The US and ‘defeat’ in Afghanistan

Asadullah Keshtmand, a former member of the central committee of the People’s Democratic Party of Afghanistan

本当に「テロリズムとの戦い」がワシントンの目標だったのだろうか。それともその侵略は他の目的を覆い隠すための煙幕だったのだろうか、と、元PDPA(アフガニスタン人民民主党)中央委員のアサドゥラー・ケシュトマンドは書いている。
(出典:https://liberationorg.co.uk/comment-analysis/the-us-and-defeat-in-afghanistan/)

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ここのところ、ほとんどの人がアメリカはアフガニスタンで敗北したと語っている。しかし失敗の単純な定義すら示されていない。

私の意見では、敗北をただの軍事用語で語ることはできるが、それだけでは十分ではない。

敗北とは終極の狙いが達成されたかどうかで定義すべきものだと思う。

もしアメリカの狙いが本当にアフガニスタンでテロリズムと戦うというものであったとするならば、確かに、現状は失敗だったというべきだろう。

しかし、そのような闘いは遂行されなかったので、設問は戦場での勝ち負け問題に収束してしまう。

2001年にターリバーンを瞬く間に敗走させたその米国が、今日、以前より少数のターリバーンに対して無力であり続けた事実をどうすれば受け入れることができるだろうか。ターリバーンはアメリカ軍に対して直接の戦闘で打撃を加えることなどなかったのに。

多くの要因に注意を払う必要がある。それをしなければ、現状を完全に把握することはできない。

それらの要因とは、混乱と緊張に陥れたアフガニスタンを軸に中央および南西アジアの全領域を不安定にする、というアメリカの隠された政策に起因している。

アメリカの本当の目的はテロリズムと戦うことだったのか、それともその侵略は他の目的を隠すための煙幕だったのか、という質問は正当なものだ。もしアメリカの目的がそのような種類のテロリズムとの戦いであったとするならば、なぜテロリズムの主要な発生源であるサウジアラビアを第一のターゲットにしなかったのか。

テロリズムと戦うという口実でアフガニスタンを占領するのは矛盾していと見られる。

さらに、過激で原理主義的なイスラーム主義の形をとったテロリズムを米国そのものが生み出したこと、そして1970年代末以来、アフガニスタンがその大規模な実行場所になったと主張しても突拍子なこととは言えないだろう。

アフガニスタンにおける20年間の米NATO軍の存在を注意深く評価すれば、2001年のターリバーンの転覆を除いて、ターリバーンと米NATO軍との間に実際の戦争はなかったと結論づけることができる。つまり、米国がターリバーンに軍事的に敗北した事実はない。

ターリバーンが米軍を打ち負かそうとした「戦闘」は20年におよぶアメリカのアフガン占領を正当化するための欺瞞にすぎない。

実際、ターリバーンが米国に正面から対峙し攻撃しえたことなどない。米軍駐留期間中、ターリバーンは主に米・NATO軍の主要基地から離れた場所での妨害活動と爆破を主に行ってきたにすぎない。

これまで支援してきたカーブルの傀儡政権を見限りターリバーンをその確かな代替案にするという米国の策動によって、ターリバーンが国の大部分を迅速かつ労せずして占拠できたのだ、とアフガニスタンの多くの人びとは今日信じている。

したがって、すべてが起こってしまった後に、米国の敗北や失敗についてあれこれ言うべきではないが、アフガニスタン政策の変更についてなら話すことができる。

世界の多くの人びと、特にアフガン人にとって、米国がアフガニスタンでテロリズムと戦ったという考えは受け入れがたい。アフガニスタンでの米国の目標は、決してテロリズムとの戦いではなかったのだから。

それどころか、20年におよぶ米軍のアフガニスタン占領の結果は、テロリズムと原理主義を前例のないほどに強化し、それらを以前のイレギュラーな動きから実際のアクチュアルな動きに変えたことだった。

アフガニスタンに関する米国の目的に疑問を呈するならば、現実の積み重なりを通して見える別の目的を示す必要があるだろう。

そのためによく信じられているのは、15万人以上の米軍が過酷な自然環境の国に連れてこられた本当の理由はアフガニスタンの戦略的価値のためだという考えだ。

米国によるアフガニスタン占領の主な目標は、それをハブ化してイスラーム原理主義を輸出しこの領域に緊張を生み出すこと、そして伝統的な米国の敵、すなわちイラン、ロシア、中国を弱体化させることだった。

この点で、米国はその核心的な目標を達成しているのであって、アフガニスタンでの20年間のプレゼンスにそれほど不満を抱くべきではない。

イラン、パキスタン、中国、中央アジア諸国にはさまれたアフガニスタンの戦略的な位置と、ロシアへの近接性を考慮して、米国は、この領域を不安定にするために、アフガニスタンを混沌とし緊張した一触即発の爆心地に変える必要があった。

米国は、この国を占領し、ターリバーンなど、今日の文明世界の支配から遠く離れた過激派、狂信的、原理主義的、暴力的、専制的、そして好戦的な勢力を育成することによって、アフガニスタンを紛れもなく紛争で燃えさかる中心地にしてしまった。

そうすることで、米国は、この領域に複数の敵対的な流れを引き込むのに必要な緊張の種をまき、私たちの領域を大きな混乱が発生する地域にしてしまった。

そうして、この領域の国々は、米国とのより広範な衝突よりも、自国に近い脅威への対処により多く忙殺されることになるだろう。

また米国によるアフガニスタン占領とは、新自由主義資本主義システムを実際的および理論的に強化し、放埓な資本主義ではないそれ以外の道をたどりたいという人びとの希望を力によって放棄させることだったとも言える。

アフガニスタンで長年にわたって形成されていた混合経済インフラストラクチャの最後の残り物までが破壊された。アフガニスタン人民民主党(PDPA)が主導する政府の下で12年以上にわたって成長し、拡大してきたにも関わらず。

もちろん、これはアフガニスタン社会の階級構造に変化をもたらし、寄生的なブローカー+請負業者の面々が現在のシステムの中心に踊り出て、民主的変革を行う際の主要な障害となっている。

階級間の亀裂は拡大してしまい、今日、人口の60%以上が貧困線以下で生活し、アフガン社会は崩壊しつつある。

米国の政策および米国が口出しした政策に基づいて、広範な措置が講じられ私たちの社会は変わってしまった。

アフガニスタンに手本を示し、規則と規制で縛って、暴利をむさぼる無情な資本主義を力づくで押しつけたことで、一般国民は互いに敵対しあうようになった。

人々は苦しみ、われわれの社会の伝統と慣習の中で高く保ってきた貧しく不幸な者を助けて支えるという概念すら、悲痛な凶暴さと鈍感に取って代わられるほどだった。

過去20年間に醸し出されたこの雰囲気は、現在の社会のありようから自然に生まれ出てくるはずの社会正義の希望をむしばんでしまった。

過去20年間のアフガニスタンおよびその他のイスラーム諸国での、アメリカの振る舞いを一瞥すれば、アメリカはターリバーンのようないかなる極端派グループとも倫理的な確執を持っておらず、反動的な道徳的規範、女性蔑視の実践、民族-宗派間の憎悪、現代思想や寛容の文化に対する敵意などに対して、それらが米国の利益と衝突しない限り、いともたやすく譲歩し妥協できることがわかる。

米国がアフガニスタンで失敗したことは間違いない事実だ。しかし、この失敗は、最近、世界が感じた失敗とは別の種類のものだ。

米国はアフガニスタンで道徳的失敗に苦しんできた。この道徳的失敗は、ただ私たち国民を残忍に殺害したことだけではなく、テロリズムと戦うためにアフガニスタンに来たというアメリカの目的を具現化せず放り出し、米国の対アフガン政策の整合性に関して国際世論を納得させられていない現実にある。

米国の失敗はまた、アフガン占領すべての側面が曖昧で不明確なままであるという事実にある。

政策だけでなく、行動も曖昧だ。

敵と味方の区別が不明瞭で、民主主義の制度化や表現の自由などの米国のマクロ計画も不明瞭だ。

米軍基地にも大きな曖昧さが残っている。

ターリバーンと米国代表ザルメイ・ハリルザドの間で2020年2月に署名されたドーハ合意では、米国はアフガニスタンからの軍隊の撤退に加えて、9つの基地のうち5つを閉鎖することになっている。

米国がアフガニスタンに建設した軍事基地の数、いま維持されている軍事基地の数、およびそれらがどこにあるかは誰も知らない。

アフガニスタンと米国の間で署名された安全保障協定によると、あらゆる状況下で米国はアフガニスタンに介入する扉をまだ開いており、その協定を今後どうするかはまったく不確実で、ドーハ会談では意図的に議題化されなかった。

その結果、アフガニスタンにおける米国の方針が隠蔽されて不明瞭だったため、アフガン人は疑心暗鬼となり、耐え難いほどじらされてしまった。

今日、アフガニスタンの国民は地獄に落ちる絶壁に立っていることに気づいている。今日のターリバーンは昨日のターリバーンと同じなのか、それとも世界が大きく変化したように彼らも変わったのだろうか?

この質問は、しばらくして何が行われるかによって答えが出るだろう。見通しは良くない。

最近、衆目の増大によってターリバーンに命令が出されたため、それほどひどくない普通の忍耐強い人びとだという見方が出てきた。

だがターリバーンの残酷な行為によって、この一時的な忍耐の化けの皮は徐々にはがれつつある。

わが国民にとって、非常に困難な日々がつづくだろう。

アフガニスタンでの事象に大きな影響を与えてきて、これからも長いあいだ関係するであろう米国は、この状況にどのように対処するのだろうか。

米国は、地獄の門がアフガン人に向けて大きく開くことを許すのすか、それとも新しく同盟を結び米国の言うことを聞くターリバーンに、少しは抑制しろと呼びかけるのだろうか? それは時間だけが教えてくれるだろう…

(新聞『モーニング・スター』からの転載)

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(WAJ注:氏は1949年カーブル生まれ。フランスで農業を学んだ元アフガニスタン人民民主党中央委員会メンバー。アフガニスタン人民民主党中央委員会の国際関係部の元副局長。ハンガリー、イラン、エチオピアの元アフガニスタン大使。現在、在ロンドン。本サイト『ウエッブ・アフガン』で先に掲載した「いまこそ連邦制を真剣に!」(https://bit.ly/3r7EihH)の論者スルタン・アリ・ケシュトマンド氏は実の兄)

 

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