Taliban’s Fear of Education Is Their Achilles Heel
By Hasht-E Subh Daily Last updated Dec 20, 2022
ハシュテ・スブ社説 2022年12月20日
過去20年間に採られた教育課程は、汚職の横行、政治的な絡み、成果主義の価値観などにより、完璧とは言い難いものでした。例えば、教科書の内容と形式の間に大きな不均衡が存在していました。絵やタイトルは派手なのに厳密には中身が薄かったり、ひどい誤字脱字があったり、授業から次の授業への推移が合理的でなかったりしました。社会科学科目では、内容の一部が支配者側の見解の反映となりそれが単にページ数を稼ぎ、利用者(教師と生徒)から不満の声が上がることもしばしばでした。特に小学校の教育課程は貧弱で、教育の質は驚くほど低く、諸外国がこの大切な時期を強調し、後の学習にも適した環境を整えているのとは対照的でした。
そのような現実があったとは言え、この20年間、教育課程は発展の途にあり、多くの人々の文化的多様性や政治的見解を含む意見がそこにはフィードバックされていました。ある人は世界の他の地域での経験を生かして教育課程を充実させようとし、またある人は過去100年間の歴史を遡って教育課程の変遷に注目し、またある人は旺盛な好奇心を原資に自分たちの民族的な課題を教育課程に盛り込もうとしました。これらの散発的でランダムな試みは、時には時機を失し、お互いに矛盾し、平行線をたどり、打ち消しあう効果を持ちましたが、全体としては教育課程の充実にプラスの効果を残しています。矛盾に直面することは、思考をうながすので悪いことではありません。そして教育課程が遵守され続ければ、やがて進歩し、最終的には世界に追いつく可能性を持っています。
以前の教育課程の長所のひとつは、女性の権利と団結の必要性を認め、尊重していたことです。人々は勤勉に働き、高等教育を受け、過激主義を避け、他の国々と関係を持ち、新しい世界の現実を理解するよう奨励されていました。しかし今、ターリバーンはこの教育課程の解体を使命としています。彼らは学校を閉鎖し、公民権に反対する宣伝をし、教師を抑圧し、かつ彼らの権利を無視し、教育課程の内容に自分たちの狭い世界観と相容れない部分があれば、それらを逐一排除しています。
今、この事態を取材し世に問うことは、われわれ知識人、教育関係者、ジャーナリスト、政治家の責務です。ペンをとって人々を啓発し、ターリバーンの重罪の詳細について世界に知らしめましょう。
団結とチームワークは、ターリバーンが抱く教育への恐れを彼らのアキレス腱に変えるための抜本的なツールとなり得えます。
この記事の公開に続きハシュテ・スブ(Hasht-e-Subh)が設ける特設ページは、この国民的キャンペーンの良いスタート地点となります。われわれはこれまで多くの文書や分析を公開してきましたが、今後ともコンテンツをさらに充実させていきます。
メディアへのアクセスがあり、さまざまな国の議会や政策決定機関とコンタクトできる人がこのキャンペーンに参加してくれることを期待します。意見や記事を書き、発言し、アクセス可能な舞台でロビー活動やさまざまな活動をしてくださるようお願いします。
ターリバーン にとって女子教育はアキレス腱
ターリバーン復権から16か月。成功の要因には、ジハードを旗にイスラム法(シャリーア)と多数民族の生活規範「パシュトーンワリ―」を秩序と求心力の基盤にし、多数派民族から一定の支持を得たことが挙げられる。シャリーアは本来女子教育を否定するどころか大切にしている。
アフガ二スタンの国力は極めて低く、飢餓・貧困・テロ等で依然として混乱の中にある。同国の国力強化にために最も大切なことは人材資源の開拓(=国民の教育)であり、中でも殆ど未開拓の女子教育である。
最近ターリバーンは女子教育停止や職場追放など過激施策に走っているが、2022年8月にISに暗殺された高名な宗教指導者ハッカーニは親タリバン派で熱心な女子教育推進派。
ターリバーンの女子教育停止は民主主義の排除が目的のようであるが、国力を低下させる明らかな愚策である。女子教育停止を民主主義の排除の手段とすれば、これはターリバーンのアキレス鍵となる。
現政権は未熟で、人材・知見・指導力に乏しく、今後内紛を繰返す可能性が高い。