The Shuttered Hopes and the Broken Hearts
By Samman Akbarzada
サムマン・アクバルザダ
By Hasht-E Subh Daily On Dec 25, 2022
ハシュテ・スブ・デイリー 2022年12月25日
(WAJ: ターリバーンは、今年の春、女子中高教育の閉鎖を実施した時、それは準備の措置でありいずれ再開するとにおわせていた。ところがその後の措置は真逆のコースをたどっている。彼らの措置は女子の教育への制限にとどまらず、仕事を制限し、一人の外出を禁止し、自宅隔離やヒジャブの強要、略奪婚など、人権そのもののはく奪へとエスカレートしている。大学への通学を禁止された、この女子学生の悲痛な叫びを世界は聞くべきである。)
これは破滅的な大問題だ。私は今、アフガニスタンのすべての女性のために、死ぬほどの恐怖を感じている。だから、私は最も強い言葉を使う。本気なのだ。
アフガニスタンの公立女子高を卒業した者として、私たちの学校制度は真剣なものだったと断言する。2000年代初頭、学校といえば、生徒が家から持ってきたマットやビニールシートの上に座ることだった。ほとんどの生徒がユニセフの青いリュックサックを背負っていた。しかし、ようやく学ぶ機会を得えて歓声をあげる子どもたちは、まるで小さな王座に座った小さな喜びの塊のようだった。黒板の向こうには、気弱な教師が立っていて、節約のためにほとんどチョークを使わない。本の表紙はすり減らないように必カバーをかけ、中にはショッパーバッグで包む子もいた。暑さや雨、そんなことは関係ない。自分たちが座っているテントにミサイルが撃ちこまれてくることがなくなっただけで、ありがたかった。
そして、先祖の折れた骨と折れた夢を埋めた畑に、ようやく教室ができ、私たちは新たに植えられた種になった。一クラス60人以上の生徒がぎゅうぎゅう詰めにされた。しかし、学年が上がるにつれて、廊下のペンキ絵は近代的になり、教科書も国際的な水準に改善された。高校では17の必修科目があり、競争的なカリキュラムが組まれた。私の12年生の廊下には、実験室と科学プロジェクトのためのユーティリティ、コンピューター室、美術室、そしてかつて私が壇上に立ち、少女たちに夢をあきらめないようにとスピーチをした美しいホールがあった。私は心が折れ、あまりに悔しく、仮に今日、もう一度そこに立ったとしても、彼女たちのあふれるような目を見ながら同じことを言うことができるとは思えない。
各学年の間、少なくとも月に一度、いや週に一度は、私たちの胸に脅威がはしった。ある学校は爆撃され、ある教育施設は爆破された。ある女子高には墓が、ある女子高には警告文の入った覆面が届いた。10年生の時、一番ひどかったと記憶している。しかし、校長先生をはじめ、先生方は、女子生徒が全員無事に下校するまで、私たちをかばってくれた。下校時間はバラバラで、出口もバラバラ。しかし、私たちはより安全な未来を信じて、ペンの力を持ち続けた。私たちは変革のための若者であり、それを知っていた。
そして、クラスの女の子のほとんどが、学校を出て大学受験のためのトレーニングセンターに向かった。炎天下でも、冬休みの凍えるような朝でも、医者になりたい、科学者になりたい、技術者になりたいという夢は、誰にも止められない。私は、彼女らが試験準備のために眠れなくなるのを目の当たりにした。そして、受験準備には少なくとも1年を要した。
2021年8月5日にカンコール(大学入試)があり、カーブル大学の廊下でドイツ軍の指揮官が警備するのを見ながら試験を受けた。一瞬、戦場にいる気分になったが、私たちはやり遂げた。そして、アフガニスタンの兵士たちが、学生たちが無事にたどり着けるように状況をコントロールしたことを、私はこれ以上ないほど誇りに思う。彼らは勇敢だった。
その10日後、2021年8月15日の夜、アフガニスタンは野蛮の手に落ちた。その夜、アフガニスタンを包んだ静かな嘆きは、私たちの存在の核心のどこかで鳴り響き続けている。その悲痛な叫びがいつまでも聞こえ続けるのではないかと、私は時々不安になる。
学ぶ権利、次のレベルに上がる権利は、アフガニスタンの少女たちが生まれながらにして持っていたものではなく、私たちが逆境を乗り越えて勝ち得たものだ。それが、偽物のヒゲで神格化したミソジニストの集団に奪われ、とても傷ついている。
彼女たちは、要求の高い、最も入学が難しい公立大学に入学したのだ。ドレスコードが女子に強制され、勉強できる専攻に制限があり、6年生以上の女子は昔も今も学校に行くことが許されず、タリバンが叫んで野蛮になるという懸念があったにもかかわらず、女子は勇敢に、大胆に通学し続けた。ターリバーンがついに、またしてもまったく無意味な禁止令を出すまでは。それは、ちょうど90年代後半に彼らが行った行動を考えれば、まったく不思議なことではなかった。
強制結婚の実施は、彼らにとって新しいことではない。自分のために若い女の子を選ぶ悪意を発揮する傾向がある。彼らは、権力を使って彼女を家族から奪い、強制的な立場を利用し、威嚇によって結婚を強制するのだ 次はそれを公然とやるに違いない。
1ヶ月以上前、ある地方に住む私の友人宅に用紙が送られてきた。家にいる幼い女の子とその年齢の詳細を親に尋問するものだった。彼らはすぐに逃げた。私だって、母の結婚指輪をはめて忌避しなければ被害者になりかねない。
もうひとつの悲劇は、少女たちが自分の意思に反して結婚させられてしまうことだ。アフガニスタンの陥落以来、少女が手放される率が劇的に増えた。少女がタリブ(タリバンの単数形)と結婚させられる前に、少女を手放した方が良いと考える家族もいるのが現実だ。農村部では決して止むことのないことだが、そろそろ声を上げないと今度こそ絶望的となる。ラジオ・アザディはこの15ヶ月間、早婚、児童婚、強制結婚の物語を記録しつづけてきた。
これらの禁止事項はすべて、彼らが権力を握る以前の時代から存在していた悪習であったことは、私たちはよく知っている。まさにそのような暗い過去へと私たちを引きずり込んでいるのだ。私たちはこのまま黙って見過ごすのだろうか? 彼らは何も変わっておらず、世界がそろそろそのことに気づくべきだ。今でなければ、いつ? 戦争が終わったと宣言したところで、戦争が終わるわけではない。
“目が覚めたとき、学校に遅れる、と思った。でも、学校は閉まっている悲しい現実に気づいた。” (アフガン女学生ラヒラの言葉)