Complexity and Continuation of Terror Activities in Afghanistan Emanate from a Single Source, Appearing in Various Forms.

 

ファテー・サミ (Fateh Sami)
2022年6月27日 (27 June 2022)

ハミド・カルザイとアシュラフ・ガニーの政権下、アフガン政府および軍の上層部は幅広く腐敗していたと最近メディアが暴露した。その二人を20年にわたって大統領に据えたのが米国とその同盟国だ。ウォールストリート・ジャーナル紙は、信頼できる情報筋から、アフガニスタンの元官僚や元公務員が豪奢な宮殿を所有していることを明らかにした。政府の上層部にいた横領者たちは国際社会の助けを借りて、国の内外で高価な不動産を買いあさり贅沢な宮殿を建設した。人口の90%が貧困線以下で暮らしているにもかかわらずだ。

飢餓の危険にさらされている人びとが多くいる。一方、略奪公吏としてこれまでよく名指しされてきたのは、「ザキルワール財務大臣、安全保障会議顧問ハムドゥラ・モヘブ、ファルーク・ワルダック教育大臣、エクリル・ハキミ財務大臣、アシュラフ・ガニー上級顧問アミン・アルサラ」らの元閣僚および元官僚たちだ。だが他にも多くの文民や軍の高官がいる。これら旧政権に巣くう略奪者たちは在任中に、国内のみならず、米国、英国、アラブ首長国連邦、カタール、湾岸諸国で数百万ドルの邸宅を購入および建設し、その挙げ句に逃亡した。彼らは、今日のアフガニスタンの貧困と悲惨さの主な原因のひとつだった。

ターリバーン・テロ政権内部では、意見の相違や分裂が広がっている。

この数週間、ターリバーン内の分裂は激化し、パシュトゥーン・ターリバーンは、非パシュトゥーン・ターリバーン(タジク人、ウズベク人、ハザラ人)を徐々にかつ組織的に権力から排除してきた。パシュトゥーン・ターリバーンは、タジク人、ハザラ人、ウズベク人の著名な司令官を徐々に追い出している。これらの司令官は、バダフシャンのタジク人であるファシフッディーン・フィトラット(Fasihuddin Fitrat)、サーレポル州バルハブのハザラ人マウラウィ・メフディ・ムジャヒド(Maulvi Mehdi Mujahid)、ドラタバードのウズベク人マフドゥーム・アーラム(Makhdoom Alam)、コヘスタナット(北部山岳地帯)のマウラヴィ・ザリフ(Maulvi Zarif)、カイザルのサラフッディーン・アユビ(Salahuddin Ayubi)などである。

ターリバーンは民族浄化政策をめぐってマウラウィ・メフディ・ムジャヒドと衝突し、彼を罷免した。ムジャヒドはターリバーンの陰謀の深さを知り、身の安全のためにバルハブへ行き、支持者や民衆と合流した。ターリバーンは彼をカーブルに呼んだが、ムジャヒドは身の危険を感じてカーブル行きを拒否した。ターリバーンに疑われ嫌われたことで、彼はターリバーンが自作した首長国の指導者に反抗するようになった。これが、ターリバーン軍とハザラ人マウラウィ・メフディ・ムジャヒドとの戦争につながった。バルハブ郡での戦闘は4日間(訳注:6月23日〜26日)続いている。アリプール司令官、ザリフ司令官とバーミヤンのダイクンディ地方から多くのハザラ人の戦闘員がムジャヒドを助けるためにバルハブへ向かった。

ターリバーンもムジャヒドの蜂起を鎮圧するため、バルフ、バザラクなどから多数の軍隊をバルハブに送り込んだ。報告によると、この4日間でターリバーンは多くの死傷者を出した。彼らは初戦で敗北し退却した。敗北のお返しにヘリコプターがバルハブの中心部を爆撃したが、バルハブの山間部ではヘリコプターの使用はまったく効果がなかった。

現地からの最新報告によると、バルハブを各方面から包囲したターリバーン遠征軍は敗北し、多くのターリバーンが死傷したとのことだ。ターリバーンの参謀長であるカリ・ファシフディンは負傷し、治療のためにカーブルに運ばれた。

別の情報筋も、サーレポル州バルハブ郡の各地でターリバーンと地元軍が激しく衝突しているが、地元軍を率いるのは、ハザラ人出身の唯一のターリバーン司令官マウラウィ・メフディ・ムジャヒドで、彼は最近ターリバーンの戦列を離れたばかりだと伝えている。

ハシュテスブ紙(Hasht-e Subh/訳注:アフガニスタンの独立系日刊紙)の6月23日付けの記事は以下の通りだ。
https://8am.af/eng/fierce-fighting-between-taliban-and-mawlawi-mehdis-forces-in-balkhab/

「メフディ・ムジャヒドに近い情報筋が本紙に語ったところによると、衝突は今朝(6月23日木曜日)になって始まり、ターリバーン軍とマウラウィ・メフディ・ムジャヒドが率いる市民蜂起軍との戦いは今も激化している。両軍はドズダン・ダラ、クォム・コタル、アベ・カランというバルハブ郡内の各エリアで戦闘中だが、ターリバーン軍は地元勢力の反撃に遭い、いくつかの戦線から撤退した。

一方、隣のサマンガン州の地元情報筋によると、ターリバーン兵を乗せた軍用車両が州内のダーレスフ・バラで、サーレポル州バルハブ郡に向かう途中横転し、ターリバーン兵3人が死亡、3人が負傷したという。

ターリバーンは、この2日間(訳注:ハシュテスブ紙の記事は6月23日付けなので、6月21,22日を指す)、ムジャヒド軍を制圧するために、4方向から推定3000人の部隊をバルハブに展開し戦いに備えていた。最も悪名高いターリバーン指導者の一人で、ターリバーンの国防副大臣であるムラー・ファゼルと、ターリバーンの参謀長であるカリ・ファシフディンもターリバーン軍を指揮している。」

そのカリ・ファシフディンが最新情報では前述の通り戦闘で負傷した。ただし軽傷だったと伝えられている。

バルハブでの紛争は、イランと敵対する米国の扇動である。

イランのアフガニスタン特使であるハッサン・カゼミ・クミ氏は、バルハブでの紛争はアフガニスタンで宗教紛争のネタ(訳注:スンナ派が主流のターリバーンに対してハザラ人はイラン同様シーア派)を探している米国の扇動であると述べた。クミ氏はツイートの中で、ハザラ人とタジク人を犠牲にして、アフガニスタンの宗教・民族紛争を煽り、アフガニスタンの危機を領域に広げることがアメリカの優先事項であると述べた。クミ氏は、バルハブでの紛争はアメリカの手始めの扇動であり、紛争を煽っている人々は、米国のシナリオに沿って役割を演じていると述べた。

各指導者はこの事態に同情してもバルハブ紛争から距離を置かなければならないとクミ氏は強調した。さもないと流血と破壊以外には何ももたらさないと。バルハブでターリバーンとそのハザラ人司令官マウラウィ・メフディ・ムジャヒドとの間で小競り合いが4日間(訳注:6月23日〜26日)続いたことは特筆に値する。ちなみにターリバーンは、「作戦」は終了したと言っている。(訳注:6月25日土曜日午前10時半、バルハブ郡フーシュ村にあるムジャヒドの屋敷を空爆したとターリバーンは発表した。)

アフガニスタンにおけるバルハブの重要性。

バルハブの名は古代都市バルフに起因する。バルフは2500年の歴史を持ち、アフガニスタン北部のヒンドゥークシ山脈とアムダリヤ川(歴史的名称はオクサス川)の間の平原に位置している。アラブの征服者たちからウマルバラード、「都市の母」と呼ばれ、東西を結ぶシルクロードの主要なルート上に位置していた。1220年にジンギス・ハーンとそのモンゴル軍によって破壊されるまで、この都市の歴史は輝かしいものだった。以降バルフは完全に回復することなく、やがて村になり、都は20キロメートル南のマザリシャリフに移った。

バルフの優位性を説明する上で、地勢は重要な要素である。バルフ川が作り出した扇状地に位置するこの都市は、灌漑に非常に適している。古代にバクトリアと呼ばれたこの地域は、ブドウ、オレンジ、スイレン、サトウキビ、そして優良品種のラクダで有名であった。最も重要なことは、いくつかの自然交易路がバルフで交差していることである。そこからキャラバンは、よく水をたたえた山裾を西へ、ヘラートとイランへ、あるいはオクサス川を渡ってサマルカンドと中国へ向かうことができたのである。バルハブの谷は、現在でもバーミヤン、そしてカーブルへと通じている。ヒンドゥークシュを越えるルートの中で、これは最も西にあり、荷物を積んだ隊商にとって最も踏破しやすいルートだった。

この地では地下資源も注目されている。バルハブ銅鉱山とその周辺の知見は、2009年から2011年にかけて、米国地質調査所(USGS)、米国国防省ビジネス・安定化作戦タスクフォース(TFBSO)、アフガニスタン地質調査所(AGS)が共同で実施した地質調査活動によって得られた。バルフ銅鉱山に関する各種資料は、カーブルにあるアフガニスタン地質調査所データセンターに保管されており、その膨大なデータはいまやターリバーンの掌中にある。

人道主義に対するターリバーンの犯罪

ターリバーンの非道さはこれまでも折に触れて指摘してきた通りだ。ターリバーン政権は、国内ですべての人びとの怒りに直面している。10カ月の間に、ターリバーンのテロリストとしての顔と反人間的な顔が露呈した。人びとはターリバーンのやり方が変わったと思ったが、逆に彼らによる人びとの扱いはより厳しく、より悪くなっている。ターリバーンというテロ集団は、アル=カーイダやISILなど20以上のテロ集団と関わり、日々、凶悪で非人道的な罪を犯している。ターリバーンは反対されると、一般人や罪のない人びとに復讐し、嫌がらせや拷問、投獄を行う。ターリバーンの暴力は前世紀にも例がない。

パンジシール州をはじめとする北部アフガニスタンでは、女性や若者、子どもを含む地元の人々が拷問を受け、銃撃されている。彼らはその死体を湖に投げ捨てる。湖畔や水中で大量の犠牲者の遺体が発見されている。湖で母親の遺体が見つかり、その3日後に3歳の子どもも死んでしまったが、それはつい先日の出来事だ。こんな状況ではターリバーン政権が国際的に承認されようと努力しても無駄なだけだ。

国際的な承認を得ようと必死なターリバーン

ターリバーンは現在、違法性とアフガニスタンに差し迫った人道的危機という2つの困難に直面している。注目すべきは、ドーハ会談と国連安全保障理事会の会議の前に、ターリバーンおよびそのアラブとパキスタンの支持者が、まだ無名だったターリバーン首長国に有利で偏った措置を取ったことである。つまり、サウジアラビアはアフガニスタン問題に関してイスラム協力会議緊急会合の開催を提案し、それに呼応してイスラマバードがホスト国に名乗りを上げ、カーブルではサウジアラビア大使館が再開したと言えよう。しかし、これらの措置は実を結ばず、ターリバーンは政治的正当性と国際的受容性の空白地帯に留まったままである。

ターリバーンは人道に対する罪、民族浄化、先住民やパンジシールをはじめとする北部地域の主な居住者に移住を強制し、焦土作戦をとって土地所有者を追い出している。しかし残念ながら、国連や国際社会は沈黙を守っている。ターリバーンが戦争と抵抗のニュースを発禁しているため、世界は内部に閉ざされた国民の状況を知ることができない。

その結果、特にアル=カーイダとターリバーンに代表されるさまざまなテロ集団がどれもこれも、自分ありきの単一の源によって政治的、軍事的、財政的に支えられているにもかかわらず、耐久代理戦争のアクターとして、政治的複雑性と戦略的目標の相違を口実にうまく立ち回っているのを見逃してはならない。アフガニスタンにおけるテロリストの戦略ゲームとその複雑さについては、どのアナリストや専門家も同じ意見である。

アメリカはアフガニスタンにおけるプロジェクトに約3兆ドルの費用をかけた。最終局面でも、昨年夏の撤退時に850億ドル相当の近代的な米国製機器が放棄されターリバーンの手に渡った。しかし、米国の戦略的目標は放棄されていない。その成功か否かの判断には時間の経過が必要だ。

米国やパキスタンの政界がターリバーンに反対する勢力を支援することはなさそうだ。そのため、アフガニスタンにおける反ターリバーン勢力に亀裂が生じ、方向性が変わりつつある。かたやターリバーンは国内にとどまらず、周辺領域へ波及する戦略的使命を持ち続けている。彼らの戦略的な旅路はまだまだ長い。そのためターリバーンをめぐる衝突は、その中心軸を依然失っていない。

中国、ロシア、イラン、インドはターリバーンに対立しているが、そのかけひきはより狡猾になってきたようだ。

中央アジアとイランの国境での最近の衝突や、カザフスタンにおける騒擾でアフガン過激派の存在が噂されることは、アフガニスタンによるテロ作戦輸出疑惑の重要な手がかりだ。そしてアフガニスタンがいまや大国に選ばれ地政学上の要衝になったことを示している。このような戦略ゲームは今後も続き、その結果はアフガニスタンの国民に長期間の悪影響を及ぼすだろう。

 

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