Declaring War to Opposing Views by Deceased Leader, Haibatullah the Ghost in Veil.

 

 ターリバーン長老たちがカーブルで開いたISI仕込みのど派手な集会、ターリバーンのテロ体質が露呈 

ISI’s Ostentatious Taliban Clergy Dominated Gathering in Kabul Exposed the Terror Nature of Taliban.

 

ファテー サミ (Fateh Sami)
2022年7月11日 (11 July 2022)

ターリバーンが権力を握った後、アフガニスタンとその周辺領域でグレートゲームが新しい段階を迎えた。アフガニスタンとその周辺領域の国民は、アメリカとパキスタンが、アフガニスタン国民の期待、認識、参加からかけ離れたカタールの中心地ドーハでの長い秘密交渉の後、ターリバーンを権力につけたことをよく承知している。和平交渉の前提条件を装って、アフガニスタン国民に対して凶悪な犯罪を犯したターリバーンの囚人が7000人以上も刑務所から解放された。(訳注:2020年2月のアメリカとターリバーン間のドーハ合意により執行)この集団によるテロ作戦で、おびただしい数の人々が死亡した。道路脇に仕掛けられた地雷の爆発や自爆作戦、さらには幹線道路の交差点封鎖や乗用車両の検問と通行妨害の結果だ。また、おびただしい数の子供たちが孤児になり、おびただしい数の女性が夫を亡くし路頭に迷ったのである。

 

ターリバーンはパキスタンによってつくられた

パキスタンにおけるターリバーンプロジェクトは、ロシア、中国、イラン、インドを含むアフガニスタン周辺諸国と対抗するアメリカの戦略的目標を達成するために生み出された。テロリストの戦闘訓練、武装、資金調達の手順をプログラム化し監督するのは、パキスタンとその宗教学校の役割だ。ターリバーンはテロリストで、仲間にはISIS、アル=カーイダ、ボコ・ハラム(訳注:ナイジェリアのサラフィー派ジハード組織)などがおり、みな活動を増加させ拡大している。それを直接監督しているのが、パキスタンの軍統合情報局(ISI)およびその外国人支援者と同盟者らである。領域情勢のアナリストやオブザーバーは、報告書、記事そして書籍を発表し、自らの主張を裏付ける信頼できる証拠と理由を明示している。つまり、ターリバーンはアフガニスタン占領のためのパキスタンによるプロジェクトである、と。そんなパキスタンは今ターリバーン集団にある種の合法性を色づけたい。そのため、ISIの直接の指示の下にカーブルで例の集会が組織された。

 

幽霊が演説したターリバーン支援の滑稽な儀式

カーブルで開かれたターリバーンの3日間(訳注:2022年6月30日~7月2日)の大ジルガ会議(訳注:ロヤ・ジルガは大会議を意味し、アフガニスタンの伝統的政策決定会議。だがこの会議は本来のロヤ・ジルガとはいえず実質的にはパシュトゥーン人によるターリバーン支持集会だった。)は、何の成果もなく、結論が出ないまま終わった。ハイバトゥラー師(Mullah Haibatullah)(訳注:Hibatullah Akhundzada)という彼らの架空の指導者は、2018年にクエッタでハッカーニ・テロ・ネットワークによって殺害されている。ハッカーニ(Haqqani)はパクティア出身のギルザイ部族のパシュトゥーン人である。(訳注:ターリバーンはハイバトゥラー師の死を否定している。)ところがこの会議で、彼の音声演説が聞かれた。つまり、そのスピーチは偽物で、ハイバトゥラーの声ではなかった。ターリバーン指導者のハイバトゥラー師の声とされるものは、ISIによって録音されたものだ。だから誰も彼の顔を見ていない。外国の放送網は、あたかもハイバトゥラー師がこの集会で演説をしたかのように騒いだ。(訳注:本サイト「トピックス」2022年7月4日付<中東かわら版>でも「7月1日、これまで公衆の面前にほとんど現れなかったアーホンドザーダ指導者=ハイバトゥラー師が登壇したことがとりわけ注目を集めた。」と書いている。)名ばかりの大集会における、かかる馬鹿げた一幕は、アフガニスタン国民から嘲笑され、馬鹿にされた。

イスラームの初期の時代でさえ、アミール・アルムーミニーン(訳注:信徒たちの長)は国民の前に現れなければならず、顔を隠さなかった。なぜなら、顔を見せない支配者とスルタンには誰も敬意を払わないからである。ISIはトリックを使い、ハイバトゥラー師の名で命令を出し、幽霊たる彼をターリバーンの指導者つまりアミール・アルムーミニーンとして登場させることによって、国民をだまそうとしているのである。

人格、誠実さ、存在感のない指導者は、国民にとっては何の価値もない。会議に出席した参加者のほとんどは、ISIが選んで招待した。ISIのスパイは、カーブルのあちこちで見かけることができる。ちょうど、暗殺され虐殺されたパキスタン大統領ジアウル・ハク(Zia-ul-Haq/訳注:1988年8月17日搭乗していた大統領機の爆発墜落により死亡。暗殺か事故か、議論がある)の時代に、ヒズベ・イテハド・イスラミ(訳注:1980年代PDPA「アフガニスタン人民民主党」の支配に抵抗した政党「解放イスラム同盟」)のリーダーであるアブドゥル・ラスル・サイヤフ(Abdul Rasul Sayyaf)などの一部のムジャヒディーン指導者は、こう言っていた。「カーブルは異教徒の街だ。カーブルの男はムバ・アル・ドゥム、つまり殺してもよく、女は奴隷だ」と。

今、カーブルの街は不安と憂鬱に包まれている。人々の生活は日増しに息苦しくなってきている。宗教的な命令がハイバトゥラー師の名でISIの口から発せられているのだ。カーブル工科大学の裏のロヤ・ジルガのテントで開かれた大集会の発言者たちは、かく認め、宣言した。「もし異教徒ども(アメリカ人とその同盟者たち)が我々に原爆を使ったとしても、我々は女どもを許すことはなく、異教徒どもが我々の問題に干渉しても耳を貸さない。我々は異教徒アメリカ人を打ち負かしたのだ。」

そう言いながら、ターリバーン代表のアミール・カーン・ムッタキ(Amir Khan Mutaqi)は 「アメリカ人異教徒 」と交渉するためカタールまではせ参じた。米国はこの領域の長期的な戦略目標を遂行するために、8500万米ドル以上の価値がある国軍の全軍事装備を腐敗した傀儡政権と謀議の上ターリバーンに手渡した。そんなことに、アフガニスタンの国民は気付いている。20年続いた傀儡政権は退陣し、ターリバーンのテロリストを政権の座にすえた。こうして、おびただしい数の人々が殺された末の、積年の成果がすべて破壊された。

ターリバーンは、ISIS、アル・カーイダ、ボコ・ハラムなど、すべてのテロリストを内部に抱えている。ターリバーンは21世紀となった今も、選挙を受け入れない。彼らは人々を自分たちに従わせ、さもなくば命を奪うと脅す。彼らは、「神が国民を養う、我々が国民に食料を与える責任などない 」と言う。

人の家に行って、無理やり食べ物を出せと迫り、断れば殺す。彼らは整備工場で車を修理させ、代金を払わず立ち去る。ターリバーンはテロリスト集団だ。彼らは剣の力によって生きている。彼らは牛糞の臭いにまみれラクダのミルクで育った集団だ。女性の教育は彼らにとって無意味。たとえ、国際的な圧力の下で女性の教育を許したとしても、ターリバーン政権で女性の地位が変わるという保証はない。ターリバーンの宗教学校で彼らは何を学ぶのだろうか。彼らは、パキスタンのハッカーニ過激派宗教マドラー(学校)のカリキュラムを流用している。ISIとターリバーンは、パキスタンからアフガニスタンにイスラム過激派の学校を移入している。

アフガニスタンの国民は、自分たちの国がパキスタンに占領されていることをよく知っている。彼らの文化的、科学的、歴史的、文学的価値は破壊されつつある。ISIの計画は、パシュトゥーン人の清らかな伝統さえも破壊し、完全に消滅するよう力でおさえ続けている。ターリバーンの無知と迷信という旗の下では、情報が常に枯渇し生活は永久に奴隷制から抜け出せないことをアフガニスタンの国民は知っている。

 

「外国製諜報ロボット」としてのターリバーン

ターリバーンは、西側諸国の諜報中枢による支援と指導のもと、パキスタンの諜報組織が思いのままに動くよう電気的にプログラムしたロボットのようなものである。彼らは、アメリカ合衆国の指導の下で活動しており、再建、発展、進歩とは無縁で、国民のための平和と安寧を確保する意志も計画も持っていない。彼らには、そのための器量も能力もまったくないのだ。

「外国製諜報ロボット」としてのターリバーンの活動は今後アフガニスタンにとどまらず、アメリカとその緊密な同盟国によってすぐに近隣諸国に移植されることは言及に値する。ターリバーンは高速で領域全体、さらには世界中に広がる癌のようなもので、その支持者でさえこのウイルスから安全ではいられない。イラン、インド、中央アジアとロシアは、彼らの影響を受ける危険にさらされている。しかしこの先、これらの国々はただ見ているだけか、それとも骨を折るか。いずれにせよ、この領域における戦争、不安、混沌の輪は確実にどんどん拡大している。

現状、国の隅々、特に北部のアンダラバ、パンジシール、バルハブ、カーブルなどでターリバーン狩りが続いている。

その結果、毎日何人ものターリバーンがゲリラ攻撃の標的にされている。彼らはカーブルで毎日、鳥のように狩られている。ターリバーンはプログラム通りに出現した。このテロ集団の支持者たちにとって、デュアランド・ライン(訳注:19世紀末英領インドがアフガニスタンとの間に取り決めた国境線)両側のパシュトゥーン系住民をアフガニスタン北部に移住させることが主目的である。また、ISIはターリバーンを裏で操り、アフガニスタン国民の大多数の支配言語であり、住民の共通の絆であるペルシャ語・ダリ語を破壊し、駆逐しようとしている。ターリバーンの大部分はパキスタン出身で、そこで育った。彼らの第一言語はウルドゥー語で、さもなければパシュトゥー語、英語、ウルドゥー語の混合で、アフガニスタン国民とは何の関係もない。

つまり、知識のあるアフガニスタンのアナリストの言葉によれば、ターリバーンの没落を招くのは次の4大要素である。「反ペルシャ語ダリ語、女性蔑視(ミソジニー)つまり社会の半分を占める女性の排除、経済への無知、最後に国民からの蔑視」である。ターリバーンはど派手な大集会を開いて、3日間も会議を続け、国民がターリバーンの政権を受け入れているとの幻想を世界に抱かせようと試みた。しかし、参加者の絶対多数はターリバーン集団で、実態はパキスタン人の各派だった。彼らは長年にわたり、ISIの直接の監督と管理の下にある。

したがって、アフガニスタン国民の目には、彼らの正統性はうつらない。各地でターリバーンに対する武力戦争が行われ、毎日何十人ものターリバーンが殺されている。そんな状況下でこの会議を開く目的は一つ。それは国民の関心をそらし、ターリバーンに対する民衆蜂起を隠して、世界にターリバーンが国を支配していると思わせたいというISIの試みである。しかし、国内にはいまだターリバーンのいない場所すらあるのだ。

ターリバーンの内部は、いくつかの派閥に分かれており、ほんの短期間でもその統一性を保つことができなかった。目撃者によると、非パシュトゥーンのターリバーンが姿を消し、パシュトゥーン出身のターリバーンが後釜についている。それは、ターリバーンの隊列が大きく分裂していることの証左である。

 

緊迫するアフガニスタン北部の状況

パキスタンはターリバーン集団を操りアフガニスタンで民族浄化作戦を続けている。

バルハブのハザラ人司令官の一人であるマウラウィ・メフディ・ムジャヒド(Maulawi Mehdi Mujahid)の反乱と、彼に対しターリバーンが仕掛けた戦闘によって、アフガニスタン北部の情勢は緊迫してきた。ターリバーンの沈黙にもかかわらず、パンジシールとアンドラバに次ぐ第三の拠点としてバルハブが登場したことは、ターリバーンの全体主義への抵抗勢力が軍事的な地理上のつながりを持つに至ったことを示している。この緊張が、後から始まるはずだった北部の民族浄化の行程を加速させた。つまり、メフディのターリバーンへの反抗が、アフガニスタンにおける第二次ISI計画たる民族浄化の実行の根拠となったのである。

つまりターリバーンに対するメフディの反抗後、北部の緊張が始まり、やがてその緊張状態はとことん高まった。ついにメフディ軍とターリバーン軍が衝突し、戦争に火がついた。それが北部における民族浄化の行程を加速させた。ISIがターリバーンを軍事的、政治的に監督していることは誰の目にも明らかであり、ISIはアフガニスタンを政治利用して実利を得ている。

アフガニスタンのアナリストであるマシド(Mashid)氏は、「アフガニスタン北部におけるISI戦争の第2ステージたる民族浄化」と題する論文で、次のように指摘している。

パキスタンによるアフガニスタン破壊計画は、1948年のパキスタン成立後に始まり、1975年のアフガニスタンの若者の反乱後に新たな局面を迎えた。それまでは、パキスタンのアフガニスタン政策は防御的であったが、以降攻撃的になった。ソビエトが侵攻すると、パキスタンの将軍たちは、アフガニスタンに介入する絶好の機会を見出した。ハミド・ギュル(Hamid Gül)、アクタル・アブドゥル・ラーマン(Akhtar Abdur Rahman)、ジアウル・ハク(Ziaul Haq)は、ジハード時代にムジャヒディーンの戦線における組織的対立を扇動し、ジハードの指導者を傭兵にした。

パキスタンはヘクマティアール(Hekmatyar)を支援することで、カーブルでの血なまぐさい戦争に火をつけた。アフガニスタンを自由にするジハードの成果はアフガニスタンの人々への略奪に終わった。その後、パキスタン軍はヘクマティアールの支持を得ていたが、ターリバーンがよりコストパフォーマンスが良いことを発見し、彼らに力を与え、悪と腐敗を摘み取るという名の下にムジャヒディーン政権に対抗させた。パキスタンが第一次ターリバーン体制でその政府を承認し、それを監督したことは誰にとっても明らかである。その後、パキスタンには、とことん悪らつに政治的、軍事的な利用ができる八方美人で売国的な使用人たちがいた。それはジハード主義やターリバーンから鞍替えした数人のパシュトゥーン人の指導者たちで、古くはPDPAの軍服共産主義派にしてナジブラー(Najibullah/ 訳注:アフガニスタン民主共和国大統領)政府時代の国防相シャフナワーズ・タナイ(Shahnawaz Tanai )。最近では、ガニー(Ghani)をはじめとする西側が選んだ汚職官僚たちだ。

この間、パキスタンはアメリカ、さらにはイギリスとさえも結託して、アフガニスタンで民族カードを使用してきた。このゲームにおいて、パキスタンは伝統的にパシュトゥーン出身の政治家や支配者をより信頼してきた。彼らによれば、タジク人、ハザラ人、ウズベク人は、彼らのゲームの中心から遠く離れ、ロシアに傾いている。パキスタンがアメリカと共謀してヘクマティアールを支援し、マスード(Masoud)との戦争に導いたのは、アフガニスタンの国民に対するISIの民族ゲームに根ざした作戦であった。それには、ジャミアテ・イスラミ・パキスタンの指導者カジ・フサイン・アーメド(Qazi Hussain Ahmed)、エジプトのムスリム同胞団の指導者のひとりムハンマド・クトゥブ(Muhammad Qutub)、さらにはあのオサマ(Osama bin-Ladin)すらも含むイスラム運動の指導者たちが反対したにもかかわらず。

それ以前に、ヘクマティアールはパキスタンの圧力に屈し、ナジブラー博士に対するクーデターを支援した。この出来事はヒズベ・イスラミ(訳注:ヘクマティアールが1975年に創設した「イスラム党」)内部でも強い反発を招き、ヘクマティアールはヒズベ・イスラミの幹部から疑問を呈されることになった。ヘクマティアールがクーデターを全面支援したことで、彼の民族的アイデンティティがより明らかになり、ソビエト連邦に親しい政権に対するジハードが神聖視されなくなったのである。このため、マスードはジャバル・シラジでドスタム(Dostum)やマザリ(Mazari)、PDPAのパルチャム派と同盟を結ぶことになった。しかし、1992年にペシャワールでムジャヒディーン政権が成立すると、マスードはこの連合に固執しなかった。親欧米政権の元国防相でマスードの元指揮官であったビスミラ・モハマディ(Bismillah Mohammadi)によれば、当時のパルチャム派指導者でバブラク・カルマル(Babrak Karmal)大統領の弟のマームード・バリアライ(Mahmoud Baryalai)と話すのを拒否したとのことである。

パキスタンは、片手でターリバーンに資金と装備を提供し、もう片手でカルザイ(Karzai)(訳注:アフガニスタン・イスラーム共和国初代大統領)やガニーのような腐敗した裏切り者の政治家と指導者を甘やかした。そして最後にガニー(訳注:アフガニスタン・イスラーム共和国2代大統領)をハッカーニ・ネットワークに引き渡した。この期間、パキスタンはアフガニスタンで民族カードを使った複数のゲームを行ったのだが、どうもアフガニスタンでの民族浄化をその計画の最上位においたようだ。パンジシールやアンドラバ、バルハブ以降に始まった戦争は、すべて民族浄化の匂いがする。振り返ると、パシュトゥーン・ターリバーンは、ファリアブ州カイサールのウズベク人指揮官のひとりであるカリ・サラフディン・アユビ(Qari Salahuddin Ayubi)や、チャル・タカール地区のタジク人司令官カーン・モハマド(Khan Mohammad)と激突していた。

続いて、今度はサリプール州バルハブ地区で、ハザラ人出身の司令官マウラウィ・メフディ・ムジャヒドのターリバーンに対する反乱が始まった。メフディの反乱は、彼がバーミヤーン情報局長のポストから解任された後に始まった。

この解任によって、メフディはターリバーンに対する抗議を余儀なくされ、後にシーア派の権利を要求した。しかし、ターリバーンはその要求を拒否し、彼を制圧するためにファシフディン・バダフシャーニ(Fasihuddin Badakhshani)の指揮下で進軍した。メフディと戦うためにタジク人のファシフディンを選んだことは、アフガニスタンを民族戦争と民族浄化の瀬戸際に追い立て、大量虐殺に至らせようとするターリバーンとISIの悪らつな計画である。

ターリバーンがメフディの要求を拒み、戦闘を仕掛けたこと。メフディを殺害または逮捕するために北部の戦闘員を動員したこと。これらは、全体主義的手段で外国の情報機関の手下として行動する民族集団ターリバーンの本性をあらわす明確な印である。 彼らはアフガニスタンの安定の敵であり、パキスタンはアフガニスタンにおける民族浄化の遂行に乗り出したのだ。

ターリバーンは何度もメフディ軍を攻撃したが、大きな犠牲を出してしまった。そこでついにメフディの住居まで爆撃している。しかし、彼は無傷だったと言われている。メフディの住居への爆撃は、ターリバーンの民族的アイデンティティーの本質をより明白にし、ターリバーンに躊躇する一線はなく、彼らの道を阻むいかなる障害も残酷に除去することを証明したのだ。

メフディの演説によれば、彼はいまだターリバーン集団の一員であり、何年もターリバーンのために戦ってきたという。彼はターリバーンからの決別をいまだ宣言していない。もし彼が世論を味方につけたいのなら決別すべきで、ターリバーン反対派も彼を支援するだろう。

この重要な局面で、彼はターリバーンを相手に何をなすべきかを明確に表明し、ターリバーンの敵からより多くの政治的、軍事的、兵站的支援を得るべきである。メフディがターリバーン指導部への反対の立場を表明すれば、他のタジクやウズベクの指令官も必ずターリバーン反対の立場に寝返り、彼を支援せざるを得なくなる。

メフディの対ターリバーン作戦が確固としたものになれば、タジクとウズベクの指導者たちの抵抗に新しい次元と活力を与える。ターリバーンがメフディの要求を無視し戦闘を仕掛けたことで、既にタジクとウズベクのターリバーン指令官はみな、ターリバーン政府に対する考えを改めさせられた。彼らは、明日、自分たちがメフディと同じ運命をたどり、ISIとターリバーンによる民族浄化計画の犠牲者になることを理解したのである。これらの司令官たちがターリバーンと対決してメフディを支援する決意を強くし、犠牲者となるのを回避する前に、メフディ本人がターリバーンの犠牲者となる危険性がいまだに存在する。

バルハブの学者や学生たちの要請により、シーア派ウレマ評議会は戦争の拡大を防ぐためにこの地域に代表団を派遣した。評議会の努力はまだ結果を出しておらず、メフディが罠にかかる危険はまだ残っている。シーア派評議会は戦争を拒否し、政府とメフディとの和平を求めた。この9ヶ月間、ターリバーンはこの評議会の要請に少しも注意を払わなかった。しかし驚くべき事に、メフディはこの評議会による和平の呼びかけに応じたのである。ここへ来て、メフディはターリバーンとどんな取引をしても、ターリバーンから厳しい報復を受け、ターリバーンの武装兵を殺害したと非難され、最終的にはパキスタンの民族浄化計画の犠牲者になることを理解したのだろう。

ターリバーンがパキスタンISI(パキスタン軍統合情報局)の手の内の道具であり、この地獄のような組織が、特にアフガニスタン北部で民族浄化を計画していることは、誰の目にも明らかである。米国と共謀の上、第一次ターリバーン政権が崩壊すると、数千人のパキスタン軍とターリバーン軍が、クンドゥーズからパキスタンのカラチとクエッタに移された。するとパキスタン軍は再びターリバーン軍を動員し始め、2003年に彼らは米国兵士と戦うべくアフガンの戦場に舞い戻った。

ターリバーンがカーブルで権力を握ったことで、計画の第二段階である北部での民族浄化が始まっている。パキスタンはアフガニスタンをインドとの戦争における後背陣地とする考えをあきらめず、多額の投資をしてきた。ターリバーン内のウズベク人、タジク人、ハザラ人司令官がどんなに警戒していても、残された生き残りのチャンスは潰され、やがてはターリバーンとISIの未熟な謀略に陥れられることになる。

今、メフディの不服従は、ターリバーンとISIに民族浄化計画を早期に実行することを強要している。これは、北部の、特にタジク、ウズベク、ハザラ系の指令官たちへの警鐘を意味する。彼らがターリバーンの邪悪な目標に沿って、パキスタン系による浄化計画の犠牲にならぬよう注意を促す警鐘だ

彼らは生き残りを賭けてISIの陰謀と戦い、その傭兵たるターリバーンを休ませてはならない。少しでも遅れたり、躊躇したり、ヒョウのような鋭い牙を持つ連中に哀れみを期待してはいけない。明日では危険が取り返しがつかないほど増大し、手遅れになるのだ。ターリバーンに反対するすべての勢力が手を結び、ターリバーンに対する大きな軍事的・政治的戦線を張るべき時が来た。先延ばしや他人の決断を待つことは、許されない罪である。そして、将来の世代から必ずや非難される。
=========================

 

ハイバトゥラ―・アクンザダ(Hibatullah Akhunzada)についての原著者(Fateh Sami)の追記

ムラー・ハイバトゥラー(MH)(訳注:ムラーはイスラーム指導者の尊称〝師〟)は、2018年、パキスタンのクエッタで殺害されている。MHはパキスタンの将軍で、MHの名で命令を下していた。(ことしのロヤ・ジルガでの演説は)事前に録音された声で、アクセントはカンダハリ・パシュトゥ・アクセントではなかった。誰もMHの顔を見ていない。彼は顔をベールで覆い、人々には背中向けてすわり、録音された音声を再生した。

ISIは、精神的指導者が話をし、聴衆の前に現れたとデモンストレートしたいのだ。しかし、ターリバーンがカーブルを占領して以来、(MHは)組織化され、事前に計画された陰謀やプログラムでは見かけられなくなった。 彼は立っておらず、座ったままの姿勢で事前に録音された演説を行っていた。

それは偽物だ。間違いない。私が「ベールの中の幽霊」と題したように。

————————————-
月3回(5、15,25日)、本サイトの更新情報をメールにてお送りします。(無料)。下記ページよりお申し込みできます。
お申し込みページへジャンプ
————————————-

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。