カルザイ「混乱を回避するため、ターリバーンを招き入れた」
以下は、キャシー・ギャノン(Kathy Gannon:AP通信ニュースディレクター。30年以上にわたりアフガニスタン/パキスタン地域を取材)によるアフガニスタン元大統領ハーミド・カルザイ(Hamid Karzai)氏へのインタビューである。
出典は下記の通り。
原表題:The AP Interview: Karzai ‘invited’ Taliban to stop chaos
URL:https://apnews.com/article/afghanistan-police-middle-east-taliban-ashraf-ghani-438230aa716f175cc35d3506d727f8b3?utm_source=dailybrief&utm_medium=email&utm_campaign=DailyBrief2021Dec16&utm_term=DailyNewsBrief
短縮URL: https://bit.ly/32k8b4g
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2021年12月15日
カルザイ元大統領へのAP通信インタビュー
「ターリバーンはアフガンの首都を奪ったのではない、彼らは招待されたのだ」と招待状を送った男は語った。
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AP通信のインタビューに答えてハーミド・カルザイ(Hamid Karzai)元アフガニスタン大統領は、アシュラフ・ガニー(Ashraf Ghani)大統領の秘密裡で突然の出国や自分がターリバーンを首都に招き入れた経緯について初めて考えを語った。 「(ガニー大統領の国外への脱出は)国民を守るためだった。さもなければ首都は混乱に陥り、国家や商店が略奪されるという望まれぬ事態になっただろう。」
ガニーが去るとき彼の警護員らも去った。カルザイはビスミッラー・カーン(Bismillah Khan)国防相に政府にいま誰が残っているかを聞いたが、答えは誰も残っていないということだった。カーブルの警察署長さえも雲隠れしていた。そのとき国防省はカルザイにカーブルを去りたいのかと尋ねさえした。
9・11攻撃の後最初にターリバーンが排除されてから13年間大統領を務めたカルザイは逃亡を拒否した。
並木に囲まれた街の中心部にある家で妻と幼い子供たちと一緒に住んでいるカルザイは、広範囲に及んだインタビューで、ガニーの逃亡がターリバーンのカーブル入城にあわせた土壇場の計画を台無しにした、と断定した。カルザイと政府の首席交渉官であるアブドラ・アブドラ(Abdullah Abdullah)は、ドーハのターリバーン指導部と協力して、統制された条件下でターリバーン兵が首都に入ることを許可する合意にたどりつくべく交渉を重ねていた。
ターリバーンが政権を握る前日の8月14日、合意成立へのカウントダウンが始まった。
カルザイとアブドラはガニーと会い、連合政府協定の交渉をするため他の15名のリストを持って翌日ドーハに向けて出発することに合意していた。ターリバーンはカーブルの郊外に布陣していたが、カタールにいる指導部は、合意が成立するまで反乱軍は首都外に留まると約束していたとカルザイは述べた。
8月15日の早朝、リストが作成されるのを待っていたとカルザイは述べた。首都はざわついており、ターリバーン来襲の噂でもちきりだった。カルザイはドーハに電話した。ターリバーンは首都入城しない、という返事だった。
正午、ターリバーンが電話してきた。「政府は持ち場を離れるな。動くな。ターリバーンは入城しない」と。さらにカルザイは次のようにつづけた。「われわれは各担当者を説得した。その結果、そう、ほっとしたんだ。米軍と政府軍は部署をしっかり守り、政府が倒れることはないと。これが事実だ。」
しかし午後2時45分頃には、ガニーが市内から逃げ出したことが判明した。カルザイは内務相に電話し、国防相に電話し、カーブル警察署長を探した。誰もいなかった。「首都には役人がまったくおらず、警察署長も軍団司令官も他の部隊もいなかった。皆逃亡していた。」
ガニーの護衛ユニット副長官がカルザイに、宮殿に来て大統領職を引き継いでくれと電話してきた。しかし彼は自分には法的な権限がないと言って断った。代わりにカルザイは、「アフガン国民に私たち全員がここにいることを知らせるために」自分の子供らを傍らに置いて、テレビメッセージを作って公開することにした。
ガニーがカーブルに留まっていれば、平和的な政権交代の合意ができただろうとカルザイは確信していた。
「絶対に。絶対に。これこそわれわれが準備していたことであり、和平評議会議長(訳注:アブドラ)と一緒に、その夜または翌朝ドーハに行き、合意を締結することを望んでいた。ターリバーン指導部も、同じ…目的のために、ドーハでわれわれを待っていたはずだ。」
今日現在、カルザイはターリバーンの指導者と定期的に会い、世界は彼らと関わりを持たなければならないと言っている。同様に重要なのは、アフガン人が一緒にならなければならないとも言う。そして、戦争は40年以上続いており、過去20年間は、「全アフガン人が苦しんできた。アフガン人は敵味方なく命を落とした…アフガン軍もアフガン警察も、そしてターリバーンの兵士たちだって苦しんだ」と。
そして、「アフガン人が一緒になってこそ、最後の解決にたどりつける」と彼は語った。
元大統領にはある考えがある。ターリバーンとの会談のさい、彼はアフガニスタンが君主制だったときの憲法を一時的に復活させる案を提唱した。このアイデアは、ドーハ会議でも浮上したことがある。
同時に、伝統的なローヤ・ジルガ(女性を含むすべてのアフガニスタン人の大評議会)を召集し、政府の構成、憲法、国旗を含む国の将来を決定することだ。
ターリバーンが彼の提言を受け入れる兆候はないが、議論の際、彼の案を拒否はしていないと彼は言う。ジルガは何世紀にもわたるアフガン人の意思決定の伝統であり、ターリバーンのバックボーンを構成するパシュトゥーン人の間で特に支持されている。
同氏は、将来のアフガニスタンは少年少女に普遍的な教育権を与えなければならず、女性は「アフガニスタンの政体、行政、経済活動、社会活動、政治活動、つまり全生活において活動場所がなければならない。…これは妥協の許されぬ問題だ。」と述べた。
しかし、そうなるまで、世界はターリバーンと関わりを持たなければならないとカルザイは言う。アフガニスタンは活動する必要がある。公務員には給与を支払わなければならず、医療施設は稼働させなければならない、と。
「今、彼ら(外国)はできる限りの形で(アフガン)政府と協力する必要がある」とカルザイは言う。さらに(外国)は、ターリバーンとの接触を恐れ、時には間違った認識をしていると嘆いた。カルザイは、男性の同伴なしに女性と少女が家の外に出ることは許可されないとする主張を引用して次のように言った。「それは真実ではない。通りには女の子がいるし、女性だけの姿もある。」カーブル市内の状況を見る限り、これは裏付けられている。
ターリバーンについてどう思うかと聞かれて、カルザイは、「彼らはアフガン人だが、他のすべてのアフガン人が過去40年間経験してきたのと同じく、非常に困難な人生を経験してきたアフガン人だと言おう」と述べた。
私たち「アフガン人はあらゆる面で過ちを犯し、国際社会や私たちと交流した人びとも甚大な過ちを犯した。非常に困難な歴史を経験してきた。私たち全員がそれを認識し、私たち全員が犯した過ちを振り返り、それをより良くする時が来た」とカルザイは語った。