Multidimensional Ignorance and Internal Factors Enabled Ground for Taliban to Regain Power
By Najmuddin Hossaini in Hasht-E Subh on Aug 20, 2022
(出典:https://8am.af/eng/category/opinion/)
筆者: ナジムッディン・ホセイニ 2022年8月20日
(WAJ:ここに紹介した意見は、これまで幾度も強調されてきた、アフガニスタン問題の外部的要因ではなく、アフガニスタン人自身の問題点に迫ろうとしている点、および、アメリカ占領期間中(しかも後期に)に育ってきた若い世代のものである点に注目してほしい。ターリバーンは異教徒の外国勢力に対するジハードをおこなってきたがアフガン問題の基底にあるのは、インド亜大陸に残る中世的因習とイスラームの教義を利用した誤った過激主義の両方である。異教徒による表面的な直接支配がなくなった現在、アフガニスタンという国とアフガン人の意識に内在する問題にメスを入れない限り、アフガニスタンにおける本当の進歩=平和は訪れないだろう。今号に併載した同じく若い筆者による主張(ターリバーン2.0 : 奪権1年の軌跡)と合わせて読み、アフガニスタンにおける若い世代の成長と活動に注目してほしい。)
<ハッシュテ・スブ リード>
この短文では、簡単かつ大まかに、カーブル政権の崩壊に影響を与え、20年間の根拠のないジハードの後にターリバーンが権力奪取に向け攻撃的に行動する道を整えたいくつかの内的要因について論じる。
<本文>
今年の8月15日は、アフガニスタン権力の核たる心臓であるカーブルをターリバーンが奪取して1年の記念日だ。それは復権であった。かつて1996年から2001年まで、アフガニスタンは彼らによって支配された。2度目の権力獲得は外部からは予想外だったようで、カーブル陥落がアフガニスタンの大災害のピーク点としてクローズアップされているが、この不幸の背景は2014年から徐々に進行していたのだ。
2014年、モハマド・アシュラフ・ガニーがカーブルの大統領官邸に道を開いたとき、アフガニスタン政府とターリバーンの和平交渉に関する議論は新たな旅立ちを迎えた。この交渉については、アフガニスタンのソーシャルメディア利用者や現地のマスコミが幅広く取り上げた。しかしそれで終わり。誰もこの問題の根幹を考えなかった。まるである種のひどい無知が行く手を阻んでいたかのように。
したがって、議論は痛々しいほど表面的で、ポピュリズム的だった。アフガニスタンの高官たちは、会談が失敗してもターリバーンから国を守れると約束していた。彼らは自分たちの政治的、軍事的弱点を隠していたのだ。そのうえ、政府高官であるアシュラフ・ガニーとアブドラ博士(訳注:統合政府の最高経営責任者、のち国民和解高等評議会議長)のふたりは、権力の奪い合いや国の内外にある自分や仲間の口座を富ませる争いで、鋭い対立を続けていた。
その結果、経済的・行政的腐敗が蔓延し、国のあらゆる機関が機能しなくなった。治安部隊の弱体化につれ、会談の席や戦場でのターリバーンへの譲歩が日に日に強く要求された。2019年の選挙とそこから生まれたスキャンダル(訳注:ガニー候補とアブドラ候補がお互いに勝利を主張し譲らずアメリカの仲介と圧力と金の力でガニーを大統領、アフドラを国民和解高等評議会議長とする金銭決着でケリをつけた)は、平和へと至る希望を棺桶に入れ最後の釘を打ち込んだ。
これに対して、ターリバーンは、自分たちこそ無知と抑圧の真の象徴であるとすっかり開き直り、戦場でも交渉の場でもより力を得た。彼らは会談に真剣に臨むのでなく、NATO軍がアフガニスタンから撤退する瞬間までの時間稼ぎに使おうとした。そのうえ、彼らはアフガニスタン全土で攻撃を圧倒的に強化し、その地理的支配範囲を拡大し続けた。過激派としての夢を現実のものにするため努力したのだ。国を再征服し、完全な過激派イスラーム国家を樹立する夢だ。同時に、彼らはロシア、中国、イランなど多くの国々と関係を築き、国内外への働きかけを強めていった。
しかし、無知も度を超すと、ひどい社会的無関心へ、そして政治的無関心へとさえもつながる。隠れた社会的共謀が、ターリバーンを利するよう今の社会の雰囲気をお膳立てしたように思えた。私が無意識の社会的共感と呼んでいるものだ。国民は、市民活動家、社会運動家、女性、作家、メディアといえども誰ひとり、1990年代のターリバーン支配の4年間とその後20年にわたり彼らが引き起こした流血について真剣に問いかけなかったのである。ターリバーンが権力を失っていた20年間、カーブル政権はターリバーンのイデオロギーに真剣に異議を唱えそこねた。この間、過激主義とその行き着く先を糾弾する真剣な警告書は一冊も書かれなかったし、彼らの過激なイデオロギーを糾弾する真剣なテレビ番組も放送されなかった。まるで、ある種の意図せざる、暗黙の共謀が社会に浸透していたかのように、ターリバーンは復活した。
2020年6月、インドで学生をしていた時のことだ。『平和の展望、真の静穏は実現するか』と題する記事を発表し、私は和平交渉とその結果としての余波に疑問を呈した。その中で、私は警戒を呼びかけた。一種の不誠実な「取引」が行われていると訴えた。この取引は不適切だった。私の指摘はこうだ。「基本的に、私たちは平和とは何かを自問したことがない。平和のために何を犠牲にすればいいのだろうか。平和の明確な定義があるのだろうか。そもそも、平和が確立できるのだろうか? 物語の向こう側(ターリバーン集団)が極端な原理主義者で、反女性、反自由、反人権なのに。本当の平和はいつか達成されるのか?」
ここまで述べたとおり、2021年8月15日の結末は予期せぬ出来事どころか、多次元的な無知が導く必然であった。透明性を欠き、異議を唱えず、社会的知性を無くした結果だった。こうして、独断的な集団に国が委ねられた。彼らはアフガニスタンにおいて、社会的、基本的人権ばかりか、宗教の自由、教育の権利、すべての市民権をも排除する。ターリバーンに対する敗北は、銃に対するペンの敗北、収容所に対する大学の敗北、蛮勇に対する礼節の敗北であった。ターリバーンの成功は、それ自体が無知の勝利であっただけでなく、私たちの無知のおかげで、人間の価値が揺さぶられ押し倒されたのだ。
ナジュムディン・ホセイニ:ヘラート大学でジャーナリズムの学士号を、インドのプネ大学で哲学の修士号を取得したアフガニスタン人。人権、女性の権利、教育権、環境問題などをテーマに国内外のメディアでフリーランスとして活躍中。