【WAJ】「タリバンは単なる悪者ではない」、権力を握った「悪者」である。だから、権力を維持したいなら変わらざるを得ない。
【スイスインフォ】2021/09/01 08:30 より
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「この20年で(イスラム主義勢力の)タリバンも変わった」とスイスとアフガニスタンの二重国籍を持つラミア・アブドゥル・ワキルさんは考えている。ワキルさんによると、アフガニスタンに対する欧米の見方は偏っているという。
インタビュアー:エミリー・リダード
本文:ラミア・アブドゥル・ワキルさんはアフガニスタンの社会主義者の家庭に生まれた。ムジャヒディン(イスラム聖戦士)が1992年に政権を掌握した時に、元外交官でアフガニスタンの大物政治家だったワキルさんの父親、兄弟、姉妹と共に祖国を離れ、スイスに避難する。ワキルさんはティーンエージャーだった。
スイスの主にジュネーブで10年暮らした後、ワキルさんはスイスに帰化し、スイス国籍を取得した。
ワキルさんは2013年、女性解放に取り組む非政府組織(NGO)のスタッフとして祖国に戻る機会を得た。1年後、スイスの国際協力事業を管轄する連邦外務省開発協力局(SDC)に入る。同局に2年勤務した後、アフガニスタンの首都カブールのカナダ大使館で1年間働く。17年に家庭の事情でスイスに戻ってきた。
swissinfo.ch:ワキルさんが数年前に再びカブールで暮らした時、街の様子はどうでしたか。
ラミア・アブドゥル・ワキル:治安は不安定で、かなり定期的に爆弾テロが起きていました。それでもカブールは、戦争状態にあった他の地域に比べれば、まだ安全です。私は13年に出身国へ戻る時、何が待ち受けているかを分かっていました。01~13年の間に4度、アフガニスタンに行ったので、実情を知っていました。安全上の理由と、私の家族の政治的な過去が現地で知られていたことから、あまり外出しませんでした。
ウェブアフガンをお送り頂き、ありがとうございます。
18年前にパキスタン北部を旅し、パシュトゥン族の人々には出
会いましたが、アフガニスタンまでは入国しなかった私はアフガ
ニスタンに関する知識はほぼ皆無です。それだけにウェブアフガ
ンに掲載されている記事の数々は本当に参考になります。
今回いろいろ学ぶ記事がありましたが、その中で「タリバンは単
なる悪者ではない」というタイトルの記事の中でインタビューに
答えているラミア・アブドゥル・ワキルさんの言葉が心に響きま
した。それは「女性の状況は治安や経済と表裏一体だと思います。
今はジェンダーの問題に取り組むべきではありません。人々は厳
しい貧困の中で暮らしています。当面は食料、住居、医療といっ
た基本的なニーズへの対応に注力すべきです。アフガニスタンの
女性は強いです。長年の苦難の中でそのことを証明してきました。
女性の利益を守るために戦い続けるでしょう。他方、都市部に住
んでいる女性たちは欧米諸国が導入したシステムの恩恵を享受で
きました。もはや後戻りはしないでしょう」です。
ワキルさんはアフガニスタンで生まれ、スイスで育ち、両国の国
籍を持つ人だけにアフガニスタンを内からも外からも冷静に判断
出来る視点をお持ちなのでしょう。確かに現在世界の目は新政権
下での女性の状況への懸念が一番強いですが、それ以上に今は国
民の厳しい寒さの中での飢えに対する支援が必要なのでしょうね。
私も太平洋戦争での敗戦後の日本の食糧危機を実体験しているの
で、飢えの辛さは分かります。飢餓のため一千万人の日本人が餓
死するのでは言われる中で、在米の日系人が中心となって支援し
た「ララ物資」や米国政府が中心になって提供した「ガリオア・
エロア基金」のお蔭で生き延びました。脱脂粉乳をお湯で溶かし
たミルクやトウモロコシの粉で作った団子とか、お世辞にも美味
しいと言えるものではありませんでしたが、少なくとも飢えを凌
ぐことは出来ました。
アフガニスタンの人々、特に子供達に対して食糧支援出来ないも
のかと思います。上記の支援の際は米国中の高校生や大学生が日
本の子供達の飢えを解消しようと、一食分の食事代を寄付したと
言われています。日本でも全国の農協や食料加工業者や外務省や
在日本アフガニスタン大使館や船会社や航空会社等の協力で早急
に食料を贈る方法はないものでしょうか?
鶴亀彰