安易な武力行使に対しては国際的な反発が中国を窮地に追い込むことを諭し、(日本は)軍事面では米国を支援せざるを得ない立場にあることを伝えながら、他方で台湾の一方的な独立の動きは支持しないことを明確に示すことで、自制を求めることができる。これらは、日本の率直な立場の表明であり、それなりの信憑性をもって受け止められるだろう。その立場は、韓国や東南アジア諸国連合(ASEAN)を含む多くの東アジア諸国の立場と共通している。日本は、これらの諸国と連携して、戦争を避けなければならないという国際世論を強固にすることができる。

これこそが「外交」の一例といえるだろう。実際にはこのような内容と方向性で政策担当者は知恵を絞るべきである。台湾有事が「国難」であるというのならば、与野党の政治家がこぞって、これまで税金や他人の金で生活し活動させてもらってきたことを自覚し、いまこそ国民にお返しすべく、自分が培ってきた米中台、さらにはロシア、韓国、北朝鮮、アセアン諸国でのネットワークを生かし(なければこれまでが職務怠慢)、戦争が起きない(本来は「起こさない」)ために奔走するのが天命なのではないのか。

 

友好は「人の道」、領土争いは「獣道」

前述の「提言」では触れていないが、日本政府や議員の先生方が「外交」を政治としてやりたいと思うのであれば、日本と中国とのあいだで懸案になっている「尖閣諸島問題」、ロシアとの間の「北方4島問題」についての定見を持っていなければならない。その際、「尖閣諸島問題」では「解決は将来世代にまかせよう」との中国側の棚上げ提案をけって強引に日本領としようとして問題をこじらせたのは日本(かつての東京都知事や民主党政権)であることを自覚すべきだ。さらにロシアとの間では戦後の二国間交渉の経過を率直に再検討して妥協点を探りだす努力をすべきだ。「北方領土」問題を第2次世界大戦終結時にまでさかのぼり国境線を引きなおそうとする案に固執する限りロシアとの「外交」は成り立たない。もう一度戦争をして勝つ以外に自分の好む主張を相手に飲ませる可能性はないだろう。韓国とは放っておくのが一番いい。あれは俺のものだと一方的に議決したところで一片の利もない。友好は「人の道」、領土争いは「獣道」と胸に刻むべきである。

一般民衆にとって戦争は本来反対すべきもので、反対運動をしてもかなわずに「起きてしまう」ことがある。したがって、天変地異と同じく対処すべき対象ともいえる。いなむしろ、歴史的には、イデオロギー的にあおられた民衆が政治家の尻をひっぱたいて戦争に向かわせる、という事例のほうが多かったのかもしれない。だからこそ戦争をさせないための民衆どうしの善隣友好運動が大切なのだと思う。
一方、政治家にとって戦争は「政治の敗北の後始末」にほかならない。だから「政治の戦い」もせずして「軍事」や「軍備」の話にうつつを抜かすのは職務放棄だと言わざるをえない。われわれから見れば税金返せ、の話なのである。

 

野口壽一

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~048

(2022年11月25日)

 アフガン国際会議主宰国 ロシアの苦悩と弱体化 

~アフガン代表をひとりも呼べないアフガニスタン会議~

 

討議のテーマはもっともだが

2022年11月16日、ロシアは、第4回「アフガニスタンに関するモスクワ会合」を主宰した。
しかし今回そこにはターリバーンはおろかアフガン代表は誰も参加していなかった。もちろん米国も参加していない。
会議を主宰するロシアの苦悩と弱体化が見て取れる。

ロシアを含む会議参加国は、中国、パキスタン、イラン、インド、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの10カ国で、カタール、UAE、サウジアラビア、トルコがオブザーバーとして参加した。

会議の共同声明によると検討項目は、
・アフガニスタン周辺諸国の安全
・テロ・麻薬密売の取り締まり
・アフガン国民を統合する包摂的な政府の形成
・女性をはじめとする国民の人権の尊重
・女性と少女への教育の実施
などである。さらに、
・米国とNATOの駐留期間中にアフガン国民が被った損害の補償
が加えられているのがモスクワで開かれる会議ならでは、といえる。
・このモスクワ形式の協議の継続、国連の後援によるアフガニスタンに関する国際交渉グループの設立
なども討議されている。

ロシアは、アメリカとNATOがつくった共和国政府とターリバーンの間を取り持つモスクワ方式の会議をアメリカが撤退を表明した2014年以降、2016年から試みてきた。ターリバーンがアフガニスタンを実効支配したあとの2021年10月20日にも第3回の「アフガニスタンに関するモスクワ会合」を開催しており、ここにはターリバーンを参加させ、正式な政府としての承認ではないが、事実上の権力を担っている「新しい現実を認識する必要性」を確認している。この会議を主宰したロシアのラブロフ外相は「いまやターリバーンには新しい行政機構としての重い責任が任せられており、公共ガバナンスの円滑な運用を担保しながら軍事・政治状況を安定させようとするターリバーンの努力をロシアは多とする」と演説した(中東かわら版Mo.72 https://www.meij.or.jp/kawara/2021_072.html)。

 

ロシアの思惑外れと力量の低下

しかし今回、アフガニスタンを20年間占領していたアメリカやNATO諸国が参加していないのはありうることとしても、当事者であるアフガニスタンが参加せずに開かれる会議は異様としか言いようがない。当事者も要求相手もいない会議で、ロシアの思惑外れと力量の低下が見て取れる。

この会議の模様をアフガニスタンの独立系メディア「ハシュテ・スブ・デイリー」は次のように伝えている。

―― ロシア大統領府アフガニスタン特別代表のザミール・カブロフは、ターリバーン代表をモスクワ会議に招待しない理由として、同グループが国民各層を統合する包摂的な政治的民族的政府を形成するという約束を果たしていないからと述べた。
さらにカブロフは「この理由から会議方式の枠内で共通のアプローチをとるために、この会議には関係地域の10カ国だけを招待することにした」と述べた。
これに先立ち、ロシア外相は、ターリバーンを招聘しない理由として、人権分野の義務を果たしていないことも理由に挙げていた。
一方、ザミル・カブロフは今回の会合で、モスクワは特にアフガニスタン北部におけるISISの影響力を心配していると述べた。
モスクワのターリバーン代表不招請の決定に対して、ターリバーン外務省は不満を表明し、ターリバーン代表が参加しなければ、この会議は「不完全」であり、アフガン代表を招請しないことは「交流にマイナスの影響を与える可能性がある」と述べた。
一方、インドのメディアは、アフガニスタンに共通の懸念を持つロシア、インド、イランが、モスクワ会議と併行してアフガニスタンに関する三者会談を開催したと報じている。(「トピックス」コーナー2022年11月16日「ロシア、ターリバーン代表をモスクワ会議に招待せず」参照)

 

アメリカの下請け化するターリバーン

これまでロシアはターリバーンを政治的、経済的に支援し、取り込もうとしていた。
アメリカのドーハ合意以前からつづけていたターリバーンとの接触、また、ロシアフォーマット会議と呼ばれるこの関係国会議を開催した。アフガニスタン問題の解決に資することによる地域大国としての権威づけの意味もあったであろう。

さらにことし9月27日には、ターリバーンとロシアはロシアからの燃料・食料輸出に関する暫定合意を結んでいる。これは、ロシアにとっては2月24日のウクライナ侵攻による経済制裁逃れの意図もあるだろう。しかし、取引品目とされているガソリン、ガス、小麦などの売上額はロシアが受けている経済的打撃に比べれば微々たるものでしかなく、これまたアフガニスタンにまで頼らざるを得ないロシアの力量の低下を示すものではないだろうか。

それに比べて、ターリバーンのアメリカへの傾倒にはただならぬものがある。
飢えに苦しむアフガン国民の、寒さに凍える生活苦や飢餓状態が報じられている。国連など国際組織や各国の人道支援は、実はかなりの規模で提供されており、ここにきて救援物資のみならずアフガニスタン国立銀行の口座には毎週何千万ドルもの現金が振り込まれるようになっている。この現金の流れをターリバーンが管理しており、その資金の流れの不透明性がアフガン国内では問題になっている。『ウエッブ・アフガン』ではそのような実態を「アフガンの声」や「トピックス」コーナーで伝えている。

一例をあげると、アメリカが差し押さえていたアフガニスタン銀行の外貨預金70億ドルの半額の凍結を解除するとしてアフガン国立銀行へ入金が始っている。また国際機関からの人道援助資金も送られてくる。(「トピックス」コーナー、「2022年11月9日 <Hashut-E Subh> ターリバーンが受け取った人道支援額は10億ドル以上。しかし国民は貧困で飢えている」参照)

ターリバーンをめぐるこのような状況の変化は、アメリカとターリバーンの間の関係の変化に基づいている。一言でいえば、ターリバーンはいまやアメリカとCIAの下請け機関となっているのだ。そのことを、『ウエッブ・アフガン』掲載の「タリバンとCIAの協力」が見事に描き出している。
つまり、ドーハ合意の主軸は「ターリバーンが米国の利益を保証するかぎり、アフガニスタン政府に取って代わり米国の援助を受ける」であり、副軸は「国民を統合する包摂的な政府を形成する」というものだ。しかし、アメリカは、ターリバーンが主軸さえ守れば、副軸は口先だけだけで許す、という姿勢をとった。ターリバーンとアメリカはターリバーンのアフガニスタン乗っ取り以降もドーハで協議を続けている。最近の考証でもターリバーンはこの1年間に及ぶ活動報告書をCIAに提出しているという。アフガニスタン国内に潜伏するアル=カーイダ指導者の居場所を知らせたり、アメリカのドローンによるアフガン領内の偵察を黙認したりしている。アメリカに逮捕され拘留されていたターリバン創設時のパトロンをアメリカは釈放しターリバーンに返還さえしている。つまり、アメリカに歯向かうテロリストの管理をターリバーンは請け負っており、それへの見返りとしてアメリカはターリバーンに資金援助をしているのだ。

 

侮れぬアメリカの悪らつさと力量

いまはまだ姿を現していないが、「副軸」も消えているわけではない。

ターリバーンを国際社会に認めさせるには、極端なイスラーム過激主義と部族主義に凝り固まった現在のターリバーン単独武力政権のままでは無理だ。いかなアメリカといえど、それはできない相談。だからさまざまなチャンネルを使って、アメリカと国際社会はターリバーンの説得、懐柔を試みている。純粋なアフガン人だけでなく、アフガン系アメリカ人のロビー活動家たちがうごめいている。かつてアメリカと関係諸国(NATOやドイツや日本)が傀儡政権を擁立しなんとか根付かせようとこぞって努力したように、現在もターリバーンの活用を図っている。そのようなアメリカの2面作戦を嗅覚鋭くかぎ取っている輩は、アメリカなどの圧力により全国民を包含する政権の樹立へとターリバーンが妥協して動くかもしれないとの一縷の望みにしがみついている。「アフガンの声」に掲載した『「幻想の国」は如何にして作られたか』はこのような実に興味深い現実を端的に切り取って見せている。

いずれにせよアメリカは、CIAなどの情報機関を使ってターリバーンをパキスタン並みに利用可能な政権に育てたいとインテリジェンス工作を行っている。アメリカの力量を軽んじてはいけない。

野口壽一

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~047

(2022年11月15日)

 正気を維持することの難しさと大切さ 

   ~「山の学校支援の会」現地報告会に参加して~ 

 

11月12日、今年7月10日につづき、吉祥寺の武蔵野公会堂で開かれた「アフガニスタン山の学校支援の会」の現地報告会に出席しました。

講演会は3部構成。第一部は長倉洋海さんが、現地の人々との直接のやり取りやネットを通じての取材をスライドや動画を交えて報告。(概要は長倉さんの「アフガン緊急メッセージ」参照)
第二部は、現地カーブルとをつないで、7月にも報告された安井浩美さんのビデオを介した講演と会話。
第三部は小鹿と学校の先生とマスードらパンジシール(パンシール)の人々の生き方を描いた絵本の朗読。

 

<胸にささるふたりの言葉>

長倉さんは、45年もつづく戦乱がうちつづく〝狂気〟のアフガン社会で正気を維持することの難しさと大切さをマスードとの体験をもとに語ってくれました。
安井さんは、生活苦と飢餓の中で、こどもを抱えて生きざるをえない女性だけでなく、家族の生活を支えなければならない圧力をうける男性も、まじめであればあるほど狂ってしまう厳しい現実をカーブルの精神病院を実例に語りました。個人の力だけではどうしようもなく家族の糧を稼げない弱い男性は自らの精神を破壊して狂うほかないのです。飢餓でやせ細った無力で弱い存在の乳児の姿はよく映像化されますが、屈強な大の男が自らを精神的に追いこみ、病院に担ぎ込まれる苦しみに落ち込んでいます。あるいはおびただしい数の麻薬中毒患者がカーブル川の橋の下の異臭をはなつ河川敷で悲惨な姿で生死の境をさまよっている映像もあります。社会が病む、ということは人の精神が病むということにほかなりません。

このような状況の中で、国際機関は密かにターリバーン承認に動き、アメリカは国際機関をとおして毎週4000万ドルもの大金をターリバーンに送金している現実を安井さんは指摘しました。ターリバーンの管轄下に送られたそのような資金は10億ドルを超えています。(『アフガン・ウエッブ』トピックスコーナー参照)。安井さんは、アフガニスタンに駐在するマスコミはターリバーンに妨害されてそのような事実を報道しないし、できない。フリーのジャーナリストにこそ、真実を報道してほしい、と強調しました。その言葉が鋭く胸に突き刺さりました。

小鹿の童話はソ連・PDPA(アフガニスタン人民民主党)との戦いの中で解放区を作ろうとして戦っていたころのマスードと彼を接待しようと鹿を狩った学校の先生の話でした。他の生物の命を食べなければ生きていけない矛盾の塊である人間。いかに生きるべきか。生類憐みの心、ハラール・イスラーム、宗教の心につながる題材でした。

 

<マスードの人間像>

人間は矛盾の塊です。どんな聖人君子でも、聖なる言葉通りに生きることはできません。もしそのような聖人がいたとすれば、その教義はインチキでしょう。

マスードは「渓谷の獅子」といわれ、「アフガニスタンの国民的英雄」とされています。「アフガニスタンのチェ・ゲバラ」と呼ばれていた時代もありました。アフガニスタンの解放闘争指導者としては独特のキャラクターを持った人物でした。

アフガニスタンの70年代は世界を揺るがしていたベトナム反戦運動に刺激されて、さまざまな潮流がしのぎを削っていました。俗な表現でラベル分けすると、左の勢力は親ソ派から親中までそろっており、右は王党派から西洋民主派、宗教的にもイスラーム穏健派から極端派まで、世界のどこよりも豊富に諸潮流が存在していたといっても過言ではありません。
その中でマスードはソ連軍進駐以前に学業を放棄して故郷のパンジシールに戻り解放区をつくるなどの反政府運動をしていました。アフガニスタンの政権をとった左翼勢力PDPAがその未熟さと失政による内紛からソ連軍を国内に引き入れると、マスードは国内を拠点にソ連とPDPAに武力抵抗を挑みました。「アフガニスタンのチェ・ゲバラ」と呼ばれたのはそのような背景があったからです。

マスードの活動については長倉さんが早い時期からマスードとパンジシールで

の戦いに密着従軍取材をして日本にその実像を伝えてくれていたので比較的よく知られていました。私は「アフガニスタンを知る会」などの活動でマスードと同郷で同じタジク人のアブドル・ハミド・ムータット駐日大使と接しており、彼の口を通して、同郷同族の目から見たマスード像を得ていました。後にドキュメンタリー映画『よみがえれカレーズ』をアフガニスタンと共同制作した土本典昭監督らともマスードを題材に映画を作りたいね、と語り合ってもいました。マスードは、ブルハヌディン・ラッバーニーが創設したイスラーム協会の中でもパキスタンべったりのヘクマティアール派とは一線を画す国内派でした。PDPAがイスラームに対して最初から和解的な姿勢を持していれば、本来なら敵対しなくてもよい相手だったはずです。ナジブラ政権になってPDPAが「国民和解政策」を打ち出したのはあまりにも遅く、かつ苦し紛れに便宜主義的に打ち出した政策と映り、実効力を持ちませんでした。

マスードはソ連軍やPDPAと戦争をしながらも、厳冬期カーブル市民への物資輸送の幹線道路となるサラン峠の運営をめぐって停戦交渉に応じたり、ソ連軍撤退にあたっては捕虜の釈放や撤退の安全を保証したりしています。この間の事情については『わが政府 かく崩壊せり』(アブドル・ハミド・ムータット著)に詳しく述べられています。

 

<英雄化されたマスード>

1992年にナジブラ政権が崩壊しラバニ政権(ムジャヒディーン政権)ができたあとのムジャヒディーン各派の内戦の激しさと軍閥化した諸勢力の乱脈、ヘクマティアール派からハッカーニ派へさらにはターリバーンへと軍備と資金を移動させたアメリカとISI(パキスタン軍情報局)がそれらに愛想をつかしたすえ、ターリバーンへと支援の矛先を変え第1次ターリバーン政権を成立させたいきさつはいまや周知の事実となっています。

マスードの価値が評価されたのは皮肉にも、アメリカの爆撃に守られて北部同盟が地上戦を戦いターリバーン政権を打倒したときでした。9.11の2日前にマスードが暗殺されたことは彼を国民的英雄として担ぎ上げる格好の〝悲話〟となりました。

ターリバーンが再び政権を簒奪したので、マスードを政治的経済的社会的に利用しようとする人々は減りました。しかし、いなくなったわけではありません。そのような状況の中で、ソ連占領、内戦、第1次ターリバーン時代、アメリカ占領の20年というアフガニスタンのこの45年をどう総括するのか、アフガニスタンの心ある人びとはマスードの活動や残した言葉に正しく学ぼうとしています。(「アフマド・シャー・マスードと歴史の歪曲」参照)。そのような真摯な姿勢の中にわれわれはアフガニスタンの将来を希望をもって見ることができるのではないでしょうか。

 

野口壽一

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~046

(2022年11月5日)

 9・11事件の再来を許すのか? 

~国際テロリズムの拠点と化すアフガニスタン~ 

 

ターリバーン2.0

・いまアフガニスタンは、国際テロ活動の拠点となりつつある。国内だけでなくすでに周辺地域へのテロ攻撃が起き始めている。これを放置すれば、かつての米国多発同時テロのような大規模な国際テロがおこる可能性がある。

・2001年の9・11事件当時はアフガニスタンを拠点にしていた国際テログループの中心部隊はアル=カーイダだった。かつ攻撃の対象はアメリカだった。しかし現在、国際テログループは多様化し、攻撃の対象もアメリカだけでなく、旧ソ連諸国や中国、イラン、パキスタン、インドと多様化している。

・アル=カーイダの首領ウサーマ・ビン・ラーディンはアフガニスタンを足場に体制を整え、計画を練り、テロリストの訓練を行い、指揮した。それを支え、共同で遂行したのが、アフガニスタンを占拠していたターリバーン第1次政権だった。

・アメリカは2001年末にターリバーン政権を倒して傀儡政権を打ち立て、2011年5月にパキスタンでウサーマ・ビン・ラーディンを殺害し、2022年にはNo.2のザワヒリをターリバーンの協力の下、ドローンミサイルを使ってカーブルで始末した。

 

自爆テロの親玉になにを頼むのか

・以上は、いまや知らない者のいない事実だ。アメリカは国際テロをほぼ根絶したはずだった。

ドーハ合意(2020年2月29日、カタールの首都ドーハで締結されたアメリカとターリバーンの和平合意)によるアメリカのシナリオは、撤退時の不手際はあったものの、ターリバーンを政権につかせて国際テログループを抑え、活動させないようにすることだった。

・しかし、アフガン国内のテロは減るばかりか増加さえしており、テロの対象はハザラ人、タジク人などパシュトゥーンと民族や部族が異なる宗教的少数派に向けられてきた。結果的にあるいは意図的にパシュトゥーン族中心のターリバーンを利するものとなってしまった。

・ところがアメリカは、ターリバーンを利用する路線を放棄せず、ターリバーンを陰に陽に支援してきた。イスラーム過激派テログループの矛先を旧ソ連の中央アジア諸国およびロシア、そして中国(新疆ウイグル地区)へ向けさせようとしてきた。われわれはアメリカのこの戦略を「中国とロシアを主敵とするアメリカ政府はアフガニスタンを内戦化し長引かせロシアと中国を泥沼におびき寄せ、はまり込ませようと考えている」と米軍撤退以前に看破し本サイトの発足の起点認識に据えた。(視点001:「なぜ今またアフガニスタンなのか?」参照 )

・昨年の米軍撤退作戦の最中、ドーハ合意に違反するターリバーンのアフガニスタン占拠以前に、日本大使館員は在留日本人や大使館雇員を置き去りにして逃げ足早くカタールのドーハに全員退去した。その後2、3カ月、日本政府は遠隔対応せざるを得ず、数々の失敗や不善を重ねた。そんな中、2021年11月21日から24日にかけて、アフガン国外に退避中の岡田駐アフガン大使はカーブルを訪問し、タリバーン幹部と会談。大使館の再開もふくめ実務的な協議を開始した。(タリバーン側の発表では相手はアブドルガニー・バラーダル第1副首相代行)(外務省ホームページ1

・さらに岡田大使はことし5月15日から19日にもカーブルを訪問し、協議を繰り返した。
外務省ホームページ2

・そしてあろうことか10月24日には、カーブルにおいてターリバーン幹部なかんずくターリバーンの自爆大隊を組織・指揮する最強硬派首魁シラージュッディン・ハッカーニらと会見した。議題は日本大使館再開の件だというから、大使館の安全保障を頼んだのだろうか。(NHKホームページ

 

ターリバーンはかつてのターリバーンにあらず

・ここでおさらいをしておこう。

・ターリバーンはいくつもの民族内部族や宗派や思想潮流からなる混成部隊である。その点、イスラム主義イデオロギーをベースにしたアル=カーイダやイスラム国(IS、ISIL、ISIS、ダーイッシュ、IS-K)などのイスラーム諸派とは異なる。イスラム国は『国(State)』の名を関しているが、アル=カーイダ同様、民族国家を超えるイスラム共同体ウンマの創造をめざしており既存の国家や国境を超える組織である。

・一方、ターリバーンはパシュトゥーン人の土着の民族部族共同体を土台として出発した。基本的にソ連や米NATOとの闘争も土着コミュニティの防衛が主目的であり、イスラム教義的にはジハード(イスラム聖戦)の大義を共通項とするだけで、イスラム思想や教義は従属的要素であった。

・土着の民族部族共同体を土台とするパシュトゥーン人という存在は「アフガン=パシュトゥーン」という本来の意味のアフガン人であり、その中世的で固陋なイデオロギー・風習を改めないとしてもアフガニスタンという多様な「国家」の一構成員である事実を否定することはできない。

・だが、イスラム主義テロリストグループはそれとは別である。第1次ターリバーン政権時代と異なり、2003年からの米イラク戦争を含むアフガニスタンでの20年以上に及ぶ米NATOとの戦いの過程で、イスラム過激派はさまざまに分岐、変化し、多様化しターリバーンに浸透、一部は融合した。IS(イスラム国)からはアフガニスタン・イランの古い地名であるホーラーサーンを冠したIS-K(イスラム国ホーラーサーン)が新たに誕生した。

・カーブルを再び占拠したターリバーンは下記のような多くの潮流の寄せ集めのアマルガムに変貌していた。
①土着パシュトゥーン・ターリバーン(デオバンディ派/スーフィズム派)
②同じ系統で強硬自爆武闘派のハッカーニ・ネットワーク派(出自は1983年からソ連と戦ったスンニ派系ムジャヒディーン)
③アル=カーイダメンバーとの姻戚関係をもつアル=カーイダ系(ワッハーブ派)
④IS系(シーア派を異教徒としてジハードの対象とするスンニ派、出自は1999年ヨルダンのザルカーウィ、別名、ISIL、ISIS、ダーイッシュ)
⑤アフガニスタンで生まれたIS-K(イスラム国ホラーサーン、スーフィズム系イスラーム)

・アメリカとのドーハ合意では、ターリバーンは権力の座につけてもらう代わりに③④⑤勢力をターリバーン内のみならずアフガニスタンから排除する約束をしたのだが、その約束は守らず、その代わり形ばかりに取り込んでいたタジク系、ウズベク系、ハザラ系グループを迫害、排除し、パシュトゥーン組織としての純化を図るようになった。

・しかし実質的には、昨年8月以降のタジク人(国民抵抗戦線(NRF))ほかの武装組織との激闘、ハザラ人やヒンズー系住民への自爆テロなどは、IS系、IS-K組織との暗黙の連携の下、実施されている。ターリバーンはそれらを取り締まるとは言っているが、それは口先だけで、タジク人、ハザラ人、インド人、ウズベク人などへの民族浄化の別動隊として利用している。

 

アメリカの同盟者としてのターリバーン

・アメリカは資金面でのターリバーン生みの親でありグアンタナモ刑務所に収監中であったバシール・ヌールザイをターリバーンのもとに戻し、CIAとの協力をふかめた。一方、人道支援を名目にターリバーンを買収している。(「アフガン解放をより困難にする麻薬王の釈放」「汚れたゲーム=テロリストの育成と取引」「タリバンとCIAの協力」「視点43:遠隔操作、遠隔外交、遠隔戦争 ~米アフガン人質交換に透ける米の思惑~」

・そして現在、もっとも注意すべきはターリバーンの支配するアフガニスタンがかつての第1次ターリバーン支配時代と同じように、いな、もっと多様で強力に、国際テログループの巣窟となりつつある現状である。本サイトに掲載した「テロ活動の活発化、中央アジアはアフガニスタンとの国境線にセキュリティーベルトを構築」がその懸念を如実に暴露し警告を発している。

・それによれば、現在、アフガニスタン国内で活動しているテログループは、主なものだけでも、上記①~⑤に加えて、
⑥ ウズベキスタン・イスラム運動、
⑦ジャマート・アンサルッラー(アッラーの戦士を意味し、ウズベキスタン・イスラム運動から分派してタジキスタンで活動)、
⑧東トルキスタン・イスラム運動(中国から新疆ウィグル省の独立を目指す)、
⑨コーカサス首長国(チェチェン独立派の武装組織)
などがあり、その他、アフガン・ターリバーンと一心同体というべき
⑩TTP(パキスタンのターリバーン)
がある。

・同記事で引用されたロシアのオレグ・シロモロトフ外務副大臣の発言によれば、アフガニスタンでは20以上のテログループが活動しており、その配下には1万人の戦闘員がいるという。さらにタジキスタンのラムザン・ラヒムザデ内相は、ターリバーンが昨年に「テログループ」のメンバー3千人以上にパスポートを発行したと明言している。

・これらのテログループが、アフガニスタン国内のみならず、中央アジア諸国にミサイル砲撃を行ったり、パキスタンやイランで自爆テロを行っている事実は、同記事「テロ活動の活発化、中央アジアはアフガニスタンとの国境線にセキュリティーベルトを構築」や本サイトの「トピックス」欄で確認することができる。

・国境を超えてイスラム共同体の構築を目指すイスラム主義組織のテロ部隊がターリバーン支配のもとで増殖中なのである。2001年のアル=カーイダのときのように単純ではないが、アフガニスタンを拠点にした9・11に類似のあらたな国際テロが起こりかねない現実が進行中なのだ。

 

日本政府に果たしてその自覚があるのか

・そしてそのターリバーンがアメリカの世界戦略の一環に位置付けられている。そのような状況下での駐アフガン岡田大使の、ハッカーニとの会談である。

・アフガニスタンで元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)計画を責任者として実施した伊勢崎賢治氏は最近行われたある講演会で次のように述べている。

――くり返し強調したいのは、大混乱をもたらした不様な敗走であったものの、このとき米国やNATO諸国は、同国人だけでなく、通訳や大使館の現地スタッフ、ジャーナリスト、教師も、家族とともに救出した。下部まで統率できないタリバン兵の報復から彼らを守るためだ。イギリスの大使は最後まで残って「命のビザ」を書き続けた。そのなかで唯一、大使館だけが真っ先に逃げて何もしなかった国が日本だ。いまだに「命のビザ」さえ発行していない。僕が大使館にいたときには兄弟のように扱っていた彼ら有能な現地スタッフたちは危険な現地に置き去りにされた。僕は日頃威勢のいいことをいっている自民党議員に「それでも男か!」と掛け合って自衛隊機3機を送らせたが、初動が遅れたので誰も救うことができなかった。
せっかく救出したアフガン人も日本での地獄のような扱いに失望し、あのアフガンに帰還した人もいる。彼らがいい残した言葉は一生忘れられない。「タリバンに殺されるのは1回だが、日本にいたら毎日殺される」と。現在、ウクライナの避難民を受け入れるのはいいことだが、なぜあのアフガニスタンの最前線で「自由と民主主義」のために協力したアフガン人に同じことができないのか。このような人種差別はあってはならないことだ。
(「ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障と国際平和」)

岡田大使と外務省、日本政府にはこの恥と不善をそそぐべく活動してほしい。さもないと日本は、アフガン―ウクライナ―新疆・台湾とつづくアメリカの世界戦略にぶら下がって引きずられていくだけの存在に堕してしまう。

野口壽一

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~045

(2022年10月25日)

 ふたたび、アフガン、ウクライナ、新疆、台湾 

   ~アメリカの主敵はあくまでも中国~ 

 

・ウクライナ情勢が急展開している。ウクライナ軍の反転攻勢の勢いをとめるべく、プーチンは4州併合を強行し、ウクライナの占領地解放の闘いがロシアに対する攻撃であるという虚構をつくりあげ、核攻撃を含む強硬策の論拠にしようとしている。

 

プーチンを追い詰め罠にはめたアメリカ

・そもそも、今回のウクライナ・ロシア戦争は、2014年のロシアによるクリミヤ併合以来のウクライナによる国土防衛戦であった。それはウクライナをEUとNATOに引き寄せるための米英の工作によってバックアップされたものであり、プーチンはそれをNATOの北進ととらえ、警告を発していた。

・対立は歴史的に双方に言い分があり、外交的に解決することも可能な案件であったが、戦争をビジネスとするアメリカの巧妙かつ系統的な働きかけによりプーチンロシアは追い詰められ、核兵器使用の脅しをつかって禁断の先制武力侵攻をおこなった。プーチンは1979年のブレジネフと同じように、アメリカの罠にはまったのである。

・現在のウクライナ戦争(ロシアによる侵略戦争)は本質的には、ウクライナ国民を使った米NATOとロシアとの代理戦争である。

 

アフガンを切り上げてウクライナへ

・2001年以降のアフガニスタンは米NATO軍が直接介入したが基本はアフガン人同士を戦わせる代理戦争であった。第1次ターリバーン政権をつぶした時もアメリカは空爆のみで地上戦は北部同盟にやらせた。

・アメリカはアフガニスタンでターリバーンに戦争で負けたわけではない。アメリカが負けたのは、ジハードというイスラームの宗教的教義、土着の中世的因習の深い闇、自立できない社会・経済の泥沼だった。ターリバーン打倒後、アメリカが目指した国造りを打ち負かした要因は、民族民主革命を目指したアフガニスタン人民民主党(PDPA)やソ連を打ち負かしたものと同じものだった。さらにそれは、近代化を目指したアマーヌッラー・ハーン王以来誰もが勝利できていない課題である。

・アメリカがアフガニスタンと中東イラクの泥沼に足を取られているあいだに中国の台頭があった。うかうかしていられないアメリカは、アル=カーイダのウサーマ・ビン・ラーディンを片付けたオバマ大統領のもとでアフガンからの撤退を図ったが、その実現は次のトランプ大統領に引き継がれた。

・トランプ大統領は2013年から進めていたターリバーンとのドーハ交渉を自分たちがつくったアフガン政府を参加させず、2020年、急速に拙劣な妥結を図った。

・ドーハ合意に至る直前、トランプ大統領は、猛スピードで経済成長を遂げひたひたと足元に迫りくる中国を蹴落とすために対中貿易戦争をしかける。その宣言を行ったのはペンス副大統領。2018年10月4日、保守系シンクタンクのハドソン研究所で対中対決、追い落とし宣言を行った。

・バイデン大統領はトランプ政権の対中政策をひきつぎ、より全面的で、かつ強行的な、新疆ウイグル、台湾問題を取り込んで軍事的な対立を挑発するところまで引き上げた。

 

ミリタリーケインズ主義に活路を見出すアメリカ

・雇用力を生み出す製造業を海外、とくに中国に移転したアメリカは金融業と情報産業の発展によってGDPの増大は果たしたが、対全非農業部門の雇用者数は、1947年の約33%から2021年には約8%にまで下落した(アメリカ労働統計局データ)。中国を締め上げて製造業をアメリカに呼び戻そうとするトランプ大統領のメイク・アメリカ・グレート・アゲイン(MAGA)の根拠はここにある。

・アメリカが目指す製造業のなかには軍需産業がある。アメリカはミリタリー(軍事)ケインズ主義を奉じる国である。アメリカ国内だけでなくアメリカの影響力の及ぶ国々に対する武器輸出で潤っている。今度のウクライナ戦争でGDPの2%を軍事予算に充てろというアメリカの要求にドイツや日本など多くの国が横並びすることとなった。アメリカの軍用品の売り上げ増につながる。アメリカの軍産複合体がよりどころとするこの経済理論によれば、常にどこかで戦争がおこり、武器需要がコンスタントに創出され、供給される必要がある。ネオコンと呼ばれたりディープステートと呼ばれたりする好戦勢力がアメリカを牛耳っている。

『ウエッブ・アフガン』では「視点」で以上の流れをつどつど明らかにしてきた。

・2021年11月29日
アメリカは本当に負けたのか? ~アフガニスタン戦争の本質~
(アメリカとターリバーンは戦争らしい戦争はしておらず、アメリカは戦争に負けたわけではないことを立証)

・2021年12月13日
アフガンのつぎ、西はウクライナ、東は台湾 ~アメリカの2番手たたきの標的となった中国~
(ソ連つぶし、日本つぶしを成功させたように、中国つぶしに本腰を入れ始めたアメリカの戦略を分析)

・2022年02月15日
アフガン-ウクライナ-新疆・台湾 ~地球を滅ぼしかねない危険な火遊び~
(ウクライナ国境沿いに訓練と称して展開したロシア軍をウクライナにおびき寄せるアメリカのマスメディア戦略を分析。撤退したアフガニスタンに中国・ロシアを引きよせ、ウクライナ問題でロシアを叩き、新疆ウイグル・台湾問題で中国を叩き、経済的軍事的に足元を脅かすようになった中国を蹴落とそうとするアメリカの動きを分析)

2月24日、ロシアがウクライナに侵略開始

・2022年02月28日
罠にかかったプーチン ~アフガン戦争化に向かう危険性~
(ウクライナ戦争は短期に終わるのでなく、アメリカは長期化を狙い、世界的危機をアメリカの信用の回復と軍事ビジネスの材料に使おうとしていることを示唆)

・2022年03月28日
ウクライナとアフガニスタン ~グレートゲームの非情さに苦しむ民衆 ~
(アフガン国民が40年の戦争に苦しんだようにウクライナ・ロシア国民、そして世界人民が影響を受け、無用な人為的災害に襲われることを危惧)

・2022年8月15日
「文明の衝突」から「文明間の対話」へ~きな臭さをます国際情勢に思う~
(戦争によって潤う軍産複合体(アメリカだけでなくロシアやその他の国々の)やアナクロニズムのナショナリストらの妄動に惑わされず、世界平和を希求する立場を維持することの重要性を強調)

 

危険な対応:受けて立つ構えの習近平体制

・ 中国がまだ経済的に外国(米・日・欧州)からの資本と技術を欲していた時は、「韜光養晦(とうこうようかい)」つまり、「能ある鷹は爪隠す」「才能を隠して、内に力を蓄える」という外交・安全保障政策をとった。1989年の天安門事件で国家的危機に直面した鄧小平が改革開放路線を進めるために採用した基本的姿勢であった。天安門事件を力で押さえつけ、欧米からの強い制裁を受けた中国を救ったのは鄧小平のそのような姿勢を支持した日本だった。

・ところが江沢民、胡耀邦の後、もう爪を隠す必要がないと思ったのか、習近平になってコロナパンデミックが始まる前には「戦狼外交(せんろうがいこう)などという攻撃的な姿勢に転じていた。

・コロナパンデミックで中国以外の国が感染爆発を抑えることができず、対応に苦慮するのをみて、厳重な感染対策でゼロコロナを実行できた習近平政権は、西側社会に対する優位性を誇るようになった。

・先日終了した共産党大会で、党書記長として異例の3期目続投を決めた習近平は台湾統一政策を含め、より一層の強硬かつ閉鎖的な路線への傾斜を明らかにした。

・習近平3期目政権は、アメリカの挑発に対して、「受けて立つ」姿勢を明確にした。

・習近平は、鄧小平の「韜光養晦(とうこうようかい)」を、弱気の現れとみて、「一帯一路」を掲げて世界に飛躍する大国中後にはふさわしくない姿勢、と見たのかもしれない。そうだとすると大きな勘違いをすることになるだろう。

・アメリカの挑発は執拗で計画的で体系的である。いくらアメリカのやり口が悪らつだからといって、プーチンのような短慮に走れば、たったひとつの失敗ですべてを台無しにしかねない。一桃腐りて百桃損ず、ってやつです。

・習近平は、いまのところ、ロシアの失敗を見て慎重な姿勢をとっている。しかし、失敗したロシアを救い目下の同盟国として組み入れ、ロシアのエネルギーと食糧(このふたつが中国経済の弱点)を取り込んで経済基盤を強化しようなどと思ったら、それもまた取り返しのつかない大きな間違いとなるだろう。

・日本は、「台湾有事」すわ軍事力増強必須などと煽られて、アメリカのパシリにならぬようくれぐれも注意しなければならない。アメリカはよほどのことがない限り自らがでてくることはしない。中国との戦争はまずは台湾と日本に代理戦争をさせるだろう。

・日本の政治家は、中国がアメリカの挑発に乗って、プーチンのように先に手をだすことのないよう、中国とのパイプを維持し最大限の外交努力をすべきだろう。民間もかつての政経分離の現代版を追究すべきではないだろうか。

野口壽一

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~044

(2022年10月15日)

 歴史を切り開く女性の闘い 

   ~区別と差別からつくられる憎悪を昇華させる努力~ 

 

マフサ・アミニさんの死をきっかけにイランでは若者を中心とした抗議行動が全国全世代をカバーする大きなうねりとなっています。(9月13日に逮捕され、18日に死亡。詳細は「トピックス」コーナー参照)

アフガニスタンでは9月30日にカーブル西部のカージ教育訓練センターでの大学入試模擬試験会場が自爆攻撃を受け百人以上の死傷者をだすという大惨事が起きました。(これも詳細は「トピックス」コーナー参照)

そして両者ともSNSで、イランの場合はハッシュタグ「#MahsaAmini」で、アフガニスタンの場合は「#StopHazaraGenocide」で拡散され、国内だけでなく、世界中に大きな衝撃を与え同情を集めています。

SNSでの素早い情報拡散力と訴求力の強さはデモや集会などの大衆行動を引き起こし、イランの場合は、悲劇のきっかけが髪を隠すヒジャブだったこともあり、フランスなどの女優や有名人たちが自分の髪を切って抗議する動画を拡散する大きな運動にまで発展しています。【イラン女性死亡に抗議】「髪切る」動画…俳優ら50人以上大衆行動の大波はうねりとなって世界をおおい、日本でも在日ハザラ人を中心に集会やデモが挙行されています。「トピックス」コーナー、愛知の例参照

アフガニスタンの爆破事件の方も負けていません。こちらは対象がハザラ人の女性たちで自爆テロ現場が大学進学のための模擬試験会場だったこともあり、残虐行為の対象が女性で攻撃目的が教育を受ける権利への妨害と少数民族・少数宗派への虐待でした。イランの女性差別より複雑でより特殊な攻撃でしたが、広範な反響を生みました。カーブルからアメリカ、ヨーロッパ、そして世界の多くの国に拡大しています。多くのソーシャル メディア ユーザー、アーティスト、政治家、何千人ものソーシャル メディア ユーザーが参加しています。現在、本キャンペーンのハッシュタグはTwitterで1000万回以上シェアされています。このキャンペーンの支持者は、人権の分野で活動する国際機関や組織が、いわゆる「アフガニスタンのハザラ人虐殺」を認識し、加害者を特定して起訴することを望んでいます。これらの行進者は共同決議を発表しました。この決議では、国連と国際社会が「アフガニスタンにおけるハザラ人虐殺」を認めるべきであることが強調されています。さらにアメリカ合衆国と欧州連合は、ハザラ族を保護するために必要かつ緊急の措置を講じるよう求められています。(「ハザラ人へのジェノサイドをやめろ!」参照)

イランの現地からは、イラン人女性エンジニアの読者から現在進行中の大衆決起は「This will be a revolution for the liberation of women.(これは女性解放の革命です。)」(「読者の声」コーナー参照)という、短いが本質をついたメールが寄せられてきました。

#StopHazaraGenocide‌‌のハッシュタグで寄せられたいちアフガン人のSNSの発言に「イラン情勢とアフガニスタン情勢を追っている方々にはお分かりかと思いますが、今の抗議運動も #MahsaAmini 関連ハッシュタグの影響を受けていますし、どちらも自由のため、生きるための戦いです」とあるように、イランとアフガニスタンの闘いは連動しています。イスラム諸国の中でも、勧善懲悪省のような宗教警察を使ってヒジャブを強制する国はいまや、イランとアフガニスタンだけになっています。

 

アフガニスタンの苦い思い

しかし、アフガニスタン内部の反応は、アメリカ占領下の2015年に起きた残虐な事件のときには、じつに苦渋に満ちたものだったといいます。

ファルクンダ事件について2022年9月24日付けの本サイト「アフガンの声」欄にファリド・ムータット氏は「マフサ・アミニ殺害とアフガニスタン」のなかで次のように書きました。

「ファルクンダ事件はマフサ事件よりはるかに残虐だった。しかしアフガニスタンでは目立った抗議行動は起こらなかった。一方、イラン人は立ち上がり、政権に対する不満を露わにした。アフガニスタンの中心問題のひとつは、染みついた宗教的頑迷だ。それは歴史上一貫してアフガン社会にまとわりつき、近代化の試みを阻害してきた。」

すると本サイトでも何度も紹介している「RAWAと連帯する会」の読者の方から「よく書いてくれました」という感謝の言葉をそえて、同会の機関誌「ゼンダバード・デモクラシー(民主主義万歳)が送られてきました。2015年7月発行の臨時増刊号でファルクンダ事件を特集していました。

ファルクンダ事件とはカーブル川のほとりにあるモスクで迷信のようないかがわしいものを売っていた物売りに「そんなものは売らないように」と注意したのがコーランを焼いた、と歪曲拡大され、周囲にいた男たちに取り囲まれ、殴打され、最後はカーブル川に突き落とされ、火をつけられて焼き殺されたのでした。事件についてのWikipedia)(または〝Farkhunda AMalikzada〟で検索すればたくさんの動画や情報が出てきます。) あまりにもむごい事件であったため、当時のガニー政権も動かざるを得ず形ばかりの捜査や犯人捜しをしましたが、「数人の警官では100人を超える暴徒を制御できなかった」と責任逃れするばかりでした。アメリカ占領下の傀儡政権へのアフガン大衆の憎しみは内向し蓄積していきました。ただ唯一の救いは、暴行を働いた男たちだけでなく、さらには女性蔑視や宗教的過激主義のターリバーンだけでなく傀儡政権の一員となって利権をむさぼっていた北部同盟ムジャヒディーンら男たちの正体をアフガン大衆、とくに女性たちが見たことでした。彼女たちは焼き焦げたファルクンダの遺体を棺桶に収め、女性たちだけでかつぎ、墓まで運んだと言います。それまでアフガニスタンの歴史で女性が棺桶を担いだことは絶対にありえない、考えられない行為だったといいます。

アフガニスタンでは、自爆テロのような非人間的で野蛮な攻撃にさらされているのは政治的反対者ばかりではありません。むしろ、女性や民族的宗教的マイノリティーなど社会的弱者こそが大多数の被害者なのです。

とくに、復権してから、この一年間のあいだに、ターリバーンは非パシュトゥーン系ターリバーンを内部から追い出し、タジク人やウズベク人、とくにハザラ族に対する、民族浄化ともいうべき攻撃を行ってきています。ハザラ族に対してはテロ攻撃だけでなくパシュトゥーン系遊牧民をハザラ居住地に引き入れて先住民の土地や住居を奪うなどの、生活基盤を奪う攻撃も行っています。ハザラ人に対するアフガニスタンでの数々の虐殺行為はここをクリックしてご覧ください。

 

イスラエルでも頻発している類似の事件

そして実はこのような隠ぺいはアフガニスタンや特定の地域での珍しいケースではなく、イスラエルでは日常的な行為として頻発しています。そのことを、本サイトに掲載した「イラン・パレスチナでの殺人事件に対する欧米の反応がこれほど違うのはなぜか」は鋭く指摘しています。

イスラエルで起きた事件とはマフサ事件が起きる4カ月前、パレスチナ系米国人の女性ジャーナリスト シリーン・アブアクラさん(51)がイスラエル国防軍の狙撃手によって頭部を撃たれ死亡した事件です。この事件を批評したアメリカ人ジャーナリスト レイ・ハナニア氏は次のように書いています。「イランの道徳警察はイスラエルの諜報機関に似ている。この諜報機関は、ホラー物語の怪物のように、夜中にベッドにいるパレスチナ民間人を捕らえにくることがよくある。どちらも不気味で恐ろしく、無実の人々に死をもたらした歴史がある。」まるで、アフガニスタンのターリバーンのようでもある。さらに「イスラエルでは、イスラエル国防軍とシンベト(イスラエルの総合保安庁シン・ベト(シャバク) 防諜機関かつ国内保安機関)は、政府のアパルトヘイトに抗議する非ユダヤ人を標的としており、犠牲者を〝テロリスト〟と表現する。イランでは、イスラム革命防衛隊は、抗議活動や社会の混乱に関与する者を標的として、逮捕、投獄、そしてしばしば拷問を行う。」ともいう。暴力支配にすがる独善的な権力はどこでも同じなのです。さらに彼は、アメリカのマスメディアや政治家たちは「イスラエルがパレスチナ人に対して言うことを信じるため」イスラエル兵の撃った弾丸で彼女は死んだかもしれないが「この戦争犯罪において犯人を特定したり起訴したりすることはない」としたのです。

レイ・ハナニア氏は、結局、アメリカのマスメディアや政治家たちの姿勢の根源は、「2つの事件に対する見方の違いは、1つの単純な事実に帰着する。イランを憎むのは簡単だが、イスラエルを憎むのはそう簡単ではない、ということだ。」と結論付けています。

ファルクンダ事件、ハザラ族に対する一連の虐殺・ジェノサイド行為、マフサ・アミニ事件、シリーン・アブアクラ事件の四つはそれぞれに独立の性質を持ち、共通する点も、共通しない点もある。そこにある違いは宗教的見解の差、民族の違い、性別、思想的立場といろいろだ。だが唯一の共通点がある。つまりそれは、違いを区別としてとらえるだけでなく、区別をもとに対立を造成し、差別と抑圧の根拠とする。そしてそれを理屈付けして集団形成の基盤=イデオロギーを生み、憎しみをさらに増強する精神構造である。利権や特権と結びつけられ人為的に作り出された憎しみが大衆に伝播浸透し残虐行為のエネルギーとなる。「利権や特権」と「造成された憎しみ」のどちらが原因で結果なのか一言でいいつくせないが、このしがらみを断ち切らない限り、問題の解決も平和も訪れないだろう。

 

<蛇足>

テーマ的に外れているわけではないが、別テーマの話になると思うので、問題意識のみ書いておきます。

今回、レイ・ハナニア氏のエッセーを見つけて引用したのですが、彼は9.11事件後にアメリアで対立しあうイスラエル(ユダヤ)人とパレスチナ人とでお笑いユニットを結成して全米興行して回った方だと思い出しました。また、同じ時期日本でも日本人学生がイスラエルからとパレスチナからの留学生が集う場をJICAの地球広場内に作り話し合いと共同作業を始めた、という話を思い出しました。(日本・イスラエル・パレスチナ学生会議 Japan Israel Palestine Student Conference)。イスラエル・パレスチナの場では絶対に不可能な共同作業をアメリカや日本でならできる、と決意した人びとが共同作業を始めたわけです。(アメリカでは結構大変だったらしいが)。また今年、映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」を観ました。この映画は、イスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の若者たちが「音楽をつくろう」という合言葉の元、お互いの憎悪の感情を昇華させてひとつにまとまろうとする、きわめて難しい試みを描いた感動作でした。人類社会のなかに存在する区別を消滅させる努力でなく「共生」させる努力をわれわれにはできるのだ、という事実を教えられました。
野口壽一

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~043

(2022年10月5日)

 遠隔操作、遠隔外交、遠隔戦争 

   ~米アフガン人質交換に透ける米の思惑~ 

 

日本では横田めぐみさんらの拉致事件がなかなか解決を見ないが、アメリカは2020年1月にターリバーンに誘拐拉致されていた自国民を先月2年8か月ぶりに取り戻した。もちろん、この事件でも事件解決に熱心でないばかりか悪名高い米アフガン特使ザルメイ・ハリルザドを解任せよと詰め寄る拉致家族の粘り強い活動があった。アメリカはターリバーンに単に圧力をかけたり甘い話をちらつかせたり哀願したりなどしなかった。単刀直入、人質交換で解決したのである。

(写真・釈放されたアブドゥル・ヌールザイ)

ターリバーンに拉致監禁されていたアメリカ人技師と交換にアメリカが差し出したのは、なんと、ターリバン誕生を資金的に支えた麻薬王だった。しかも、その人物を収監していたのは、IS(イスラム国)など名うてのイスラムテロリストを収監し非人道的な扱いや拷問で有名になった、あの、キューバ国内の米軍基地にあるグアンタナモ刑務所だった。米国はそこに17年5カ月も閉じ込めていたのだ。アメリカは在庫品の棚から交換品を取り出してターリバーンに渡し、拉致されていた自国民を取り戻したのだ。

アメリカは、拉致された自国民の救済のためだけにこの交換品を差し出したのではない。そこには、この取引を通してターリバーンを「遠隔操作」し、アフガン周辺のみならず、中央アジア、ユーラシア大陸全体にアメリカの政治・軍事戦略を展開する戦力=歩兵としてターリバーンを利用しようという遠大な陰謀が隠されている。

 

一味違うアメリカの拉致被害者奪還手法

アメリカが17年5カ月ぶりに倉庫から取り出したのは、 バシール・ヌールザイ、あるいはハッジ・バシャール(メッカへ巡礼を済ませたバシャールという意味)と呼ばれている人物だ。(ここでは以下、ハッジ・バシャールと呼ぶ。)

彼は一体何者で、アメリカの隠された意図はどこにあり、アフガン人はそれにどう対応するのか、以下、それを見てみたい。

今号では、この人質交換劇の重要性に注目して、下記4本の原稿を掲載した。

(1)汚れたゲーム=テロリストの育成と取引(筆者:Fateh Sami)
(2)遠隔外交と密着、破綻の運命(筆者:Fateh Sami)
(3)バシャール・ヌールザイ、グアンタナモ刑務所から釈放(筆者:Amin Kawa)
(4)アフガン解放をより困難にする麻薬王の釈放(Hasht-E Subh 社説)

お時間のある方にはじっくりと上記4本の原稿を読んでいただきたいのだが、分量がかなりあるので、野口の見解・解説も交えながら、アフガン人論客たちの言わんとするところを要約してみたい。

 

交換用人質はターリバーン生みの親にして麻薬王

ハッジ・バシャールがいかなる人物であるかについては、上記4本の原稿でも十分な情報が与えられているが、まるで小説のように生き生きと叙述されている著作がある。髙橋博史元駐アフガニスタン日本大使の『破綻の戦略』(白水社)だ。この第4章「ムッラー・ウマルと七人のサムライ伝説」の「決起 七人のサムライ――ターリバーン運動の始まり」では、悪の権化と化したムジャヒディーンを退治しにカラシニコフを肩に担いだウマル(オマル。ターリバーンの指導僧)ら一行がまるで、桃太郎を先頭に鬼退治に出かけるかのように出発する様が生き生きと描かれている。

(写真中央・ターリバーンに歓迎されるハッジ・バシャール)

髙橋によれば、この一行を見送り、鬼退治を成功させたのが、「彼らに武器弾薬、資金を与えて支援した・・・麻薬の密売を生業とするハジ・バシャル」に他ならなかった。ハッジ・バシャール(ハジ・バシャル)はムジャヒディーンから「脅迫や強請(ゆすり)をうけていた。・・・ハジ・バシャルに巨額の金額を要求した。約束が果たせない場合は、美人と評判の女房と娘を差し出せと恫喝した。困り果てたハジ・バシャルはウマルたちを訪ね、自分と家族を守ってほしいと懇願した。その見返りとしてカラシニコフ数丁といくばくかの金がウマルたちに渡された。ハジ・バシャルは単に自分の身を守るためにウマルたちを支援しただけであった。・・・ハジ・バシャルの家系は代々麻薬を生業としており、イスラームの教えからは遠く離れた犯罪者の一人であった。」
実に興味深い、ヴィヴィッドな叙述である。オマルらはこの後、鬼退治に賛同するタリブ(神学生)を次々と仲間に加えターリバーン(タリブの複数形)となっていく。投機的な利益を見出したハッジ・バシャールの支援にも力が入り、ターリバーンの成長をみたパキスタンとアメリカは、仲間同士内戦を激化させ国民の支持を失っていたムジャヒディーンに見切りをつけ、ターリバーンの育成に舵を切り変えていった。

 

ハッジ・バシャールのアメリカとの接点

ハッジ・バシャールは、2005年にニューヨークで麻薬密売の罪で逮捕され無期懲役の判決を下されている(Amin Kawa)。それ以前、英米の空爆により2001年にターリバーンが失脚したあと、ハッジ・バシャールはアメリカにわたり2002年から逮捕されるまでアメリカで麻薬密売に手を染め、ターリバーン復活工作を行ったり、CIAと接触したりしていたようである(Hasht-E Subh 社説)。
2005年以来17年間、ハッジ・バシャールはただひたすら餌を与えられていたわけではないだろう。主義主張や宗教的理念でなく実利でしか動かないといわれているハッジ・バシャールをアメリカは養育し、養育されている側は餌とともに飼育主の意図を咀嚼してきたのではないだろうか。

 

ザワヒリ容疑者の殺害とハッジ・バシャールの送り込み

人質交換のほぼひと月前の7月31日、アメリカはアル=カーイダのNo.2ザワヒリ容疑者をカーブルの隠れ家でドローンを使った爆撃により殺害している。当然、現地にはアメリカのエージェントがいる。アル=カーイダと最も関係の深かった最過激派のハッカーニ一族はドローン攻撃の前にパキスタンへ逃げていた。間違いなくターリバーン内部とアメリカとの間にはなんらかの連携があることは明白である。送り込まれたハッジ・バシャールの役目は、麻薬ビジネスによりターリバーン集団に軍資金を与えることであり(訳注1)、国際的な承認を獲得することのできないターリバーンに、アメリカ仕込みの知恵を授けることである。そうして、アメリカはターリバーンを薬篭中に収めるのである(Fateh Samiの2本の論説)。

ターリバーンが今困っているのは、資金ならびに偏狭で頑固なイスラーム解釈とパシュトゥーン・ワリ(掟)の因習である。国家運営を担わなければならないと自覚しているターリバーン支配層は、これまでのエネルギーだった宗教と部族的熱情だけではやっていけないことに早晩気づくはずだ。また、国際の側も、ターリバーンを変えなければ、アフガニスタンの膠着した悲劇的な状況を変えることはできないことに思い至るはずだ。

アフガニスタン国内で、ターリバーンに忖度・屈服することなく果敢に闘い続ける独立系ジャーナルであるハシュテ・スブのドメインをターリバーンがはく奪したのは、以上のような事実を暴露されることに恐怖を覚えたからに違いない。

一方、アメリカはというと、ウクライナ戦争における挙動で明白なように、何事もオーバー・ザ・ホライズン、つまり遠隔操作、遠隔外交、遠隔戦争でことを済まそうと決意しているようにみえる。

ターリバーンを手なずけて中央アジアでのポーン(チェスの歩)とし、ウクライナを後押ししてプーチンをへこませ、主敵である中国を包囲する、その戦略を着々と進めている。極東におけるポーンを誰にしようか、アメリカは考えているに違いない。

捨て駒にされないためにはどうすればよいか、じっくりと考えるべき時ではないだろうか。

 

(訳注1)アヘンはアフガニスタンの特産物である。野口がかつてアフガニスタン政府の依頼を受けて日本で販売プロモーションをした産物の中にアヘン(オピューム)があった。アヘンは医薬品であるモルヒネの原料である。調べた結果、東京都薬事局の許可が必要だということが分かり、有楽町にあった当時の都庁の担当部署をたずねたことがあった。そこで輸入したい、と申し出たら、「あなた本当に輸入するんですか」と聞かれた。「はい」と答えると、「麻薬取締法で逮捕されますよ」「だから許可をもらいに来たんです。アフガニスタン政府の依頼です」とのやり取り。担当官が詳しく説明することには「日本はインドからしかアヘンは買いません。昔日本が困ったときインドが助けてくれた恩があるんです。それ以来日本はインドからしか輸入しないのです」。仕方がないな、とアフガン側にその旨連絡したら、「インドはわが国からアヘンを輸入して世界に輸出しているんだ」とのこと。笑い話のようだが、政府が堂々と行う分にはアヘンの輸出入は合法だ。ギャンブルも政府や自治体が行えば合法なのと同じである。当然アフガニスタン政府の財務表にもアヘン売り上げの項目がある。外部に公表される財務表には「アヘン売却益は除く」という注意書きがあったりする。つまり、今までは違法だったものが、政権を奪取したターリバーンが現在行っているアヘン取引は、取引の内容を国際関係諸機関がどう判断するかを別にすれば、「合法」なのである。ハッジ・バシャールの大事な仕事となるはずだ。

<参考>バシャール・ヌールザイについては下記も参考になる。
アメリカの刑務所から釈放されたバシャール・ヌールザイ
By オルージ・ハキミ
https://mahabahu.com/bashar-noorzai-released-from-an-american-prison/

野口壽一

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~042

(2022年9月25日)

 人類史上、最古・最悪・最長の汚辱 ミソジニー 

   ~なぜ女性問題が大事なのか~ 

 

「ポニーテールは男子の劣情をそそるから禁止」という校則を設けている中学高校があるそうです。

 

イランでのマーサ・アミニさん事件

イランでは22歳の女性マーサさんが髪を隠すヒジャブを正しく着用していなかったとして逮捕・殺害され抗議の波が1週間以上つづいています。デモは激しさを増しており、死者が何十人と出ているそうです。(注1)

5年前、ツアーで10日間イラン各地を旅しました。入国すぐ、現地の男性ガイドが日本から参加した女性客に注意。「イランの男性は純朴で女性の髪をみると興奮するのでいつもスカーフを着用していてください (笑)」。全行程、日本から参加したご婦人方はまじめにガイドさんの指示を守りました。(この旅の写真記録はここをご参照ください。https://bit.ly/3dEGetL イラン女性の写真がたくさんあって服装事情をご確認できます。美人ばかりなので欲情してはいけません(笑))

 

イランやサウジでの出来事

ツアーの期間中イランの首都テヘランでは、自転車に乗るのを禁止されていた女性たちが抗議のデモをしていました。サウジアラビアでは車の運転を禁止されていた女性たちが免許をよこせと運動していました。
サウジの聖職者たちは、「女は愚かで運転に不向きだ」、「子宮に悪影響を及ぼす」、「姦通を容易にする」など、ふざけた理由を挙げて、女性の運転禁止を正当化しました。コーランを根拠に禁止を正当化する者は皆無だったそうです。当然ですよね、コーランが書かれたころには自動車なんてなかったんですから。(注2)

 

女性差別の底流にあるミソジニー

女性に対する偏見や差別や抑圧、嫌悪や蔑視さらには憎悪や恐怖の心情を英語でミソジニー(mysogyny)といいます。人類史上、最古、最悪、最長の汚辱です。

人類史上と言っても人類が農耕文化に移行して食糧を備蓄できるようになり社会に富と所有と権力が生まれてからのことなのでせいぜい1万数千年前からのことと思われます。(注3)

人類が定住し始めてから社会的な分業が始り、さまざまな差別が生まれました。女性差別に続き、生まれや身分や出身地、血統、家柄、氏族、民族、人種、貧富、階級、魔女狩り、奴隷売買、黒人差別、あらゆる違いが差別の原因となり、きりがありません。つまり、性別以外の違いはすべて人間が社会を営むようになって生まれた違いです。

では、女性はキリスト教がいうように男のあばら骨から生まれたもので、社会発生以前に「第二の性」として生物的に造られたのでしょうか。最近の生物学、発生学、遺伝学などの科学研究の結論から言えば、女性(メス)がさきで男性(オス)はその変形であり、男性を決定づけるY遺伝子は徐々に消滅する運命にあることがわかっています。(注4)(注5)

それらの知見に基づけば、ミソジニーは人間社会で家父長制の社会的役割を維持するためにあとから創造された差別の一形態にすぎません。農耕定住社会以前には存在していません。農耕定住社会が発生してから世界中の芸術、文学、人間の社会構造、歴史的出来事、神話、哲学、宗教に反映されていきます。ほぼすべての人間文化には、ミソジニーの証拠が含まれています。ミソジニーは、性差別的偏見とイデオロギーの中心的な部分であり、男性優位の社会における女性抑圧の重要な基盤となっています。(注6)

農耕定住社会にあっても原始共産制的社会にあっては母系社会が存在していました。その実例は中国に遺跡として保存展示されています。(注7)

 

インド亜大陸のミソジニー

ミソジニーについての論究は、東洋に比して、より家父長制の強い社会である西洋で活発になされています。しかしミソジニーの強烈さはヒンズー教の強いインドや、アフガニスタン・イラン・中東などイスラームの影響下にある地域でこそ目立つように思います。

インドではカースト制と結びつき、その最下層女性に課せられた乳房税とそれに絡むナンゲリの反乱のエピソードは耳を塞ぎ目をつむりたくなるほどの残酷な史実です。これは19世紀イギリス植民地時代に導入された税制です。ムラカラムと呼ばれるこの税制は人類が課した最もけがれた税金として、世界史のなかで記憶され続けることでしょう。思春期を過ぎたカースト最下層の女性は胸の大きさにしたがった税金を課せられたのです。税金を払えば胸を隠すことが許されます。この税制はカースト制を維持するとともに女性を差別抑圧するためのものでした。この税制に反対して戦ったナンゲリという女性が取った行動は衝撃的でした。彼女は税金を徴収しに来た王室の兵士や役人に対して、税金を払う代わりに自分の乳房をそぎ落しお盆に乗せて差し出したのです。現在のケララ州で20世紀までつづいた制度だそうです。(注8)

さらにインドでは今も持参金嫁殺し(持参金殺人)の痛ましい事件がつづいています。インドでは家族の名誉を傷つけたとか、花嫁の持参金が少ないといっては、女性を焼き殺す家族や義理の親族が今も後を絶ちません。政府の統計によると、花嫁の持参金に関するもめごとで約1時間に1人の割合で女性が死亡しているそうです。また、虐待から逃れるために、考えあぐねた末に自ら火をつける女性もいます。(注9)

都市部の中間層以上の家庭では、表面的には一見消え去ったかに見える女性差別と蔑視は陰湿な形で残り、教育を受けた知的な女性ですら厳しい抑圧のもとで暮らさざるをえない現実があります。女性が人間としての権利を主張し続けると近所の男たちが宗教的慣習を理由によってたかって焼き討ちをするなど、まるで現在のターリバンまがいのハラスメントが実行されます。映画「・インディアン・グレートキッチン」はそのような現代インドの矛盾とそれに反発する女性たちの姿を描いています。(注10)

日本の研究者がまとめた「インドにおけるジェンダー問題-女性の地位向上をめざして」という論文は現地のフィールドワークをもとに、結婚時に花嫁の家族から花婿及び花婿の家族に対してなされる「ダウリー」と呼ばれる結婚持参金(嫁殺しの原因ともなる)、寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺をする「サティー」や「こども婚」の実態とその悪しき慣習からの脱却の方法を検討しています。(注11)

 

女性差別と抑圧の宝庫=アフガニスタン

そのインドと地続きのアフガニスタンは宗教的にはイスラームを信奉していますがヒンズー教のインドに負けず劣らず女性差別と抑圧の宝庫であることは本サイトの読者であればすでによくご存じのことと思われます。アフガニスタン、とくにパシュトゥーン人の場合はイスラームとは関係なく、パシュトゥーン・ワリという部族慣習によってミソジニーが社会の骨肉となっています。その理由は、ミソジニーは女性が男の持ち物であることを保証するパシュトゥーンの家父長制を成立させるための「掟」の基盤だからです。(注12)

 

経済発展で変化するミソジニー

冒頭で紹介したサウジアラビアは2018年6月に女性の自動車運転を解禁しました。その狙いは、女性の社会進出を進めて経済を活性化させ、近代化を進めることにあります。 石油依存からの脱却を目指すムハンマド皇太子が主導する改革指針「ビジョン2030」は労働力に占める女性の割合を22%から30%に引き上げる目標を掲げています。地元メディアは、女性初の旅客機パイロット、消防士、ツアーガイドなどのニュースを報じています。2019年2月にはリーマ王女がサウジ初の女性大使に任命されました。女性の人権状況改善を印象づけ、外国の投資を呼び込む狙いもありそうです。(注13)

メッカ、メディナというイスラームの2大聖地を擁するサウジアラビで、一部族勢力でしかなかったサウド家はグローバル・ジハーディズムを掲げるワッハーブ派というイスラームの過激派と手を組み、世界最大の石油資源を独占する宗教的正統性を手に入れました。このワッハーブ派がアフガニスタンでソ連とのジハードを戦ったビン・ラーディンらの資金的・思想的バックアップとなったのです。それはパキスタンと組んでターリバーンを支援する現在にまで続いています。

サウジがワッハーブ派の教義に逆らってまで女性の権利拡大を急ぐ背景には、石油依存体質や公的部門に偏る経済の構築が急務という台所事情もあります。サウジはアラブの春後、不満を抱えた国民を懐柔するため補助金拡大などの大盤振る舞いに踏み切りましたが、原油価格の低迷も重なって、財政赤字が拡大。人口増加や石油消費の拡大で、2020年代には石油の国内消費が輸出を上回るとの予測もあります。人口増加によって補助金がさらに増加することになり、財政状況の悪化が懸念されています。(注14)

ミソジニーはサウジ社会をコントロールするイデオロギー手段として、つまり女性は家父長制社会秩序を維持するための鎮石(しずめいし)として使われていることが分かります。

 

ジェンダーランキング

ここまで、イラン、インド、サウジアラビア、アフガニスタンなどでのミソジニーの一面を見てきました。日本とは男女格差の現状に大きな差のある国々だと思われてはいないでしょうか。ところが、これらの国々と日本は、世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)が毎年調査・発表しているジェンダーギャップ指数ランキングでは、世界最低クラスのグループに属しているのです。ランキング形式というのは、ランキングを決める比較項目の設定や指数化の設定方法などでいかようにも変化させることができる代物で、信頼性については議論の余地がありますが、それなりに客観的な比較方法で各国の実情の一端を知るうえで参考にできる調査データであると思われます。

ジェンダーギャップ(男女平等)指数は、以下の4分野の統計データから算出されます。

・経済(労働参加率・同一労働における賃金・収入格差・管理職の男女比・専門技術の男女比)
・政治(議会や閣僚など意思決定機関への参画・過去50年間の国家元首の在任年数における男女差)
・教育(識字率・初等教育就学率・中等教育就学率・高等教育就学率の男女比)
・保健(出生時性比・平均寿命の男女差)

 

分かりやすい実例をあげると、下記のような現実がジェンダーギャップ指数を押し下げます。

・雇用機会や賃金が男女平等ではない
・性別を理由に「学歴は必要ない」と言われる
・性暴力や人身売買の被害に遭う
・児童婚や強制結婚をさせられる

 

2022年の結果を見てみましょう。

 

1位 アイスランド
2位 フィンランド
3位 ノルウェー
4位 ニュージーランド
5位 スゥェーデン



116位 日本
126位 サウジアラビア
135位 インド
143位 イラン、イスラム共和国
145位 パキスタン
146位 アフガニスタン
(注15)

調査対象国は146カ国で、アフガニスタンが最低。日本はサウジアラビア、インド、イラン、パキスタン、アフガニスタンなどと並んで最低国グループに位置しています。日本は教育では1位、健康は63位と好成績だったのですが政治が139位、経済は121位と総合点で男女格差の大きい国に位置付けられました。ちなみに2020年はインドが112位で日本は121位でした。WEF基準では日本はあれほどひどいミソロジーの国インドとそれほど変わらないのが実情なのです。

日本は、全体的な社会進歩指数では上位にいても、社会的な働き手としての女性の地位が低いのです。女性は専業主婦や非正規職員が多く、管理職も極めて少なく、それらがジェンダー格差の大きい国だとみなされているのです。

なぜわれわれがアフガニスタンやイランやインドなど、日本とともにこのような低水準にある国々に関心を持たなければならないのか、それは、日本が上に上がることを目指すだけではミソジニーはなくならないからです。その国の賃金水準を引き上げるためには上の部分を上げるのでなく、最低水準の底上げ、つまり最低賃金の引き上げが必要なように、国際的な底上げが必須だからです。

ミソジニーはあらゆる差別・抑圧のもっとも基底部分をなす人類史上最古・最悪・最長の汚辱です。これの解消なしに他の差別・抑圧はなくならないからです。

 

頑張る余地は大きい

冒頭で述べたポニーテールを学則で禁止している学校がある県とは恥ずかしながら私の出身の鹿児島県です。今年の春ネット上で話題になりました。(注16)

ポニーテール事件はささやかでそれほど切実なものではないですが、本質的にはイランでのマーサ殺害事件と同質のミソロジーです。
鹿児島は、そうでなくても男尊女卑の厳しい県と思われています。ジェンダー指数をとるとあまりいい成績は取れないのかもしれません。
ただ、鹿児島の名誉のために言うと『女と刀』(中村きい子、1966年、光文社刊)という本があります。ドキュメンタリー風小説のこの主人公になったモデルの女性キヲは「島津権力直属の城下士族に頭があがらず、といって平民の座に安住することもできぬ薩摩外城士族の子として生まれた。洗濯だらいも別、風呂も男が先といった男女差別の中に育てられた母。その母が、被害者意識のひとかけらもないユニークな女性として」「成長していった――『非国民』『鬼ばば』といわれようと、太平洋戦争を拒否する強い母」となった筆者の母の壮絶な生き方が力強い筆致で描かれています。(注17)

アフガニスタンにはミーナという女性がいます。
彼女は、1919年にアフガニスタンを独立に導き国王となったアマーヌッラーやPDPAなどの上からの女性解放でなく、民衆の側から、かつソ連軍が侵攻する2年前、PDPAが政権を取る前の年1977年に若干20歳でアフガニスタン女性革命協会(RAWA)を結成し、極端な家父長制、父権社会であるアフガニスタンの現実に戦いを挑みました。彼女の敵は思想的な左や右や保守とか革新とか宗教などの通り一遍の対象ではなく、社会に剝がしようもなくシミついて息をするのも苦しいほどに女に襲い掛かってくる悪魔のようなミソロジーそのものでした。だから、RAWAの闘いはそのミソロジーを消しさるための社会改革が闘いの課題となり、その対象は既存の政治、宗教、部族、民族に巣くうミソロジーの裏返しである男尊思想そのものだったのです。30歳の彼女が、1987年2月4日にパキスタンのクエッタでKHAD(KGBアフガニスタン支部)のエージェントと、原理主義者の共犯者の手によって殺されたのは理由のないことではありません。ミーナの思想を引き継いだRAWAは現在も活動を続けています。(注18)

ミソロジーの煉獄の中で戦い抜いた鹿児島やアフガニスタンの彼女らには、乳房税の徴収にたいして自らの乳房をそぎ落して差し出して抗議したナンゲリの血がながれているのを感じます。

 

 

(注1:https://afghan.caravan.net/topics/#mahsa_protest)
(注2:https://wedge.ismedia.jp/articles/-/10988)
(注3:農耕文明はメソポタミアで1万2000年前に始まったとされています。トルコで現在発掘が進められているギョペクリテペは人類が農耕を始める前の宗教遺跡ではないかと言われています。それが真実なら古代史の一部書き換えにつながるかもしれません。ギョベクリテペは、人々が最初の農場を作る500年前に建てられています。つまり、農耕に先立って、宗教や儀式という概念を人間が有していた可能性を示しています。)

ギョベクリテペ遺跡 ・ギョベクリ・テペ(文化遺産:2018年)


ギョベクリテペ-文化遺産:2018年/
(注4:できそこないの男たち 福岡伸一/著 地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生物の性は単一で、すべてがメスだった。<生命の基本仕様>――それは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスは、メスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸の役割を果たす〝使い走り〟に過ぎない――。
分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと駆け引きの息吹を伝えながら≪女と男≫の≪本当の関係≫に迫る、あざやかな考察。
(注5:1,400万年後にはY染色体がなくなり、男性がいなくなって人類は絶滅するという説があります。Y染色体は変質して生き延びオスを作るシステムは継続されるという説もあり、議論がなされています。https://bit.ly/3xQgMsa)
(注6:Wikipedia-mysogyny)。
(注7:アフガン女性の闘いの意義/「人類史の視点から」

視点


「母系社会(母権社会、母系相続)、父系社会(父権社会、父系相続)についてはさまざまの学説があり、東洋と西洋とで、大雑把に言えば東洋では母系社会への理解が深く、西洋では父系社会を強調するきらいがある。しかし、中国でもBC11世紀からBC7世紀ころの殷や周の時代に血縁氏族社会が形成されるころには母系氏族社会から父系相続の父権社会へ移行していった。それはなぜかといえば、農業生産によって富と権力の蓄積が可能となり、財産を実子相続しようとすれば、誰が自分の子供であるかを認知・保証する必要があるからである。「母が誰かは知っている。しかし父が誰かは知らない」状態では父は「誰が実子であるか」を知り、確信することができない。確実に認知するためには妻を隔離し他の男と接触させないようにすることがもっとも確実である。中国宮廷での宦官制はその極致だろう。」
(注8:https://voi.id/ja/memory/10933/read)
(https://hwikija.cyou/wiki/Breast_Tax)
(注9:
https://jp.wsj.com/articles/SB10777827119304873821304581127623629104968)
(注10:https://afghan.caravan.net/great-indian-kitchen/)
(注11:
https://www.obirin.ac.jp/la/ico/con-sotsuron/sotsuron2009/2009M-tsutsumi.pdf)
(注12:松井健、西南アジアの砂漠文化、2011年、人文書院)
(注13:朝日新聞デジタル 2019年6月21日
https://bit.ly/3LIKCEL)
(https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Periodicals/Me_review/pdf/201807_01.pdf)
(注14:東洋経済ONLINE 2017.09.28 サウジが「女性の運転解禁」に踏み切った事情https://toyokeizai.net/articles/-/190633?page=2)
(注15:https://eleminist.com/article/2205)
(注16:https://www.ouchi-time.blog/poni-te-ru-kinshi/)
(注17:解説・斎藤 真理子
(https://www.webchikuma.jp/articles/-/2751)
(注18:https://afghan.caravan.net/#~RAWA)

野口壽一

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~041

(2022年9月15日)

 英雄・偉人はいかにして生まれるのか 

  ~マスード氏殉死21周年に際して~ 

 

ロシアがウクライナに攻め込んだ大事件を目撃して、英雄・偉人が時代をつくるのか、時代が英雄・偉人をつくるのか、歴史学や社会学や文学でつねに繰り返されるこの問いが、脳裏に浮かんだ。

元コメディアンとの冠つきでなかば冷笑的に語られていたゼレンスキー大統領が避難を拒否し決然として抵抗の先頭に立ったことにより、核武装した大国ロシアの自信満々なマッチョ大統領プーチンを蹴倒して、一挙に、全世界を大きな渦に巻き込む立役者となった。逆に世界のヒノキ舞台で耳目を集め続けてきた武道家プーチンは核の恫喝の無力さを満天下にさらけ出す引き立て役になり下がった。ただし今後、理性を失ったプーチンがどうでるか、いまは不明ではあるが。

一方、ソ連がアフガニスタンに侵攻した79年には世界では無名であったアフマド・シャー・マスードは、22年後には世界を揺るがす9・11米国同時多発テロ事件の実行者たちの前に立ちふさがる存在にまでなっていた。ゼレンスキーの歴史への登場の仕方とはまことに対照的である。

マスードはソ連軍侵攻の数年前からイスラム同盟メンバーとして活動を始めていた。彼の名前が日本に知られるようになったのは長倉洋海氏が1983年から彼に密着取材してその戦いと思想を伝え始めてからだった。
私が知ったのもそのころ。ソ連軍がてこずるゲリラ活動家としての存在をそのソ連から知らされた。(「ソ連のアフガン侵攻時の既視感」参照)マスードはアフガン国内の山岳地帯パンジシールを拠点に「峡谷の獅子」とし勇名をはせ始めた。ソ連軍とPDPA軍は激しい空爆も含め何派にもわたる掃討戦を繰り返したが、国外に逃亡しないマスードを幾度も取り逃がし、捕縛も殺害もできなかった。おおくの反政府ゲリラ=ムジャヒディーン指導部はパキスタンに逃れ安楽な国外から反対運動を指揮したが、マスードはよっぽどのことがない限り国内から出ず、むしろ住民の中に入り住民からの支持を最優先しパンジシールを解放区と呼べる存在にまでつくりあげた。その存在を見て、アフガニスタンのチェ・ゲバラと呼ぶ人まで出てくるほどだった。

私は当時、「アフガニスタンを知る会」をつくり毎年アフガニスタンに友好訪問団を送り、「日本アフガニスタン友好協会」へと活動を進めていた。駐日アフガニスタン大使のアブドゥル・ハミド・ムータット氏が相談役だった。彼はマスードと同族同郷で遠い縁戚関係にもあった。後に日本アフガニスタン合作記録映画を監督した土本典昭さんらと一緒にマスードについて話を聞いたことがあった。土本さんは記録映画監督としての本能から、マスードへのインタビューを希求していた。『よみがえれ カレーズ』でその実現を試みたがかなわなかったが。

アフガニスタンでの反政府勢力との武装闘争が激しくなり、その中心にマスードが登場してきた。ソ連とPDPA政権は1986年にカルマルからナジブラーにトップを替え、反対勢力との和解(国民和解)を追求する政策に転換した。その交渉役にムータット駐日大使に白羽の矢が立った。それまで、日本との正式な関係を断ち切りたくなかったアフガニスタンは日本政府から正式に承認されていたムターット氏を召還せず日本に留め置いていた。しかし背に腹は変えられず、ムータット氏を呼び戻すことにしたのだった。ムータット氏は悩んだ。いくら同族同郷とはいえ、思想的に大きな隔たりがある。果たして命をかけた戦いをしている双方の和解の労が取れるものだろうか、と。その間の事情は『わが政府 かく崩壊せり』(2018,Barmakids Press)に詳しい。

結局、ソ連とナジブラー政権は、戦地にいるマスードとの直談判にムータット氏を送り込んだ。ムータット氏はゴルバチョフソ連大統領の親書をマスードに手渡し、撤退の段取りをつけたのだった。国内をコントロールする能力をもったマスードの助けがありソ連軍は撤退作戦で一兵の損失もなく10カ月かけて平和裏に帰国できたのだった。

1992年のPDPA政権の死に水をとり、マスードらにアフガニスタン共和国の権力を平和裏に委譲したのもムータット氏の働きが大きかった。このプロセスも前掲書で詳細に述べられている。

PDPA政権の後をついで、マスードは国防大臣に就任し、新しい国づくりに乗り出そうとした。だが、ムジャヒディーンをまとめることに失敗し、ターリバーンの登場を許してしまう。しかし最後まで彼は、アフガン人の団結とテロとの戦いをやめなかった。パキスタン・アメリカとともにムジャヒディーンを育て上げたビン・ラーディンはマスードを心から憎み、最大の敵とみなしていた。ビン・ラーディンにとってマスードこそが9・11作戦の最大の障害だったのである。

テロリズムや偏狭なイスラーム主義(もはやイスラームとは言えないが)に立ちふさがる英雄・偉人としてマスードはその名を留めている。まさに時代がつくった英雄・偉人と言えるのではないだろうか。本号で紹介した「アフマド・シャー・マスードと歴史の歪曲」はマスードの名を利用するご都合主義者たちがゾロゾロはい出してきている現状を痛烈に批判している。

われわれにとって残念なのは志半ばで倒れたマスード氏をこれまた闘いの半ばで追悼しなければならないことだ。

ゼレンスキー氏をそうさせてはならない。

 

野口壽一

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~040

(2022年9月5日)

 米NATO軍撤退1年 

  ~アフガニスタンをめぐる議論の今~ 

 

本サイトでは「アフガンの声」「世界の声」コーナーを設けてアフガン問題に直接かかわる人びとの声を紹介してきた。われわれが一番身をよせて聞かなければならないのは、これまでの数十年(アフガン人に言わせれば100年以上)、アフガン社会経済の進歩発展を希求してきた人民大衆=民衆の声だ。だが、いま聞こえてくるのは悲痛というより悲鳴の連続。それらは「声」「トピックス」欄で取り上げてきた。

そのような悲鳴を歓声に変えるには平和と未来への展望が不可欠だ。それを実現できるのは政治の力。いまはまだアフガニスタンは政治が機能する以前の段階にとどまっている。そこから脱却するにはどうすればいいのか。まずは、現在の混乱の原因ともなった、火中の栗を拾いにいった米英の軍事関係者の自己批判(自己弁護)を聞いてみよう。

 

侵攻した側の反省-1、英国
「戦争目的を明確化できず、アフガン人を裏切った」

率直な反省の弁を述べるのは、イギリスのセント・アンドリュース大学国際関係学教授ヒュー・ストラチャン氏。戦争・軍事戦略・英国陸軍の世界的な専門家である。

同氏は、「われわれはアフガニスタンの失敗を繰り返している。 ウクライナではもっとうまくやるべき」の中で、一言でいえば、「米英が主導するNATOは戦争の具体的な目的を明確にできなかった」と指摘している。そして、その欠点は現在のウクライナ戦争でも克服されているとはいえない、と警鐘を鳴らしている。
「アフガニスタンが教えてくれたはずの教訓。NATOが設定した明確な目的は、価値観の共有という美辞麗句だけ。国家建設なのかテロ対策なのかがうやむや。和平交渉でアメリカがそれまでの戦争を継続する決意を放り出すまで決め切れなかった。」と。

つまり、アフガニスタンでは「反乱鎮圧」なのか「テロ鎮圧」なのか20年間決めきれず、ついに「明確な勝利の概念をすべて捨て去り、その結果、敗北した」という。ターリバーンはつねにジハードという目的を堅持し、そのためにはなんでもやり、勝利した。「現代の戦争では誰も勝てないというのは、言い逃れだ」、ターリバーンは勝利したじゃないか、と断言する。

「NATOがアフガニスタン戦争を代理戦争としたことで、その増し続ける重荷を背負ったのがアフガニスタン国家治安部隊と部族民兵で、アフガニスタン政府は部族民兵に頼るようになった。米国が支援をやめたとき、どちらも崩壊した。アフガニスタン国家治安部隊は、特に空からの支援を受けることを見越して訓練され、それに頼りきっていたからだ。」

「あまりにも多くのアフガン人が苦しんできたのは、われわれの約束に期待したのに、最後にわれわれがその約束を遵守しなかったから」

つまり、戦争の目的もはっきりさせず、味方としたアフガニスタン政府と国民への約束を破った、つまりは裏切ったのだ、と明確に述べている。

 

侵攻した側の反省-2、アメリカ-1
「戦略的忍耐力の欠如」

アメリカ中央軍指令官、アフガニスタン駐留NATOアメリカ合同軍指令官、米中央情報局(CIA)長官を歴任したデビッド・ペトレイアス氏は「アフガニスタンはこうなる必要はなかった」のなかで、次のように語っている。

一言で言うとアメリカの敗北は、「戦略的忍耐力の欠如が招いた結果」である、と明確に述べている。

昨年の米軍の撤退と撤退作戦の混乱は敵対国に、「米国が信頼できるパートナーではなく、むしろ衰退しつつある大国であるとの主張を可能ならしめた。」「現状は必然の結果ではない。」「もし私たちが途中で修正し、失敗の数を十分に減らしていれば、アフガニスタンへの関与を続けるという選択肢は、ワシントンの歴代政権にとって、より魅力的なものとなり、撤退を完全に回避できたかもしれない」、と。

さらに同氏は、「2001年に突如介入したのは私たちだ。結果としてその道筋を支援し続ける責任があった。どんなに長くかかろうとも。」「アフガニスタンに侵攻したのは正しい選択だった。アル=カーイダが9・11テロを計画した聖域をなくすことは、わが国の安全保障にとって不可欠だった」から、と述べる。

同氏は、アメリカの最重要作戦の1つが「なぜこれほど果てしないフラストレーションを生む結果となったのか」と自問し、その答えを下記のように提示する。

「2001年末にアフガニスタンに介入した当初も、現地に実質的な軍事司令部を設置することに消極的であった。そして、翌年、現地に司令部を設置した後は、すぐにイラクに焦点を移した。アフガニスタンに再び注目と資源が注がれたときには、最初の侵攻から約8年が経っていた。その間、アフガニスタンでは比較的暴力が少ない時期が長く続き、ターリバーンと他の反乱分子がパキスタンで再集結し、やがてアフガニスタンに舞い戻った。この機を逸したことで、私たちはアフガン軍や関連施設のより大胆な改善にうまく踏み出せなかった。」

長期的な国家建設は脇に置き、出口の模索を繰り返した。」

「2020年にターリバーンと結んだドーハでの最終和平合意によって、米国は翌年の撤退を約束した。そのテーブルに選挙で選ばれたアフガン政府はおらず、私たちが交渉した。これは、米国がこれまでに当事者となった外交協定の中で最悪のものに位置づけるべきものだ。」

「ターリバーンは、見返りとして価値ある何かを差し出す必要がほとんどないことに気づいていた。」

アメリカの戦略的忍耐力の欠如が招いた結果」にほかならない、
「当時最初から最後まで、特に最後のほうは、アメリカの関与が足りなかったのだ。」

「私たちのヘリコプターなど、アフガニスタン軍が維持するには複雑すぎる米国のシステムを買ってやった。もしアフガニスタン軍がより複雑でない(通常は米国製でない)装備を獲得できるよう手助けしていれば、アフガン軍をより持続可能な戦闘力へと成長させることができたかもしれない。」

「皮肉なことだが、米軍や連合軍抜きでもやっていけただろうアフガン軍といえども、請負業者なしでは無力だった。1万5000人をはるかに超える請負業者の助けで、空軍の航空機隊をはじめとする米軍提供のシステムを運用できたのだ。」

そして、決定的な困難を生んだのはパキスタンの非協力であったことを明らかにしたうえで、失敗の3要因を次のようにまとめて、論を終えている。

戦略的決意の欠如
必要な資源を投入せず持っている資源を適切に配分しなかったこと
活動している国や領域を十分に理解し適切に対処しなかったこと

 

元PDPA中央委員の発言
「アメリカは戦争では負けていなかった」

ところが、現実のアフガニスタンの国土で闘われていたターリバーンと米NATOの戦闘を具体的にみていくと、米NATO軍がターリバーンに戦闘で負けたという事実はないのである。そのことを本サイトで元PDPA(アフガニスタン人民民主党)中央委員アサドゥラー・ケシュトマンド氏が指摘している。
米国にとってアフガニスタンでの〝敗北〟の意味とは?
彼によれば、「ここのところ、ほとんどの人がアメリカはアフガニスタンで敗北したと語っている。しかし失敗の単純な定義すら示されていない」として次のように述べている。
「アメリカの狙いが本当にアフガニスタンでテロリズムと戦うというものであったとするならば、確かに、現状は失敗だったというべきだろう。しかし、そのような闘いは遂行されなかったので、設問は戦場での勝ち負け問題に収束してしまう。アメリカの本当の目的はテロリズムと戦うことだったのか、それともその侵略は他の目的を隠すための煙幕だったのか。であれば、 なぜテロリズムの主要な発生源であるサウジアラビアを第一のターゲットにしなかったのか。」

サウジアラビアとともにパキスタンをもターゲットにすべきだったのだ。そのことは前段でデビッド・ペトレイアス氏も指摘しているとおりだろう。

ケシュトマンド氏は指摘する。
「2001年のターリバーンの転覆を除いて、ターリバーンと米NATO軍との間に実際の戦争はなかった。」「米国がターリバーンに軍事的に敗北した事実はない。」「ターリバーンは主に米・NATO軍の主要基地から離れた場所での妨害活動と爆破を主に行ってきたにすぎない。」

デビッド・ペトレイアス氏も次のように述べる。
「『アフガン国軍をもっと反乱軍(ターリバーン)のように鍛えるべきだった』と言う人は、国軍は必然的に反乱鎮圧軍として機能しており、各地の人口集中地区と都市インフラを守らなければならなかったことを忘れてはならない。かたや反乱軍は、好きな時に好きな場所を攻撃できるので有能に映るだけだ。」

また、次の節で紹介する2将軍も現実にはターリバーンとの戦闘では勝利していた、との認識をしている。ドーハでの交渉をしていた間、現実の戦闘場面は次のようだったという。
それまでの(撤退までの)1年半の間に、ターリバーンはやや衰え、多くの作戦行動で負けていると感じた。われわれがその気になれば排除できるほど、とても弱っていた。それを踏まえての提案(2500人の米兵力をアフガンに残すべきという提案)だった。」

戦闘で負けたという認識はアメリカにはない。それは、『アフガニスタン・ペーパーズ』に記録された、戦争の目的不明、誰が敵かも不明、何をやっているかも不明なちぐはぐで馬鹿げたあきれるような行動の連続・集積であったことを暴露する無数の証言が明らかにしている通りであろう。

 

侵攻した側の反省-3、アメリカ-2
「全面撤退の必要はなかった」

だから、現実にアフガニスタンで闘った軍人たちには戦闘で負けた自覚がない。そのことを、撤退の模様やそれに至るプロセスでのさまざまな問題点を明らかにしたアメリカ2将軍のインタビュー記事がある。
VOA、2将軍にインタビュー アフガン撤退後アメリカは?
アフガニスタンで軍務につき指揮をしたフランク・マッケンジー退役海兵大将とジョセフ・ヴォーテル退役陸軍大将のふたりのインタビューである。
VOA(ボイス・オブ・アメリカ)のこのインタビューで両将軍は、おおくの事柄に言及しているが、興味深いことは、撤退計画自体が誤りで、最低2500人の米軍部隊とNATO部隊を残存させる計画をもち、ドーハ協議にアフガン政府を参加させるなどして、ターリバーンとの条件交渉を行えば、全面撤退の必要はなかったと主張している点である。

「カーブルの陥落問題を、私は完全にアフガン軍部のみの失敗だとは思っていない。政府全体の崩壊が原因と見ている。だから、われわれのアフガン支援への評価と同様、これを単に軍事面からのみとらえて、アフガン軍の見事な失敗だと言うのは間違っていると思う。米国政府の側にも非難すべき要素が他にたくさんある。まさにアフガン政府が崩壊したとき、われわれの計画も崩壊したのだ。アフガン政府全体を支援する計画が崩壊してしまった。少なくとも私の見解では、ドーハ協定において、ターリバーンから本物の条件付譲歩を引き出す交渉ができなかったことが、事態を決定づけたのだ。」

さらに、今回の撤退はテロとの戦いに関してはなんらの成果もあげえていない点指摘し、再度のアフガニスタンへの派兵の可能性もある、と準軍事的な観点からの可能性をにおわせるなど聞き逃せない発言も記録されている。

「これは本当に心配なことだ。われわれが数十年にわたって戦ってきたテロ組織は、変幻自在で、変化し、進化し、やり方を変え、われわれの予想とは異なる方法で成長してきた。そして、このような組織に対してプレッシャーを与えずにいると、組織が巨大化する可能性がある。だから、私はこのことを非常に心配している。われわれがイラクに戻ったように、またアフガニスタンに戻ることになるのかどうか、文字通り3年以上経ってからだが、それは分からない。そうでないことを祈るが、われわれはそのための準備をしなければならない。そして、これらのテロ組織に圧力をかけ続けることは、わが国にとって重要な利益であり、アフガニスタンという国にとって重要なだけでなく、わが国とわが国の国民の安全にとって重要であることを認識しなければならない。」

しかし、このような軍事上のテクニカルな机上作戦を実行に移すことは出来っこない。アフガニスタンへの米NATOの2度の派兵はあってはならない。アメリカの外交政策に影響をもつCFR(Council on Foreign Relations)は、「アフガニスタンの将来に影響を与える米国の能力は、今やほとんど存在しないのである。ターリバーンが支配し、アフガニスタン国民は彼らのなすがままになっている
との認識だ。「覆水盆に返らず」なのである。

現在、アフガニスタン国内では、ターリバーンへの武装抵抗が生まれたり、残存テログループ(IS-KPなど)の反ターリバーン活動が活発化する兆しがある。仮にそのような動きが発展し内戦状態になったとしても外国勢力が介入すべきではない。ソ連、NATOにつづく第3の軍事介入はアフガニスタンに一層の不幸を生むだけだからだ。

野口壽一

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~039

(2022年8月25日)

 責任の自覚、受容の覚悟 

  ~アフガニスタンと米英と日本~

 

前号のニュースメールで書いたように、8月15日はアフガニスタンと日本にとって重要な節目の日でした。
いうまでもなく日本は敗戦の記念日。しかし77年前のその日は世界から奇跡と驚かれる目覚ましい発展のスタートの日となりました。
一方、アフガニスタンは、西側諸国あげての近代化の夢破れ、中世的過去へ逆戻りした屈辱の日。歓喜するターリバーンの登場から1年。国家経済は破綻しテロは止まず内戦の気配さえ漂います。

今日お届けする8月25日号では、アフガンの人びとおよびアフガン戦争の実行者であった米英軍関係者がターリバーンへの敗戦1周年をどうとらえているか幾本かの記事を集め、あわせて日本の8・15の意味を考えてみました。

 

自らの責任を問うアフガニスタン

まず、アフガン現地で活動する独立系日刊メディア『ハシュテ・スブ(午前8時)』は「国家破綻記念日と過ちを告白する勇気の欠如」と題する主張を掲げています。8月15日をテロ集団に対する国家の敗北の悲劇の日と位置づけ、敗北の現実を厳しく直視します。

共和国の敗北は、単に政治体制の敗北にとどまらない。それはまた、砂漠に対する都市の敗北、旧弊に対するモダニズムの敗北、中世の価値観に対する現代の価値観の敗北、専制に対する自由の敗北、迷信に対する理性の敗北、素朴に対する芸術の敗北、激しい宗教性に対する穏健な宗教性の敗北」であったとし、「20世紀の輝く歴史的好機を生かし損ねたわれわれの世代は、続く数世代の願望を破壊してしまった」と厳しい自省の目を自分自身に向けています。

では、その敗北をもたらした原因は何だったんでしょうか。もちろん、敗北の原因には、グレートゲームに興じる外部勢力(欧米、ソ連・ロシア、パキスタン、サウジ、等々)の干渉があります。そのことは「ターリバーン2.0 : 奪権1年の軌跡」が詳しく論じています。同記事では、力による抑圧のみに頼るターリバーン政権には未来がないことも論じています。たしかに、それら外的要因は失敗の原因のひとつだったのでしょうが、逆に「歴史的な好機」を与える条件だったのかもしれません。ソ連とPDPA(アフガニスタン人民民主党)にしろ、アメリカにしろ、アフガニスタンで実現しようとしていたことは「近代化」であり、それを願望するアフガン人との共同事業だったのですから。共同の在り方にはさまざまな問題があったとしても。ソ連の場合はアフガニスタンにとって「明後日の近代化」、アメリカの場合は「明日の近代化」であったわけですが、それらの支援、チャンスをつかみ損ねたのだと主張しています。

ハシュテ・スブの主張は、次に誰が敗北したのかを列挙します。「政府の役人、大臣、副大臣、弁護士、社長、経営者、野党、市民活動家、国民的ビジネスマン、詩人、作家、学識経験者、政治に関心を持つ若者、外交官、・・・」と共和国を構成した一人ひとりの責任を問うていきます。

責任追及の刃は仮借なく自らの陣営に迫っていきます。そしてなぜ、そのような敗北、近代化チャンスの取り逃がしをしてしまったのか、「ターリバーンの政権奪回を可能にした多次元的な無知と内的要因」が解明を試みます。この論では、これまですでに指摘されている政府高官や国軍指導層の汚職、パキスタンISI(軍情報局)やアメリカとの内通・陰謀、『アフガニスタン・ペーパーズ』がこれでもか、これでもかというほど暴露した的外れな軍事作戦や占領政策などにも原因をみていますが、もっとも注目すべき点として次のような指摘をしています。
無知も度を超すと、ひどい社会的無関心へ、そして政治的無関心へとさえもつながる。隠れた社会的共謀が、ターリバーンを利するよう今の社会の雰囲気をお膳立てしたように思えた。私が無意識の社会的共感と呼んでいるものだ。国民は、市民活動家、社会運動家、女性、作家、メディアといえども誰ひとり、1990年代のターリバーン支配の4年間とその後20年にわたり彼らが引き起こした流血について真剣に問いかけなかったのである。ターリバーンが権力を失っていた20年間、カーブル政権はターリバーンのイデオロギーに真剣に異議を唱えそこねた。この間、過激主義とその行き着く先を糾弾する真剣な警告書は一冊も書かれなかったし、彼らの過激なイデオロギーを糾弾する真剣なテレビ番組も放送されなかった。まるで、ある種の意図せざる、暗黙の共謀が社会に浸透していたかのように、ターリバーンは復活した。
この指摘は、いささか極端で、「ひとりもいなかった」と断言すると異をとなえるアフガン人も多いだろう。しかし、ここで指摘されているのは、ターリバーンの暴力的な振舞いへも、共和国政府の汚職や無能ぶりへも、呆れかつ諦めて「無関心」に陥っていたアフガン社会の在り様を問題にしているのです。そのような無関心のもとに、アメリカや国際的な諸機関がばらまく札束に群がって利権を争ったアフガン人の在り様を問題にし、それこそがターリバーンを復権させた原因であった、と断じているのです。7月13日付の「アフガンの声」掲載の主張「アフガン人は乞食ではない」とともに、私はこの指摘に深く賛同します。
さらに、ターリバーンの女性嫌悪の悪行に体を張って闘う女性の誕生とともに、ここで紹介したような論をもってジャーナリズム活動を展開する世代(20代~40代)がアメリカの占領時代に生まれてきたという事実の中に、ソ連時代、アメリカ時代の2度のアフガニスタン近代化の努力が無駄ではなかったと確信するのです。

 

失敗を繰り返す打つ手のない米英

本サイトでは邦訳が出版される前に半年をかけて『アフガニスタン・ペーパーズ』から読書ノートの形でもっともキモな部分を紹介してきました。それは、アフガニスタン社会の現実や歴史や住民感情を無視した強引な近代化・民主化政策や経済政策の大半が失敗した現実を赤裸々に明らかにしていました。
さらに先号では、米国陸軍大将としてアフガニスタン、イラクで司令官として戦争遂行に携わり帰国後CIA長官を務めたデビッド・ペトレイアス氏の「アフガニスタンはこうなる必要はなかった」を掲載しました。ペトレイアス氏は、自身も責任者としてかかわったイラク戦争と比較しながら、アフガニスタンでの自らの施策を含む数々の誤りと失敗とを率直に認め、その結果がターリバーンの復権という現状をもたらしたのであり、しかしながら必ずしもその結果は必然のものではなく、別の結末がありえたと率直に語っています。
加えて今号では、アメリカとイギリスの二人の軍事専門家の論文を紹介しました。
ひとつは「ターリバーン支配下のアフガニスタンでは米国の影響力は限定的」。筆者のマックス・ブート氏は、米国の外交政策決定に影響力をもつといわれているCRF(Council on Foreign Relations)の専門員であり、外交政策・防衛とセキュリティ・軍事史・戦争と紛争を専門分野としています。彼はこの論文で、アメリカはもはや武力を行使することもできず、また70億ドルという巨額のアフガン凍結資金の解放をちらつかせてもターリバーンをどうすることもできない現実をため息交じりにリアルに描いています。

もうひとつの論文「われわれはアフガニスタンの失敗を繰り返している。 ウクライナではもっとうまくやるべき」。筆者はヒュー・ストラチャン。セント・アンドリュース大学国際関係学教授、戦争・軍事戦略・英国陸軍の世界的な専門家です。
彼はこの論考の中で、英米NATO軍は明確な勝利イメージをもたずに戦争を遂行し、アフガニスタンのパートナーに対して行った約束を真剣に守ろうとせず、困難から逃げ出した、と極めて厳しく批判しています。「現代の戦争に勝者はいない」という言い草は負け惜しみであり弁解に過ぎない、とも主張します。ターリバーンという勝者が現実にいるではないか、と。アフガニスタン戦争の目的が「国家建設なのかテロ対策なのかがうやむや」だったようにウクライナ戦争でもNATOは「価値観の共有という美辞麗句」だけで戦争の目的をはっきりさせていない、それでは勝てるわけがない、と手厳しく主張しています。

ストラチャン氏は「自国が当事者である戦争では、ある意味で非国民と思われずにその行為を自己批判することは難しい」との前置きをし、立論しています。イギリスは実質的にウクライナを代理としてロシアと交戦しているわけで現在戦時中です。「非国民と言われる恐れ」を甘受しても言うべきことを言うという覚悟を、いまのイギリスでも迫られていることが感じられます。

 

いまだに敗戦の総括ができない日本

さてそこで日本です。8・15という同じ日付を国の重大な節目としてアフガニスタンと共有しています。

アフガニスタンではターリバーン以外の大多数が8月15日を「敗戦」と認識していることはまちがいありません。
しかし日本では8・15を敗戦」ではなく「終戦と呼んでいます。そんな日本で「敗戦の総括ができていない」と叫ぶのはいささか空しさを覚えます。「終戦の日」と呼ぶ人びとの胸の底には「敗戦ではない」という思いがあるのではないでしょうか。

77年前の8月15日はまごうことなき「敗戦」です。戦争中はストラチャン氏のいう「自国の戦争」を批判すればたちどころに非国民として逮捕投獄され、拷問殺害されることもまれではなかった時代でした。ところが敗戦するやいなや引責辞任した鈴木貫太郎内閣の後を継いだ皇族首相をいただく東久邇稔彦内閣は「一億総懺悔」というスローガンをぶち上げました。つまり、大日本帝国の臣民として不甲斐ない結果に終わったことを天皇に対して謝罪し懺悔するという趣旨で、国民全員が天皇に対して反省せよと懺悔を強要したのです。先ほど紹介した『ハシュテ・スブ』の反省とは似て非なるものです。

まず、アフガニスタンの場合は、敗者の自覚をもったアフガン人自身による内省であるのにたいし、日本の場合は、敗戦の自覚はありませんでした。あったとしてもそれは何としても表ざたにしてはならなかったのです。なぜなら、敗戦ともなれば最高責任者である天皇の責任問題となり、「戦」の常識として敗戦国のトップは戦勝国により処分されかねないからです。日本の戦争を遂行した支配層は戦勝国のアメリカ(本当の戦勝国はソ連・中国を含む連合国)と密かな交渉をつづけ、国体の護持」=「天皇制の存続を謀ったのです。
そのうえ、「敗戦」を反省せねばならない日本支配層は、旧体制の国家の主体であった天皇への反省義務を戦争の被害者である国民にむけて強要(支配層が戦争責任を回避ないしあいまいにするための策動。手打式の東京裁判で天皇の戦争責任を回避するための裏工作)したのでした。

日本の敗戦直後の支配層はハシュテ・スブのいう「過ちの告白をする勇気」や「過ちを認める勇気」を欠如していました。それどころか、傲岸にも誤ちを糊塗するために、あろうことか誤ちを甘受し過ちの尻馬に乗ったとして国民に懺悔を強要したのです!

日本の支配層は、占領者であるGHQのいうがままに占領政策を受け入れ、「難局」を乗り切ります。
国際舞台への再出発にあたって、戦勝国の仲間であったソ連や中国などとの冷戦に舵を切り替えたアメリカのいいなりに、サンフランシスコ「片面」講和条約を受け入れます。つまり、全面講和でなく、本来の戦勝国である連合国の中の米国を支持する48カ国だけとの「片面」講和条約だったのです。この矛盾が今日まで尾を引いています
さらに吉田茂は講和条約の署名に続き、ひとりで安保条約(いわゆる旧安保条約)に署名。日本で内乱や騒擾があった場合それをアメリカ軍が鎮圧するとの条項をふくむこの条約によりアメリカへの従属が決定づけられました。安保条約には日米地位協定がふくまれていました。その規定により日米合同委員会が設立されました。
日米合同委員会は、外務・防衛両省などの官僚と在日米軍司令官らで構成され、協定の運用に関する協議を行う機関という建前ですが、実態は、憲法をはじめとする日本の全法令はおろか、地位協定そのものをも超越した“密約体系”だと言います。

アメリカの絶対的優位性を担保する条約と機構です。現在もこの委員会が生きており、ということは実質的にいまも日本はアメリカの占領政策の延長上にある、ということです。

戦後日本の繫栄は、吉田茂の決断=アメリカの奴隷と言われても軽武装・経済発展にいそしむ 、をベースに達成された成果だったといっても言い過ぎではないでしょう。

昭和史を語る多くの書物が明らかにしているように誰がいつどのように判断して始まったのかさえ曖昧な「先の大戦」は、その終わりさえ、「敗戦」なのかどうなのかもはっきりさせず、よって戦争責任さえあいまい、すべては空気の流れのままさ、と言わんばかりの無責任さ。そのような責任感と覚悟のなさの結果が、今も日本に重くのしかかっているのではないでしょうか。

先に紹介したアフガニスタンの人びとや米英の戦争遂行に責任を持った人びとは、ターリバーン(過去の亡霊)をよみがえらせた原因は次のようなものだったと述べています。
目的をはっきりさせず、約束を守らず、無責任に逃げ出したわれわれ(米英)、共和国上層部の汚職や利権あさりとターリバーンの競技や行動に対する大衆(われわれ)の無関心だ」、と。
そしてハシュテ・スブは次のように主張します。
「2021年8月15日に起きたことについては、私たち全員に責任があり、役割がある。」
「民族中心主義や部族主義の太鼓をたたくのではなく、偉大な人間的価値を制度化することを、私たちの努力の使命とするにはどうしたらいいのだろうか。私たちは、この記録を読み直し、その欠点、根本原因、偏りを見つけるために長い道のりを歩まなければならない。」

失われた30年の停滞を無反省な愛国主義で覆い隠し、鬱憤とやるせなさを外に向けて発散させようとする最近の風潮をまえに、私たちも、8・15を共有するアフガニスタンの人びとのように、私たちの欠点、根本原因、偏りを見つけ、克服する長い道のりを歩む必要があるのではないでしょうか。

野口壽一

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~038

(2022年8月15日)

「文明の衝突」から「文明間の対話」へ 

  ~きな臭さをます国際情勢に思う~

 

ペロシ台湾有事騒動

ペロシ米下院議長はバイデン大統領らの懸念を跳ねのけ、8月2日夜、台北、翌3日に蔡英文総統と会談。「米国は揺るぎない決意で台湾と世界の民主主義を守る」と述べた。その後、韓国を経て来日。5日に岸田文雄首相とも会談。日米が緊密に連携していくことを確認した。一方、中国は台湾への食品の輸入停止の制裁を実施。さらに4日に、台湾周辺6カ所で実弾射撃を含む演習を開始し、弾道ミサイル9発ないし11発を発射。うち5発が日本のEEZ(排他的経済水域)内に落下するなど、極めて厳しい対応に出た。実質的な「台湾封鎖」の訓練となったようだ。

このような事態を受けてマスコミは台湾有事を騒ぎたて、明日にも中国が台湾に武力侵攻するかのごとき報道を行った。軍事専門家を登場させ、琉球列島、沖縄などが戦争に巻き込まれる、住民退避をどうするか、ミサイル攻撃にどう対応するか、実戦さながらの解説や討論番組を組んだ。政治家もそれに同調し、防衛体制の整備や強化策などを論じた。

子供にもわかるオオカミ少年の愚行を見るようで滑稽には違いないが、背後にうごめく米国の意図を少しでも考えれば、マスコミの浅はかさ、政治の劣化に背筋が凍る思いがした。

視聴率稼ぎのマスコミにいまさら期待しても仕方がないのかもしれないが、国民の生活に直結する政策担当者には一言いたくなる。予想されるとしても今はまだ有事ではない。「有事だ、有事だ」と騒ぎたてる前に、有事にしないためには何をすべきなのかを考え実行するのが政治家の仕事ではないのか、そのために中国や台湾、米国と協議するのが外交ではないのか。

 

アメリカの政策は動揺きわまりないのか?

昨年夏のアフガニスタンからのみっともない撤退劇でアメリカの信用はがた落ちした。
前年のドーハ合意でアメリカは、ガニー政権を無視してターリバーンを相手に、5000人の捕虜の解放と政権引き渡しとを交換条件に撤退の安全を得ようとした。結果、無視され捨て去られるガニー政権側にはターリバーンと米国の利益に奉仕するモチベーションはなくなり、アフガン側の協力がないアメリカの撤退はドタバタ劇の惨めなものとなり醜態をさらすはめに陥った。(参照:シリーズ:米国アフガン占領20年の失敗―その原因<1>~<7>(ファテー サミ)
しかしその後、ウクライナ事態への対応では20年来の仕掛けの総仕上げとしてロシアをウクライナに攻め込ませる罠にかけた。(参照:罠にかかったプーチン)ヨーロッパや世界を巻き込みロシアに圧力をかけるところまではよかったが、プーチンの核や石油天然ガスをつかった恫喝に味方陣営の一部が足をすくわれた。ウクライナへの武器支援や金融支援も最初はよかったが引き渡しは小出しで戦況も停滞気味。戦闘は膠着状態に陥り、世界のエネルギー・食糧危機を引き起こし世界経済はインフレ不況に陥った。

そんな状況の中でのペロシ議長の行動だった。バイデン大統領や軍部の引き留めを無視した台湾訪問強行は政権内部の不統一をあらわにした。

ウクライナ戦争が長引くにつれ、NATO内や第三世界には不協和音や対米不信、そこまでいかなくてもアメリカに対する面従腹背の気配が漂いはじめた。ルーブル・元決済が広がり、国際的なドル決済体制が揺るぎ始めた。

まことにバイデン政権の対ロ対中政策は不安定で頼りなく失敗の連続のように見える。

はたしてそうか。

 

アメリカの隠された意図、あるいは不作為の意思

米英はアフガン人同士を戦わせる戦略をとった。アフガニスタンでアメリカは軍事的には負けていない。アフガニスタンを日本のような民主国家に育てることには失敗したが、戦争では負けていない。しかも経済的にはアフガン戦争の20年間アメリカのGDPは一貫して右肩上がりを続け撤退前には2000年の倍を記録している。アメリカの伸びに匹敵しうる増加を見せた主要国は中国のみだった。(参照:ニッセイ基礎研究所作成https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/135.html
(参照:米国にとってアフガニスタンでの「敗北」の意味とは?

アメリカの撤退戦略はアフガニスタンに中露を引き込んでテロ集団を抱え込んだ面倒なアフガニスタンを中露に背負わせることだ。
アメリカはアフガニスタン→ウクライナ→新疆・台湾と危機を演出する世界戦略に専念する。(参照:アフガン-ウクライナ-新疆・台湾~地球を滅ぼしかねない危険な火遊び~

バイデン政権はアフガニスタンから撤退完了してすぐ、ウクライナ対策に取り掛かった。バイデン大統領はオバマの副大統領時代から息子まで投入してウクライナに食い込んでいた。ウクライナは裏の裏まで知り尽くしている。お手の物だ。オレンジ革命以来の計画、つまり米ソ直接対決を避けつつウクライナに代理戦争をやらせ、既定の軍事ケインズ政策の実行にとりかかる。

狙いは、
―核を使わせず戦争をながびかせ、ロシア経済を締め上げる。
―軍需を増大させ各国の軍事予算を増大させ(国家予算の2%以上)、世界ダントツ1位の米国軍需産業の売り上げをさらに伸ばす。
―ロシアからの石油・天然ガス市場の奪取
―自国軍事予算の確保=ウクライナへの軍事援助(現物、金融、レンドリース法)
―危機を演出し同盟国をまとめ、世界をもう一度アメリカのもとに取り戻す。
―フィンランド・ノルウェーのNATO加盟の確保
―ウクライナ、モルドバのEU加盟合意
―ロシアが侵攻で得たものは、ウクライナ東部、南部への侵略と永続化する戦争見返りの経済停滞のみ。ついに経済統計の発表停止に追い込まれた。経済の落ち込みも戦死者数も隠す以外に打つ手がない。
進行によってロシアが得たものがいかに少なく、それに対してアメリカの得た実利ははるかに大きい。

しかし、アメリカの本命はあくまでも対中国である。
―対中制裁はトランプ時代からの延長であり、歴史的に2番手たたきは米の常套手段。第2次世界大戦中イギリスから首位の座を奪い取り、ソ連との冷戦では日本をつかって蹴落とし、「日本アズナンバーワン」とうぬぼれはじめた日本をバッシング、パッシングで突き放したが、そうこうしている間に自分が育てた中国に足元を襲われるようになった。そこで2016年に大統領に当選したトランプの登場。選挙公約は「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」(MAGA)。中国との対決に舵をきった。2018年、トランプの副大統領ペンスがその方針を演説する。(参照:アフガンのつぎ、西はウクライナ、東は台湾 アメリカの2番手たたきの標的となった中国
―大統領が民主党になってもトランプから引き継いだ中国たたきは変わらずむしろ強化された。トランプの米単独に対して同盟国とよりを戻し世界を巻き込んで中国を退治しようというのがバイデンの方針。世界を危機に落とし込みかねないトランプよりも危険な政策だ。

アメリカはウクライナでの進行を管理できていると考え、また、11月の中間選挙に向けてアフガニスタンでのアル=カーイダ指導者のザワヒリ容疑者をドローンで殺害したり、台湾に要人を送り込んだりして対立を煽り、対中国危機を演出しているが、果たして、立て続けにそのような危険な火遊びをするだけの余裕があるのだろうか。冷静にアメリカの足元を見てみると、安閑としてはいられない現実がある。

 

アメリカの思惑は成功するのか? 追従する日本は大丈夫なのか。

アメリカの現状を見てみよう。議論の余地のないデータに基づく共通認識としてつぎのような特徴をあげることができるのではないか。

・民主党と共和党はいまや憎み合っている。多数決民主主義では、多数が少数を従わせる代わりに少数意見を尊重する。投票による決着のあとはラグビーのノーサイド精神で一致団結する、というものだが、いまやアメリカは違う。負けた大統領が「不正選挙で勝利を盗まれた」と主張し、選挙結果そのものを認めないところにまできた。(日本では反対する国民を「あんな人たちには負けない」と名指し指差し敵視する首相が現れる始末。民主主義の崩壊)
・白人の人口比率の低下。(2014年62.2%、年々低下)
・アファーマティブアクション(差別や貧困を是正する措置)があらたな差別を生む矛盾の増大。
・経済格差の増大などの社会的要因による人種対立の激化(ブラック・ライブズ・マターなど)
・キリスト教信者の漸減(多宗教化)
・アメリカはアングロサクソンが作った国であるが、多民族化により建国の精神が希薄化。
・銃社会の進行とホームグロウンテロの増加
・キャンセルカルチャーの流行(SNSなどを使った大衆の意見がうねりとなって社会を動かす傾向)
このように現状をみてくると、アメリカ文明は凋落、少なくとも弱体化しているように思われる。

ところが、1991年の冷戦終結時には、社会主義世界体制がガラガラと音をたてて崩壊していく現状を見てフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を称えた。つまり、社会主義に対するリベラルな西洋民主主義の最終勝利により、アメリカの1極支配の時代が到来し、世界はリベラル民主主義で一本化され、歴史は終わった、と思えるような状況が出現したのだった。30年前のそのような認識は、ほんの一瞬のことで、その後の世界史の動き、上に述べたアメリカの政治・社会状況の変化、世界でのイスラーム勢力の増勢やポピュリズムの伸長などを考慮すると、「歴史の終わり」どころかアメリカ優位の時代は終わりサミュエル・ハンチントンの主張する「文明の衝突」という認識こそが正しかったのではないかと思えるような歴史の進行だった。

ハンチントンが著書「文明の衝突」で描いた世界の概略は次の通り。
・世界が単一化することはない。アメリカの1極支配もない。
・米欧文明は多文明(とくに儒教・イスラームコネクション)の台頭に直面する。
・いまは独立した文明を形作っているが、日本文明は儒教・イスラームコネクションに飲み込まれ米欧文明と対立する。
・そして、2010年に中国ベトナム戦争にアメリカが介入することによって世界中が大戦争に巻き込まれ、核戦争になる、という「たわいのない空想話」(ハンチントン前掲書邦訳p.486)の世界。

ハンチントンがこのようなSFばりのストーリーを描いたのは、世界がそうならないための処方箋、つまり著書「文明の衝突」の結論を際立たせたいからだった。

 

「文明間の対話」こそ重要

ハンチントンの処方箋とは「来るべき時代には文明の衝突こそが世界平和にとって最大の脅威であり、文明に基づいた国際秩序こそが世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置」にほかならない、ということだ。

ハンチントンの主張は、著作のタイトルから想像される、「世界は文明の違いによる多極化で衝突が絶えない不安定な状態になる」というものではなく、不安定な状態になるからこそ、「文明間の対話が必要だ」という主張につながっていく。

くしくも、ハンチントンの著書の邦訳が出版された2年後に、イスラーム革命の盟主と目されたイランのハタミ大統領が来日して、国会(2000年11月1日)と東京工業大学(同11月2日)で行った記念講演のタイトルが「文明間の対話」だった。そして翌年2001年の11月4日には、国連総会で「国連・文明間の対話年」宣言が決議された。
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/1259/

戦争による利益を追求する勢力によって不安定さがましている世界の現状にあって、危機だ、危機だ、有事だ、有事だと騒ぎたてるのでなく、21年前の国連事務総長のこの演説にちりばめられた美しい言葉を単なる美辞麗句に終わらせない努力こそが、いま、求められているのではないだろうか。

【野口壽一】

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~037

(2022年8月5日)

 ターリバーンの代弁者になってはならない 

  ~『アフガニスタンの教訓 挑戦される国際秩序』を読んで~

 

昨年夏、『ウエッブ・アフガン』を立ち上げてから早くも1年が経ちました。時の移り変わりの実感は、年齢を重ねるほど速くなるものです。

最初はボケ防止を兼ねて少しでもアフガン情勢の勉強と情報伝播の手伝いができれば、と始めた活動でした。しかし、多くのアフガン人から、また日本の友人知人や新たに知り合った人びとから思いがけない知見さえ伝授され、関心と協力者の輪が大きく広がりました。この間の皆様のご支援とご協力に衷心よりお礼申し上げます。

前置きが長くなりましたが、表題の新刊書(『アフガニスタンの教訓 挑戦される国際秩序』集英社新書)も、7月20日の発刊日のすぐ後、ある読者に教えてもらい、即アマゾンにて入手、一挙に読了しました。

1年かけて分析をつづけ、本サイトに蓄積してきたアフガン人の声や世界の声、また、読者と共に考察してきた激動するアフガニスタンの動向。その内側、深層をただ目撃・観察するだけでなく、プロセスに実践者として深くかかわったふたりの著者の対談集を手にして、われわれの活動には意味があった、と確信することができました。『ウエッブ・アフガン』では事件の表層をなぞるのでなくその下に隠れている事件の動因をとらえることを目指していたからです。対談を通して知る、アメリカ政府、アフガン共和国政府、ターリバーンの生の声は、われわれが知りえた情報を裏づけてくれるものでした。

その意味で、本書には、書評に取り掛かる前に、まず感謝の意を捧げます。

前書きがさらに長くなりますが・・・

「理論なき実践は盲動、実践なき理論はマスターベーション」とか、「革命的理論なくして革命運動なし」などの格言を十代の終わりのころに知りました。実際はツンドクに近かったけれど、なけなしの金をはたいて書物を買いあさり、試行錯誤の山や谷を駆けずり回わり、アフガニスタンや起業活動にどっぷりつかったり離れたりしながら振り返ってみれば四十年がすぎました。

本書の著者は、内藤正典氏と山本忠通氏。ふたりは、2001年、アメリカがアフガニスタンに武力侵攻し、同国の政治体制の再構築をし始めてから自ら直接そのプロセスに実践者としてかかわられました。

内藤氏は同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。イスラーム学における理論や学究の専門家です。アフガニスタンに関してはターリバーンとの個人的な関係をも維持し、アフガニスタンから留学生を受け入れるだけでなく2012年6月には西側に支援された共和国側と抵抗戦争を戦っていたターリバーン双方を大学に招き、敵対する両者が同席する「アフガニスタンにおける和解と平和構築」という世界で初めてのイベントを成功させています。研究と実践を融合されています。

他方の山本氏は外務官僚として諸外国の公使職や大使職を歴任され、最後は国連事務総長特別代表に就任、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)を戦争状態にあるカーブルで責任者として率い、紛争解決と和平実現に向けて模索・奔走されました。日本国や国連組織を代表して通算5年以上特殊で影響力の大きな活動・実践を現地で遂行されてきました。

本書はその意味で日本がアフガニスタンの政治にもっともセンシティブな深部にかかわる瞬間を担う稀有な体験をされた日本人であるともいえます。

さらに付言すると、山本氏は理系大学である東工大の社会工学科を卒業され1974年に外務省に入省、外交の第一線で活躍した異色の経歴の持ち主です。東工大は昔から人文系の学問を重視し、心理学や文学、経済、思想史、社会学など一流の学者を教授に迎えてきました。学院制を取り入れる大学機構改革を果たした現在ではリベラルアーツ研究教育院(ILA)をもつ、理工系総合大学へ変貌しつつあります。従来、大学や大企業で研究や開発製造部門のトップに就くことが多かった東工大卒業生の一般的なロールモデルの中にあって、卒業生像の新しいモデルを提供されているのではないでしょうか。

 

「タリバンはなぜ復権したのか?」

本書の帯に書かれた惹句はこれです。言い換えれば、「なぜ復権できたのか?」または「しえたのか?」という問いです。つづけて「タリバンの勝利、ウクライナ戦争という冷戦後秩序のゆらぎ」とあります。誰もが知りたく、かつ懸念するテーマではないでしょうか。

本書では、このテーマが7つの章にわけて語られ、深掘りされていきます。
「国連とアフガニスタン」「勝者タリバンはビジョンを示せるか」「女性の権利」「テロリズムの問題」「破綻国家と民主主義」「タリバンを国際社会に迎えるための知恵」「アフガニスタンから考える国際社会での日本」
この章立てからも見て取れるように、議論は徹底して実践的で具体的です。つまり、ターリバーンが復権した現実を踏まえて、積極的にプロセスに介入する外部者として「破綻国家アフガニスタン」をいかにして救うか、という視点です。

アメリカの軍事作戦や占領政策の失敗についての指摘はもちろんありますが、それらはアメリカ自身の手でかなり克明に明らかにされています。私たちの『ウエッブ・アフガン』に掲載した、アメリカで出版された「アフガニスタン・ペーパーズ」のダイジェスト「アフガン戦争で何を学んだか」(https://bit.ly/3d3b7aR)、あるいはFateh Samiの「米国アフガン占領20年の失敗—その原因」(シリーズ1~7)(https://bit.ly/3oNpMtd)に克明に語られています。

アメリカが、そして日本を含む西側諸国が莫大な資金を投じてアフガニスタンの社会改革をしようとしても、ターリバーンの標的は「異教徒の外国軍」に支配されている現実であり、国民の不満もそこにあり、何十年も続く戦争よりも、いくら問題があったとしても勝手知ったる同国人の方がまだましだったのではないでしょうか。ソ連軍撤退の後、PDPA政権に代わった北部同盟も内輪もめをおこし、ソ連軍と戦っていたとき以上にアフガニスタンを荒廃させました。そこに、ターリバーンが登場し1996年に勝利できた現実と根拠があったわけです。本書はその現実を見据え、では、ターリバーンがよりどころとしていたジハード(聖戦)の思想、さらにその教義的根拠となるイスラームがいかなるものであるか、内藤氏が自身のイスラーム研究の成果を駆使して分析が進みます。そして著者らの結論は、イスラームの問題性よりも、ターリバーンの部族性、とくに「家父長制的な価値観」こそが問題の核心である、と本質に迫ります。ターリバーンとテロリストグループとの結びつきはもちろん問題ですが、それらはジハードの目的が達成されれば、ジハードの手段、仲間の存在は、ターリバーンにとっては必須とはいえません。そのことをアフガン社会に分け入って付き合ってこられた二人は「家父長制的な価値観」が諸悪の根源であると看破するわけです。

このことは私たちの体験とアフガンからの声を聞いてきた経過からも同意できます。ターリバーンの家父長制的価値観はひとりターリバーンだけのものではなく、パキスタン、インドを含むインド亜大陸、南アジア全体にいまでも残存する家父長制とミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)であって、イスラームの教義とはほんらい無関係なのです。問題なのはターリバーンが軸足を置いている、パシュトゥーン部族主義、パシュトゥーン部族の因習、固陋にほかなりません。ターリバーンの問題は、パシュトゥーン族特有の要素に異端ともいうべき極端なイスラーム解釈が接ぎ木されているところにあります。

ソ連軍が武力支援をしたPDPA(アフガニスタン人民民主党)は民族民主主義革命をかかげ、土地改革など社会改革を通して近代化を図ろうとしました。ソ連軍はPDPA政権を守るために武力支援を行い、ムジャヒディーンはそのソ連軍に対するジハード(異教徒に対する聖戦)を戦ったことになっています。確かにこのことは重要な要素ですが、実は、ムジャヒディーンはソ連軍が侵攻する前からPDPAに反対し武力抵抗を行っていました。PDPAが実施しようとしていた民主主義的近代化路線への反発が先にあったのです。ジハードはあとから付け足された闘争理由であって根本はアフガニスタン部族社会の伝統の保守・防衛だったのです。

アフガニスタンの女性は、部族社会の家父長制やミソジニーと早くから戦っていました。PDPAの四月革命やソ連軍の侵攻以前の1977年に、PDPAのような左翼グループをも家父長制の影響下にあるとして、ムジャヒディーンらを含むすべての家父長制的存在と果敢に戦うRAWA(アフガニスタン女性革命協会)(https://afgan-rawa.blogspot.com/)という組織さえ生まれていたのです。この組織は半世紀近くの長きにわたり、今も戦いを続けています。

ムジャヒディーンがソ連軍に勝利できたのは、アフガン人の魂にふれる「異教徒支配からの解放」を掲げたからに違いありません。しかし彼らには獲得した権力で人民のために何をするか統一した意思と見識はありませんでした。だからジハードの勝利は彼らの内戦(戦利品の奪い合い)にしかたどりつかなかったのです。

ターリバーンの場合も、彼らが勝利したのは現段階ではジハードであり、彼らが解釈するイスラームの教義、彼らの好むイスラームコミュニティの建設を国民が支持しているのかどうかは、不明です。

 

ターリバーンを国際社会に順応させるには?

著者らは、そのようなアフガニスタンの現状において、ターリバーンを国際社会に順応させるにはどうすればよいか、何ができるかを、具体的に論じています。その論の根拠たる実行主体は国(日本政府)および国連(超国家組織)です。日本国や国連がアメリカの占領20年間に果たした役割は果たして正当であったかどうか。

私たちは個人的には民間人あるいは非政府組織やNPOとしての視点からアフガン問題を考え行動するわけですが、国家や国連がどう動いたのか、また動かなければならなかったのかは、納税者としての視点から見ていく必要があります。

アメリカ政府は、自分たち自身のアフガニスタンでの行動を1000名を超える政府・軍関係者へのインタビュー、ラムズフェルド国務長官の残した1万枚以上のメモなど膨大な資料をもとに現在進行形でチェックしていました。ワシントン・ポストはその資料を裁判闘争までして入手し、自社でも調査し膨大な資料として公開しました。さらに、占領期間中にも、国税が正しく使われているかどうか、アフガニスタン復興支援の監査を担当するSIGAR(アフガニスタン復興担当特別監察官)を置いて監査していました。これはアメリカ合衆国連邦政府内の職掌です。バージニア州アーリントン郡クリスタルシティ に事務所を置き、カーブルなどアフガニスタン国内各地に支所を設けていました。四半期ごとにアメリカ合衆国議会に報告書を提出していました。撤退後1年を経たいまも、政府機関として活動しています。
(SIGAR:https://www.sigar.mil/

果たして日本はどうでしょうか。

この問題を考えるうえで、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の現地責任者として活動された山本氏の証言は貴重です。国連の経費は、日本としては間接的な拠出ですが、監査の責務は当然あります。また、日本政府はアフガニスタンの復興資金として20年で7500憶円を拠出したと言われていますが、それ以外にもさまざまな機会に各種の出費をしており総額は優に1兆円を超えるとも言われています。果たして、アメリカのように使途の正当性についてきちんとした監査をし、それを公表しているのでしょうか。

野党やジャーナリズムの追及はほとんどないに等しいのではないかと危惧します。

さらに、UNAMAは、国連組織としてターリバーン復帰後もアフガニスタン国内で活動を継続しています。しかし、ターリバーン支配下での活動については、アフガニスタン人の目から見ると極めて不満足なものに映るようです。(「国連の関連組織か、それともターリバーンの代弁者か?」https://afghan.caravan.net/2022/08/04/unama/

 

国連の公平中立性は実現されうるか

現在では主に人道支援に取り組んでいる国連の活動が、ターリバーンの支配を快く思わないアフガン人にとって不愉快に思えるのは、国連がターリバーンの実効支配を認めたうえで活動するからにほかなりません。国連は公正中立な立場からアフガニスタンの状況を分析し行動しようとするのですが、それは鋭い対立を内包している現地の人びとにとっては一方の側に加担していると感じられてしまいます。

例えば、PDPA政権下で、国連が仲介して進められ1988年4月14日に調印されたアフガニスタン和平協議の問題があります。これはジュネーブでアフガニスタン、パキスタン、ソ連、アメリカの外相が出席してソ連軍の撤退を実現させた下記の内容の協定です。

「 (1) アフガニスタン,パキスタンの相互関係,特に不干渉,不介入に関する2国間協定,(2) 米ソ両国による国際保障に関する宣言,(3) 難民の自主的帰還に関するアフガニスタン,パキスタンの2国間協定,(4) ソ連軍撤退への手順を含んだアフガニスタン情勢解決のための協定と,これに付随する合意の遵守に関する国連監視についての覚書。なお国連は 89年 11月,アフガニスタン各勢力が戦闘を中止し,広範な基盤を持つ政府を樹立するよう求める決議を採択。」(コトバンク「アフガニスタン和平協定」)

この協定に基づいてソ連は1989年2月15日に撤退を完了し、その後PDPA政権への軍事支援を停止しました。しかし、アメリカはパキスタンを通じた軍事支援を停止せずそれどころかパキスタンは軍事行動において武力支援まで行いPDPA政権を3年以上かけて崩壊させました。その間PDPA軍は欠乏していく武器弾薬で独力で戦い抜きました。和平協定締結に至るまでの何年もの間、国連特使としてかかわったベノン・セヴァン氏は92年の政権崩壊まぎわ、権限を逸脱する行為を働きナジブラー大統領を国外に連れ出そうとして失敗、切迫した事態をさらに混乱させました。このとき副大統領であったアブドゥル・ハミド・ムータット氏は「国連の信用を誤用して大統領を不法に国外に連れ出そうとした予測不能で大胆なこのシナリオは思慮の足りない無謀な誤りの実例として国連の歴史に刻み込まれるだろう」「国際社会は無能な国連外交官によって舐めさせられたアフガニスタンの苦い経験から多くを学ぶべきである」(アブドゥル・ハミド・ムータット著『わが政府 かく崩壊せり』p.175-p.176)と述べています。国連が中立を装いながらどちらの側に立っていたのかがよく分かる事例でした。ちなみに、国連事務次長ベノン・セヴァン氏はアフガニスタンの後に国連によるイラクがらみの「石油食糧交換プログラム」を管理者として担当しました。「200億ドルが消えた史上最悪の汚職事件」として有名になったこのプログラムの責任者がほかならぬベノン・セヴァン氏だったのです。(2018年公開のデンマーク・カナダ・アメリカ合衆国制作の社会派映画『バグダッド・スキャンダル』はこの事件を描いたもの。)

 

有効性を発揮した国連の人道支援活動

ソ連進駐時代の、私のアフガニスタンにかかわる個人的な体験に基づくと、国連職員の献身的な活動は尊敬に値するものでした。とくに、小児医療の現場で目撃したWHO(World Health Organization:世界保健機関)の活動や農業指導にかかわっていたFAO(Food and Agriculture Organization of the United Nations:国際連合食糧農業機関)など、派遣されてきた国連職員と直接触れ合う機会が何度もありました。ゆっくり話を聞く機会もあり、職員人生のほとんどを生まれ故郷以外で転々として生きてきた、とくに発展途上国でその国の発展のために尽くしてきた活動などを感動して聞いた覚えがあります。

現在のロシア・ウクライナ戦争における国連の活動を見ていても、外交や内政に関しては、人道支援において発揮されている有効性を感じられず、国連の無力さばかりが際立っています。

アフガニスタンの場合、ソ連が10年かけて明らかにした失敗の教訓に学ばず、アメリカは、アフガニスタンの民主化(近代化)の実行者になろうとしました。ソ連の場合はPDPAという既に内部的に存在していたアフガン人組織を支援するための侵攻でしたが、アメリカの場合は北部同盟および外から連れてきたアフガン人をつかって政権作りから取り組みました。アメリカの20年の占領は、そもそもの出発点において、ボタンの掛け違いがあったといわざるをえません。

山本氏らの国連としての活動はその、そもそものボタンの掛け違いのうえでの収拾活動を余儀なくされ、最初から限界を背負わされていたと言えるのではないでしょうか。

アフガニスタンの現実はいまだに流動的であって、アフガニスタン人自身による激しい、ある場合には武力衝突をふくむ模索がつづいています。アメリカもロシアも中国も、そしてパキスタンもアラブ諸国もインドやイランも国益をかけた当事者としてその過程に介入しています。そのような熾烈な闘争の場で国益を持たずかつまた主権者としての権能をもたない国連はいかにかかわればよいのか、非常に難しい課題であるに違いありません。第三者の仲介活動として成功例のはずであったソ連軍を撤退に導いたジュネーブ協定締結過程での国連の活動が、結局はアメリカの意図を背後で支える活動に帰結した歴史を忘れるべきではないと思います。そうでないと、アフガニスタン人から、「ターリバーンの代弁者」と誤解される事態も生じかねない恐れがあるからです。

【野口壽一】
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~036

(2022年7月25日)

 死せる孔明 生ける仲達を走らす 

  ~ターリバーンの策略は果たして成功するか?~

 

「死せる孔明 生ける仲達を走らす」は、三国志に由来する故事にもとづく成語だ。

知略に優れた軍師としてさらには国家を統べる丞相として栄誉と勇名をほしいままにしていた蜀の諸葛亮(孔明)だったが、魏との戦の場で病に倒れた。しかし戦いに敗れるわけにはいかない。死期を悟った孔明が自軍に授けていたのが「延命の術」だった。三国時代、蜀と魏の戦いのひとつである五丈原の戦いの際の史実である。

魏軍を統率する司馬懿(しばい、仲達は字)は、星占いで大きな星が落ちるのを見て孔明の死を確信し蜀軍に攻め込んだ。しかし蜀軍は、孔明が生前に作らせていた自身の木像を掲げて反撃した。それをみた司馬懿は、孔明はまだ生きていると錯誤し、肝をつぶして退散した。この時の様子を見ていた民衆が「死諸葛走生仲達」(死せる孔明 生ける仲達を走らす)と囃し立てたというのである。
(wikipedia: https://bit.ly/2TcGpRC

既に死んでいた諸葛亮(孔明)の威光により司馬懿を撤退させた故事にちなんで、亡き人物が生きている人物に大きな影響を与えることの喩えとして用いられることもある。

例えば、狙撃されて死んだ安倍元首相が岸田現首相らを金縛りにして「国葬だ」と言わしめている日本の情けない現実を形容するときにも使われることがある。確かに、死者が生者に影響を与えていることに変わりはないが、史実に照らしてみると「誤用」と言うべきだろう。孔明がだまそうとしたのは外部の敵であり味方ではないからだ。

しかし、ターリバーンが今回用いた「延命の術」は、この「誤用」と「正用」の両方を兼ね備えた実に欲張った策謀だったといわなければならない。

 

聴衆に素顔を見せず後ろ向きでしゃべる最高指導者

今回というのは、2022年6月30日~7月2日の3日間、カーブルのローヤ・ジルガホールでターリバーンが男性ばかりの3000人から3500人のターリバーン支持者の宗教学者(ムッラー)を集めて開いた聖職者会議での出来事である。

BBCは「タリバンの秘密指導者が首都カーブルを初めて訪問」(https://www.bbc.com/news/world-asia-62015606)として生死不明の指導者の登場を評価した。日本でも「7月1日、これまで公衆の面前にほとんど現れなかったアーホンドザーダ指導者が登壇したことがとりわけ注目を集めた。」(2022年7月4日 <中東かわら版>)(「トピックス」コーナー参照)と報道している。

しかしこの指導者(マウラウィ・ハイバトゥラー・アクンドザダ:Mawlawi Hibatullah Akhundzada)は孔明の木像ならぬ死者の影武者である可能性が極めて高いのである。BBCでさえ、先の報道記事の中でこの点に触れ、「ターリバーン批判者からは、ムッラー・ハイバトゥラーが実際には数年前に亡くなったという主張が根強く残っているが、複数の情報筋がBBCにそうではないと語っている。」とわざわざ釈明するほどである。

アフガニスタンの独立系日刊ジャーナルの『ハシュテ・スブ』は、このイベントについて次のように書いている。「何か月にもわたる内紛ののち、ついに6月30日木曜日、ターリバーンはカーブルで彼らの支持するムッラーとの協議集会を開催した。7月1日金曜日、ターリバーンの指導者であるムッラー・ハイバトゥラー・アクンザダが後ろを向いて聴衆の前に立ち、顔からショール(カーテンのようなもの)を外さずにムッラーたちにスピーチをした。この会議で、彼はターリバーングループのマニフェストを発表した。」(ナジムッディン・ホッセイニ、https://8am.af/eng/taliban-leaders-manifesto-and-clerics-allegiance/

なぜこのターリバーンの宗教的、政治的、軍事的指導者はその素顔=正体を公衆の前にさらせないのだろうか。それは単に威光を飾り立てるための演出に過ぎないのだろうか。『ウエッブ・アフガン』のアフガンサイトの主要筆者であるファテー・サミはつぎのように明快に理由を述べている。

「カーブルで開かれたターリバーンの3日間(のジルガと称する会議の場で)彼らの架空の指導者(ハイバトゥラー)は、2018年にクエッタでハッカーニ・テロ・ネットワークによって殺害されている。」「そのスピーチは偽物で、ハイバトゥラーの声ではなかった。ターリバーン指導者のハイバトゥラー師の声とされるものは、ISIによって録音されたものだ。だから誰も彼の顔を見ていない。外国の放送網は、あたかもハイバトゥラー師がこの集会で演説をしたかのように騒いだ。」「名ばかりの大集会における、かかる馬鹿げた一幕は、アフガニスタン国民から嘲笑され、馬鹿にされた。」「イスラームの初期の時代でさえ、アミール・アルムーミニーン(訳注:信徒たちの長)は国民の前に現れなければならず、顔を隠さなかった。なぜなら、顔を見せない支配者とスルタンには誰も敬意を払わないからである。ISIはトリックを使い、ハイバトゥラー師の名で命令を出し、幽霊たる彼をターリバーンの指導者つまりアミール・アルムーミニーンとして登場させることによって、国民をだまそうとしているのである。」
https://afghan.caravan.net/2022/07/24/sami_42/

 

「延命の術」は生きるか?

ファテー・サミがここまで断言できる理由には、ターリバーンに前例があるからだ。ターリバーンに限らず歴史上も現代にもよくある。日本でも、野田城陥落後持病が悪化した武田信玄が自分が死んでも3年間は隠せと遺言して死んだのは有名な話だ。

ターリバーンの創設者ムッラー・オマルの場合もそうだ。Wikipediaによればムッラー・オマルは2013年4月23日に死んだことになっている。だがその事実をターリバーンが認めたのは2015年7月30日だった。死亡日時もはっきりしていなければ、死亡場所も不明確だ。パキスタン当局と当時のアフガン政府はパキスタン・カラチの病院で病死としているが、ターリバーンはアフガン国内で病死、と主張している。いずれにせよ2年3カ月の間、ターリバーンの最高指導者がこの世にいなかったことは確実だ。その間、誰かがムッラー・オマルの名前でターリバーン兵にジハードの命令を出し、アメリカとの和平協議の偽の指示をだしていたわけだ。ジハードはファトワ(イスラム法学に基づいて発令される勧告、布告、見解、裁断)にもとづかなければならず、ターリバーンにファトワを出せるのは当時はオマル師でなければならない。ところがそのファトアが偽物であればアメリカという異教徒との戦いはジハードとはならず死んでも殉教とはならない。つまり犬死だ。驚いたターリバーン内部の動揺ぶりはいかばかりであったか、『破綻の戦略』(2021、白水社、髙橋博史、p.206~209)はその間の事情を詳しく書いている。

なぜ歴史上そんな子供だましのような策略が存在するのか。結論をいえば、跡目相続争いである。跡目がしっかりしていればトップの死を隠す必要はない。争いがあるからトップの生死を明白にできないのである。ターリバーンにとっても恐らくそうなのであろう。ターリバーンの内部には指導者の生死を明確にできないほどの政治的軍事的宗教的路線対立が存在している。女性の扱いにしても、ペルシャ語・ダリ語・パシュトゥー語の言語の争い、宗教行事や新年祭や収穫祭など伝統行事、社会生活上の因習、さまざまな既得権益の分配・・・。これまで、ジハードの一点に集約されて隠されていた矛盾対立がターリバーンの内部には渦巻いているのだ。

本物か偽物かわからない最高指導者は、聴衆に背を向けて顔を隠し、「非信者との戦争は終わっていない。ジハードは審判の日まで続くだろう」「国が核爆弾に襲われたとしても」「世界がわれわれに望んでいることを受け入れない」「タリバーン政府に反対する者は斬首されるに値する」とうそぶいている。

ターリバーンはイランのホメイニーよりもはるかに過激だ、とアフガン人コメンテーターは分析する。イスラーム世界は、もっとも厳格な戒律を守っているとされているサウジアラビアでさえ、女性の解放、社会進出を進めている。かたくなに時代に背を向け、国民に多大な犠牲を強い、ターリバーン兵にさえ給与を支払えないで、1400年前のイスラームに戻ろうと主張するターリバーン指導部は、いつまでもやせ我慢をせず国民の声を聞き、最低限ドーハ合意で約束したように、国民諸潮流・諸階層を包摂する政府の樹立につとめるべきではないのだろうか

 

【野口壽一】

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~035

(2022年7月15日)

 国破れて山河あり 

  ~「山の学校支援の会」の集会に参加して思う~

 

参院選投票日の7月10日、午前中に投票を済ませて、<「山の学校とアフガニスタンの今」安井浩美さん講演会>に参加しました。前日には安倍元首相が襲撃されて亡くなる大事件があり、こころ穏やかならぬ集会参加でした。

会場は吉祥寺駅から歩いて5分の武蔵野商工会議所4階市民会議室、午後2時開始。途中乗換の渋谷も、目的地の吉祥寺も暑い盛りなのにメイン通りは行きかう人でいっぱいの大賑わいでした。

会場は80人定員、それ以上の参加は残念ながらコロナ対策のためにお断り、とのことで満席。

講演する安井浩美さんはカーブルに常駐して働くジャーナリスト。1993年から精力的にアフガニスタンを取材しながら、アフガニスタンの人びとの国造りや山の学校の活動支援などをしてきたひとです。昨年ターリバーンがカーブルを占拠した直後の混乱時、自衛隊機で緊急退避した唯一の日本人です。その後カーブルに帰り活動されていたのですが今回は一時帰国に合わせてひらかれた報告講演会でした。(写真は退避したときの安井さん

講演会を主催した「山の学校支援の会」は写真家の長倉洋海さんが代表として、アフガニスタンのパンジシール(パンシール)州のポーランデ地区の子どもたちの教育支援を目的として、2004年2月に設立された非営利団体です。現地に学校をつくり、学校の設立から運営まで資金や資材やさまざまな支援を続けてきています。

集会の冒頭、司会に立った長倉さんは、安井さんを「現地で活動を支えてくれたパートナーで、ともに白髪になるまで活動をつづける人、もう結構白髪になってるけどね」、と笑いをとりながら紹介しました。

そして、「これから聞く安井さんの話には明るい話題は少ない。むしろ暗い現実を知って落ち込むかもしれない。しかし、そこを何とかしたいと思う人たちがいます。わたしたちはアフガンの人たちの目先の苦難をただ助けるのでなく、苦難を脱却しようとする人たちのその努力を支えるための活動を続けていきたい」との前置き。参加者は否応なく緊張します。

安井さんはブルカを着て登場。裾をめくり上げて顔を出して挨拶。「女性はこれを着ないと外に出らない」と一挙に現地カーブルの緊迫感を聴衆にアピールしました。

 

破壊された山の学校

安井さんは約1時間半、アフガニスタンという国の紹介から始め、自身の体験を踏まえて、昨年のターリバーンのカーブル登場の様子やそれに至る経過、現状のアフガニスタンの様子、とくにパンジシールの山の学校の実際について、映像を交えて詳細に報告してくれました。

悔しいのは、「山の学校を支援する会」が20年をかけて育ててきた学校が、500人以上のターリバーン兵の兵舎にされてしまったことでした。図書館や勉強室の書籍や備品、パソコンなどが奪い去られただけでなく、施設の壁や床がはがされて暖房の薪にされ、生徒も先生もすべて追い出され、荒れ果てていたことでした。

パンジシール州では、アフマド・シャー・マスードの子息アフマド・マスード氏らが中心になって国民抵抗戦線(NRF)を結成し、ターリバーンの支配と戦っているのですが、ターリバーンはその報復として住民を痛めつけています。住民を地区から追い出したり拉致したり、殺害などを行っています。パキスタンから兵士も導入し、タジク人の住民が多いパンジシールからタジク人を追い出し、パシュトゥーン人地区に変えようとしているのではないかと思わせる状況だそうです。

ターリバーンがアフガニスタンを乗っ取ったいきさつは、『ウエッブ・アフガン』では、ファテー・サミ氏のレポートや論説、アフガン人の声やトピックス欄で伝えてきましたが、安井さんは自身の体験を通してそのいきさつを生の声で伝えてくれました。つまり、アメリカは2020年のドーハ合意でターリバーンに権力を明け渡す約束をし、アフガニスタンの共和国政府(ガニー政権)は戦わずして自分たちとおなじパシュトゥーン人にアフガニスタンを明け渡したのです。西側のマスコミは「ターリバーンは破竹の勢いでカーブルに攻め上りあっという間に権力を奪った」「戦わないふがいないアフガン国軍」なる報道をしましたが、戦わないようにしたのがガニー政権そのもので、その仕上げが、8月15日のガニー大統領その人の逃亡だったのです。

ターリバーンのカーブル登場がいかに静かなものだったのか、銃弾一発発射されなかっただけでなく、車も走らず、町全体がシーンとしていたと安井さんは語りました。

しかし、町の静かさに反して国民の生活は散々なものになってしまいました。外国からの資金はストップし、公務員への給与もストップし、女性は働く場を失い、物価は上がり、生活はまたたくまに困窮。冬をはさむこの1年の間に、地震や洪水などの自然災害に見舞われ食糧そのものにも事欠くようになりました。話を聞いてもっとも悲惨だったのは、働き手を失った母子家庭で残された子供のために母親が臓器や娘を売るという話です。さらには、妊婦が栄養失調だとおなかの子も栄養失調、未熟児で生まれ、生まれてもお乳が出ない、ミルクがない。砂糖でお茶に味をつけてなめさせるという実話。未熟児、栄養失調でもなんとか生き残れても脳性麻痺。お母さんは悲嘆にくれる。どうすればいいのか、なんともやるせない状況です。

安井さんの、「いまのアフガニスタンには、自分たちで国を変えられる余力のある人は、もうほとんど残っていないのではないでしょうか」という言葉が胸に突き刺さりました。

 

困窮の極致で・・・

冒頭の長倉さんの言葉を頭の中で繰り返し繰り返し咀嚼しました。
安井さんは「それでもアフガニスタンが好き」と講演の翌日アフガニスタン行きのフライトに乗るんだそうです。

「国破れて山河あり」という有名な句で始まる杜甫の詩があります。国を捨てて大統領さえ逃げ出したアフガニスタンを詠んだのかと錯覚するほど同じ情景です。アフガニスタンと付き合うようになって何度もこの言葉を思い起こしました。日本は山河や都市が焼き払われて国破れました。沖縄では住民すら自害し火炎放射器で生きたまま焼き払われました。

それでも生き残った人びとがいまの日本をつくりました。
アフガニスタンの人びとにできないはずがありません。

つい最近の国連人権委員会でファウジア・クーフィさんは次のように発言しています。彼女はターリバーンとの和平協議交渉に携わっていた国会議員のひとりでした。

「淑女紳士の皆様、アフガニスタンは人道主義上の危機から人権の危機や政治の危機まで、多次元的な問題を抱えています。アフガニスタンの女性や少女が置かれた状況は、他に類を見ないほど悲惨です。異常です。まさしく世界中のどこと比べても、特に他のムスリム国家と比べると、異常事態です。」

「それは数字が示しています。かつて国会議員の28%が女性で、それは国の多様性と素晴らしさの表れでしたが、今では0%。国家公務員の30%以上が女性でしたが、今は0%。400万の女児が学校に通っていましたが、今はわずか150万人ほどです。」

「こんな事実もあります。毎日少なくとも1ないし2名の女性が自殺します。理由は機会の乏しさ、心の健康、迫る圧力です。9歳になったばかりの少女が人身売買されています。経済上の圧迫からではなく、少女たちとその家族が希望を持てないからです。これは異常です。
● より多くのムスリム国が立ち上がる必要があると私は強調します。
● アフガニスタンにおける差別は世界中どこででも起こりうる差別です。差別は国境を知らないのです。
差別は世界中どこででも起こります。差別は国境を知りません

また、『ウエッブ・アフガン』で一貫してアフガン情勢と課題の解明を続けているファテー・サミさんはつぎのように述べています。

「われわれはどうすべきか? 端的に言えば、アフガニスタンはこのままでは統一されず、分断されてしまう。どの民族も自分の支配下にある地域を主権的な領土として宣言する。やがて戦争が起こり、まずアフガン国民を痛打する。民族と宗教がからむ戦争だ。すぐに各国がどちら側かに加勢するが、誰も自分で戦う気などなく、様々な領域から代わりに戦ってくれる兵士をリクルートしようと血眼になる。そうして集めた代理部隊は、領域各地から、民族で選別され、宗教がからみ、政治観も異なる。しかし、この領域内の国々も、戦略的興味で世界各地から参戦した国々も、兵士として使うのはアフガニスタン国民だ。ただただ自国の政治的、宗教的利益のために。この宗教戦争を始めたのも、元はと言えば彼らなのに。

こんな危機を逃れる方法: アフガニスタンは危機が寄せ集まった国である。とにかくそれを自覚すること。われわれがまず、あらゆる危機、度重なる暴動、山積みの問題の存在を知る。それを読者にしっかりと伝えれば、みな一旦は憂鬱になるが、そこから這い上がって、瞬時の解決を、苦境からの脱出を求める声が必ず生まれてくる。それが唯一の解決策だ。
アフガンを外国諜報員やテロリストの競技場に変えるターリバーン

安井さんの講演会を司会した長倉さんの締めくくりもサミさんの言葉と同じでした。20年の活動によって自分たちの生活を作ろうと努力してきた「山の学校」の先生や生徒、パンジシールの住民、アフガニスタンの国民は必ず立ち上がるだろう。そして国内や国外にいるアフガン人やわれわれと一緒に荒廃した国土をかならず再建するだろうと確信した1日でした。

まだ陽は高い夏の吉祥寺。駅前商店街の人波は来た時よりも密集していました。コロナコロナと2年半も騒いで荒廃した世界。日本では社会だけでなく政界も病んでいるのではないでしょうか。アフガニスタンの人びとを思い、ともに頑張らねば、とさらに確信した1日でした。

なお、安井さんは次のような詳細な報告をしています。ぜひお読みになるようお勧めします。

● ひとりだけの退避
https://nordot.app/868396905403236352?c=39546741839462401

● 6歳娘「私を売って薬を買って」、夫を爆弾で亡くした貧困28歳女性のおなかには5人目
https://nordot.app/871614935996694528?c=39546741839462401

●「大統領は国を捨てた」元国防相らカブール陥落の内幕暴露 納得できないタリバン復権
https://nordot.app/873514506619158528?c=39546741839462401

さらに、長倉さんは「アフガン情勢に関するメッセージ」と題するページでパンジシール(パンシール)やアフガニスタンの人びとがおかれている現状と闘いを詳細に伝えつづけています。
http://www.h-nagakura.net/contents/Message_220708.html

野口壽一

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~034

(2022年7月5日)

 ウクライナ―ロシア、アフガン―ソ連/米NATO 

  ウクライナ映画『ドンバス』を観て考えた

 

今話題になっているウクライナ映画『ドンバス』を観ました。(注:1)

ウクライナ東部での親ロシア派とウクライナ政府派との内戦を描いた作品で、時代背景はロシアによるクリミヤ併合の2014年から翌15年、それはプーチン・ロシアによるウクライナ侵攻の前史ともいうべき時期で、場所は東部ウクライナのドンバス。親ロシア派の支配地域です。ドキュメンタリー風の「劇映画」ですが完全なフィクションではなく、テレビで多用される「再現映像」の趣があります。現実にあった事件がベースです。

ドンバスの映画ポスター
映画評【「ドンバス」…ウクライナ東部紛争の実相照らす地獄めぐり】

 

映画を構成する13のエピソードの冒頭とエンディングでは、映画『ドンバス』に出演する演技集団が描かれます。ウクライナ側がドンバスの親ロシア勢力の悪行をフェイクニュースの形式で示す劇映画であることを示唆する演出です。映画の最終場面でその演技集団は全員射殺されます(それ自体がフィクションか?)。救急車やパトカーが駆けつける情景を映画チームが撮影しているシーンをバックにエンドロールが流れます。手の込んだ演出です。どこまでが真実で、どこまでがフィクションか曖昧化されます。

作品自体はフィクションなのですが、今年2月24日以降の、ウクライナ戦争の生々しい映像を見せられ続けてきた身としては、まるで現在を予見した映画と錯覚してしまいます。ノヴォロシア(ドンバス地方からオデーサ、モルドバまで含む東部・南部・西南部、アゾフ海・黒海北岸部)が親ロシア派民衆には既定のものとして受け止められているのだと実感されました。ソ連崩壊後、東方教会が復権したといわれているにもかかわらず、結婚式のシーンでは式場は教会ではなく結婚証明書を提出する役所、結婚式を取り仕切るのはキリスト教の司祭でなく女性司会者、という脱宗教をめざしたソ連時代そのもののシーンは興味深く皮肉たっぷりでかつ意味深でした。

ただ、作品全体としてはやりきれなさが際立ち、見ていて憂鬱になります。それでも気を取り直すべし。ウクライナの現状と背景を理解する上では必見の映画です。

映画を観て、アフガニスタンとの類似点を強く感じました。主には宗教と民族の問題です。

 

<戦争の背景にある宗教問題>

アフガニスタンではイスラム教内スンニ(スンナ)派とシーア派の対立がありスンニ派内でもサウジアラビアなどの原理主義や極端派と呼ばれるイスラーム異端派の存在があります。

ウクライナ紛争では、背景には東方教会内のモスクワ総主教とウクライナ教会の対立抗争があります。コンスタンティノープルにあるキリスト教東方正教会(信者数2億6000万人)はロシア正教会(モスクワ総主教庁)からのウクライナ正教会の独立を2018年12月に認めました。それまでウクライナ正教会は330年以上もロシア正教会に属していました。モスクワ総主教庁は、この承認に反発し、コンスタンティノープルとの関係を断絶しました。また、モスクワ総主教庁はプーチン大統領と親密であり公私ともにプーチンの歴史観、政策、行動の宗教的守護者とみなされています。いうまでもなく今回のロシアによるウクライナへの侵攻を真っ先に支持祝福しています。

2009年に即位したモスクワ総主教庁のキリル氏は、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの国家は同じものであり、その中心はモスクワにある、とする帝国主義的な考え方をもっています。彼によれば、ウクライナの教会はロシア正教会に属する格下の「府主教」であり、ロシア教会に属するものでなくてはなりません。この言葉は2022年2月21日のプーチンの大統領演説内容と同じです。(参考:1)

アフガニスタンでもロシア・ウクライナでも胡散臭い神様を仰ぐ暴力的な政治集団・組織が立ち現れてきています。権力集団と政治論議だけでなく正しい宗教の在り方まで議論しなければなりません。胡散臭い神様がでてくると理性では解決できません。

 

<民族問題>

ウクライナ・ロシアの民族問題では有史以来の諸民族興亡の長い歴史が背景にあり複雑です。DNAの違いと政治集団の違いが絡む歴史問題とくにソ連崩壊による国境問題と言語・社会の相違の顕在化は、ある意味、アフガニスタンより複雑かもしれません。(参考:2)

ウクライナに関しては、ウクライナという国のなりたち、ウクライナ人の形成史、現在のウクライナという国家に住むウクライナの諸民族、それらとロシアの関係をキチンと押さえておかなければならないのですが、歴史的、民族的複雑さを理由に「一概にプーチンをわるものにしていいのか?」という議論があります。それは、「ターリバーンだけが悪いのか?」という一見もっともらしい言説の類似性にも表れてきます。背景をキチンと理解することと、なぜプーチンを批判しなければならないのか、なぜターリバーンを批判しなければならないのかを理解することとは別です。

どんなにプーチンの言い分に正当と思われる点があるにしても、「武力、それも核兵器の使用をちらつかせて既存の国境を侵害」したこと、しかも自らが常任理事国をつとめる国連憲章を踏みにじった行為が最重要の批判でなければならないからです。

ターリバーンの場合にも、いうまでもなく、彼らの言い分に正当と思われる点があったとしても、それよりもなお、外国軍の撤退の後、全国民を包摂する政府の樹立という公約を実行しないこと、さまざまな人権とくに女性の権利を踏みにじっていること、国民の民主主義的な要求に応えようとしないこと、国民支配を暴力によって行っていること、民族・部族・宗派上の差別を強化していること等々の致命的な悪い点が多々あるからです。

 

<政治・経済問題>

プーチン大統領は、ウクライナ東南部の親ロシア系住民をウクライナ政府のジェノサイドから守るという大義を掲げました。と同時に、ウクライナのNATO加盟、NATO勢力の東方への拡大を阻止するというより大きな国家的課題を掲げて今回のウクライナ侵攻を実行しました。ウクライナの経済要求=EUへの加盟には、ロシアは反対しないとプーチン大統領は言明しました。このことからわかるように今回のウクライナ侵攻はロシアにとっては民族的国家的安全保障の課題がほとんどでかつ最重要事項のはずでした。

他方、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻では、たしかに、ソ連南部の中央アジア諸国へのイスラム勢力の伸長を阻止するという動機はありました。しかしその動機よりも大きなものとしてアフガニスタン政府(アフガニスタン人民民主党(PDPA)政権)の武力支援の要請にこたえる、という側面がありました。アフガニスタン側から両侵攻を対比してみれば、PDPA=親ロシア派、反ソ連ムジャヒディーン=ウクライナ政府と類推できるのではないでしょうか。米NATOがジハードを戦うムジャヒディーンを間接的に軍事支援していたことなど、現在のウクライナ事情と瓜二つです。

しかし、ロシアのウクライナ侵攻とソ連のアフガニスタン侵攻には決定的な違いがあります。それはアフガニスタン(PDPA政権)側には王政の時代から何十年もつづくアフガニスタンの宿願=遅れた社会の社会経済改革、近代化という切実なる内的欲求がありました。ソ連および社会主義諸国はそれをも支援していた、という点です。実は米欧(日)も図らずもその課題を引き継いでしまったのです。

付け加えて言えば、2001年以降の米欧軍のアフガン侵攻以降、米欧(日)が支援したのは、100年以上前からアフガニスタンが希求してきた「近代化の夢のつづき」だったのです。アフガニスタンの近代化の夢を妨げてきたのは、部族主義と排外主義的で偏狭なイスラーム主義でした。ソ連やアメリカに代表される近代化主義や西洋化思想にジハード(異教徒、外国人支配の打破)の思想が勝ったのでした。

いま、ターリバーンの登場によってソ連、米欧(日)が支援したその「近代化の夢」が大きな試練にさらされています。近代化の夢は敗北をつづけていますが、いま敗北しているからと言って間違いだとはいえません。確かに無定見な西洋化(単純な憧れ)は否定すべきですが、近代化や民主化や人権尊重の要望は、実現していないだけでいまもなおアフガン人民にとっては「夢」であり続けているのです。

 

<結論>

プーチンの夢は過去の栄光を追う後ろ向きのものターリバーンの夢も歴史的に淘汰されてきた部族の旧態依然の悪習と古臭い宗教的偏見というべきものです。それに引き換えウクライナの夢はEUとの連携による社会経済発展の夢、アフガン人民の夢は旧弊を克服して諸外国なみの生活水準、人として尊重される社会の構築です。

しかし、外の世界からのそのような判断(幸福の基準)を押しつけることはできません。ソ連とPDPAの失敗や米欧(NATO)の失敗から学ぶことは《幸福を押しつけることはできない》ということではないでしょうか。

アフガニスタンもウクライナもロシアも、争い続けて自滅・共滅することなく妥協点をみつけて新しい共通の夢を紡いでくれるよう祈るほかありません。

<追記>
ロシアのウクライナ侵攻をめぐって本映画に再度注目が集まり、それの扱いについてさまざまな意見が飛び交いました。そこでの映画論および映画人の在り方について本映画の監督セルゲイ・ロズニツァ氏が展開した主張はとても興味深くかつ重要な問題提起が含まれています。それについては次回に論じたいと思います。

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(注:1)セルゲイ・ロズニツァ監督作品。第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門オープニング作品

(参考:1)
※1:[前編]ウクライナとロシアの宗教戦争:キエフと手を結んだ権威コンスタンティノープルの逆襲
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20220323-00287889
※2:[後編]宗教の境界で三分するウクライナと「千年に一度のキリスト教界の分裂」:ロシアとの宗教対立
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20220326-00287898
※3:ウクライナ正教会、ロシア正教会から独立へ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/101600240/ )

(参考:2)
※1:ウイキペディア:ウクライナ人
https://bit.ly/3OMbzbo
※2:ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯
https://toyokeizai.net/articles/-/514936

(参考:3)
アフガニスタンの「近代化」と国民統合一試論(清水 学)
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/15357/ronso1330400290.pdf

野口壽一

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(2022年6月25日)

 散華(さんげ)と殉教 

 「日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂャナイカ」

 

先月、日本赤軍の女性リーダーが20年の刑期を終えて出所しました。その機会をとらえて、テレビ各局は、イスラエル・テルアビブ空港でのテロ事件のショッキングな映像や実行者・岡本公三の近況や彼の発言を報道しました。悲惨なこの事件は、圧倒的なイスラエルの軍事力によって抑えつけられ無力感に苛まれていたパレスチナ・アラブ民衆の心に火をつけました。他方それは自殺攻撃や無差別自爆テロが抑圧された民衆の抵抗戦術のひとつとなる契機になったとされています。

自殺テロの最大のものは9.11米国同時多発テロでしょう。類似のテロ攻撃はフランスやその他のヨーロッパ諸国でも実行されました。テロ攻撃は、米軍および欧州軍が撤退したにもかかわらず、ターリバーン支配下のアフガニスタンでは現在でも日常的に繰り返されています。しかもターゲットはもはや大国の軍隊ではなく敵対民族、敵対宗派の非武装一般民衆にまで拡大しています。イスラーム世界だけでなく、西洋マスコミでさえ、日本の特攻攻撃になぞらえてこれらのテロを「カミカゼテロ」と表現したりしています。

私は日本の特攻とイスラームの名をかたって行われる自爆テロを同列に扱う表現に大いなる違和感を感じながらも、神や国家の名のもとに遂行される自殺攻撃としての紙一重の共通性を感じます。さらには、あらゆる反撃の手段を封じられ抑圧されている民衆のやむにやまれぬテロ行為はどうなのか、考えてしまいます。

9.11事件に衝撃をうけ、その翌年に、「散華と殉教」と題してエッセーを書きました。以下に掲載いたします。

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想ってごらん、国家なんていらない、と。
むつかしいことじゃない。
そのために殺しあったり、死んだりせず、
ついでに、宗教もいらない。
想ってごらん、人がみな
安らかに生きている姿を。
(ジョン・レノン「イマジン」より筆者抄訳)

2001年9月11日、アメリカ合衆国で4機の民間航空機がハイジャックされ、ニューヨークでは世界貿易センタービルの南棟と北棟にそれぞれ1機が、ワシントンでは米国防省(ペンタゴン)に1機が、乗員・乗客を乗せたまま激突するという事件がおきた。もう1機はピッツバーグで墜落した。ハイジャック犯人たちの目的遂行を乗客たちが阻止したともアメリカ軍によりやむなく撃墜されたのではないかとも推測された。
2機のジェット機に激突されたニューヨークの世界貿易センタービルでは、突入した旅客機に満載されたガソリンが爆発し大火災が発生。2棟とも周辺のビルを巻き込んで崩れ落ちた。この同時ハイジャック・自爆行為により乗員・乗客・地上の人びとや救援に駆けつけた消防士・警察官などあわせて数千人が死亡した。人類史上かつて経験したことのない民間航空機をつかった痛ましい無差別大量殺人事件となった。犠牲となった人びとやその家族・関係者へ大きな同情が寄せられたのはもちろんだったが、事件の規模と残虐さ、および攻撃が米国中枢、その喉元へ仕掛けられたという異常性のため、事件を引き起こした犯人グループや推測される事件の背景に世界中の人びとは驚愕するとともに強い関心を引かれた。もちろんわたしもそのひとりだった。

この事件のあと、さまざまな世界的歴史的出来事がつづいた。アメリカ合衆国のブッシュ大統領は「テロ根絶の戦争」を呼号した。航空機による自爆大量殺人行為は旧日本軍の真珠湾攻撃や神風特攻隊になぞらえて論じられもした。そして「テロ」の温床を提供しているとの咎でアフガニスタンのタリバン政府およびテロ組織と断定されたアルカイダ武装勢力は米英によって激しく空爆された。「テロリストの首領」を殺害または捕縛するためである。一方、嫌疑を掛けられた男、アルカイダ組織のリーダーのひとり、ウサマ・ビンラディンは衛星放送を通じて、アメリカによる広島や長崎にたいする原爆投下こそが人類に対する犯罪だったと非難した。もちろんビンラディンはパレスチナ人を圧殺するイスラエルとそれを支援するアメリカを糾弾するのを忘れなかった。アメリカが主導する「テロとの戦争」はタリバン政府が崩壊し暫定政府が結成されたあとの、アフガニスタン空爆開始後3カ月をすぎた2002年になってもつづけられ、アフリカやアジアのその他のイスラム諸国へアメリカ軍の攻撃が拡大されるのではないかとの恐れがささやかれるようになっていた。

アメリカの航空機を乗っ取り、乗員・乗客を道づれにしてターゲットに激突した自爆犯の行為が「テロ」と表現され「戦争」という政治の言葉を使って語られたり、1972年にテルアビブ空港で無差別大量殺人事件を引き起こした日本赤軍・岡本公三らの行為やいまから半世紀前の日本の特攻隊員の行為との共通性において論じられたりするのをみるにつけ、わたしは穏やかならざる気持ちに陥った。アフガニスタンの地形や空爆の効果、経済状況などについて新聞社やテレビ局からコメントを求められた。それらがテレビの全国ニュースで何度か放送されたりもして、知人から「観たよ」などと声をかけられたりした。

そんなある日、書籍購入はほとんどインターネットショップで済ますようにしていたわたしだが、久しぶりに渋谷の大型書店に出かけてみた。するとそこにはアフガニスタンやタリバンやビンラディンなどをテーマにした関連書籍が数十冊平積みされた特設コーナーが設けられていた。ビンラディンの顔写真を大きく表紙にあしらったけばけばしい本も何種類かある。構造的な出版不況を跳ね飛ばそうとするかのような出版人の意地や商魂が陳列されているようにも感じられた。そんな感想を抱きながら1冊ずつ手にとって立ち読みしていた。そこに5、6人の高校生らしき少年たちの一団がやってき
た。
「スゲー、全部テロの本だ」
「エロじゃねえのか」
「バカ。ビンラディンとかタリバンだよ。見ろよ」
「やっぱり読まなきゃダメか」
「とりあえずどれか1冊くらいはなあ……」
などとわいわいしゃべり始め、その中の1人がビンディンのインタビュー本を選んでレジに持って行った。

また、年が改まった1月の5日、米フロリダ州タンパ市で午後5時過ぎ、15歳のアメリカ人少年が操縦する小型機が42階建ての「バンク・オブ・アメリカ」ビル20 階部分に激突しその少年が死亡するという事故があった。米警察当局は、少年が遺書とみられるメモを所持しておりそこにはウサマ・ビンラディンに共感していることが書かれていた、と発表した。
子供たちの世代がこの事件から強い衝撃を受けている。精神的衝撃は若いかれらの脳裏に消しがたい生涯の記憶となって残ることだろう。そうであればこそ、第2次世界大戦を実体験として持っていない「戦後世代」に属するわたしではあるが、戦後世代からみた日本の特攻作戦を明らかにし、その持つ意味を確認し、次の世代に継承するべき責任があるのではと思った。

そもそも、9・11事件を「テロ事件」と呼ぶことにわたしは違和感を覚える。テロの定義を拡大して便宜的に「米同時多発テロ」と表現してもよいだろうが、国家間の戦争が大規模化、高度化し非戦闘員を巻き込んで展開されるようになった近・現代では「戦争」と「テロ」の区別は難しくなってきている。非戦闘員をふくむ、あるいは非戦闘員による殺傷をテロというのならば、第2次世界大戦時にドイツが行ったロンドン空爆やUボートによる商船無差別撃沈攻撃、規模の大小はさておくとして日本軍が南京で行った市民虐殺もテロ、それも「国家によるテロ」といえるであろう。この論法に従えば、アメリカ軍による広島や長崎への原爆投下は、人類史上最大でもっとも無慈悲・悲惨なテロといいうるのではないか。アメリカが第2次世界大戦後ベトナムや中南米やアフリカでおこなってきた「報復」と称する軍事行動の多くもまさに「国家テロリズム」だった。とくに1998年にクリントン政権がおこなったスーダンの薬品工場の爆撃・破壊がもたらした残酷さは9.11事件以上のものがある。じつは、米国そのものが最大の国家テロリズム、その元凶だったのではないか。9.11事件のせいで、空から爆弾が降ってきて家や家族や自分の体の一部が吹き飛ばされるアフガニスタンの一般民衆にとって、アメリカの空爆はテロ(恐怖)以外のなにものでもないだろう。空爆の3カ月間に空爆により直接死亡したアフガニスタンの民間人は9.11事件によりニューヨークで死亡した人びとの数とほぼ等しくなったという。
9.11事件は戦時下で起きたわけではない、とも反論されそうだが、同事件の黒幕とされるビンラディンは事件の何年も前から米国に宣戦布告をしていた。さらに1998年のケニア、タンザニアで引き起こされた米国大使館爆破事件、2000 年にイエメンで起きた米駆逐艦「コール」爆破事件などの「首魁」として米国FBIはビンラディンを「国際指名手配」していた事実がある。9.11事件後、ブッシュ米国大統領がビンラディンとその組織アルカイダとの戦いを「戦争」と宣言したことにより、9.11事件の実態は国際刑事事件から、「テロ事件」でなく米英その他の国家群と国際テロ組織との「戦争」に、他ならぬアメリカそのものによって、転化させられたのである。

以上がわたしの「違和感」の根拠である。
それまで、わたしの意識にあった「テロ」の概念は、抑圧された人びとのやむにやまれぬ政治的表現手段としての暴力だった。これからはもうそのような概念は古典的な定義になってしまうのかもしれないが、この<真正の>テロは、救済を受けるべき、解放されるべき一般民衆をけっして虐殺の対象とするものではない。そうではなく、「悪逆なる為政者」の命とテロリストそれ自身の命を差し違えることにより、悪政を正し民衆の救済を実現しようとする行動であり、その思想である。わたしは、悪政を正すことも悪政に苦しむ民衆を救うこともできないテロを政治的手段として用いる個人と組織を決して支持しないが、敵であれ味方であれ一般民衆を巻き添えにしない「政治的テロ」が鬱屈する民衆意識を背後に持つこと、さらにはその意識を特殊歴史的な一時期において代弁する場合があることへの理解は持ち合わせている。

たとえば、石川啄木がロシア皇帝を殺害しようとしたテロリストの心情を、

われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つ
かなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

1911. 6. 15. Tokyo
(「ココアのひと匙」、『呼子と口笛』より)

と詠(うた)った感懐を理解することができるし、韓国統監として軍事力を背景に韓国の日本への併合を進めかの国の民衆の怨嗟の的となっていた明治の元勲のひとり伊藤博文を中国黒竜江省のハルビンで射殺した安重根がその国の民衆から韓国独立運動の烈士として尊敬されている歴史的事実の背景と民衆意識を同情をもって理解するのである。しかし9.11事件の自爆犯たちの行動やその思想的基盤とされる「イスラム過激主義」「イスラム極端主義」に対してはいささかの同情も感じることはできない。かれらの行動の目的はかれらが敵とみなす民衆への無差別殺人攻撃であり、啄木風にいえば「言葉」と「おこない」が分裂し対立しているからである。かれらの行動はパレスチナの大義を実現する上でなんの助けにもならないばかりか害毒をまき散らすだけの存在にすぎない。だから、9.11事件の自爆犯と日本の特攻隊員を同列に論じることはできない、とわたしは思うのだ。なぜなら、自爆犯たちは、敵の首領に打撃を加えるのでなく、比較的容易に殺害が可能な一般大衆を攻撃の対象とする自己の行動に一寸たりとも疑問を持っていないからである。世界貿易センタービルでなく米国防省と大統領府だけを攻撃目標としていれば少しは非難を軽減できたかもしれない。しかし、それにしても、たとえ乗っ取ったのがアメリカ人乗客の多いアメリカ国籍の航空会社の飛行機であったとしても数百人の民間人乗員・乗客を道連れにしている点では変わらないのだ。犯罪性において本質的な違いはない。かれらはみずからを「イスラム聖戦(ジハード)」の殉教者と位置づけることにより殺人を合理化し、国家的な強制によらないまったくの自発性にもとづいて犯罪を犯した確信犯である。この意味で岡本公三らとその戦術を採用した日本赤軍も同罪であろう。かれらの行為はサリンをまき散らして無差別殺人事件を起こしたオウム真理教の行動となんら変わるところがない。違うのは、前者がその規模、国際性、歴史性において後者をはるかに凌駕している点だけであろう。オウム真理教が仏教を陵辱したようにビンラディンらもイスラム教を冒涜している。

一方、旧日本軍の特攻作戦に参加した若者たちの場合は、国家による戦争という強制力のもとで極めて限定された選択肢からいずれかを選ばざるをえない、強いられた自発性にもとづく行為であったということができる。特攻自爆という作戦が誤った愚劣な作戦であったこととそれとは別の次元の問題である。しかし、国を信じ特攻隊に志願し命を肉弾として捧げる兵士の行為は「散華(さんげ)」と美化された。文字通り「花と散る」この行為が、「聖戦」を呼号する犯人たちのいわゆる「殉教」と似たものと受け止められてもしかたがないかもしれない。ところが、特攻作戦の場合はあくまでも国と国との戦争として相手の戦闘集団に対する打撃を目的とする行為であり、一般民衆を対象にした大量の無差別虐殺行為とは本質的に異なる。

さらにそのうえ、行為者の決心に大きな違いがあった。9.11事件の自爆犯たちは宗教心にもとづき「殉教者としての誉れ」を期待しながら「アッラーは偉大なり」と叫びつつビルに激突したのではないだろうか。純粋に自発的な意思により「神」の命令をみずから掴みとったかれらの行為には「神」に対する疑問を差し挟む余地は論理的にありえない。狂信の類というべきである。他方、日本の場合はかつてのベストセラー『きけ わだつみのこえ』の冒頭に掲載されている慶応大学経済学部の学生であった上原良司のように日本が始めた戦争が論理的に正しくないと認識しながらもこの作戦に参加した若者がいたのである。

上原良司の遺書にはいま読み返しても思わず背筋を正さざるを得ないほどの絶望の深さと歴史に対する揺るぎない確信が漲っている。彼は「自己の行動が論理的・歴史的にみて必ず負ける戦いである」と認識しながら「空中勤務者」としての死生観から、特攻を実行したのであった。そのような気持ちから特攻作戦に参加した若者は上原ひとりではなく、相当の数に上る。しかもそれは日本列島出身者だけでなく朝鮮半島出身の「日本人」にも及んでいる。

わたしの自宅近くにある世田谷観音には特攻「散華者」の鎮魂碑が建っている。その碑文によればそこに祀られている特攻隊員の御霊(みたま)は4615柱とされている。さらにわたしは高倉健・田中裕子主演の映画『ホタル』(2001年、降旗康男監督)を観て、旧日本軍兵士として特攻作戦を戦った韓国人・朝鮮人がいたことを知った。わたしは映画で紹介された東京・目黒区の祐天寺にお参りに行き、ちょうどそのときお勤めをしていた若いお坊さんに尋ね、いまだ遺族のもとに帰れぬ朝鮮半島出身特攻兵(当時は日本人)の霊を同寺が本堂の本尊の裏に預かって安置していること、『ホタル』が上映されたあと朝鮮人特攻隊員の件で問い合わせがあったり、お参りに来る人が増えた事実を確認した。御霊の数は不明とのことであった。

人間魚雷の操縦者として海中で、あるいは航空特攻兵として空でその命を散らせた日朝の若者たちのすべてが上原のような人びとであったとは思わないが、あの無謀愚劣な戦争を無謀愚劣な戦争と知りながら志願して命を捨てた人びとの数は陸上での特攻作戦をも考慮すれば万の数を超えるのではないだろうか。何千人もの一般人の無差別大量殺人を自己目的としてビルに激突した十数人の犯人グループによる今回の事件と巨万の兵士がひたすら命を捨て、捨てさせられた日本の特攻作戦とを同じものとして論ずることはできない、と繰り返しわたしは思う。

日本の特攻作戦の悲劇性は、過ちを過ちと知りつつ一般民衆たる若者が兵士として犠牲を甘受した日本的な「美学」「死生観」およびそれを強制した愚劣な精神と社会のあり様を国民が許容したことにあるのではないだろうか。このことを鮮明に示すのが『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)という著作に描かれた事実である。

7万3000トンの排水量と最新兵器を満載した世界最大の巨艦であった戦艦大和の乗組員として沖縄特攻作戦に参加し、九死に一生をえた著者が「終戦直後、ほとんど1日を以て」書きあげたドキュメンタリーがそれである。著者は日本が犯した愚劣な戦争を、それに対する表面的な批評・批判をいっさい加えることなく事実を事実として語らせる手法をとって記録した。

漢字・カタカナの漢文調で書かれた格調高い文学作品となったこの記録は日本軍国主義の戦争を賛美する作品とみなされて、反戦ムードが高まった終戦直後の一般社会になかなか受けいれられなかった。戦後数年、アメリカ占領軍の検閲さえパスすることができなかったという。しかしこの作品は「愚劣な精神」による「愚劣な戦争」の悲劇性を悲しいまでに赤裸々に暴き出している、とわたしは思う。吉田は講談社版のあとがきで次のように書いている。

「古今東西に比類のない超弩級(ちょうどきゅう)戦艦の演じた無惨な苦闘」は、はからずも「日本民族の栄光と転落の象徴を形作っており」「近代日本が明治以来の躍進の果てに到達した頂点の高さを示すとともに、みずからの手で歴史を打ち建てるのにいかに無力であるかを露呈するものでもあった」「科学と技術の粋は非合理きわまる精神主義と同居し、最も崇高なるべきものは最も愚劣なるものの中に埋没することによって、ようやくその存在を許された」と。著者のこの断定は、戦争に負けて初めてえられたものではない。そうではなく、1945年3月29日、沖縄海域を想定した特攻攻撃に向けて呉軍港から出撃した戦艦大和に乗り組んだ士官たちが出港してすぐの航行中に到達しえた観点でもあることが、驚きであり意義深い史実なのである。

片道分の重油しか積まずに呉を出港した大和の艦内では、空から戦艦を防衛すべき戦闘機を1機ももたず、ゆえに作戦地域までたどり着くことすら不可能だと誰の目にも明瞭な特攻作戦の意義をめぐって士官らの間で「鉄拳の雨」、「乱闘の修羅場」となる激論が戦わされたという。「国ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイイジャナイカ」とする兵学校出身の中尉・少尉に対して学徒出身士官は色をなして反論した。「君国ノタメニ散ル ソレハ分カル ダガ一体ソレハ、ドウイウコトトツナガッテイルノダ 俺ノ死、俺ノ生命、マタ日本全体ノ敗北、ソレヲ更ニ一般的ナ、普遍的ナ、何カ価値トイウヨウナモノニ結ビ附ケタイノダ コレラ一切ノコトハ、一体何ノタメニアルノダ」と。なぐり合い、乱闘となったこの大激論に決着をつけたのは哨戒長・臼淵大尉の次の発言だった。
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂャナイカ」

「散華」の思想である。臼淵大尉のこの発言にあえて「反駁ヲ加エ得ル者ナシ」となり、激論は収束した。この後、艦内に残ったものは自虐的な「『世界ノ三馬鹿、無用ノ長物ノ見本――万里ノ長城、ピラミッド、大和』ナル雑言、『少佐以上銃殺、海軍ヲ救ウノ道コノホカニナシ』ナル暴言」であったと吉田は書いている。戦艦大和に乗船していた将兵3千数百名はアメリカの空からの徹底的で嵐のように激しい爆撃攻撃になんの反撃も出来ずひたすら爆弾をその身で受け止めるだけの自虐的な敗北主義にまみれて海の藻屑と化したのである。

もし、戦艦大和の艦内での激論が将校のみの議論でなく一般兵をも巻き込んだ議論となっていたらどうだったろうか。ひょっとしたら、セルゲイ・エイゼンシュタイン監督の名作『戦艦ポチョムキン』に描かれたような事態が出現したかもしれない、とわたしは夢想する。日露戦争さなかの1905年、ロシアでは暴虐をふるう皇帝の専制政治にたいする民衆の怒りが高まっていた。緊迫した社会情勢のもと黒海沿岸の軍港オデッサ港沖に停泊していた戦艦ポチョムキン号で水兵の反乱が起きた。反乱を支持して集まった多数の市民が軍により銃撃される事態に直面したポチョムキン号は軍司令部を砲撃する。第1次ロシア革命である。この革命によりロシアは日本との戦争に決定的に敗北することになった。乃木希典の指揮のもと5万9000人の将兵の命と引き換えに勝利した旅順をめぐる激戦、東郷平八郎の指揮のもと日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させた日本海軍の勝利だけがロシア専制政治を打ち倒したのではない。ロシア民衆のたたかいがロシア皇帝の戦争継続の意思を挫いたのだ。ロシア民衆のこのたたかいは帝政を最終的に終わらせた1917年のロシア10月革命まで連綿とつづいた。先の石川啄木の詩に詠まれたテロリストはこのような歴史の戦闘に民衆自身が登場する前の大衆的な行動が封殺されていた一時期の特殊な条件下で生起した同情しうる存在だったのだ。

「『少佐以上銃殺、海軍ヲ救ウノ道コノホカニナシ』ナル暴言」はシニカルに表現された本音だったのではないだろうか。もし、臼淵大尉が論の矛先を内に向けず外に向けたならば、戦艦大和がその巨砲の向きを180度反転させ、愚劣なる作戦を命じる愚劣なる作戦本部に向けえたなら、歴史はどうなっていたであろうか。戦艦大和艦内での激論は砲口を逆転させうる瀬戸際まで来ていたとはいえないのだろうか。もしそうなっていたら、日本がアジアを巻き込んで展開したあの醜悪なる戦争による犠牲者はもっともっと少なくて済んだのではないだろうか、と、ふたたびわたしは夢想する。

しかし歴史はその道を採らなかった。歴史は日本民族が覚醒するための、「日本ノ新生ニサキガケテ散ル」べき犠牲者はまだまだ足らないと見たのであろう。アジア諸国人民が日本軍国主義によって流さざるをえなかった血をみずからの血であがなえとばかり、沖縄戦での犠牲者、日本各地大都市での空襲の犠牲者、広島・長崎の犠牲者をさらに要求したのである。敗戦が決定づけられる前にすでにこの戦争が無謀で無意味なものであることに「諦め」と「ため息」を伴いつつも「目覚め」ていた日本人の数はそれほど少なくなかっただろうに、とわたしは思う……。

ところで、ビンラディンは「イスラームの大義」を振りかざすと同時に日本にも言及した。かれらの論理がいかに醜悪なものであるにしても、その背景やかれらの行動を支持する屈折した民衆意識にアメリカの政策に対するアンチテーゼの側面を見いだしたり、異文化に対する抵抗の要素を見いだすことも可能ではないだろうか。イスラム過激派の発生の源のひとつは、そうした現実世界の矛盾のなかに存在している。つぎにこのことを日本の明治維新後の歴史の文脈に引き据えて考察してみたい。

アラブ諸国やアジアのイスラム諸国のなかで明治維新を断行した日本は高く評価されている。外国の干渉をはねのけて独立を勝ち得たアジアの国としてまた強国ロシアをうち負かした国として。筆者は1980年から88年にかけてアフガニスタンをたびたび訪れる機会があった。そしてそのたびに「日本とアフガニスタンはアジアで最初に独立した国のひとつなのに、日本は世界の最先進国となりわが国はいまだに最貧国のひとつだ。なぜだ」とよく尋ねられたものだ。そんなときには「日本の江戸時代には寺子屋というものがあって、国民の教育水準が高かったから」などと答えていたのだが、イスラム過激派の存在やその無慈悲な行動が一定の支持を得ている事実を目にして、もっと別の、より大きな原因があったのではないか、と思うようになった。日本の「成功=明治維新」が「尊皇攘夷」を掲げて実現されたにもかかわらず、維新が実現するやいなや「脱亜入欧」というアジアを裏切るかのごとき標語に示される、それまでとは正反対のコースを突き進みえたことに、実は成功の要因があったのではないか、と。

アフガニスタンはイスラム教の国である。主要4民族からなる十数民族の多民族国家である。幾十もの部族や異なる言語が複雑に共存している。この山岳地帯の人びとを国家としてまとめる共通要素は「イスラム教」と共通語の「ダリー語」しかない。1919年にこの国の独立を指導したのはアマヌラー・ハーン国王である。この国王は1917年に成立したばかりのソビエト国家を世界のどの国よりも早く承認し、モスクワを訪れてレーニンとともにパレードしたほどの開明君主だった。彼の下で、国民教育の実施、婦人解放などを含む民主的な政策が推進された。だが国王の進歩的な政策は諸外国の敵意の的となり、独立後わずか10年で反革命勢力により崩壊させられる。国内に社会建設のための原資を持たないアフガニスタンは、以来、米ソ2超大国による東西分断のはざまで、双方の陣営から援助を引き出す綱渡り政治をつづけざるをえなかった。その基本的な構造は今もつづいているといえる。

イスラム教は宗教・政治・生活規範が一体化した宗教である。アマヌラー・ハーンの改革が頓挫したのも一般国民を支配しているイスラムの感情を外国勢力と国内反動勢力が利用したからであった。
1923年、アフガニスタンにつづいてアジアで独立を勝ちえた国は同じイスラム国家のトルコだった。それはかつてアジア、ヨーロッパ、アフリカにまたがる強大な帝国を築いていたオスマン帝国の崩壊後に勃発したトルコ革命の帰結であった。この革命を率いて国を独立に導いたムスタファ・ケマル・アタチュルクらは、ロシアに勝った日本を見て、明治維新になぞらえた国造りをしようとした。アタチュルクは、イスラム色を薄めヨーロッパ型の社会経済体制に国を導くため政教分離政策や女性隔離の緩和などを導入した。それまでのアラビア文字を使っていた国語表記をローマ字に変えるなどの大胆な「入欧」政策をとった。ところが、イスラム教を生活原理とする一般民衆の世界観とキリスト教をベースとするヨーロッパ文明とは融合せず、国の政治につねに緊張と軋みを生じさせた。

イスラム教とキリスト教の対立は、「対テロ戦争」を標榜するブッシュ米大統領が「十字軍の戦い」とはしなくも口走ったように、敵対する双方に千年もつづく民衆意識として染みついている。このように牢固とした永続的な確執は、多神教・神仏混合を許す日本人には到底理解不能な心理のあり方ではないだろうか。

国の近代化をソ連に頼って行おうとした80年代のアフガニスタンの試みが、アメリカ、イギリス、パキスタン、サウジアラビア、中国などをはじめとする世界中のすべての「反ソ連」国家の支援を受けた「ゲリラ」勢力によって瓦解させられた92年以後、アフガニスタンはイスラムを標榜する勢力によって支配されることになった。しかしその勢力(2001年、アフガン空爆後の、北部同盟と呼ばれるタジク、ウズベク、ハザラ族の同盟につながる勢力)は分け前争奪の内戦を繰り返し、アフガニスタンを廃墟となす危機に陥れた。そこに登場したのがイスラム原理主義をとなえる極端な過激勢力=タリバンだった。

タリバン支配のアフガニスタンは「イスラムの原点に帰れ、米欧のキリスト教打倒」を掲げる過激派の基地になった。本来は政治の課題であるはずのものが宗教の衣を着て立ち現れてきたのである。これをアメリカが、そして西側世界が「テロの温床を根絶やしにする」と称して袋叩きにしたのであった。宗教と政治が分離されない限り、もっといえば、宗教と国家がなくならない限り、このような不幸はいつまでもつづくしかないのだろうか。散華も殉教も要らない世界が一日も早く来てほしい、とつくづく思う。

日本近代を振り返ると悲しくなる。自分自身の出自を自分自身で叩く愚を何度も繰り返してきた。維新政府を分裂させた征韓論争直後、1874年の「台湾征伐」、韓国への帝国主義的な対応、1900年に中国で引き起こされた義和団事変への対応などにその端緒をみることができる。とくに義和団事変の場合、愚かしさは極みに達する。中国の独立を希求する義和団が掲げたスローガンは、「扶清滅洋」、つまり「旧来の自らの文化・国家である清を守り欧米を滅ぼせ」というものであった。日本での「尊皇攘夷」、イスラム諸国での「イスラム教遵守、異教徒滅亡」と寸分違わぬ同一思想である。

この義和団に対して、日本軍を含む英・米・露・独・仏・伊・オーストリアの8カ国連合軍は1900年8月14日に武力攻撃をかけ鎮圧した。日本は連合国の将兵約6万人のうち最大の2万2000人を派兵した。北京占領後、連合国軍兵士らの激しい略奪と暴行が3日間にわたってつづいたといわれている。日本は多数の国家群による国家テロリズムというべき行為を、「欧米」に伍すだけでなく率先し実行したのであった。

中国にもイスラム諸国にも国外から欧米文明の波が激しく押し寄せた。日本ももちろんそうであった。しかし、他の国と若干異なるのは、日本の場合、「尊皇攘夷」から「和魂洋才」へと立場を巧妙にずらしつつ、比較的早い時期に欧米文化を輸入し旧来の文化を捨てることに成功したことだろう。とはいえこの転換のためには膨大な血を流さなければならなかった。西南戦争がそのひとつだった。中央政界の欧米への屈従、金権腐敗、政官財人の豪奢な生活実態批判と並んで、この戦争の原因のひとつになった征韓論争には、まさに、押し寄せる欧米文明に対して、これを積極的に受容し身も心も襲来してきた文明の一部となるのか、それとも外来文明とは異なる文明を維持しつつ自立する道を選ぶのかの対立が1要素として含まれていたとみることはできないだろうか。確かに西南戦争の首魁とされた西郷隆盛の『西郷南洲翁遺訓』に見られるように彼の思想が農本主義・儒教的であり、政策が反革命的な間違ったものを含んでいたとしても、中央で進行しつつある腐敗堕落に対する日本初の「野党」としての批判、問題提起だったことだけは動かせない事実だとわたしは思う。

この野党的抵抗を力でねじ伏せた中央政府は、富国強兵を達成し欧米と列するため涙ぐましい努力をした。日清戦争に勝利して侵略の味を覚えた日本は神道と天皇を利用し政治と宗教の一体化による軍国主義を奉じて、ひたすら欧米と同じ列に割り込もうと奮闘努力した。だが、「神のご加護」もなくむなしく第2次世界大戦に敗北しその列からはじき飛ばされてしまった。それ以後は形式的であれ政教分離の民主主義制度を導入し、アメリカの核の傘のもと一心不乱、頭を低くして経済発展にいそしみ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれてうかれるほどの成功を収めることができた。しかし、ソ連が崩壊したがゆえに日本を甘やかす必要のなくなったアメリカから、「外資(つまりアメリカ資本)に対して規制緩和しろ」「自分の足で歩け」とばかりにみたび「外圧」を受けるはめに陥った。徳川幕府末期、太平洋戦争敗戦につづく、第3の開国をせまられることになったのである。

明治維新や第2次世界大戦後の「華麗」なる転換を指して、日本人は外からの思想を巧妙にスムーズに取り込むことができる器用な民族であるといわれることがある。確かにそのような側面があったかもしれない。だが、それらふたつの生まれ変わりの前には、次の時代を準備する大衆的な意識が潜在的ではあれ形成されていたと見ることはできないだろうか。

第3の開国が求められている現在、単なる外国の猿真似で日本が直面している社会的・経済的行き詰まりを克服できるとは誰も思っていないだろう。すでに社会的経済的には欧米に並び、部分的にはそれらを凌駕する発展をとげているからだ。そしてつけ加えて言えば、過去2回と同じように、日本が何を捨て何を残すべきか、そして将来をどのような形で実現していくべきなのか、われわれ一般大衆の目に何も見えていないというわけでもないだろう。
過去2回と同じ過ちを繰り返すのか、それとも3度目の正直とするのか、正念場である。

野口壽一

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~032

(2022年06月15日)

 打倒か共存か 

 ~コロナ、アフガン、ウクライナ~  

 

 

3連続パンデミック 

2019年末からのコロナ・パンデミック、2021年夏からのアフガン・パンデミック、そして2022月24日からのウクライナ・パンデミック。世界は立て続けに3種類のパンデミックに襲われました。

それぞれ性格が異なる3種類ですが、国連や各国政府やマスメディアを巻き込んで、地球上の人びとの日常生活を混乱させ、世界的集団ヒステリーともいうべき様相を呈するにいたりました。

感染症という病理現象から始まった国際的大事件の連続ですが、テロ問題・民族問題、国際問題と外見的相違にかかわらず3つのパンデミックには意外な類似点が見いだされます。

まず第1に、事件の発端となっている主要因について「共通認識」ができています。コロナ・パンデミックでは「未知のウイルス」、アフガン・パンデミックでは「ターリバーン」、ウクライナ・パンデミックでは「ロシア」または「プーチン」が「悪玉」で、疑問の余地なしとされています。じつは3問題ともことはそれほど単純ではないのですが、それに疑問をさし挟む議論は、すくなくとも西側諸国では相手にされないか、排除の対象とされています。

第2に問題を解明し解決策を探るための手法として「科学」という言葉が多用されました。しかし逆にその「科学性」に大衆的な疑問が生じました。科学の立場では仮説を第三者が追証して初めて「真実」とみなされるのですが、自称他称の「専門家」が述べる「仮説」や「思いつき」があたかも「真理」であるかの如く流布され政策化されました。いろんな説が乱れ飛び「フェイクニュース」という新語すら生まれました。

第3に国際問題を解決するために世界の英知をあつめて作られたはずの国連という組織の制度疲労、機能不全があぶり出されました。

第4に問題解決の手法において、主要因を根絶ないし打倒するか、それとも懐柔・共存するかで意見が分かれ対策をめぐってカンカンガクガクの議論が交わされています。
(この視点については分類比較表を作成しました。ここをクリックするとpdfでご覧いただけます。)

 

世界はどうなってしまうのか

コロナに関しては2年半をへて、対策は「ゼロコロナ」か「ウイズコロナ」かの2択に収斂しました。世界の大半は「ゼロコロナ」から「ウイズコロナ」に舵を切りましたが、中国はまだかたくなに「ゼロコロナ」にこだわっています。どちらが正しいかはまだ証明されていません。コロナ問題に関しては言いたいことが山ほどありますが、ここではこれ以上の議論はしません。

アフガン問題ではテロを武器に権力の座に居座ったターリバーンに対して国内外でアフガン国民の反対の声がやまず、国民統合を要求する勢力は武力抵抗をつづけています。国際的にはターリバーンに対して金融経済制裁が課せられ、依然として国家承認する国は一国もありません。

ウクライナ問題では、ロシアの「武力による現状変更」への不同意は世界的にも圧倒的多数の意思が表明されてはいても、対応策においてはプーチン打倒から停戦・共存まで幅広い選択肢が議論されています。その間にウクライナの国土は蹂躙され、破壊され、1000万人規模の国内国外難民が発生し、多数の国民が毎日殺されています。

パンデミック以前の世界にもどることはない、との認識が世界を覆いつつあります。では、私たちの生活はどう変わってしまうのでしょうか。どう対応していけばよいのでしょうか。コロナは別として、人間社会でのふたつの紛争について考えてみます。

 

ウクライナ問題での意見や対応の相違

まず、喫緊のウクライナ問題です。
・国連常任理事国5カ国のうち当事者のロシアが侵攻直後に拒否権を発動し否決。他国への侵略、戦争を抑止するために設立されたはずの機関が設立国の理不尽な行為により機能不全に陥りました。
・ロシアのウクライナ侵攻を非難する決議案(3月2日)の採択結果は賛成141カ国、反対5カ国、棄権35カ国(中国、インドなど)。多数の意思は侵攻反対でもそれを即止める有効な策はありません。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN020UR0S2A300C2000000/
・米主導の対ロシア輸出規制は永世中立国のスイスなども参加しましたが37カ国と圧倒的少数です。
(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN08ED40Y2A400C2000000/
逆にエネルギー・食料問題など、世界経済に及ぼす負の側面が大きくなり始めました。
・対ロシア制裁を支持しない途上国が多数という現実がクローズアップされました。この背景には「民主主義」を押しつける米国や歴史的に帝国主義・植民地主義で搾取してきた「西側」に対する「積年の恨み」や「不信」の念が底を流れている現実があります。
https://jp.reuters.com/article/apps-south-column-idJPKCN2M50AH
・強硬派=米、英、カナダ、日本。懐柔派=フランス、ドイツ、イタリアというG7内の温度差、突出する米国のウクライナ支援。「プーチンに恥をかかせるな」と公言するマクロン仏大統領などの存在があります。

日本経済新聞2022年6月12日

一方、WSJ(ウォールストリートジャーナル、May 25, by Walter Russell Mead)によれば、5月末にスイスのダボスで開かれたいわゆるダボス会議で、99歳の誕生日を迎えるヘンリー・キッシンジャーは、ビデオ登壇し、「ロシアを打ち負かそうとしたり、疎外しようとする試みに反対」を訴え、ウクライナに対し、「戦争を終わらせるために2014年の領土喪失を受け入れるよう呼びかけた」といいいます。
https://news.goo.ne.jp/article/mag2/world/mag2-541620.html

その数時間後、今度は91歳で同フォーラムに直接出席したジョージ・ソロスが、「ウラジーミル・プーチンのロシアとの戦争における勝利は〝文明を救う〟ために必要だ」と警告し、勝利に必要なすべてをウクライナに提供するよう欧米に促したそうです。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-05-25/RCEPKODWRGG001

重鎮ふたりの意見には大きな隔たりがあるように見えますが、キッシンジャーもソロスも、アメリカにとってロシア・ウクライナ問題は究極的には二次的な問題であり、米中関係の将来の方が長期的にははるかに大きな意味をもつと考えている点では同じです。わが『ウエッブ・アフガン』も昨年12月の時点での視点で「アフガンのつぎ、西はウクライナ、東は台湾-アメリカの2番手たたきの標的となった中国(2021年12月13日)」と述べたように、アメリカにとって主敵は中国であり、ロシアではありません。

さらに、93歳になるアメリカの言語学者・哲学者のノーム・チョムスキーは、大意、つぎのように述べています。「私たちに残されているのは、好むと好まざるとにかかわらずプーチンに逃げ道を与える〝不愉快な選択〟しかない、すなわち侵略者プーチンには〝罰〟ではなく、なんらかの〝手土産〟を与えるのです。さもなくば、終末戦争が起きる可能性が高まります。窮地に追い込まれたクマが、断末魔の叫びをあげるのを眺めるのは、さぞ溜飲がさがるでしょう。しかし賢明な選択とは言えません。」(『ウクライナの未来 プーチンの運命』クーリエ・ジャポン編)

ソロスはプーチンの「打倒・根絶」を、キッシンジャーとチョムスキーは「懐柔と共存」を主張しています。

 

 水に落ちた犬は打つべきか?

ここで私が思い出すのは魯迅が評論「『フェアプレイ』はまだ早い」(1925年12月29日)(https://note.com/monolith9000/n/na63b0bbbd26b)で書いた「水に落ちた犬は大いに打つべし」という考えです。魯迅のこの言葉は制裁に苦しむプーチンやターリバーンのような暴力的な権力者についてではなく、そのような強権的反動的支配者に媚びへつらう評論家や知識人を批判した言葉ですが、比喩として分かりやすいので利用させていただきます。
魯迅は、論の対象とする水に落ちた犬には3種類ある、といいます。①自分で足を滑らせて落ちた犬、②他人が打ち落とした犬、③自分が打ち落とした犬の3種類です。魯迅は、その犬がもし「人を咬む犬なら、たとい岸にいようとも、あるいは水中にいようとも、すべて打つべし」と結論づけます。つまり、温情をかけて助けると陸に上がったときにまた人を咬むからです。中国4000年の歴史は食うか食われるか大量虐殺の戦乱と生きるか死ぬかの厳しい政争の歴史でもありました。

自分で足を滑らせてオウンゴールしたプーチンや、相いれない思想や性情を持つターリバーンであれば、陸にあげぬよう打つべきなのでしょう。ウクライナの人びとは、プーチンのウクライナ侵略を勝利させれば次には周辺国を犯す、と警告を発しています。ターリバーンに抵抗するアフガンの人びとも同じ思いでしょう。

魯迅は支配者の本質は「恩すら仇で返す」ところにあり、その本質を正確に把握することなしに「公正」や「中庸」を受け入れるならとんでもない報復を受けるであろう、まず敵の本質を見抜かなければならない、とまで述べています。ユーラシア大陸での闘争は激しく、虐げられるか殺されるか逃避するしかありませんでした。

 

 解決法はないのか 

第2次世界大戦後、近隣の朝鮮半島やベトナムでの戦争に巻き込まれず、逆にふたつの戦争特需で肥え太り平和の恩恵に浴した戦後の日本人には、大陸の激しい民族戦争、政治闘争、階級闘争は理解しがたいかもしれません。しかし、ほんの150年くらい前には、日本にも戊辰戦争という「水に落ちた犬」を徹底的に叩きのめした「なくてもよい」戦争がありました。西郷隆盛ら「不平士族」を叩きのめした西南戦争もそうだったかもしれません。力で政権を奪取した薩長勢力にとって、「人を咬むかもしれない犬」を野に放しておくわけにはいかなかったのです。

そのような日本ですが、『ウエッブ・アフガン』読者の中楯健二さんが貴重な意見を寄せてくれました。「読者の声」に掲載した『「強権国家」と「村八分」考』です。

中楯さんは、共同体の決定に従わない者を「村八分」する制度でも例外として「火事」と「葬儀」の二分だけは制裁からはずした史実を指摘して、その制度ないし考え方はターリバーンのような「強権政権」を国際社会に参加させる方途において有効ではないか、と考察しています。その全文は「読者の声」欄でお読みいただきたいが、適切な指摘だと気づかされました。(ぜひここをクリックして全文をお読みください。

「村八分」というとネガティブな印象しか持っていなかったのですが、共同体運営のシステムとしての合理性がありそうです。日本列島はユーラシア大陸の東の端、石川啄木によれば「東海の小島」です。その先は太平洋という大海原で、災害に会ったりケンカに負けて逃げだそうとしても溺れて死ぬしかありません。恐らく細長いがけっぷちの小島の列島にたどりついた祖先たちは、大陸の激しい騒乱に巻き込まれボートピープルとなって流れ着いたり、あるいは政争に敗れて逃げてきた人びとだったのかもしれません。そのような人びとにとっては大陸でのような激しい争闘を繰り広げる余地はこの小島にはありませんでした。災害多発する厳しい自然の中で肩を寄せ合って生きていくための知恵が独特の共同体論理を生んだのかもしれません。そう考えると、「村八分」はむしろポジティブな合理的なシステムだったともいえるのではないでしょうか。

自業自得とはいえ、国際社会で村八分にされているターリバーンに対して、武装抵抗しているアフガニスタン人でさえ、実は、ターリバーンの排除を要求しているわけではありません。国民を統合する包摂的な政府、民主的な選挙、人権の擁護など近代社会を構成する正当な要求をかかげているだけなのです。

「国の安定に役立とうと思うなら、ターリバーンは政党に変身すべき」(https://afghan.caravan.net/2022/05/27/sakhi-khalid/)のなかで、筆者(アフガン人)は、「ターリバーン、ムジャヒディーン、左翼政党の残党、民族指導者など、現在の混沌とした状況の原因となっているすべての人びとがアフガニスタンの矛盾した現実の一部であることを知っており、一方を排除したり他方を飲み込んだりすることが答えではないことを知っている。つまり、異なる集団の寛容と協力が唯一の解決策なのだ」と主張しています。

ウクライナ問題も、アフガン問題と同じように、複雑な歴史問題や民族問題を抱えています。実際的にはウクライナ人の思惑を超えて、局地的地方的な争いから国際問題に発展しています。まるでデュアランド・ラインという準国境問題を内包し外国軍を引き入れて混乱したアフガン戦争と類似の構造下に置かれています。外部からあれこれと論評され介入され、内部の対立を反映して外部に争いが波及する点も同じです。

このような時にこそ、紛争当事者の要求に寄り添いながら、人類が世界中で試みてきたコミュニティ形成の努力、多文化共生の知恵創造の歴史に学んでもいいのではないでしょうか。

野口壽一

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~031

(2022年05月30日)

 岐路に立つターリバーン 

 国民生活の側に立つのか、独善的教義を固守するのか  

 

KHAAMA PRESS(2010年にカーブルに設立された独立系のオンラインニュースサービス)によれば、2022年5月17日、トルコのアンカラにターリバーンに反対するアフガニスタンの国外在住の著名人士が集まり、アフガニスタンの現在の苦境に対する解決策に焦点を合わせ協議を行ったという。

それは、ターリバーンがカーブルを占拠してから9カ月を経てなされた、国内でのさまざまな動きと呼応するエポックメーキングな取り組みなのか、調べてみた。KHAAMA PRESSがBBCの報道にもとづいてリストアップした、アンカラ会議の主な参加者は下記の通りであった。(カッコ内の注は野口による)

アブドゥル・ラブ・ラスル・サイヤフ(1944年生まれ、パシュトゥーン人。ソ連のアフガン侵攻時、元アフガニスタン・ムジャーヒディーン・イスラム同盟議長、サウジアラビアから財政支援を受け、オサマ・ビン・ラーディンをアフガニスタンに招き、数々のテロ活動を共同で実施。反ターリバーンだが思想的・宗教的にはターリバーンと同類。生粋の過激極端派で現在までアムネスティより追及を受けている。)
サラフディン・ラッバーニ(1971年生まれ、パシュトゥーン人。生粋のムジャヒディーン組織ジャミアテ・イスラミの指導者で1992年6月にアフガニスタン・イスラーム国の大統領に就任したブルハヌディン・ラッバーニーの息子。父が暗殺された後ジャミアテ・イスラミの党首に。2012年アメリカ占領時にアフガニスタン高平和評議会議長、外相などを務める。)
アブドゥル・ラシッド・ドスタム(1954年生まれ、ウズベク人。元アフガニスタン人民民主党パルチャム派所属の軍人。ナジブラ―政権崩壊の立役者でその後ムジャヒディーン、なかでもグルブッディーン・ヘクマティヤールと共同。ターリバーンに追われてトルコに亡命していたがアメリカ軍のアフガン侵攻に伴い北部同盟司令官として帰国。大統領選にも立候補したが当選せず第一副首相として政権に参画。ウズベク人主体の政党イスラム民族運動の元党首。Wikipediaによれば「数々の戦争犯罪や極めて残虐な行為、変節を繰り返したり、政敵に対する拷問、レイプを企ててきたとして悪名高い」)
モハマド・モハキク(1955年バルフ生まれのハザラ人、人民イスラム統一党の創設者兼議長。ソ連侵攻時はムジャヒディーンとして活動。北部同盟をへてカルザイ政権で副大統領。)
モハマド・ユーニス・カヌーニ(1957年パンジシール渓谷生まれのタジク人ムジャヒディーン。マスードの弟子。北部同盟のマスード暗殺後、アメリカ占領下でファヒム国防相、アブドゥラ外相らとのトリオで北部同盟の財源を事実上支配。元国家代表セキュリティ、元副大統領、新アフガニスタン党指導者)
モハマド・カリム・ハリリ(1949年ワルダック州生まれのハザーラ人、1978年のPDPAクーデター後、抵抗組織「ナスル」で活動し、1981年テヘランの「ナスル」の中央事務所所長。1989年、イスラム統一党( HEZB-E-WAHDAT)が設立されると中央議会に参画。1994年、同党党首。カルザイ政権下で第二副大統領)
アフマド・ワリ・マソウド(1964年生まれ、アフマド・シャー・マソウドの弟。タジク人。マソウド財団の創設者兼議長。元ロンドン駐在アフガニスタン大使)
アブドゥル・ハディ・アルガンディワル(1952年、カーブル生まれ、ヒズベ・イスラミ・ヘクマティアル派のムジャヒディーン、カルザイ政権下で財務大臣)
アタ・モハマド・ヌール(1965年生まれ、タジク人。元イスラム協会所属のムジャヒディーン司令官。アメリカ占領下でバルフ州知事。州内で独占的な権勢をふるい反対派からは腐敗した権力とみなされていた。)

 

 栄光か、それとも汚名か 

 

ブルハヌディン・ラッバーニーの息子サラフディン・ラッバーニを除き、他はすべてソ連軍駐留時代からの筋金入り。さまざまな民族・部族・集団・宗派。今はすべて国内を出て亡命生活を送っている古つわものばかり。今回、アフガン国内で進行中の衝突と人びとの苦しみを、ターリバーンと交渉して終わらせるために国民抵抗戦線高等評議会(National Resistance Front High Council)を結成したと報じられている。

国外で開かれたこのアンカラ会議に対してアフガン人がどういう感想を示すのか、何人かのアフガン人の友人・知人にメールで意見を聞いた。しかし芳しい反応はえられなかった。むしろ否定的な反応が多かった。では、アフガン現地で武器をもって戦っている人びとの反応はどうなのか調べてみた。すると、アフガニスタン北部に位置し国民抵抗戦線の本拠地となっているパンジシール州に隣接するバグラーン州の各地でレジスタンスを戦っている国民抵抗戦線部隊による共同声明が、KHAAMA PRESSと同じくカーブルを拠点とする日刊紙の電子版(Hasht e Subh Daily)に掲載されているのを発見した。その記事は本サイトの「アフガンの声」コーナーでも紹介したが、「ターリバーンに慈悲を乞うのではなく戦場で戦うべき」と予想以上に厳しいものであった。

では、国内でターリバーンと武力で対決をつづけている勢力にとって、古くからの反ターリバーン勢力はどうみなされているのか。興味深い論説が、その「hasht e Subh Daily」に掲載されていた。それを読めばアンカラ会議批判者の見解をより深く理解できるように思う。「hasht e Subh Daily」はアフガニスタン現地で日々ターリバーンの暴虐に屈せず活動するジャーナルであるから。対象とする論説は「失敗した政治家がアフガニスタンを救えるのか?」と題されている。

 

 アンカラに集まった政治指導者こそが混沌の原因 

 

アンカラ会議参加者への不信感がつぎのように表明される。
アンカラでの政治指導者の集まりはターリバーンを排除するための希望の窓のひとつである。ターリバーンの全体主義的独占的支配は、その反市民的・反人権的政策によって人びとの生活を耐え難く苛立たしいものにしており、ターリバーンに対するいかなる動きも、解決と救済への希望につながる。だが、アンカラに集まった指導者たちのなかの汚職や横領で告発された人びとへの記憶、また、彼らへの失われた信頼を容易に回復できない深いフラストレーションを生んでいる

わたしの知り合いのアフガン人らとほとんど同じ意見である。論説は、その一般的な評価の上に、参加者の経歴を踏まえてもう一段分析を進める。

もちろん、アフガン国民は、ターリバーンムジャヒディーン左翼政党の残党民族指導者など、現在の混沌とした状況の原因となっているすべての人びとがアフガニスタンの矛盾した現実の一部であることを知っており、一方を排除したり他方を飲み込んだりすることが答えではないことを知っている。つまり、異なる集団の寛容と協力が唯一の解決策なのだ。

論説は、ターリバーンをふくむこれまでのアフガニスタンの全勢力が現在のアフガニスタンの混沌の原因である、と断じている。「矛盾した現実の一部」という表現は、彼らが混沌の原因を生み出した、と指摘すると同時に、その矛盾した混沌がアフガニスタンそのものであると認識している。そしてそれらどの勢力、潮流も排除できるものではない、と言い切っている。これら「異なる集団の寛容と協力が唯一の解決策」であるのだが、その解決策を実施するにはアフガニスタンの宿痾ともいうべき病根を絶つ必要がある。それを論説はつぎのように論ずる。

しかし過去100年間、破滅的な権力闘争が問題の根源にあることに人びとは気づいている。なぜなら、政治集団が掲げた最高の目標は、権力の中心であるカーブルの征服だったからだ。今こそ、この血生臭い、完全に間違った方程式を捨て去る時である。

この「100年」という指摘はじつに意味深い認識だ。それは、よく言われるソ連侵攻後の「40年以上の戦乱」ではなく「100年」だからだ。100年さかのぼれば、アフガニスタンが独立した1919年に行き着く。それ以前もそれからもアフガニスタンは王政から共和制へうつりイスラム共和国やイスラム首長国などへの権力闘争がつづく、論説は、現在の混乱をその「権力闘争」の延長としてとらえている。

権力闘争は民主的な権力への参加に置き換えられなければならない。その方法は、参加資格を城塞ではなく、村、都市、州、地区に分散させることである。民主主義国家というような象徴的で力のない機関では、誰も魅惑されないだろう。人民の権力への参加とは、マフィアの一団に参加することではなく、人民の投票を権力の主柱、正統性の基本的根拠、運命の真の決定要因として推進することである。そのためには、大統領制から議会制に変えるだけでは不十分で、すべてのレベルで役人が選挙で選ばれることが必要である。その選択は、民族主義的なアプローチでもイデオロギー的なスローガンでもなく、人びとの生活の向上を目指したプログラムに基づくものでなければならない。これこそが、アフガニスタンを支配している狂気のような権力という魔力を断ち切り、誰もが血を流さないですむようにする方法である。

つまり、論説は、ソ連やアメリカ・NATOなど外国勢力の介入・介在を混乱の原因(少なくとも主因)ではなく、アフガニスタン国内の権力争いが、カーブルをめぐる「城取り合戦」であったと喝破しているのだ。じっさい、アフガニスタンは、これまで通常の国民国家として成立したことはなくカーブル権力(それが王政であれPDPA支配であれムジャヒディーン政権であれターリバーン支配であれ)と地方権力(民族部族権力)の共存体制であったことを念頭に置いている。カーブル支配もタジク人の極めて短い2回を除けばアフガニスタンの始まりから今日までそのほとんどをパシュトゥーン人が独占してきたのであり、「城取合戦」もパシュトゥーン人の中の有力部族ドゥラーニー族とギルザイ族らが争ってきたのである。アフガニスタンでは、政治社会体制だけでなく国家の基本である税制ですら満足に確立したことがなく、とくにアメリカ占領の20年間には国家財政の半分以上を外国からの支援金にたより、国内で生み出される資金で国家運営がなされたわけではなかったのである。

 

 いまこそ新しいシステムの基礎を築く時 

 

論説は、結論を次のように述べる。

アフガニスタンが歴史的な行き詰まりに陥り、ターリバーンの指導者が適切なシステムを確立する能力を持たない今、危機を終わらせ、持続可能な平和と安定の始まりを保証する新しいシステムの基礎を築く時だ。

ターリバーンの指導者が適切なシステムを確立する能力を持たない今」とは、実は、「100年間」適切なシステムをアフガニスタンは持っていなかった、と論説の筆者は考えている。つまり、冒頭で取り上げた「ターリバーン、ムジャヒディーン、左翼政党の残党、民族指導者など」をもアフガニスタン人の一部としてとりこみ、選挙でえらばれる「村、都市、州、地区」の代表、同じく選挙で選んだすべてのレベルの役人などからなる、国民全体を包摂するシステムが必要とされている、と提案しているのである。

アフガニスタンには、アメリカ占領の20年の間に、この「hasht e Subh Daily」や「KHAAMA PRESS」や「TOLO TV」などの独立系の民主的なジャーナリズムが育ってきている。ターリバーンはジャーナリストの自由な取材活動や報道を弾圧しようとしているが、育ってきて現地で踏みとどまって活動しているジャーナリストたちが確実に存在している。その背後には、街頭に出て声をあげる人びと、銃を持って抵抗する人びと、表に出なくても自宅で密かに少女たちに教育をさずける活動をする人びと、生き抜くための日常の生活のために闘う人びとが、まごうことなくアフガニスタンには存在している。

 

 ターリバーンは政党化すべし 

 

この論説をさらにもう一歩進めた主張が「hasht e Subh Daily」に掲載されている。サキ・ハリド氏の「国の安定に役立とうと思うなら、ターリバーンは政党に変身すべき」、である。全文は「アフガンの声」に翻訳掲載しておいたのでそれを読んでいただくとして、サキ・ハリド氏の核心をついた、ターリバーンへの提言を紹介しておこう。ターリバーンがこのようなアフガニスタンの理性ともいうべき論を一顧だにせず、暴力支配を止めない限り、暴力そのものによって滅ぼされる運命にあるのではないだろうか。サキ・ハリド氏はターリバーンへの処方箋を次のように書いている。
戦争集団を、理性で人びとを納得させるような政党に変えるのは、長期にわたるプロセスだが、不可能ではない。その他のグループはこの変化を歓迎し、彼らと協力して、そのような努力と変化のための環境を可能にする義務がある。市民組織は、社会的、保健的、医療的サービスを提供することによって、再生と再建のプロセスに参加しなければならない。戦闘員を雇用し、労働市場に引きつけるための特別な措置を講じるとともに、社会的・市民的行動を訓練して、徐々に自尊心を高め、人間社会に統合する方向に導かなければならない。

ターリバーン戦闘員の正確な人数は不明だが、アメリカ占領下では約8万人と言われていた。外国軍が撤退した今、ターリバーン指導部は国民の前に自分たちの構成員を食わせなければならない。サキ・ハリド氏は、その「戦闘員の雇用」まで考えている。

千何百年も前の戒律や部族の偏屈なしきたりを固守する姿勢では、国民すべての生活を保障するどころか8万人の戦闘員の生活すら保障できないだろう。社会を破壊する自爆テロと暴力で「ジハード」を達成したターリバーンは、社会建設と国家運営のできる集団に変身できなければ、遅かれ早かれ破綻せざるをえない瀬戸際に、いま、立たされている。

野口壽一

 

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昨年、ターリバーンのカーブル占拠以前から『ウエッブ・アフガン』はさまざまな提言を掲載してきたが、ターリバーン復帰以前に書かれたつぎの論稿は現状を理解するうえでとくに参考になる。

今こそ連邦制を真剣に!(S.A.ケシュトマンド、F.サミ:論説:2021年4月10日:アフガニスタンの恒久的平和は連邦制の実現でこそ可能)

侵略、抵抗、国民の終わりなき受難(A.H.ムータット:論説:2021年4月30日:民主共和国の経験から米軍撤退とタリバンの将来を占う。タリバンは立場を変更して停戦・選挙を受け入れよ)

● 内戦がアフガニスタンに迫っている(F.サミ:論説:2021年7月12日:露中印イランへの拡大が仕組まれた終わりなき戦争)

 

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~030

(2022年05月16日)

 周辺地域のトラブルメーカーとなったターリバーン 

 迷惑をこうむるイランと育ての親パキスタンの苦悩 

 


アフガニスタンのストリートアーティスト、ミラドモハマディの作品
NIKKEI Asia より

 

 

 部族的偏狭と宗教的異端 

先号「視点」(2022年04月25日)ではターリバーンの四苦八苦を十項目にまとめました。そこから見えてきたのは、アフガン情勢は予想以上に流動化と悪化のスピードを速めており、国民の抵抗は新しいステージを迎えようとしている事実でした。

十項目は大きくふたつに区分できます。ターリバーンにとっての内憂と外患です。
内憂はアフガン国民のチャレンジ(抵抗)であり、外患は国際社会や周辺諸国との紛争です。

ターリバーンが政権を取れば、テロ犯人らが政権をとるのだから、治安は少なくとも以前の政府のときよりは良くなるだろうという見方もあったのですが、あにはからんや、国内では自爆テロや武力紛争やターリバーンの内紛が激化し、周辺諸国との衝突さえ発生し、内外ともにターリバーンはトラブルメーカーとなるにいたりました。

そんなターリバーンの、今回は外患、そのなかでもイラン・パキスタンとの矛盾対立の激化についてみてみます。

アフガニスタンは言語や文化の異なる十以上の民族が共存混住する山岳と土漠の国です。民族構成の多様性と国土の自然的分断が国民的一体性の実現を難しくしています。国家を形成するもっとも重要な要素である国境自体、英国とロシアおよび周辺諸国の都合と力関係によって人為的につくられた歴史と現実があります。ウクライナも同じような事情を抱えています。国民的共通性はなにかと思案するに、かろうじて言葉の共通性(ダリー語)と宗教の共通性のふたつだけが残る、といっても過言ではない、ひとつにまとまるには厳しい現実があります。

共通言語であるダリー語は基本的にペルシャ語です。アフガニスタンがペルシャ(イラン)との共通の歴史のうえになりたってきた名残でもあります。また宗教はスンニ派とシーア派(少数派)の違いはあってもイスラームで共通です。民族的少数派であるハザラ族は宗教的にも少数派のシーア派に属しますが、ターリバーン登場以前は民族差別は受けていてもアフガン人として共存していました。

しかし基本的にパシュトゥーン族の宗教集団であるターリバーンはイスラームの極端な異端的解釈とパシュトーン族の中世的固陋な習癖をアフガニスタン全体に押し付けようとしています。アフガニスタンの国内および周辺諸国との対立および混乱惹起の根本矛盾はここにあります。

この根本矛盾がターリバーン復権9か月の間に顕著になってきたといえます。

 イランとの対立の顕在化と激化 

ターリバーンの宗派はスンニ派です。しかも他派に対して偏狭なほど排他的です。アフガニスタンには国民の約1割、300万人ほどの民族的少数派でもあるハザラ族が住んでいます。ハザラ族はシーア派です。ターリバーンはハザラ族に対して民族差別と宗派差別をターリバーン結成当初から一貫して加えてきました。ジェノサイド的虐待といってもいいほどの苛烈な攻撃です。特に最近、ターリバンの一部とも言うべきISKPからの爆破テロは過酷です。イランはシーア派の大国ですから隣国での同一宗派への弾圧や攻撃を見過ごすわけにいきません。そこで、ターリバーンとはターリバーンが権力の座にいるときもそうでないときもいざこざが絶えませんでした。

昨年8月のターリバーン復権以降、両国間の対立が激化するとともに最近は国家間の武力衝突にまで発展してきました。

最近の例を挙げてみましょう。

(1)ターリバーンは文化的価値観の破壊と、アフガニスタンの人口の90%を占める主要言語であるペルシア語—ダリー語の撲滅に熱中しています。書籍市場からのペルシャ語出版物の排除、焚書などです。その一端は、本サイトの「米国アフガン占領20年の失敗―その原因<5>」(Fateh Sami)が詳細にレポートしています。
(https://afghan.caravan.net/2021/12/10/米国アフガン占領20年の失敗―その原因<5>/)

(2)ターリバーンは今年(2022年3月)、伝統的祝祭行事であるノウルーズを公式行事から外し禁止しました。ノウルーズ祭は、二千数百年さかのぼる新旧正月の祝祭にあたる伝統行事。暦の上では太陽が春分点を通過する春分の日で、農事暦上重要。春の訪れを祝って晴れ着を着、祭壇にはご馳走や果物を飾り、親類や友人の家を挨拶して回ったりします。アフガニスタンでは郊外にでかけ歌や音楽や踊り、凧揚げやレスリングなどの娯楽を楽しみます。イランを中心に、パキスタン、中央アジア全域、トルコ、アゼルバイジャンからアフリカに及ぶ広い地域で祝われています。ターリバーンはノウルーズがイラン起源であるとの理由で国の行事から排除しました。

(3)2022年4月1日、ターリバーンは民間テレビ(タマドンTV)でイランのテレビ番組を放送することを禁止しました。

(4)2022年4月23日、ヘラート近郊のアフガニスタンとイランの国境で衝突、イスラム・カラ国境を閉鎖しました。イスラム・カラ国境でターリバーンが行っていた建設作業を停止させようとしたイラン国境警備隊とターリバーンとの間で衝突が発生。ターリバーンはイラン軍の車両と武器を押収したがイラン軍はそれを奪い返そうとして国境が閉鎖されました。ターリバーン国境軍とイラン国境軍が交戦するのはこれが2回目。

(5)2022年4月25日、イラン外務省は正式に次のような表明を発表しました。「ターリバーン政権はアフガニスタン市民、特に少数派であるシーア派ハザラ市民の安全を守っていない。イランはテロリストグループ、とくにISKPとの戦いで主導権を発揮する」と。さらに、イランはテロリストグループとの戦いの経験をターリバーン政権と共有する準備ができているとも述べて、関係断絶はさけています。このようなイランの姿勢の背景には、カーブルを含む多くの州で最近、爆破事件が頻発し数十人が殺害され負傷している現実があります。自爆攻撃は、特にハザラ・シーア派市民を標的にしています。

武力衝突にまで発展したイランとの関係を、本サイトのFateh Sami氏はつぎのように断じています。

・ターリバーンは恐怖を拡散し危機的状況を継続させることによって生き延びようとしている。
・アフガニスタンは地域の安全を脅かすテロリストの安住の地となっている。

その事実を、Sami氏は、イラン人のアブドゥル・モハマド・タヘリ博士へのインタビューで明らかにしています。タヘリ氏は、ターリバン再登場までイラン外務省からアフガニスタン教育省に派遣され何年もアフガニスタンに常駐してアフガニスタンの教育改革についてアドバイスを行った文化顧問でした。

Sami氏によれば、ターリバーンが政権を取れば、少なくとも以前の政府よりは治安が良くなるだろうという見方もあったが、逆にアフガニスタンにおける不安の拡大が、近隣諸国や地域全体に波及しています。特に、イランの東側国境には、他の近隣諸国よりも不安が広がる可能性が高くなる恐れさえあります。

この問題は、政治、メディア、国内の専門家たちに多くの懸念を抱かせています。特にここ数日、イランとターリバーン政権との間の紛争と国境線の緊張が目撃されています。その緊張は、イラン東部国境に軍隊が派遣されるまでに至りました。一方、イランではターリバーン代表を三等書記官レベルで受け入れるという噂もあります。それはイランイスラム国がターリバーン首長国を正式に受け入れることを示すものです。このようなターリバーンとテヘランの複雑で矛盾した安全保障と外交状況において重要な問題は、両国の関係継続が今後可能であるかどうかである、とタヘリ氏はみています。

 

 ますます地域のトラブルメーカーとなるターリバーン 

結論から言うと、アフガン・ターリバーンは昨年カーブルに再登場してから9か月をへて、西のイランのみならず、東のパキスタンとの対立を深め武力衝突を繰り返すまでになっています。

本サイト「トピックス」欄の「Hasht-e-Subh(ハシュテ・スブ)にみるアフガンの3週間―1、2」を見ていただければ、この4、5月の間にデュアランド・ラインを挟んだ小競り合いのみならず、パキスタン軍機がホースト州やクナル州で大掛かりな空爆を行い数十人の民間人死者を出す大事件にまで発展しているのです(4月16日)。
ところが、この空爆事件の2日前には「パキスタン北西部の北ワジリスタン地区で、パキスタン軍の車列が襲撃され7名が死亡する事件(4月14日)が発生しています。パキスタン軍側は、自国の安全保障上の脅威であるTTPなどのテロ組織が、アフガニスタン領内に潜伏していると見做し」(本サイト「トピックス」欄、中東かわら版「№10 アフガニスタン:パキスタン軍機の越境攻撃で多数の市民が死傷」)その報復に空爆したというわけです。
TTPとは、Tehrik-e Taliban Pakistanの略で、いわゆるパキスタンのターリバーンです。組織的には別組織ですが、アフガニスタンのターリバーンと同じパキスタンのマドラサ(イスラームの学校)で同時期に生まれた双子の兄弟です。
アフガン国内でハザラ族にジェノサイド的自爆攻撃を繰り返すのはISKP(Islamic State – Khorasan Province:イスラム国ホラサン州)で、自分たちではないとターリバーンは言っていますが、じつは、ISKPもTTPも(アル=カーイダも)パキスタンとアフガニスタンの両国内でジハードと称してアメリカなどの外国軍を追い出すために民間人を巻き込む自爆テロを繰り返してきた一体化した仲間同士なのです。TTPもISKPもアル=カーイダもアフガニスタン・ターリバーンと同じようにシャリーア法にもとづくイスラム国家の樹立を目標にしています。TTPはパキスタンをアル=カーイダは全世界をそのターゲットにする、同盟組織なのです。

パキスタンでは、2022年4月10日、議会での不信任によりカーン首相が失職しました。翌11日、野党連合を率いてカーン首相を退陣させた最大野党「パキスタン・ムスリム連盟ナワズ・シャリフ派(PML-N)のシャバズ・シャリフ党首が新首相となりました。カーン前首相は、「自分を排除しようとするアメリカ主導の陰謀がある」と、根拠を示さないまま主張をつづけ、現在もパキスタン正義運動(PTI)の党首として新政権批判を続けています。5月14日には「政権を譲り渡すより、パキスタンに原爆を落とした方がましだった」(イスラマバード共同)と過激な発言をしています。

カーン前首相はターリバーンを全面支援し、ターリバーンを国際承認させるために陰に陽に奔走した人物です。アフガン・ターリバーンも、パキスタン・ターリバーンTTPもアル=カーイダも、恩義を感じているかどうかは知りませんが、現パキスタン政権を非難し反政府運動を展開しているカーン前首相とは仲間であることに違いはありません。

これまで、パキスタンを聖地としてアフガニスタンで闘っていたイスラームテロリストが今度はアフガニスタンを聖地および出撃基地としてパキスタンで国家転覆のテロ活動を展開するようになっているのです。自分の体の血や肉であるこれらのイスラーム原理主義極端派を果たしてアフガニスタンのターリバーンが、統制できるでしょうか。はなはだ疑問と言わざるをえません。これについては本サイトの「研究/批評/提言」欄の「アフガニスタン、パキスタンの双子のターリバーン問題」(Asfandyar Mir、Ph.D.著)もご参照ください。

最後に、パキスタンでは、バローチ族の解放組織であるバルーチスタン解放軍(BLA)も活動を活発化させています。これまでもパキスタンでの独立運動のみならず中国の「一帯一路」に反対する闘争を続けてきていましたが、4月26日には、カラチで中国人3人を含む孔子学園の関係者4人を殺害する自爆攻撃を行っています。しかもこの自爆犯は子供のいる女性でした。昨年7月には同じく中国人技術者9人が死亡する爆破事件がありました。両事件ともBLAが犯行声明を出しています。BLAもパキスタンの軍部やアメリカが育てた組織でもあります。
バローチ族はアフガニスタン国内にも存在しており、アフガニスタンではパシュトゥーン族とならんでその独立を支援する「パシュトニスタン・バルーチデー」という祝賀行事がPDPA(アフガニスタン人民民主党)の時代から祝われています。

いまやターリバーンを育てたパキスタンや反米意識でジハードを支援してきたイランは、そのしっぺ返しをくらいつつあり、ターリバーンの存在が周辺地域の不安定化の要因になっている、といえるのではないでしょうか。

アフガン・ターリバーンやバルーチ族もアフガニスタンの構成員です。彼らを抹消することによってアフガン問題(実はパシュトゥーン問題)を解決したり、より良き未来を作り出すことができないのは自明の理です。気が遠くなるような時間がかかるかもしれませんが、彼らを〝変える〟ないし彼らが変わる以外に本当の解決はありません。ソ連もアメリカもNATOもいなくなった今こそ、そこに住む民衆自身により、アフガニスタンとパキスタンの両国を視野に入れた変革進歩発展の努力が求められているのではないでしょうか。

 

野口壽一

 

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~029

(2022年04月25日)

 ターリバーンを襲う四苦八苦 

 Hasht-e-Subh(ハシュテ・スブ)にみるアフガンの3週間から 

 

アフガニスタンの独立系日刊オンラインニュース:Hasht-e-Subh(ハシュテ・スブ)の4月1日からの3週間の報道から気になる事件をピックアップしてアフガニスタンの現状の一端を見てみた。(トピックス欄参照)。この間、マスメディアの目はすべてロシアのウクライナ侵攻に奪われ、アフガニスタンはほとんど忘れ去られてしまった感があった。

記事を一覧してわかったのは、アフガン情勢が予想以上に流動化と悪化のスピードを速め、国民の抵抗も新しいステージを迎えようとしていること 、である。米英などによる海外金融資産凍結やターリバーン自体の暴力的専制政治と行政無能からくる飢餓や生活苦に、アフガン国民は呻吟するだけでなく、ターリバーンに対する抵抗を全国的に強めつつある。それはターリバーンが苦境に追い込まれている実態でもある。それらの事象を列挙するとつぎのようになる。

①国民抵抗戦線(NRF)やそのほかの武力反対派の活動開始と活発化
②ISKPやISISのテロ活動の頻発化
③ターリバーン内の武力衝突の発生
④パキスタン・ターリバーン運動(TTP)の活動活発化、それによるパキスタン政府との対立
⑤デュアランド・ライン紛争でのパキスタンとの衝突
⑥国内矛盾の激化(女性の教育問題、ジャーナリスト・文化人弾圧、ペルシャ文化弾圧、ハザラ・シーア派民族浄化、等々)
⑦海外金融資産凍結による資金不足
⑧国際社会からの国家承認ゼロ
⑨国民を統合し包摂する政府の組織化要求
⑩イスラーム学者からのターリバーン批判、など。

四苦八苦どころか、この3週間をみただけでも、整理に困るほどの数である。ターリバーンの前途は極めて多難だ。これを乗り切るには、ターリバーン単独の専制支配の強化では絶対に無理だ。アフガニスタン国民の一致団結した力が絶対的に必要だ。しかし、アフガン国民だけの努力でも真の解決は無理で、国際社会からの支援がなければ、解決することのできない重い課題である。ターリバーンが政権に残ろうとするなら、偏狭なイスラーム解釈とパシュトゥーン・ワリ(部族の掟)の頑迷固陋から脱却して、アフガニスタン国民の声を聞きあらゆる民族・部族・階層を包摂する政権の一員となりうる力量をつけていくしかないであろう。

各事象を、事実に基づいて瞥見してみよう。(以下、カッコ内の日付は、ピックアップした記事の日付。ピックアップされていない同類の事件はほかにも多数存在している。)

 

 ① 国民抵抗戦線(NRF)やそのほかの武力反対派の活動開始

NRFとは、National Resisatance Front(国民抵抗戦線)のことで、アフマド・シャー・マスードの息子アフマド・マスードをリーダーとする武装抵抗組織である。昨年8月15日のターリバーンのカーブル占拠以降、地元のパンジシールを拠点に活動をつづけている。第1次ターリバーン時代にも、最後までターリバーンの支配をはねのけ、全国制覇を許さなかったのが、パンジシール州だった。今回ターリバーンはパンジシールも支配下に置いたと主張しているが、NRF完全制覇されることなく生き延び、現在では他の州にも活動を拡大している。また、NRF以外にもAFF(アフガニスタン自由戦線)やNLF(National Liberation Front:国民解放戦線)などターリバーンに武装抵抗を試みる組織がいくつも生まれている。特筆すべきは、「実行者名称不明」のターリバーンに対する襲撃事件やターリバーン内部の武力衝突事件がいくつも起きていることである。今後武装抵抗運動は拡大していくだろう(4月1日、3日、4日、7日、9日、10日、11日、12日、13日、18日、20日、21日、22日、23日)

 

 ② ISKPやISISのテロ活動の頻発化 

テロの実行犯であったターリバーンの再登場によって、アフガニスタンの治安はよくなると思われていた。しかし皮肉なことに、危惧されていたIS(イスラム国)やISKP(イスラム国ホラーサーン州)やTTP(パキスタンのターリバーン)らのテロ組織の活動が活発化している。その特徴は、一般人や他宗派(特にシーア派、ハザラ族)や女子教育の現場、経済・金融活動の現場などを狙った残忍な攻撃となっている。(1日、3日、6日、7日、19日、22日)

 

 ③ ターリバーン内の武力衝突の発生 

この3週間以内に報道された事件だけで4件。ターリバーンの組織内統制が効かず内部衝突したものもあれば、ターリバーンをかたって民衆への狼藉を働く例も多発し、ターリバーンが取り締まりに乗り出す例もある。いずれにせよ、寄せ集め集団であるターリバーンの内部統制が彼らの課題となっている。(1日、11日、12日、13日)

 

 ④パキスタン・ターリバーン運動(TTP)の活動活発化、それによるパキスタン政府との対立 

TTP(Tehrik-e Taliban Pakistan)はパキスタンの連邦直轄部族地域(FATA)の南ワズィーリスターンを拠点にカイバル・パクトゥンクワ州などアフガニスタン国境地帯で活動するイスラム主義武装組織。ウルドゥー語の意味は「パキスタン学生運動」(Wikipedia)。アフガニスタンのターリバーンがアフガニスタンを掌握したことにより、アフガニスタンを出撃拠点としてパキスタン政府への武装抵抗闘争を行えるようになった。アフガニスタン・ターリバーンにとって親ともいえるパキスタン政府や軍との軋轢が生じている。(12日、16日、17日、18日)

 

 ⑤デュアランド・ライン紛争でのパキスタンとの衝突 

パキスタンはデュアランド・ラインを両国の国境線としたいのだが、ターリバーンはイギリスが定めパシュトゥーン族の居住地域を分断するデュアランド・ラインを認めておらず、双方が本当の理解に達するための大きな障害となっている。パシュトゥーン族はデュアランド・ラインある時は利用しある時は無視するご都合主義の道具として使っている。ターリバーンはイランとも国境付近で衝突事件を起こしている。(12日、17日、23日)

 

 ⑥国内矛盾の激化(女性の教育問題、ジャーナリスト・文化人弾圧、ペルシャ文化弾圧、ハザラ・シーア派民族浄化、地雷問題等々)

これについては改めてここで確認するまでもなく、明白だ。アフガン人はターリバーンの理不尽な暴力的専制に対抗して戦っている。1970年代以降の自由と民主化を求める人びとと旧来固陋の掟を死守する勢力との歴史的な戦いである。目立ったものを拾ってみた。(1日、3日、6日、7日、8日、9日、10日、12日、18日、19日、21日、22日)

 

 ⑦海外金融資産凍結による資金不足 

アメリカは4月12日、アフガニスタン中央銀行の資産のうち日本円にして凍結している8000憶円のうち半分をアフガニスタンの人道支援に、残りのおよそ4000億円の資産について、2001年の同時多発テロ事件の犠牲者の遺族がターリバーンに対して裁判を起こしていることからその賠償に充てる可能性もあるとして、残しておく考えを示している。一方、ターリバーンの報道を担当するナイーム氏は、11日、ツイッターに「アメリカがアフガニスタンの凍結資産を盗み、勝手に使うのは、道徳心が地に落ちていることを示している」と投稿し、アメリカを批判している。(NHK)なお、この期間には3日に「カーブルのアフガニスタン最大の両替所で爆発が発生」という記事がある。この両替市は過去20年間安全だったという。(3日)

 

 ⑧国際社会からの国家承認ゼロ 

アフガニスタンには国連組織が活動を継続しており、若干の国の大使館は活動しているが、まだターリバーン政権を承認している国はない。ターリバーンはパスポートの発行を始めたが、パスポートの国名は、ターリバーンの主張するIEA(Islamic Emirate of Afghanistan:アフガニスタン・イスラム首長国) でなく、従来のアフガニスタン・イスラム共和国を使用している。この期間の記事にはないが、イスラーム諸国会議や中国、ロシア、パキスタンなどとの会議においても「女子教育の実施」や「包摂的政府」の樹立などが要求されている。
(6日、7日、12日、18日、21日)

 

 ⑨国民を統合し包摂する政府の組織化要求 

総選挙の実施や「包摂的政府」の実施などは、アメリカと交わしたドーハ会議でもターリバーンが承認した合意事項なのだがまったく守られていない。ターリバーンは現在の政府構成が「包摂的」かつ「包括的」なものであると主張している。(18日)

 

 ⑩イスラーム学者からのターリバーン批判 

ターリバーン政権の2大特徴は、イスラームに基礎を置くといいながらその解釈が極端でイスラーム社会の常識からもかけ離れている点、および、パシュトゥーン族の頑迷固陋な中世的因習(パシュトゥーン・ワリ)に固執している点である。このふたつには共通点もあるが対立点もあり、ターリバーンにとって矛盾の原点でもある。ターリバーンが権力に執着して居座ろうとすればするほど、このふたつの思想の矛盾によってターリバーンは自縄自縛におちいるのではないだろうか。女性の扱い、シーア派およびハザラ族との関係、アフガンに根づいているペルシャ文化との折り合いをどうつけるか、喫緊の重要課題だ。(1日、3日、6日、7日、8日、12日、19日、21日)

 

以上に述べたターリバーン政権を苦しめているアフガニスタンの経済・社会的諸条件がターリバーンの存在理由=レゾンデートル(イスラーム極端主義、パシュトーン・ワリ)に発するものでないことはいうまでもない。むしろ、現在アフガニスタンが落ち込んでいる困窮状態は人類世界が中世を脱して近世を経る過程で抱えてきた地球規模の発展格差や帝国主義・植民地主義の暗黒の反映そのものなのだ。アフガニスタン地域に住む諸民族はそれぞれの立場からその暗黒を脱して現代にいたろうと独立を果たし努力してきた。その過程で、周辺諸国や先進諸外国からの支援、援助にたよった。その行為は当然であり、正しい行為であったが、諸外国の軍事力に頼ったために、新しい困難を導入してしまった。言うまでもなくソ連および米英の軍事力に対する「ジハード」という「大義」である。宗教的信念やナショナリズムは人を縛る固定観念として強力な力を持つ。1980年代の10年間と2001年~2021年の20年間、合計30年間は、東側・西側と政治的には対極にあったが社会改革や教育など曲りなりにも近代化が実践された期間であった。問題は、ジハードという外国支配排撃の「大義」のまえに「近代化」の要求が押しつぶされたことだった。実はターリバーンもムジャヒディーンも英、米、パキスタン、アラブ諸国などの外国から陰に陽に軍事経済援助を受けてきたのだが、イスラムの大義をかかげる土着勢力の守旧力の方が勝ったといえる。

ターリバーンは〝イスラームの大義〟と〝民族の慣習〟を基本思想として政権奪取し、彼らなりのアフガン社会を構築しようとしている。しかし、世界のイスラーム社会でも部族社会でも、彼ら自身のレゾンデートルは〝反近代〟の宿痾を宿している。

曲がりなりにも30年間の〝近代〟の波を経験し、ターリバーン戦闘員も含めネット社会の洗礼を受けているアフガニスタン社会において、〝反近代の亡霊〟が近代化の波にあらがえるとは思えない。われわれが、米英NATO軍の撤退は、アフガニスタンが「40年前にもどって再出発」しなければならないことを意味し、今度は外国軍の支配というジハードの的のいない環境での〝近代化〟の闘いであり、30年の蓄積が存在する条件下での闘いであり、必ず勝利するにちがいないと主張しているのはそういう意味である。

そもそも、世界が近代化を果たす上での犠牲者であったアフガニスタンのような地球上の地域を助けるのは、環境問題や経済格差をもたらし、それらの地域の犠牲の上に先に近代を築いた諸国の義務である。言ってみれば、先進諸国は、〝発展途上国〟というゴマカシ用語を捨てて言うならば〝後進諸国〟に対する天文学的借金を返済する義務を負っているのである。

 

【野口壽一】

 

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~028

(2022年04月12日)

  <祝> 豪 華 写 真 集 完 成 

   秘められたシルクロード 

 タジク・ソグドの黄金遺宝 

 ― ソグド人パミールから奈良へ ― 

 

玄関フォンが鳴って「宅配便です」。心当たりがない、なんだろう、と思って出たら、ズシリと重い小包。確かにあて名は自分だ。開けてみたら、1年前に協力金を送った、表題の写真集。企画編集から数えれば大野遼さんたちが6年の苦闘の歳月を費やしてついに完成させた、460ページ完全カラー、重量3.5Kgの豪華秘蔵本。

タジク・ソグド人といえば、アフガニスタンから新疆ウイグルをへて奈良へと、仏教と世界文化を伝えたシルクロードをまたにかけて活躍した民族。いまは、平和と進歩を目指すアフガニスタン国民抵抗戦線(NRF)の拠点パンジシール(パンシール、あるいはパンシリ)州を拠点に戦うタジク人のよりどころタジキスタンを形成する民族。

新生児ほどの重さのあるこの写真集。手に取って1ページ1ページめくっていくと、千年2千年が一瞬の夢のように、また、あたかも、東海のちっぽけな小島を飛び立ち火焔山と天山山脈の高みから麓のタクラマカンに降り立ち、目と汗だくの肌にまとわりつく灼熱の砂に苦しんだ後に訪れるタジク山地の緑に癒され、再びヒンズークシュを越えてアフガニスタンを目指す旅の中にいるような、恍惚とした時間を満喫できる。そしてシルクロードを心ゆくまで旅できる日を夢想する

部族の偏狭固陋な因習に縛られた人びとの心をほぐし和ませるためにも、古来から人種や民族や部族を越えた交流がどんなに豊かで色彩にあふれた美しいものであったかを、さらには人間が生み出した現実の楽しく充実した生活であったかを、保存し提示する必要がある。そうすれば真っ黒な布で全身を包みあるいは薄汚れたひげもじゃで〝美しきもの〟を隠し色彩を拒絶し墨色の瘦せこけて干からびたイデオロギーを掲げた白旗がいかに貧相で固守するに足らないものであるかを、理解するに違いない。芳醇な美と歴史の香りを再現し保存することは極めて現実的な戦い なのではないだろうか。

本書のより詳しい情報は下記をご覧ください。購入もできます。

http://eurasianclub.org/

【野口壽一】

 

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~027

(2022年04月12日)

  戦争を禁止する組織と運動が必要 

  駐日ロシア大使の厚顔無恥な発言に驚いて考える

 

あいにく本番のテレビ番組は観ていなかったが、抜粋がネットニュースで送られてきた。唖然とした。TBSが4月9日に放送した報道特集の抜粋である。その抜粋をさらに要約してつぎに示す。

「ああ言えばジョーユー」か『バカの壁』か

金平キャスターがガルージン駐日ロシア大使にインタビューしている。
金平「(ブチャの)虐殺を認めますか」
「認めない。犯罪を犯しているのはゼレンスキー政権だ」
そしてガルージン大使は大使館が編集したという映像を映して説明する。タイトルは「ブチャ市の真実」。そして言う。
「(映像を見ればわかる通り)明らかにウクライナの軍当局による自作自演のでっち上げです」
金平「私たちの仲間とか日本のジャーナリストとが・・・何があったのか現地で住民から聞いているんですよ。遺体も見ましたよ。それが“でっち上げ”だと言うのですか?」
「ロシア軍に殺されたというのはでっち上げです」
金平「でっちあげだとなぜわかるんですか」
「ロシア軍の発表だからです」
金平「私は仲間の取材を信じています」
「どうぞ信じてください。私は信じていません。それだけです」
同大使はつづけて言う。
「ロシアが攻撃しているのは軍事施設だけで、民間施設ではないです」
金平「そんなことない」
「それは金平さんの意見です」
金平「病院とか民間施設が破壊されている現場で実際に目で見て取材してきましたよ」
「ウクライナ軍が学校や病院から一般人、生徒たちを追放して、それを軍事拠点としたからです」
金平「そんなことは無い。入院していた人がたくさん傷ついたり、死亡した人もいましたよ」
「そんなことはありません」
民間人の犠牲について別の記者が聞くと、
「その方々は残念ながらウクライナ政府の無責任な政策の犠牲者です」
記者「手を下しているのはロシアの兵器であり、ロシアの戦車から放たれたミサイル、また巡航ミサイルです」
「それはあなたの主張です。ロシア軍は軍事施設だけを目的にしていて民間の施設を目的としておりません」
ガルージン大使は最後まで民間人の犠牲が出ていることについて責任を認めなかった。そればかりか、日本政府が8人のロシア大使館外交官を追放すると発表したことについて、言うに事欠いて、推定無罪という西側流の民主主義の大原則はどこにいったのかと逆切れする始末。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tbs/world/tbs-6012342

27年前のサリン事件のときの「ああ言えばジョーユー」とか養老孟司先生の『バカの壁』を思い出してしまった。ロシア大使に人間的な理性や感情を求める気はないけれど、これほど厚顔無恥、無能で無慈悲な受け答えをする人間を大使として日本におく国のみじめさを哀れに感じた。

アフガン侵攻時の既視感

ソ連のアフガン侵攻時の既視感

ソ連・PDPAとムジャヒディーンとの戦闘が激しかった三十数年前(1984年)、六本木から下る途中の狸穴にあったソ連大使館に呼ばれて記録フィルムを観せられたことがある。それは、渓谷の獅子と恐れられていたアフマド・シャー・マスードが拠点としていたパンジシール渓谷を激しい空爆を繰り返し解放したとするドキュメントだった。最後までアフガン国内に残って抵抗していたマスードらをついに追い出した、と。映像ではマスードらが撤退にあたって捕虜に対して行った残酷な扱いを映したと主張していた。清らかに流れる岩だらけの川の岸壁に掘られた横穴に遺体がころがっている。彼らが撤退するときに殺して去ったのだとナレーション。見るに堪えない映像だった。

当時、われわれは「アフガニスタンを知る会」という任意団体をつくり、西側の特に外電と呼ばれる、その実ユダヤ系の巨大メディアの情報をオウム返しする日本マスコミの報道に惑わされず、アフガニスタンの内部でなにが起きているのかを自分たち自身で見て研究し日本に知らしめようと活動していた。その時までに数回にわけて通算何十人もの友好訪問団をアフガニスタンに派遣していた。マスメディアだけでなくフリーのジャーナリストまで、メディアのほとんど全部が反ソ連・反PDPAの渦中にあって、アフガニスタン政府を承認してアフガン国内の状況を見ようとするわれわれは、「ソ連派」とレッテルを貼られていただろう。しかしわれわれが見たかったのは、国と国、東と西、権力と反権力といった上からの視点で状況を切り取り判断する思考方法に逆らってみえる一般民衆の視点からの現実だった。
幸い、アフガニスタン駐日大使ムータット氏はマスードとおなじパンジシール出身であり大使からの独自の情報も得ていた。マスードらと寝食をともにして書かれたドキュメンタリーや写真報道もあった。そこにはパキスタンに逃亡して外国の資金援助を得て国外から武装抵抗運動を試みるムジャヒディーン各派とは異なり、パンジシールの根拠地で解放闘争を行いつつ住民のための生活を生み出そうとするマスードらの戦い(1984年、長倉洋海『峡谷の獅子――司令官マスードとアフガンの戦士たち』朝日新聞出版刊)も知っていた。ソ連もアフガン政府軍もムジャヒディーンもお互いに激しい戦争=殺し合いをしていたのであり、切り取られた現実を事実だと差し出されても、芥川龍之介の作品をもとに製作された映画『羅生門』(黒澤明)が描いたように〝真実〟は目撃者の数だけありうる。

当時われわれはもうひとつ、「戦争プロパガンダ」の危険性も理解していた。アフガニスタン事件の数年前までのベトナム戦争報道を体験していたからだ。そこでは、解放戦争を戦う側も、傀儡政権を押し立てて北と戦うアメリカも、ともに相手が酷い非人間的戦争行為をしたと主張して大規模な〝プロパガンダ合戦〟を繰り広げていた。われわれもその当事者たちの一部だった(実際にはアメリカの戦争犯罪行為がはるかに大きかったのだが。そしてのちにアメリカは一部自らの戦争犯罪を認めるのだが、このことについては別の機会に述べたい)。
そのような経験をしていたわれわれは、アフガニスタンの政府と連携して運動をしていても、戦争プロパガンダには安易に乗らず、あくまでもアフガン人のアフガン人としての苦悩と戦いに注目しようと方針を定め、大使館で見せられた映画の上映や宣伝はしないことにした。その方針のもとで土本典昭監督の『よみがれカレーズ』は何年もかけてやっと完成した。(なぜアフガン政府と合作でこの記録映画をつくるのかについては土本監督からその論理を幾度となく聞いたがその紹介は別の機会に譲る)。

戦争犯罪と戦争そのものをやめさせるには

残虐行為の証拠として映像や写真を突きつけるのは、相手の行為が「犯罪だ」と主張したいためである。ロシア大使がロシアは民間人を殺していないと主張するのは、誤魔化しだろうと屁理屈だろうと居直りだろうと、「ロシアは戦争のルールを守っている」、という虚構を崩したくないからである。
戦争には戦争をしてよい「目的」「方法」についてルールが決められている。第1次世界大戦や第2次世界大戦の痛ましい悲劇の反省として、とくにニュールンベルグ裁判や東京裁判を経ていくつかの条約などで国際的に合意されたルールである。
概略を言えば、①自衛の戦争であって、②奇襲でなく宣戦を布告し、③民間人を狙わず、④非人道的な武器を使用しない、等々である。そのルールを守って戦争しているかどうか監視するために、国連の下部組織や国際裁判所などがある。しかしソ連もアメリカもそれらに加入していないからたとえ裁判で有罪となっても法的な強制力がない。
戦争や戦争犯罪をやめさせるには、悪辣な戦争をする国家に対して世界世論を高め政治的、社会的、倫理的に圧力をかけるしかない。しかし、各国の政府首脳にとって戦争は「勝てば官軍」だから勝つしか選択肢は残されていず、圧力に屈してなどいられない。結局、現状では、戦争は、なんと批判されようが、そしてまた、為政者にとっては、核兵器の恐怖を使ってでも「勝った者の勝ち」となる世界だ。

戦争には正義の戦争も不正義の戦争もなく、すべての戦争は「悪」だ、それしか民衆の側の選択肢はない、と私はアフガニスタンとの40年以上の付き合いを通して確信するようになった。しかし、「戦争には正義の戦争と不正義の戦争がある」と主張する国家に対しては、そのような国家が存在する限り戦争のルールを守れ、と迫っていくしか有効な手段はない。

しかし最近は、どんな形でも勝ちさえすればいい、相手に打撃を与えさえすればよいと考える国や、非対称戦争とか国際テロなる戦争形態に訴える勢力が登場して、現状ではむしろ宣戦布告なき戦争の方が多くなってきている。戦争や戦争犯罪に反対し、それらを消滅させることはますます困難になってきている。だがしかし、戦争肯定の考え方を許せば、人間社会そのもの、地球そのものが破滅する。「戦争には正義の戦争も不正義の戦争もない、すべての戦争は正義である」、と主張する極端で人間としての思想も倫理観もない集団はいまだ少数派であると信じて、そのような勢力が大きくなる前に戦争そのものや戦争犯罪をやめさせる可能性を追求すべきなのだろう。

冒頭のロシア大使の発言と対応は「馬鹿に付ける薬はない」ということわざそのものだ。だが、「つける薬はない」と諦めるのでなく、外から強制するなんらかの措置がとれないか熟慮すべきだ。
人は人としての倫理観と感情、そして理性を持つと信じ、論理の通じない相手に戦争のルールを守らせ、そして戦争そのものを強制的に禁止する世界的な運動を構想する段階に来たのだと思う。

 

【野口壽一】

 

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~026

  ロシアのウクライナ侵略、40日 

 ソ連のアフガン侵攻との違いは? 

(2022年04月05日)

 

「あいつのほうがもっと悪いし~」は通用しない 

ロシアがウクライナに侵攻してから40日、足掛け3カ月になりました。5月9日の対独戦(ロシア的には大祖国戦争)勝利記念日までになんとか恰好をつけたいプーチン大統領は、ゼレンスキー大統領の「トップ会談でカタをつけよう」という呼びかけに「まだ機が熟していない」と逃げています。その間に、北部戦線の敗北を糊塗して東南部・南部に兵力を集中し、不利な戦局をひっくり返して5月9日を迎えたい、と考えているようです。そう問屋が卸すか、見ものですが、その間にウクライナの人びとやロシア兵の命が失われ、ウクライナの市街や国土が破壊され、ロシアは戦争犯罪を重ねることになります。それとも勝利の形に持ち込めば賠償責任から逃れられるとでも思っているのでしょうか。一国の指導者としての度量と人間性が問われる事態です。

もともと、今回の問題はロシアとウクライナ間の内輪の紛争です。プーチン流にいえば「兄弟ゲンカ」。ソ連邦崩壊に伴う核兵器処理でウクライナなどの核をロシアへ一括移管する際にウクライナの主権、領土保全を保障し核や武力の不行使を約束したブタペスト覚書(露米英が保証)や、その後の紛争を解決する枠組みとしてミンスク議定書など、多国間取り組みの努力もありました。それを保証国間での協議や国連や国際組織などでの外交協議の努力を尽くさず、力による国境変更、国境侵犯、全面侵攻をロシアが強行したため、一挙に「ロシア全面悪」の局面になってしまったのです。自業自得です。内輪の兄弟ゲンカの段階にとどめておけばたとえ子分が殴り合いをしていても「ウクライナにも非がある」とロシアの言い分に理解を示す国はあったはずです。

1979年のアフガニスタンへのソ連の侵攻は、アフガニスタン政府からの再三の要請があり、ソ連内部では逡巡のすえ決定されたものです。ウクライナへも東南部ドンバス地方の2州の一部「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」からの要請の形をロシアはとっていますが、クリミア半島併合のときと同じように、ウクライナという独立国の国境変更を力によって変更する行為です。アフガニスタンの場合は、クーデターで政権をとった政府の内政上の事情と反革命反乱鎮圧に対する、あくまでも軍事支援でした。ウクライナの場合は、プーチンの世界観(ロシア・ウクライナ一体論、汎ロシア主義)にもとづく明白な侵略です。もちろん、アフガニスタンの場合には、たとえ反政府(反革命)勢力が外部勢力から支援されていたとしても、外国に軍事支援を頼まざるを得なかったアフガニスタン側の弱点と誤りがソ連の責任以上に大きかったと思います。ソ連は、当時よく言われていた「不凍港をもとめる南下政策」とか「イスラム勢力の拡大を恐れて」といった理由よりむしろ「ソ連圏防衛を怠った」あるいは「革命を見殺しにした」という不名誉につながる批判をより恐れたのではないかと思います。ソ連軍のアフガニスタン侵攻(進駐)にはアフガニスタン政府をバックアップしてムジャヒディーンと戦う側面と、アフガニスタン内部の社会改革を助ける側面のふたつの課題がありました。(この点に関しては後日論じたいと思います。)

ロシアのウクライナ侵攻問題に戻ります。
プーチン大統領はNATOの東方拡大を侵略理由にしていますが、それはロシア側の懸念事項ではあっても武力侵攻を合理化する理由とはなりえません。
ソ連邦が崩壊した1991年前には、ゴルバチョフ大統領がヨーロッパはひとつであり「ヨーロッパという家」の一員になる、とかなり理想的楽天的スローガンを掲げ、東西融和を推し進めました。NATOの側もG7にロシアを招きG8とするなど、和解のムードが進行した歴史がありました。しかし、ロシアは1992年5月に軍事同盟CSTO(旧ソ連6共和国による集団安全保障条約)を結成し、旧勢力圏の取りまとめに動き、プーチンが頭角をあらわし大統領になる過程で周辺の旧ソ連邦構成共和国地域への武力介入を強行し始めたのです。NATOもコソボなどに武力介入しましたが。当然、この間のロシアの動きに対して不安感をいだく旧社会主義圏の国々はNATOに救いを求めました。プーチンのロシアは、2014年のクリミヤ併合でついにG8からも飛び出してウクライナ東部への武力介入を強化拡大したのです。NATOが一方的に東方拡大しただけではなく、プーチンやロシア国家指導者も旧社会主義圏の国々に不安を与え信用されない国家運営をしてきたのです。あるいは米英独仏の経験豊富なずるがしこさに体よくあしらわられた歴史ともいえます。

どんなに言い分があるとしても、先に手を出したものが「悪」とされるのが一般社会のみならず、国際社会でも常識です。米英は、手を出すにしても武力行使の「口実」をこしらえ、賛同者をつのり(国連がだめなら有志連合)、文句を言われても言い逃れできるような周到な準備をしてことを起こします。口実が後からばれてもそんなこと意に介しません。ベトナム戦争のときのトンキン湾事件も、イラクに攻め込んだ時の「ビン・ラーディンとの共謀」も「大量破壊兵器」もそんなもの最初からなかったのは承知の上。要は、イギリスは数百年前から培ってきた悪知恵を、あとからやってきて海外進出経験の乏しいアメリカに伝授し、この100年ほど一緒に悪さをしてきたのです。ソ連時代は別として、ロシアがやっている悪さのほとんどは失われた旧ソ連の失地回復とシリアなど周辺国への軍事支援で、英米が地球をまたにやってきた悪さに比べれば、比較になりません。中国は外国とはベトナムに侵略した以外はソ連やインドといざこざを起こしているくらいです。歴史的には侵略された被害のほうが大きく、加害はまだ、殺人行為としてはベトナム以外ほとんどやってないといえます。そのベトナムと海上での衝突はありましたが南シナ海への進出(埋め立て、軍事基地化)が現在の係争事ではありますが。それなのに、米英からは世界の悪の権化のように言われています。要するに国際場裏での振る舞いに慣れおらず、へたくそなのです。

プーチン大統領がどう思っているか知りませんが、「あいつらはもっと悪いことをやってるしやってきたんだから、オレもやっていいんだ」とはなりません。いま何をどうやっているか、が問われているのです。

 

「調停は可能か 

兄弟ゲンカが世の中を巻き込む騒ぎになって周辺に多大な迷惑がかかるようになったら、当然、世の中では「調停しよう」となります。多種多様な損得勘定をしながら駆けつけたり尻や背中を押されたりして幾つかの国の名前が挙がっています。

日本など、「どこまでも戦争したいアメリカにどこまでもついていく日本」(晶文社)ですから、憲法の縛りがあって軍事物資支援はできないといいつつ、率先してアメリカに付き従い、仲介するどころかウクライナの戦争の片棒を担いでいます。中国およびインドと協力して3国で仲介すべし、と署名を呼びかける運動も始まっています。(憂慮する日本の歴史家の会)。気持ちはわかりますが、朝鮮・韓国との和解もできず、アメリカにおんぶにだっこの国が相手にされるはずはありません。手をこまねいているよりは遥かにましだとは思いますが、失礼を承知で言わせていただければ、所詮はインテリ先生たちの自己満足にすぎないのではないでしょうか。

それに比べれば、トルコやフランスやギリシャなどの交渉や人道支援活動は有益かもしれません。しかし、本当に実効ある仲介ができる国はどこかといえば、アメリカしかないと思います。事ここに至っては、アメリカとロシアとウクライナがしっかり話し合って落としどころを探るしか本当の解決はありえないと思います。場合によっては、ロシアが踏みにじったとはいえブタペスト覚書にもどってイギリスも参加したほうがより有効かもしれません。

 

 バイデン大統領の強硬発言は勇み足、それともボケの失言? 

では、アメリカはどう考えているんでしょうか。

バイデン米大統領は3月26日、ポーランドのワルシャワで演説し、「プーチン大統領は権力の座にとどまることはできない」と述べ、「西側は今、かつてないほど強く、結束している」「この戦いは数日や数カ月で勝てるものでもない。これからの長い戦いに備え、気を引き締める必要がある」と呼び掛けました。

この発言に対して、米国がロシアに対する態度をエスカレートさせたとの見方が高まりました。翌日、米当局者は反響に驚いたのか、火消しに走りました。

大統領が伝えようとしたのは「ウクライナや他のどの国に対しても戦争を仕掛けたり武力で侵略したりする権限をプーチン大統領に持たせてはならない」ということだ、とブリンケン米国務長官は27日にエルサレムで説明しました。

26日の演説で原稿になかった強硬発言は賢明だったかどうかが問われる中、大統領側近らは、米政府がプーチン体制打倒を目指す政策を採用したわけではないと釈明に大わらわです。

しかしバイデン大統領は、29日、本心を隠さず再びこう述べました。「撤回するものは何もない

バイデン大統領はホワイトハウスで記者団に対し、「撤回するものは何もない。道義上感じた激しい憤りを表明しただけだ」と言明しました。先の演説での発言を受けて同盟国の一部に警戒感が生じたことを後悔するかとの質問に答えたものです。

強硬発言をめぐるこの〝迷走〟は、バイデン大統領のボケなのでしょうか、それともつい本心が漏れたものでしょうか

もちろん後者です。バイデン大統領は、プーチン大統領を罠にかけて武力侵攻をさせていらい、きわめて明快で一貫した政策を実行しています。(それが首尾よくいくかどうかはここでは問いません)。

 

 ロシアも戦争経済を望んでいる? 

なぜアメリカが紛争解決、仲介の労を取らないのか。それは、核戦争と第3次世界大戦にさえならなければ、ウクライナが頑張ってロシアとの紛争が長引けば長引くほど都合がいいからです。その理由は、多くの論者が明らかにしているごとく、アメリカは経済的に潤うからです。ロシアの主要な産業(外貨獲得手段)が、原油、農産物、鉱産物の輸出であるのと同様アメリカも同じセクターをもっています。ロシアを経済制裁してもほとんど困らないどころか原油や農産物など価格は高くなるし輸出先は増えます。それと、これが本命ですが、兵器軍需物資の輸出は世界一の売り上げを誇るアメリカの独壇場です。ロシアだってアメリカの5分の1とはいえ、世界2位です。
アメリカもロシアも、核戦争、第3次世界大戦は困るが、戦争が長引き緊張が持続して軍需ビジネスが繁盛することは両国の望むところだからです。

ここで注意しておきたいのですが、ロシアが国際的に孤立していると西側メディアは報じます。しかし、それは西欧視点からみた一面的な見方ではないでしょうか。むしろ、これまで英米西欧がやってきた帝国主義、植民地主義の暴力的な搾取略奪や狡猾な手練手管に苦しんできた発展途上国(かつての言葉で言えば非同盟諸国)は、国連決議でも棄権や投票不参加などで米NATOに賛意を示さなかった国がおおく、それら諸国の人口は世界の過半数を超えています。BRICs諸国(人口32.1億)や上海協力機構(人口32.5億)はほぼすべてが非米NATOだし、世界15億人の信者をもつモスレムは非西欧の傾向が強いのです。(「トピックス」コーナー、2022年03月27日アルジャジーラの記事「世界はウクライナで統一し、アメリカで分割される/第2次冷戦が差し迫る中、世界はどちらにつくべきか警戒している」参照)

 

 ゼニカネの道でなく人倫の道を 

わたしが敬愛するマイケル・ムーア監督が面白いことを言っています
「プーチンがウクライナに攻め入ることを宣言したとき、ロシア陸軍大将(引用者注:長い机の端っこでプーチン大統領との会議に臨んだセルゲイ・ショイグ国防相?)が不満そうな顔をした。私はそのとき次のようなクレイジーな考えが浮かんだ。『荒稼ぎして金もうけして安楽生活をむさぼっているロシアの為政者にとってはもちろん、高給を稼いでいるロシア政府の陸軍大将、高級官僚にとっては、プーチンの戦争を止めさせるか、プーチンを失脚させることによって、資本主義ロシアでの裕福な盗人生活をとり戻せることができると考えているのではないだろうか』と。」

一見突拍子もない深読みのようですが、意外と当たっているのではないでしょうか。士気が低いのは演習だと騙されてウクライナに動員された若い兵士たちだけではないのかもしれない。オリガルヒはもちろん、シロヴィキといわれる人びとの中にもいやいや付き従っている一定数がいるのではないでしょうか。

とにかく、一刻も早く戦争をやめて欲しいという切実な思いはウクライナもロシアもそして世界戦争の不安や物価値上げに襲われる世界庶民の切実な願いです。

米英そしてできるなら中国を引っ張り出し尻を叩いて、軍事・経済戦争に血道をあげるのでなく、ウクライナ・ロシアと協議して一刻も早く戦争をやめさせ人倫の道を進ませてほしい

ついでに、岸田首相に一言。新しい資本主義にはぜひ、「論語と算盤」=人倫の道を採用してほしい。

 

【野口壽一】

 

 

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~025

  ウクライナとアフガニスタン 

 グレートゲームの非情さに苦しむ民衆 

(2022年03月28日)

 

戦争を止める手段がない

2月24日にロシアがウクライナへ軍を進めた行為は明確な侵略です。

(1) 空と陸から軍隊をウクライナ領内に進めました。領土の不可侵性、国境の侵犯。
(2) ウクライナ政府に対して武力行使を行い自治体や同国の施設を破壊ないし占領しています。主権の侵害。
(3) 武力を行使することにより同国国民の生命、財産を破壊ないし奪っています。戦争に関する国際法および普遍的人権を踏みにじる戦争犯罪。
(4) ウクライナ軍はロシア領内に軍隊を送ったり、軍事行動を展開したりはしていません。

ロシアのプーチン大統領は、ウクライナへの侵攻を合理化するために、NATOの約束違反による東方拡大でロシアの安全が侵されているとか、ウクライナの東部地域でロシア系住民を弾圧しジェノサイドを行っているとか、ミンスク合意を守らないとか、もともとウクライナとロシアは兄弟関係であり国家として別々の存在ではありえない、等々、いくつもの理屈を並べています。しかしそれのどれもウクライナ側は納得していませんし、侵攻を合理化できるものではありません。

紛争を処理するには、国連の機関である国際司法裁判所に紛争当事国が提訴すれば裁判が実施されますがロシアは提訴せず裁判が成立しません。また仮に裁判が実施されたとしても結審までに何年かかるかわからず、判決の強制力もないので、国際裁判には頼れません。

そもそも国連は悲惨な被害をもたらした第2次世界大戦を反省し戦争が起こらない世界を担保するためにロシアなどの戦勝国が作った機関です。常任理事国として拒否権をもつロシアが国連加盟国にたいして、戦争という武力を行使して領土侵犯をしたうえに、核兵器の使用さえちらつかせてウクライナおよび世界を脅迫しているのです。ロシアの今回の行為は、侵攻を合理化する理由がいくらあろうとも、自らがつくった自らの存立基盤を否定する行為であり国連の無力化を促進する行為と言わなければなりません。「ロシア即時撤退を」求めた3月2日の国連総会決議では141カ国(加盟国の73.4%)がロシアの侵攻を非難しました。ただし人口比では47%と過半数には届きません。英米の主導する歴史的な二枚舌政策や人種差別への根づよい反発は無視できません。

今回のロシアのウクライナ侵攻の最大の問題点は、国連総会で侵攻を非難する決議が多数決で採択されたとしてもその決議を実行する手段がないことです。明白な悪事と大多数の国が判断しても国連として悪事を抑止する手立てはありません。
だとすれば回り道のようであっても、とにかく今は、ウクライナで頑張る人びとを支援し、世界中の一人ひとりが戦争反対の声をあげ、NATOや各国政府やさまざまな組織が核戦争や生物化学兵器の使用に反対し、ロシア国内の心ある人びとと連帯し、プーチンの侵略の蛮行をやめさせるよう圧力をかける以外に方法はありません。

 

 依然として戦争は国家間紛争処理の最終手段 

人類社会には必要悪の存在があります。国家もそのひとつですが、戦争は必要悪ではなく絶対悪として人類の英知のすべてをかけて消滅させようとあらゆる機会に世界中の人びとが努力をしてきました。核兵器や非人道的大量殺傷兵器などもそうです。戦争や国家間の武力行使に関しては国際法や集団的合意などで縛りをもうけて無制限な拡大をなくそうと努力がなされてきました。

しかし現実には、第2次世界大戦後も世界中で戦争が絶えたことはありませんでした。今回侵略を受けたウクライナでさえ、他国に侵攻して武力行使を行ったことがあります。しかもその対象はアフガニスタンです。

 

ウクライナも他国に侵攻したことがある

ウクライナはアフガニスタンで武力行使つまり戦争をしたことが過去2回あります。

1回目はソ連邦の一員として1979年から1989年の10年間。この戦争でウクライナは死者3,000人、負傷者8,000人を出しています。いまだに72名の行方不明または捕らえられた兵士がいるそうです。(ちなみに、Wikipediaによれば、ソ連軍全体の戦病死者は1万4500人、負傷者は5万3753人、行方不明者は312人)。

ウクライナでは、2004年から毎年2月15日に外国での戦闘行動参加者の追悼行事を行います。この日付はソビエト軍が1989年に撤退を完了させた日です。ウクライナはアフガニスタン以外にもチリ、スペイン、エジプト、ベトナム、エチオピア、キューバ、その他の世界の「ホットスポット」での国際作戦に参加しています。

写真は2020年2月14日、記念行事の前日に記念碑に献花するゼレンスキー大統領。ゼレンスキー氏は2019年に大統領に就任。(https://www.unian.info/politics/10874360-zelensky-honors-memory-of-ukrainians-fallen-in-soviet-afghan-war.html)

もうひとつは、アメリカのアフガン占領期間中の20年間です。
ウクライナはNATOには加盟していませんでしたが、NATO加盟志向国としてアフガン占領行動に参加しました。2018年7月4日付けのTOLOニュース(アフガニスタンの独立報道機関)によれば、当時、米NATOからの支援ミッションには39カ国から1万5000人の外国軍が参加しており、ウクライナはコソボへの40人以外にアフガニスタンにも11人を派遣していました。これを近々29人に増員する予定であると報じています。同時に、この増員は「単なる政治的アピール」ではなく、ウクライナ東部での戦闘任務を遂行するための作戦能力を強化するためのものでもある、とのこと。つまり、プーチン政権がアフガンへの侵攻の口実としているドンバス地域でのウクライナ側の実践訓練を米NATOが行っている、ということにほかなりません。

写真はアフガニスタンにおける国際支援部隊の携帯型ミサイル発射訓練の1シーン。(https://tolonews.com/afghanistan/ukraine-increase-number-troops-afghanistan)

以上ふたつの事実から言えることは、ウクライナが単に主権と領土を侵害された被害者であるだけでなく、ことアフガニスタンに限ってみても、「侵略」する側の一員でもあった、しかも直近まで、という事実です。ゼレンスキー氏も大統領という国家の代表である限りウクライナが国家として行ってきた行動に関しては過去にまでさかのぼって責任をとるべき国家的責務を負っておりそれを実践しているということです。

アフガン人のなかには、単純に「ウクライナ支持、ロシア糾弾」の立場にたてない人びとがいるのは上のような事情があるのでしょう。また、ターリバーンが中立的な立場に立ってロシア・ウクライナ双方に武力対立をやめて平和解決せよと主張している背景にも同じ理由があるものと思われます。

アメリカは軍事関係者だけでなくCIAをも通じて、2014年のロシアによるクリミア併合以来、8年間、ウクライナ国内でも陰に陽に兵器の支援や兵員のトレーニングなど、ウクライナ軍の強化を助けてきました。コソボやアフガニスタンだけでなく、ウクライナ国内で直接の指導を行い、ロシアが2月24日に侵攻する直前にアメリカ人指導員らは退避しています。8年かけて周到な準備を行い、プーチンを罠にかけたのです。(アメリカは民間人、大使館員をも退避させてロシア侵攻に備えました。)

ここに見られるのは、個々人の人命尊重や尊厳など一顧だにしない冷酷な国家同士のゲームであって、われわれ庶民には理解したくない論理と出来事ですが、悲しいことにそれは現実であり、庶民にとってもっとも厳しい死活的な出来事なのです。

 

 ソ連もアメリカの罠にかけられていた 

私は2月28日に配信した<視点22 罠にかかったプーチン>で「欧米はソ連を苦しめたアフガニスタンでの宣戦布告なき戦争(ムジャヒディーンとパキスタンをつかった米英ソなどの代理戦争)の再現を狙っている。」と書きました。2月24日からの1カ月をみれば、プーチン・ロシア大統領が、欧米の代理人としてのウクライナ・ゼレンスキー政権と戦わされていることが明瞭になってきました。しかも、戦局を決定づけているのが、アフガニスタンでソ連を苦しめたスティンガーなどの携帯型ミサイルだというのも、繰り返される歴史の皮肉をみるような気がします。
ではソ連は、1979年12月にアフガニスタンに侵攻するまえに、アメリカからどのような〝罠〟をしかけられたのでしょうか。
そのいきさつを、ソ連邦崩壊後に解禁された機密情報を読み解いて書かれた『アフガン戦争の真実』(金成浩、2002年、NHKブックス)が暴露しています。
「第2章 米国の対アフガニスタン政策」(82ページ)では、ずばり「ソ連に罠をしかける」との小見出しで、罠を仕掛けたズビグニュー・ブレジンスキー(安全保障問題担当大統領補佐官)の発言を収録しています。
アメリカは、1978年4月のクーデターによってPDPA(アフガニスタン人民民主党)が政権をとったあと、この政権をどう評価するか検討をします。ブレジンスキーは民主党内では異色のタカ派として、PDPAへの警戒心をいだいていました。4月革命の前にはイランでホメイニー革命が成功し、パフラヴィ―親米政権が崩壊していたことは彼の危機感を一層掻き立てました。当時ソ連は、アメリカはPDPA政権を崩壊させる工作をしていると非難していました。アメリカはその非難を事実無根として否定していましたが、ソ連崩壊後の1997年に発行されたフランスの雑誌インタビューでブレジンスキーはつぎのように発言しています。
「(アメリカは公式には)ムジャヒディン(反ソ・PDPAゲリラ)へのCIAの援助は、1980年初めに開始されたと、すなわち、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した1979年12月24日の後であるとしている。しかし、現在まで秘密は守られ、事実はまったく闇の中にある。真理を明かせば、カーター大統領は、1979年7月3日に、カブールの親ソ体制への敵対勢力に対する秘密の支援を許可する命令に署名しており、私は、この援助がソ連の軍事介入を誘発することになるだろうという私見を覚書にして大統領に渡した」
2014年のロシアのクリミア併合の後、危機感をいだいたアメリカがCIAやアメリカ国軍を通してウクライナ軍を教育・支援していった事実と重なる認識と行為だろう。
フランスの雑誌記者は驚いて思わず「あなたは、ソ連を戦争に陥れ、挑発することを望んだということですか?」と聞き返します。するとブレジンスキーは平然と「我々がソ連を軍事介入に追い込んだのではありません。しかし、意図的に力を加え、ソ連がそう出てくる蓋然性を高めていったのです」と答えます。
記者はソ連をだまして後悔しなかったのかとさらにつっこんで聞きます。すると、その答えは、「何を後悔するというのですか? この秘密作戦は、傑出したアイデアでした。ロシア人たちをアフガニスタンの罠に引っ張り込む効果を生みました。私に公開しろとでも言いたいのですか? ソ連軍が正式に国境を越え始めたその日、私はカーター大統領に文書を提出しました。要点を言えば、『今、我々はモスクワをベトナム戦争(のような泥沼の戦争)に引き込むチャンスである』ということでした。実際、そのとおり、モスクワはほぼ10年間そのシステムには耐えられない戦争を行いました。その結果、この戦争はソ連帝国の衰退を進め、崩壊を生じせしめたのです」というものでした。
2021年からウクライナ国境沿いに大軍を配置して圧力をかけるロシア軍の動向を国際マスメディアをつかって仔細に報道させ、「ロシアは〇〇日に侵攻する、アメリカとNATOは直接介入しない」とバイデン大統領は公言し続けたのでした。クリミヤ併合後の8年間の裏工作の総仕上げでもあったはずです。まさにソ連が軍事介入する蓋然性を高め、そうしてもいいよ、という合図を送り続けたのです。
前年、アメリカはアフガニスタン撤退での不手際がありましたが、以前からの計画を粛々と続けています。主敵は中国です。アメリカを経済的に脅かす存在になってきた世界No.2を叩かなければなりません。そのために、トランプ時代に弱まってきた同盟関係の再建強化を図りました。とくにアジア・太平洋地域での英米日豪インド、アセアンとの同盟強化策は、ロシアをウクライナにくぎ付けにし、中国との間にくさびを打ち込む戦略とつながっています。
国際関係、国家間の現代のグレートゲームは非情です。
これまでアフリカや中東やアフガニスタン、ミャンマーなどアジアの民衆は悲惨な状態に追い込まれています。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によれば2021年の紛争や迫害により故郷を追われている人は世界で8000万人を超えています。しかし、ウクライナではわずか1カ月で国外国内避難民は1000万人になうとしています。

1日も早く無益な戦争を終わらせ、誰もが不安と恐怖を感じないで生きられる地球を手にしたいものです。

【野口壽一】

 

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~024

  中越戦争、1カ月で撤退した中国の決断 

 ロシアは泥沼? それとも停戦・出直し? 

(2022年03月28日)

 

敗北を教訓化した中国

3月26日、The Wall Street Journalは「ロシア軍『作戦第1段階ほぼ完了』 戦略変更を示唆」として次のように報じました。

「ロシア国防省は25日、ウクライナでの軍事作戦の第1段階がほぼ完了し、今後は同国東部に照準を移す方針を明らかにした。ロシア側に損害が広がり、戦況がこう着する中、戦略を変更する可能性がある。」(https://jp.wsj.com/articles/russias-military-says-first-phase-of-operation-in-ukraine-near-end-11648248453)

このニュースを聞いたとき、即座に、中国がベトナムに攻め込んだ中越戦争を思い出しました。

1979年当時、ベトナムの隣国カンボジアでは、中国派といわれるポルポト政権が過激な革命路線により自国民を何百万人と虐殺し対外的にはベトナムとの国境紛争を起こしていました。ベトナムはポルポト政権と闘う勢力を支援するため、前年から軍をカンボジアに送っていました。
ポルポト政権を支持していた中国はその年の1月初めベトナム国境近くに60万人近い兵員を訓練と称して終結させ「カンボジアへの侵略をやめろ」とベトナムに圧力をかけました。
ベトナムは中国の圧力と警告を拒否しました。それに対して中国は「懲罰と教訓を与える」として宣戦布告。2月15日に60万人の大軍で国境を越えました。当時、プロレタリア文化大革命の傷がいえない中国の戦法は朝鮮戦争のときのような人海戦術と旧式の武器。その4年前に近代戦でアメリカを敗北させたベトナムの敵ではありませんでした。それでも突撃ラッパとともに小銃を抱えた歩兵は猪突猛進。ベトナム側が撃っても撃っても味方の死傷者の山を踏み越えて突進してきたといいます。「ほんとうに恐ろしかった」とその10カ月後にホーチミン市を訪れたときベトナム人に聞いたことがあります。
中国軍は膨大な人的損害を出しながらも2週間、やっとこさっとこハノイの近くのランソンまで進軍しました。そのときまで数十万の中国兵と闘っていたのはわずか2個師団と民兵数万人だけ。そこに、カンボジアからベトナムの主力軍が帰還しハノイの守備を固め、中国軍との決戦態勢を整えました。すると、それを知った中国軍は翌日突然「ベトナムへの軍事的懲罰は終わった」と宣言して退却を始めました。村々に火をつけ略奪しながら退却する中国軍をベトナム軍は3月16日までにすべて国外に追い返しました。

中国はウクライナに攻め込んだ今回のロシアと同じく、短期間でベトナムを制圧できると考えていました。しかし現実はおびただしい人的損害と指揮命令系統の内部崩壊。今回のロシア軍とそっくりです。
戦争目的は達したと勝利宣言した中国でしたが、実際は苦々しい敗北でした。これ以後、鄧小平を頭とする中国指導部は、前年から始めた改革開放に注力し軍の近代化を最優先の国家目標としたのでした。

3月23日のウォール・ストリート・ジャーナルの報道によれば、ロシアはウクライナ侵攻の1カ月で、千〜1万5000人の死者、作戦に参加した約19万人のうち最大で計4万人の死傷者、捕虜、行方不明者を出したと推定されています。ロシア軍は装備の10%を失い、現在の作戦を維持するのは難しい状態だそうです。ロシア軍の作戦上の誤算、ウクライナ国民の戦闘意欲の高さ、西側から供給される優秀な武器の威力、さらに、ゼレンスキー政権の機敏で説得力ある情報戦能力など、彼我の戦闘・作戦能力の差にはいかんともしがたいほどの大きさを感じます。

ロシアが誤りを自覚して方向転換をするのは大歓迎なのですが、必ずしもそうではなさそうです。

3月25日のニューズ・ウィークは、「米シンクタンク、戦争研究所(ISW)によると、ロシア軍は主要都市に対しロケット弾やミサイルによる砲撃や爆撃を強める一方で、前線では塹壕を掘り、地雷を埋設するなど、攻撃から防御に転じたとみられる報告が相次いでいる。攻勢を維持するため兵力を追加投入するも、限定的で、今後数週間から数カ月、攻撃の勢いを取り戻すのは困難と考えられている。」と報じています。(https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2022/03/2-5.php)

外交交渉が破綻して戦争になった以上、停戦協議の成り行きは戦場での優劣で決まります。国際社会はウクライナ国民の意思を尊重し、国民の命の最大限の防衛を支援しつつ、ウクライナへの政治的軍事的バックアップを強化すべきと考えます。

【野口壽一】

 

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~023

  3月8日は国際女性デー 

 個人の尊厳をかけて戦う女性たち 

(2022年03月8日)

 

ひと昔前まで日本では「国際婦人デー」の名で、婦人団体や民主組織、労働組合などで結構にぎやかに祝賀行事や行動が取り組まれていました。「婦人」という呼称が嫌われて「女性デー」となったあたりから、イベントも下火になったような気がします。しかし世界ではいまでも結構広範囲に祝われていて、創意工夫にあふれた興味深い活動やパフォーマンスが実施されています。

女性が立ち上がれば歴史が変わります。昨年8月のターリバーン再来に抗議するアフガニスタンの女性たちの闘いは、衝撃的でした。ターリバーンの野蛮と武器にもひるまず、アフガニスタンの女性たちは素顔をさらして個人として極限の闘いを敢行しました。

いまも、アフガニスタンを忘れないで! とTwitter やFacebookなどで激しく主張を展開しています。ロシアのウクライナ侵攻に対しても世界中で抗議行動が展開され、そこでも女性たちの活躍が目立ちます。

現代の抗議行動の特徴は、個人が個人の責任で顔を出して抗議したり主張したりできるようになったことです。とても勇気ある行動です。私のネットフレンドも「顔出しプロテスト」ないし「連帯表明」をして写真を送ってきてくれます。

アフガニスタン出身のzalaさんはポーランドのウクライナ大使館の前でウクライナ人への連帯行動を行いました。「ウクライナの女性が泣いて私をしっかりと抱きしめ、アフガン人としてウクライナを支援してくれたことに感謝しました。涙が出てきました。今日、私の故郷は孤独です」と書いています。彼女の行動はTwitterやFacebookなどで世界中でリツィートやシェアされ共感を呼び起こしています。

ロシア出身でチェス女子世界チャンピオンAlexandra KosteniukさんはFacebookで「私が言いたいことは、2022年3月4日のロシア連邦大統領の法令によって禁止されているので、今は何も言うことはありません」と抗議の黒マスクの奥から鋭い眼差しでプーチン大統領に痛烈な目力パンチを見舞っています。

しかし、何よりも世界に驚きと勇気を与え称賛の声を呼び起こしたのはBBCが配信したウクライナ女性のつぎの行動ではなかったでしょうか。

 

ひとりの女性が「あなた誰?」「ロシア人なの?」と銃を持った兵士に詰め寄ります。
兵士はただ一言「ダー」としかいえません。女性はさらに「一体ここで何しているの」「なんで武器を持ってここに来たの」とさらに詰問します。兵士はしどろもどろ。女性はそんな兵士に、「あんたたちみんなこの種をポケットにいれて持っていきなさいよ」「あんたがここで死んだ時そこからヒマワリが生えるように」とひまわりのタネを突きつけます。(この動画はここで観られます。)

この勇気ある女性の行動は、ソフィア・ローレン主演の映画『ひまわり』を下敷きにしています。平和を愛する人びとにとっては忘れられない映画のはずです。

ヨーロッパの穀倉地帯といわれるウクライナはヒマワリも特産でその油や種の輸出では世界トップクラスです。第2次世界大戦で出征したが帰ってこない夫は生きていると信じてウクライナをかけずりまわる主人公が、大戦でなくなった兵士や地元農民らが埋葬されている丘陵地帯に連れていかれます。なだらかな斜面に見渡す限り十字架が立ち並んでいます。本来なら大輪のヒマワリが咲き誇る黄色いじゅうたんの景観が見られるはずです。空の青と大地の黄、つまりウクライナの国旗のイメージが映し出されます。

共同埋葬地の記念碑にはロシアの詩人スエトロフの詩が刻まれています。その一節「なぜ君はロシアの野へ来たのか」が、アップで映し出されます。

それを見て、思い出したのは、旧満州にある現在の中国黒竜江省方正(ほうまさ)県にある方正地区日本人公墓「中日友好園林」でした。これは、在留婦人の松田ちゑさんが白骨の山を見つけて県政府に「私たちが葬りますから許可してほしい」と歎願したのが、周恩来総理にまで届き、「開拓民も日本の軍国主義の犠牲者だ」と方正周辺の岡や森から日本人の遺骨を収集して火葬するよう県当局に命じ公墓を建立したのだそうです。(この間の事情はここをクリックしてご覧ください)。

関東軍将兵だけでなく日本の満蒙開拓団も他国に武力侵入し現地の人びとから土地を奪った侵略者です。「なぜ君たちは満蒙の野へ来たのか」、と問われても仕方がない存在だったのです。

ウクライナの大地でも満州の地でも同じ悲しみを抱えながら敵味方の恩讐を超えて民衆が鎮魂している歴史には戦争の悲しみと怒りを超越する静かな感動を覚えます。

個々の人間は国や民族として憎みあうことがあっても本質的には許しあいいたわりあうことのできる優しさをもった存在なのではないでしょうか。

 

 付記 

揺れ動く怒りと赦しの原因=国家と政治の存在

異なる民族が混交して存在する現代世界における民衆同士の友好的な交流は必ずしも好ましいものだけではない。ウクライナの「ひまわり」が悲しみと赦し=寛恕の精神をイメージさせるだけでなく、今回のロシア兵への怒りの象徴ともなりうる。
同じように、方正県の「中日友好園林」でも、2011年、中国政府の愛国教育に影響をうけた「抗日五勇士」とたたえられ反日感情をたぎらせた愛国主義者たちによって園林に赤ペンキがまかれ、その後、園林は閉鎖された。しかし、アメリカ・トランプ大統領の中国敵視政策により日本との融和をもとめる中国国内のうごきを受けて「園林」を守り続けてきた地元の人びとも、最近、少しずつ昔の活動を取り戻しつつあるという。国の政策で揺れ動く方正県の事情が垣間見える事件だが、そのような両国間の軋みは、日本における靖国神社の存在や嫌中動向の影響も受けている。
「〝友好の絆〟が招いた、富と憎しみの波紋」:朝日新聞 GLOBE+)
「旧満州開拓団の〝碑〟劇 行き過ぎた〝愛国〟も焦点ぼかしのためか:大紀元)
「満洲」移民をめぐる寛容さの記憶――黒龍江省方正県の日本人公墓建立をとおして――:坂部晶子)

ウクライナの場合も

アフガン人のウクライナへの連帯の気持ちにも複雑なものがある。それは、旧ソ連が「アフガン革命への支援」を掲げて侵攻した1979年からの10年戦争にウクライナもソ連の一部として参戦し、2001年からの20年戦争にもアメリカやNATOなど有志連合の一員としてアフガン戦争に加担していたからだ。いまや世界的英雄となっているゼレンスキー大統領も、大統領としてアフガン戦争に加担したウクライナ人の顕彰を行っている。国家と民衆意識のねじれの実例である。もちろん、ソ連人、アメリカ人へのアフガン人からのねじれ感情にはもっと大きいものがある。

ウクライナ避難民問題で意識される民族差別・人種差別

くどくどと説明する必要もないだろうが、アフリカや中東・アジアからの移民受け入れに厳しいヨーロッパが、今回のウクライナ難民の受け入れは迅速でわずか2週間で250万人に達した。この大きな違いの背景には、民族的人種的差別とともに、政治的な動機もあるだろう。

忘れてならない問題

この瞬間に集中せねばならないウクライナ支援だが、片時も忘れてならないのは、その背景にある現代世界の混乱の原点となっているパレスチナ問題、アフガニスタン問題、そこで毎日闘い続けている人びとの存在である。

【野口壽一】

 

~022

  罠にかかったプーチン 

アフガン戦争化に向かう危険性

(2022年02月28日)

 

2月15日付の「視点」で、国際メディアとNATOやその他の西側政府らを動員した、バイデン米大統領の大掛かりで芝居がかったウクライナ大騒動をまとめておいた。

本質的にはどっちもどっちの火遊びだが、プーチン露大統領に少しでも理性があれば米大統領の挑発と誘導をいなしたり押したりして乗らず、武力を誇示しつつ外交交渉で自国に有利な結果を引き出すべく動くのかと思っていた。武力を使って脅すのは国際法違反だけど。

しかし結果は、まったくのバカとしか言いようのない、最低の対応。兵士だけでなく無実の市民の命を失うだけでなく、第3次世界大戦を引き起こしかねない爆弾遊びを始めてしまった。バイデン大統領は、してやったりとひそかな笑みを浮かべているのではないか。
アフガン・イラクへの侵攻とまったく同じ、いやそれ以上に国際的反発を招く行為をしてくれ、アメリカの失態が帳消しとまではいかぬまでも、世界の記憶を薄くしてくれた、と。

昨年、プーチン大統領がウクライナ国境沿いに兵力を増強配備するのを目にしながら、直接の電話会談などでそれを批判はしても「軍事介入はしない」と約束。「するのは経済制裁」と公言し続けてきた。アメリカは早々と外交団や自国民をウクライナから撤退させ、英欧日に追随させた。国際メディアはロシアの侵攻が決まった、決行はいついつ、明日だ!などと書き立てて挑発し、誘導した。プーチンらはまんまとワナにかかった

ウクライナ人の国内での抵抗や世界中のプーチン糾弾の波。足元のロシアでさえ反対の大衆運動が起きている。退役軍人のなかからもプーチン辞任要求の声があがっている。制裁はロシアへの金融制裁だけと表明していた米英EU諸国はウクライナへの武器(スティンガーミサイル)や軍資金の援助を始めた。(「トピックス」コーナー参照)中国をあてにしてウクライナ侵攻という強硬策に出たプーチンだったが、独善支配の終わりの始まりになりそうな気配がただよいはじめた。

アフガン撤退後のアメリカの企みをわれわれは「転んでもただでは起きないしたたかな戦略」と結論づけ、「アフガニスタンをターリバーンとパキスタンに任せ中央アジア混乱の要因として残し、その混乱にユーラシア大陸の西のロシアと東の中国を巻き込んで弱体化する行動に出るだろう」と分析した。21世紀はユーラシア大陸を舞台としたビッグゲームの時代となる。

ウクライナ戦争でいまのところアメリカは少しも痛手を被っていない。それどころか今や世界一の産油国となった手前、原油やLNGの高騰は願ってもない幸運だ。いまやバイデン氏はほくそ笑みを高笑いに変えたい衝動を必死に押し殺しているのかもしれない。

 

【教訓】

・欧米はソ連を苦しめたアフガニスタンでの宣戦布告なき戦争(ムジャヒディーンとパキスタンをつかった米英ソなどの代理戦争)の再現を狙っている。

・経済封鎖に加えた軍資金と武器の供与(1986年に反政府ムジャヒディーンに供与されたスティンガーミサイルは威力を発揮し戦局を変えた。Russia Beyond)による紛争の拡大と複雑さ。経済エネルギーの複合ミックス時代の戦争。アフガン戦争のようにはいかない。

・プーチンはソ連崩壊後の失地回復(旧ソ連ナショナリズムの復活)の勢力圏拡大と数々の戦争(2度のチェチェン戦争、ロシア・グルジア戦争、クリミア半島強制合併など)でのし上がってきた。NATOの東進、ロシアの失地回復努力は1990年東西ドイツ統一、1991年ソ連邦崩壊以降の両陣営の対立抗争。(戦争さえすれば「プーチン支持率」急上昇「中央日報/中央日報日本語版2022.01.31」

・アフガン-ウクライナ-新疆ウイグル・台湾はひとつながり。露中vs米英欧日の対立で得をするのは、両サイドの為政者と軍産複合体システム。一般民衆は苦難を強いられる。他人の問題ではない。国際問題を武力(戦争)によって解決するのでなく平和的手段により解決を目指すのが各国リーダーの責任であることを追及し続けること。

・すでにそうなりつつあるが、アフガニスタンは国際的関心から忘れ去られつつある。忘れることは見捨てること。世界の苦境にある一般民衆の境遇に関心を絶えず寄せつづけることが大切だ。

【野口壽一】

 

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~021

  ウクライナとアフガニスタンの意外な関連 

社会変革の意欲と外国との連携

(2022年02月28日)

 

現代世界の混乱の原点ともなったアフガニスタン紛争にとって、ウクライナとくにキエフは因縁の都市だ。というのは、旧ソ連がアフガニスタンに深入りするきっかけとなったアフガン政府の政変(クーデター)に重要な役割を演じるアフガニスタンの青年将校たちはキエフにある軍事アカデミーで教育を受けたからだ。その事情をWikipediaはつぎのように書いている。

「(1953年9月から1963年まで首相をつとめた)ムハンマド・ダーウードは国軍の近代化を重要な任務と考え、ソビエト連邦に援助を要請した。1956年からソ連の軍事援助がアフガニスタンに提供され、アフガン軍にはソ連の軍事顧問団が駐在し、アフガン軍将校はソ連に留学した。」
ダーウードは1963年に国王ザーヒル・シャーによって首相の座から退けられたが、10年後の1973年に返り咲き同年7月、病気療養のためにザーヒル・シャーがアフガニスタンを離れた隙を突いて、ソ連留学帰りの将校団の支持によりクーデターを成功させた。その一群の青年将校らの働きにより1978年のクーデター(いわゆる4月革命)が成功し、人民民主党(PDPA)政権が出現するのである。しかしPDPAの内紛がソ連軍を呼びこみ、世界を巻き込む大混乱を引き起こしたのであった。

『わが政府 かく崩壊せり』の著者アブドゥル・ハミド・ムータット氏は、60年代にキエフ軍事アカデミーに留学した多くの青年将校候補のひとりで軍事コマンドおよび無線通信技術を専攻し修士課程を修了している。
そして1969年帰国。同年アフガン航空大学教官となり、1970年、空軍中央軍守備部門に所属。各種上級職を歴任し、上記の1973年7月17日に王政を打倒し第一共和国を樹立した政変(クーデター)において中心的な役割を果たした。共和国樹立によりムハンマド・ダーウードがアフガニスタン共和国初代大統領に就任するとともにダーウード大統領により郵政通信相に任命される。しかし、同大統領は改革の約束を守らず、のちのムジャヒディーンの指導者となるイスラーム指導者らの弾圧を始めた。しかしそれに止まらず、改革を支持していた人民民主党勢力などの排除に走るなど独善的態度を取るにいたった。ムータット氏は大統領との意見対立により1974年解任。その後4年間自宅軟禁処分を受ける。同僚の多くも投獄された。1978年4月の再度のクーデターによるダーウード政権崩壊と4月革命により人民民主党政権が樹立され、同年6月、クーデター指導部のひとりであったムータット氏は駐日アフガニスタン大使に任命され来日。政治経済外交面での制裁を受けていたアフガニスタン新政権の代表として東京で外交活動をつづけ、1987年春、任務終了により帰国。その後副首相、副大統領としてアフガニスタンの国民和解、ソ連軍撤退などに尽くし、最後は1992年4月、PDPA政権の死に水を取ったのであった。以上は、『わが政府 かく崩壊せり』に詳述されている。

希望と憧れの中央アジア・ウクライナ

2009年の8月、当時キエフ国際大学で中央アジア・アフガニスタン史を教えていたムータット氏と前掲著書翻訳の打ち合わせを兼ねてキエフを訪れた。キエフは高校生の頃ユル・ブリンナー主演の「隊長ブーリバ」を観て憧れていた。映画に登場する雄大な草原=ステップは実はロケ地の南米アルゼンチンのパンパスであったことを映画を観た後に知ったのだが、日本にはありえない優しい草原や荒くれた土漠のイメージそのものには変わりがない。

キエフは土を固めてできたカーブルの風景と異なり、ヨーロッパ風の威厳のある石造りの高層建築が並ぶ古色蒼然たる風格のなかに現代的なデザインを違和感なく取り入れたハイカラな街、人も景色も自然も美しい都市だった。

アフガニスタンから青年将校候補者たちが留学に来ていた50年前にもその時と変わらぬ成熟した街並みだっただろう。ウクライナの大草原はソ連時代から穀倉地帯となり、ソ連圏だけでなくヨーロッパ全体の胃袋を満たす存在になっていた。ウクライナはヨーロッパに属するが、中央アジアにまで広がる大草原地帯を豊かな大地に変えたのは1917年以降のソビエト政権である。アフガン人は自分たちの国土と地続きの大地の変化をどのように見ていたか。1969年から73年にかけてユネスコの教育専門家としてアフガニスタン・イランに赴任して教育事業にかかわった津田元一郎氏の著書『日本的発想の限界 イラン・アフガニスタン・東南アジアの真相』(1981年、弘文堂刊)は次のように述べる。

「ソ連中央アジアはかつて〝飢餓草原〟と呼ばれてきた不毛の土地であった。それは決して、アフガニスタンより恵まれた条件にはなかった。その不毛の飢餓草原を豊かな大地に変貌させつつあるのはソ連であり、後に諸指標を比較してみると一目瞭然だが、アフガニスタン側に取り残された民衆に比べ、ソ連側の生活が格段に向上しつつあることは否定できない。」(62ページ)

キエフで軍事技術を学ぶ多感なアフガン青年たちは、ソ連社会主義建設の現実の成果を目の当たりにして、中世的な後進性の闇の中でもがく自国の窮乏をいかにして救うか、そのような事情を津田氏は前掲書で次のように結論づける。

「西側諸国が途上国援助への姿勢を改めず、一部特権階級だけを肥らせるような援助しかつづけない限り、途上国の民衆はソ連の指導下で発展する革命の道を選択するしかない。アフガニスタンにとっても、最後に残された道はそれしかなかった。ソ連の軍事介入を招いたのは、自らは民衆の貧困を救おうとせず、ソ連の指導だけを妨害し、自己の覇権主義のための攪乱工作だけをつづけてきたアメリカの責任である。アフガニスタンの絶望的な民衆の貧困を救うのに、ソ連の方がより真面目で誠実であったことは動かしがたい。」(70ページ)

アフガニスタンでの80年代の改革努力は残念ながら失敗に終わった。ムータット氏の『わが政府 かく崩壊せり』には、ムジャヒディーンなどを使った西側諸国・アラブ諸国などによる外部からの宣戦布告なき戦争による妨害だけでなく、人民民主党やソ連など革命遂行主体内部のさまざまな誤りが剔出分析されている。

わたしも、同書の翻訳者あとがきとして「アフガニスタンと明治維新」のタイトルで自分なりの見解を述べたが、今回、キエフとアフガニスタンの関係に思いをはせているうちに書き落としたことがあることに気がついた。それは、明治維新前後に幕府側反幕府側双方の日本の若者たちが欧米を見、それに追いつけ追い越せと奮闘した事実である。幕府側は咸臨丸を建造し遣米使節団を派遣した。その船には福沢諭吉が乗っていた。渋沢栄一は徳川昭武の随員としてフランスに留学した。高橋是清は勝海舟の息子と一緒にアメリカ留学したが手違いで奴隷体験までしている。薩長の若者は鎖国の禁を破ってイギリスで学んでいる。長州の伊藤博文や井上馨もそのなかにいた。これらはほんの一部であって、旧体制の内実であった各藩でも黒船来襲以来、西洋の実力を知り海外事情の習得に努め、「攘夷」を即座に「和魂洋才」に切り替えた。

明治維新そのものはアフガニスタンよりは国全体を巻き込んだ大規模なものであったが、本質的には下級武士と旧封建制力のなかの開明派が手を組んだクーデターそのものだった。アフガニスタンとの決定的な違いは、江戸時代に現代の商品市場を先取りするかのような米相場まで成立していたほど、資本主義成立の土台が成長していた。資本主義に進む経済社会的な土台、条件が日本にはあったが、アフガニスタンにはその条件(社会主義はなおさら)がなかった、という厳然たる事実がある。さらに決定的な要因は、日本の場合、外国勢力に頼らず、国内勢力で国家の政治権力を樹立することに成功した、ということにつきる。結果論でかつ厳しい言い方だが、アフガニスタンは「ないものねだりをして外国に頼ってしまった」のかもしれない。しかもその、頼った外国も自滅に向かう困難を抱えていたことが不幸に輪をかけてしまったと言えるのではなかろうか。

(※ アフガニスタンのような国の成長理論として社会主義陣営からは『資本主義を飛び越えて-モンゴルの歩み』(1977年、B.シレンデブ)という提案があった。歴史的には後進国が「開発独裁+外資」によって経済的に発展する道が示された(中国はその最大のもの)。世界が十分に成長しないうちに貧富の格差の拡大や地球環境問題など「成長の限界」が意識されるようになった。SDGs(国連)やESG(金融界)などが提案されているが、懸念への対策が取られなければ逆に低開発国と先進国との格差を広げてしまう危険性がある。)

【野口壽一】

 

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~020

  アフガン-ウクライナ-新疆・台湾 

地球を滅ぼしかねない危険な火遊び

(2022年02月15日)

 

『ウエッブ・アフガン』では、昨年8月、米NATO軍のアフガン撤退後のアメリカの戦略をつぎのように読み解いた。つまり、アフガニスタンに中国・ロシアを引き込む。そして新疆ウイグル・台湾問題で中国を叩き、ウクライナ問題でロシアを叩き、経済的軍事的に足元を脅かすようになった中国を蹴落とそうとするだろう、と。

しかしこの分析は何もわれわれ独自なものでもない。Newsweekはアメリカの対中、対ロ戦略をつぎように分析していた。それはまさに、われわれと裏表をなす同じ分析といえよう。

「バイデン大統領はアフガニスタンから米軍を撤退させ、イスラム原理主義武装勢力タリバンの復権を黙認した。バイデン大統領の弱気につけ込み、権威主義国家のロシアや中国はウクライナや台湾で揺さぶりをかける。バイデン大統領がオバマ氏と同じように武力行使をためらえば、クリミアの悲劇が繰り返される恐れがある。北大西洋条約機構(NATO)加盟を望むウクライナのゼレンスキー大統領がロシアの神経を逆なでし、プーチン大統領は今年3~4月、ウクライナ国境近くに10万人以上のロシア軍を集結させ、緊張を高めた。プーチン大統領はウクライナのNATO加盟で西側の軍事力がロシアの下腹部に突きつけられることを恐れている。」(2021年12月6日)
(https://news.yahoo.co.jp/articles/dec0869ea7cccacde2c4616f57a30d692d30a48f)

Newsweekは同じ記事で、「米政府高官はワシントン・ポスト紙に『(ロシアは)意図をあいまいにし、不確実性を生み出すため、計画では今年春(2021年)にウクライナ国境付近で行った演習の2倍にもなる100個の大隊戦術グループと推定17万5千人の人員、装甲、大砲、装備品を広範囲に移動させることになっている』と語っている」と書き、北京冬季オリンピック最中または直後の2月中旬にはロシアがウクライナに侵攻する可能性がある、と匂わせている。つまりはロシアのウクライナ侵攻のシナリオを作成し、ゼレンスキー・ウクライナ政権に鞭を入れ、危機を大々的に演出し、世界を戦争前夜の緊張に巻き込もうとする挑発が進行しているのだ。

アメリカはアフガン撤退から半年も経ずして、ウクライナをめぐる緊張を欧州戦争の瀬戸際にまでもってきた。諸報道のキャッチコピーがそのことを明瞭に描き出している。

・1月24日、日経新聞「NATO、東欧に加盟国軍増派 米英はウクライナ退避命令 米も数千人規模の派遣検討 ロシア侵攻に備え」
・2月2日、ブルームバーグ、「米軍が東欧に部隊増派へ、3000人規模-ロシアは『破壊的』と非難」
・2月7日、ロイター、「NATO、ロシアがベラルーシに軍とどめれば増派も=軍事委員長」
・2月8日、産経新聞、「英独、東欧方面に軍増派」

ロシアがウクライナに侵攻することを前提に、経済制裁の準備が着々と進む。
・1月20日、BBC、「ウクライナ侵攻は『ロシアに大惨事』招く バイデン氏が警告」
・1月29日、時事、「米、対ロ経済制裁の準備加速 ウクライナ侵攻備え―日本に影響も」
・2月8日、産経、「米EUが天然ガス供給協議 ウクライナ問題で協力強化」

欧米からの経済制裁は貿易ストップやガスパイプラインの閉鎖、SWIFT(銀行間国際決済システムの利用停止などで、2014年以来、クリミヤ問題ですでに実施されている制裁にさらに上乗せされ、厳しいものにしようとする腹積もりだ。

日本が、ウクライナ問題を対岸の火事視しないように、プレッシャーがかかる。

・2月6日、FNNプライムオンライン、「アメリカが日本にロシア制裁の検討要請 ウクライナ侵攻に備え」
・2月9日、朝日新聞、「日本政府、欧州にLNGの一部を融通へ ウクライナ情勢緊迫化を受け」

マスコミ報道ではすでにロシアのウクライナ武力侵攻が既定の事実となっているようだ。

そのような状況の12日朝、バイデン大統領とプーチン大統領の電話会談が行われた。TBSは会談終了から数時間後の13日6時35分のニュースで次のように速報した。

(1) ホワイトハウスによると、バイデン氏は「ロシアがウクライナに侵攻すれば、同盟国とともに断固として対応し、厳しい代償を科す」と改めて警告。アメリカ政府高官は「ここ数週間の動きと根本的な変化は無いものの、ロシアの懸念にも向き合う考えを提示した」としている。

(2) ロシア側によると、プーチン氏はバイデン氏の提示した考えについて「慎重に分析し考慮する」と表明。その上で、侵攻への懸念について「ヒステリーが最高潮に達している」と指摘し、NATO=北大西洋条約機構がこれ以上拡大しないよう求めるロシアの提案には応じられないとする欧米の回答に対し、近く正式な対応を発表するとした。

(3) プーチン大統領はこれに先立ち、フランスのマクロン大統領とも電話会談。フランス大統領府によると、マクロン氏は「誠実な対話と緊張の高まりは両立しない」と伝えた。プーチン氏は「攻撃を仕掛ける意志はない」と改めて述べたという。

(4) ウクライナのゼレンスキー大統領は南部のヘルソン州で行われた軍と警察の合同演習を視察。ロシアの侵攻が迫っているとするアメリカ政府の見解について問われ、「こうした情報はパニックを引き起こすだけで、我々の助けにはならない」と述べた。

(5) アメリカ政府は、ウクライナにある大使館の職員に直ちに国外退避するよう指示。ウクライナにいる自国民に「退避すべき時はもう過ぎている」として、改めて速やかな退避を呼び掛けた

(6)11日から12日にかけて、イギリスやカナダ、ドイツなど多くの国も自国民に退避するよう勧告や要請を出していて、ロシア軍の侵攻に備えた動きが加速している。

ウクライナ情勢について、日本外務省はつぎのような情勢判断にもとづき国民への要請をすでに発している。

【危険度】
●ウクライナ全土
レベル4:ただちに退避してください。ウクライナへの渡航は、どのような目的であれ、止めてください。(WAJ注:レベル4は最高危険度)

<概況>
(1) ウクライナの国境周辺地域においては、ロシア軍の増強等により緊張が高まっており、予断を許さない状況が続いています。隣国ベラルーシでは、ロシアとの軍事演習が開始され、また、最近ロシア軍の船舶が新たに黒海に入るなど、更に緊張が高まっています。関係国による外交努力の動きがある一方で、事態が急速に悪化する可能性が高まっています

(2)2014年3月、ロシアがクリミア自治共和国及びセヴァストーポリ市を違法に「併合」したことにより、この地域では現在までロシアによる不法占拠が継続しており、ウクライナ政府の統治が及んでいません

(3)2014年4月以降、ウクライナ東部のドネツク州及びルハンスク州において、ウクライナ政府は、武装勢力によって占領された領地を取り返すべく、「反テロ作戦」を開始し、現在まで同地域においてウクライナ政府部隊と武装勢力との間で戦闘が継続しています
(以上、「外務省海外安全ホームページ:ウクライナの危険情報」より)

 

このような緊迫した状況のなかで、ゼレンスキーウクライナ大統領は、2022年2月12日(土曜日)、ウクラインフォーラムで、「ウクライナはアフガニスタンとは違う、ロシアはタリバンではない」と次のように語り、武力侵攻にはあくまでも武力で対抗し、ロシアと闘うとしている。つまり戦争する、ということだ。

ゼレンスキー大統領、ウクライナをアフガニスタンと比較するのは間違いと指摘 「ロシアはタリバンではない」

ゼレンスキー大統領は米CNN局とのインタビューでつぎのように発言した。
司会者から、アフガニスタンからの米軍撤退後、米国が将来「ウクライナを一人で置き去りにする」可能性を恐れてはいないか、と尋ねられると、ゼレンスキー大統領は、「それは正しくない比較だ。なぜなら、ウクライナは、アフガニスタンほどには米国に依存していないからだ」と発言した。
大統領はまた、「そして、私は、これほどに地理的に大きな国で、国民の多いウクライナのような国を5〜7日間で奪取することは不可能だと確信している」と述べた。
加えて大統領は、2014年、ロシアがクリミアを占領し、ウクライナ東部で戦闘が開始された時、「私たちのところは、他には誰も戦っていなかった。私たちには、その時あった兵器と、自国の軍人以外には何もなかったのだ」と指摘した。
続けて大統領は、「しかし、志願の波が生じ、人々の努力と、自らの国を守りたいという皆の願望による志願兵部隊が生まれたのだ。それ以外には誰もいなかった。それでも、4日間ではなく、7年間にわたり、ロシアはウクライナを奪えずにいる。ロシア連邦はタリバン軍ではない。ロシア軍は、世界で最強の軍の一つなのだ。そのため、私は、私たちは自国を防衛したと思っているし、他国から最大限独立していると思っている」と強調した。
(出典:https://www.ukrinform.jp/)

バイデン、プーチン、シーチンピン

みっともない終端場を演じあっけなくアフガニスタンをターリバーンに明け渡したバイデン大統領は、名誉挽回とばかりに頑張ってるんだろうか。「自国を守る意思のなかったアフガニスタンは見捨てたが、自国を守る意欲を見せているウクライナは見捨てない」といわんばかりに。そんな見栄は張らないでほしい。

 

一方、プーチン、シーチンピン(習近平)のロ中コンビは冬季オリンピックを利用してトップ会談。バイデンを旗頭とする米欧日連合に対峙して連携を誇示した。

・2022年2月4日、NHK、「中ロ首脳会談 “NATOのさらなる拡大に反対” 共同声明を発表」

会談後、両首脳は、NATO=北大西洋条約機構のさらなる拡大に反対するとした共同声明を発表。
両首脳は、会談が終了したあと、共同声明を発表し、この中で「世界の一部の勢力は、国際問題に対する一方的なアプローチを主張し、他国の内政に干渉して正当な権利と利益を損なっている」としてアメリカを念頭に強く批判。
さらに「両国は、個々の国や政治・軍事同盟が他国の安全を犠牲にして一方的な軍事的優位性を追求することは、国際的な安全保障秩序と世界の戦略的安定を著しく損なうと考える」とした上で「NATOのさらなる拡大に反対する」と明記。
「中国側は、ロシアが提案しているヨーロッパにおける長期的で法的拘束力のある安全保障の形成について共感し、支持する」としている。

グローバル・パワーゲームの主役の3カ国とも、コロナパンデミックの継続の中、内政に大きな課題や困難を抱えている。アメリカは吹き止まないトランプ旋風の継続や非和解的格差拡大による国内不和を抱え、ロシアはソ連邦の崩壊以来国際的な影響力をそがれNATOにのど元にまで進出され経済制裁による負担も大きい、一見好調そうな中国は共産党の権威を守るためには外交での強硬策(香港台湾)が必要なほど経済発展の行き詰まり感と国内格差の拡大がある。いまさらジョージ・オーウェルの『1984』を持ち出すまでもなく、21世紀世界では、ユーラシア大陸のイーストリア、セントリア、ウエストリアでつねに戦争状態を維持継続することにより寿命がつきつつある国家という支配システムに各国為政者が必死になってすがりついている現実が進行中といえる。犠牲をこうむるのはいつでもどこでも一般庶民、人民大衆、つまりわれわれにほかならない。

※ 今回の「視点」ではウクライナ問題の内実をなすロシア側の言い分、NATO側の言い分双方の検討や、核兵器の存在をちらつかせながら行う恐喝外交の非人間性、やくざ組織と変わらぬ国家権力という巨大な組織悪の本質的な解明、庶民の存在を無視したパワーゲーム思想、人類の未来への責任感の欠如など、問題にすべき数々のテーマはすべて割愛し、マスメディアのキャッチコピーを通して地球の滅亡につながりかねない「火遊びの危険」を浮き上がらせてみました。
地球はかなりヤバイ特異点に差しかかっているような気がします。

【野口壽一】

 

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~019

  国際矛盾と対立の十字路 アフガニスタン 

『破綻の戦略』(髙橋博史著)を読んで

(2022年02月01日)

私(野口壽一)が本書の著者高橋博史氏の存在を知ったのは1999年、キルギスで金および銅鉱床の探査を行っていた日本人鉱山技師4人、通訳らが誘拐された事件の発生のときだった。事件は現地人より現地語に詳しいといわれる駐ウズベキスタン日本大使館員が自己の持つネットワークを駆使して犯人らと交渉し無事救出し解決した。その大使館員が髙橋氏だった。報道に接して「すごい大使館員がいるものだ」と思ったのを覚えている。その後、駐アフガニスタン大使を歴任された高橋氏と面識を得て、中村哲医師の偉業について講演をしていただいたり、『ウエッブ・アフガン』に、原稿の転載を許諾いただくことができた。昨年夏のターリバーンによるカーブル占拠の際には、関係者救出の特別機を飛ばしながら1人しか救出できなかった日本政府の不手際を批判するテレビ番組で「こんなとき高橋さんがカーブルにいてくれたら」と発言したコメンテーターがいたほど、高橋氏の現地通ぶりは知れ渡っている。

本書は日本外務省職員の公務員外交官というより現地政争に積極的に分け入り果敢に情報を探り入手する諜報部員の行動記録の趣がある。氏の思想と行動のあり方の特徴は本書冒頭で明らかにされているようにアフガニスタンに留学するきっかけとなった書が大川周明の『復興亜細亜の諸問題』だった、というところにありそうだ。知行合一の精神といえよう。(ちなみに私は40歳を過ぎてから鶴岡市に招かれて致道館や同市博物館を訪れた際、庄内藩士が西郷隆盛の南洲遺訓をまとめ日本中に広めた史実を知り、その荘内で大川周明が中学高校生活をすごし西郷に傾倒していた事実を知った。鶴岡訪問では頭の中のゼンマイが十回巻かれるくらいの影響を受けた。)

髙橋氏のアフガニスタンとの関りの原点ともいえるカーブルでの留学時代(本書第二章 1978年の軍事クーデターと若き愛国者の死)の記述は、氏の思考と行動の基軸がどう形成されたのかを如実に教えてくれる。氏はアフガニスタンの言語と歴史および庶民の暮らしの実情を自らの眼と手足で視察・学習・取得する傍ら、命をかけて同国の現状を改革しようとする人びとと密接に付き合う。そして、ソ連軍が侵攻する3カ月前の1979年9月、アフガン人友人に危険を示唆されカーブルを脱出する。その十カ月後に私はカーブルを訪れ40日間の取材をし写真記録を出版することになるのだが、この第二章には東京で駐日アフガン大使として私に取材許可のビザを発行してくれたアフドゥル・ハミド・ムタート氏(本書ではモフトゥート)や、その後カーブルで取材したカルマル議長やナジブラー大統領など多くの人びとの名前が出てき、苦かったりすっぱかったりの感慨と複雑な思いをいだきつつ文字を追った。自分もその渦中にあった日本の60年代後半から70年代までの激動の十年間の政党やセクトや全共闘などの激情のぶつかり合いの光景が脳裏に彷彿とした。本書の白眉となる章である。

さて、前置きが長くなった。本書の中身に入ろう。タイトル『破綻の戦略』はなんとも重々しく苦しいタイトルだ。著者は、このアフガニスタン40年の苦難の歴史の中で明日を展望して闘う3人をピックアップし、彼らの戦略の破綻のプロセスとその原因を探ろうとする。その3人とは、氏がアフガンのロビンフッドと呼ぶマジッド・カルカニー(カラカニ)、パジシールのライオンことアフマッドシャー・マスード、ターリバーンの創設者ムッラー・ムハンマッド・ウマルの3人である。アフガニスタンの現状を変革するために奮闘し命を捧げた人物はほかにもたくさん存在するが氏のピックアップの基準は、アフガニスタンの常民(平和な暮らしを望み慎み深く伝統を守りながら生きる庶民)を外国勢力(ソ連やアメリカなど西洋諸国、あるいは半分同胞でもあるパキスタン)から守り、平和を取り戻す戦略の担い手、にある。

髙橋氏が一番目にあげたアフガンのロビンフッド=マジッド・カルカニーは、1980年6月、PDPA(アフガニスタン人民民主党)政権下でソ連侵攻に反対する活動中にとらえられ処刑された。1番目の戦略は早々と破綻した。第2のマスードの場合は、ソ連軍との戦いでは敵を撤退にまで追い込んだが、ムジャヒディーン内部の戦争を収拾できずかつ、パキスタンの干渉とターリバーンの登場をはねのけられず2001年、9.11米同時多発テロ事件の2日前、アラブ人テロリストに暗殺され戦略と夢はついえる。最後のムッラー・ウマルは、サウジアラビア人ウサマ・ビン・ラーディンに騙された、と死の前(2013年4月)に遺言のような謎の言葉を残してこの世を去ったという。著者は、三つの戦略とも、外国勢力の排除、戦争の終結、平和の実現ができなかったところに戦略の破綻を見ている。そしてそれらの戦略が破綻した原因がどこにあったのかを追究する。

最終章である「第七章 潰えた戦略と中村医師の夢」で著者の自問への回答が語られる。そこまでの論述は、「第三章 ムジャヒディーン」「第四章 ムッラー・ウマルと七人のサムライ伝説」「第五章 ターリバーン考」「第六章 9・11事件の序幕」、そして著者の結論第七章へと続く。その論述は、著者の行動を追うようにドキュメント風につづられ、飽きることなくページをめくることとなる。読者の皆さんには、ぜひ、最終章まで手に取って熟読されることをお勧めする。

本書の叙述で、私が特にひきつけられたのは次の箇所である。

● 9・11事件の直前マスードが自爆攻撃された時の生死不明から2日間の情報収集に奔走する髙橋氏の面目躍如たる行動。高橋氏旧知のキルギス日本人誘拐事件の犯人ジュマボーイ・ナマンガニーが登場し、中央アジアからモスクワまで攻め上り赤の広場の赤旗を引きずり降ろしてイスラームの緑の旗をかかげる、というビンラーディンの途方もない大風呂敷計画が明かされる個所。私も、マスードが襲われ負傷したという情報をローマで亡命生活を送るザヒール国王と日本の国会議員を会わせる段取りをしていた友人から電話で聞いたときの驚きを思い出した。翌日、安否不明から死亡か?へと情報が変わり衝撃を受けた翌日、ニューヨークの世界貿易ビルへ旅客機がつぎつぎと突入する驚愕の映像。3千人以上の人びとの死。ブッシュ大統領の「十字軍戦争」演説。世界が世界貿易ビルと同様にガラガラと音を立てて崩れていくかのような幻覚を覚えた。私の身辺も急にあわただしくなり取材申し込みが殺到した。しかし、ビンラーディンの動静をマスコミに聞かれても提供できる情報などはない。「知っていてもあなたには教えない。アメリカに教えて懸賞金をもらうよ」と冗談を飛ばした。欧米では、冗談でなく、「ビンラーデン探索洞窟ツアー」なるものが企画されたという。

● ムジャヒディーンが内戦に明け暮れ外国からの支援金の私利私欲の争奪に走る実態の叙述。そんな時期にイスラームの老師に和平への見通しを聞きに行き「(戦争は)終わらない、ずーっとつづくであろう」と謎のご託宣をもらう経緯。

● 若輩かつ最弱小グループのリーダーで、イスラーム修行僧としても田舎のマドラサ(神学校)で学んだ程度の下位のムラーにすぎなかったオマルが「信徒の長」にまで祭り上げられる成り行き。七人で決起するしょっぱなにケシの密輸ができなくなって困っていた商人に資金援助をしてもらいその後もケシ密輸ができるようにしてやって見返りを得たこと、内戦に行き詰っていた野戦指揮官やパキスタンが武器供与や実戦でターリバーンを支援する話。

● パシュトゥーン族の部族慣習法であるパシュトゥーンワーリー(パシュトゥーン精神などの意味)の中の「ノムース」という言葉を取り上げて、パシュトゥーンがいかに、なぜ、「名誉」を重んじ、「男たること」の誇りと守護に頑迷なほどにこだわるのかの実体験にもとづく考察。これらについては、アフガニスタンの社会変革にとってパシュトゥーンワーリーの理解と扱いが極めて重要であることを40年前に私も『新生アフガニスタンへの旅』で論じたことを思い出し、もう一度読み返した。パシュトゥーンワーリーのあり様が当時とまったく変わらないことを再発見した。

そのほか、本書には、アフガニスタンのみならず、パキスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キリギスタンなどで実際に生活をしたものでなければ気づかない、書けないであろう事実が山盛りである。現地事情に不慣れな読者には地名や人名、宗教や地域事情などで分かりにくいところがあるかもしれないが、記述は著者の視線と体の動きにそってなされるから、ツンドクになる可能性は低い、と保証する。

最後に、私見を2点述べさせていただきたい。

● 「ターリバーンの世直し運動」(204ページ)という表現
著者の表現への誤解を承知で敢えていうならば、ターリバーンは「世直し運動」をしているのでなく、「世戻し運動」をしているのだと思う。欧米軍が撤退しターリバーンが昨年カーブルに再登場したが、私に言わせれば、これで初めてアフガニスタンではパキスタンを含む半封建的部族社会の変革への道が始まる、と思っている。40年前、正確には半世紀前の1973年に青年将校たちが始めた、ザヒール王政を打倒してダウドを担ぎ上げたクーデターから始まるアフガニスタン変革の課題(周辺諸国にくらべて著しく遅れたインフラや教育や社会的低開発状態、伝統的な半封建部族社会の因習の改革)に外国勢力を排して取り組むことが初めて可能になるのである。ソ連とPDPA政権下の10年、欧米支配の20年は決して無駄ではない。アフガン人は都市と農村の格差はあったとしても改革の味を味わったのであり、とくに女性は圧倒的な男性優位社会に対してノーを突きつけ始めている。女性の参加なしに社会発展はありえないことをターリバーンは思い知るだろう。その時初めて世直しが進むのだと思う。

● 本書の締めくくりとして中村医師の偉業が取り上げられている点。(第七章)
髙橋氏は、中村さんは殺害されてしまったが、彼の「隠された和平への戦略」こそが真の勝利する戦略である、と述べておられるように読める(必ずしも断定はされていないが)。
私も中村さんの事業の偉大さに感動するとともにそれに参加し犠牲になりあるいは日本にあって支援する人びとの尽力に頭を垂れるものである。しかし、じつは、中村さんのように、人びとの生活に直結する人道的な目標の実現に身を捧げ邁進し苦難の除去や開発や改革に貢献している人びとはアフガニスタンだけでなく、世界中にたくさん存在している事実も知っている。そもそもアフガニスタンで殺し合いをしながら、外国の支援をえながらでも主導権を取ろうとして争っている人びとでさえ、立場は違えどもその最終的な目標は人びとの平安であり豊かな生活の実現なのではないだろうか。その実現を妨げているものは何か、私は人間が作り出したもろもろの、頭の中にある観念とそれの現実への反映、つまり諸慣習や宗教や国家制度のマイナス面、限界、桎梏としがらみとそれらの対立・抗争だと思う。それら対立抗争の解消や人権擁護、生活改善・開発、社会改革の推進は本来政治の課題であって当事者にできないそれらを外国の人道ボランティアが無償で担わざるをえない現実こそがいびつであって問題なのではないかと考える。私は80年代の初めからアフガニスタンに関わり、九州大学医学部で学生運動を闘った同世代の中村さんのペシャワルでの活動を中村さんと一緒にキャンパス生活を過ごした中村氏との共通の同窓生に聞き、中村氏の活動を横目に見ながら、中村さんらの仕事は本来、政治と革命の課題であるべきだとの認識に基づいてPDPA政権の革命事業を全力で応援した。その私の戦略も残念ながら「破綻の戦略」に終わった。しかし今『ウエッブ・アフガン』の活動を続けているのは、80年代以降現在までの活動の過程でさまざまなアフガン人からいただいた「恩義」にむくい「贖罪」と「責任」を果たすための「義務」だと認識している。(視点001「なぜ今またアフガニスタンなのか」、視点017「アフガニスタンにはまる理由」参照)

ともあれ、アフガニスタンは他の地域に比べて極めて複雑で厳しい条件を強いられている。これまで命をかけて挑まれてきたほとんどの戦略が破綻した。破綻していないのは、現に今闘われている闘いだけである。アフガニスタンの変革はとんでもなく長い時間がかかるのかもしれないが、押し付けられた自由、平等、人権、繁栄ではなく、自分たちが主体となって社会変革し獲得する闘いはやまないだろう。それは、アフガニスタンと様相を異にするとはいえ、われわれ日本人の日本での課題でもあると思う。

『破綻の戦略 私のアフガニスタン現代史』(髙橋博史著)は白水社発行、定価1900円。

【野口壽一】

 

 

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~018

 アフガン女性の闘いの意義 

「人類史の視点から」

(2022年01月25日)

 

<視点 -1:元始、女性は太陽であった>

女権獲得と反戦平和運動に生涯をささげた平塚らいてう(1886年~1971年)の言葉。1911年、雑誌『青鞜』創刊の辞の書き出しだ。

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」(『平塚らいてう評論集』岩波文庫、1987年)

フランスの哲学者・フェミニスト活動家のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908年~1986年)が『第二の性』を発刊したのは1949年、人類史上初の国政への女性参政権行使は1893年ニュージーランドで、日本では1946年4月10日戦後初めての衆議院議員総選挙である。1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生した。人類が、政治において男女平等の権利を実行に移し始めてからまだ百数十年しかたっていない。

ちなみに、人類史上初めて自然権としての人の平等と自由を宣言したのはフランス革命(1789年)での「フランス人権宣言」であった。
さらに、日本の革命的哲学者であり男女平等論者であった医師・安藤昌益(1703年~1762年)が『自然真営道』で万民平等のみならず「男女」と書いて「ひと」と読ませ、無階級社会を展望したのは、フランス革命よりも早かった。

ところで、平塚らいてうがいう「元始」とはいつころのことだろうか。
数十万年のホモ・サピエンス史にてらせば、実は、それほど遠い昔ではなく、ごく最近のことなのである。

中国西安を遺跡見学旅行したときのこと。中国・西安の遺跡と言えば誰でも始皇帝の兵馬俑坑を思い浮かべるのではないだろうか。しかし西安には始皇帝からさかのぼる数千年前の新石器時代の遺跡・半坡(はんぱ)遺跡があり、この遺跡は、兵馬俑坑に負けず劣らぬ価値がある。

半坡遺跡は、時期的には日本の縄文後期、たとえば青森県の三内丸山遺跡と同じころの遺跡。三内丸山遺跡は今から約5900年前~4200年前の縄文時代の集落跡で半坡遺跡と時期的内容的に近い。しかし中国西安ではそれからたった数千年の間に青銅器時代を経て鉄器時代に進み、秦のような大帝国が築かれた。秦帝国が成立した紀元前259年ころ日本は弥生時代で青銅器や鉄器が入ってきてはいたが、国家統一などまだ先の先、やっと狩猟採集から農耕時代へと移り変わる段階だった。

人類はメソポタミアの三日月地帯で農業が始まった1万2000年前あたりから急速な変化を遂げた。それまで人類は世界中どこでも石器時代で狩猟採集生活をつづけていた。狩猟採集の村落共同体時代から秦のような大帝国の時代までの発展は新人類がアフリカで誕生してからの数十万年に引き比べれば、まさに「あっという間」といえるのではないか。

農業生産が始まってからの驚異的社会発展スピードよりも私の眼を引いたのは、半坡遺跡博物館エントランスに設置されたジオラマの「母系氏族」と刻まれた自然石碑文の上に飾られた言葉だった。


(民知其母 不知其父 荘子・盜跖)
One knows his mother, not knowing his father
母が誰かは知っている。しかし父が誰かは知らない。

母系社会(母権社会、母系相続)、父系社会(父権社会、父系相続)についてはさまざまの学説があり、東洋と西洋とで、大雑把に言えば東洋では母系社会への理解が深く、西洋では父系社会を強調するきらいがある。しかし、中国でもBC11世紀からBC7世紀ころの殷や周の時代に血縁氏族社会が形成されるころには母系氏族社会から父系相続の父権社会へ移行していった。それはなぜかといえば、農業生産によって富と権力の蓄積が可能となり、財産を実子相続しようとすれば、誰が自分の子供であるかを認知・保証する必要があるからである。「母が誰かは知っている。しかし父が誰かは知らない」状態では父は「誰が実子であるか」を知り、確信することができない。確実に認知するためには妻を隔離し他の男と接触させないようにすることがもっとも確実である。中国宮廷での宦官制はその極致だろう。

日本で女性が太陽の地位から月の地位に転落(平塚らいてうの価値観)したのは、ぐっと時代が下がり、明治時代以降であると私は思う。
日本では、中国や朝鮮から、父系社会を確立させた勢力が渡来し天皇支配を確立したあとの平安時代の支配階級内でさえ、色濃く母系社会の特徴をとどめていたことは、源氏物語などの文献によってもあきらかである。武士階級が実権をにぎって富と権力の父系相続が全国にゆきわたっても、庶民(百姓)階級では明治時代になって西洋から家族制度が導入されるまで母系社会の色は衰えず、維持されてきた。アカデミズムの世界では父母双系社会として定義され研究・議論されているようであるが、ここでの議論は「元始」がそれほど遠い過去ではないことを確認して、ここまでとしておこう。

 

<視点 -2:アフガニスタンにおける女性解放の闘い>

さて、本題のアフガニスタン(とくに多数民族であるパシュトゥーン族)における女性の地位と女権獲得の闘いをみてみよう。

世界の他の地域でも同じであるが、女性の地位を規定する要因としては、男女の性の差異による区別(差別)とそれに基づく社会的・経済的・政治的・宗教的・文化的区別(差別)があり、複雑である。

アフガニスタンにおける女性の地位を規定する規範は、如上のような世界共通(人類共通)の区別(差別)の上に、社会的規範に限定しても、支配的な宗教であるイスラームによる縛りと、支配部族であるパシュトゥーン族の掟(パシュトゥーン・ワリ(参照:http://www.caravan.net/int/shinaf/txt_1/2ch03.html 3 封建的部族社会とは))の複合した複雑な環境下に置かれている。

イスラームに男女平等を否定する教義的規定があるわけではないだろう。しかし、旧約聖書に始まる人間創造のフィクションでは、神がアダム(男)をつくり次にアダムの寂しさをいやすためにアダムの肋骨の一部からイブをつくったことになっている。このことから女性がユダヤ・キリスト・イスラーム社会では第二の性として扱われたと論じられがちだが、実は、この一神教ができた時期は、人類が狩猟採集社会から脱して富と権力を実子相続する農耕社会になり男が女から権力を奪う父権社会を合理化する必要性がでてきた段階の後であり、その間の男の側の都合を寓話化しただけのことである。

アフガニスタンではイスラームが伝播してくる以前から存在していたパシュトゥーンの掟と一神教イスラームによる女性差別思想(女性の価値はキリスト教よりも1/4に切り下げられた)が合体され、世界の他の地域よりより強固な桎梏となってしまった。

世界で、男女同権思想に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義、フェミニズムなど「女権復権」の闘いは、フランス革命の人権宣言から始まると言えるのだが、アフガニスタンでは隣国ロシアの1917年十月革命に大きな影響を受けて始まった。

1919年にイギリスからの独立を果たし近代化を目指したアフガニスタンのアマーヌッラー国王は、革命ロシアを世界に先がけて承認しソ連を範に取り、女性解放につながる法律を導入した。自らもベールをかぶらぬ妃を同伴して訪欧したり、国民全体の識字教育とくに女子教育にも力をいれた。新しい税制や因習の廃止や新しい生活規範の導入など国の近代化を目指した。しかし1928年、カーブルの男性に洋服の着用を義務付ける命令を公布したことが結果的に致命傷となり、同年、バッチャ・サカオの乱が起きる。イギリスはこれを好機とみてタジク人の反乱指導者に資金と武器を供給してアマーヌッラー国王を失脚させた。

アフガニスタンでの女性解放の闘いはさまざまな潮流によって再生と断絶とが幾度も繰り替えされている。アマーヌッラー時代の次の時期の代表的な女性解放の活動は、ソ連の影響を受けた左翼系の運動である。

私がカーブルで直接会いインタビューしたアナヒタ・ラテブザド氏(1931年~2014年)の活動を見てみよう。(※1)(↓ 執務室で野口のインタビューに答えるアナヒタ・ラテブザド教育相(当時))
彼女は公然とベールを脱いだ最初のアフガン女性のひとりだ。1963年にカブール大学医学部を卒業し、1964年にアフガニスタン女性民主組織(DOAW)を設立、1965年3月8日にカーブルでアフガニスタン初の国際女性デーのデモンストレーションを組織した。同年にアフガニスタンで初の国会議会選挙が実施されたとき4人当選した女性議員のひとりであった。ラテブザドは1968年にアフガニスタン人民民主党(PDPA)の中央委員(パルチャム派)となり運動を指導した。四月革命 (1978年)により 情報文化省大臣となり、同時に全アフガニスタン女性連合を率いたが、パルチャム派とハルク派の内部紛争によりユーゴスラビア大使として国外へパージされた。ソ連軍侵攻によるパルチャム派の奪権とカルマル政権の樹立により帰国し政権に復帰、80年より政権側から、女性解放運動、戦争寡婦対策や女性政策に携わったが、内戦の激化により92年に政権そのものが崩壊してしまった。

(※1)彼女とのインタビューおよび識字教育については下記参照
http://www.caravan.net/int/shinaf/txt_1/ch07.html
http://www.caravan.net/int/shinaf/txt_1/ch08.html
http://www.caravan.net/int/shinaf/txt_1/ch09.html

 

~RAWA
アマーヌッラー政権やPDPA政権の体制側からの女性解放政策に対して、特筆すべき活動としてRAWA(アフガニスタン女性革命協会)の民衆の側からの闘いがある。RAWAは、ソ連が軍事介入する前の1977年に設立された、最も古いアフガン女性の人道および政治組織で、アフガニスタンとパキスタンで、女性の権利獲得、地位向上をもとめ、伝統社会における女性差別や家父長制と闘ってきた。設立から現在までの45年間、アフガニスタンでの政治の混乱を乗り越えて戦い続けてきた唯一の女性解放組織である。(http://rawajp.org/

パンフレット『声なき者の声』(写真はその表紙、2004年、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷実行委員会 編・訳)によれば、RAWAの目的と政治的立場はつぎのようにまとめられている。
「RAWAの目的は、人道活動と政治活動にいっそう多くのアフガン女性を関与させて、女性の人権を獲得し、民主的で世俗的な政府樹立のための闘いに取り組むことである。RAWA設立以来、アフガニスタンでは不幸な状態が続き、声も出せないような政治的雰囲気があるが、RAWAはいち早く様々な社会政治領域での幅広い活動に従事してきた。教育、保健、収入、および原理主義者に反対し、民主主義を求める政治的主張である。」
「RAWAは、常に政治的立場と人道活動を有してきたので、国連その他の政府に関連する機関からの援助はわずかしか受け取っていない。民主主義と反原理主義という明確な立場のため、支援をしてくれたのは、世界中の多数の個人と、自由を愛する独立した女性組織である。彼らからの寄付がもっとも援助を受けるべき人々に正当かつ誠実に届けられている。」

 

RAWA創立者ミーナの壮絶な闘い

RAWAのホームページはRAWA創立者ミーナについて次のように紹介している。
「ミーナ(1957年〜1987年) はカブールに生まれました。カブールなどのアフガニスタンの都市ですごした学生時代から、社会活動と大衆運動にふかく加わりました。女性の組織化と啓蒙を すすめる社会活動に専念するために大学を中退し、表現の自由と政治活動の自由をめざして、1977年にRAWAの基礎を設立しました。搾取され、言論の自 由を奪われたアフガニスタン女性の権利獲得を目的としました。
彼女は1979年、ソ連軍とその傀儡政権への抵抗運動を始め、世論を動員するために数々のデモ行進や集会を学校やカブール大学において行いました。さら に、アフガニスタン女性に対する主な活動としては、1981年に『女性のメッセージ』という2カ国語の雑誌を創刊しました。この雑誌を通して、RAWA はアフガニスタン女性の主張を大胆かつ効果的に発表したり、原理主義者グループの犯罪的な本質をたえず暴露してきました。ミーナはまた、難民の子どもたちのために学校(ワタンスクー ル)を設立し、パキスタンに住むアフガニスタン難民女性のための病院と、アフガニスタン女性を経済的に支援できるように裁縫学校を設立しました。
1981年暮れには、フランス政府の招きによってフランス社会党大会でアフガニスタン解放運動について報告しました。その会議にいたボリス・ポナマリィ エフを代表とするソ連代表団は、ミーナが勝利のサインを振り始め、会議参加者が歓声をあげたとき、恥ずかしそうにホールを出ていきました。
彼女はフランスの他にもヨーロッパ諸国を訪れ、各国の要人と会談しています。しかし、彼女が反原理主義、反傀儡政権の活発な社会活動や、効果的な抵抗運動を行ったために、ソ連と原理主義勢力は激しく怒りました。
1987年2月4日、ミーナはパキスタンのクエッタでKHAD(KGBアフガニスタン支部)のエージェントと、原理主義者の共犯者の手によって殺されました。」http://rawajp.org/?p=77

アマーヌッラー国王の近代化政策、PDPA政権下での社会主義的な政策に伴う女性解放という上からの試みと対照的に、RAWAは、少女らへの教育や衛生医療活動、授産事業など、下から積み上げるような女性解放の活動に取り組んだ。(http://www.rawa.org/s.html

単に、人道的な女性の権利獲得、拡張の活動でなく、RAWAは、社会全体の民主化、ひいては政治の民主化なくして女性の解放、権利獲得はできないとの立場にたって戦ったがゆえに、PDPAのみならずそれと闘うムジャヒディーン勢力、ましてはいうまでもなくターリバーンとも厳しい対立に直面した。それゆえ、創設者のミーナだけでなく、活動家全員が伝統的な男尊主義者、家父長制との衝突がたえなかったのである。

2001年にアメリカとNATO軍がいわゆる北部同盟をつかってターリバーン政権を葬り去ったあとの占領政策のもと、国際的な支援のもとさまざまな復興プロジェクトが進められた。この20年の間に、国連や各国が支援をおこない、各国のNGOやNPOもアフガニスタンの再生と女性解放の活動を展開した。アフガニスタン政府や軍の汚職や腐敗があったとしても、都市部を中心に、アフガニスタンの近代化はそれなりに進んだ。

例えば、国連統計などによれば、1人あたりの国民所得は2000年代初頭から2倍以上に増え、平均寿命は9年延び、学校教育年数は6年から10年になり、生徒数は80万人だったのが800万人を超え、300万人以上の少女らが就学した。女性の雇用事情も大きく変わった。かつては農事やとくにケシの栽培やアヘンの収穫といった仕事をするしかなかった女性たちが、公務員の5分の1以上、国会議員の4分の1を占めるまでになった。さらに220人の女性判事が誕生した(彼女らはいま、命の危険にさらされている)。

このような変化は統計的な表面的な変化であるが、政治的な上からの施策によらなければ実行できない改革であり、それに命を吹き込むのは下からの改革運動である。

ターリバーンの再登場によって、行政機関や教育機関、各種社会組織、報道機関などからの女性の排除が強行され、女性のひとり外出が禁止されている。しかしアフガニスタンの地域経済は、女性事業主、といっても農産物の担ぎ屋や小商店などによる活動を屋台骨とする非公式部門がほぼ8割を占めている。子どもが学校に通えるのも、親が基礎的医療サービスを受けられるのも、彼女らが最低限の収入を得ているおかげだ。こうした零細事業が打撃を受ければ貧困率はさらに跳ね上がる。働き、学び、尊厳をもって生活する権利を女性から奪うことは、アフガン経済をどん底に突き落とすことにつながる。

行政や経済を運営するためには専門職が必要だ。ガニー政権下でそれらの仕事をしていた、女性を含む専門家や国連や外国政府やNGO、NPOなどで働いていたアフガン人およびその家族たちが十万人以上国外へ去り、いままだその機会をさぐっている人びとが多数存在している。職能をもった専門家なしに国家運営ができるはずがない。

女性解放の課題以前に、アフガニスタンは、現在、経済危機、飢餓、飢饉、寒波、地震など、これまでになかった危機に見舞われている。

 

<視点 -3:アフガニスタンは「しんがり戦」>

アフガニスタンの近代化、とくに女性解放の視点からこの100年を概観したが、アフガニスタンの女性解放の闘いは、人類史的にみれば、「しんがり戦」といえるのではないか。

つまり、近代化を世界に先駆けて実現できたヨーロッパやアメリカ、アジアの一部を除いて、近代化に取り残されたアフガニスタンなどのアジアや中東、アフリカなどの地域は、後進地として人類史上最後の闘いを闘っているのではないだろうか。
先進地域が前に進むだけでは、取り残された後進地域との格差が広がり、両端の矛盾と軋みが強まり地球全体の不安定さが増す。だから、後進地域の底上げを実現し、全体の矛盾をやわらげる必要がある。

さらに付け加えると、先進地域といわれる地域でも国内の経済的社会的格差の広がり、ジェンダー問題、マジョリティーとマイノリティーとの矛盾対立など深刻な問題が生じてきている。アフガニスタン女性の苦闘も、それを支援する活動もじつは世界的にひとつながりの人類史的課題であるといえるのではないだろうか。

【野口壽一】

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~017

 アフガニスタンにはまる理由 

「恩義」と「贖罪」と「責任」

(2022年01月10日)

 

「野口さんはなぜそんなにアフガンに一生懸命なんですか」とよく聞かれます。

わたしだけじゃないんですね。たくさんの人がアフガニスタンにはまります。井上靖さんは
「アフガニスタンを一度訪ねた人は、二度三度と、この遊牧民の国を訪ねたくなる。不思議な魅力のある国である。風景も、風俗も、人情も、一度それに接すると、なかなかその魅力から抜け出すことはできない。アフガニスタンに憑かれてしまうのである。私も亦アフガニスタンに憑かれた一人である。」(「AFGHANISTAN 日本語版」序文(1974年、著者:ナンシー・ハッチ・デュプリ、発行:社団法人 日本・アフガニスタン協会))
と書いています。高校時代に井上靖さんの「蒼き狼」や「楼蘭」などを読んでシルクロードと作家の道にあこがれていました。だからはまってしまう素地はもともとあったんですね。そんな個人的な要因を語り始めると鹿児島の片田舎から世界を夢見ていた団塊世代のひとりの回顧録になってしまいそうなので、今回はパスします。

 

アフガンにどっぷりつかった30歳代

アフガニスタンにはまり、取材本を出版したことがきっかけになり、60年安保闘争を社会党の国民運動委員長として指導した田中稔男氏(のち「アフガニスタンを知る会」「日本アフガン友好協会」会長)の音頭で日本共産党を除く4党(自社公民)の国会議員をはじめ労働運動活動家や知識人など多くの人びとが集まり、「アフガニスタンを知る会」ができ、自分自身が10年間に10回もアフガニスタンに通うことになりました。

80年代中盤にはアメリカがムジャヒディーンにスティンガーミサイルを供給しカーブル空港が戦場になり戦争の拡大と緊張をひしひしと感じました。「知る会」が「日本アフガン友好協会」に発展し、さらには通算100人以上の人びとを毎年何派かに分けて友好訪問団として派遣したり、ノートや鉛筆5万本や大型コンテナで古着を送ったり、86年にはカーブルで開かれた「世界新情報秩序創設のための国際会議」に日本代表として出席したり、ソ連軍撤退のときにはそれに合わせて日本アフガン共同制作のドキュメンタリー映画『よみがえれ カレーズ』(土本典昭、熊谷博子、アブドゥル・ラティーフ監督)を制作・全国上映したり、88年に奈良で半年の会期で開かれた「ならシルクロード博覧会」にアフガニスタンを代表して参加したりしたのは、1980年からアフガニスタン民主政権が崩壊する92年までまるまる10年超の活動でした。アフガン政府から、日本との輸出入のインバランスをなんとかしてくれと依頼されて87年にはドン・キホーテよろしく貿易会社までつくり、日本の商社やメーカーや行政との交渉のため走り回りました。

この十年超の間は、ソ連が軍事侵攻していた時代で、アフガニスタンに渡航する人びとは、わたしたちが派遣する人びとを除けばごく少数の、報道やビジネスに携わる人たちだけでした。日本をはじめとする西側世界は今の北朝鮮にたいするとおなじような経済制裁と渡航制限をしていた時代でした。逆にその前の70年代は日本から1年間に3000人もが訪れるほどの観光地でした。怒れる若者として社会に登場した世界中のベビーブーマーたち、なかでもヒッピー連中が押し寄せてハッシシを吸っていた隠れた穴場として有名な土地柄だったんです。インド音楽に傾倒しシタールを弾き老荘思想を研究して西洋に紹介したビートルズ時代のジョージ・ハリスンも60年代にアフガニスタンを訪れたと言われています。

でもそういう説明じゃ、一生懸命さはわかるけど、理由にはなっていない、と納得してもらえないかもしれません。理由はたくさんあるんです。でもそれらの説明はおいおいするとして、今回一言で述べると、その十年間にアフガニスタンの政府や一般の人びとやそれらへの支援を寄せてもらった多くの日本の方がたから受けた「恩義」への「返礼」および「意地」、ちょっとばかり格好つけさせてもらえば「贖罪」感や「責任」感ではないかと思います。「責任」感は「使命」感でもあります。

「恩義」は書ききれないほどありますが今回はその「恩義」の一部と「贖罪」や「責任」について書いてみたいと思います。自分が選択した行動を合理化する弁明に聞こえるかもしれませんが、「ソクラテスの弁明」の万分の一くらいは普遍性があるのでは、とさらに自己弁明(笑)。

 

わがままを貫いてアフガンへ

人生は思うようにならないことが多いもので、裏切られて落ち込むことが多々ありました。アフガニスタンに関わり始めてからの十年間は、大げさに言えば、わたしにとって三十歳までに築いた人生観と信念が足元から崩れゆく十年間でした。(ここでも、先輩や友人から「気がつくのがおせえよ」と言われそうですが・・・)

1980年夏に日本人として第1号のアフガン政府発行の正式なジャーナリストビザをもらって40日間アフガン取材をしたときには、アフガニスタンだから行ったのではなく、たまたまその時アフガニスタンが世界政治のホットスポットになっていたから行ったのです。
そのころは東京の小川町で小さな左翼出版グループで活動していました。少部数ながら新聞や雑誌を発行していました。社会市民運動や労働運動、政治経済思想、文芸のほかにも国際情報のページもありました。それらの執筆・編集・経営の責任ある立場で仕事をしていました。79年末、ソ連軍がアフガニスタンに進駐を開始した時、日本のみならず世界中が大騒ぎになりました。80年夏のモスクワオリンピックを西側諸国は総ボイコットで対抗しました。そのような国際政治状況の進展を前にして、当のアフガン内部で何が起こっているか、さっぱりわからなかったのです。

当時は、マスコミ以外にはソ連や東ドイツの新聞などからの情報しか手に入らず、2次情報、3次情報しかありません。わたし達のグループは「革命的ジャーナリズムの創造!」などと粋がっていました。右から左まで既成左翼も新左翼もソ連とアフガニスタンを総たたきする状況に対抗して「アフガニスタン革命を守るかどうかはプロレタリア国際主義の試金石」と論陣を張っていました。が、なんのことはない、実態は、危険も冒さず安全な東京にいて〝他者の情報の受け売り〟しかできていなかったんです。忸怩たる思いとはそんな気持ちを言うんでしょうね。

そんな時たまたま、東京に留学していたアフガン出身の留学生と知り合い、「アフガンで何が起きているのか本当のことが知りたいんだ」と話したら、「じゃ、アフガン大使を紹介するから会ってみたら?」と明治神宮前駅のすぐ横にあったビルの一角に歯科医院やファッション会社などと同居する小さな大使館に連れていかれました。これが運命の出会いでした。その時の大使が、のちにPDPA政権(最後の党名は祖国党)の副大統領となって1992年にムジャヒディーンへの合憲的な政権引渡しを実現したアブドゥル・ハミド・ムータット氏だったのです。

その駐日大使に現地取材したいと申し出たら即「ビザを出してやる」と約束をもらいました。そこから現実にアフガニスタンに出発するまでのてんやわんやもまた長くなるので別の機会に譲ります。当時、アフガニスタンに単身飛び込むというのは、いまでいえば「北朝鮮国内がどうなっているのか取材に行く」というのに近いと言えばその「無謀さ」が少しはわかってもらえるかもしれません。組織からは「危険だ、事件が起きたら国際問題になる。責任が取れるのか」と反対されました。が、わがままを押し通しました。組織はしかたなく「アフガンに行ってもいいけどホテルから出るな」としぶしぶ黙認。家族の賛成を勝ち取り、友人の中には資金的に応援してくれる人もいて、ソ連軍侵攻の8か月後の夏に東京を出発して40日間、アフガニスタンを取材できました。アフガン政府は全面的に取材を許可してくれました。(どうしても行きたかったバーミヤンは「政治的天候不順で飛行機を飛ばせない。ちょっと待て(笑)」の連続でついに滞在中にはいけませんでしたが)

その取材の模様は『新生アフガニスタンへの旅』に掲載しました。アフガニスタンと日本の、わたしのわがままを応援してくださった方がたなしには到底できない仕事でした。

 

●ソ連崩壊、アフガン政府崩壊、足元が崩れる・・・

アフガニスタン現地に行く前と行った後の認識の落差は想像以上に大きいものでした。さらに、それからの10年間の事態の推移もまた。

戦乱の地に赴くような緊張感で出発したのでしたが、ついてみるとカーブルは拍子抜けするような平穏さ。そのころはまだムジャヒディーンの武装闘争はそれほど激しくなく、政権内部の急進主義の抑制に成功し、文字通り「新生アフガニスタン」に向けて社会建設の槌音が響く躍動感が感じられました。

しかしそれからの十年間、アメリカとアラブ・イスラーム主義極端派などの軍事支援をうけたパキスタンとムジャヒディーンによる「宣戦布告なき戦争」によってアフガン政府は徐々に活動範囲が狭められ追い詰められ最終的には崩壊しました。この間の事情は、アブドゥル・ハミド・ムータット氏の『わが政府 かく崩壊せり』に内部的視点から詳細に語られています。この敗北の過程は、わたしにとって慨嘆すべき悔しくかつ悲しい事態ではありましたが、革命運動に勝敗はつきものであって、敗北から学ぶことによって理論は研ぎ澄まされ、発展する、と思うこともできます。しかし、アフガニスタン革命の敗北は、単にアフガニスタンでの敗北にとどまらず、ソ連崩壊、ソ連圏つまり社会主義世界体制の崩壊と一体のものであり、自分の足元を支える思想信条を崩壊させるものでした。

 

今では理解不能かもしれませんが

ソ連や中国なんて遅れた強権支配の国でしょ?と思っている人にとって、思想信条の崩壊なんて、なにをいまさら、と思われるかもしれません。確かにそういう側面があることは否定しません。しかし、わたしの場合、周囲の反対を押し切って、言葉もわからず政情も不安で知り合いもいない、どうなるかわからないアフガニスタンに単身飛び込むという無謀な行為に出るだけの理由と決意がありました。それは、真実を知りたいという欲望でしたし、それだけでなく、多少は、誰もやっていない紛争の中心地を取材したいという功名心があったことも事実です。しかし、当時、そんな取材をしたところで、記事や写真が売れるわけでもありません。日本の言論出版界が、そんな立場のフリージャーナリストが生きていけるような甘いものでないのは百も承知でした。いま、そのときの行動の理由と決意を振り返ると、「思想信条信念を試してみたかった」の一言に尽きます。

わたしが大学入学のため東京に出てきてぶつかったのはいきなりの大学闘争でした。学寮の建設、その運営自治権に関わる問題の中心になっていた学寮が1年生のときから生活の場でした。地方から出てきて物価の高い東京で学生生活をおくれるのはひと月100円の家賃で入れる寮が不可欠、寮がなければ大学生活はおくれない、というのがそのときの全寮生の偽らざる家計事情でした。寮費の値上げや寮の運営権を寮生から取り上げるなどの管理強化には必然的に反対、となります。わたしの入学した1967年は、大学闘争だけでなく、ベトナム戦争の激化にともない、二次におよぶ羽田闘争などの反戦運動や沖縄返還運動とも共鳴し日本全国が騒然とした時期でした。

今では理解不能かもしれませんが、そのころ、激烈な学生の街頭闘争や東京、京都、大阪など主要都市の選挙でつぎつぎと革新首長が勝利するニュースに接していた海外の日本人は、本当に、明日にも日本で革命がおこるのではないかと恐れたと言います。
そんな雰囲気のなか、既成政党だけでなく新左翼セクトや全共闘という新しい闘争組織やベ平連という市民運動もうまれ、反政府運動は百花繚乱の様相を呈していました。

寮闘争、全学闘争、全学ストライキ、と進むうちに運動のリーダーのひとりになっていたわたしは、69年4月28日の沖縄奪還闘争で逮捕起訴され、8年間の裁判を闘うことになりました。その間、大学では自分の大学で崩壊した自治会の再建運動に関わり、学外では他大学の闘争を支援したり、ベトナム反戦運動、留学生支援運動などに取り組みました。大学は卒業しましたが、卒業の3日前に無期限停学処分をくらい、処分撤回闘争や長期の裁判闘争まで抱え、普通の就職などできるわけがありません。社共などの組織や労働組合などのバックアップもないノンセクトですから、先ほど述べたミニコミ出版社で専従をして最低限の生活費を確保しながら活動と社会主義革命の研究をしました。当時の最大の関心はベトナム反戦運動でした。ベトナムの社会主義革命をホーチミンの論文をよりどころに研究しました。そこで得た立場は、ハンガリー事件やチェコ事件を内包するソ連も中国も腐った官僚国家に成り下がってはいるが建前は社会主義政権、内部からの改革を行い生命力を復活させるべき対象とではあるが、その現実の力を世界の革命運動のために活用すべきであるという、トロツキーや毛沢東の立場に近いものでした。

 

●反帝国主義、反スターリン主義の潮流

わたしが学生運動に没頭したころは、アメリカやソ連・中国を批判・糾弾する傾向が主流でした。日本共産党は「自主独立」の旗をかかげてコミンテルンやコミンフォルムを〝卒業〟していましたし、新左翼は反米ソ反中(いわゆる反帝や反スタ)をかかげて日本独自路線を進んでいました。親ソ連や親中国の立場をとる流れも一部にはありました。アルバニア派というものまでありました。そのような流れの中でわたしはベトナム労働党の活動に注目しホーチミンの著作を勉強しました。つまり、中ソを団結させ、3大進歩勢力すなわち社会主義諸国、資本主義国の進歩勢力、発展途上国の民族解放民主革命勢力の3潮流が手を結べば帝国主義勢力を凌駕することができる、という立場でした。この立場は、日本のどのようなグループ、社共の現実派から赤軍派などの極左派までを概観しても、なぜか日本では少数派の主張でした。ベトナム人民の闘いは支持してもその闘いのベースになっている思想にまで思いがとどかなったのでしょうか。

しかし、ベトナムは75年に鮮やかな勝利をおさめました。そして社会主義への道を進み始めます。わたしの研究は進み、発展途上諸国の解放闘争が成功するためには先の3大勢力(社会主義国、先進資本主義国の民主勢力、発展途上国の解放勢力)の支援が不可欠との結論にたっていました。特に解放後の社会改革まで含めて考えると、モンゴルをモデルとした理論が現実的な魅力的な理論として映りました。それをまとめた書籍が『資本主義を飛び越えて―モンゴルの歩み』(B.シレンデブ著、1977年、シルクロード社刊)でした。

マルクス・レーニン主義の公式では、人類史における社会発展は、原始共産制→奴隷制→封建制→資本制→過渡社会(社会主義)→共産制の段階を経ることになっています。しかし現実はそのように進んだ例はなく、1917年のロシア革命もマルクスが予想したような労働者(プロレタリアート)主導の社会主義革命ではなく実質はボルシェビキという思想集団が武力で指導する「労農同盟」による農奴解放革命でした。しかも内在的な運動法則によるよりも第1次世界大戦という外的要因が決定的要素として働きました。(戦争を内乱へ、というレーニンの政権奪取戦略)
現実が教科書通りには進まなくても歴史は紆余曲折を経ながらも進むものだ、とその時は思っていました。

 

●思惑がことごとく外れていくアフガニスタン

8年間の裁判闘争の結果、懲役1年執行猶予1年を宣告されました。1980年1月、執行猶予があけて自由な海外渡航ができるようになっていたわたしは都職労友好訪問団の一員として憧れのベトナム(ホーチミンほか)に人生初めての海外旅行を体験しました。アフガニスタン取材に飛び立つ直前、ひとりでも海外旅行できる自信をえました。その半年後、準備万端、自信満々でアフガニスタンへ出発したのでした。

アフガニスタン革命がたとえクーデターから始まったとしても、それに先行する大衆運動は確実にあったのだし、社会変革をもとめる人民大衆がいることは間違いない。それらを支援するには口先だけの声援でなく、社会基盤をつくりなおす経済的社会的技術的支援が不可欠で、それなくして半封建半遊牧部族社会であるアフガニスタンが、資本主義を飛び越えて社会主義へ進むことは不可能。ソ連は「腐った鯛」であっても鯛は鯛だ。改革の道に踏み出した以上、ソ連ほか既存の社会主義国の物質的な支援を活用しアフガニスタンの変革を進めるほかない。ベトナムのように。と、その時には思っていました。

しかし、アフガニスタンとかかわっていくうちに、国外からの武装反革命の動きだけでなく、国内からの反動が根強いことを知るようになりました。

アフガニスタンでの社会改革が順調にいかない理由はいろいろありました。すでにソ連など社会主義陣営が抱えていた経済社会問題もそうでしたが、わたしの認識で欠け落ちていた最大の想定外は、「宗教」と「部族の因習」でした。最初の取材のときにその問題には気づいていたし、イスラームについても、パシュトゥーン・ワリについても調べもして、最初のルポルタージュ本でも軽視できない重要要因として指摘しておきました。が、土地改革が進み、農業生産が軌道に乗り、社会の制度改革が進めば、人びとの支持を勝ち得ることができるはずだと思っていました。しかし、現実はそんな生易しいものではなかったのです。

アミン→カルマルとトップを入れ替え、政府の民族構成に少数民族を加え、ローヤ・ジルガを開いて基盤を広げようとしても、ムジャヒディーンの攻撃をはね返すことができません。ソ連とPDPAはカルマルからナジブラーにトップを入れ替え、ムジャヒディーンとの和解を含む全国民の和解を呼びかける「国民和解政策」に命運をかけました。そのころソ連は、アフガニスタンに導入する兵士はアフガニスタンにいる民族と同じ民族(タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)の兵士とし、異民族支配の批判を回避しようとしていました。

そのようなソ連やアフガン政府の政策を日本で説明する勉強会を開いたことがあったのですが、そこで、ある先輩が指摘しました。「お前、バカだな。ムジャヒディーンたちが反対してるのは異民族だからだけじゃないぞ。彼らが戦ってるのは十字軍戦争なんだ。千年以上闘ってる戦争だからそう簡単に終わるわけがない。ソ連は無宗教と彼らは思ってない。ソ連はキリスト教国だと思ってる。」その時はそんな前近代的な理由で現代に生きる人びとが命をかけて戦争をし続けるとは思えませんでした。日本にいては実感できない視点でした。

自由・平等・博愛とか、三権分立とか、就業就労の自由とか、男女平等、人権とか、資本主義でも社会主義でも共通して尊重し実現せねばならない普遍的価値がまったく評価されない社会が存在すること、そしてそのような社会における変革=革命に関わってしまったこと、日本で人びとに賛同と支援を呼びかけ応援してもらってきたこと、それに加えて自分自身の無知無力を実感してしまったこと。自分のそれまでの存在理由が足元からことごとく崩れ去ってしまったように感じました。

 

●不可解さゆえの限りない魅力

アフガンでパートナーであったPDPA政権が崩壊し、おまけにソ連も崩壊した90年代、アフガニスタンのために作った会社を維持しながら、それまでの思想信条信念の再構築に取り掛かりました。いつか必ずアフガニスタンの再建のときが来るだろうからそれまでを生き延びよう、と心に決めました。ま、女性には申し訳ない表現ですが、「雌伏」の時期を生きよう、と。そして、なぜ自分たちは失敗したのか、アフガン人の友人たちと意見交換しながら考えました。

ソ連の力を借りて、失敗したとしても十年以上現地で闘い続けた人びと、そして変革に向けた努力の中で社会的恩恵を受け、また育った人びとは確実に存在している、その社会的蓄積がよみがえる日が必ず来るに違いない、つまり、「意地」を張ろうと考えたわけです。もちろん、自分が働きかけて応えてくれた人びとへの「贖罪」と「責任」の意識もあります。
(この時の一端は「編集部から」に書きました。)

アフガニスタンは魅力にあふれた郷(くに)であるとともに、複雑怪奇な郷(くに)です。何千年もの豊かで興味深い文明の歴史をもった郷(くに)です。しかしそこには、過去だけでなく、現にいま、何千万人もの人びとが暮らしており(いままた生存の危機にさらされてはいますが)、外部世界の助けを借りてでも自分たちの生活を成り立たせ、改善しようとして奮闘している人びとがいます。そのような人びとがいるかぎり、この地域から目を離さず、可能な限りのかかわりを続けていこうと思っています。

【野口壽一】

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~016

  「知」は力、知のない力は「知」には勝てない 

映画『カーブルの孤児院』を観て想う

(2021年12月26日)

 

ソ連崩壊(1991年12月25日)からちょうど30周年の今月(12月10日~12月31日)、各地で並行して「中央アジア今昔映画祭」が開かれています。

ソ連から独立した5カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)+アフガニスタンの作品9本が上映されます。見逃すわけにはいかず、13日に東京ユーロスペース上映のカーブルの孤児院を観ました。監督はソ連崩壊の年1991年生まれの若いアフガン人女性シャフルバヌ・サダト(2019年製作/90分/デンマーク・フランス・ルクセンブルク・アフガニスタン合作・原題:The Orphanage)。

孤児院を題材にした映画では、思い出深い作品が2本あります。その1はソ連で1931年に公開されたニコライ・エック監督の人生案内(1931年制作、ソ連)。集団ですりや盗みを働き、人を殺めたりすることもあった悪ガキたちを更生させる、ソ連社会主義の燃えあがる理想を映像化した教育映画です。

単純な更生指導や教育だけでなく、鉄道敷設などの集団労働によって自分たちの新しい世界、新しい人生を切り開いていく、希望に満ちあふれたソ連社会そのものを象徴する映画でもありました。

ソ連革命政権の文部省ご推薦の映画ですが、ソ連には『戦艦ポチョムキン』『ストライキ』『』など優れた革命映画、プロパガンダ映画の伝統があり、それが革命後間もない時期の高揚したヒューマニズムと溶け合って、人びとに新しい社会主義革命という夢を与えました。筆者も若いころ観て感動した覚えがあります。

同じころ観た、『人生案内』と同じような不良少年たちを描いた映画としてはルイス・ブニュエル監督(1950年、メキシコ)の『忘れられた人々』があり、こちらの方が好きです。

ブニュエルの映画は犯罪の抑止や啓蒙が目的の教育映画としてメキシコシティの要請で作られたのですが、社会の底辺で見捨てられた救いようのない少年たちをリアルに描き、発注者から受け取りを渋られたといういわくつきの作品。社会的非行現象は政権が欲するようにそう簡単に解決されるはずがない現実をブニュエルは暴き出します。しかしここでは映画論が主題ではないので、アフガン映画に戻ります。

カーブルの孤児院』も全2作とおなじく、社会からのはみだし少年の非行ぶり(映画館前でのダフ屋行為)の描写から始まります。

 

時代背景は1989年から1992年(ソ連軍撤退完了からPDPA政権崩壊まで)のカーブル。公式サイトの映画紹介コピーによれば、1989年、長年にわたって軍事介入していたソ連軍の撤退が迫る中、街の映画館は相変わらず賑わっています。インド映画が大好きなクドラット少年は学校にも行かずダフ屋をしていたところを捕まり、孤児院に入れられます。そこには不良もいるが、理解ある教師がいて、親友もでき、モスクワにも行ける。だが、国には新たな混乱が訪れようとしています・・・

その孤児院での日常が、ナレーションなしで淡々と、会話と映像を積み重ねるドキュメンタリータッチの手法で描かれます。下手すると退屈な作品になりがちですが、少年(一部少女)たちと職員(中年婦人から若い女性教員)たちも登場し、少年たちの性のめざめの描写もあり、リアルです。一方、主人公の夢のなかの妄想場面では、一転してインド映画的歌と踊りのミュージカル場面が登場したり、冒頭の映画館のシーンでは、ブルース・リーのカンフー映画もどきのシーンで迫力を堪能させたり、エンタメ要素で観客を楽しませます。

孤児院の教育では、チェスのコンピュータゲームが出てきたり、モスクワに招待されてキャンプを楽しんだりの明るい場面があったり、当時の厳しい政治軍事情勢や孤児同士のいじめや孤独による精神異常者病棟や孤児の自

殺という深刻な状況もでてきます。

しかし、圧倒的に驚かされるのは、この映画が、2019年、つまり一昨年に、20代の女性監督によって制作されたという事実です。PDPAとソ連軍支配下のカーブルの孤児院の状況を、ノスタルジックでもなく、かつ『人生案内』ほど抹香臭くなく、また『忘れられた人々』ほどやるせなくもなく、楽しませてくれたのには感心しました。

とくに、最後の場面、PDPA政権が倒され、ムジャヒディーンが孤児院に集団でやってくる場面で、日ごろは対立することもあった舎監の先生が、孤児たちの眼前で銃で撃たれて殺されるや、主人公は、まさしくブルースリーに変身、素手でムジャヒディーンの一団を蹴散らかすシーンでエンドマークが画面いっぱいに広がります。

今年(2021年)の夏、カーブルに登場し女性らのデモを銃やこん棒で理不尽に鎮圧するターリバーンを、素手の女性たちが髭面むくつけき暴漢どもに立ち向かう姿と、完璧に重なります。監督の先見の明と、公開時期の一致にこの映画の輝きを見た感じがしました。

 

監督のシャフルバヌ・サダトソ連が崩壊した1991年にテヘラン(イラン)で生まれています。『カーブルの孤児院』を製作した時には若干27歳か28歳です。パリに拠点を置く映画製作者協会アトリエ・ヴァランのカーブル・ワークショップでドキュメンタリー映画製作を学び、最初の長編映画『オオカミと羊』を完成させます。この作品はアフガニスタン中部ハザラ地方の彼女が育った村によく似た村の物語で2016年のカンヌ映画祭の監督週間で最優秀賞を受賞しています。

カーブルの孤児院』を観て、多くの驚きと感動を覚えました。
なんといってもそのひとつは欧米軍の支援のもと、新しいアフガニスタンを生み出す苦汁のしたたりを受けて若い才能が花開いた、という喜ばしい事実です。しかも女性監督。さらに付け加えると、もっとも差別抑圧されているハザラ族のなかからそのような才能と作品が生まれてきたのは驚きに値します。

オオカミと羊
その2は、作品の舞台がソ連の置き土産である非行や孤児、精神を病んだ人びとの救護施設の活動を肯定的に描き出す作品であることです。この孤児院は、ソ連軍が進駐を始めた時に革命評議会議長となったカルマル氏の夫人マハブバ・カルマル氏が1980年代の初期に院長をしていた孤児院のはずです。いわば、ニコライ・エック監督が描いた孤児院のカーブル版。そして作品のクライマックスは孤児院に自動小銃を引っ提げて一団となってやってくる髭もじゃで山賊のような格好のムジャヒディーンらを素手で打ち負かすシーン。

私は機会を見つけては強調していますが、ソ連軍の進駐下で進められた近代化の努力も、米欧軍の支配下で進められた近代化の試みも、上からの強制的なものであったがために、国全体のものとして実現はされていないが、そこで希求され実現されようとした価値はアフガン民衆に受け止められ脈々と受け継がれているのです。その現実を、『カーブルの孤児院』が見事に映像化している点に共感を覚えると同時に驚いたのでした。

ターリバーンが相手にしなければならないのは、これまでの、武器を掲げて威圧・圧迫してくる異民族・異教徒ではなく、同じムスリムでありかつ同国人の、しなやかで若わかしく屈することを知らない知性です。知は力であって知のない力は結局は知には勝てません

ターリバーンはこれから、このことを思い知ることでしょう。

監督のシャフルバヌ・サダト(Shahrbanoo Sadat)は12月初旬まだアフガニスタンにいて脱出の機会を狙っているそうです。監督については英語版Wikipediaに詳しい情報があります。
世界はこの才能を守らなければならない。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Shahrbanoo_Sadat)

(12月26日、東京渋谷のユーロスペースでの上映会で監督のシャフルバヌさんがフランスへの脱出に成功したとの報告がなされました。監督は『オオカミと羊』『カーブルの孤児院』を第1、第2作として5部作構想をもっているそうです。次の作品が切望されます。)

【野口壽一】

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~015

  アフガンのつぎ、西はウクライナ、東は台湾 

アメリカの2番手たたきの標的となった中国

(2021年12月13日)

 

過去100年、「パックス・アメリカーナ」を脅かす2番手をアメリカは常に叩きつぶしてきました。その事実を、前回、「アメリカは本当に負けたのか?」で論じました。

アメリカは第1次世界大戦前にGDPで大英帝国に追いつき、第2次世界大戦で「パックス・ブリタニカ」にかわる「パックス・アメリカーナ」を築き、盟主の地位を不動のものとしました。そして同時に台頭しアメリカと世界を2分するに至ったソ連を90年代につぶします。冷戦といわれたその時代に対社会主義圏への盾・不沈空母として育てた日本が2番手として頭角を現すや叩き始めます。無策の日本は「失われた10年」「失われた20年」「失われた30年」とずるずると後退。情けない状態に陥ったことは日本国民の共通認識になっています。

1900年~2016年までの各国GDPシェアの推移グラフ
(出典:https://livedoor.blogimg.jp/cpa_capitalist-index/imgs/f/d/fd6a8407.png)

 

アメリカは2番手を必ずつぶそうとします。そしてこの100年間、ことごとく成功してきました。
そしていま、急速に2番手にのし上がってきた中国つぶしにかかっています。

トランプ政権下の2018年、中国つぶし方針は顕在化され、泥沼のアフガニスタンからターリバーンと手打ちしてでも手じまおうと急ぎました。この過程はこれまでの『ウエッブ・アフガン』で詳述してきたとおりです。

果たしてアメリカの2番手つぶしは今度も成功するのでしょうか。

 

<ソ連つぶしの手口>

翻って、ソ連をつぶした方法を思い返すと、ココムをつかって経済的に締め付け、NATOをも動員し軍拡競争でゆすぶり、アフガニスタンへの侵攻というソ連の失敗を奇貨としてムジャヒディーンを育て代理戦争を戦わせ、ついにはソ連および社会主義体制そのものの崩壊まで実現してしまいました。

ソ連とソ連を軸とする社会主義圏は当時の反ソ連資本主義圏(米国、ヨーロッパ、日本など)と経済的な交流は細々としたものでした。むしろ、相互に壁を築いて経済交流を阻害し、米国側はココムによる締め付けをつづけました。
(WAJ:ココム:(Co-ordinating Committee Control for Export to Communist Area のはじめの二語の略) 対共産圏輸出統制(調整)委員会。社会主義諸国に対する資本主義諸国からの、戦略物資・技術の輸出を統制するために一九四九年に設けられた協定機関。アイルランドを除く北大西洋条約機構(NATO)加盟国と日本・オーストラリアの計一七か国が加入。本部パリ。ソ連崩壊により、一九九四年解体。)(コトバンクより)

アメリカは、ベトナム戦争の敗北で躓きはしましたが、そこまでの作戦は実に手際よく、一直線でGDPを成長させてきました。

ところが、計算違いは、米ソ対立を利用し、米日欧にすりより国際市場に浸透し、うま味を得、するすると上昇し、GDPで日本を抜き、アメリカの70%近くにまで迫ってきた中国です。すると、自力でその地位を築いたと勘違いしたのか、中国は、一帯一路政策や中国製造2025だとか南シナ海だけでなく太平洋をアメリカと分割支配しようなどと言い出してきました。アメリカとしてはそのままにしておくわけにいかない、と覚悟したようです。

ソ連つぶしに成功したのは、軍拡競争と封じ込めによって経済・技術の発展を阻害し低生産性を余儀なくさせ、最後はアフガニスタンで泥沼に追い込み、自滅させたのです。

中国の場合は、対ソ連戦略の一環として世界市場に組み込んだがために、アメリカのみならず西側世界が金融・貿易・グローバルサプライチェーンと広範な基幹部分で複雑に入り込んだ切り離しがたい相互関係を結ぶにいたりました。壁の向こうに存在したソ連(ソ連圏)とは決定的な違いがあります。

 

<それでも中国叩きにばく進>

2016年、トランプ大統領の登場を合図に、中国叩きが本格始動しました。
2018年10月4日、ペンス米副大統領(当時)がシンクタンク、ハドソン研究所で40分にわたって行った演説は、まさに中国に対する宣戦布告でした。少し長いですが、2018年10月26日の日経新聞から抜粋引用し振り返ってみましょう。

 

==<ペンス演説要旨>=======

■中国に深く失望

ソ連の崩壊後、我々(訳注:アメリカ(ペンス))は中国の自由化が避けられないと想定した。楽観主義をもって中国に米国経済への自由なアクセスを与えることに合意し、世界貿易機関(WTO)に加盟させた。経済の自由化が中国を我々と世界とのより大きなパートナーシップに導くことを期待していたのだ。しかし中国は経済的な攻撃をかけることを選び、自らの軍事力を強化した。(米国の)歴代政権は中国の行動をほとんど無視してきた。その結果、中国に有利になってきた。そうした日々はもう終わった。(WAJ:お仕着せがましい話をしていますが、中国の安い労働力を中国共産党と共謀してこき使い、莫大な利益をあげたことを意図的に隠しています。)

■貿易赤字容認せず

過去17年間で中国の国内総生産(GDP)は9倍に成長し、世界第2の大きな経済となった。この成功の大部分は、米国の中国への投資によってもたらされた。昨年の対中貿易赤字は3750億ドル(約42兆円)で、米国の貿易赤字の半分近くを占める。トランプ大統領の指示により2500億ドルの中国製品に追加関税を実施している。これらの行動は(中国経済に)大きな影響を与えた。中国最大の証券取引所の株価は今年の最初の9カ月で25%下落したが、これは主に我々の政権が中国の貿易慣行に強く立ち向かったためだ。(WAJ:中国に渡した金はいつでも印刷できるドル。しかも債権の形でも買わせてる。つまり、アメリカがもうけさせてもらってるだけの話)

■中国は「知財で略奪」

現在、共産党は「中国製造(メード・イン・チャイナ)2025」計画を通じて、ロボット工学、バイオテクノロジー、人工知能など世界の最先端産業の9割を支配することを目指している。中国政府は21世紀の経済の圧倒的なシェアを占めるために、官僚や企業に対し米国の経済的指導力の礎である知的財産をあらゆる手段を用いて取得するよう指示してきた。中国政府は現在、多くの米国企業に中国で事業を行うための対価として企業秘密を提出することを要求している。中国の安全保障機関は米国の技術の大規模な窃盗の黒幕だ。中国共産党は盗んだ技術を使って民間技術を軍事技術に大規模転用している。

■覇権奪取「失敗する」

中国は米国の陸、海、空、宇宙における軍事的優位を脅かす能力の獲得を第一目標としている。中国は米国を西太平洋から追い出し、米国が同盟国の救援に訪れるのを阻止しようとしている。しかし、彼らは失敗するだろう。中国の船舶が、日本の施政下にある尖閣諸島周辺を定期的に巡回している。南シナ海で「航行の自由作戦」を実施していた米海軍のイージス駆逐艦は45ヤード以内まで中国海軍の艦艇に異常接近され、衝突回避の操縦を強いられる事態となった。ただ、米海軍は国益が要求するところであればどこでも作戦行動を続ける。我々は威圧されたり撤退したりすることはない。インド太平洋全域で米国の利益を主張し続ける。「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンを前進させるために、インドからサモアに至るまで、地域全体で価値観を共有する国々との間に強固な絆を築いていく。(WAJ:俺のいるところは俺の縄張りだ、でてくるな、と言ってるだけ。)

■市民に「迫害の波」

ここ数年、中国は自国民に対して統制と抑圧に向けた急激な転換をした。中国は他に類を見ない監視国家を築いている。中国のキリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒に対する新たな迫害の波が押し寄せている。新疆ウイグル自治区では政府の収容所に100万人ものイスラム教徒のウイグル族を投獄し思想改造を行っている。(WAJ:中国からアメリカ国内の差別や抑圧を指弾されるようになるでしょう。)

■「債務のワナ」に軍事的思惑

中国は(一帯一路を掲げ)「借金漬け外交」を利用してその影響を拡大している。中国は、アジアやアフリカなどのインフラ建設に数千億ドルもの資金を提供している。しかし、これらの融資条件は不透明だ。スリランカは商業的価値があるかどうか疑問の余地のある港を中国の国有企業が建設するために巨額の負債を負った。支払いの余裕がなくなると、中国政府はスリランカにその新しい港を引き渡すよう圧力をかけた。それは中国海軍の将来的な軍事基地になるかもしれない。中国共産党は昨年から中南米3カ国に台湾との関係を断ち切り、中国を承認するよう説得している。これらの行動は台湾海峡の安定を脅かす。民主主義を奉じる台湾は、全中国人にとってより良い道を示すと米国は常に信じている。(WAJ:中国の新植民地主義もいずれは破綻する運命です。)

■ロシアよりひどい政治工作

米情報機関は「中国は政治的影響力を高めるために、貿易関税など(米国論を)分裂させる問題を利用している」と述べている。中国政府は、米国人の対中政策認識を変えるために、秘密工作員や偽装組織を動員し、プロパガンダ放送を流している。米情報機関の高官が私に語ったところによると、中国が米国内でやっていることはロシア人も真っ青だ。これまでに(米国の追加関税措置を受けて)中国が課した(対抗)関税は、中間選挙で重要な役割を果たす産業と州を特に対象としていた。ある推計によると、中国が標的とした米国の郡の8割以上が16年にはトランプ大統領と私に(多く)投票した。現在、中国はこれらの有権者を我々に反対させようとしている。米国の政治・政策に対する中国政府の悪意ある影響力と干渉については、米国中に新しいコンセンサスが生まれている。多くの企業は知的財産権の放棄や中国の抑圧の助長につながるような中国市場への参入を再考している。しかし、もっと多くの人が続かねばならない。例えばグーグルは、共産党による検閲を強化し中国の顧客のプライバシーを侵害するアプリの開発を直ちに終了すべきだ。(WAJ:人類が国家を必要としている間は避けられない対立。大事にならぬよう理性的にルールを定めてやってちょ~だい。)

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ペンス演説が実質的な「対中宣戦布告」と呼ばれる内容であることは間違いありません。

トランプ政権のもとで開始された中国つぶし政策は、より巧妙かつ確信的に、バイデン政権に引き継がれ、進められています。
アフガニスタン撤退政策も、ターリバーンの復権に道を開いたトランプ政権下で進められた政策の延長にすぎませんでした。アメリカにとって、アフガニスタンに関わっている余裕はなくなったというわけです。難しいアフガニスタンの国家建設に中ロを引きずり込み、より大きなユーラシア包囲網の布陣を構築し、中ロを抑え込もうとする、地球規模の作戦に、一国主義のトランプのやり方でなく「同盟国」を巻き込んで再出発したわけです。アメリカ経済の生命線・軍事ケインズ政策を継続していくためには世界規模での軍事的緊張は不可欠です。

 

<西はウクライナ、東は台湾>

軍事的には、西のNATO、東からは米日豪印クワッド、豪英米オークスで圧力をかけ、政治的には新疆ウイグル、香港、台湾、膨帥問題を格好の材料として民主主義と人権を掲げて中国を攻めつづけます。

やり方はかつてソ連およびソ連圏をゆすぶったのと同じ手法です。経済的に締め上げ、人権と民主主義で国内支配を不安定化し、譲歩させるか、弱体化させるか、消滅させるか、です。問題はソ連と中国とでは相互の関係がまるで違うことです。

冬季オリンピックに向けた外交ボイコット、民主主義サミットを通じた世界への踏み絵強要。アメリカに伍する力をつけたと勘違いして背伸びしてきた中国は、アメリカの本気をみて、必死の防衛に走っているように見えます。アメリカの挑発をうまくかわし、ひっかからないよう希望します。

ひとつ間違うと取り返しのつかない軍事衝突を引き起こしかねない危険極まりない綱引きがわれわれの身辺で繰り広げられています。

現在の中国と世界経済の関係は、かつてのソ連とはまったく異なり、デカップリングなどできません。「輸出黒字は勝、輸入赤字は負け」などと、旧態依然たる国民経済視点の単細胞的思考のまま、軍事的・政治的圧力と封じ込めで2番手をたたけるとアメリカが思っているとすれば、世界は大変なことになりかねません。

ところが最近の動きをみていると、トランプ政権時代の危険な認識と政策は除去されるどころか強化され、日本は逃げ隠れできなくなりそうです。安閑としてはいられません。

【野口壽一】

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~014

 アメリカは本当に負けたのか? 

<アフガニスタン戦争の本質>

(2021年11月29日)

 

アメリカの撤退ぶりがあまりにも鮮やかだったので、アメリカはターリバーンに惨敗したかのように世界中で報じられてきた。そんな論調の中、元アフガニスタン人民民主党幹部のひとりアサッドゥラー・ケシュトマンド(Assadullah Keshtmand)氏が「アメリカは軍事的には負けていない」としてユニークな論をたてている。(その論文はここをクリック)

われわれがさんざん聞かされたのは、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件発生1か月後の10月7日、アメリカと有志連合国軍は北部同盟と連携した猛烈な空爆を開始し、ターリバーンを蹴散らし、クモの子を散らすように敗走させ、空爆のわずか1か月後には北部同盟軍がカーブルを占拠した。一方、ターリバーンやアルカーイダらは住民に紛れて隠れ、あるいはパキスタン領に逃れ、徐々に力を回復し、20年かけてアメリカNATO軍とアフガン国軍を圧倒して敗走させ全土を奪還した、というストーリーである。

本サイトでは、ターリバーンがカーブル入城する前から一貫して、「ガニー政権とターリバーンはコインの裏表」「ターリバーンを政権に引き入れたのはアメリカ」「ターリバーンの背後にはパキスタン」「ターリバーンは実はパキスタン」と主張してきた。

マスメディアでは論じられないこのような主張を、眉に唾つけて読んでおられた読者もいらっしゃるかもしれない。しかし、アメリカは本当にターリバーンとの戦争に負けたのか、冷静に振り返ってみる価値があるのではないだろうか

 

<アフガン戦争の実相>

ケシュトマンド氏は言う。
「アフガニスタンにおける20年間の米NATO軍の存在を注意深く評価すれば、2001年のターリバーンの転覆を除いて、ターリバーンと米NATO軍との間に実際の戦争はなかったと結論づけることができる。つまり、米国がターリバーンに軍事的に敗北した事実はない。」

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は「アフガニスタン紛争(2001年-)」の項目をたてて、2001年の開戦から1年ごとに詳細な戦闘状況を記録している。

Wikipediaは、2001年から2014年までの軍事・治安状況を次のようにまとめている。、
「(ターリバーンは)地方でのゲリラ的な襲撃や待ち伏せ、都市部での標的に対する自爆攻撃、連合軍に対する裏切り者の殺害など、非対称戦争を繰り広げた。ターリバーンはアフガニスタン南部と東部の農村地域で影響力を取り戻した。ISAF(注:NATO軍を主力とする国際治安支援部隊)は、村を「クリア&ホールド」するための対反乱作戦に兵力を増強して対応した。2007年から2009年にかけて、暴力行為は拡大した。2009年には兵力が急増し、2011年まで増加し続け、ISAFと米国の指揮下で約14万人の外国軍がアフガニスタンで活動した。2012年にNATO首脳は軍の撤退戦略を開始し、その後、米国は主要な戦闘活動を2014年12月に終了し、国内に残存兵力を残すことを発表した。2014年12月28日、NATOはアフガニスタンにおけるISAFの戦闘活動を正式に終了し、安全保障上の全責任をアフガニスタン政府に正式に移管した。」

アメリカおよび欧州軍は、2001年後半以降アフガニスタンで大規模で実質的な戦闘行動は行っていない。行っていたのはターリバーンや国際テロ組織の残党狩りや治安活動・取り締まりであり、カルザイを大統領につける選挙準備など国内政治体制の確立に取り組めるまでになった。2003年には戦闘をイラクに移し、イラクでも大々的な正規軍同士の戦闘をわずか1か月で制した。しかし、開戦理由であった大量破壊兵器は見つからず、アフガニスタン以上の泥沼にはまりこむ結果となった。

アフガニスタンおよびイラクの事実からわかることは、ベトナム戦争で見られた「ゲリラ戦」とは様相を異にする「非対称戦争」と呼ばれるあたらしい戦争形態が登場したことである。「非対称戦争」とは、国家権力および資金力・ハイテクを所有する圧倒的な強者と量的質的力量においてあらゆる面で劣る貧者がただひたすら「住民の支持」と「時間=持久戦」のみを頼りにローテクと自分らの命を武器に敵を意図的に泥沼に引きずり込み弱らせて溺れ死にさせる戦法にほかならない。正面切っての正規軍同士の対戦などありえない。

ターリバーン側の戦法では、即席爆発装置IEDと呼ばれる10ドルほどで作れる格安の「武器」が威力を発揮した。道路わきなどに仕掛けられる爆破装置だ。移動する外国兵にたいして地雷以上に恐怖とストレスを与える極めて効果的な武器となった。10ドル爆弾とも呼ばれたその小さな武器で何千万円もするような装甲車両を爆破し乗員を死傷させることができた。その他の仕掛け爆弾も貧者ならではの工夫で各種開発された。さらには、夜間に乗じた待ち伏せ攻撃も効果的であったし、なにより相手に恐怖を与えたのは自爆攻撃であった。自爆ベルトを身に隠し自分の肉体もろとも敵や民間人を爆殺する文字通りのテロ攻撃は防ぎようがない
これに対して、アメリカNATO軍は、ドローンを使った爆撃や重武装した兵士によるテロリストあぶりだし掃討作戦などを繰り出した。しかしそれらは、住民を大量に巻き込んだり、誤爆による民間人の被害を増大させ、テロリスト壊滅の効果よりも「住民の外国軍への憎悪」を掻き立て、ターリバーン側への贈り物にしかならなかった

ターリバーンは影響力を回復する過程では自分たちに反対したり外国軍や国軍に協力する村の有力者を暗殺したり、夜の間に住民へのクチコミ宣伝をおこなったりと2008年ころには農村部での支配が10%に及ぶと言われるほどになっていた。
2009年にオバマ政権が始動し、2011年から米軍はじめ外国軍の撤退が始まった。2012年夏の時点では、ターリバーンは農村部での困りごと処理などで農民の生活に浸透し全土80%を掌握していると言われるようになった。

アフガニスタンやイラクでの「非対称戦争」の実態については、2012年に出版された『勝てないアメリカ』(大治朋子、岩波書店)が克明にレポートしている。まさに、ケシュトマンド氏が言うように「実際、ターリバーンが米国に正面から対峙し攻撃しえたことなどない。米軍駐留期間中、ターリバーンは主に米・NATO軍の主要基地から離れた場所での妨害活動と爆破を主に行ってきたにすぎない。

戦場でのこのような状況をうけて、アフガン戦争の出口作戦が開始された。
・2013年 国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン治安軍への治安権限の委譲が完了
・2014年12月、国際治安支援部隊(ISAF)及び「不朽の自由作戦」が終了
・2015年 アフガニスタン政府とターリバーンとの間で非公式協議が行われ、ターリバーンの政治事務所をカタールのドーハに開設することで合意
・オバマ政権の後を継いだトランプ政権は一時的な増派を実施しながらも撤退作戦を遂行した。その集大成が、ドーハ合意
・2020年 2月29日ドーハ合意。 アフガン政府、捕虜釈放。ターリバーンの敵対行動が続く中でトランプ大統領は撤退を急いだ。アメリカ合衆国は駐留軍を2021年1月までに2500人にすると発表し、一方的に1年間で約1万人の兵力を削減

ドーハ合意は、アフガン政府(ガニー大統領)を見限ったアメリカが、ターリバーンを政権につけ、安全に名誉ある撤退を実現するための〝高等作戦〟のはずであった。しかし、ドーハでのターリバーンとの交渉においてアフガン政府はつまはじきにされていた。しかし、ターリバーンと気脈を通じていた米国代表ハリルザド(ドーハ交渉責任者)、カルザイ・ガニー現前大統領からなるパシュトゥーン3人組の陰謀を見抜いていたアフガン政府側の兵士や職員らはアメリカの「高等作戦」に協力する義理も義務も熱意も感ずるはずがなかった。アメリカが負けた(計算違いをした)とすればそれは、アフガン国軍と警察を前面に立てて戦う戦争(代理戦争)に負けた、ということだ。

以上がアフガン戦争の実相であった。

この間のアメリカ軍のアフガニスタンでの情けない実践は本サイトで金子編集委員が紹介している『アフガニスタン・ペーパーズ』におけるアメリカ人をはじめとする米欧人ほかの回想 で詳しく暴露されている。

 

<もう一度、アメリカは本当に負けたのか?>

ケシュトマンド氏が言うように、アメリカ軍がターリバーンに戦場で負けなかったのはその通りであったかもしれない。しかし、勝てたわけでもないし、アメリカが政策的に失敗したのは間違いないと思われる(私はそうは思わないが)。この点についてケシュトマンド氏の見解はどうか。彼は言う。

「米国がアフガニスタンで失敗したことは間違いない事実だ。しかし、この失敗は、最近、世界が感じた失敗とは別の種類のものだ。米国はアフガニスタンで道徳的失敗に苦しんできた。この道徳的失敗は、ただ私たち国民を残忍に殺害したことだけではなく、テロリズムと戦うためにアフガニスタンに来たというアメリカの目的を具現化せず放り出し、米国の対アフガン政策の整合性に関して国際世論を納得させられていない現実にある。」

「国際世論を納得させられていない現実」は確かに存在し、アメリカにとっては深刻に自省すべき事項だろう。しかし果たしてアメリカは本当に、ケシュトマンド氏が言うような「道徳的失敗」を自覚しているだろうか。私には、アメリカがそのようなナイーブな国であるとは思えない

大量破壊兵器があるとの理由で世界を巻き込んで攻め込み、莫大な血税を浪費し、イラク人や自国兵士を死なせ、フセイン大統領の首までとったのに、大量破壊兵器などなかった。その戦争の遂行責任者も国務大臣も大統領も戦争理由が間違いであったことを認めても賠償もしないし「道徳的失敗」を感じているようにもみうけられない。

アフガニスタン戦争に対するマスメディアや有識者一般の見解は、「人命と財貨の壮大なムダ」というものだ。

例えば、米ブラウン大研究チームによる次のようなデータが流布している。
・「9・11」後の20年間の一連の対テロ戦争の費用は8兆ドル(約880兆円)超。
・戦争による死者は90万人前後
・戦争費用は、国防総省や国務省が国外での作戦にかけた費用のほか、2050年までにかかる退役軍人の療養費などもふくむ。
・費用の内訳は、
▽アフガニスタンやパキスタンでの費用が2・3兆ドル(約250兆円)
▽イラクやシリアでの費用が2・1兆ドル(約230兆円)
▽退役軍人への療養費2・2兆ドル(約240兆円)など。
・死者は
米兵が7052人
敵対した兵士が30万人前後
市民が36万~38万人
ジャーナリストらは680人。
(上記数字には「米政府による9・11後の戦争コストは含まれていない」)(2021年9月02日 <朝日新聞デジタル>より)

確かに、人命や財貨の損失はおびただしいし、痛ましい。しかしそう思うのは、われわれ一般庶民の率直な人としてあるべき人間的感情にすぎない

アメリカという国には、民主党と共和党という対立軸だけでなく、さまざまな人種や利害や既得権益集団が存在している。それらは平衡点をもとめてつねにダイナミックにぶつかり合い、相争っている。その多様性 が民主主義と言えばいえるのかもしれないが。

対テロ戦争はアメリカにとって国を挙げて取り組むべき国家存亡にかかわる大事業であった。そしてその点において、アメリカは大勝利を挙げているのである。

なぜそう思うのか。次のグラフを見てほしい。

グラフ1 米GDPの伸び (https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/135.html)

2001年の9.11以後だけでなく、ソ連軍のアフガン侵攻への反対勢力への武力支援をつづけた1980年代からわずかな一時的へこみはあっても一貫してアメリカのGDPは増え続けている。アメリカに比肩しうる成長を見せているのは中国だけである。(この点については後で述べる)

GDPだけでひとつの事象を断定的に語ることの危険性は重々承知の上で、あえて次の点を強調したい。

国家にとって戦争は政治(外交)の延長であり、政治の目的は国家の繁栄であり、GDPは繁栄を表すもっとも重要な指標のひとつである。その指標においてアメリカは勝利し続けているのである。

アメリカの強みを列挙すると、つぎの5つに集約できる。
(1)軍事力(武器の質量のみならず地球的に展開しているネットワークとその運営力、集金力)
(2)金融力(必要に応じて増刷できる世界経済の基軸通貨ドル)
(3)産業技術力(エネルギー、モノづくり、GAFAMなどソフト力、兵器武器販売力)
(4)文化文明力(映画、音楽、カルチャー全般、イデオロギーによる世界支配システム)
(5)政治力(敵対的な対立をも抱え込む民主主義システム)

血も涙もない政治家にとって国民(兵士)の命は金銭で代替しうるものであり貨幣価値で勘定すべきものにすぎない。上にあげた(1)と(3)をバックにした既得権益集団の最大の実体は軍産複合体である。彼らにとって、ブラウン大研究チームが算出した8兆ドル(実際はこれ以上)は単なる売上金にすぎない。その売上金がまわりまわってアメリカのGDPを押し上げるのである。証券業界や銀行業界にとっても持続する経済拡大は大歓迎である。軍事的ケインズ主義と称する学派もあるほどだ。

アメリカは第2次大戦以降つねに戦争をしつづけてきた世界で唯一の国である。それを支えつつ発展してきたのがアメリカの軍産複合体である。持続的な戦争経済をとおして航空宇宙やインターネットなどの通信事業を含む軍産複合事業はアメリカ最大の経済クラスターに成長した。
湾岸戦争以来アメリカの戦争をけん引してきた第41代および43代のブッシュ親子大統領がやったことは、アフガニスタンでムジャヒディンを育て、イラン・イラク戦争でイラクを応援、フセインを育て、湾岸戦争、アフガン占領、イラク戦争と突き進んできたブッシュ大統領の家系は、第2次世界大戦中から軍産複合体を生業としてきた。日本の都市を焼き尽くした焼夷弾製造でも大もうけしている。(Wikipedia)

アメリカはこの40年間、ことGDPの成長という観点からはなんら失敗をしていない のである。それどころか連戦連勝である。

しかも、戦争そのものが、下記の要素からなるニュービジネスとなった。
兵器武器、戦争遂行システムの製造販売
戦争遂行に関わるロジスティック全般
実際の戦闘にかかる費用(売上げ)
戦争行為および軍務全般の下請け化、外注化
このことをWikipediaは次のように要約している。
「『対テロ戦争』における実際の軍事行動は、敵対勢力への積極的な海外派兵によって行なわれ、兵器の使用に伴って大きな軍需物資の需要が生み出されている。特にアフガニスタンとイラクでは、主戦闘以外のあらゆる侵攻作戦上の業務を米国の民間会社へと委託する方式(民間軍事会社)を生み出すことで、従来のように遠く離れた母国から武器などの物の販売によって利益を得るのではなく、戦争や紛争が起きている現場での労働力の提供による利益を追求するといった、戦争そのものが新たな産業として確立しつつある。」

 

 

<ソ連は戦争をビジネス化できず、滅んだ>

では、冷戦時代、アメリカと対等に競争していたソ連の場合はどうだっただろうか。つぎのグラフをみてほしい。

1900年~2016年までの各国GDPシェアの推移である。

・グラフ2(https://livedoor.blogimg.jp/cpa_capitalist-index/imgs/f/d/fd6a8407.png)

ソ連はアフガン侵攻を始めた80年代じわじわと世界経済に占めるGDP比率を落とし続け、ついに1991年に崩壊、ゼロ近くにまで落ちる。硬直化と非合理を生み、生産性を落とし社会を沈滞化させた官僚的社会主義経済は、ゴルバチョフの改革にも失敗し、アフガニスタンでの失敗がとどめを刺した。アメリカのようなダイナミックな資本主義、グローバルな軍需経済の育成に失敗したのである。

 

 

 

<アメリカの対中対策>

最後に、グラフ1でみるように、アメリカを追い越す勢いで伸びている(購買力平価比較ではすでに追い越しているという分析もある)中国の場合はどうか。

本サイトでは、アフガンで敗北したように見せかけているアメリカはアフガニスタンの泥沼に中国を引きずり込み、東アジア南アジアで叩こうとしている、と分析してきた。

グラフ2で見るように、第2次大戦以降、アメリカは自国を追いかけてくる2番手を蹴落としつづけてきた。つまり、第2次大戦中に大英帝国を追い落とし、戦後は世界体制にまで成長したソ連を失墜させ、冷戦後にはアメリカの庇護と育成(対ソ不沈空母として)のもとに背後に迫ってきた日本の頭を叩き潰したのである。いま、ソ連の当て馬として優遇してきた中国が経済的に伸びてきて「一帯一路」などと世界戦略を口にするまでになってきている。

アメリカはこの事態をしっかりとみてきた。アフガニスタンでもたもたしていては危ない、とオバマ大統領の時代から対中国シフトを準備してきたのである。中国は、先にあげたアメリカの強みの5要素の観点からみると、まだまだ足元にも及ばないひよっこだ。アメリカあっての経済発展が多少軌道に乗った、という段階にすぎない

機先を制したアメリカの攻撃に身を縮めて対処しようと必死になっているのがここ数年の習近平氏である、と筆者はみている。皆さまの見立ては、いかがでしょうか?

【野口壽一】

(WAJ注:アサッドゥラー・ケシュトマンド氏は1949年カーブル生まれ。フランスで農業を学んだ元アフガニスタン人民民主党中央委員会メンバー。アフガニスタン人民民主党中央委員会の国際関係部の元副局長。ハンガリー、イラン、エチオピアの元アフガニスタン大使。現在、在ロンドン。本サイト『ウエッブ・アフガン』で先に掲載した「いまこそ連邦制を真剣に!」(https://bit.ly/3r7EihH)の論者スルタン・アリ・ケシュトマンド氏は実の兄)

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~013

 アフガン問題の理解はパキスタンとセットで 

講演記録 (2021年11月11日)

11月11日に開かれた日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)の30周年記念・第175回情報研究会で、「アフガニスタンの現状」のテーマで発表させていただきました。当協会は各界を代表する有力な方がたが歯に衣着せず日本の言論界や政治経済会で話題になっているテーマをインテリジェンスの観点から報告・議論しあう刺激的な活動を30年つづけてこられユニークな教会です。わが『アフガン・ウエッブ』の活動を評価していただき、野口が報告をさせていただきました。内容は10月25日号に掲載した「アフガニスタンーーこれからが本当の国づくり」をベースに加筆修正をおこないました。以下はその講演内容です。掲載にあたって、日本ビジネスインテリジェンス協会様にはこの場を借りてお礼申し上げます。

皆さんこんにちは。
アフガニスタン情報サイト『ウエッブ・アフガン』を運営している野口と申します。まず最初に30周年記念という貴重な機会に発表の機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。

さて、本日、お伝えしたいのは、アフガニスタン問題を見ていく場合に、最も大事なのは、アフガニスタン国境内だけを見ていては本質がわからない、ということです。

アフガニスタン問題とは、じつは、パシュトゥーン問題であり、周辺諸国とくにパキスタンとの関係を熟知することが必須です。とはいえ、まず最初に、アフガン内部の状況からみていきましょう。

現在、アフガニスタンで勝利したターリバンの目的はイスラーム防衛の「聖戦」とはいえ、本音を言えば実生活上の「幸せ」や「実益」の追求であったはずです。

なぜそんなわかりきったことを言うかともうしますと、カーブルを無血開城してすぐの10月20日、自爆犯の遺族を占拠したばかりのパレスに招き、会見した暫定政府のハッカーニー内相代行は、「殉教した」ターリバーン戦闘員を「イスラームと国家の英雄」だとたたえる一方で、遺族には報奨金や土地を与えると約束しました。(カブールAFP時事)

ターリバーンやISなどイスラーム原理主義の人たちは日本のカミカゼ特攻隊に尊敬の念をもっているといいます。しかし、超過激主義で名高いハッカーニー内相代行が遺族をまえに報奨金や土地を与える、と言ったのは、殉死したら天国に行ける、と教え込んで死なせた建前だけでは不十分で、遺族の本音に応える必要がある、ということなのでしょう。

ところで、今回ターリバーンが勝利したのは「ジハード」、つまり「聖戦」でした。
打倒の対象だった異教徒の軍隊はいまやアフガニスタンには一兵たりともいません。

ジハードに勝利してやっと国づくり、つまり国民の「幸福」の建設に取り組める条件が生み出されました。
ターリバーンがそのための権力を維持していくためには国民の支持と協力が不可欠です。
イスラームの法律であるシャリーア法は厳格をよそおっていますが、実態はきわめて曖昧なしろものです。その時々のイスラーム政権によって自分たちの政策や統治に都合のよいように、いかようにも解釈されます。
イスラーム国にもいろいろあります。アラブ人の国サウジアラビアは王族ファミリーの利権保証をイスラームの名のもとにやっていますし、アラブ首長国連邦なども似たり寄ったりで、厳しい女性隔離政策をとっています。最近では女性らの要求によって緩和の方向ですが。

パシュトゥーン人と人種的に近いイラン・イスラーム共和国では女性隔離も地方によっていろいろで、選挙制度もありますし大統領も選挙で選びます。

イスラーム国パキスタンも選挙をやっています。トルコや中央アジアのイスラーム国のように、イスラームの世俗化を果たした国もあります。
そのような変化を最も鋭く見抜いているのは女性たちです。ターリバーンがカーブルに入った翌日、カーブルの壁に女性たちの抗議の声、決意が書かれました。

「くたばれターリバーン! 今や女性は政治的に目覚めた。20年前には疑問をもっていなかったブルカの下での暮らしはもはや望んでいない」。(アフガン女性使節団によるRAWAのインタビュー8月21日)

このように20年間の営為はムダではありません

腐敗と汚職にまみれた政府だったとはいえ、欧米による軍事支配の20年で、アフガニスタンは大きく変化しました。1人あたりの国民所得は2000年代初頭から2倍以上に増え、平均寿命は9年延び、学校教育年数は6年から10年になりました。生徒数は80万人だったのが800万人を超え、300万人以上の少女らが就学しました。
女性の雇用事情も大きく変わりました。かつては農事やとくにケシの栽培やアヘンの収穫といった仕事をするしかなかった女性たちが、公務員の5分の1以上、国会議員の4分の1を占めるまでになりました。さらに220人の女性判事が誕生していました(彼女らはいま、命の危険にさらされています)。

アフガニスタンの地域経済は、女性事業主、といっても農産物の担ぎ屋や小商店などによる活動を屋台骨とする非公式部門がほぼ8割を占めています。子どもが学校に通えるのも、親が基礎的医療サービスを受けられるのも、彼女らが最低限の収入を得ているおかげです。こうした零細事業が打撃を受ければ貧困率は跳ね上がるでしょう。働き、学び、尊厳をもって生活する権利を女性から奪うことは、アフガン経済をどん底に突き落とすことにつながります

行政や経済を運営するためには専門職が必要です。ガニー政権下でそれらの仕事をしていた、女性を含む専門家や国連や外国政府やNGO、NPOなどで働いていたアフガン人およびその家族たちが十万人以上国外へ去り、いままだその機会をさぐっている人びとが多数存在しています。職能をもった専門家なしに国家運営はままならないはずです。

そもそもの難題は未解決で山積みです

先に、自爆犯の遺族に報奨金と土地を与える、とのハッカーニー内相代行の発言を紹介しましたが、アフガニスタンでは土地だけもらっても農業はできません

アフガニスタンの国づくりにおいて土地改革、農業改革は必須です。

半世紀ほどまえにさかのぼりますが、周辺諸国、とくに北方のソ連中央アジアの民族的にも近しい諸国の経済社会発展に刺激されて、1970年代、国の改変に若い軍人たちが決起しました。

1973年にクーデターを起こし、王政を廃止して共和制に移行し、78年からは人民民主党による「四月革命」に期待が集まりました。

ちなみに、そのころのアフガニスタンが平和でのどかな素晴らしい国であったかのような旅行者の言説がありますが、それはウソです。旅行者の理想化された願望によるイリュージョンにすぎません

実態は、貧困が支配し女性は隔離・抑圧され医療、衛生や教育などの基本的な社会インフラは整わず厳しい自然のもとで飢餓に悩まされ世界の発展から取り残された半封建的部族社会こそが、アフガニスタンの実像でした。外国、特にソ連に軍事留学し、留学先の同じ中央アジア諸民族が社会主義改革によって発展しているのをみた青年将校たちがクーデタに走った根拠はここにありました。

そのような社会矛盾を解決するため、働く農民に土地を分配する土地改革が革命の第1課題でした。ところが、アフガニスタンでは土地だけあっても農業はできないのです。「水」が必須です。また、運よく土地と水の割り当てにあずかれたとしても、それまで富農の指揮下で働いていた小作人には、種や農機具や肥料や農業技術がありません。お手上げです。しかも、「四月革命」の初期に、土地改革を強制的かつ急速に行ったために、村ごと難民として逃げる一種の逃散がおこり、さらにソ連軍を導入したことにより外部からのゲリラ活動に「聖戦(ジハード)」の口実を与え、武装反革命に悩まされることになったのです。根本的に「幸せ」問題を解決するはずの政策遂行を誤り、国内国外からの制裁と袋叩きにあい、打ちのめされたのが当時の人民民主党(PDPA)でした。

いま、ターリバーンは異教徒である外国軍支配への「ジハード」に勝利したにすぎません。ジハード以前の諸問題=社会改革の課題はまったくの手つかずのまま眼前に山のように積み重なっています。

中世的因習への復帰によって問題を解決することはできません

ターリバーンのほとんどはパシュトゥーン人です。支配イデオロギーもイスラーム法とパシュトーンの慣習法(パシュトゥーン・ワリ)や因習・伝統文化のアマルガムです。かれらは、総数4000万人ほどいると言われていますが、パキスタンとアフガニスタンのあいだで、デュランド・ラインと呼ばれる境界線で真っ二つに分断されています。
多民族国家であるアフガニスタンでは多数と思われているパシュトゥーン人ですが、じつは、過半数にとどきません。アフガニスタンには多数派民族は存在せずいずれもが過半数に満たない少数民族グループの集まりです。そのうえ相対的多数派のパシュトゥーン人は数百の部族や氏族に分かれ、それぞれが独立性をもっており必ずしも単一のまとまりをもっているわけではありません

さらに、アフガニスタン・パキスタン間の合意なき境界線であるデュランド・ラインで真っ二つに分割されたパシュトゥーンはほぼ自由に二つの国を行き来し、パキスタン側のパシュトゥーンはパキスタン政府からの支援金や交付金などを得ており、パキスタン国民としての特権を享受しています。

そのような二重性をパシュトゥーン住民だけでなくパキスタン政府、特に軍部は徹底利用してターリバーンへの影響力を行使しています。ちなみにパキスタン軍の20%はパシュトゥーン人で、ターリバーンを世界に認めさせようと奔走しているイムラン・カーン・パキスタン首相もパシュトゥーン人です。アフガン人であれば子供でも知っているように、ターリバーンの後ろにはパキスタンがおり、ターリバーンそのものがパキスタンなのです。パシュトゥーン人は、アフガニスタンとパキスタンという2つの国を手玉に取ってアフガニスタンとパキスタンを支配しつつあります。

ターリバーンは自爆ベルトや銃器の扱いには習熟しているかもしれませんが、それらは生産活動には役立ちません。それぞれの民族国家の伝統にもとづく近代化=進化は人類史の発展法則であり、何度も行きつ戻りつがあったとしても、自己を貫徹する社会発展法則です。いかに強固なイスラームであれ、その法則から自由であることはできません。イスラーム自身が近代化しない限り人民大衆から見捨てられる運命にあります。

ターリバーンの運命は近代化とイスラームとのはざまで苦しむパキスタンとともにある、逆に言えば、パキスタンの運命はその写し絵であるターリバーンとともにある、と言うことができるのではないでしょうか。

最後に、昨日の毎日新聞が報じた記事を紹介しておきます。それは、「パキスタン一時停戦」という大見出しのもとに「政府と武装勢力 タリバンが仲介」というものです。
「えっつ、パキスタンは戦争していたの? と思われるかもしれませんが、実はパキスタンはこれまでいつも国内で戦争をしてきているのです。毎日新聞の記事の内容は、パキスタンのターリバーンがアフガニスタンのターリバーンの仲介で、パキスタン政府との一カ月の停戦に応じた、というものです。

時間がないので詳細の説明は割愛せざるをえませんが、アフガニスタン問題を考える場合には、パキスタンとセットで考える必要があります。今日はそのことをお伝えして私の話を終わります。

ご清聴ありがとうございました。

【野口壽一】
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~012

 ターリバーン擁護論を読む 

オーマイゴッド、インシャラー

(2021年11月9日)

 

『タリバン復権の真実』(中田考著、ベスト新書)という本が出版されたのを知ったので取り寄せて読んだ。

289ページ新書版。半分以上は過去翻訳の再収録。書下ろし部分は中田考氏のターリバーンとの交流・対話を中心に2012年同志社大学神学館で開催された公開講演会「「アフガニスタンにおける和解と平和構築」およびそれと並行して取り組まれたアフガニスタンの和平交渉のための同志社イニシアティブの活動が白眉として置かれ、前後にアフガニスタンの歴史やターリバーンとはなにかが解説され、全体としてターリバーンの復権を喜びことほぐ内容である。

9.11同時テロや2020年2月の米タリバン・ドーハ合意の重要な日付が間違っていたりして、急ごしらえで執筆・編集された様子がうかがえるが、中田氏の主張は明快で単なる啓蒙書とは一味違い、アフガンの現実に深入りしてターリバーンを擁護する論争的な姿勢が貫かれている。(ちなみに、誤植は出版物にはつきもので小生もしょっちゅうしているので、著者や版元を責めているわけではありません)。

ターリバーンの主張を擁護し大所高所から歴史を俯瞰する宗教書のような書籍をわざわざ取り上げて論評するのは気が重いが、帯につけられた3人の評論家先生の推薦の言葉を見て、気が変わった。腰巻惹句曰く、

内田樹氏「現場にいた人しか書けない生々しいリアリティーと、千年単位で歴史を望見する智者の涼しい叡智」
橋爪大三郎氏「西側メディアに惑わされるな! 中田先生だけが伝える真実!!」
高橋和夫氏「タリバンについて1冊だけ読むなら、この本だ!」

大変なお褒めである。アフガニスタンと付き合うようになってイスラームのみならずユダヤ・キリスト教の勉強もしなければならないと思いいたり、たくさんの啓蒙書・解説書を読んだ。なかでも、中田考氏は、自身がモスレムとなりその理解と実践に基づき、ただしいイスラームを日本に伝えようとする言行一致の姿勢に好感をもっていた。『私はなぜイスラーム教徒になったのか』(太田出版)も読んだし、ずいぶん前に買って教材にしていた入門書『イスラーム世界がよくわかるQ&A100』(亜紀書房)を引っ張り出して参照していたら中田氏も著者のひとりだった。アラブのイスラーム過激派への氏のかかわりにちょっと危なっかしいな、と思いつつも気にしていた論者のひとりだった。

で、本書を一読、感想を言うと「ちょっと待ってよ~先生」という感じ。反対派とくに対立宗派かつ少数民族のシーア派の大量虐殺も、反対する部族長を暗殺して住民を黙らせたり、凄惨な見せしめや残虐な体罰への批判もなく、女性の隔離や教育の制限も神の教えに従う当然の行いであり、外国からの支援も最小でほとんど神学校でまなんだ清き全き神の使徒たる僧兵による闘いの成果、と描き出している。ターリバーン批判者が口をそろえる女性差別や教育制限なども、コーランやシャリーア(イスラーム法)を知らない連中の誤解にすぎない、と一蹴。

まったく、この1冊のなかだけのターリバーンであれば、「なんでこんな愛国心と正義心に満ちた清廉潔白なターリバーンを批判するの?」となることだろう。「高橋先生、ほんとにこれでいいの?」、「橋爪先生、ここまでターリバーンを賛美できるのはほんとに中田先生だけでしょうね」「内田先生、国民の苦難を武力暴力で抑える涼しい顔ってこんなんですか?」と言いたくなってくる。

おちゃらけはやめて真面目に議論する。
第1次ターリバーン政権がアフガン国民に支持されたのは、1992年アフガニスタン人民民主党政権が崩壊してからのムジャヒディーン各派の内紛・内戦のひどさ、各地各民族軍閥の腐敗のひどさに国民が飽き飽きしていたからだ。その国民感情にターリバーンが応えようとしたからだ。内戦に明け暮れ、住民にロケット弾を雨あられと撃ち込みあうムジャヒディーンには命を奪われ続けたからだ。さらに、援助金に群がり奪い合うムジャヒディーンに愛想をつかしたアメリカとパキスタンがターリバーンの後押しをしたからだ。ここいらの事情はいまさらいうまでもなく本サイトの「研究/提言」コーナーで紹介した書籍類で詳述されている。(高橋先生、読んでね)。腐りきったムジャヒディーン(後の北部同盟)を追っ払ってターリバーンが結成後わずか2年でカーブルにせまり北部まで支配するようになったのはパキスタンの軍事支援(および直接の関与)とアメリカやイギリス、アラブからの武器軍備品や資金のおかげだった。

ところが、政権につけてみたら、神の教えと称して極端なイスラーム解釈にもとづく内政、アル=カーイダやISなどのアラブ過激派の保護。支持したアメリカやパキスタンもびっくりするような行為に走った。挙句の果てに客人が起こした9.11同時テロ。怒ったアメリカは翌月の10月7日からおびただしい空爆と北部同盟を使った地上戦でわずか1か月でターリバーン政権を崩壊させ、次なるイラクとの戦争に突進した。(ムジャヒディーンもアル=カーイダもターリバーンもアメリカは自分で育てて自分で苦しんでいる。もっとも、米国の軍産複合体にとっては混乱と戦争が儲け仕事なのでしてやったりなのだろうが)。

ここからターリバーンの復活までも情報はあふれているので、このプロセスについてはこれくらいにして、中田氏の著作にもどろう。

本書で興味深かったのは、翻訳文の再掲でターリバーンの基本文書と称される「タリバン(イスラーム首長国)の思想の基礎」である。ターリバーンの綱領的な文書だ。ただ10年前の文書なので、現在もターリバーンが採用している有効な文書なのかどうかについては著者も保証はしていない。学び始めの神学生から熟練したウラマーに成長しているというタ―リバーンだから時代の要請を踏まえたもっと目配りのきいた文書になっているのかもしれない。しかし、きわめて基本的な思想を述べたものなので現在でも有効なのだろうと思われる。

この文書で重要と思ったのは、ヨーロッパの植民地主義と西洋文化および政治思想哲学に対する批判である。イスラーム独特の法理論はわきに置くと、小生にも賛同できる要素は多い。産業革命を他に先んじて実現した国家・地域として、銃と鉄の船で世界を支配し、文化思想哲学の力(イデオロギー)で人々の心をつかみ帝国主義支配を築いた欧米中心史観についてもいまさらここで述べるまでもない。ただ、その支配に対する闘いをキリスト教十字軍に対する戦争として純化して描き出す点には同意できない。(同意できないと言っても彼らには意味ないのだけれど)。いまでは、イスラームの言葉を使わなくても帝国主義の時代を批判し乗り越えることはできる。帝国主義的近代を乗り越えていくのに、前近代の思想をもってくる必要はない。神様を持ち出してくると、なお一層収拾がつかなくなる。

ターリバーンの綱領のなかの表現で、時代遅れで人びとの支持を得られなくなるだろうなと思われる規定・要求はさまざまあるが、1点だけ挙げておこう。それは、焦点になっている女性のとらえ方に対する規定である。

基本文書「思想の基礎」は述べる。

「アフガン人の女性の性状は他のイスラームの国々の女性とは多くの点で異なっている。例えばアフガン人女性はアッラーの恩寵によっていまだに健全な信仰の天性を保持しており、彼女らの考えは西洋物質主義に汚染されておらず、移住とジハードに耐え、その日暮らしで辛抱しており、露出や裸体よりも貞操と慎み深さを選好している。」

なるほど、外国軍との聖戦を闘っているあいだは、「欲しがりません勝つまでは」で頑張れるかもしれない。しかし、本当は平和とよりよい生活の方がいいんだけどな。

そして、わが中田先生は、本書の結論としてこう述べられる。

「これから我々がなすべきことは、これまでの過ちを繰り返し、自分たちの価値観でアフガン人を一方的に裁く記事を書き続けることでは決してない。」
「大切な伝統と聖なる宗教を侮辱する外国の占領軍を追い出してアフガニスタンの真の独立を達成するために命を捧げる戦士になる夢を語る男の子愛する父母が選んでくれた結婚相手と、親族・隣人たちから祝福されて幸せな家庭を築く結婚を夢見る女の子の声をも報ずることであろう」

もう外国軍との聖戦は終わり、といっても異教徒ならざる外国パキスタンがまだ背後にいるんですけど。そして、戦争のない平和で豊かな生活、といってもまだまだ生存そのものが危険にさらされている現状からの脱却が求められているのに、なんたる時代錯誤の結語をかかげて、先生たちは、涼しい顔をされているんでしょう。

オーマイゴッド、インシュアッラー!

【野口壽一】

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~011

 アフガン戦争でアメリカは何を学んだか 

そして日本は何を学ぶべきか

(2021年11月1日)

 

「編集部から」で金子編集委員がつぶやいている「アフガニスタン・ペーパーズ」。延々と勝ち目のない戦争にはまり込んでしまったと自覚しながら、データを改ざんし、情報を操作し、戦果を強調していた米国政府。「アフガニスタン・ペーパーズ」は、ベトナム戦争時にリークされた機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」になぞらえて「アフガニスタン・ペーパーズ」と呼ばれている。(https://courrier.jp/news/archives/188063/)

そこで暴露されているのは、アフガン人が早くから指摘をし、マスコミも知らなかったわけではないけれど、あったことをなかったように、なかったことをあったように捏造する、ありきたりの手法の数々である。「日本は何を学ぶべきか」と大上段に振りかぶったけれど、そんなに上等なものでなく、戦前にも戦後にも(決して自公だけでなく、またアメリカや日本だけでなく)古今東西、為政者が陥ってきた宿痾と言うしかないものである。

しかし、民主主義国家であれば、政府決定に反対、批判、あるいは推奨、提案する行為が認められ、実行される。アメリカ議会では上院の共和党議員22名がターリバーンやパキスタンを批判し制裁すべしとする法案を提出する動きが始まっている。(https://bit.ly/3CuNobg)(https://bit.ly/3pS1LTl)

アメリカ議会の一部は、アフガニスタン問題の隠された主要問題はパキスタン問題であり、それを知りながらパキスタンとターリバーンを利用してきた(また利用されてきた2面政策)アメリカの責任は大きいとする、われわれ『ウエッブ・アフガン』の主張に近づいてきている。

1921年に設立され、外交問題・世界情勢を分析・研究するアメリカ合衆国の非営利会員制組織で米国政府の対外政策決定に対して強い影響力を持つシンクタンクであり外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の刊行などで知られる〝Council on Foreign Relations (CFR)〟も実に興味深い分析を行っている。

● アメリカの著名シンクタンクCFRの分析

CFRのインド、パキスタン、南アジア担当のシニアフェロー=マンジャリ・チャタジー・ミラー(https://www.cfr.org/expert/manjari-chatterjee-miller)名で8月25日付で発表された「ターリバーンに対するパキスタンの支援:知っておくべきこと」と題するインタビュー記事は興味深い。(原文は英語。全文をお読みになりたい方はこちらで読めます。
(https://www.cfr.org/article/pakistans-support-taliban-what-know)

同インタビューで氏は、「パキスタンの政府と軍隊はターリバーンの勝利を支持しているが、ターリバーンへの支援をつづけることは(パキスタンにとって)危険である」と言い切っている。

物事を表面的に見ていると、とんでもないしっぺ返しを食らうことになる。今回のアフガニスタンでの出来事は同国周辺および中東の局地的な事件であるにとどまらず、日本周辺=東アジアでの「グレート・ゲーム」と連動している、という観点はわれわれ『ウエッブ・アフガン』の主張なのだが、今回は、パキスタンに焦点を絞って、CFRの分析を聞いてみよう。

● 質問1:「なぜパキスタン当局はターリバーンによるアフガニスタンの乗っ取りを応援したのか?」

この質問への彼女の答えはこうだ。
「パキスタンの政府と軍隊は一枚岩ではない。むしろ利益面で競合している。しかし、両者ともターリバーンの勝利を喜んでいたのは事実だ。パキスタンのイムラン・カーン首相は、ターリバーンが〝奴隷制の連鎖を断ち切った〟と宣言した。
カーン首相の公式表明には、3つの長年にわたる重層的な理由がある。
第一に、パキスタンはターリバーンに(イスラームの)イデオロギー的装いを与えた。パキスタンは1947年にイスラム教徒の国として創設された。パキスタン国民は異なる言語や民族からなる多くのコミュニティに分かれており、これを接着剤としてまとめるのがイスラームの役割だった。しかし、(言語や民族の)違いは戦争を生んだ。1971年、激しい内戦のすえ、ベンガル語を話すコミュニティが支配的だった東部パキスタン領の大部分との統合は崩壊し、バングラデシュが分離独立した。その敗北のショックから、パキスタン政府は、パシュトゥーン人またはパシュトゥー語話者が多いバロチスタンとカイバル・パクトゥンクワの西部領土に執着するようになった。パキスタンは、イスラーム・ナショナリズムがパシュトゥーン・ナショナリズムを抑えることを期待して、特に厳格なイスラーム思想を植え付けるために、これらの地域にマドラサを設立した。イスラーム・ナショナリズムも支持しているターリバーン指導者たちはそのマドラサで訓練された。」

アフガニスタンとパキスタンを分けている境界線デュランド・ラインについては本「視点」の10月04日付「アフガン問題の本質-パキスタンに注目を」と9月27日付「アフガニスタンとパキスタンは普通の国ではありません」でも詳説した。そこに掲載した地図や説明をご覧ください。われわれと氏の認識はおなじである。
そのことを確認し、ひきつづき氏の話を聞こう。

「第二に、パキスタン当局はアフガニスタンとの国境を心配している。彼らの懸念をターリバーン政府が和らげてくれると信じているしかし、1947年のパキスタン独立以来、アフガニスタン政府は、パシュトゥーン人が支配する領土をアフガニスタンから分離するデュランド・ラインを拒否している。パシュトゥーン人の過半数が住むアフガニスタンは、これらの領土を「パシュトゥニスタン」または伝統的なパシュトゥーン人の故郷の一部であると主張している。パキスタン政府は、ターリバーン・イデオロギーがパシュトゥーン人のアイデンティティよりもイスラーム思想を強調していると信じている。
第三に、パキスタンはアフガニスタンに親パキスタン政府を設立しようとしている。パキスタンは、インドが民族的および言語的差異を利用してパキスタンを揺さぶり、崩壊させようとしていると非難している。インドとアシュラフ・ガニー前大統領の政府との良好な関係は、パキスタンの懸念を和らげる何らの対処もしなかった。それに対して、ターリバーンは、反インド・ジハードグループへ聖域を提供するなど、パキスタンがインドに対抗するのを助けてきた。」

つまり、インドを割って作ったパキスタンという国家の成り立ちの不安定さにおびえるパキスタンの軍部と政府は、イスラーム教徒としてのターリバーンの側面に共通性をみて期待をかけているのである。パシュトゥーン・ナショナリズムが大きくなるとパキスタンへの遠心力が働きかねない。パキスタンとの共存理由はただひとつ、イスラームにしかない。パキスタンはイスラームに寄りかかるほかに救いはないが、そのイスラーム自体いくつもの系統や分派・思想潮流に分かれ、非妥協的で和解しがたい思想的宗教的政治的対立の原因にもなっている。そこにパキスタンの弱点=苦悩がある。(本サイト「研究/提言」『苦悩するパキスタン』参照)

● 質問2:9/11以降、パキスタンとタリバンの関係はどのように変化したか?

「パキスタンは、ターリバーンを財政的に支援し、さらには後方支援の主役であり続けている。パキスタンの軍統合情報局(ISI)は、ターリバーンの設立当初から、資金、訓練、兵器面で支援してきた。ISIはまた、ターリバーンと緊密に協力している過激派グループでパキスタンを拠点とするハッカーニネットワークとの強い関係を維持している。(ハッカーニ・ネットワークのリーダーであるシラジュッディン・ハッカーニは、2015年からタリバンの副代表格)。ターリバーンはパキスタンに不動産を所有しており、国内の個人から多額の寄付を受けている。
同時に、米国からの圧力の下で、パキスタンは何年にもわたって、グループの最高指導者の1人として戻ってきたターリバーンの創設者であるムッラー・アブドゥル・ガニー・バハダルを含むタリバン司令官らを拘束し、拷問したとされている。さらに、現在のパキスタン陸軍参謀総長であるカマル・ジャビド・バジュワ将軍は、パキスタンを不安定化させるターリバーンの可能性に非常に警戒していると伝えられている。
今後、ターリバーンに対するパキスタンの影響力は低下する可能性がある。一方、ターリバーンは、中国、イラン、ロシアとの関係を築こうとしている。パキスタンの緊密な同盟国である中国がターリバーン主導政府の承認に踏み切るとすれば、ターリバーンとパキスタンの両方が凶暴な宗教的ナショナリズムを支持しないという条件つきだ。というのは、中国政府は新疆ウイグル自治区に独立要求を掲げたイスラーム勢力の影響が中国に波及する可能性を恐れているからだ。」

シラジュッディン・ハッカーニは9月7日に発表されたターリバーン暫定内閣で内相代行に就任している。パキスタンはアメリカの圧力で「テロリスト」を逮捕したり、カタールの首都ドーハでの「和平交渉」開始に当たっては、囚人として逮捕した彼らを今度はターリバーン側交渉担当としてアメリカの命令で釈放してドーハに送り込んでいる。(「アフガンの声」米国アフガン占領20年の失敗―その原因<4>参照)。その代表格ムッラー・アブドゥル・ガニー・バハダルは2010年2月にパキスタン当局によって逮捕され拘留されていたが、アメリカの要請で2018年10月に釈放されドーハへ派遣され、ターリバーン外交事務所の責任者としてアメリカとの交渉にあたり和平合意を実現した。暫定政権では副首相に就任したが閣内の内紛で殺害されたとの噂が流れた。カンダハルに逃れたという情報もあった。9月15日テレビ局のインタビューに登場し内紛や負傷説が誤報であるとして本人が否定した。(9月16日CNN)

● 質問3:ターリバーンのアフガニスタン乗っ取りはパキスタンにどのような影響を与えるだろうか?

「パキスタンはターリバーン支援にあたって危険なゲームをしている。パシュトゥーンナショナリズムを取り込んでアフガニスタンに親パキスタン政府を樹立しインドに対抗するという目標は、ターリバーンやパキスタン内で戦っている宗教的ファンダメンタリストたちのどちらの思考性癖に鑑みても説得力がない。
パキスタンはデュランド・ラインにピリピリしている。国境を強化し境界を定めるために過去数年間に数百万ドルを費やしてきた。それでも、ターリバーンは、他のアフガニスタン政府と同様に、デュランド・ラインそのものも、さらには両国を境界線で物理的に区別しようとするパキスタンの試みも受け入れていない。ターリバーンがパシュトゥニスタン(パシュトゥーン人の国)というアフガン側のスローガンを放棄したり非難したりしたこともない。
さらに複雑なことに、ターリバーンは、パキスタンのターリバーンと呼ばれるテリク・エ・ターリバーン(TTP)と緊密な関係を維持している。TTPは、ターリバーンに親和性をもっており、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯で活動し、独立したパシュトゥニスタンを確保するまでパキスタンとの戦争を誓う小さなパシュトゥーン人過激派グループだが、何千人ものパキスタン民間人の死に責任がある。伝えられるところによると、パキスタンのバジュワ将軍は、アフガニスタンのターリバーンとTTPの間のつながりを認め、パキスタンの国会議員に、両ターリバーンは「同じコインの裏表」であると警告した。
さらに、アフガニスタンが再び内戦に陥った場合、パキスタンはさらに巨大な難民の流れに対処しなければならなくなる。昨年、推定140万人のアフガニスタン難民がこの国に流入した。
最後に、アフガニスタン(およびパキスタン)が新疆ウイグル自治区の不満ウイグル人を含むイスラーム分離主義者の聖地になった場合、パキスタンは中国との関係を危うくする可能性がある。」

われわれは以上の認識に賛同する。

● 質問4:米国とその同盟国は、アフガニスタンの状況についてパキスタンとどう協力できるだろうか。

「米国は南アジアおよびパキスタンとの二国間関係において複雑な状況に直面している
。米国政府は、テロ対策への協力の見返りとしてパキスタンへ長年投資してきた。しかしパキスタンの地域安全保障に与えた利益に比べると、限られた配当しか返ってこなかった。
現在、ワシントンには考慮すべき2つの追加要素がある。
ひとつ目は、インドとの戦略的パートナーシップの深化だ。過去数年間で、インドはより緊密な安全保障関係を求める米国の主張をより受け入れやすくなっている。米印関係におけるこれらの利益を考えると、米国はパキスタンとの関係において非常なる注意を払うべきだ。パキスタンによる国境を越えたテロ支援をワシントンが抑制していないという懸念は、ニューデリーとの関係を危険にさらすだろう。
ふたつ目の要素は、この地域に対する中国の関心の高まりだ。中国政府がこの地域で宗教テロを引き起こす可能性は低いが、ターリバーンと協力し、アフガニスタンを一帯一路イニシアチブ(BRI)に組み込むことを目指すだろう。米国の戦略は、中国の投資を相殺するよう努めるべきだ。中国はパキスタンに影響力を持っている。米国にとってありうる選択は、宗教的ナショナリズムとアフガニスタンから溢れ出る過激派に対する中国の恐れを利用して、米中パキスタン協力づくり戦略を開始し、ターリバーンに圧力をかけることである。」

これからのアメリカの外交戦略は、「インドとの連携を図りながら、中国のイスラーム過激派への恐怖心を利用して米・中・パキスタン協力」態勢の構築であるべきだという。この分析に従うならば、アメリカが強調している「新疆ウイグル地区での人権問題」は中国をこの協力体制へ引き込むための尻叩きと理解することができる。極めて巧妙な戦略戦術だと思われるが、もしそうなるとすれば、歓迎すべきことかもしれない。
あな恐ろしきはアメリカの戦略、というべきか。アメリカはアジアの西と南と東とで中国と「グレート・ゲーム」を演じている。アメリカの表向きの対中批判に乗っかって中国批判に明け暮れていては、駒でしかない日本はアメリカに裏をかかれてしまうかもしれない。

【野口壽一】

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~010

 「アフガニスタンーーこれからが本当の国づくり」

(2021年10月25日)

九州を拠点に全国に情報展開している雑誌『I・B』に表題のタイトルで寄稿しました。発行元の株式会社データ・マックス(文末に注)はペシャワール会と同じ福岡市に本社を置き、中村哲医師の事業については早くから取り上げ支援してきたそうです。

戦争の目的は「幸せ」の追求

現地での事業をハンセン氏病の治療から始めた中村哲医師がたどり着いた究極事業は灌漑でした。最初は医療活動で現地に関わった中村さんでしたが、途切れることなく現れる患者を目の当たりにして、患者一人ひとりを救っていてもらちがあかない。病気・不健康の原因は「汚れた水」にあり根を絶たなければ「いたちごっこ」で終わると気づいたたすえの帰結でした。水は農業をささえ食料を生み出す命の源でもありました。

Web Afghan in JAPANでは、アフガニスタンおよびそれを取り巻く国際環境の政治・軍事・経済事情、そこで生活する人びとの身近で切実な課題を取り扱っています。いきおい、大所高所からの分析や客観的な観察・批評、あるいはその対極にある一般民衆の憤りや運動のレポートが多くなりがちですが、それらの基底には一人ひとりの人間や家族や地域に、生き延びるための生活の苦労や幸せを求める想いがあります。

中村さんをはじめ、NGOやNPOの人びとが、農業支援や教育支援、地雷除去や医療支援などに取り組むのはそうした人びとの「幸せ」を直接実現する活動です。それに対して政治や軍事に関わっている人びと、特に指導者たちは、「目前の不幸の根を政治的に根絶し人びとの幸せを実現するため」に戦っていると考えており、一般の人びとと目的は同じはずです。

なぜこんなわかりきったことを言うかというと、10月20日に自爆犯の遺族と会見した暫定政府のハッカーニー内相代行が18日、自爆テロを起こして「殉教した」ターリバーン戦闘員を「イスラームと国家の英雄」だと称賛(カブールAFP時事)し、遺族に報奨金と土地を与えると約束したという記事を目にしたからです。日本でもカミカゼ攻撃機で自爆しに出発する学徒兵の「愛する人や家族を守るため」自分の命を犠牲にすると決意をしたためた遺書が「きけわだつみの声」としてまとめられています。国や正義に殉じる気持ちの底にあるのは大所高所の抽象的な概念や観念(ジハードで死ねば天国に行ける)だけではなく、生きて飲み食いする愛する家族の幸せという具体的な目的へ「命を捧げる」精神です。

ターリバーンやISなどイスラーム原理主義過激派は日本のカミカゼ攻撃に尊敬の念を示すといいます。彼らは、外国勢力=異教徒の支配が自分たちの存在そのものである伝統的宗教的な生き方(ターリバーンにあってはパシュトゥーン・ワリ)を破壊する許しがたい「悪の根源」とみて、それを根絶するジハード(聖戦)を闘ってきたわけです。

アッラー(神)の名に殉じても、心情の底にあるのは神や国家(日本の場合は天皇)ではなく、生身の人間の生き方=「生活」のはずです。

超過激主義で名高いハッカーニー内相代行が遺族をまえに報奨金や土地を与える、といったのは、宗教民族文化国家を超えた統治組織の政策実行者として(自爆を肯定するわけではありませんが)普遍的で当然な発言です。

ターリバーンが勝利したのは「ジハード」

アフガニスタンにはいま、異教徒の外国軍はいません。ターリバーンが勝利したのは「ジハード」であり、「生活」「幸福」にむけた闘いは道半ばのはずです。90年代の10年間も異教徒である外国軍はいなかったのですが、その10年間はアフガン国内勢力の内戦と未熟なターリバーンに付け込んだアラブ過激派の存在により、国造りどころではありませんでした。(この期間もパキスタンの存在はありましたが、それはまた別の問題。10月4日の視点「アフガン問題の本質-パキスタンに注目を!」参照)

1980年以降、政治闘争が武力闘争となり内戦となり、その結果、個々の社会成員が不幸を背負わされてきたのがこの40年でした。決着がつかなければ社会そのものの破滅、共倒れになりかねないほどの危機が進行していました。つまり、アフガニスタンは甚だしい本末転倒に陥っていたわけです。

今回はじめて、欧米軍事力不存在(ただしアラブ・イスラーム原理主義過激派は存在する)のアフガニスタンが誕生しました。ジハードの大義を果たし政権をとったターリバーンは自爆犯(ジハードに殉じた英雄)の遺族だけでなく国民全員の生活を支える、つまり、食わせなければなりません。本来、外国勢力を追い出すジハードに人びとを動員したのも、自分たちの生活を自分たちで築こうとするのが目的だったはずです。

国土の大半を武力支配するに至ったターリバーンには国民のさまざまな要求が突き付けられます。それらをひとつひとつ解決し、社会機能を維持しなければなりません。

ターリバーンは2020年2月のドーハ合意で欧米軍撤退後は、アフガン国内既存勢力と広範な包摂的政府をつくると約束しました。しかし、その合意から外されていた国家と政府の長であるガニー大統領はすたこらさっさと大金をもって逃げ出しました。ターリバーンから見れば共同してアフガニスタンを運営すると米国に約束した最大の相手が消滅してしまったのですから、単独で政権をつくる言い訳をする必要もないほどの絶好の条件が転がり込んできたわけです。

暫定政権を樹立し執政権を主張した以上、ターリバーンは国家運営の全責任をおわなければなりません。農村運営はなんとかなるかもしれませんが、都市機能や国家全体の運営となるとそうは問屋が卸しません。

権力維持には国民の協力が不可欠

ターリバーンが権力を維持していくためには国民の支持と協力が不可欠です。イデオロギーでは腹は膨れません。人は病気にもなります。知恵もつけなければならないし、気晴らしもしないと生きていけません。国政を担当することになれば、このような国民の要求をターリバーンは満たさなければなりません。

イスラームのシャリーア法は曖昧であり、その時々のイスラーム政権によって自分たちの政策や統治に有利なように、いかようにも解釈されます。イスラーム国にもいろいろあります。アラブ人の国サウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)など厳しい女性隔離政策をとっているイスラーム国があります(そこでも女性らの要求によって緩和の方向)。パシュトゥーン人に人種的に近いイラン・イスラーム共和国では女性隔離も地方によっていろいろで、選挙制度もあり大統領も選挙で選びます。パキスタンもそうです。トルコや中央アジアのイスラーム国のように、イスラームの世俗化をはたした国もあります。ターリバーンは西側諸国に認められ、真剣に相手にしてもらうことを望んでいます。

カーブル入城直後の記者会見などを見ていると、一見ずる賢く立ち回ろうとする姿勢も見て取れます。世界に向けて寛容さを印象づけようとしている気配もあります。しばらくすれば、状況によっては選挙を行うと言い出すかもしれません。しかし、彼らのイスラーム原理主義の信条とパシュトゥーン優遇の本質は変わらないでしょう。もし変わったら、もうターリバーンではないわけですから。

そのことを最も鋭く見抜いているのは女性たちです。ターリバーンがカーブルに入った翌日、カーブルの壁に次のような抗議の声、女性たちの決意が書かれました。

「くたばれターリバーン! 今や女性は政治的に目覚めた。20年前には疑問をもっていなかったブルカの下での暮らしはもはや望んでいない。安全にいられるための賢いやり方を探しながら我々は戦い続ける」。(アフガン女性使節団によるRAWAのインタビュー8月21日)

アフガニスタンの目覚めた女性たちはデモを行い、スマホで写真や動画を撮影し、自分と家族の生活を守るために、自分たちの主張を世界中に発信しています。

20年間の営為はムダではない

腐敗と汚職にまみれた政府だったとはいえ、また建前とはいえ、掲げられた自由と民主主義の旗印と世界からの援助金(そのほとんどは途中で消えたと言われていますが)による20年で、アフガニスタンは大きく発展しました。1人あたりの国民所得は2000年代初頭から2倍以上に増え、平均寿命は9年延び、学校教育年数は6年から10年になりました。生徒数は80万人だったのが800万人を超え、300万人以上の少女らが就学しました。

女性の雇用事情も大きく変わりました。かつては農事やとくにケシの栽培やアヘンの収穫といった仕事をするしかなかった女性たちが、公務員の5分の1以上、国会議員の4分の1を占めるまでになりました。さらに220人の女性判事が誕生していました(彼女らはいま、命の危険にさらされています(本Web「トピックス」2021年9月29日<BBC>参照))。

アフガニスタンの地域経済は、女性事業主による活動を屋台骨とする非公式部門がほぼ8割を占めています。子どもが学校に通えるのも、親が基礎的医療サービスを受けられるのも、彼女らが最低限の収入を得ているおかげです。こうした零細事業が打撃を受ければ貧困率は跳ね上がるでしょう。働き、学び、尊厳をもって生活する権利を女性から奪うことは、アフガン経済をどん底に突き落とすことにつながります。

女性の職員や労働者の排除だけではありません。行政や経済を運営するためにはテクノクラートが必要です。ガニー政権下でそれらの仕事をしていた専門家や国連や外国政府やNGO、NPOなどで働いていたアフガン人