ファリダ・アハマディ(訳注1)
グローバル・ハピネス・リーダー
欧州アフガニスタン難民組織外国委員会連盟メンバー

オスロ(ノルウェー) 2022年4月12日

2013年4月、私は自分の本『声なき叫び(SilentScreams)』の第2版の序文を書きました。

当時は2011年7月22日のテロ攻撃(訳注2)に続く時期であり、すべての市民、マイノリティ、および多数派は、人命の損失に対する悲しみに襲われました。痛みは苦しんでいる人とその家族に限定されない国家的トラウマであり、その程度は計り知れませんでした。

2021年8月15日、タリバンがアフガニスタンで権力を掌握したとき、私は2011年の事件の時と同じような気持ちになりました。ノルウェーに恐怖、悲しみ、苦痛が訪れたとき、ストルテンベルグ首相(訳注3)は、オープンかつ民主的に対応すべきだと固く決心しました。これにより悲しみに沈んでいたコミュニティに希望と余裕が生まれ、内部の対立は減少しました。誰もが嘆き悲しみました。私たちはグローバル化した世界に住んでおり、地域、国、世界の問題は相互に直接関係しており、相互に強い影響を及ぼします。その結果、アフガニスタンで経験した痛みは国境を越え、無力感が全世界を襲いました。

2月24日、戦争は再びヨーロッパに戻ってきました。ロシアがウクライナを侵略したのです。戦争は8年前に始まっていましたが、今、クレッシェンドの最高に達しました。絶望の中にあって、私たちは大量のウクライナ難民の発生と幅広い連帯とを目にしています。しかし同時に、ウクライナから逃げるアフガニスタン人は、ウクライナ国民と同じ連帯を享受していないようにみえます。偽善が私の心を壊します。

アフガン人の血の色はウクライナ人とは違うのですか? この社会で私たちは移民に関してそのような二重基準で接し生きていくことはできませんし、したくもありません。私たちは皆人間です。

親愛なるストルテンベルクさん、私の本が2008年に最初に出版されたとき、あなたはノルウェーの首相でした。ノルウェーで最も包摂的な社会を作る方法について、あなたとの対話を始めました。私の本が最初にリリースされて以来、あなたは軍の指揮系統の頂点に登り、NATOの事務局長になりました。

20年の間に、米国とあなたの組織は、アフガニスタンにおいて憎悪、貧困、および21のテロ組織の増大に貢献してきました。それこそが今私が質問する理由です:アフガニスタンの開放性はどこにありますか? 民主主義? 希望は? 集合的な悲しみ? あなたの組織を含む世界の大国によって実行された長年の失敗した軍事戦略のドミノ効果と、これがアフガニスタンの人びとに与えた言いようのない痛み、苦しみ、そして紛争を理解していますか? 特にアフガニスタンの難民と女性について。

アフガニスタンのことわざは次のように述べています。「差し迫った大惨事を心配することは、大惨事そのものよりも悪い。」世界中のアフガン難民および移民は、この不安と苦痛の下で生きています。これは単純な錠剤では治癒できません。この不安は血液検査では現れません。これは、グローバルな構造レベルの無知、欺瞞、違反の痛みです。アフガニスタンは制度としてのグローバルな意識を必要としています。私たちは、世界戦争、苦痛、苦しみを防ぐために、真の行政権を持つ現代にふさわしい国連を必要としています。戦争は、アフガニスタンだけでなく、私たちの集合的な故郷である地球全体で非合法化されなければなりません。本の最後の章で、私はこの点について議論します。

 WAJ 

(訳注1)ファリダ・アフマディ(Farida Ahmadi)さん略歴
1957年3月、カーブルうまれ。カーブル大学で医学を学ぶ。カーブルで2度投獄され、4カ月にわたって拷問を受けた。1982年に釈放されアフガニスタン郡部で抵抗運動に参加、同年12月にパリのソルボンヌでラッセル平和財団(戦争犯罪法廷)の活動に参加。1983年に世界中を旅して自身の投獄や拷問の経験、ソ連独裁や原理主義との戦い、女性解放運動について訴え、レーガン大統領、サッチャー首相、ローマ教皇をはじめとする権力者や団体と面会してアフガニスタンの民主化勢力への支援を求めた。1983年末に帰国し、イランやパキスタンを訪問。1991年に当時5カ月だった娘とパキスタン経由でノルウェーへ亡命し難民として生活しながらオスロ大学で人類学を学ぶ。そこでの修士論文をもとに『声なき叫び(Silent screams)』(石谷尚子訳、花伝社、2020年)を執筆。(経歴は同書より)

(訳注2)2011年7月22日に白人の極右の男がノルウェーの首都オスロにある政府中枢部、首相執務室も含む庁舎群で爆破テロを行い、庁舎を破壊し8名を殺害し、続いてウトヤ島で労働党の青年69人を銃で殺害した連続テロ事件である。(Wikipedia)

(訳注3)イェンス・ストルテンベルグ(Jens Stoltenberg、1959年3月16日[1] – )は、ノルウェーの経済学者、政治家、NATO事務総長。ノルウェー王国首相、ノルウェー労働党党首、産業・エネルギー大臣、財務大臣を歴任した。国務長官、環境大臣(1990年 – 1993年)、産業大臣(1993年 – 1996年)、財務大臣(1996年 – 1997年)を歴任し2000年から2001年まで首相を務めた。一度政権を降りるが2005年の赤緑連合の勝利により10月17日に再び首相の座に就いた。2009年に再任されたが2013年に行われた三期目に向けての総選挙では敗北し辞表を提出した。ノルウェー首相時代に40年に及ぶロシアとの最大の懸念事項に終止符を打った外交手腕を買われ、2014年3月28日から2022年9月30日まで北大西洋条約機構(NATO)の事務総長。(Wikipedia)

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ファリダ・アハマディさんの著作『声なき叫び(SilentScreams)』については下記をご参照ください。
難民・移民の「痛み」はどこから来る?

※ 2022年1月23日からノルウェーの首都オスロで行われたターリバーンと欧米各国との対面協議についての、ファリダ・アハマディさんの談話は下記をご参照ください。
オスロでのターリバーンとの協議についての私の意見

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