https://8am.af/eng/why-the-afghanistan-drug-bashar-noorzai-matters-for-the-taliban/

By Hasht-E Subh Last updated Sep 20, 2022

ターリバーンはこのほど、同グループの最後の囚人だったハッジ・バシール・ヌールザイがグアンタナモ刑務所(訳注:キューバのグアンタナモ湾沿いにあるアメリカ軍の基地内にジョージ・W・ブッシュ大統領時代に設置された収容所。主にアフガン戦争、イラク戦争時のテロ容疑者が収容された)から解放され、アフガニスタンに帰還したと発表した。同グループ外務省は、公式式典を開いて、麻薬密売で告発されたこの人物の解放を称え、ターリバーンによる最大の成果のひとつと呼んだ。

バシール・ヌールザイは、最大の麻薬密売人でターリバーンの資金援助者だったが、2005年にニューヨークで逮捕され、無期懲役の判決を受けている。米国メディアの報道によると、同国の国内治安当局は2005年4月、ニューヨークに「5000万ドル相当の麻薬を密輸」したという容疑でバシール・ヌールザイを逮捕した。そのときの呼び名は「ビッグ・スマグラー(大密輸王)」。

(訳注:<参考サイト>
:ヌールザイ逮捕の経緯
https://www.nytimes.com/2008/09/09/nyregion/09noorzai.html
:ヌールザイへの判決文
https://www.justice.gov/archive/usao/nys/pressreleases/April09/noorzaibashirsentencingpr.pdf

2015年のHasht-e Subh Dailyの調査報告書の所見でも、この人物はアフガン領域と世界における最大の麻薬密輸業者の一人とされていた。

つまり2015年、Hasht-e Subh Dailyは「主要な麻薬密売人の氏名暴露」というタイトルで調査報告を発表したのだが、その中にハッジ・バシール・ヌールザイの名前もあった。当時、Hasht-e Subh Dailyは各種文書に基づいて、このターリバーンに関係する重要人物の名前をアフガン領域と世界の最大の麻薬密売人のリストに載せた。彼はターリバーン集団創設の父のひとりでもあり、また逮捕される2005年までターリバーンの重要な意思決定者のひとりだったと言われている。ちなみにハッジ・バシール・ヌールザイ(Haji Bashar Noorzai)という名前は、アメリカのメディアではバシール・ヌールザイ(Bashir Noorzai)と書かれることが多い。

バシール・ヌールザイとターリバーンとの関係の始まりはこうだ。カンダハール州の宗教学生のグループが、1994年当時、この州の惨状(訳注:当時、軍閥各派が州内の幹線道路にいくつもの検問所を設け通行税を課し物流を阻害していた)に強い不満を抱き、資金援助と武器を求めていた。このとき、アフガニスタン南部の大麻薬王バシール・ヌールザイは、検問所の恐喝に嫌気がさしており、資金援助を求めていたこの学生たちに武器と金を与えた。こうした経緯はオランダの女性ジャーナリスト、ベッティ・ダムの本「敵を探して:ムッラー・オマルと知られざるターリバーン」に詳しい(訳注:このことは髙橋博史著「破綻の戦略」にも同じ記述がある)。ターリバーン集団の初代最高指導者であるムッラー・オマル(訳注:1960~2013)、ムッラー・アブドゥルガーニ・バラーダル(訳注:現副首相代行1968~)、ムッラー・アブドゥル・サラム・ザイーフ(訳注:元駐パキスタン大使1967~)ら、古株のターリバーンはこの件に関係している。ベッティ・ダムによるとバシール・ヌールザイはムッラー・オマルにこうもちかけた、「君や君の教え子たちが指揮を執るなら、私の傭兵の持つ武器と車両を与えよう」と。

(訳注:<参考サイト:ベッティ・ダムについて>
https://bit.ly/2ERUt99
https://www.journalismfund.eu/journalists/bette-dam

これはベッティ・ダムの著作「敵を探して:ムッラー・オマルと知られざるターリバーン」の最終部分の要約で、「ムッラー・オマルの謎めいた最期」と題されるべき文書。そのため、ターリバーンとヌールザイの関係に言及する部分は含んでいない。)

晴れて帰国したヌールザイ氏は、ターリバーンの支配下にあるアフガン・ナショナル・テレビジョンで次のように述べた。「私は17年5ヶ月の獄中生活から解放された。私の釈放によって、アフガニスタンとアメリカの関係が改善されることを願っている」と。しかしながら、ターリバーンのモウラヴィー・アミールハーン・モッタキー外相代行は、バシール・ヌールザイの解放は、アメリカ人のマーク・フレリックスとの交換だったと述べている。

イリノイ州出身の建設技師であるフレリックスは、2020年1月にカーブルで誘拐され、ハッカーニ・ネットワーク(訳注:現内相代行シラージュッディン・ハッカー二を頭目とするターリバーン内の派閥)に拘束されていると言われていた。今年の初め、アメリカのジョー・バイデン大統領は、ターリバーンにマーク・フレリックスを解放するよう要請した。アメリカ大統領はその時、こう言った。「ターリバーンは、国際的な正当性を求める彼らの願望について考える前に、マークを直ちに解放しなければならない。これ(マークの解放)は交渉の余地がない。」

(訳注:<参考サイト:バイデン大統領の声明(2022年1月30日)>
https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/01/30/statement-from-president-biden-on-mark-frerichs/)

報道によると、カタールで行われた米国とターリバーンの和平交渉では、バシール・ヌールザイの解放が条件のひとつであったという。ターリバーンのムッラー・アブドゥルガニー・バラーダル副首相は、マイク・ポンペオ米国務長官(当時)と電話で話しあい、その結果ターリバーンがあれこれ努力したが、その時点では解放に至らなかったという。だがこの情報は、直接の当事者によって確認されたわけではない。

ハッジ・バシール・ヌールザイの釈放には反発や批判もある。彼の解放はターリバーンと麻薬取引とを結びつけるものだと考え、ターリバーンがヌールザイ氏の解放に向け努力したことは、このグループと麻薬マフィアの断ち切れない関係を示していると言う人もいる。同時に、アフガニスタンの国家安全保障の元責任者であるラーマトゥラー・ナビルは、ヌールザイとアメリカ人のマーク・フレリックスの交換に対して、「ターリバーンの指導者と麻薬密売との深いつながりは断ち切れず否定できない、それを白紙に戻すことはできない」とツイートしている。

それは9月19日のツイートの締めくくりで、その前に国家安全保障の元責任者は、「一部の人々はハッジ・バシールをターリバーンの高位メンバーとしてのみ紹介し、ターリバーンの指導者たちが麻薬取引に関与していることを免罪しようと試みている」と論じ、さらに、「もしハッジ・バシールがムッラー・ムハンマド・オマルの側近であっただけならば、彼はニューヨークで何をしていたのか? 逆にもし彼が単なる麻薬密売人であったなら、なぜターリバーンは彼を解放するために血眼になり、いま彼の解放を喜んでいるのか?」と続け、先の結論で結んでいる。

この著名な麻薬王は、ターリバーンにとって非常に重要な存在であった。その集団への非常なる重要さのあまり、ターリバーンは彼を解放しない場合には米国に渡航を希望する数万人のアフガン国民の出国を阻止すると米国を脅すほどだったと、複数のソーシャルメディアユーザーが書いている。

元英国高官でアフガニスタンにおける国連使節の特別顧問でもあったスティーブ・ブルッキングも、「ターリバーンは米国に対し、われわれの要求に従わないなら、フレリックスを拘束し続けるし、米国が望む何千人もの人々をアフガニスタンから連れ出すことも阻止すると言っている」と述べた。

(訳注:<参考記事>
https://foreignpolicy.com/2022/01/06/taliban-wants-prisoner-swap-united-states-frerichs/)

これはForeign Policy(訳注:1970年に創刊したアメリカのニュース季刊誌で、現在ではウェブサイトがメイン)が2022年1月6日付けの記事で伝えた内容で、加えて同記事では、米国のアフガニスタン和平担当特別代表トマス・ウエスト(訳注:ハリルザドの後任)がターリバーンと昨年11月にドーハで会談したが、その会談に詳しい筋からの情報として、そのとき両者の交換問題が提起されたとしている。

(訳注:<参考サイト>
https://www.state.gov/u-s-delegation-meeting-with-taliban-representatives/)

 

バシール・ヌールザイとは何者か?

ハッジ・バシール・ヌールザイはムッラー・ムハンマド・オマルに近い人物のひとりで、1990年代に麻薬取引の収益でターリバーン集団に資金を援助し武器を提供した。2005年、ニューヨークにおいて麻薬密売の罪で逮捕された。米メディアによると、2008年、ヌールザイ氏は米国で麻薬密売の罪で無期懲役の判決を受けたが、2013年に2度にわたって控訴が却下された。

イスラム暦1375年(1996年)にカーブルを攻め落としたターリバーンだが、その誕生にヌールザイの存在は不可欠だったし、2001年に政権を明け渡したのちの再登場にも麻薬取引による収益が大きな役割を果たした。アメリカの女性ジャーナリスト、グレッチェン・ピーターズはその著書「テロの種子」の中で、ヌールザイが「ムッラー・ムハンマド・オマルの主要な支援者かつクエッタ評議会の鍵となる意思決定者であり主要メンバー」だったと述べている。

Author: Amin Kawa – Senior Reporter and Analyst at Hasth-e Subh Daily
筆者:アミン・カワ–ハシュテ・スブ上級レポーター・解説者

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