1月23日からノルウェーの首都オスロで、ターリバーンと欧米各国との対面協議が始まった。昨年8月にターリバーンがアフガニスタンの政権を奪還して以来、代表団が欧州で欧米政府と協議するのは初めてだ。協議にはアフガニスタンからターリバーンおよび非ターリバーンの女性代表も参加した。オスロや欧州各国では協議に反対するアフガン人たちの抗議行動が展開されたが、そこからは誰ひとり招かれなかった。
この協議に関して、オスロ在住でアフガニスタンの救済と民主化のために闘っているファリダ・アハマディさんに見解を寄稿してもらった。なお、彼女の経歴は文末を参照。
あわせて、協議そのものに反対するアフガン人からの辛口の批判を『ウエッブ・アフガン』編集部で集約し、記事の後半部分に掲載した。あわせて参考にしていただきたい。
オスロでのターリバーンとの協議についての私の意見
ファリダ・アハマディ
グローバル・ハピネス・リーダー
欧州アフガニスタン難民組織外国委員会連盟メンバー
オスロ(ノルウェー) 2022年1月31日
まず、ノルウェー政府のイニシアチブでこのような会議が開催されたことを非常に嬉しく思います。女性の代表としてアフガニスタンからオスロに来て、ターリバーンと直接対話をした2人の素晴らしい女性活動家、ホダ・ハモシュとマブーバ・セラージを目にできたのは大きな誇りでした。トロテレビのディレクターであるアフガニスタンの著名なジャーナリスト、ロトフラ・ナジャフィザダも会談に参加し、ターリバーンと対決しました。私はセラージの「会議は肯定的でしたが、協議がアフガン人にとって肯定的な発展につながるかどうか、何が起こるかはまだ分かりません」との発言に同意します。会議の内容は秘密で、今後も秘密にされます。これは懸念事項です。しかし、ノルウェー代表とターリバーンとの会談は今回がはじめてではありません。2005年以来、ノルウェーはターリバーンと定期的かつ秘密裏に接触してきました。多くの場合、公認のアフガン政府への通知や同意なしに行われたのです。この事実は元駐ノルウェーアフガン大使も確認しています。このような行為は、世界舞台で、和平交渉者としてのノルウェーの評判を損ないます。
オスロ会談の後、ノルウェーはアフガン情勢について安全保障理事会で会合を主催しました。セラージは会議に参加し、アフガン女性と国民一般が苦しんでいる状況について情熱をこめたスピーチを行いました。私の知る限りでは、ノルウェーや他の西側諸国のアフガン離散者(ディアスポラ)のほとんどはオスロ会談に反対しました。オスロではディアスポラが主催して議会や外務省周辺に大勢が集まり抗議行動を行いました。にもかかわらずかつ残念ながら、彼らは直接会談に招待されませんでした。ノルウェーのディアスポラのメンバーでジャーナリストのザヒル・アタリは、ターリバーン代表団の一員としてオスロ会議に参加しているシラジュディン・ハッカニ内務大臣を逮捕するようノルウェー警察に要求しました。なぜなら彼は国際手配中のテロリストだからです。
私の意見では、アフガン国民が外国からの救済、主には国連や他の国際NGOを通じて援助を受けなければならないことは明らかです。私は、会談がそのような組織的救済の足掛かりとなり得ると信じています。そうは言っても私は他のディアスポラと同様、西側政府がターリバーンを認めないよう認識することの重要性を強調します。世界中のアフガン離散者組織と私はこの懸念を共有し、ターリバーンや西側諸国がターリバーンを正当な政府として認める手段としてわれわれ国民の飢餓と苦しみを乱用してはならないという明確な意見を持っています。
ファリダ・アフマディ
(Farida Ahmadi)
1957年 3月、カーブルうまれ。カーブル大学で医学を学ぶ。カーブルで2度投獄され、4カ月にわたってえ拷問を受けた。1982年に釈放されアフガニスタン郡部で抵抗運動に参加、同年12月にパリのソルボンヌでラッセル平和財団(戦争犯罪法廷)の活動に参加。1983年に世界中を旅して自身の投獄や拷問の経験、ソ連独裁や原理主義との戦い、女性解放運動について訴え、レーガン大統領、サッチャー首相、ローマ教皇をはじめとする権力者や団体と面会してアフガニスタンの民主化勢力への支援を求めた。1983年末に帰国し、イランやパキスタンを訪問。1991年に当時5カ月だった娘とパキスタン経由でノルウェーへ亡命し難民として生活しながらオスロ大学で人類学を学ぶ。そこでの修士論文をもとに『声なき叫び(Silent screams)』(石谷尚子訳、花伝社、2020年)を執筆。(経歴は同書より)
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ターリバーンとノルウェー代表とのオスロ会談については「トピックス」の
●2022年1月28日 <RAWA News>
アフガニスタンの女性は、反乱軍の乗っ取りから6か月後も、権利のために戦っている
●2022年1月24日 <BBC>
タリバン、オスロ(OSLO)で欧米諸国と協議開始 人権や人道危機など焦点
をご参照ください。
ノルウェーのオスロ会談でターリバーンと対峙して行方不明になっている二人の女性の写真を掲げて質問するホダ・ハモシュさん
(写真はStian Lysberg Solum)
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オスロ会談のもうひとつの側面
・ファリダさんが書いているように2005年以来、ノルウェーはターリバーンと定期的かつ秘密裏に接触してきた。公認のアフガン政府への通知や同意なしに行われている。アフガン人の多くは、この会議について、大きな怒りと非難を表明している。なぜなら、アフガニスタンの状況の悪化に長年関与してきた国(欧米)の諜報機関が、何であれ一般大衆に有益な情報を与えることなどない。これらの国々のほとんどは、長期的な経済的および地政学的な戦略目標の実現を求めているだけだからだ。
・ターリバーン代表団はプライベートジェットでノルウェーの招きでオスロに向かった。ツイッター上には批判の声があふれ、自称外相のアミール・ムッタキが「ノルウェーに人権と女子教育を学びに行く」と述べたのに対して冗談じゃない、とあきれられている。
・報道によれば、ノルウェー政府はタリバンがカブールに入る前にタリバンと連絡を取り合っていた。ノルウェー政府は、人道的協議の名の下に、正当性のないタリバンのテログループを歓迎した。タリバンの代表が立ってノルウェーへの旅行を待っているプライベートジェットの画像は、世界中の何百万人ものアフガニスタン人を怒らせ、ソーシャルメディアやサイバースペースで嫌悪感が表明された。タリバンの高位メンバーのグループは、ヨーロッパ人と女性の権利について話し合うために彼らのために予約された飛行機でノルウェーの招待でオスロに飛んだ。一方、ノルウェー内務省のチームが空港でタリバンの高位メンバーに挨拶した。訪問中、タリバンの高官は、アフガニスタンの米国特別代表であるトム・ウェスト、複数のヨーロッパ諸国の代表、オスロのアフガニスタン市民団体と会談した。タリバンチームの長はアミール・カーン・モッタキ。彼はカタールでのタリバンの交渉者だった。タリバンがオスロに到着する前に、アメリカ代表は、代表的な政治システムができれば、人道的および経済的危機、安全保障上の懸念、テロと人権との戦い、特にアフガニスタンの少女と女性の教育に取り組むだろうと述べていました。ドーハ(カタール)のタリバンとのいわゆる和平交渉の開始以来繰り返されてきた同じデマゴーグだ。
・会議に参加した女性代表もほとんどがパシュトゥーン人だった。等々。
『ウエッブ・アフガン』では引き続き、オスロ会議の意味について論究していきます。