(WAJ:CFRはCouncil on Foreign Relationsの略。アメリカの外交政策に影響をもつ、1921 年に設立されたアメリカの著名なシンクタンク。詳細は → https://www.cfr.org/about)
August 2, 2022 6:16 pm
2022年8月2日 (アメリカ東部時間)
By Max Boot, CFR Expert
マックス・ブート(CFR 専門評論員)
米軍による狙い撃ち作戦は、アル=カーイダのアイマン・アル=ザワヒリを筆頭に、悪名高い過激派組織の指導者を排除してきた。しかし、これらのテロ組織をどれだけ混乱させられるかは疑問だ。
米情報機関がテロリストの指導者を突き止め、その指導者が空爆や特殊作戦で殺害されるのは、もはや恒例となっている。アル=カーイダの指導者アイマン・アル=ザワヒリが死亡した後、ジョー・バイデン大統領が「これで正義が実現し、このテロリストの指導者はもういない」と月曜日(8月1日)に勝利を宣言したが、超党派の議員たちが拍手喝采する一方で、イスラーム過激派は「殉教者」を悼む。そして、新たなテロリストの指導者が現れ、また同じことが繰り返される。
王駒を始末しても
このような殺害は効果があるのだろうか? アメリカをより安全にし、いわゆる対テロ戦争の勝利に少しでも近づけるのだろうか。テロリズムの研究者にとって、これらの問いに答えることは非常に困難である。
2001年以降に米軍やCIAによって殺害された「高価値の標的」には、イラクのアル=カーイダ指導者アブ・ムサブ・アル=ザルカウィ(2006年)、アル=カーイダ指導者オサマ・ビン=ラーディン(2011年)、アラビア半島のアル=カーイダ指導者アンワール・アル=アウラキ(2011年)、アフガンのターリバーン指導者ムッラー・アフタル・マンスール(2016年)、パキスタン・ターリバーンの指導者ムッラー・ファズルーラ(2018年)、イスラーム国の指導者アブ・バクル・アル=バグダディ(2019年)とその後継者アブ・イブラヒム・アル=ハシミ・アル=クライシ(2022年)、イランのクドス軍司令官カセム・ソレイマニ(2020年)、アラビア半島のアル=カーイダ指導者カシム・アル=ライミ(2020年)などが挙げられる。
これらの打撃はテロ作戦を妨害し、9.11タイプの攻撃の再現を阻止するのには役立った。しかし、20年以上にわたるテロとの戦いを勝利に近づけたとは言い難い。イスラム過激派の代表的な2つのグループ、アル=カーイダと自称「イスラーム国」が被った全損失にもかかわらず、イスラーム戦士の総数は2001年9月11日の攻撃以来結局4倍にも増えたと推定される。
回復力のパターン
トップリーダーへの狙い撃ち攻撃は大規模組織には最小のダメージしか与えない。容易にリーダーを変えられるからだ。イランのクドス部隊はソレイマニの死後も目立って減速させられてはいない。同組織はテロ計画を実行し、代理民兵を支援し、中東全域にイランの影響力を及ぼし続けている。同様に、アフガニスタンのターリバーンもマンスールの死によって目立った支障はなかった。彼の死から5年後、米国が20年に及ぶ作戦を終了すると、彼らはカーブルへ進軍した。イラクのアル=カーイダは、2006年にザルカウィを失った後、実際に勢力を拡大した。その勢力がやっと衰え始めたのは、イラクにおける米軍の急増と2007~08年の「アンバーの目覚め」(スンナ派の部族がアル=カーイダに反発した)の後だった。
「イスラーム国」については、バグダディとクライシの死は、組織衰退の原因というより、むしろ衰退の表れというべきだ。イスラーム国がイラクとシリアで自称していたカリフを、数万のイラク軍とシリアのクルド人勢力の統合作戦でほぼ破壊した後に、バグダディとクライシの喪失は起こった。その作戦の後ろ盾が米国の火力、情報、その他の支援だった。
アメリカの論客や政府関係者は、自分たちの不正確な用語の犠牲になっている面もある。全てのイスラーム戦闘組織を「テロリスト」(蔑称)と一括りにする傾向があるが、イスラーム国やターリバーンのようなグループは、より正確にはゲリラ、あるいは準通常軍とでも呼ぶべきものである。クドス部隊はイラン独自の政府機関であり、CIAや米特殊作戦司令部の過激シーア派版とでもいうべき存在である。普通、軍隊や情報機関が失われた指導者を交代させるように、これら過激派組織も同じように交代させることができる。
アル=カーイダは弱体化したが脅威は残る
アル=カーイダのような純粋なテロ組織は、規模がはるかに小さく、それほど官僚的でないため、カリスマ的なリーダーシップに頼ることが多く、リーダーの喪失はより深刻である。彼らの信奉者は通常、数万人ではなく、数百人である。ビン=ラーディンの死は、彼が聖戦のシンボルとして有名であっただけに、特に重要であった。彼の後継者ザワヒリがカリスマ的でなく、目立たない人物であったことは米国にとって幸運であった。2011年にザワヒリが指揮を執って以来、アル=カーイダが世界的なブランドとしては衰退し、イスラーム国(2013年から急速に拡大したカリスマ的存在アル=バグダディが率いる)の重要性が増したのは偶然ではないだろう。
テロリストの大物を殺すには長い時間がかかるが(ビン=ラーディンからザワヒリの死までは11年が経過)、彼らを追討する行為は彼らの作戦効果を低下させるので、その投資は価値がある。ビン=ラーディンとザワヒリは潜伏し、主に密使を立てて連絡を取り合う必要があった。そのため、アル=カーイダの活動は鈍くなり、彼らの計画を混乱させることが容易になった。ザワヒリの死後、アル=カーイダの中央組織は、彼の代わりとなる有名な指導者がいないため、さらに分裂する可能性がある。アル=カーイダのナンバー3とされる元エジプト大佐のサイフ・アル=アデルはイランに在住しているとされ、そのため信奉者であるスンナ派過激派の多くからは猜疑の目で見られている。
しかし、個別のイスラーム系テロ組織に対する勝利を、戦闘的イスラームに対する全面的勝利と取り違えてはならない。テロとの戦いは、指導者を狙い撃ちにすることで勝てるものではない。そのためには、イスラーム教徒が大多数を占める国々で政治的・経済的改革を行い、大衆の不満に対処し、より民意に沿う統治を実現する必要がある。イラクとアフガニスタンでアメリカ人が高いコストをかけて学んだように、そうした根本的な変化をもたらすことは、アメリカの力を超えている。
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