We’re repeating the mistakes of Afghanistan. We should do better in Ukraine

英語原文https://iai.tv/articles/were-repeating-the-mistakes-of-afghanistan-auid-2217

by Hew Strachan | Professor of International Relations at St. Andrews, and world-renowned expert on war, military strategy and the British Army.

筆者:ヒュー・ストラチャン:セント・アンドリュース大学(訳注:15世紀から続くスコットランド最古の大学)国際関係学教授、戦争・軍事戦略・英国陸軍の世界的な専門家。

※<セント・アンドリュース大学ウェブサイトより> サー・ヒュー・ストラチャン教授は軍事史の権威で専門は19〜20世紀ヨーロッパ軍事史、第一次世界大戦、現代戦略研究。帝国戦争博物館評議員。コモンウェルス戦争墓地委員。UKとスコットランド両方で第一次世界大戦百周年諮問委員を務めた。王立歴史協会およびエディンバラ王立協会の会員。セント・アンドリュースに来る前はオックスフォードで戦争史の欽定教授(君主が支援・任命する教授)だったが、現在もオール・ソウルズ・カレッジ(オックスフォード大学)の理事会員。

 

(WAJ)iai(インスティテュート・オブ・アート・アンド・アイデア)は「世界の考え方をかえる」との基本コンセプトのもと2008年に設立されたイギリスの団体。哲学と大きなアイデアが文化の中心であるべきだと宣言し「世界をリードする思想家による 1000 以上のディベート、トーク、インタビュー」を掲載する、としている。下記に紹介するヒュー・ストラチャン氏のエッセーは、アメリカとともに率先してアフガン戦争に加担したイギリス人の見解として聞くべきものがある。)

 

<iai newsのリード>

カーブルがターリバーンに陥落してから1年、米国とNATOは動き出している。それはウクライナへの支援で、たとえ代理戦争だとしても、アフガニスタンでの失敗の記憶をある程度は浄化してくれた。しかし、何が間違っていたかを振り返ろうとしなければ、ウクライナで同じ過ちを繰り返す危険性がある、とヒュー・ストラチャンは主張する。

 

米国、NATO、そして「西側」にとって、今日のウクライナ戦争と昨日のアフガニスタン戦争の違いは、比較するのがはばかられるほど大きく思えるだろう。一方は対反乱戦であり、他方は国防の大規模戦争である。一方はアジアで戦われ、もう一方の舞台はヨーロッパだ。 しかし、一瞥しての違いはあっても、類似点は十分にあり、立ち止まり考える機会を与えてくれる。

NATOは、ウクライナにシフトチェンジして、紛争から紛争へと行進し、アフガニスタンを忘却の彼方へと追いやっている。昔々アフガニスタンは、少なくともイラクと比較すれば「良い戦争」だったが、今日の良い戦争はウクライナである。われわれが民主主義の中心であると認める価値を守るために、両戦争はそれぞれ、かつてそして今、形作られた。しかし、われわれはその共通点を理解し、2021年8月の敗北を振り返りもせずさっさと受け入れた自身の気まぐれさにはたと気づくべきだ。ウクライナで同じ過ちが繰り返されようとしている今、アフガニスタンが教えてくれたはずの教訓を、この一周年がわれわれの肝に銘じさせなければならない。

 

現代の戦争に勝者はいないというのは、言い逃れ

両戦争行為においてNATOが設定した明確な目的は、価値観の共有という美辞麗句だけだ。アフガニスタンのための戦略では、国家建設なのかテロ対策なのかがうやむやで、和平交渉でアメリカがそれまでの戦争を継続する決意を放り出すまで決め切れなかった。今日、NATOの圧倒的な優先事項は、ウクライナに自国を守らせることだ。 それによって、NATO諸国は、成功の最終形を前もって想定しておくプレッシャーから解放される。少なくとも内心では、現在の戦況にもとづく交渉をよしとする国もあれば、2月24日時点の境界線の回復を主張する国もあり、ウクライナのクリミア奪還を夢想する国も、わずかだがある。さらに何人かのリーダーにとっては、ウクライナ戦争が、プーチンの失脚とNATOの強化・復活という別の目的を達成するための手段でもあるのだ。

これらの目的は当面、共存できる。アフガニスタンでも反乱鎮圧とテロ鎮圧の二つの目的が20年近く両立したように。ターリバーンとの和平交渉に及んで初めて、二者択一を迫られ緊張が明るみに出た。ウクライナ戦争の当事国も、いつかは選択を迫られることになる。 その瞬間は必ずやってくる。迫るウクライナの崩壊を防ぐためNATOの支援拡大が余儀なくされようとも、ウクライナが反抗しロシアがいま自国領土とみなす所にまで戦地を押し戻そうとも。アフガニスタンで、NATOは明確な勝利の概念をすべて捨て去り、その結果、敗北した。それを保ったターリバーンは勝利した。現代の戦争では誰も勝てないというのは、言い逃れだ。

 

同盟側自らは反論するが、プーチンがウクライナをNATOのための代理戦争と見なすのは間違っていない。

ウクライナ紛争も結局は、生き残りをかけた戦争なのだから、NATO指導者たちが、何をもって勝利とするかを決めるのはウクライナであると述べているのは間違いではない。それは、少なくともアフガニスタンから学んだ教訓のように見える。米国は2001年にハミド・カルザイ大統領がターリバーンを政権に迎え入れるのを阻止したが、その後、彼の後継者であるアシュラフ・ガニーとNATOの同盟国の頭越しにターリバーンと交渉することを選択した。しかし、ロシアとターリバーン、この2つの紛争の見かけ上の違いにだまされると、重要な類似点を見落とす。NATOがアフガニスタン戦争を代理戦争としたことで、その増し続ける重荷を背負ったのがアフガニスタン国家治安部隊と部族民兵で、アフガニスタン政府は部族民兵に頼るようになった。米国が支援をやめたとき、どちらも崩壊した。アフガニスタン国家治安部隊は、特に空からの支援を受けることを見越して訓練され、それに頼りきっていたからだ。

同盟側自らは反論するが、プーチンがウクライナをNATOのための代理戦争と見なすのは間違っていない。 NATO諸国は、自国の軍隊の生命を危険にさらすのを避け、軍需品と資金の供給でウクライナに戦いを続けさせている。NATO諸国は依存的なウクライナを生み出すのに邁進し、それと同時に、自国の軍隊の能力を増したり、軍需生産の長期的動員を計画するという、この戦いの結果へのしかるべき対処を免れている。NATOの支援が途絶えれば、ウクライナは敗北する。 アフガニスタンでやったように、米国が特に中国との緊張を理由にウクライナ戦争から撤退した場合、欧州のパートナーは、2021年のときよりも強い継続の意志があると証明できるだろうか。 また、NATO全体が固い関与を続けたとしても、実際に戦闘を行っている人たちに行動の自由をすすんで下げ与えるだろうか。

 

あまりにも多くのアフガン人が苦しんできたのは、われわれの約束に期待したのに、最後にわれわれがその約束を遵守しなかったから

2021年にアフガニスタン政府が急速に崩壊した原因は、その経済にオイルをさした汚職とするのが通説だ。しかし、このような非難は、まずもって汚職をあおった浪費に気づかずなされていることがあまりにも多い。海外からの援助は、複数の援助元を発して、十分な説明もないままあてがわれ、アフガニスタンを戦争の継続に依存させた。そして同時に、すでに弱っていた国家をさらに弱体化させたのである。今回の状況は違う。ウクライナはアフガニスタンほど貧しい国ではない。だが、戦争の結果かえって、後進国の農村経済ではありえないほど国家インフラが直接破壊され、はるかに深く苦しんでいる。2022年以前、ウクライナがEUに加盟を求めた際、汚職と組織犯罪の両方が欧州連合に足踏みをさせ、対内投資を抑制する要因になった。戦争が要求する金融統制の緩和は、政府機構の強化によってのみ相殺することができる。だがそれは、いままさに存亡をかけて戦っている国家にとっては困難な作業である。誰が会計を管理しているのかという問題は、ウクライナでもアフガニスタンと同様、不透明だ。NATOがウクライナ国家を内側から侵食することに加担するのは間違いで、ウクライナを親切心から殺してしまうことになる。

自国が当事者である戦争では、ある意味で非国民と思われずにその行為を自己批判することは難しい。このことは、アフガニスタンで繰り返し起こった問題だった。作戦成功の物語は、直接関与の不可欠な付帯条件だった。西側諸国は、9・11同時多発テロによる米国攻撃の後と同様、今回も自分たちが誰の味方かを明確に示している。しかし、関与したからには、自己を認識する責任と、プレッシャーの下で行われた決定の二次的、三次的な結果に対処する責任が伴う。あまりにも多くのアフガン人が苦しんできたのは、われわれの約束の周りに期待を築いたのに、最後にわれわれがその約束を遵守しなかったからだ。政治的分裂、生活費の高騰、気候変動への懸念がヨーロッパとアメリカの国内論議を支配するなか、ウクライナは政府・国民の議題から逸脱しつつあるように見える。アフガニスタンでの実例よりも素早く。2022年2月24日、NATO諸国と「西側」集団は、ウクライナにおけるロシアの野心という現実に目を覚まされたが、それはあまりにも遅すぎた。だがそれ以降は、間違いよりも正しい行動をより多くとっている。アフガニスタンの経験から彼らは思い出すべきだ。ハンドルを握って眠りについてはならぬことを。運転中に、バックミラーをちらりと見るのは賢い行動なのだ。

by Hew Strachan

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