Al- Qaeda Leader, al-Zawahiri Targeted after 20 Years Living in the Haven of ISI. A theme for President Biden’s Boosting Popularity.

アルカイダ指導者はISI(パキスタン軍統合情報局)の安全な隠れ場所で20年間暮らしたすえ狙われた。その趣旨はバイデン大統領の人気取りだ。

 

ファテー・サミ (Fateh Sami)
2022年8月8日 (8 August 2022)

アル=ザワヒリ(al-Zawahiri)の訃報を受け、ハッカーニ・グループ(訳注:内務相シラージュッディン・ハッカーニSirajuddin Hakkaniを首領とするテログループ)とムッラー・バラダール(Mullah Baradar/副首相)との間に鋭い対立が生じた。前者を代表するのが、アナス・ハッカーニ(Anas Haqqani)とハリル・ハッカーニ(Khalil Haqqani)の両名で、それぞれアフガニスタンにおけるターリバーンによる不法なイスラーム首長国の高等教育相と難民相を務めつつ、どちらもパキスタン諜報機関に関係している。

カーブル発のさまざまな情報源に基づく報告は、ザワヒリの潜伏先が3人の内通者によって米国諜報機関に漏らされたことを示唆している。内通者の顔ぶれだが、中心はターリバーンテロ組織の外相アミール・ハーン・モッタキー(Amir Khan Motaqi)。他に、国防相にしてターリバーンの創設者ムッラー・オマール・カンダハリ(Mullah Omar Kandhari/原注1)の偽息子であるムッラー・ヤクーブ(Mullah Yaqoub)。さらに、ムッラー・オマールの義弟とも言われるムッラー・バラダール。以上の計3人が関わったという。彼はカンダハリネットワーク(※訳注参照)に属し、ドーハ会談での平和代表団のひとりだった。(※訳注:パキスタン人ジャーナリスト、アハメド・ラシッドAhmed Rashidによるとカンダハリ・ネットワークは「最高実力者ムラー・モハメド・オマルと彼に絶対的忠誠を誓っている『カンダハリ』と呼ばれる30人ほどの核心層である。彼らはオマル師と同じカンダハル近郊のウロズガン出身のパシュトゥーン人である。80年代の青春時代はソ連との戦争に明け暮れ、ソ連撤退後の89年から92年まではナジブラ共産政権と戦った。」http://www.asyura2.com/sora/bd14/msg/1032.html)

報告によると、ムッラー・ヤクーブが秘密会談の席上、ザワヒリの住居と隠れ家を作戦実行者に確証したが、その内容はカタール首長を通じて伝えられたという。ターリバーンのこの2つのグループの競争は、すでにメディアで何度も放映・掲載されており、ムッラー・ヤクーブはハッカーニ・ネットワークから何度も攻撃を受けたが、生き延びたという。

ハッカーニ・ネットワークは、ムッラー・バラダールやムッラー・ヤクーブのネットワークよりも強力であり、パキスタンの諜報機関の全面的な支援を獲得した。元パキスタン大統領のムシャラフ(Musharraf)将軍は、「ハッカーニは我々のヒーローだ」とも言った。彼らは、ムッラー・バラダールを脇へ押しやったのだ。アシュラフ・ガニー(Ashraf Ghani)政権時代、ハッカーニ・ネットワークは、アフガニスタンのさまざまな地域で複雑なテロ活動を計画・実行したが、それを支援・指導したのがパキスタンの軍事専門家とアル=カーイダのテロ工作員だった。テロ作戦によって、10万人以上の軍人と10万人以上の民間人が死亡した。

ハッカーニ・ネットワークはダーイシュ(訳注:中東シリアを中心に活動するテロ組織ISIS=ISILを指す呼び名のひとつ)に味方して、壮大なイスラームのカリフを擁立するスローガンを唱えている。パキスタンのサラフィー主義(訳注:初期イスラームの時代=サラフを模範とし、それに回帰すべきであるとするイスラーム教スンナ派の思想)を標榜するターリル党(Tahrir/※訳注参照)は彼らと密接な関係を持ったことから、多くの場合、ターリバーンと共同作戦を行った。さらに今もパートナーたるテロネットワークとして彼らに資金を供給している。(※訳注:ターリル党はカリフ擁立を主張するイスラーム組織で1953年にエルサレムで結成され世界中で活動している。パキスタンでは2000 年後半に正式に活動が開始され、9.11 以降増加した。)

アフガニスタン国民評議会(国会)の元副議長イジダー(Izidyar)氏の言葉を借りれば、「当時、これらテログループがどこにいて、過去にどのように使われたかは諜報作戦上の謎である。」ただし、過去20年間のターリバーンの実績は、彼らがアル=カーイダのテロリストを大規模に使っていたことを証明している。

パキスタンやアメリカの秘密作戦に対する探知網には数年前から筒抜けだったにもかかわらず、アル=ザワヒリに隠れ家を与えた。その行為でターリバーンは自分たちの名誉を傷つけたのである。今、アル=カーイダ指導者の隠れ家が暴露されたことで、ターリバーン内部に深い分裂と不一致が生まれた。まもなく、両陣営が復讐劇を始める。かたやハッカーニ・ネットワーク。かたやムッラー・バラダール及びムッラー・ヤクーブの陣営である。今、カンダハール、ホースト、パクティカに向かう彼らの動きは、この主張を証明している。

アメリカはアル=ザワヒリの首に2500万ドルの懸賞金をかけていた。とは言え、ハッカーニに敵対するターリバーングループからのたれ込みがなければ、秘密にされていた隠れ家について正確には把握できなかっただろう。特に、カーブル中心部の安全で緑豊かな高級地域であるワジール・アクバル・ハーンとシルプールが交わる区画には、ターリバーンの高位指導者を除いて誰も住んでいなかったのだから。

ハミド・カルザイ(Hamid Karzai)政権下のアフガニスタン元外交官で、駐パキスタン・アフガニスタン大使でもあったサイーディ(Saeedi)氏は、この作戦について次のように語っている。

「アル=ザワヒリの妻、息子、孫およびザイヌラ・ハッカーニ(Zainullah Haqqani/訳注:シラージュッディンの親友ザイヌラ・アベドZainullah Abedの別名)の家族が米国によるドローン攻撃時、この住宅に住んでいた。シャハブディン・ハッカーニ(Shahabuddin Haqqani/訳注:シラージュッディン・ハッカーニの息子)の息子と義理の息子も殺された。しかし、シラージュッディン・ハッカーニ(訳注:ハッカーニ・ネットワークの頭目にして内務相、アメリカはその首に1000万ドルの賞金をかけている)自身はすでにISIによって安全な場所に移されていた。アメリカの無人航空機であるドローンは、シャムシ飛行場から離陸した。」

この飛行場は、別名バンダリ滑走路と呼ばれ、パキスタンのバルチスタン州にあるクエッタの南西約320キロ、グワダルの北西約400キロに位置する。クエッタ空港はISIと協定を結んでおり、ISIとの共同調整なしには作戦遂行は不可能だった。現在、ムッラー・モッタキー(Mullah Mutaqi)外相、アブドゥル・バハリ・ハッカーニ(Abdul Bahari Haqqani)、ムッラー・ヤクーブ国防相といったターリバーンの指導者たちはカーブルから姿を消している。

 

アメリカによるドローン攻撃の現時点での目的は?

アフガン内外の最も情報通であるアナリストによれば、この攻撃はバイデン大統領が取り返しのつかないミスを挽回するために行ったものだ。つまり、通貨インフレ、経済問題、上院の中間選挙における民主党の劣勢からアメリカ国民の意識をそらすために。このシナリオは、オバマ大統領時代のビン=ラーディン殺害の10年後の焼き直しであり、まったく同様である。また、悪の集まりの中心であるパキスタンは、以前と同様に経済的な問題から、過激派グループやテロ勢力を教育・装備し、壊れた経済の再生資金を悪のゲームの見返りとして受け取ることを期待している。

パキスタンは現在、深刻な経済危機と景気後退に直面している。傷ついた獣は手塩にかけた赤ん坊つまりターリバーンを犠牲にすれば、アフガニスタンで新しいページを開いて過去40年間のようにゲームを続けられるかもしれないと考えている。必要な場所はどこにでもテログループを輸出しいる。

アフガニスタンの学者でアナリストのハビブラ・ホッサム(Habibullah Hossam)氏によれば、「米国とそのパートナーは、ターリバーンの主要な支援者であるハミド・カルザイが、民主主義と不正な選挙の名の下に14年間アフガニスタンの指導者に留まった、ボン会議のシナリオを繰り返そうとしている」そうだ。その後、政治的ピエロであるアシュラフ・ガニーが、同じく世界のシンクタンクとの触れ込みで国民に押しつけられた。一方、アフガニスタンの全国民は、彼が精神を病み、無能で、国粋主義者で、弱く愚かな人物であることに気づいていた。二人の傀儡指導者はアフガン国民の意志によってではなく、占領者が事前に準備していた不正だらけの選挙で権力を得たのだ。その一味の仕事も然り。

二人の功績は、軍人・民間人あわせてアフガン国民20万人の犠牲、国の破壊、行政腐敗、強盗・窃盗、10歳の少女にまで売春を奨励したことである。アシュラフ・ガニー政権は、パキスタンの助言に従って、軍の駐屯地を見捨ててハッカーニ・テロリスト集団に与え、軍の部隊を仲間たるテロリストに降伏させた。

1年半にわたるドーハでの密室交渉の末、和平協定に盛り込まれた条項は、一般的なものを除いてすべて明らかにされていない。アフガニスタンの国民は完全な情報空白状態に陥り、軍の部隊はテロリスト集団たるターリバーンに降伏した。ターリバーンはドーハ和平会議での公約に反して、勝利に貢献したテロリストたちをカブールの中心部にかくまった。だが今日、このシナリオが別の意味で利用されている。

アフガニスタンの国民は、西側世界のメディアが大国の目標に貢献するものであることをよく知っている。ハミド・カルザイとアシュラフ・ガニーという二人の操り人形の在任期間中、そそられ、ひかれる言葉が道具として使われた。人権の尊重、民主主義、社会正義、透明性と説明責任、透明な選挙などという言葉だ。しかしそれは空疎なプロパガンダでアフガニスタンの国民に何の成果ももたらしていない。

ムッラー・バラダールとムッラー・ヤクーブが、潜伏先情報をアメリカ人に提供した可能性は高い。周辺住民によれば、アル=ザワヒリの住居が空襲される前は、シラージュッディン・ハッカーニとパキスタン大使館の車両10~12台が2ヶ月間、定期的にそこに出入りしていたそうだ。また、パキスタン・ターリバーンが滞在していたカーブルのデ・マザンおよびクシャル・ミナの2、3カ所が攻撃のターゲットにされた。ちなみに、90年代前半にカーブルの虐殺者、破壊者として知られたグルブッディン・ヘクマティアール(Gulbuddin Hekmatyar)は、ザワヒリ邸襲撃の前日に家族とともにペシャワルに逃亡している。

ターリバーンは28年間、アフガニスタンを破壊し、その国民を虐殺するために代理戦争を行ってきた。しかるにムッラー・ヤクーブは権力を維持するためにと、いまインド人やアメリカ人の門にキスをしている。(米国が)アフガニスタンを占領している間、何百もの架空の学校の建設が語られた。だが民族の不統一はピークに達した。何千何万の男性、女性、子供、そして民間人や軍人が殺され、腐敗したシステムは崩壊した。カタールから帰国したムッラー・ヤクーブは(訳注:7月8日にカタールを訪問)、管轄する3つの軍事部隊をカンダハルに移した。それはバドリ313大隊(訳注:ハッカーニ・ネットワークに属するターリバーンの軍事組織)、自殺集団、そしてムハジリーン(難民)またはアンサル・ウル・イスラーム(訳注:イスラーム・スンナ派神秘派主義の運動体)と呼ばれる部隊である。従って、カンダハリー・ターリバーン(訳注:ターリバーンの中心部隊)は暗殺作戦実行時にカーブルにはいなかったのだ。

未来は暗く、テロ組織の数は著しく増加する。ターリバーン勢力がアル=カーイダというテロ集団に合流。ターリバーンの戦線は防ぎ切れぬほど拡大し、この政治的賭博の結果、謎の動きが増える。各グループの多くの旗が様々な場所で振られ始め、アフガニスタンは新たな諜報ゲームの中で悲劇のステージに突入している。この汚いゲームでは、アフガン国民の利益は一切語られない。

ターリバーンは圧力を受けると、いつもドーハに行き、暫定政府だからと言い訳をする。こうしたゲームに、パキスタンが積極的に参加するのは、国の発足以来その存続が常に国民の熱狂の高まりに基づいてきたからだ。パキスタンはアフガン政府を3回にわたって破壊した。しかし反パキスタン戦線は今も形成途上だ。インド、イラン、トルコはこの領域の情勢悪化を懸念するも、それぞれ独自に戦線をつくって満足している。こんな状況でアフガニスタン国内では、南(パクティア)のハッカーニと西(カンダハル)のムッラー・バラダールという2つの敵対極が形成されつつある。そのため世界列強が代理ゲームを展開して介入し緊張を高め、アフガニスタンは周辺領域ごと内紛に引きずり込まれ、そして悲劇的な災いが我が国と国民に課されることになる。

従って、国を救う唯一の解決策は国民的統一である。過去、いかなる外国も我々の国に有効な臨時政府をもたらすことがなかったことを忘れてはならない。いつもボン会議の失敗の繰り返しだった。つまり国民の意思の統一が、現在の嘆かわしい状況から抜け出す唯一の方法なのだ。ターリバーンは統一アフガニスタンでは出番がない。外国人の目的を達成し諜報ゲームを燃え上がらせる役割しか持っていないからだ。もちろん、現在の困難な状況での国民統合の形成には時間がかかる。今のアフガニスタンは、カバからジャッカルまで、オオカミやキツネからヒョウやトラまで、あらゆる動物がむさぼり尽くす死体なのだ。

愛国心のある人々が、意見、政治信条、言語、民族、出身地などを問わず、国民的連帯感を持って団結して救おうとしない限り、わが国はこれからも困難な日々を過ごし、想像を絶する災害の繰り返しが目撃される。私の目とは裏腹に、状況が決して暗くはなく、厚い雲の向こうから晴れ渡った地平線が現れることを願っている。

 

結論

一部の人々が考えているのとは逆に、パキスタンの軍統合情報局(ISI)がパキスタンのムッラー(訳注:イスラームの聖職者)の助けを借りて、アル=ザワヒルをはじめとするアル=カーイダ幹部の隠れ家を特定したことは強調しておく必要がある。彼らがISIに報告したのだ。また、アフガニスタンにいるパキスタン・ターリバーン幹部の居住地を発見し、標的にするための捜索も行われた。

なんと滑稽なことだろう。アフガニスタンの素人でも、パキスタンの高級な官僚と軍人がカーブル市内のシルプールとワジル・アクバル・ハーン地域(訳注:アル=ザワヒリが居住していた地区)に駐屯していることは知っている。2021年8月15日にターリバーンがカーブルに進駐して以来、ISIの職員と工作員はターリバーンとともにアフガニスタン政府のすべての部署で活動してきた。

アフガニスタンは現在、パキスタンの占領下にある。アル=ザワヒリへの攻撃はカタールの米軍基地から、あるいはパキスタンのクエッタから行われた。様々な情報源から異なる説明がなされているが、どのように起こったにせよ、それはアメリカとパキスタンの諜報機関によって調整されたものだ。しかし、一部の人々は、西側の報道機関によって宣伝された同じストーリーを繰り返すだけである。ジョー・バイデン大統領の人気が最低レベルまで落ち、米国が急激な景気後退を経験し、インフレが加速しているときに、パキスタンが米国と協力してドローン攻撃を行ったことは間違いない。その国の人々は、全体的な物価の上昇と、生活費の上昇に心を痛めている。

アル=ザワヒリ攻撃の結果、アル=カーイダテロ組織の指導者が殺害されたことの仮説をめぐってターリバーンのさまざまな派閥間に不信がさらに強まるはずだ。このテロ組織は、米国とその同盟国と密接に協力し、ソ連および親ソ派旧アフガニスタン政府と戦っていた。それが今後もアフガニスタンの治安を悪化させることはいまさら説明する必要がない。このシナリオはすべての関係国が話し合って練リ上げたものとも思われる。

私の考えでは、現在のアフガニスタンの問題は、リーダーシップの欠如、過激派イスラーム思想の支配、非識字、国民の団結と連帯の欠如と密接に関係している。これらが無くなれば、アフガニスタンの人々の蜂起によって、状況は変わるはずだ。アフガニスタンでアメリカがこしらえた前政権は偽物で、内部には何百もの日和見主義者が巣くっていた。その後、ターリバーンがカーブルで権力を握ると、今度は各部族が日和見主義に走り、ターリバーンを利した。そのために混沌とした状況が継続している。今こそ、こうした日和見主義と決別するときだ。

(原注1:オマル師(Mullah Mohammed Omar)は、カンダハ−ル出身の元ターリバーンリーダー。暗殺されたパキスタンの元首相ベナジール・ブット(Benazir Bhutto)政権の外務大臣ナスルラ・バブール(Nasrullah Babur)によってでっち上げられた。ムッラー・ヤクーブは、オマール師の偽息子。)

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