アフガニスタンに対するメディアの注目は急速に薄れつつあるが、アフガン国民の苦悩は終わっていない。

アイシャ・ジェハンギル
2022年3月18日 The Guardian

 

アフガニスタン人は、ウクライナ人が戦っているのと同じ理由で、70年代から戦ってきたが、無視され、裏切られてきた。

アフガニスタンで何らかの代議制の政府を確立するのに、国際社会は20年の長きにおよぶ血と富という犠牲を払ったが、ターリバーンは数日でそれを打倒し、数週間もするとメディアはその話一切に注意を払わなくなった。

1月(2022年)には、マザーリシャリフ市北部のターリバーンのメンバー数名が、拘禁中の女性8人を輪姦したとされる。これらの女性たちは、外国軍の撤退を受けてターリバーンが国を乗っ取った後、国外へ逃れようとして逮捕された人びとの一員だった。

ターリバーンはこの事実を否定しているが・・・。

カーブルの友人によれば、集団レイプを生き延びた女性らは、ターリバーンから引き渡された後、「名誉」を守るため家族によって殺されたという。残りの女性らは、いまだに「行方不明」とのことだ。

ジャーナリストは戦争を広げてはいないかもしれないが、一貫性がなくこま切れの報道によって、平和を脇に追いやっている。
ターリバーンが国を乗っ取ってから7カ月と経っていないが、女子中等学校の大半は閉鎖されたままだ。

若い女性にとって高等教育の障壁はこれまで以上に高く、女性はほとんどの有給の雇用を禁止され、女性のスポーツは禁止され、女性ジャーナリストの72%以上が職を失った。

ターリバーンが権力について早々、女性省はすぐにターリバーンによって悪名高い「勧善懲悪省」に変えられ、その後、女性の旅行に一連の制限が課せられた。労働権、教育、そして健康を求める平和的な抗議行動に参加した女性は殴打され、誘拐された。ますます多くが、ただただ生きるためだけに娘を売り払っている。

しかし、国際メディアは耳を貸さず沈黙している。アフガニスタンの人びと、特に女性の窮状など聞き飽きたようだ。

ターリバーン支配下の女性の生活は、外の世界にとって理解不能な事柄ではない。しかし、国際的なメディアはますます無関心になり、ほかに注意をそらされている。

国際メディア各社のニュースルームは最初のあいだ「勝者と敗者」報道に数週間忙しくしていたが、外国軍の軍隊と請負業者が去ると、国際メディアもすぐに撤退してしまった。

アメリカがアフガニスタンを見捨てたため、国民の生活には予測された通り脅迫、テロ、投獄が常態化され、人権侵害、貧困、無国籍生活という最底の悪夢が現実であると証明された。

アフガニスタンの教室における女性教師と生徒

「希望の簒奪」:アフガニスタンの少女たちは、教育を求める闘いを押しつぶされた。

しかし、史上最長の戦争のひとつで最後に何が起きたかについて、世界に嘘をついているのはアメリカ政府だけではない。国際メディアも、情報を隠蔽し、あれほど多くの受難者の声を打ち砕いて嘘をついた。

戦争の不在は平和ではない。

ジャーナリストは戦争を広めてはいないかもしれないが、一貫性がなくこま切れな報道により平和を脇に追いやったことも事実で、それがアメリカおよび有志連合の撤退とターリバーンによるアフガニスタン支配へ結びついた。その結果、人々が注目して吟味することもなく、プロパガンダや誤った情報が世に浸透している。

そこへロシアによるウクライナ侵攻である。国際株式市場は激動し、世界中で感染をつづけるCovid-19とあいまって、戦争で荒廃したアフガニスタンを苦しめている。参政権を失い、国際メディアによって無視されたアフガニスタンの人びとは声と希望を失って苦しみ続けている。

アフガニスタンに対する国際メディアの注目は急速に薄れつつある。

しかし、アフガン国民、特に女性と少女の苦悩はまったく終わっておらず、国際的な孤立と強硬なターリバーン支配にはさまれて医療・福祉制度は崩壊し危機はエスカレートするばかりである。

残念なことに、しかし当然のことながら、地元メディアには、調査はもちろんのこと、疑問を提起する自由がない。ターリバーンは地元メディアをコントロールしている。例えば彼らのリーダーがテレビのライブ放送に出るときは、重武装したターリバーン戦闘員が同伴しているのが見られている。

国境なき記者団(RSF)と国際ジャーナリスト連盟(IFJ)はそれぞれの調査により、ターリバーンが8月(2021年)に政権を握って以来、アフガニスタンのメディアの拠点はその半分以上が閉鎖されたことを明らかにしている。

生き残ったジャーナリストのために、ターリバーンは曖昧な言葉で表現された「11のジャーナリズムルール」を発表したがそれは基本的にメディアを検閲し、管理する彼らの方法を述べたものだ。

そして、西側のメディアがアフガニスタンの報道を広く棚上げしている今、いざこざを怖れず、人間らしい正義と平和という枠組みに根ざした体制批判の報道をなす信用に足る人物はほとんど残っていない。

にもかかわらず、誘拐の脅しにあい迫害の標的にされてもなお、女性たちの集団が日曜日にカーブルの街頭に繰り出し、教育と仕事につく権利を要求した。世界で最強の国さえ相まみえるのを怖れた暴虐政府と真っ向対峙することは、これまでにない苦難の時代に生きる彼女たちによる反発行為である。

国際メディアによる揺るぎない報道と連帯が求められている。

確かに、一部の小学校は今月再開し、一部の女性は教育と医療部門での就業を許可されたが、人権侵害、飢餓、貧困、疾病者数は依然として記録的な高さを維持しており、経済危機のため飢饉が間近に迫っている。そして、ただ単に生きるためだけに闇市場で娘や腎臓を売却してしまう人びとを見れば、彼らに自ら立ち上がる力などほとんど残っていないことがわかるはずだ。

こうした話は、世界中の人びとの心と魂を揺さぶり行動に奮い立たせるため、語られる必要がある。

メディアの発達によって戦争など遠隔地の危機を目の当たりにする、「注目経済」ともいうべき時代が到来した。そこでは、非常に重要な問題でさえ、公の言論の場で長期間生き残るのに苦労するほどだ。

そうした問題には絶え間ない注意喚起が必要だ。戦争が終わった後もフォローアップ報道を継続することによって、第一報で人びとが見逃しているかもしれない事実を可視化することができる。ニュースメディアのサイクルは目まぐるしく緊急性中心だ。継続性の維持は、情報を生き生きと保ち、あいまいさを排除する。

1970年代そしてソ連・アフガン戦争以降、アフガニスタンの男女が戦ってきた理由と、ウクライナ人がいま戦っている理由は同じであることを覚えておく必要がある。唯一の違いは、アフガニスタン人が無視され、何度も何度も裏切られてきたことだ。

紛争における平和報道は極めて重要であり、ジャーナリストに多くの責任を負わせている。

ペンとAK-47ライフル銃の間の世界的な戦いにおいて、国際メディアとジャーナリストは、平和ジャーナリズムを通じてアフガニスタンに関与し続け、後者が簡単に勝つことを許さないようにすべきだ。

アイシャ・ジェハンギル(Ayesha Jehangir)博士: シドニー工科大学ポスドク研究員

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