下記はアフガニスタンで軍務についていた2人の退役軍人にVOAがインタビューしたものである。 VOA(ボイス・オブ・アメリカ)はアメリカ合衆国政府が運営する国営放送。40を超える言語でニュースを提供している。VOA は国営放送として米国放送理事会(USAGM)を通じて連邦資金が提供されている。
2021年8月のアフガニスタンからの撤退の模様やそれに至るプロセスでのさまざまな問題点を具体的に証言した貴重なインタビューである。また、アフガニスタンへの再出兵の可能性をにおわせるなど聞き逃せない発言も記録されている。

記事の出典は下記。原文は英語。
https://www.voanews.com/a/voa-exclusive-us-not-safer-following-troop-withdrawal-from-afghanistan-former-centcom-commanders-say/6712729.html

 

VOA 独占: 元中央軍司令官、アフガニスタン撤退後も米国は安全でないと発言

2022年8月23日(火)午前0:49
カーラ・バッブ

写真説明:(略) 時計回りに、左上からフランク・マッケンジー退役海兵大将、ジョセフ・ヴォーテル退役陸軍大将、ハシブ・アリコザイVOAアフガンサービスチーフ、カーラ・バッブVOAペンタゴン特派員。

 

 

ワシントン発—
アフガニスタンと中東に駐留する米軍を監督する前司令官たちによれば、米軍がアフガニスタンを撤退したからといって米国がより安全になった訳ではなく、ドナルド・トランプ大統領とジョー・バイデン大統領による米軍完全撤退の決意がカーブルの陥落につながったという。

2019年から2022年まで米中央軍(CENTCOM)のトップを務めたマッケンジー退役将軍と、2016年から2019年までCENTCOMのトップを務めたジョセフ・ヴォーテル退役将軍が月曜日(8月22日)、米国とNATOの約20年に及ぶアフガニスタン戦争についてVOAの独占取材に応じた。

「アフガニスタンから撤退した結果、われわれがより安全になったとは思えない」と、マッケンジーはVOAに語った。彼は二人の米大統領に最低2500人の米兵の残留をアドバイスした元将軍である。

加えてヴォーテルは、「かの地に残されたテロ組織について、われわれが知らないことはたくさんある。われわれはより安定し、より安全になったとは思わない。アフガニスタンがより不安定になり、その結果、周辺領域もより不安定になっていると思う」と語った。

マッケンジーは、アフガニスタンにおける米国の情報収集は撤退前のごく一部に縮小されてしまったと繰り返し述べてきた。ヴォーテルは、アル=カーイダ指導者のアイマン・アル=ザワヒリに対する米国の最近の攻撃は、米国がある程度の情報能力を維持していることを示してはいるが、今月の攻撃が昨年米国が撤退して以来初めてという事実一つからも、米国にはまだやるべきことがあるとわかる、とVOAに述べた。

両将軍は、アフガニスタンから米軍をすべて撤収させるという二つの大統領時代にまたがる決定が、最終的にカーブル陥落につながったと言う。大統領は在任中、軍の最高司令官を務め、軍幹部は文民の長たる大統領に選択肢を提供し、その文民の決定を実行する。

バイデン大統領は、自らの決定を「アメリカ人の命を守るために設計した」と弁護し、昨年の撤退最終日には「この永遠の戦争を続けるつもりはなく」アフガニスタンから「永遠の退出」を続けるわけにはいかないと語った。

しかし、ヴォーテルは月曜日、VOAに対し、「永遠の戦争」という政治的な物言いが、ワシントンにおける「賢明で戦略的な意思決定に取って代わった」ことを懸念すると語った。

「全員を引き上げざるをえなかったという考えは買わない」とヴォーテルはVOAに語った。米軍とNATO軍のアフガニスタン駐留を、必要な「保険契約」だったと形容し、それがあらばこそ米国は「アフガン人を支援」しかつ「かの国に関わるわれらが国家安全保障上の利益に留意し続ける」ことができたのだと述べた。

マッケンジーによると、「われわれは上品な解決策を求めてしまった。軍事的にはゼロにする、だが小さな外交基盤はアフガニスタンに残して、どうにか守ると。それは虫が良すぎた。」

守るどころか、アメリカの外交官はヘリコプターで大使館から避難した。その様子は、多くの人が1975年のベトナムのサイゴンからの避難になぞらえるだろう。ターリバーンがカーブルを制圧すると、米国は不意を突かれたように見えた。そのため、まだ米国が完全に警護していないカーブルの空港で、必死のアフガン人が米国の避難機の外側にしがみついた。

マッケンジーは、トランプ政権時代に米国とターリバーンの間で交渉されたドーハ協定を、軍事作戦の「敗北メカニズム」、アフガン政府の「虚脱体験」とピンポイントで指摘した。

しかし、アフガン政府も明らかに責任を共有する。腐敗を止めることができず、ひとたびトランプとバイデンが退去で合意すると、この戦争を政治的に終結させることに消極的になったからだと、ヴォーテルは付け加えた。

バイデンは、トランプ政権がターリバーンと行った交渉は、二つの選択肢だけを残したと言う。退去するか、「数万を越える軍隊を戦争に戻す」ことで紛争を激化させるか。

しかし、マッケンジーはVOAに対し、そこまで大規模な米軍は必要ないと信じており、もし大統領が2500人の米軍をアフガニスタンに残すことを選択していれば、ターリバーンも小さいがために標的にしにくく、同時にアフガン軍への助言と支援の能力は維持できたはずだと述べた。

「2500人いればバグラムとHKIA(ハミド・カルザイ国際空港)の航空機を維持できたし、実際そのための請負業者の基地もあった。」さらに、アメリカの請負業者もいて、「大規模軍事作戦を展開するための日常のありふれた事柄」を監督できた。例えば、弾薬や物資が「市場やターリバーンではなく、それを必要とする部隊」に確実に届くようにするなど。

マッケンジーによると、昨年、米国が12万人以上を安全な地へと空輸したハミド・カルザイ国際空港での避難に際し、イスラーム国の最終目標は、航空機に爆弾を仕掛ける試みだったという。同氏は、米国はロケット攻撃や車両搭載型即席爆発装置(IED)など、進行中のいくつかの攻撃計画を勇敢に阻止したが、13人の米軍兵士と少なくともほか170人が死亡した自爆攻撃を最終的に阻止することはできなかったと述べている。

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以下は、VOA記者(二人)による下記インタビューの要約であり、短縮されわかりやすさのために編集されたものである。

 

アフガニスタンでは何が問題だったのでしょうか。

マッケンジー:私は1年間、このテーマについて多くのことを考える機会を得た。そして私が信じるに、昨年8月の悲劇を引き起こした核となる決断があった。それはアフガニスタンから完全に撤退するというわれわれの決断だった。そしてこの決断は、実に二代の大統領にまたがる決断だった。トランプ大統領とバイデン大統領は、おそらくアメリカの歴史の中で最も似ていない大統領だが、二人ともアフガニスタンから完全に撤退したいという願望は共有していた。

そして思うに、あの決断とその実行が、必然的に昨年8月の出来事につながったのだ。あれは重要な決断だった。後に続いた他のすべての発見は、その結果としてもたらされたものだ。これらの決断については、もっと深く掘り下げていくことができる。しかし思うに、われわれが撤退できるという考え、そしてアフガニスタンが現地における支援抜きでも、間接支援さえあればまだ自衛できるとの考えがあり、私は当時、その考えに同意していなかった。今でも同意しない。そして思うに、それがただの仮説に過ぎなかったといま証明されたのだ。

ヴォーテル:あなた(インタビュアー)は重要な疑問を投げかけているが、それには多くの側面からの考察が必要だと思う。そして、フランク(マッケンジー)はその大問題を見事に言い当てている。われわれがどんな状況を生み出そうとも、ほぼ全ての場合、撤退というものは困難なのだと認識することが重要だと思う。しかし強調したいのは、われわれが政治的な言い回しの与えるインパクトを評価し損ねたことだ。長期にわたって撤退を力説したことが、アフガン軍だけでなく、アフガン国民やアフガン政府の精神に与える影響をはかり損ねたのだと思う。

それが響いて、この国から撤退するという目標はとてつもなく難しいものものとなったと思う。先ほど申し上げたように、想像しうるどのような状況でも、撤退は難しい選択なのだ。また、率直に言って、間違いなくアフガン国民、間違いなくパートナーであるNATO、そしておそらく間違いなくわが政府内でも、この撤退を指揮する際に、異なる仮定、異なる期待がおそらくあったのではないだろうか。

 

アフガニスタンに2,500人の米軍が残留していたらどうなっていたでしょうか?

マッケンジー:つまり、2500人の兵力があれば、バグラム空軍基地を含むアフガニスタンの一連の基地に、小規模で非常に堅固な足場を残すことができたのだ。アフガニスタンの兵站システムを支援し続けることができたろうし、アフガン空軍の地上支援もできたはずだが、戦術的な助言と支援の細かい提供までには至らなかっただろう。どちらにせよ当時はもう行っていなかったから。しかし、4,000人ほどのNATO軍もわれわれと一緒に残ったとすれば、われわれは機会を得て、アフガニスタンの地上作戦に影響を与え続けられたと思う。カーラ(訳注:インタビュアー)、最終目的はテロ対策で標的を追っていたことを忘れないでほしい……だからこそ、われわれは現地に残ってアフガニスタン軍を支援したかったのだ。

 

ロイド・オースティン国防長官は昨年9月28日の証言で、バグラムの運用と防衛のために5,000人もの部隊が必要だとの考えを示した。あなたは彼に反対なのか?

マッケンジー:いいや、その差を説明しよう。アフガン人がバグラムの防衛を手伝うと仮定しての2,500人なのだ。そこが違うだけだ。また、NATOについていうと、バグラムではほとんどの作業をわれわれが行ったのだが、NATOの支援もそこでややあったのだ。

とは言え、私の説はこうだ。2,500人を残せば、アフガン人はまだまだ立ち上がり、戦う。したがって、アフガン人がバグラムの周辺を守ってくれる。5,000人は必要なかっただろう。もしわれわれだけでバグラムを守らなければならないのであれば、5000人という数字はおそらく悪くない数字だろう。その点では長官と同意見だ。だが私は別のケースについて話している。地上でアフガン軍との関係を維持している場合だ。2,500人体制は実に継続可能で、推し進めるべき道だと信じている。

 

バグラムの撤収についてと、アフガン人が基地を引き継ぐ準備ができていなかった理由は?

マッケンジー:7月2日、地上指揮官はスコット・ミラー将軍だった。彼は、アフガン軍の閣僚レベル、戦術レベルの全指揮系統を使って、あの飛行場の徹底的な撤収作戦を行った。今、現地に行けばそのことを認めたくない人たちは見つかるだろう。どのような組織でも、必ずそんな誰かはその気になれば見つけられる。しかし、事実あれはかなり綿密に計画された引き継ぎだったと言っておこう。

しかし同時に、事実われわれがいつ出国するのかに関しては、戦術的に秘密の要素も必要だ。だから何が起こっているのかをバグラムの全てのアフガン兵が知っていたわけではない。その通りだが、指揮系統は何が起こっているのかを知っていた。おわかりの通り、私はアフガニスタンの指揮系統が命令を下部戦力に伝え損ねた件についてコメントするのに最適な人物ではおそらくない。その点は後悔している。ただバグラム撤退の動きが十分に調整できていなかったという言いがかりは断固認めない。それはスコット・ミラーと彼の部隊の最大優先事項であり、できる限りの機会を与えてアフガン人に基地の支配を維持させるため、彼らが全力を尽くしたことを誇りに思っている。

7月になると明らかになったが、アフガン人に何が起こったか、われわれは知っているはずだ。彼らは崩壊し、戦意を喪失したのだ。それは他の場所でも起こったことで、バグラムでも同じことが起こったのだから驚くにはあたらない。

 

アフガニスタンの汚職問題は?

ヴォーテル:実は、カーラ、われわれは多くのことをやっていたんだ。まず私はニコルソン将軍を知っている。彼は私の時代の現地司令官で、彼を継いだのがミラー将軍だ。ミラー将軍が現地で汚職対策を担当していたとき、私は彼のことも知るようになった。われわれはこの汚職対策に非常に重点を置き、この点は常に二人と議論した。

アフガン軍やアフガン政府には、腐敗を助長するような文化的な側面があり、それが確かに問題だった。しかし、努力はしたと思う。われわれが提供した資源に見合うよう、最善の方策がとられるよう、そしてほら、この国に投入された米国とNATOの税金をきちんと管理するように。そう思っている。しかし、やはりそこはアフガニスタンだ。これは、われわれが到着する前から存在していた風土病のような問題で、残念ながら、われわれが滞在している間中ずっと存在していたのだ。この問題への対処には時間がかかり、われわれは時間をかけて対処しようとしていた。

 

アフガニスタンから撤退した米国のアプローチに欠けていたものは?

ヴォーテル:問題は、われわれが現地にはいられないと判断してしまったことだ。現地では、どんなに多くの人数を費やしても安全に活動することができないと。そして私はそれに異議を唱えた。そうではないと考えた。数千人の兵士を一定期間派遣したが、それほど多く死傷者にまみれることはなかった。われわれはアフガン政府とアフガン軍を強化しつつあった。彼らをゲームに参加させるため重要な仕事をしていた。だから、全員を撤退させなければならなかったという考えは買わない。その上、撤退は難しかったと思う。2011年にイラクを撤退したが、大規模な治安協力部隊をしっかりと残した。おかげで、残念ながら2014年にイラクへの再派兵を余儀なくされたときまでの橋渡しとなった。つまり、足場が提供されたのだ。だが今回は、全てを大規模に引き上げた。

カーラ、率直に言って、アフガニスタンを見て、今にして思えば、われわれの現地駐留は保険契約のように考えねばならないのだ。少ない持続可能な数の兵員が掛け金として機能する。2,500人とか4,500人とか、そこらの野球場で聞く数字だ。そのくらいの規模で、アフガン国民を支援し、かの国に存在するわれわれの国益に留意し続けることができる。

 

ハミド・カルザイ国際空港への攻撃は防げましたか?

マッケンジー:われわれは、このような攻撃の発生を防ぐために、できる限りのことをした。広くISISが計画した、爆弾を持って歩く人間や車両に搭載された簡易爆弾による攻撃を、われわれはいくつも防いだ。彼らの最終的な目標は、航空機に爆弾を持ち込むことだった。われわれは、離着陸場へと人々を移動させ、飛行機に乗せて逃がす仕事をしていた。そのためには、人々と接触する必要がある。つまり、勇敢な若いアメリカ人男性や女性が、捜索対象者の息づかいを顔に感じながら立っているのだ。それ以外に方法はない。遠隔操作ではできっこない。外部に委託することもできない。現場にいる男女を問わぬアメリカ人兵士の大きな勇気が必要なのだ。

われわれがなぜそこにいたかというと、人々を外に連れ出すためだった。人を連れ出すには、門をくぐらせる必要があった。すでにゲートの数は減らしてあった。襲撃の可能性を最小限にするために全力を尽くしたが、殺人鬼のような強敵を相手に刻々と変わる環境に身を置くと、今回のように運が相手に向くこともあるのだ。だからといって、家族を失った遺族が楽になるわけではない。しかし、人々を移動させ続けるという状況下で、あのテロが防げたかどうか、わたしにはわからない。

彼らは、とにかく大量の死傷者を出したかったのだ。ロケット弾を撃ってきたり、車両で周囲を回りゲートまで侵入しようとしたり。彼らはさまざまな攻撃計画を立て実行に移していた。われわれはその大半を阻止することができた。しかし、あの攻撃は阻止できなかった。

ヴォーテル:マッケンジー将軍がとてもうまく言ったことに、これ以上付け加えることはない。将軍の言ったことは、アフガニスタンだけでなく、敵が選択権を持っている多くの場所で私が経験したことを正確に表している。敵は常に優位に立とうとしている。事件を防ぎ、リスクを軽減しようとするわれわれの最善の努力にもかかわらず、事件が起こってしまうことがあるのだ。それが戦争の不幸な本質なのだ。この作戦の不幸な本質はここにある。

 

カーブル陥落の責任は誰にあるのでしょうか?

マッケンジー:最初、われわれはドーハ協定について語り合った。ある組織や団体に最終的な敗北をもたらすものを軍事用語上、敗北メカニズムと呼ぼうというのが、かねてからの私の意見だ。ドーハ協定とそれに付随する交渉が、この作戦の敗北メカニズムだった。アフガン政府はこの交渉からほとんど除外されていた。また交渉は最後までターリバーンに履行すべき和解条件を課さなかった事実。アフガン政府も米国もそのような条件は課されなかったが。これらから、アフガン政府にとってこの交渉が萎えるような経験だったことは間違いない。

だから、このカーブルの陥落問題を、私は完全にアフガン軍部のみの失敗だとは思っていない。政府全体の崩壊が原因と見ている。だから、われわれのアフガン支援への評価と同様、これを単に軍事面からのみとらえて、アフガン軍の見事な失敗だと言うのは間違っていると思う。米国政府の側にも非難すべき要素が他にたくさんある。まさにアフガン政府が崩壊したとき、われわれの計画も崩壊したのだ。アフガン政府全体を支援する計画が崩壊してしまった。少なくとも私の見解では、ドーハ協定において、ターリバーンから本物の条件付譲歩を引き出す交渉ができなかったことが、事態を決定づけたのだ。

ヴォーテル:つまり、アフガン政府はこの件に必要な関与をしていると、おそらく感じていないのが実情なのだ。多分それはわれわれの問題の一部だ。また彼らの問題の一部かもしれないと思いたい。ドーハ協定は妥協だった。彼らがしっかりしなくてはならない。この戦争を政治的に終結させようと努力する点で、彼らはいくぶん消極的だったように思う。アメリカの指導者たちは、トランプ大統領もバイデン大統領も、この戦争の政治的解決への欲求を確かに表明したと思う。ならばしっかりするのはアフガン人だ。アフガン政府もしっかりしなくてはならない。にもかかわらず、アフガン側はいくぶん消極的だった。彼らにも何らかの責任が生じると思う。

結局のところ、アフガン軍の失敗の原因は、彼ら自身のリーダーシップに対する信頼の欠如で、アメリカやNATOのリーダーシップへの不信ではない。このことが、この不幸な状況全体に関して、アフガン政府側が負うべき責任の一端を浮き彫りにしていると思う。

 

米国が他の国で行ってきたように、アフガニスタンに軍隊を駐留させることはできなかったのでしょうか?

マッケンジー:2,500人。われわれが残留を提案した数だ。大使館を守るためだけの人数よりもかなり多いだろう。アフガニスタンで効果を出すには閣僚級レベルに進み出て、助言をしなくてはならなかった。さらに動き回ることができねばならず、おそらく軍団レベルや地域レベルでも助言ができるようにしなければならないだろう。誰も戦わない。実際に戦闘を指揮するアフガニスタンの司令官たちに助言を与えるわけだ。2,500人いればそれを集中的に行えた。

さらに、2,500人であれば、ターリバーンが狙いにくいサイズにまで活動現場を縮小できていると感じた。さらに、火力支援という点では、ドローンを使った遠隔攻撃(オーバー・ザ・ホライズン)戦法という膨大なリソースがあり、それを活用することもできた。最後に、それまでの1年半の間に、ターリバーンはやや衰え、多くの作戦行動で負けていると感じた。われわれがその気になれば排除できるほど、とても弱っていた。それを踏まえての提案だった。2,500人では無理だという人がいるのは知っているが……認められたとして、果たしてそれは成功しただろうか? その答えはわからないが、ゼロにした場合の答えはわたしにもわかりきっていた。それはいつもどおりの明快な答えだ。

ヴォーテル:アフガン政府とアフガン軍に必要な支援を提供し続けるために、現地に残すことのできる必要最小限の数があったと思う。それだけいれば、われわれがアフガニスタンにいる目的たる利益の保全に役立った。その数が2500か4500だろうと、その中間であろうと、長期間にわたって現地で持続できる適切な値がとにかくあったはずだと思う。それさえあれば、われわれの利益に留意し、昨年現実となった状況を防ぐことができただろう。

永遠の戦争とか、それを終わらせなければならないとか、人びとを救わなければならないとか、いくつかの政治的言い草がある。私は、残念ながら、われわれが何をすべきかという賢明な戦略的意思決定に、それらの言い草が取って代わり、ただただ撤退してしまったのではと危惧している。その点で私はマッケンジー将軍と同意見だ。長期に渡り、かの国で維持できる員数があったと思う。それでアフガン人を保護し、わが国自身の利益に留意できただろう。そしてわれわれは、もっと精力的にその数の確保に取り組むべきだった。

マッケンジー:2500人いれば、われわれはバグラム空軍基地やハミド・カルザイ国際空港を守れただろう。実際そのための請負業者の基地もあった。そこで請負業者は空港警護を支援していたのだが、大規模軍事作戦を展開するための請負業者による日常のありふれた種々の仕事については、兵士の働きで、負担を減らすこともできた。例えば、弾薬や物資が市場やターリバーンではなく、それを必要とする部隊に確実に届くようにするなどの任務だ。

 

なぜアメリカは冬まで待たず、戦闘真っ盛りの中、撤退したのでしょうか?

マッケンジー:われわれは2,500人の残留を提案した。その行動方針は検討され、少しは目を引いたが却下された。するとわれわれの考えはこうだ。出て行こうとしているのに、ターリバーン対策を何もとっていない。ところがおわかりのように、無期限にいるわけでなく、いつかは撤退する。すると撤退時期が先送りになるにつれ攻撃の危険が高まる。だから、冬まで滞在することに特別な利点はないと考えた。いろいろな選択肢を検討した結果、8月末を撤退完了の時期として大統領が決定した。しかし冬に撤退するとなると気候の影響が出始める。カーラ、もし人を外に連れ出そうとするなら、特にアフガニスタンでは天候が要因になるんだよ。冬にカーブル盆地やバグラムからの大規模な空の移動は避けたいのだ。5月から8月の気候とは全然違うのだから。

 

なぜもっと早くから避難を開始しなかったのですか?

マッケンジー:作戦上、最初に行うのはアフガニスタンからの軍事的撤退だった。これは7月中旬までにほぼ完了した。戦闘部隊はほとんど撤退し、持ち出す予定だった装備も持ち出した。7月後半に残ったのは、米国の外交基盤を保護するため残すことに合意した部隊だった。

今、私が思うに、われわれが望んでいたのは、達成不可能な上品な解決策だったのだ。軍事的にゼロになっても、アフガニスタンに小さな外交基盤を残し、それが保護されることを望んでいた。しかし、それは単に実現不可能な行動だった。守ることができなかった。安全でもなかった。そこで、時間軸としては5月に、軍事撤退の開始と同時に外交基盤も撤退させるという代案を採択した。それで秩序ある撤退がどうにか進んだわけだ。

しかし、ここでもう一つ、カーラ、われわれが考慮せねばならないことがあるんだ。われわれには多くのアフガン人を国外に逃がす計画もあった。アフガニスタンの精鋭部隊の話だ。彼らを、もし4月、5月、6月、7月に撤退させたら、アフガン国民の自衛能力に悪影響を及ぼしていたことは明らかだ。アフガン人をもっと早く撤退させようと考えたら、すでに崩壊しつつあったアフガニスタンの抵抗意欲はどうなっていたのか、もっと早く崩壊したのではないか? とは言え、非戦闘員の避難作戦開始は長く待ちすぎたと思う。8月中旬に開始したのは、あまりにも遅すぎた。

 

アフガン特殊部隊を倍増させるという国際的な目標は?

ヴォーテル:倍増目標を完全に達成できたかどうかしっかりとは覚えていないが、それに近いところまで行ったことは確かだ。司令部組織の数を増やし、特殊任務部隊の航空機の数を次々と増やした。アフガニスタンのさまざまな州にあって非常に優れた成果を上げている特殊作戦組織をよりよく活用した。だから、すべての規模を倍増させるという点では、かなりうまくいったと思うが、実際に数字の上で倍増を達成できたかどうかは定かではない。私の推測の域を出ない。

そのことについて少し話していたような気がする。率直に言って「戦う意志」のことだ。アフガニスタンからの撤退について戦略的な情報発信を続け、ドーハで撤退を発表したとき、これはアフガニスタン政府や通常戦力だけでなく、特殊作戦部隊の意志を弱めることに大きな影響を与えたと思うのだ。そして、おそらくわれわれは、それがどれほど損なわれているかを十分に理解していなかったと思う。繰り返しになるが、私はそのような立場にはなかった。

私は現場にいたわけではないので、まったくの個人的な見解だ。しかし、確かに、あれは多くの問題を引き起こしたと思う。アフガニスタンの特殊作戦部隊はもっと激しく、もっと最後まで戦ってくれると期待していたのだが、われわれが見たところ、そうではなかった。しかし、まったく異なる状況が展開されたわけで、結局は戦意が問われることになる。実際、彼らは、最終的に成功する見込みのない政府を救おうとするのではなく、自分たちを守り、家族を守ることを選択しなければならなかったのだ。

 

ロイド・オースティン国防長官とマーク・ミルリー将軍が、マッケンジー将軍の助言を望み通りに強く主張したかどうか、この点はどうでしょうか?

マッケンジー:われわれのアドバイスは、政府の最高レベルにも聞いてもらえたと思う。決断を下すのは大統領だ。私は最高幹部らの代弁をするつもりはない。その点については、彼らに聴いてほしい。しかし、私の意見は聴聞され、熟慮の上、判断されたと感じた。指揮官にとって、これ以上望むことはない。私はアドバイスができるし、彼らはそれを受け入れても受け入れなくてもいい。そして、私は大統領の命令に従う。

 

米国は安全になったのか、アフガニスタンでテログループが増えたのか、どうですか?

マッケンジー:もしわれわれが撤退すれば、最終的にはアル=カーイダとISISがアフガニスタンの空白地帯に行くことになり、米国の脅威が高まるという中央司令部(CENTCOM)の評価は何も変わらないと思う。実際、私はアフガニスタンから撤退した結果、われわれがより安全になったとは思っていない。しかし、私はこうも言いたい……まだ早すぎると。これが顕在化するのはしばらく先のことだ。一夜にしてこうなるとは思っていなかったが、われわれがあの行動を実行したからといって、より安全な場所にいるとは感じていない。

ヴォーテル:そうだ、あの評価には同意する。われわれはより安全な場所にいるわけではないのだ。現地に残されたテロ組織についてわれわれには知らないことがたくさんある。2週間前に行われたザワヒリへの攻撃は喜ばしいことだ。これは、われわれがある程度の能力を保持していることを示すものだ。いいことだった。しかし、私の知る限り、撤退後、初めてのことであり、反省すべき点だ。だから、知っての通り、われわれには今やるべきことがある。アフガニスタンはより不安定になり、その結果、周辺領域はより不安定になり、将来的に問題を引き起こす可能性がある。

 

アフガニスタン空軍が米国の請負業者に依存し、彼らの撤退後、ほとんどのアフガニスタン航空機が地上待機となった理由は?

マッケンジー:アフガニスタン空軍がアメリカの請負業者に頼っていたことは、アフガニスタンだけのことではないのだ。世界中の多くの国が、飛行機を飛ばすために請負業者のサポートに頼っている。だから、これは特別なことではない。しかし、請負業者を撤退させれば、ほとんど訓練を受けていない部隊が航空機を支援するのは非常に困難になることは理解でき、予測できた。そこで、われわれはさまざまな工夫をした。アフガニスタン空軍を支援するために、英雄的な試みと言えるかもしれない。

そのひとつは、飛行機を分解して地平線の彼方に飛ばし、整備して持ち帰るというもの。また、アフガニスタン人の整備を支援するために、テレコミュニケーションを利用するものもある。いずれも特にうまくはいかない。しかし、長期にわたってどのように機能するかを実際に確認する時間はあまりなかった。地上での請負業者による支援がなくなれば、アフガニスタン空軍を戦場にとどまらせるのはかなり大変な上り坂への挑戦だろうと私は考えていた。このことは、この問題に取り組む誰もが知っている事実だった。

ヴォーテル:自立できるプロのメンテナンス部隊を作るには、時間がかかると思う。われわれは長い時間をかけて、それを実現しようとした。しかし、アフガニスタンの人材や、英語を話すなど必要なスキルを持った人材を見極める必要があった。このことは、われわれが現地で何をしようとしているのか、その課題を浮き彫りにしていると思う。だから、多くの国がそうであるように、受け入れ国に技術を移転し、自立して自分のことは自分でできるようにするための訓練をしようとする努力があったことは確かだ。しかし、やはりそれには時間がかかる。また、そこには多くの要因がある。ただ現れて、ただ物を与えるだけではない。

人を育てなければならない。リーダーを育てなければならない。専門知識を、長期的な専門知識を身につけさせなければならない。ほら、わが国でも整備士の教育には長い時間がかかる。顔を出せばすぐ飛行機をいじれるものではない。プロフェッショナルとしての道を歩んでいくのだ。この状況でわれわれが取り組むのはそんなことだ。だから、単に機材を提供したり、現地に赴いたりするだけではなく、もっと難しい課題なのだ。

 

米軍がアフガニスタンに再進出する必要はあるのでしょうか?

ヴォーテル:これは本当に心配なことだ。われわれが数十年にわたって戦ってきたテロ組織は、変幻自在で、変化し、進化し、やり方を変え、われわれの予想とは異なる方法で成長してきた。そして、このような組織に対してプレッシャーを与えずにいると、組織が巨大化する可能性がある。だから、私はこのことを非常に心配している。われわれが文字通り3年以上経ってからイラクに戻ったように、またアフガニスタンに戻ることになるのかどうか、それは分からない。そうでないことを祈るが、われわれはそのための準備をしなければならない。そして、これらのテロ組織に圧力をかけ続けることは、わが国にとって重要な利益を生み、アフガニスタンという国にとって重要なだけでなく、わが国とわが国の国民の安全にとって重要であることを認識しなければならない。

 

アフガニスタン国内に残されたパートナーはどうなるのでしょうか?

マッケンジー:国務省は、アフガニスタンからそのような人々を受け入れられるよう、できる限りのことをしていると思う。そのためには、長く厳しい道のりが待っている。また、8月には本来連れ出すべきでない大勢の人々も連れ出したと認識している。飛行場にいた人たち、われわれに残されていた時間、そしてわれわれに与えられた指示に基づいて生じた事実にすぎない。もっと違う結果ならよかったが、そうではなかった。われわれは多くの友人を、共に血を流した多くの人々を、後に残した。そのことを痛切に感じている。アフガニスタンに派遣された誰もがそれを痛感していると思うし、われわれはその人たちを救い出すために懸命に努力すると信じている。

 

アフガン軍の一部を退避させたことがアフガン軍崩壊の一因となったのでしょうか?

マッケンジー:ヴォーテルがすでに非常に雄弁にそのことを語ってくれた。確かにそれは一因だとは思うが、そこは事実、彼らの国であり、彼らが実際に現地で戦うのであれば、信じて戦わねばならない。だからといって、それがアフガニスタン軍の崩壊の主要な要因であるとは思えない。

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