編集室から

==========<金子 明>==========(11月29日)

「アフガニスタン・ペーパーズ」(The Afghanistan Papers:A Secret History of the War / Craig Whitlock / The Washington Post)からの証言紹介、第5弾。
今回はばらまきについて。

民主国家をこしらえるという旗印のもと米国がアフガニスタンでいかにすさまじい“ばらまき”をしたか。「アフガニスタン・ペーパーズ」(The Afghanistan Papers:A Secret History of the War / Craig Whitlock / The Washington Post)から証言をいくつか紹介する。

—米国国際開発庁の元役人(オバマ政権下での援助額の急激な上昇について)
「あの急上昇のころは、人も金も大量にアフガニスタンに送られた。たったひとつの漏斗に水をいっぱい注いだようなものさ。あまり急いで注ぐと漏斗からあふれた水が地面にこぼれるだろ。われわれのせいで地面はまさに洪水だった。」

—米国国際開発庁の別の役人
「費やした9割は無駄だったと思う。われわれには客観性が欠けていた。金を与えられて、使えと言われ、その通りにした。理由も無く。」

—現地の援助請負業者
「おおまか米国の郡くらいの大きさの一地域に毎日おおまか300万ドルをばらまくよう役人たちに言われた。アメリカの議員が視察に来たので聞いてみた。『おたくの国では立法者が責任をもってこれほどの金を使えるか』と。かれは断じてないと答えた。そこでこう言ってやった、『いいですか、だんな。そんな大金をわれわれに使い切れと迫っているのがあなたたちだ。だから使っている、窓もない土くれでできた小屋に住まう社会のためにね。』」

—ダグラス・ルート中将(オバマ政権下の戦争政策指揮官)
「ダムや高速道路をつくるのに気前よく金を払ったのは、ただ払えるのを見せたいがためだった。世界最貧国の一つで教育水準も最低レベルにあるアフガン人ができあがった巨大施設を維持できないことも十分に知っていた。まあ、たまの無駄遣いもいいだろう。われわれは富める国だ。穴ぼこに金を捨てても銀行はへっちゃらだ。だが、それはやるべきことか?もっと理性的でいることが大事じゃないのか?あるとき米軍がひどい僻地の州警察本部ビルを建設した。正面とロビーはガラス貼りだった。だが完成セレモニーでリボンを切った警察署長はドアさえ開けられなかった。アメリカ人が現地に相談せずに設計したのは明白だ。署長はそんな取っ手を見たことがなかったんだ。この出来事は私にとってアフガニスタンでの全体験の縮図である。」

—特殊部隊のアドバイザー
「われわれは誰も通わない学校の隣に新たに学校を建てていた。何の意味もないよね。地元民は学校など本当は欲しくないとはっきり言っていた。子供たちには外で羊の群れを世話して欲しいんだと。」

—米国職員
「まず安定した地域でプロジェクトを成功させ、他を羨ましがらせないのか? これまで私がつきあった国民の中でもアフガン人は最も嫉妬深い部類に属する。でもわれわれはその国民性を利用もてこ入れもしなかった。その逆で、子供が危険すぎて家を出られないような地域にまず学校を建てたんだ。」

—カンダハル州知事(2008年から2015年在任)
「アメリカ人が推し進めようとした手洗いキャンペーンは国民への侮辱だった。ここでは祈りのため人々は一日五回も手洗いしているのだから。そんなものより、仕事と技術を身につけさせるプロジェクトが必要だ。」

—カナダ軍へのアドバイザーを務めた海軍大学院教授
「カンダハル州で仕事を提供しようと月90から100ドルで村人を雇い農業水路を整備させた。すると月60から80ドルの給料しかもらえない教員たちが仕事を辞めて水路掘りにいそしんだ。」

—米軍将校
「アフガニスタンの東部で50も学校を建て公教育を改善しようとした熱心な陸軍旅団があった。しかしターリバーンを助けることになってしまった。教員が足りなくて、校舎は見捨てられ、爆弾製造工場に落ちぶれたのさ。」

政治家の人気とりには手っ取り早い“ばらまき”であるが、ここまで来るとほとんど破壊工作のレベルである。アフガニスタンで20年にわたってこうした事態が繰り広げられていたのなら、いま国家を受け継いだターリバーンも苦労は絶えまい。外国の金や助けに頼らない国の自立、それがまず大事だろう。

 

 

==========<野口壽一>==========(11月29日)

今年はペルーがスペインから独立して200周年だそうです。それを記念する『ペルー映画祭』が始まったので初日に2作連続で観ました。「ペルーの叫び」と「クッキング・アップ・ドリームス」です。
「ペルーの叫び」は、36年ぶりにWカップ出場を果たしたペルーサッカーの努力と奮闘を、ペルーという国のありようと重ねて描いたドキュメント。ありきたりのスポ魂物語ではなく、ペルーという国の成り立ち、貧富の差、人種民族の差別、植民地の悲劇、現実を深く掘り下げて、ペルー人とはなにか、ペルーという国はいかにあるべきかを追求した超一級の作品でした。さらに上映後の日系ペルー人仲村渠夏江氏のトークも考えさせる内容で、深く胸にささりました。自身と両親のペールでの生活と歴史を重ねて「貧困・格差・人種、ぐちゃぐちゃでなにも進歩がないペルー」「自己肯定感の低い国民」をシビアに明らかにしつつ「ペルー人としての恥」を感じてきた。それは自分だけでなくほとんどのペルー人が感じていることで、だからこそ映画の原題「アイデンティティ」にこめられた自己探索にふれ、ペルー人はペルー人としての一体感をもとめている、との話に、なぜペルー人がペルー人として唯一熱狂できるのがサッカーだけだったのか、と、日本タイトルが「ペルーの叫び」と変えられている理由に得心しました。日本人が忘れて久しい問題意識、アフガン人がいままさに闘い求めている課題がそこにありました。素晴らしい映画でした。
2本目の「クッキング・アップ・ドリームス」は本国のペルー料理の紹介とそれを世界に広げようとする人びとの努力を描いた映画。興味と食欲がそそられます。こちらのトークはボクシングインストラクターでマチュピチュ観光大使の青年・片山慈英士氏。世界一周旅行中にマチュピチュのふもとの村で7カ月間足止めを食らい、その間に閉鎖されていたマチュピチュに唯一の観光客として訪問できた幸運を、ペルーとの友好運動として恩返しするに至った体験と現在の活動を紹介。こちらも興味深いものでした。
ペルーは日系人大統領が誕生したり、日本大使公邸占拠事件があったりと移民の昔からゆかりの深い国。
11月27日から12月10日まで、新宿K’s cinemaで毎日3本上映。この機会をお見逃しなく。情報はここをクリック

 

 

==========<金子 明>==========(11月15日)

「アフガニスタン・ペーパーズ」(The Afghanistan Papers:A Secret History of the War / Craig Whitlock / The Washington Post)からの証言紹介、第4弾。
今回は麻薬対策について。

2006年春、米国とアフガニスタンは共同して麻薬撲滅作戦を開始した。米国が資金を提供し、アフガン兵がケシ畑をトラクターと棒切れで破壊し始めたのだ。その成果はどうだったか。

—ジョン・ウォルタース麻薬問題担当長官(記者会見で)
「わが国がもたらした成果はものすごい。状況は毎日良くなっている。ヘルマンド州(訳注:南部に位置し麻薬栽培が国内でもっとも盛んな地域)が対アヘン戦争の中心地で、州内の農民も宗教指導者も役人も皆がこの撲滅作戦を支持している。」

—麻薬撲滅作戦でアフガン兵の顧問を務めたケンタッキー州兵中佐
「大成功だったと言われているが、ただの純粋な牛糞だね。作戦のどこにも何の値打ちもないよ。」

—米軍事顧問としてアフガン人部隊と行動を共にした少佐
「撲滅作戦は(有力者の畑には手をつけないなど)違法な作戦だった。国民の金を巻き上げる悪党どもに安全を提供しているのなら、われわれは国民に間違ったメッセージを伝えていることになる。いまにも反乱が起きるのではないかと心配で、作戦の終わる頃には髪が白くなったよ。本当さ。」

—駐留米軍副司令官の副官
「麻薬商人はケシの乾燥樹脂などどこからでも入手できるので、契約した農家の畑がつぶされてもただこう言うだけさ、『去年の冬に2千ドル渡したんだから、お前は俺に18キロ分の借りがある。なのに乾燥樹脂を渡せないというなら、お前か女房か子供たちを殺すぞ。ただ、もう一つ手がある。この銃を取って俺がアメリカ人と戦うのを手伝え』と。われわれのせいで全住民が敵に回った。ヘルマンド州は爆発したのさ。」

—ロナルド・ニューマン駐アフガニスタン大使(本国への電文で)
「撲滅作戦の結果、より多くのターリバーンがヘルマンド州で戦おうと集まってきた。おそらく自らの財政基盤を維持するためと、ケシの収穫を『守る』ことで地元民たちの支持を得るために。」

—ケンタッキー州兵
「麻薬撲滅作戦でわれわれを引き継いだ英軍は、わずか1週間で戦死者、戦傷者ともに数がはねあがった。麻薬王が加勢し、ターリバーンが加勢し、ほんとうに大変になった。」

—アフガニスタンの麻薬対策状況を視察した米下院議員(本国への機密電文で)
「ケシ畑は本当にどこにでもある。何百もの大きなケシ畑がヘリコプターから確認でき、生育の各段階にあった。満開の畑も多かった。」

—米国務省の南アジア対策を監督した上級外交官
「軍隊には同情します。防弾ジャケットを着てケシをみかけたら、わたしも『ああきれいな花だな』と言うだけだろう。花を刈るために戦地に来たのではない。なのに、花を刈ると農民が敵になりどこかから撃ってくる。」

—米麻薬取締局幹部
「対テロリストの場合なら政府に楯突く首領を殺せばいい。だが、アフガニスタンの麻薬ネットワークと戦うときは、首領を殺せない。そいつが政府のシステム内で囲われているから。」

—麻薬撲滅作戦の調整役を務めた米軍中佐
「こう尋ねる村人は結構いた、『中佐、あんたの国の人たちが欲しがり使っているものを、なんで撲滅するんだい?』とね。そこを彼らは理解できなかった。」

<金子>
アフガニスタンで育ったケシからとれた麻薬はそのほとんどが西側諸国で消費されているという。売る方も悪いが、買う方も悪いと言える。また30年という長期の戦争で耕地は荒れ、地雷もたくさん埋められている。ケシを育てて生き延びようとする農民を、簡単には非難できまい。

紹介している「アフガニスタン・ペーパーズ」の証言は、その多くが米国のアフガニスタン復興担当特別監察官による当事者へのインタビュー からなる。「学んだ教訓/Lessons Learned」というありがたい名称のプロジェクトだ。その中身を法廷闘争の末に著者が入手して公開した。先のロナルド・ニューマン大使は、後にそのインタビューに答えてこう語っている。

短期間で結果を出せという死に物狂いの圧力があった。国会が目に見える成果を欲しがったんだ。、農村全体を発展させようとする努力によってのみ麻薬対策が成功し機能することをワシントンは理解しなかった。

この教訓から学ぶものは大きい。

 

==========<野口壽一>==========(11月15日)

ガニー政権下で国家和解高等評議会議長を務めていたアブドラ・アブドラ氏。報道によれば元大統領のカルザイ氏とともにカーブルに残ってターリバーンとの交渉に当たっている、とのこと彼のツイッターをみると、11月8日にカーブルに駐在しているパキスタン大使と会って「アフガンの現状および今後の永続的な平和と安定を促進する方法を検討した」という。結構な邸宅にお住いのようで翌日は、同じ応接間で国連アフガニスタン支援ミッションの副代表とお会いになっているようだ。カルザイ氏も同様にカーブルに残り、アブドラ氏と連動して行動している。
1996年の第1次ターリバーンカーブル開城の時にはナジブラー元大統領と弟らを惨殺し死体を凌辱のうえ広場につるすという残虐行為を行い(パシュトゥーンの伝統的懲罰法)、世界のヒンシュクをかったので、今回はその旧政権の二人を丁重に扱っているようだ。ターリバーンは格段に成長している。われわれ『ウエッブ・アフガン』のみたてによれば、そもそもガニー政権とターリバーンは一体=メダルの裏表で裏はアメリカが仕切っている(かなり下手を打ってるけど)。
ターリバーンの宿題は、広範な国民を包摂し支持される政権となること。明治維新では徳川政権の責任は東北列藩同盟にとらせて徳川時代の遺産をごっそり薩長がいただいた。ターリバーンも、ガニーには金をわたして逃がし(薩長も徳川慶喜を殺さなかった)、西側が築いた20年のインフラと人材を頂戴しようと考えているようだ。
果たして、ターリバーンはアブドラ氏らを使って日本のようにうまいことやれるだろうか。アフガニスタンの民衆レベルでは、ターリバーンよりもカルザイ・ガニ政権の評判は悪いんだけど、大丈夫?

 

 

==========<金子 明>==========

「アフガニスタン・ペーパーズ」(The Afghanistan Papers: A Secret History of the War / Craig Whitlock / The Washington Post)からの証言紹介、第3弾。先週日本でも総選挙があったので、今回のテーマは選挙。みんな投票したかい?誰も言わんが、投票するにはハガキも身分証明書もいらない、ただ住所と氏名を告げればOK! そんな当然の権利に関する情報が国民に知らされていない。効率優先国家日本の問題はそこなんだよね。では、行こう:

—ラムズフェルド国防長官(記者会見で)
「アフガニスタンでは選挙などうまく行かないと皆が言った。『500年やったことがない。ターリバーンが立て直している。戻ってきてみんな殺すぞ。そしてわれわれは泥沼にはまる』とね。だが見て驚け。アフガニスタンで選挙だぞ。すごいだろ。

—東部ガズニ州に6か月駐留した大佐(1990年代バルカン戦争のベテラン)
「ボスニアとコソボでは、まず地域の選挙から始めて州選挙、国政選挙へと段階的に進めた。しかしアフガニスタンでやったことは全く逆だった。国民にまず大統領を選挙させた。そしてここらの人々はほとんどが投票の意味さえ知らなかった。そう、指に紫のインクを塗っていたよ。田舎の環境ではとても難しい試みだったと思うね。そう言えば、パトロールに出た部隊が尋ねられたことがあったな、『ロシア人が戻って来て何やってんだ?』とね。ここらの人々は米軍がいることすら知らなかったんだ。駐留して2、3年はたっていたのに。

—ゲイツ国防長官
「カルザイが軍閥と取引して選挙で詐欺を働いたのには訳がある。前回の選挙のようにわれわれが彼を支持しなかったので、彼はわれわれが自分から離れてしまったと気づいた んだ。そこでわれわれに基本的には『くたばってしまえ』と言ったんだ。」

—ノルウェーの外交官
(NATO国防相会議での発言前、隣席のゲイツにこっそりと)
「今から大臣たちにアフガンの選挙で露骨な干渉があったと伝える。ただそれが米国とホルブルック (訳注:オバマ政権下のアフガニスタン・パキスタン問題担当特使)の仕業だとは言わないよ 。」

—カルザイ大統領(2010年4月の演説)
「詐欺まみれの選挙となったのは私を陥れようとする外国人のせいだ。部外者が私への圧力を止めないなら、ターリバーンに加わることも辞さない 。」

 

アフガニスタンの女性国会議員ファウジア・クーフィ氏(バダクシャン州選出)による自伝「お気に入りの娘」も面白い。彼女は投票所で誰々に入れろと指図している担当官を非難したり、反対派が捨てた自分宛の300票を見つけ出すなど、すったもんだの挙げ句当選した。アフガニスタンの国政選挙では各州で少なくとも2名の女性議員が選ばれるという割り当て制が採用されており、1800票でも当選だった。しかし彼女は8000票を集め、割り当てがなくても当選だったと自慢している。割り当て制について、女性の進出のためには良いことだと認めつつ、彼女は心配している。「そのせいで私たち女性議員が真剣に受け止めてもらえないかも。平等な場で人々の票を獲得したい」と

話は変わるが、戦前の英国映画はハリウッド製の米国映画には、人気実力ともはるかに及ばなかった。そこで国内の映画産業を守ろうとした政府は割り当て制を導入した。つまりある本数の映画を国内で作った会社だけが米国映画を輸入できると決めたのだ。その結果「クイッキー」と呼ばれる駄作群があたま数あわせのために乱造され、かえって英国映画の質を落としたという。

日本でも女性の政界進出を促すため割り当て制の導入が必要だ、他の先進国並みに、との声がある。政界のみならずすべての分野で女性の進出には大賛成だが、付け焼き刃的な対策はいかがなものかと考えさせられる逸話である。

(2021年11月8日)

 

==========<野口壽一>==========

精力的にアフガン情報を発信している長倉洋海さんのブログページで興味深い記事を拝見しました。
ターリバーンの州知事の1人が、フランス人ジャーナリストに「アフガニスタンはどこかわかりますか」と問われ、机の上にあった地球儀を手に取ったが、どこかわからない。「ココですよ」と指さされ、「あっ、このグリーンのところがそうだね」と答える動画です。【動画はここ】
この州知事は若い。40歳くらいかもしれません。ソ連軍の侵攻から40年以上たっているわけですから難民暮らしで満足な学校教育を受けたことがないのかもしれません。神学校(マドラサ)と言ってもモスクの片隅で床にあぐらをかいて体を揺らしながら熱心にコーランを暗唱している映像を見ます。コーランのみの授業しか受けたことがなく成人したのは自動小銃を抱えた戦場だったのかもしれません。悪評高いターリバーンですが、曲がりなりにも米欧軍を追い出し自分たちの世界を取り戻しつつあります。世の中はネット社会。いまは世界のどんな田舎でもネットで世界とつながっています。貪欲に外の世界の情報を吸収して自分たちの生活に生かしてほしいと願います。

(2021年11月9日)

 

==========<金子 明>==========

前回紹介した本「アフガニスタン・ペーパーズ」には面白い証言が満載なので引き続きいくつか。今回は米国がアフガニスタンで樹立を図った政権がいかに国の実情にそぐわなかったかを証言によって探ってみる。

EUの役人
「あとから見れば、中央集権を目指したのが最悪の判断だった。」

ドイツの高官
「ターリバーンが落ちたあと、われわれはすぐに大統領が必要だと考えたが、それは間違いだった。」

米国高官
「アメリカ型の大統領制など海外で決して通用しないのは知っての通りだ。なぜわれわれは中央集権政府を築き上げたのか、そんなものが一度もなかった場所で。」

米国の上級外交官
「強力な中央政府を築き上げるのに必要な時間枠は百年だ。われわれにそんな時間はなかった。」

米国務省主任報道官
「われわれは何をしているのかわからなかった。アフガニスタンが国としてうまく機能したのは、ある大物が出てきて種族と軍閥のごった煮をうまく料理したときだけ。しかも、お互いあんまり喧嘩するなよというレベルだ。それがわが国の州か何かのようになると思ったのがそもそもの間違い。おかげで2、3年で終わるはずがわれわれは15年も苦しんでいる。」

ウズベク州駐留の大隊司令官
「まず、なぜ政府がいるのかを多くの人に証明しなければならなかった。みんな僻地の人だからね。いろんな場所があるだろうが、ともかくここでは中央政府が食わせてくれるわけじゃない。中央集権政府を持つメリットなど理解しないし見向きもしない。『羊と山羊と野菜をこの狭い土地で何百年も育ててきた。中央政府なんか持ったこともない。なぜいまさらそんなものがいるのかい?』とね。」

NATOカーブル本部に特派された米陸軍中佐
「彼らは家族や種族に対してとても長い忠誠の歴史を持っている。チャグチャラン(訳注:ヘラートの西380キロ、アフガン中部の町)の通りで座っている男にとっては、ハーミド・カルザイ大統領が何者かも、カーブルで政府を代表していることもまったく興味外だ。モンティ・パイソンの映画を思い出したよ。ほら王が泥まみれの農民のそばを馬で行くだろ。農民に向かってこう言った、『我は王だ。』すると農民は振り返って『王って何だ?』と返すやつ。」

ちなみにモンティ・パイソンの映画とは1975年公開の「モンティ・パイソンと聖杯」で、正しくはこんな会話が交わされる:
王「我はアーサー、ブリトンの王だ。あれは誰の城か?」
女「何の王だって?」
王「ブリトンだ。」
女「ブリトンって何よ?」
ところで、このアーサーは馬に乗っているのではない。後につく従者がココナッツをたたいて蹄の音を響かせ、ただパカランパカランとトロット走りをしているだけ。何とも辛辣なたとえではある。

どうやらこのタイプの政府を樹立したことそのものが間違いだったようで、それを認めるのは勝手だが、残された国民はたまったものじゃない。

(2021年11月1日)

 

==========<野口壽一>==========

衆院総選挙、驚きました。
大阪選挙区では自民全滅。公明党との合意のもと議席をゆずった4選挙区以外の15選挙区はすべて維新の勝ちです。いうならば維公全勝。ターリバーンのカーブル無血開城の時以上の驚きです。

マスメディアの評価は、まあ、可もなく不可もなし、というところでしょうか。
<毎日新聞>「勝者なしという民意」
<朝日新聞>「政権与党の〝勝ちすぎ〟を嫌ったものではあっても、政権交代を求めるものではなかった」
<日経新聞>「争点なき政治の危機」
<讀賣新聞>「与野党のどちらにも、〝追い風〟は吹かなかった」
<産経新聞>「安定勢力で成果を挙げよ 対中抑止に本腰を入れる時」

野党がだらしないというか、経済にしろコロナにしろ、安全保障にせよ、与野党の主張に大差なし(共産党を除く)の現状では、有権者としても燃えようがない。「候補者の人柄や主張をよく検討して必ず投票に行こう」とマスコミは言うが、現状の小選挙区制のもとではそんな選択はできない。日本の政治はとっくに政党政治に切り替わっているのだ。
そんななか、大阪小選挙区の結果には驚愕する。19小選挙区のうち維新が15、のこり4区は公明だ。しかも維新と公明はお互いに対立候補をださない協定を結んでいる。つまり、維公100%勝利である。自民全敗。小選挙区制の特徴をかくも見事に具現化した選挙結果を初めてみた。大方の批評では、コロナで顔と名前を売った吉村知事の功績と分析しているが、ひとたびポピュリズムの風が吹けば一夜にして天地がひっくり返るほどの変化に見舞われかねない脆弱な議会制度のもとにわが国はあるのだな、と実感した。
政治の劣化は言われて久しいが、官僚機構も大企業もそれに負けず劣らず劣化している。今の政治システムのままだと、ある日突然大激変ということがありうるのではないか。

(2021年11月1日)

 

==========<金子 明>==========

ターリバーンが旧政権を追い出して2か月になる。この間に当サイトにもいろいろな記事を上げてきたが、その中に「アフガニスタン・ペーパーズ(Afghanistan Papers)」を引用した記述があり、興味を持った。そこで、いい世の中になったなあと思いつつキンドルをクリックし即座に入手した。ワシントンポスト紙の記者が米政府を相手に裁判を起こし、勝訴。いくつかの極秘文書を公開させ、それをもとに書いた記事を書籍化したという。なるほど、米国では不都合な書類でも溶解したりはせず、また経口歴史というインタビューによる歴史記録が調査学問としてあるのかと感心した。いいとこどりではあろうが、うまく章立てされており解説文も楽しめた。紹介がてら少し引用すると:

国軍の兵士について/ブートキャンプの教官だった米軍少佐
「基礎訓練で脱落する者はいない。50回引き金が引ければ全部はずれでも  問題なし。弾の飛ぶ方向が正しければ良しとされた。」
アフガン警察について/警察を指導した米国家警備隊少佐
「問題があっても警察には行かないで村の長老に訴える。長老はそいつが気に入れば好きなようにしろと言い、気に入らなければ羊か山羊を持ってこないと撃ち殺すぞと脅す。」
カルザイ大統領について/国際麻薬法執行局アフガニスタン支部長
「麻薬対策をカルザイに強制するのは米大統領にミシシッピ川以西の米経済を全て停止せよと要請するのと同じ。それほどインパクトのある要請だ。」
ケシ栽培について/麻薬撲滅作戦の指南役を務めた米国家警備隊大佐
「ヘルマンド州の人たちは収入の9割をケシの売り上げに頼っている。それを取り上げるのがこの作戦だ。そう、もちろん彼らは武器を手にして撃ってくる。生計を奪ったのだから。食わせる家族がいるのに。」
汚職について/米国務省アドバイザー
「汚職はアフガンの問題でわれわれがそれを解決すると大方は思っている。しかし汚職には材料がいる。金だ。その金を持っていたのがわれわれだった。」
職について/在カーブル米大使館の高級外交官
「もちろん悲しくてうかつな話だが、われわれが成し遂げたことはただひとつ、汚職の大量生産だったのかも知れない。この失敗がわれわれの努力の終着点だ。」
腐敗選挙について/カーブルで勤務したドイツ人官吏
「人々はお互いに言ったものさ。だれだれが米大使館に行ってこの金額をもらったと。聞いたものは『よし、俺も行こう』と続いた。つまり彼らの民主主義とは最初から金にまみれた体験だった。」
「ターリバーンが橋を壊した。アメリカ人の役人は付け替えたい。1週間もしないうちに町の建設会社に新たな橋の建設を発注した。その社長の弟は地元ターリバーンのメンバーで、2人の事業は大盛況。知らぬはアメリカ人ばかりだった。」

米国が「やーめた」と放り出したあとアフガニスタンでこれから何が起こるのか。それを考える上で、この20年間に米国が果たした役割、その功罪について知っておくことは大切だろう。アフガニスタンに興味を持つものにとって必読の一冊である。

(2021年10月18日)

 

==========<野口壽一>==========

ターリバーンがカーブルに入城して2か月。編集部にはさまざまな情報が届くようになった。原理主義のターリバーンといえども、20年前そのままを実行するわけにいかないのだろう。

カーブル市内を巡回するターリバーンの一般兵は相変わらずに見えるが、スマホ手に自撮りをしている映像が流れてきたりする。そもそも大統領府にはいって大統領執務室からの映像も、20年前なら略奪されるか破壊されそうな絵画の前に陣取ってポーズを取ったりしている。拉致犯と称して殺害し市中にさらしたりつるし首のリンチをしたりしているのは相変わらずだ。しかも今回も、与しやすいと見たのか、女性隔離だけは多少の手直しをして厳格に実施している。しかし、女性の反撃はすさまじい。銃で脅しても効き目はなさそうだ。学校に行く権利ももちろんだが、生きていくための最低限の要求、仕事や食糧の確保に必死だからだ。

アフガニスタンの冬は厳しい。冬は戦闘も中止だった。今回は行政能力のない、しかも外国からの援助も途絶えたターリバーン統治のアフガニスタンだ。家があっても食料が乏しいのに、家のない国内避難民だけでも数十万人いるという。餓死、凍死の危険が迫っている。

そんななかでISによる爆破テロが増えてきている。内輪もめ、内部対立も厳しくなっているのだろう。悲惨なニュースを収集して危機感をあおるだけではだめだと思って、できるだけ未来のある情報を探っている。これまでは海外に避難しているアフガン人からの情報が多かったが、今回は、アメリカ初の女性解放運動『One Billion Rising』の活動を紹介することができた。趣旨、活動内容、規模のどれを取ってみても心強い運動だ。日本であまり知られていないのが意外だったが、世界では有名な運動だ。こんなところにも内向き日本の弊害がでているようだ。今後、この運動には注目していこうと思う。

(2021年10月18日)

 

==========<金子 明>==========

1994年春、館山行きの各駅停車でたまたま隣席だった老婦人と話をした。彼女は内房にあるとある宗教施設で開かれる「集まり」に行く途中だと言う。東京の東部にある町のタバコ屋の看板娘だったとのことで、確かに端正な顔立ちだった。

話しているうちに「ご主人はお元気ですか?」と聞くと、面白い返事がかえってきた。「ある日、消えたのです」と。彼女の夫は戦中モンゴルでラマ僧をしていた。日本のスパイである。市場などをうろつき人々の噂話を収集し軍部に報告していたらしい。帰国後彼女と結婚して家庭を築き、何不自由なく暮らしていたが、終戦から45年を過ぎて忽然と姿を消した。「モンゴルのうちに戻ったのでしょう」と語る彼女に夫を取り戻したいという思いはまったく見えず、かの地でもうひとつの家族と幸せな最後を迎えて欲しいと願っているようだった。いまとなっては彼の諜報活動の成果を評価する術はない。また莫大な量の情報が電話とインターネットを介して伝達される現代において、市場で交わされる人々の会話がどれほど諜報的意味を持つかは知らない。

ただそんな昔話を思い出したのは、アフガニスタンでは特に地方では未だにこうした原初的な情報がものを言うかもしれないと感じたからである。

このサイトはアフガニスタンに関するさまざまな情報をインタラクティブに提供しあう場である。
・米国が20年前に侵攻し滅ぼしたのがターリバーン政権で、いま米軍がきえターリバーンが再び政権につくのなら、この20年はいったい何だったのか?
それは誰もがいだく疑問だろう。米軍の撤退でいきなり火がついた報道合戦からは異なった視点で、この疑問へのこたえをさぐっていきたい。そのために、手元にとどいた質問をファテー・サミ氏らこのサイトの情報源にぶつけていく。
・6月に直接対談したガニーとバイデンだが、今になってその中身が漏れ聞こえてくることがあるか?
・各所でおきていた反ターリバーンの民衆蜂起は制圧されてしまったのか?
・パキスタンがターリバーンへの支援を真っ向から否定するのはなぜか、またパキスタン軍はどこまで関与しているのか?
・インドは現状をどう見て、今後どんな行動に出るのか?
・中国はターリバーン政権を認めそうだが、国内の対イスラム政策への影響は?
など。こうした質問へのこたえの中にアフガニスタンの現状を読み解き、将来の平和につながる手がかりが見えてくることを期待している。

(2021年9月2日)

 

==========<野口壽一>==========

9月1日のグランドオープンに向けた編集作業はアフガニスタン現地同様、激動の日々だった。
トピックスの編集のため海外メディアの報道をフォローするだけで日が暮れる。アフガニスタン問題を根底から理解するための書籍や日本の政府機関、研究機関の研究や提言のなかから、今必要なものをピックアップするだけで何日も過ぎてしまう。その間に見るのはアメリカ軍のもたもたした撤収模様。IS-Kの自爆攻撃。カーブル空港での混乱や自衛隊機の空輸作戦の失敗など、記録に残したくもない悲劇が繰り広げられる。(下の絵を描いたサラ・ラフマニさんはアフガン出身。カリフォルニア在住。詳しくはここをご覧ください。)
悲劇の舞台となったカーブル空港。僕らが何度も離着陸したことのある、あのカーブル空港。周囲を山に囲まれた狭い空港の滑走路に直進して着陸するにはその山をすれすれに飛ばなければならない。そうすると、アメリカがムジャヒディンに供与したスティンガーミサイルの格好の餌食となってしまう。だから、着陸も離陸も、空港上空でらせんを描きながら下降上昇し、加えて熱戦追尾式ミサイルであるスティンガーの追尾をくらますため、フレアを撒きらせん状に下降上昇する。ぐるぐる渦巻くフレアの炎と白い煙が空中芸術のように青空に映えた。
離陸する米軍輸送機にしがみついて振り落とされる人影の映像。カーブルに残るリスクより振り落とされて死ぬリスクの方が小さいと考える究極の行動判断。フレアを撒きながららせんを描いて上昇する航空機に乗って自分は帰ってきた。あのときのカーブル空港も戦場だったんだな。

もうひとつ。「アフガンの声」でFateh Sami氏が強調する、アフガン市民の戦う意欲。ガニー政権の指示でターリバーンに投降する国軍とは異なり、腐りきったシステムの下でも市民的権利と自由を築きつつあった人びとがいる。日本ではほとんど報道されないが、アフガニスタン国内にも国外にもたくさんのアフガン人が戦いに立ち上がろうとしている。その端緒を、8月28日の世界35カ国一斉行動に見た。今回はアムステルダムとロンドンしか紹介できなかったが、ネット上には難民として国外に出ざるを得なかった人びとが現地の心ある人びとと一緒に行動に立ち上がっている。確かに、ターリバーンの8月15日のカーブル占拠は、こんどこそアフガン人の手で中世の闇を終わらせるその始まりの日に違いない、と確信した。しかも、このふたつの都市の行動の先頭に立っているのは女性たちだ。日本アフガン合作記録映画『よみがえれカレーズ』の撮影に同行した時、監督の土本典昭さんが「その国の社会がどんなものか見るには女性や子供や老人や障がい者などをどうあつかっているか観察するのが一番だ」と繰り返されていたのを思い出す。今号のトップで紹介した詩「ガニーを逮捕せよ」の作者もヘラートの女性活動家だ。
アフガニスタンの女性たちは確実に新しい社会の扉をひらく強力な導き手だ。

(2021年9月1日)

 

=======<金子 明>=======

バーミヤンがあるくらいだから、大むかしは仏教がさかんだったんだろう。
立派な絨毯が有名みたいだけど、高いしうちには必要ないね。殺された中村哲さんは残念だったな。そういや、タリバーンのオマル師はどうなったの?アフガニスタンと聞いて思いつくのはそれくらいだった。しかし、このサイトを立ち上げた野口さんと最近であい、この国では数十年も内戦状態が続いていることを思い出した。なかは多民族でまとまりを欠いてぐちゃぐちゃ。そとはまわりや遠方のいろんな国からちょっかいをだされて大変。悲惨だなあ。日本は平和でよかったね、と通りすぎるのがおおかたの日本人だろう。
しかし、「最後の焼け跡派」を自称する自分にとって、戦争にはみすごせぬ魅力がある。ひいじいさんは、高砂の底のほうで機械をいじっていたため今も旅順港に沈んでいる。とうちゃんは、開拓義勇軍として張学良の兵舎を守っていたというが、戦後6年間もシベリアでおつとめ。帰宅時、見たこともない弟(わたしのおじ)がたまげて逃げ、「のきに乞食がおるがあ」と家人に訴えた。かあちゃんの小学校の先生は、生徒の胸に輝く万年筆をみつけて取り上げたが、爆発して片腕になった。その万年筆は米機が落とした仕掛け爆弾だった。
このたび、米軍が撤退するのにあわせて、戦闘も激しくなっている。たんに遠い国のはなしではない。アフガニスタンは隣国の隣国である。これまでの経験とひまな午前中と週末が、その和平にほんのちょっとでも貢献できればこれ以上のしあわせはない。

金子明 略歴 1958年愛媛県生まれ 元テレビの派遣ディレクター 担当した番組は「朝まで生テレビ」「知ってるつもり」「ステーションEYE」「どうぶつ奇想天外!」「見える歴史」「おはなしのくに」など 現在は放課後児童クラブの補助員

 

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=======<野口壽一>=======

思えばいつの間にかアフガニスタンとの付き合いは41年を超えた。
1979年12月、ソ連軍がアフガニスタンに進駐。世界中が大騒ぎとなった。西側諸国はこぞって制裁をかけ翌年のモスクワオリンピックもボイコットしアフガニスタンへの正式取材もされなくなった。
そんななか、駐日アフガン大使と知り合い日本から最初の正式取材記者としてジャーナリストビザを獲得。1980年8月、タイ、インドを経由して42日間現地を取材した。帰国後、アフガニスタンでなにが起きているのか、スライドプロジェクターをかついで日本中で報告しまくった。翌年、写真記録『新生アフガニスタンへの旅』を上梓。さまざまな人びとと知り合いになり<アフガニスタンを知る会>をつくり、数年後<アフガニスタン友好協会>に発展させ友好連帯活動に走りまわった。その間、内戦が激しくなって中止するまで数年にわたって延べ100人以上を友好訪問団としてアフガニスタンへ派遣したり、鉛筆5万本やノート、古着など支援物資をコンテナ便で何度か送った。87年にはアフガニスタン政府からの要請をうけ新社会建設を支援するため貿易を主とする株式会社キャラバンを設立。88年から89年にかけては土本典昭監督の『よみがえれカレーズ』の制作に原案者としてかかわり、88年4月から同年10月までの半年間は、奈良で開かれた「なら・シルクロード博覧会」にアフガニスタンを代表してアフガン文物を出展販売した。1991年ソ連崩壊、92年アフガニスタン共和国崩壊により、アフガニスタンとの連絡が絶たれた。以後、北部同盟政権下で内戦はより激しくなり、タリバンが登場するにおよびますますアフガニスタン本国との関係は疎遠となり、亡命して各国に散った友人たちと連絡を取り合うだけの関係となった。2001年、9.11事件が起き、アフガニスタンは再び世界政治のホットスポットとなった。アメリカと有志連合がアフガニスタンに侵攻しタリバン政府を倒し、EUと日本など西側諸国が援助してアフガニスタンの平和と発展を支えることとなった。日本は経済や技術での支援を担当し東京会議が開かれた。2003年2月にはカルザイ大統領以下新政権のトップが東京に勢ぞろいした。このとき、新政権の支持を要請され、カルザイ大統領(写真中央。その左はアブドゥラー氏)との面会が設定され帝国ホテルで待つこと5時間、天皇や首相らとの会見で時間が取れなくなった大統領に代わりNo.2のアブドゥラー氏と面談することとなった。(写真下。アブドゥラー氏と名刺交換)駐日大使館も日米の支援で新規開設され豪華な館となった。アブドゥラー氏はマスード氏の盟友でありアメリカ主導の政権とはいえタリバン政権よりはましだと思ったが、自分がしゃしゃりでる幕はないと判断し、新政権とは距離をおくこととした。アフガニスタンにおける革命、新社会の建設はいかにすれば可能なのか、研究活動に活動の軸足を移した。折から元駐日アフガニスタン大使でアフガニスタン共和国最後の副大統領としてマスード氏ら北部同盟への平和的な権力移行を実現したあと国外に亡命していたアブドゥル・ハミド・ムータット氏と文通・面談しながら研究を継続した。その間、ムータット氏は回想録の形で自らの経験を総括する文章を英文化し野口に託された。それを翻訳し2018年に日本語版を回想録『わが政府 かく崩壊せり』として出版した。
20年、ソ連の駐留のちょうど倍の年数、アメリカはアフガニスタンで戦争をつづけ、ついに勝利することなく完全撤退することとなった。日本はコロナとオリパラに目を奪われ、マスコミ的にはアフガニスタンは他人ごとの扱いだが、今年の秋以降、アフガニスタンでは戦争がおわらないどころか、三度目の国際政治の焦点となることは必定である。次に来る焦点化はこれまでと決定的に違うものになるかもしれない。それは、アフガニスタンで敗北したアメリカが、この問題を新疆ウイグル問題とからめて対中戦略に組み込む可能性があるからだ。アフガニスタンでの戦争を長引かせ西と東(台湾、南シナ海)に火種を仕込み中国を締め上げようとする。香港で強行的に50年契約を破棄した中国はその挑発に乗りかねない。そんななかで日本政府はどうする? いやおうなく政府の動向に支配される国民、自分たちはどう考える? どうする?
目を見開いて国際情勢を見つめなければ流される。

(2021年7月22日 14:39:09)

野口壽一 略歴 1948年鹿児島県生まれ 1980年夏アフガニスタンを単独取材し翌年<写真記録>『新生アフガニスタンへの旅』を上梓。2018年元アフガニスタン共和国副大統領の回想録『わが政府 かく崩壊せり』を翻訳出版。元株式会社キャラバン代表取締役、インターネットによるベンチャー支援組織「246コミュニティ」創設世話人、現在フェニックス・ラボラトリー合同会社代表。