ターリバーンは今年(2022年)、ノウルーズの祝祭行事を禁止しました。
ノウルーズ祭とは、二千数百年さかのぼる古代イランに起源があるとされ、アジアの新旧正月の祝祭にあたる伝統行事。暦の上では太陽が春分点を通過する春分の日で、農事暦上重要。春の訪れを祝って晴れ着を着、祭壇にはご馳走や果物を飾り、親類や友人の家を挨拶して回る。アフガニスタンでは郊外にでかけ歌や音楽や踊り、凧揚げやレスリングなどの娯楽を楽しむ。イランを中心に、パキスタン、中央アジア全域、トルコ、アゼルバイジャンからアフリカに及ぶ広い地域で祝われます。
ターリバーンがなぜ、ノウルーズ祭をアフガニスタンのカレンダーから削除しようとしているのか、その思想的背景を明らかにし、批判します。
(Hasht-e Subh Persianから。原文はここをクリック

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ノウルーズのお祭り行事(アフガニスタン)

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Sakhi Khalid(サキハリド)

2022年3月21日

 

ノウルーズ祭に対するターリバーンの姿勢は宗教ではなく政治的な動機にもとづいている。

 

現代アフガニスタンのイスラーム学者によれば、ノウルーズ祭がイスラームの原則に違反していることを示す証拠はない。

ノウルーズ祭は、ペルシャ文明に関連する長い歴史背景を持つ非常に古い伝統行事のひとつです。この行事は、ペルシャ暦別名シャヘンシャヒ暦を創造したと称されているペルシャ王、ジャムシードによって名付けられました。(訳注:ペルシャ語で「ノウ」は「新しい」、「ルーズ」は「年」を意味する)伝説によると、ジャムシードは、冬の形をまとってすべての人を殺す黄泉の国から世界を救ったと言います。このイベントは、イラン、アフガニスタン、中央アジア諸国の広い地域で祝われています。

ノウルーズ祭が近づくと、一部の宗教指導者は常に、この祝祭は反宗教的な内容を持つ非イスラームのイベントだと強調してきました。しかし、聖典にはこの祝祭を批判する節はひとつもありません。このイベントには、当領域一帯を支配したペルシャ帝国文明につながる非常に豊かな歴史的背景があります。この点がアフガニスタンで物議を醸すポイントのひとつとなっています。ノウルーズ祭に反対し、それを宗教的価値観に反するとレッテルを貼ることは、宗教的というよりはむしろ政治的な意図からです。しかし、宗教的な立場からノウルーズ祭に反対することが最も安易でその上効果的なやり方なのです。

この祭りは、家族がお祝いの料理を準備し、春の始まりを迎えるために集まる国民の祝日としてしばしば注目されます。今年は、政権が交代し政府も発展途上であることから、この日が公式に祝われることも、祝日として注目されることもありません。このイベントはターリバーンのイデオロギーに反しているとみなされています。彼らは公式には祝わないと宣言しましたが、民間人がイベントを祝うのは禁止しないと保証しました。


ノウルーズ祭のお飾り

宗教問題の研究者であるムハンマド・モヘクは、支配的な過激派がノウルーズの祝賀に反対するのは宗教的もしくは政治的意図からではなく、この対立と抵抗の背後には民族(部族)的な意図があると信じています。ターリバーンが宗教や宗教的価値を定義するために使う話術には、まったく根拠がなく、彼ら自身、確実な論拠をもっているわけではありません。彼らのより大きな目的は民族(部族)的同一化で、カレンダーからこれらの歴史的価値を削除して、将来の世代のため特定の価値と歴史的記憶を消し去り、既成事実にしようと企んでいます。宗教学者が残した歴史的文献を参考に、モヘクがさらに論じるところによると、ノウルーズはアッバース朝期には宗教ともイスラーム社会とも何の関係も無かったものの、ダイラム人(訳注:イランにブワイフ朝を興し、945年にバグダードへ入城、アッバース朝から世俗支配権を与えられた。シーア派)の支配下ではその祭りがとても盛大に祝われるようになったそうです。

ノウルーズをアフガニスタンのカレンダーから削除することで、ターリバーンは住民間の敵意を煽るだけだとモヘク氏は考えています。また、ノウルーズのカレンダーからの削除は、大部分の国民の歴史を消し去るようなものです。そうなれば、ターリバーンのイデオロギーに人類文明に反するという疑問符がついてしまいます。彼はさらに、バーミヤンの仏陀が破壊されたことも例に出して、民族(部族)的同一化がターリバーンの戦略だとの持論を補佐しています。

「仏像の破壊、そして他の古代遺物の破壊は、文明に対する宣戦布告であり、人びとのアイデンティティと文化的ルーツを断ち切り、ルーツのない過激派文化への道を開くことだ」と彼は付け加えています。「われわれは現在、(アフガニスタンで)サラフィー主義(訳注:初期イスラームの時代を模範とし、それに回帰すべきだとするスンナ派イスラームの思想)とデオバンド派(訳注:19世紀後半イギリスの植民地時代、インドのデオバンドにある宗教学校から起こったスンナ派による改革運動)の集団を目撃している」と語る彼はさらに、ノウルーズ祭に対する激しい敵意のもうひとつの要因は、人びとの喜びと幸福に対する過激派グループの敵対心であると指摘します。

「コミュニティが幸せを感じるとき、彼ら(過激派/ターリバーン)は、コミュニティがエネルギーを獲得し、活性化し、団結し、他の権利を要求するためのプラットフォームを提供していると感じ、ノウルーズ祭を抑圧するという口実の下で、彼らは実際には他の民族グループを抑圧している」とモヘク氏は述べています。

彼はノウルーズ祭の禁止を権威主義的、過激主義的、暴力的な行為と呼び、アフガニスタンでより一層、暴力への扉を開くと強調しています。

宗教学者でアフガニスタン和解平和評議会の元メンバーであるムハンマド・アミン・アフマディー博士は、ノウルーズ祭に反対する背後に宗教的正当性はないと言います。彼は、イスラーム教の観点からは、ノウルーズを祝う行為が反イスラーム行為であることを示す有効な証拠はなく、そのため、この伝統はアフガニスタン、イラン、インド亜大陸、中央アジア、クルド人のイスラーム教徒の間で何世紀にもわたって存在してきたと強調しています。

アフマディー氏は、ファトワ(宗教的布告)のいくつかが一部の法学書に記され、いくつかの伝承は拡大解釈が可能ではあるが、だからといってノウルーズが禁止されているとは証明できないと述べています。彼によると、ペルシャ文化と和解しないシーア派アラブ人でさえ、ノウルーズが禁じられているとは考えておらず、シーア派のファトワにノウルーズに反するものはこれまで発行されていません。スンナ派ムスリーム学者の間でも、ノウルーズが禁じられていることを証明するコンセンサスはありません。

アフマディー氏は、イスラームの観点に立ち、かつよく知られたイスラーム原理に従い、それを「ハラム(Haram)」と宣言する強力な理由がない限り、すべてはハラールであると言います。彼によると、ノウルーズがイスラームで禁じられていると主張する人びとは、強い根拠を示さなければなりません。もし強力かつ正当な根拠がなければ、ノウルーズ祭のお祝いに制限を課すことは異端の行為と見なされます。

(訳注:ハラームとは、イスラーム教の法学における5段階の義務規定のうち、「禁忌」範疇を指す言葉であり、また当該分類に相当する行為そのものをも指す。以下に挙げるハッド刑相当の行為から、死肉・豚肉食の禁止や果実のなる木の根本への放尿など非常にさまざまなものがあり、その償いも斎戒や喜捨などから、死刑相当まで非常に広い範囲におよぶ。Wikipedia)
(訳注:ハラールとは、イスラーム法で許された項目をいう。端的にはイスラーム法上で、行って良いことや食べることが許されている食材や料理を指す。日本語に訳すと、「合法的にある法律に基づいてやること」という意味となる。なお、日本では「ハラル」と書くことも多い。ハラールは物だけではなく事も含まれる。Wikipedia)
(訳注:ハッド刑とは、イスラーム刑法においてクルアーンに刑罰の内容が明記された(と法学者により解釈されている)刑罰のことをさす。このため固定刑とも呼ばれる。Wikipedia)

法学者のアフマディーはさらに、もし誰かが正当な宗教的推論やエジティハド(命令を与える最も顕著な権威)の権威なしにハラームを宣言するならば、彼は異端/崩壊を犯したことになると指摘しています。なぜなら、正当な理由もなくある行為を禁じたイスラームの統治者に対しては、裁判が起こされ一連のイスラーム裁定に照らして、異端/崩壊の定義に当たると裁定されるからです。

何らかの制限を課し、このイベントを祝わないことは、宗教的な動機ではなく、特定の民族(部族)的価値を排除しようとする行為です。「われわれは基本的に、ノウルーズを年初ととらえて育ち、それは自然なことだと考えている」と彼は付け加えます。

「彼らは歴史、文化、文明に対する知識を欠いており、文化、芸術、文学、歴史をないがしろにし、人間の感情への深い共感すら持ち合わせていない」とアフマディはターリバーンの指導部のノウルーズに対する見解を非難しています。アラビア諸国とイランが演じているライバル関係と代理戦争は、ノウルーズに反対する政治的理由のひとつです。ターリバーンはパキスタンのマドラサ(訳注:イスラームの宗教学校)で訓練を受けた兵士で、その資金源はアラビア諸国です。イランとアラビア諸国はアフガニスタンで代理戦争をしており、ターリバーンはアラビア側に立ってうまく踊る兵士です。 アフガニスタンも、イランと共通の文明、歴史、文化を保持し、ノウルーズの祝賀はその一部です。

彼は、メディア、文化機関、そしてすべての人びとに呼びかけ、サイバー空間でノウルーズを互いに調和して祝い、喜びを表明し、国連やユネスコなどの国際組織とその関連機関にアフガニスタンの共通の文化遺産を支援させようと主張しました。

もう一人の宗教学者であるバシール・アフマド・アンサリは、ノウルーズ祭の祝賀への反対は日々薄まっていると述べ、次のように語っています。「数年前、宗教的な集まりや会議でノウルーズを祝わないことは法哲学上の事実と考えられていたが、今日では宗教とは無関係の文化的な歴史の一端と見なされている。」

アンサリ氏はさらに、過去一部のカリフ(訳注:イスラーム国家の指導者)は経済的な理由から公式のノウルーズの祝賀を禁じたが、これは後にウマイヤ朝(訳注:661年~750年に存在したイスラム史上最初の世襲イスラム王朝)の創始者であるムアーウィヤの登場によって再興されたと述べています。彼は、歴史上、ムスリムは軍と政府がノウルーズを反宗教的行事と呼んだ時代を過ごしたことがないと指摘しています。ノウルーズに関連しては遙か昔からファトワの解釈がなされてきましたが、ほとんどが法哲学的な性質のものであり、学者たちが語るところでした。「ノウルーズは宗教とは何の関係もない。それはより歴史的な次元を有し、今後の研究が待たれる」と彼は付け加えています。

アラビア半島の法哲学の中枢とわが国にあるその支部は、ターリバーンなど子飼いの兵士を通して、われわれのこうした歴史的行事がイランからの輸入品であると印象付けるのに躍起だ、と彼は補足しています。その一方、彼らはこれが私たちの歴史そのものであることに気づいておらず、私たちはできる限りの手を尽くして、それを思い出そうとしています。 アイデンティティとアイデンティティの象徴を政治化してしまうことは、人間の存在と人間の文化に対する犯罪であり、ターリバーンよ、時代の現実に対応せよ、と彼は迫っています。このようなイベントや祝賀行事に制限を課したとしても、長い歴史を持つ文明をターリバーンは破壊することはできません。対照的に、彼らは祝祭をよりセンシティブなものにし、人びとを挑発して反感を生むだけです。

アンサリ氏は、ノウルーズ祭はすべてのアーリア人部族とその隣人によって祝われていると言います。しかし、異なる民族(部族)グループに属すると自認しつつも、今日自分自身の歴史を知らない知識人は、その行事に対して違和感を感じる、とも語りました。

「ノウルーズの神聖さ」に関する質問への回答の中で、彼は、イスラームのすべての法哲学および教義のどこを開いても、ノウルーズの神聖さを証明する明確なテキストおよび「決定的な証拠」はないと述べています。とは言え、ボイコットするには厳格なルールが必要で、何かを合法または違法と呼ぶ権限を持っているのは神と預言者だけなのです。

最後に、ターリバーンが国の特定の祝祭とイベントを禁止するために繰り広げた問答については、強力に宗教的に裏打ちされた証拠と情報を踏まえた上で、研究と議論が重ねられ、宗教的な動機や援助のためではなく、政治的な動機によるものであることが証明されています。

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