Pakistan Centre of Terrorism, Pursuing its Interests in Instability of Afghanistan.
パキスタンは、
ファテー・サミ (Fateh Sami)
2022年8月22日 (22 August 2022)
政治アナリスト、政治家、社会・政治学者が資料に基づいて何度も証明しているように、パキスタン軍は2003年以降、アフガニスタンに駐留する外国軍に対するテロ活動を行うためにターリバーンを組織した。ターリバーンはパキスタンの宗教学校で教育洗脳されアフガニスタンに送られた。パキスタンの指揮下にあるターリバーンのリーダー、シラージュッディン・ハッカーニ(Sirajuddin Haqqani)がその頭目であった。それ以前にも、パキスタンはアル=カーイダ(Al-Qaeda)のようなテロ集団と密接に連携していた。アフガニスタン北部の有名な対テロ指令官であるアフマッド・シャー・マスード(Ahmad Shah Masoud)の殺害犯がパキスタンを経由してアフガニスタンのタハール州に入ったように。マスードはISI(パキスタン軍統合情報局)や他の世界的な諜報網との結託により暗殺された。(訳注:2001年9月9日)
アル=カーイダは以前(訳注:1998年アメリカ大使館爆破事件。その報復としてアメリカはスーダンとアフガニスタンをトマホークを使って爆撃した)、タンザニアのアメリカ大使館を自爆テロで攻撃したことがあった。パキスタン軍は、オサマ(Osama)やアル=ザワヒリ(Al-Zawahir)といったアル=カーイダの指導者がアメリカに指名手配されていたにもかかわらず、彼らと密接な関係を持っていた。専門家によれば、パキスタンはアル=カーイダとハッカーニ・ネットワークの関係を管理して、アフガニスタンで自爆テロを実行した。オサマは数年間、ISI本部の近くにあるパキスタン軍基地の隣に住んでいた。米軍ヘリの軍事作戦によりパキスタンのアボッターバードで殺害されたと報道されるまでは(訳注:2011年5月2日)。しかし、彼の副官であるアル=ザワヒリは、アメリカの諜報機関の標的だったが、カラチに住んでいたため攻撃されなかった。
この20年間の展開をみれば、ターリバーン集団が諜報作戦そのものであることは明白だ。特定の目的のために、彼らはアフガニスタンの政府と国民に対してパキスタンで武装化され、資金を提供された。今、ターリバーンはカタールの首都ドーハにおける和平交渉という名の政治的取引(訳注:2020年2月)の結果、権力を握った。彼らはパキスタン軍によって管理されている。カーブルのパキスタン大使は総督の役割を担っている。パキスタンはターリバーンやジャイシュ=エ=モハメド(Jaish-e-Mohammed/訳注:カシミールを拠点とするパキスタンの過激派)、シパ・エ・サハバ(Sipah-e-Sahaba/原注1)、ラシュカル・エ・ジャンガウィ(Lashkar-e-Jangawi/訳注:アフガニスタンのデオバンド・スンナ派至上主義者)などのすべてのテロリスト集団を道具として使っている。パキスタンはアメリカのニーズに便乗し、ターリバーンへ及ぼす広い影響力を駆使して、様々な方法でアフガニスタンを新しいゲームの中心地にしている。アフガニスタンはパキスタンの敵対的な介入により、膨大な財政的、人的損失を被っている。
パキスタンは、アフガニスタンの不安定化による利益を追求している。そのため、アフガニスタンはこれまでずっと組織的な戦争に巻き込まれている。それを押しつけたのがパキスタンとその同盟国を筆頭とする諸外国である。現在進行中の騒乱は、アフガニスタンに政治的、経済的、社会的困難をいろいろと引き起こしている。パキスタンの計画は、ターリバーン支配下のアフガニスタンにテロリストとその指導者を移送することだ。それによって自国の軍と諜報機関の肩に負わされたテロの誹りを軽減し、この国を国際通貨基金の制裁リストから取り除こうとしている。直面している重い経済的困難を取り除くため、イスラマバードはターリバーンを目標達成の道具にしたいのだ。
なお、ソ連とのジハードでは、殉教運動という名目で問題提起されることもあったが、当時はテロ運動や自爆攻撃は一切認められておらず、コーランに基づくシャリーアで理論づけもされなかった。おそらく、当時はそのような運動のための舞台が準備されておらず、多くの戦闘員がパキスタン軍と全く無縁だったことが主な理由であろう。総じて言えるのは、ジハードの指令官やムジャヒディーンおよび戦闘員の顔ぶれが、ほとんど教育を受けた人々であり、他方、当時の文化的信条がテロリスト育成を許さぬ強い砦になっていたということである。
国際報道によると、アル=カーイダの指導者アル=ザワヒリは、パキスタンISIの協力により、カーブルのシルプールで殺害されたとのことだ。パキスタンのバローチスターン州(州都はクエッタ)、アフガニスタンとの国境から190キロ南に入ったシャムシー空港を離陸した無人爆撃機は、パキスタン領空を通過した後、問題なくカーブル領空に入り、厳重な警備の下にある民家にいるアル=カーイダ指導者を標的にした。この作戦をターリバーンのどの人物、どの派閥が推進したかは問題ではない。なぜなら、どの道ことの本質は決定権を持つパキスタン軍にいきつくからだ。ターリバーンはパキスタンの命令を聞く傭兵にすぎない。
この事件では、ターリバーンが軟弱な反応を示し、アル=ザワヒリの遺体を密かにカンダハールに移し、そこに埋葬したと噂されている。ターリバーンの反応が穏やかなのは、彼らがこのシナリオに関与しているか、パキスタン軍が沈黙を強要していることの表れだろう。今回、ターリバーンがアル=ザワヒリの居住地を暴露してアメリカとパキスタンを助けたか否か、その疑問が解けることはないだろう。同じく、彼らのリーダーたちが急いでカーブルを離れ、国境を越え、南ワジリスタン州のチャウリ(訳注:パキスタン・
しかし、この話はまだ終わっていない。通信社によると、ガズニ州内でもドローン攻撃が行われた。(訳注:ハシュテ・スブによると8月6日土曜日午後6時ガズニ州アンダル地区がドローン攻撃を受けた)さらに、パクティカ州バルマル地区からの報道によれば、テヘリーク・エ・ターリバーン・パキスタン(TTP/訳注:パキスタンのターリバーン)のオマル・ハリド・ホラサニ(Omar Khalid Khorasani)、ハフィズ・ダウラット・カーン(Hafiz Daulat Khan)、ムッラー・ハッサン(Mullah Hassan)という三人の司令官が、アル=ザワヒリもその一犠牲者だった同じロケットで殺された。だが驚くべきことに、ターリバーンは、今回初めてこの攻撃を否定し、地雷の爆発による犠牲であると主張した。
死者の一人オマル・ハリド・ホラサニの本名はアブドゥル・ワリ・モハマンド(Abdul Wali Mohmand)である。彼は、ジャマート・ウル・アーラル(Jamaat-ul-Ahrar)・グループ(訳注:TTP=パキスタンターリバーンの一派)のリーダーで、5年前の空爆でも生き残った男だ。この殺害がアメリカとパキスタンの間だけで行われたのか、それともターリバーンも関与しているのかはまだ明らかではない。しかし、クナール州でもTTP(テヘリーク・エ・ターリバーン・パキスタン)の別の司令官が無人機によって殺害されたこと、およびその攻撃に対するターリバーンの沈黙は、ターリバーンの指導者とパキスタン政府の間に一種の了解関係があることを示している。
TTPの三人の指導者の死と引き換えに、パキスタンはザワヒリを米国の罠に投げ込んだ(訳注:TTPとパキスタン当局は敵対関係にある)。この行動は、ターリバーンの信頼と威信をどれほど低下させ、彼らを傷つけたことだろう。この行動は、テロとのゲームの裏側と解釈でき、それが諜報戦の舞台へと移ったことを示している。
アル=ザワヒリの殺害、パクティカ州でのTTP三司令官の殺害、そしてクナール州でのパキスタン無人機によるこの運動の別の司令官の殺害と続き、アメリカ・パキスタン間のテロゲームに新局面がもたらされている。新しい季節がやってきたのだ。バイデンは、今回の攻撃に対する声明の中で、9・11米国同時多発テロ攻撃の発案者の一人、世界各地での対米テロ攻撃の黒幕でもあったとアル=ザワヒリを形容し、このアメリカの正当な標的たるテロ要因を排除したことで正義が実現されたのだ、と述べている。
今から21年前の10月7日(2001年)、9・11同時多発テロ事件の結果、広範囲にわたる軍事力を持つアメリカは、貧しく無防備な国民を抱える小国アフガニスタンを軍事攻撃の対象とした。その攻撃理由は当時のターリバーン政権が支援したアル=カーイダのテロ拠点を解体することだった。この作戦は、西側の宣伝機関やスパイ機関の広範な熱狂を伴い、国際世論がアメリカとその軍事連合の軍事攻撃を容認するための有利な環境を作り出し、適法性のない武力攻撃を正当防衛とテロとの戦いという呪文で正当化することに、ワシントンは成功した。
ターリバーン追放後、テロとの戦闘継続と、人権水準の引き上げを伴う民主化推進を錦の御旗に、アメリカ主導の軍事連合はアフガニスタンの軍事占領を開始した。だがそれには強力な軍事的、政治的、諜報的介入が必要で、その結果、アフガニスタンは血塗られた要塞となり、この国の山々は永遠に戦争の中心地となった。南部国境を越えたあたり、パキスタン領内にいまいるテロリスト集団は、中央の統制を脱した連中で、アメリカ・アフガニスタン間の安全保障防衛協定など意に介さない。そこで、アメリカ側はパキスタンとの共同防衛に打って出て、こうした最新の空爆戦術をとり、テロの出発点たる首謀者たちを緻密に攻撃している。ところが、この二カ国こそがテロリストセンターで、政情不安の拡大とテロ活動発展の基盤なのだから始末が悪い。
こう見て来ると、アフガニスタンに軍事駐留した全期間にわたって、バイデン氏とその前任者が、ワシントンの本音を繰り返し漏らしていたことに気がつく。つまり、ホワイトハウスのボスたちには、政府と国家の建設をアフガニスタンだけにとどめておくつもりは毛頭無いのだ。だから、アフガン大統領選挙に介入することで、違法・非民主的選挙からわいて出た非合法政府を絶えず支援し続けたのである。それは、国民の意思をベースにした国家の建設と統治の確立へのプロセスを弱体化させ、多くのマフィア傭兵が権力を分け合う原因となった。アフガニスタンの再崩壊は、アメリカの支援を受けた政権によって仕組まれたのだ。
テロリストとのアメリカの不名誉な取引
ターリバーン・テロリストとのこの不名誉な取引でアメリカの鍵を握った人々がいる。その中には、アシュラフ・ガニー(Ashraf Ghani)とその側近たるハムドゥラ・モヒブ(Hamdullah Mohib)およびファズリ(Fazli)も含まれている(彼らはいわゆる三人政権の中核だった)。この連中が前もって知恵を絞り、権力放棄の条件を定めたのだ。この体制の破綻には段階があった。まず、テロリスト7000人が刑務所から釈放された(訳注:アメリカとターリバーンのドーハ合意に基づく措置、一説には5000人)。それぞれがテロ活動、待ち伏せ、自爆作戦の教唆、爆破、組織的・連鎖的殺人によって、何百人もの人間の命を奪った殺人鬼だったにも関わらず。釈放後、彼らは一人残らずターリバーンの戦列に加わった。
次にザルメイ・ハリルザド(Zalmay Khalilzad)の働き。彼はいわゆるドーハ和平交渉でのアメリカ側特別代表で、秘密取引を行ってターリバーンの立場を政治的、軍事的に強化した。ターリバーンを権力の座に就かせた主要な工作者の一人と見なされている。この失敗した任務の廉で彼は裁かれるべきである。なぜならば彼こそが、アフガン人の殺害を引き起こし、パキスタンと手を組みターリバーン・テロリスト集団を権力に引き入れた張本人だからだ。その手段は、米国政権とアフガン国民双方にニセ情報を提供すると言うあきれたものだった。
遡れば、アメリカの傀儡の一人であるハミド・カルザイ(Hamid Karzai)も、大統領在任中にターリバーンの立場を強化する重要な役割を果たしていた。ハミド・カルザイとアシュラフ・ガニーという二人の傀儡大統領、そしてドーハのアメリカ平和特使であるザルメイ・ハリルザド。この三人は、ターリバーンの土台を築いた主な下手人である。彼らの大失敗が、国家を急転回させ破滅へと陥れた。そのゆえにみな起訴されなくてはならない。
少し思い返してみるとわかることがある。アフガニスタンの崩壊を準備し、政権中枢にテロ仲間を確立させる算段は、西側からの支援によって成熟したのだ。彼らは政権奪取後もさらに段階を経て発展し、いまの病的で残虐な体制へとつながっている。ワシントンとターリバーン武装勢力の間では、広範な秘密交渉がとり行われた。そのターリバーンを、アメリカは戦略上恐るべきテロリストと密接に協力しているとかつて非難したにも関わらず。それはカーブルの戦略的パートナーたるアメリカの最も恥ずべき行動であり、西側諸国とカーブルとの全面的な約束と矛盾・対立するものだった。その結果が、2000年2月のドーハでの協定調印であった。
実際、ドーハ協定はターリバーン集団へ権力を無条件で移譲することを明確に規定しており、政治的・法的観点からその内容は文書化され、カーブル政権の参加なしに米国と武装野党の間で調印されたものである。これらの合意は、カーブルの戦略的友人が、反テロ闘争の旗印のもと20年間アフガニスタンを占領したにもかかわらず、降伏に舵を切ったことを反映しており、その結果は相変わらずの、政治的、経済的、社会的破産で、現在わが国民はそれによって苦しんでいる。
バイデン氏が政権に就いて予定よりも早く米軍が退去したことは、想定外の事態ではなかった。撤退は政権移譲を保証したドーハ協定の精神に則って実行された。ホワイトハウスは、アル=カーイダとその支持者がアメリカの利益にとって、さしたる脅威でなくなったために軍の即時撤退を確約したのだった。そこへ、今回カーブルにおけるアル=カーイダネットワークの指導者アイマン・アル=ザワヒリの殺害というシナリオである。アメリカの複数の上院議員やシンクタンクの活動家が強調しているように、テロとの闘いにおけるアメリカの戦略的失敗の摩訶不思議なひとこまである。
下院情報委員会(訳注:米国の諜報活動を監督する委員会で現在13名の民主党議員、9名の共和党議員で構成されている)における共和党トップは、バイデン大統領が議会と米国民を欺いたと非難した。昨年の米軍撤退時にアル=カーイダがアフガニスタンにもたらす脅威を低く見せかけたのがその理由だと言う。デイリーメール紙によると、アメリカ合衆国下院情報委員会の共和党代表マイク・ターナー(オハイオ州選出)は、米国の攻撃がカーブルでのザワヒリによるテロ支配に終止符を打ったことを認めつつ、バイデン政権が新たなる脅威への対処には失敗したと論じた。つまり、撤退前にアフガニスタンには最早アル=カーイダなど存在しないと明言し確約したバイデンの責任を問うた。
さらにフォックス・ニュース・デジタルの記事(原注2)によると同議員は、米国がアフガニスタンに留まる理由はないという以前のバイデン氏の主張は不誠実なものだった、それを証明したのがアル=カーイダ指導者アイマン・アル=ザワヒリの殺害だとし、次のように述べている。「大統領は正直であろうとしなかった。今は政府がアフガニスタンでザワヒリを殺害したとビクトリーランを決め込む場合ではない。アフガニスタンにザワヒリがいたこと自体が、アル=カーイダの確たる存在およびターリバーンとの関係の証拠であるとやがて認めざるをえない」と。
さらに記事は続く。バイデンは昨年、アフガニスタンにおけるアメリカの「永遠の戦争」は終わったと主張した。アル=カーイダなどテロ集団を叩くという当初の目的は達成されたと大統領は繰り返し強調した。
2021年8月、アフガニスタン撤退の決定を弁護する際に、バイデンは「アル=カーイダがいなくなった現在、アフガニスタンに何の利益があるのか」と言った。「われわれはアフガニスタンのアル=カーイダを殲滅するという緊急の目的でアフガニスタンに行った。オサマ・ビン=ラーディンも含め。そして成し遂げた。」
共和党はこの間、ホワイトハウスが米国のアフガニスタンからの退出を失敗させたと主張してきた。バイデンは撤退によって何十億ドルもかけた軍事援助をターリバーンへと放棄し、前アフガン政権の正当性を損ねたと彼らは言う。以上がフォックス・ニュース・デジタルの記事である。
マジョリー・テイラー・グリーン下院議員は、アル=ザワヒリの殺害をおかしなショーと呼んで、アフガニスタンからの恥ずべき撤退の司令官としてのバイデンの役割を批判し、バイデンがこの問題を世論をそらすために利用していると非難した。アル=カーイダ指導者アイマン・アル=ザワヒリの死後、バイデン大統領のはしゃぎっぷりを「ビクトリーラン」と形容し、ツイッターですぐさまさげすんだのはジョージア州選出共和党議員である彼女だ。バイデン氏は、アフガニスタンからの撤退の失敗や、いわゆる「ロシアとの代理戦争」、高いインフレ率などの問題に焦点を当てるべきだったと指摘した。(原注3)
さらに、「ザワヒリは9・11米同時多発テロ事件と米艦コール襲撃事件(訳注:2000年10月、小型船舶を使ったアル=カーイダの自爆テロ)を計画したとの肩書きだが、ほとんどのアメリカ人は彼が誰なのか知らないか忘れていた。しかし、知れば、彼の死を喜ぶのは当然だ。しかし、ジョーのビクトリーランはお笑いだ。テレビで無理にタフぶるジョーにはうんざり」と付け加え、こう締めくくった。「アメリカでは最近アル=カーイダからの攻撃に冷や汗を流す人はいないし、彼らのことを聞いたことすらない。しかし、アメリカ人が非常にストレスを感じているのは、いかに食料品やガソリンを手に入れるか、そして民主党の大増税が間近に迫っていることだ。」
また、リンゼー・グラハム(訳注:サウスカロライナ州選出共和党上院議員)ら国会に集う一流の政治家たちも、先のデイリーメールの記事で、米国政府のアフガニスタンにおける戦略の失敗を批判している。
付け加えると、CNNテレビは、アフガニスタンからのテロの脅威が広がっていることについて、米国の情報・治安当局の懸念が高まっていると伝え、1年前にホワイトハウスはいわゆるオーバー・ザ・ホライズン戦略(訳注:視界外の地平線の向こうから敵を攻撃する戦略・作戦)という枠組みで安全保障に取り組む作戦部隊を創設し潜在的脅威に立ち向かっているが、情報の不足からこのチームはアフガニスタン周辺のテロ運動の事例をひとつも特定できていないと指摘している。リンゼー・グラハムの「アフガニスタンからの攻撃を心配しているか」という質問に対して、FBIのグレース・レイ長官は、「そうだ、特にアフガニスタンから撤退して、情報の空白に直面しているので、心配している」と答えた。
訳注:CNN記事
https://edition.cnn.com/2022/08/05/politics/us-counterrorism-afghanistan/index.html
さて、このような要素を考慮すれば、アメリカ当局の力だけではアフガニスタンの地で、あれやこれやのテロ分子を殺すことができない。同時にその善人ぶった笑顔を現地で振りまくことも、もはやできない。さまよえる貧しい国内難民にあふれるアフガニスタンの状況を知りつつ逃げ出したのだから。アフガン人が壊滅的な人権侵害とテロの脅威の増大に直面し苦しんでいるのは、まさにアメリカの裏取引と戦略的隠蔽が原因なのに。アメリカの無責任な撤退がアフガニスタンに悲しい遺産を残したことを決して忘れ去るわけにはいかない。いずれその政治的、道徳的、戦略的失敗が明るみに出ると信じている。
カンダハール会議 ― さらなる帰順か権力の誇示か
木曜日(8月18日)、カンダハールで、複数の「ウラマー」(訳注:アラビア語で知識人や教師を指す)、ターリバーン政府の役人、民族の長老が参加する大規模な会議が開かれた。ターリバーンは、この一日の会議に約3000人が招待されたと主張している。この会議は、アル=カーイダの指導者アイマン・アル=ザワヒリが、カーブルでの米国の無人機攻撃で殺害され、米国とターリバーン間の協議に影を落としている状況下で開催された。ターリバーン外相アミール・カーン・モッタギー(Amir Khan Motaghi)はこの会議で、「世界との積極的な交流を望んでいる」と述べた。
これは、先月カーブルで行われたウラマーの大会議に続く、ターリバーンの二回目の大会議である。カーブル会議と同様に、この会議そのものが透明性を欠いていた。おそらく参加者でさえ、ターリバーンのリーダーの無意味で感情的な演説を聞く以外に何も達成しないことを承知していただろう。パキスタン、ISI(訳注:パキスタン軍統合情報局)の指導に基づき組織されたものだから。もちろん、誰もがただ自分の心に浮かんだことを何でも口にしただけである。それに対し前もってターリバーンの役人は、カンダハール会議の参加者は「重要な国家問題」を議論すると述べた。ターリバーンは懲りもせず、パキスタンの指示に従い、彼らの指導者であるムッラー・ハイバトゥラー(Mullah Haibatullah/訳注:ムッラーはイスラームの法や教義に精通したイスラーム教徒の男性に対する尊称)が会議に参加したと述べた。
この空虚な主張は、ターリバーンが嘘つきで、パキスタンの情報機関のスポークスマンであることの証拠だ。2018年にパキスタンのクエッタでムッラー・ハイバトゥラーは死んだ。以降パキスタンはハイバトゥラーの名で勝手な意見を表明している。世界をだましターリバーンが独立しているかのように見せるためである。アフガン国民はアフガニスタンが直接パキスタンの占領下にあることを知らないが、アフガニスタン全土では反ターリバーンの解放運動が絶えず盛り上がっており、それはパキスタンおよび関係諸国からなるターリバーン支持勢力への戦いでもある。
カンダハールでの会議は、カーブルのものと同様、ターリバーンの管理能力の欠如を浮き彫りにした。ターリバーンの代理人が集うこの種の会議では、結論を組織し、管理し、引き出すことができないのだ。逆に彼らのあいまいさ、複雑さ、透明性の欠如を暴露し、ついには実りのなさもさらけ出した。その結果は以下のごとく自明である。ただし、ひとりターリバーン指導部のみが、カーブルやカンダハールの会議への出席者を自慢し、権力を誇示できたと開き直っている。
1- この種の会議を開くことで、彼らは自分たちが大衆の支持を得ていること、「ウラマー」、部族の長老、政治指導者が自分たちを、そしてその政府を支持していることを示したいのである。このため、ターリバーン指導部は、カーブルやカンダハールの会議での演説で、絶えず国際社会の注目を集めようとし、同時に「シャリーア」(訳注:コーランとムハンマドの言行=スンナに基づく法律)の実施と「イスラーム体制」の確立に関する彼らの過激な政策を刷新した。そのために彼らは会議を繰り返し開いたのだ。
2- そうすることで、当初の予想はくつがえされた。カーブル会議でもカンダハール会議でも、述べられたターリバーン政策の大原則は、そのほとんどが前の「首長国」支配期と同じ手法に基づいていた。そして、同じバージョンのターリバーンが復活しつつある事実のみが強調された。今度の会議で、彼らは世界に対して明確なメッセージを発した。いかに外圧を受けようとも、ターリバーンがそのアイデンティティと性向と政治と支配を変えることはないと。
3- この二度の会議で明らかになるもう一つの点は、ムッラー・ハイバトゥラー・アクンザダ(訳注:アクンザダはハイバトゥラーの別名で「宗教問題に詳しい人の子」ほどの意味)の出席を信じ込む参加者の「忠誠心」である。ところがこのターリバーン指導者は肉体的に存在しない。むしろ、パキスタン人の将軍が彼の地位をかたって命令を発している。それはまるで幽霊だ。
4- ターリバーンによれば、「ウラマー」と部族指導者の投票だけが「イスラーム体制」の正統性の基盤をなしている。一般庶民には、政治指導者を選ぶだけの見識も知能もないというのである。カーブルやカンダハールの会議では、部族の伝統に基づいて「アミール・アル・ムーミニン」(訳注:イスラーム信徒の長)に忠誠を誓った。もちろん彼はターリバーンだ。つまり、これら会議のもう一つの目的は、ターリバーン政府の「内部正当性」を示すことである。
5- 従って、彼らの意見では、ターリバーン指導部はこのような会議を開くことによって、アフガン国民と国際社会に対して二つの異なるメッセージを送っているのである。国民向けには、あなた方のエリートや立派な代表者、宗教学者や民族の長老たちが「イスラーム首長国」を承認し、「アミール・アル・ムーミニン」に忠誠を誓ったことを伝え、その体制は合法であり、いかなる反対も「反乱」と見なされると脅している。
6- 国際社会に対するメッセージはこうだ。つまり、これら「三千人」の会議はアフガニスタンにおけるターリバーンの力と影響力を示すものであり、だから世界はこの力に従うべきであって、圧力をかけ、「イスラーム首長国」を孤立させようとするのをやめるべきだと。しかし、カンダハール会議は、カーブル会議ほどには政治的、宣伝的、メディア的な反響を得られなかった。その理由のひとつは、カーブル会議の失敗を引き合いに出して、カンダハール会議は駄目だろうという結論が内外の世論で湧き出ていたことである。
さらに、カーブルでアイマン・アル=ザワヒリが殺害されたことも理由としてあげられる。その後では、内部正当性を獲得したり、外部に力を誇示するためのターリバーンの宣伝活動は無意味となった。ターリバーンとアル=カーイダの複雑なつながりに関しては、何十もの疑問が謎のままなのに、ターリバーンは何も言いつくろわないのだから。
結論として
最近のさまざまな出来事を見ると、テロリスト集団はテロ支援国にとって死神であることがわかる。またテロのあり方が変化していることも見て取れる。つまり、テロの源たる恐怖、テロリスト、テロ、テロ支援国、それらすべての根っこは共通だ。つまりテロという言葉ひとつが、人から熱を奪い死へと至らしめる。
みなが同じ目標を求め、あらゆる国、あらゆる領域、全世界において戦略目標を達成しようとすればどうなるか。犠牲となるのは抑圧された個人だ。多くの国はテロと敵対すると言うが、行動が伴わない。むしろ、人々をだますための敵対で、それを聞いた世界の意見は安心し、テロとの戦いに興味を失う。テロとの戦いという名の下に行われるゲームに注意せよ。アル=カーイダのようなテロ集団が生き返り、若い指導者への刷新が彼らを戦場へと奮い立たせる。それはテロの真の実行者である国々に、目的達成に向けてのさらなる好機を与える。そうした国々をそしらぬ振りして支え、テロの敵を自演している勢力ももれなくおこぼれに預かるのだから困ったものである。
原注(1)シパ・エ・サハバ(Sipah-e-Sahaba):シパ・エ・サハバ・パキスタン(SSP)は、パンジャビ地方の都市ジャンでスンナ派とシーア派の緊張が高まっていた1985年9月に、ハク・ナワズ・ジャングヴィ(Jhangvi)によって設立された。ジア=ウル=ハク政権からの支援とサウジアラビアからの資金援助を受けている。SSPは、ほどなくしてパキスタンで最も著名な反シーア派イスラム教徒集団となり、それ以来、テロ活動、暴力的な宗派対立主義、地方および国内の選挙政治に関与している。SSPの創設者ジャングヴィは、「4年生以上の」伝統的な学校教育を受けていない。彼は数年間、パンジャブ州周辺の宗教神学校でコーランを暗記し、文法と暗唱を学んだ。1973年には、ジャン市にあるピプリアンワリ・モスクの説教師と祈祷師となった。SSPは、シーア派や非デオバンディ派のスンナ派を異端視するデオバンディ派の厳格なイスラム教の解釈で動いている。SSPの指導者アザム・タリクはかつて、「もしパキスタンでイスラム教が確立されるなら、シーア派は異教徒とされなければならない」と言ったことがある。
原注(3)
https://www.newsweek.com/marjorie-taylor-greene-rips-bidens-victory-lap-alzawahiri-killing-1729845