Causes of the failure of the US occupation of Afghanistan in 20 years<4>
アフガニスタンの現状は三文役者の田舎芝居
Afghanistan current situation is a by-product of crooked playactors
ファテー・サミ (Fateh Sami)
2021年10月12日 (12 October 2021)
カタールの首都ドーハでの2年におよぶ舞台裏での会談の後、ターリバーンは、米国とパキスタンの合意により無抵抗でカーブルに入城し、カーブル宮殿を彼らの本部にしてしまった。ターリバーンを権力の座につけさせるにさいし、国内外の関係者が重要な役割を果たした。
ザルメイ・ハリルザド(Zalmay Khalilzad)、アシュラフ・ガニー(Ashraf Ghani)、ハーミド・カルザイ(Hamid Karzai)の3人は、アメリカの傀儡政権に対するライバルとしてターリバーンの強化を直接間接に支援し、ついに傀儡政権を終わらせた。彼らの陰湿な行動こそが現在の混乱状況を作り出す原因であった。それぞれが政権崩壊への道筋をわざと整えて、20年後に再びテロリストグループであるターリバーンへ権力を引き渡す茶番劇において重要な役割を演じた。
国内外のほとんどのアフガン人アナリストや思想家は、20年におよぶ米国のアフガン占領の失敗には、ザルメイ・ハリルザドがほかの誰よりも責任があると信じている。ボン会議から政権崩壊までの詐欺的な役割について、ハリルザドがアメリカ当局、議員らに返答する時が来た。彼こそがボン会議の前からアフガニスタン問題の主要なプレーヤーだった。その行動と誤てる助言、そしてテロ集団であるターリバーンへの部族愛により、ハリルザドは国を血の海に沈め、死と荒廃を引き起こした。
ハーミド・カルザイが率いる暫定政府の創設においてハリルザドは重要な役割を果たした。すなわち、いわゆる大統領選挙ではカルザイとアフマドザイ族を支持し、憲法草案にも口出しして発布直前に書き直させた。またターリバーン内のバラダル・カンダハリ師(Mullah Baradar Kandhari)の一派と秘密裏に交渉したのも彼だ。その結果カタールで和平交渉を始めそれを継続するに当たっては、5,500人のターリバーン犯罪者を刑務所から釈放することが前提条件だといつも言い張っていた。
暴露された悪魔の素顔
● ザルメイ・ハリルザドは、米国特使としての立場を乱用して米政府を誤りに導いた。自らの民族的人種的傾向に基づく意見をホワイトハウスおよびアフガン問題に関して意思決定する機関に押しつけた。ハリルザドはこのゲームを、うそつきないかさま師としてプレーし、数々のトリックとペテンを働き、ロビー活動と介入を専らとした。結果、5500人の危険きわまりないターリバーン犯罪者の釈放への道を整えることに成功した。人道に対する恐ろしい犯罪者連中の釈放、である。こうして囚人を刑務所から解放しターリバーンの兵力を強化し国軍との遭遇戦における戦闘能力を高め、さらに和平交渉の場ではカーブル政権のライバルとしてターリバーンを確固たる地位につかせようと企んだ。
ザルメイ・ハリルザドが裏切りと悪意に満ちた後付けごまかし野郎であることは知られている。彼は舞台裏で秘密交渉の結果ターリバーンと合意しアフガニスタンをその手に引き渡す道を整えた。ターリバーンはパキスタンの召使いで手下なのに。そのためアフガン国民はこのがんじがらめ状況に放り込まれてしまった。平和特使としての任務に失敗したためにハリルザドは辞任したが、米国のアフガニスタン政策を空回りさせすべてをカオス状態に陥れた責任は免れない。米国は結局失敗し世界に恥をさらしたのだから。
彼は今になって、自分は意思決定者ではなかった、今の状況はより高位のアメリカ人すなわちアメリカの政権担当者に責任がある、と恥知らずにも主張している。
しかし、ハリルザドがアフガン問題の平和的解決についてターリバーンと2年も話し合っていながら、アフガン国民に情報をまったく伝えなかったことが問題なのだ。愛国的な国会議員たちですらターリバーンとの秘密契約には気づいていなかった。
● アメリカ人によるでっち上げ選挙で祭り上げられ、あげくのはてに逃亡した元大統領アシュラフ・ガニー・アフマドザイはザルメイ・ハリルザドと多くの共通点がある。どちらもベイルート大学の学生であり、アフガニスタンミラト党としても知られるアフガン民族党のメンバーだった。また当時はベイルート大学の無神論者協会のメンバーでもあった。二人はパシュトゥーン人ギルザイ族に属し、米国で何年も過ごしたが、民族的偏見にとらわれていた。子供の頃から、どちらもアフガニスタンの他の民族や住民に対する偏見と差別を持って育った。
アシュラフ・ガニーとザルメイ・ハリルザドはどちらも世論をかわす上で明らかな役割を果たした。米国のアフガニスタン特使としてハリルザドは、舞台裏の会談でパキスタンと協力してターリバーンに妥協を求めていた。この任務において、ハリルザドはパキスタンがつくったターリバーンの政治的および軍事的立場を大幅に引き上げ、潜在的な勢力として浮上させた。アシュラフ・ガニーもハリルザドと協力して、ターリバーンに対する軍事作戦を禁止し、ターリバーンの陣地への軍事攻撃を妨げた。またガニーが軍団や駐屯地の責任者として任命したのはターリバーンと民族、思想、言語を共有する傾向を持つ司令官たちだった。刑務所内で彼はターリバーンのテロリストを強くし、おだやかに育成する雰囲気を提供した。彼はセクシーな夢を語り実行して国民をたぶらかそうとしたが、その道化ぶりはアフガニスタン国民にとっては単にお笑いぐさで、最後は国から逃げ出した。
● ハーミド・カルザイは第五列の長として、ターリバーンを強化し、装備し、思いやる役割を果たしたもう一人の人物だ。カルザイはハリルザドと図って不正選挙でガニーを大統領にし、最後は見限って追放する際に主要な役割も担った。またアフガニスタンで広範な汚職を導く彼は、米国の悪評の原因である。彼の在職期間中、数百万ドルがあるドアから寄付されると次には別のドアから消えた。その結果、人びとは貧困と悲惨、不安、そして困難に陥れられた。
● もうひとりの傭兵は、若いころから心にもないイスラーム政府のスローガンを叫び続け、カーブル市民だけで十万人をも殺した男だ。彼はカーブル市の南に位置するチャール・アシヤブやライシュカール地区からロケットを雨あられと撃ち込んだ。そのためロケット・マンのあだ名がついたグルブディン・ヘクマティアール(Gulbuddin Hekmatyar)がその男である。彼はISIの頼みの綱であり権力を獲得するためには犯罪を犯すことも辞さない。
彼はある時はISISに共感し、ある時はターリバーンを擁護し、ある時にはテロリストの味方となった。
ヘクマティアール氏は、前アフガニスタン人民民主党(PDPA)の共産主義者グループと密接な関係を保っている。そのグループはナジブラー政権下でクーデターを企てたが失敗しISIに投降したシャーナワゼ(Shahnawaz)将軍の一派だ。グルブディン・ヘクマティアール、ハリルザド、ハーミド・カルザイ、アシュラフ・ガニーの4人は皆、同じ民族、同じ言語集団に属しており、専門知識、スキル、特技に基づいてすべての民族から構成される広範な行政などというものは信じていない。彼らは、同民族・同言語にこだわらず、すべての人びとを代表する政府という考えを原則として持ちあわせていない。イスラームの主張は彼らの民族主義を隠す仮面にしかすぎない。
ヘクマティアールは、平和の美名でカーブルに入って以来、何百人も暗殺した。殺されたのは軍隊、政治家、ジャーナリスト、大学教授、穏健な聖職者、平和活動家で、おもに非パシュトゥーン人だ。パキスタンとアフガニスタンの信頼できるオブザーバーによると、ヘクマティアールグループは、パキスタンに逃れた最初の日々から今日までパキスタンの諜報機関の指導のもと、パキスタンで訓練を受け続け、暗殺と脅迫に関する特異なスキルを会得しているのである。
つづく…..