<アブドゥル・ハミド・ムータット氏の最新声明 >(2021年4月30日)

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 マルコポーロはおよそ800年前、この国(かつてはホラーサーン(注1)、現在はアフガニスタン)ほどに侵略された国はない、と書いた。


 しかし、少なくともこの200年を見る限り、様相が異なる。つまり19世紀の1841年と1879年、さらには20世紀の1919年にイギリスはアフガニスタンを侵略したのだが、手ひどい敗北を被った。(注2) 時はくだって1979年にはソビエト連邦(当時、以下「ソ連」(注3))、さらに2001年にはアメリカ合衆国が(注4)、アフガニスタンを侵略した。どちらも、より強力な武器をたずさえ、さまざまな口実のもとに。ソ連は10年におよぶ戦争と流血の後1989年にアフガニスタンから去り、合衆国は20年にわたって戦争を続けたが、やはり大敗を喫し、軍は2021年の今まさに去ろうとしている。これら不当な戦争がもたらしたものは、何百万人ものアフガン人の殺害とアフガニスタンの都市や村の破壊、および侵略国に対する歴史的な悪評であったが、話はそれだけではとどまらない。

 今この国を出ようとしている米軍は恥を知るべきである。その理由はひとつには、あとに残した政府の惨憺たる状態である。つまり無能さが知れ渡ってしまった腐敗しかつ狂信的な政府。その上、国家統治の法的な正統性すら欠いている。もうひとつの理由はタリバン運動を醸成したことである。アフガニスタンに国境を接する国ぐにが送り込んできたこの便利な道具こそが罪なき人々の殺害と破壊に重要な役割をはたした。(注5) タリバンは世界の他の国ぐにでは当たり前の、国家を建設し統治する能力を持っていない。振り返ると1989年、ソ連がアフガニスタンを去るとき、アフガニスタン人民民主党共和国政府は強力で団結しており、ムジャヒディーンとパキスタン軍の攻撃を次つぎとはね返す能力を持っていた。そのことはジャララバード戦の恐るべき戦果(注6)として世界が知るところである。 勢力図が入れ替わったのはなぜか。当時アフガニスタン政府は他国からの軍事的経済的支援をことごとく停止されており、ソ連からの細々とした財政支援をよりどころに戦っていた。ところが、崩壊に直面した不安定な経済状況にあったソ連(注7)はアフガニスタン共和国への財政支援を停止し、こともあろうか、敵対するムジャヒディーンと連携するという卑劣な裏切り行為に打って出た。(注8)

 このような困難にもかかわらずアフガン軍は指揮官から一兵卒まで全軍一致して意気軒昂に国を守った。ソ連に裏切られた結果、さまざまな問題を抱えつつも、アフガン政府指導部は西側に支援された邪悪なる敵に対抗して3年間にわたり自国を防衛することができた。しかし最終的に、舞台裏の取引の結果、アフガン政府は崩壊し権力を放棄して、今に至っている。(注9) さて現状を鑑みるとしよう。まずはロシアサイドの動き。ロシア政府はアフガニスタンの現在の政治情勢においても、積極的な役割を演じており、パキスタン政府およびタリバン運動と緊密な連携を樹立している。アフガニスタンの地で米軍を標的とするため、新鋭の戦闘装備をタリバンに供給してきたともささやかれている。

 モスクワ会議(注10)にタリバンとアフガン市民双方の代表がそれぞれ2度にわたって招待された事実をわれわれすべては目撃しているが、この一連の会議はさして重要な枠割を演じることはできず、ただ、ロシアを抜きにしてはアフガン問題を解決することはできないと見せつけるためにロシア人が仕掛けた政治ショーに過ぎなかった。 そこへ今回のNATOおよびアメリカ軍の撤退である。時を待たず必ず、アメリカがこしらえた腐敗しきった傀儡政府は崩壊しタリバンに降伏するであろう。新政権も誕生する。その暁には、新政府とよい関係を築き上げ、そのタリバン政府を上海協力機構(注11)に迎え入れる絶好の機会になる、とロシア人は信じている。 次にアメリカサイドに目をやると、歴史は繰り返されていることがよくわかる。

 タリバン運動の頑固な敵対者であった合衆国はある日タリバン運動の首謀者たちと交渉を開始する方向へと舵を切り直し、それまで国際的テロ集団と非難してきた彼らを政治的主体と認め、ついにはドーハ4項目合意(注12)にいたった。しかし、この条約には合衆国とタリバン政府の当事国間に秘密条項があり、その中身は外部の誰にもいまだ知らされていない。察するに、合衆国が軍事基地をアフガニスタン国内に持つこと、および有望な地下資源や既存の鉱山にアクセスすることに間違いないだろう。

 つまり撤退によって合衆国がアフガニスタンの地政学的な立ち位置と豊富な天然資源の活用を単純に放棄したのではない。この合衆国の方針転換がアフガニスタン共和国を弱い立場に置いてしまうことは否めない。それはソ連がナジブラー博士(注13)を置き去りにして、ムジャヒディーンと個別の合意をおこなったのと同じ方針転換である。 現在、関係国の参加のもとトルコのイスタンブールで会議(注14)が開かれている。しかしその場では、パキスタン軍情報機関によって組織され支援されたタリバンの頑なな姿勢が平和の実現を難しくしている。

 タリバンとのドーハ協定に署名した、対タリバン合衆国特使であるハリルザド博士(注15)は、最近、アフガニスタンには2つの選択肢があると米国上院外交委員会で語った。 ひとつは、平和実現の機会である。そのためには当事者たちが政治的合意に達しなければならない。  もうひとつは、政治的合意に達しない場合の、長く続く戦争だ。

 ここで求められる政治的合意とは何か。現在のアフガニスタン政府はたとえ暫定政府ができたとしても、権力を引き渡す気などない。そんな政府はただ米国の圧力のもと共和国と憲法を守るふりをしているだけだからと主張する。ではどうするのか。原則としてはこうだ。タリバンが恒久的な停戦に同意さえすれば、自分たちは早期に大統領選挙を実施し、その選挙には自らの大統領候補も副大統領候補も立てない、と主張しているのだ。 1989年、ソ連撤退の様子はどうだったか振り返ってみよう。まずとにかくナジブラー博士ら政府指導者が辞任し次に国連の後援による暫定政府が引き継ぐ、と同じ論理が喧伝された。ところがこの方策は逆の効果をもたらし、共和国の崩壊につながった。国土は無政府状態に沈み込み、首都カーブルは色とりどりのムジャヒディーン同士の色とりどりの戦いの中、完全に破壊され、約7万人もの市民が犠牲になった。この歴史の教訓は重い。

 そして今。もし暫定政権に移行したら、体制崩壊が始まり、アフガニスタンは再び内戦に陥るだろう。それだけでは済まされない。さらに悪いことに、国のいくつかの地域が中央政府の支配を離れてしまうだろう。

 イスタンブール会議での話し合いに寄せるアフガニスタン国民の希望はただひとつ。タリバンが立場を変更してアフガニスタン全土での恒久的な停戦を受け入れることである。それがあって初めて、自由な選挙に基づく政治的な合意がなされ新政府が誕生するという当然のメカニズムが機能する。それを可能にする自由選挙こそがアフガニスタン国民の不可侵の権利である。 だからこそ選挙は国際社会によって監視されなければならない。アシュラフ・ガニー博士(注16)は二度と大統領選挙に打って出るべきではない。そして選挙後、次の段階として政府がアフガニスタンの恒久的な中立、アフガニスタン内政への他国の不干渉、そしてアフガニスタン国内にはテロリストやテロ集団が永遠に存在できないと決定し宣言することが肝要である。 全国土で経済の再建と産業の発展を促進しよう。その際の重要なステップは、いうまでもなく、平和が実現したアフガニスタンへ各国からの投資をうまく誘い、経済援助を引き出して再建に貢献させることである。アフガニスタン情勢は非常に複雑である。しかし、近隣諸国や主要国がアフガニスタンの平和確保を誠実に意図すれば時を待たず、間違いなく平和が訪れるであろう。さもなければ、アフガニスタンの危機は続き、周辺地域ばかりか世界中の国ぐにによからぬ影響を与え続けることだろう。

(原文は英語、日本語への翻訳は野口壽一)


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(以下、野口による注)

(注1)「ホラーサーン」:
現在のイラン、アフガニスタン、トルクメニスタンなどを含む広大な地域で13世紀初めにモンゴルによって支配されるまで幾多の民族の興亡を繰り返しつつ存在したシルクロードの主要路、十字路となっていた広範な地域および国家。現在はイラン東部の州の名称。過激なイスラム集団である「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)が一時アフガニスタンやパキスタンでこの名称を使用していたことがある。

(注2)「19世紀の1841年と1879年、さらには20世紀の1919年にイギリスはアフガニスタンを侵略」:
ロシア帝国南下の通り道であるアフガニスタンの支配を目的としてイギリスがアフガニスタンに対して行った3次の侵略戦争。それに対してアフガン人は抵抗戦争で応え3度ともイギリスを敗北させた。アフガニスタンをめぐるロシアとイギリスの確執はグレート・ゲームとして有名。アフガニスタンをロシアとの緩衝地帯にするためイギリスが主導して英領インドとの国境を定めたデュランド・ラインはアフガニスタンの主要民族であるパシュトゥーン人の生活圏を分割するものであったため、アフガニスタン問題の解決を難しくしている主要な要因のひとつとなっている。

(注3)「1979年にはソビエト連邦が」:
当時、アフガニスタンで進行中のアフガニスタン四月革命(1978年4月~)を主導するアフガニスタン人民民主党(PDPA)政権内部の対立が極限にまで達し、政権は存亡の危機にたっていた。それまでソ連は革命政権へ政治・経済・社会的支援を行っていたが、1979年12月下旬、PDPA派内の要請に応じ軍事的支援に踏み込んだ。それに対してアフガニスタン国内では革命に反対して武力抵抗を行っていた勢力(ムジャヒディーン)がパキスタンやアラブ諸国、西側諸国の支援を得て、アフガニスタンを舞台にしたソ連への反侵略戦争、PDPA軍との内戦が激化していった。この間の事情については下記に詳しい。
 ・『新生アフガニスタンへの旅―シルクロードの国の革命』(野口寿一、1981年、群出版)
 ・『アフガン戦争の真実 米ソ冷戦下の小国の悲劇』(金成浩、2002年、NHKブックス)

(注4)「2001年にはアメリカ合衆国が」:
2001年3月11日に起きたアメリカ合衆国への同時多発テロの首謀者ウサーマ・ビン・ラーディンをかくまっているとして、2001年10月に米英など有志連合によって行われたタリバン政権に対する戦争。米軍は同年12月7日にカーブルを制圧したがビン・ラーディンをとらえることはできず、以来、今日まで米軍と有志連合はタリバン政権に代えてつくったアフガン政権とともにタリバン掃討戦争を行ってきた。なお、アメリカは、2011年5月2日、パキスタンの潜伏先でビン・ラーディンを殺害したと発表した。

(注5)「アフガニスタンに国境を接する国ぐにが送り込んできたこの便利な道具」:
「この便利な道具」とは、直接的には両陣営が利用しあるいは繰り出した「傀儡政権」と「反政府ゲリラ」をさしているが、一方でアフガン戦争は米ソ冷戦下での核兵器を除く近代兵器の試験場であった。ソ連軍とPDPA軍は地雷や重火器や戦車だけでなく爆撃機、スカッドミサイルまで実践で頻繁に使用したし、ジャララバード戦(1989年6月)ではレーザー砲オレガンまで投入している(『わが政府 かく崩壊せり』p.95、アブドゥル・ハミド・ムータット著、2018年、Barmakids Press)。一方、ムジャヒディーン側もゲリラ戦にもちいられる地雷や火器類だけでなく、スティンガーミサイルを始めとする強力な武器を米軍から供与されていた。米軍はアフガニスタンにドローン爆撃機や地中貫通弾や劣化ウラン弾などを持ち込んだ。アフガニスタンが近代兵器の試験場または武器の在庫一掃市場といわれたゆえんである。

(注6)「ジャララバード戦の恐るべき戦果」:
ソ連軍がアフガニスタンから完全撤退した1989年2月以降、アフガニスタンの主要な都市(ジャララバード、カンダハール、ヘラート)を陥落させればナジブラー政権は崩壊するとの見通しの下、米軍、パキスタン軍、ムジャヒディーン側は、ジャララバードを皮切りに一斉攻撃をかけようとした。しかし、3月8日の本格的攻撃開始に対してアフガニスタン政府軍は激烈な防衛戦を戦い切り、6月19日に勝利を宣言した。ジャララバード攻防戦でのゲリラ側死者は、2万9000人に及んだといわれている、この死者数はソ連軍10年間の全死者数1万3833人の2倍以上だった。(『1989年のアフガニスタン』深町宏樹、1990年、アジア動向年報1990年版)

(注7)「崩壊に直面した不安定な経済状況にあったソ連」:
1985年、ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフ氏は停滞していたソ連の再建をめざして内政ではペレストロイカ(改革)とグラースノチ(公開)、外交では新思考外交をとなえて米ソ冷戦の終結をめざしたが、アフガニスタンでの戦況は芳しくなく、苦境に陥っていた。(この間のアフガニスタン政府とソ連政府の関係は前掲書『わが政府 かく崩壊せり』に詳しい。)ソ連は1992年12月、建国74年にして崩壊した。

(注8)「敵対するムジャヒディーンと連携するという卑劣な裏切り行為に打って出た。」:
ソ連の軍と政府は、アフガニスタンからの安全な撤退のためにパキスタンを拠点とするムジャヒディーンやパキスタン側と秘密交渉を活発に行った。国内で反政府活動を展開していたアフマド・シャー・マスード司令官との秘密交渉を担当したムータット氏はゴルバチョフ書記長(当時、のち大統領)のマスード氏宛親書を届ける秘密活動を前掲書で詳細に記している。

(注9)「最終的に、舞台裏の取引の結果、アフガン政府は崩壊し権力を放棄して、今に至っている。」:
前掲書『わが政府 かく崩壊せり』に詳細が記載されている。一読をお薦めする。

(注10)「モスクワ会議」:
ここ数年、ロシアは、アフガニスタン問題の平和解決に向けてさまざまなレベルでかかわってきたが、今年に入って活動をさらに活発化させてきている。3月18日のロイターは連続して開かれた4カ国会議(この場にアフガン人も招かれた)を次のように報じている。 「[モスクワ 18日 ロイター] – アフガニスタンの和平に関する協議が18日、モスクワで開かれ、ロシアと米国、中国、パキスタンの4カ国はアフガン政府と反政府武装勢力タリバンに対して直ちに停戦するよう呼び掛けた。 会議後に『われわれ4カ国はこの転換点において双方が対話し40年以上に及ぶアフガン内戦に終止符を打つ和平案に合意することを求める』との声明を発表した。 声明は、紛争当事者に暴力を抑制するよう訴え、タリバンに春と夏に攻勢をかけないよう求めた。また和平合意が成立すれば、4カ国は政治・経済的支援を行うと約束した。 米国は今回、ロシアが主催する会議に初めて代表を送り、ハリルザド・アフガン和平担当特別代表が出席した。米主導の和平プロセスに関係国の支持を求める姿勢を鮮明にした。」

(注11)「上海協力機構」:
中華人民共和国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・インド・パキスタンの8カ国による多国間協力組織、もしくは国家連合。上海で設立されたため「上海」の名を冠するが、本部(事務局)は北京。アフガニスタンはオブザーバー。

(注12)「ドーハ4項目合意」:
公益財団法人中東調査会のまとめによれば「2020年2月29日、ドーハにおいて、米国・ターリバーンが和平取引に署名した。米国は2018年9月にアフガニスタン情勢に通暁するザルマイ・ハリールザード(アフガニスタン出身で元駐アフガニスタン米大使)を和解担当特別代表に任命し、それ以来、ターリバーンと11回以上にわたり協議を重ねた。2月22日から、7日間の暴力削減を経て今回の署名に至った。 米国・ターリバーン間の和平取引の概要は以下の通りである。 包括的な和平合意(原文ママ)は、(1)テロ対策、(2)米軍撤退、(3)アフガニスタン人同士の協議、(4)停戦の4点を含む。(4)停戦は、アフガニスタン人同士の協議においてアジェンダとなる予定である。4点は相互に関連し、ここに合意された期限と条件に基づき履行される。」(中東かわら版、2020/03/02公開)

(注13)「ナジブラー博士」:
ムハンマド・ナジブラー(またはナジ―ブッラー)大統領(当時)のこと。 「博士(ドクトル)」はアフガニスタンの敬称。ちなみに技術者や戦闘現場指揮官には名前の前にはそれぞれ「エンジニア」や「コマンダー」などをつける。

(注14)「トルコのイスタンブールで会議」:
4月20日のロイターは本会議について「アフガン和平会議、ラマダン明けの5月中旬以降に延期 トルコ発表」として次のように報じている。 「[アンカラ/カブール 20日 ロイター] – トルコのチャブシオール外相は20日、同国のイスタンブールで24日から開催予定だったアフガニスタン和平に向けた関係者会議をイスラム教のラマダン(断食月)明けの5月中旬以降に延期すると明らかにした。 米国が9月11日までにアフガン駐留米軍の撤退を表明したことを受けて、トルコ、カタール及び国連の主催で反政府武装勢力タリバンとアフガン政府の合意を早期に実現させるため、双方が参加する会議が予定されていた。 チャブシオール氏は、テレビ局ハバールテュルクに対して、準備に関する問題で延期が決まったと述べた。タリバンが参加に合意したかどうかには言及しなかった。 アフガン政府は、この件に関してコメントを控えている。タリバンのスポークスマンはロイターに対して、延期に関する情報は何も得ておらず、ラマダン明けの会議の日程に関して何も言えないと述べた。 タリバンは以前、アフガンから外国駐留軍が全て撤退するまでいかなる首脳会議にも参加しないとの意向を示していた。米国とタリバンは昨年、5月1日までの外国軍撤収で合意していたが、バイデン大統領は先週、撤収期限を延期した。」

(注15)「ハリルザド博士」:
トルコ・ラジオ・テレビ協会のオフィシャルサイトTRT.netは、「ハリルザド米アフガン特使、『アフガンで和平は今なお可能』」として次のように報じている。(2021年4月28日) 「アメリカ・メディアのニュースによると、ハリルザド特使は、アメリカ合衆国上院外交委員会で演説し、アメリカが軍の撤収を決定したアフガニスタンにおける状況について見解を述べ、 『アフガニスタンで、和平は今なお可能だ』と語った。 ハリルザド特使は、アフガン人の前には2つの選択肢があると述べ、それは交渉を重ねた政治的和解であるか、または長い戦いであると語った。 ハリルザド特使は、昨年タリバンとの間で結ばれた合意には、アフガニスタンからのアメリカ軍撤退の際の、アメリカに属する傭兵の撤退も含まれていると述べた。 アメリカは、撤退したアメリカ軍の代わりとなる傭兵を雇う際にアフガン政府を支援すると述べたハリルザド特使は、2001年9月11日のテロ攻撃に触れ、この攻撃を招いた『テロリズム』の脅威は現在、他の地域に移っていると話した。 ハリルザド特使は、将来的にタリバンも含め、何らかの政府への支援は条件付きとなると述べ、 『もし国際社会でアメリカからの支援を受けることが承認されるよう望むのであれば、それらは全て、自国民、まずは女性、子ども、少数派に対する振る舞い方次第だ。政府が転覆させられたり、タリバンが政権を掌握したりするとは信じていない』と語った。」

(注16)「アシュラフ・ガニー博士」:
モハンマド・アシュラフ・ガニー・アフマドザイ、1949年5月19日生まれ。 現アフガニスタン・イスラム共和国大統領。2014年4月のアフガニスタン大統領選挙には第一副大統領候補アブドゥルラシード・ドーストムとともに出馬し、決選投票の末に得票率56.44%で当選。カーブル大学元学長。ベイルート・アメリカン大学を卒業し、コロンビア大学で人類学博士号を取得。 ソ連軍侵攻以前はカーブル大学で教えていたが、侵攻後アメリカへ移住。ジョンズ・ホプキンス大学などで教鞭を執った後、1991年から世界銀行勤務。アメリカによるタリバン政権打倒の後、カーブルで暫定行政機構が発足するのに伴って帰国。ハーミド・カルザイ大統領の暫定政権で財務相。

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