Women of Afghanistan Compared to the Daughters of Kobani
By Hasht-E Subh Daily Last updated Dec 28, 2022
ハシュテ・スブ・デイリー 社説 2022年12月28日
(WAJ: 唯一女性への教育(中等以上)を認めない国。一切の女性の単独外出を認めない国。女性の社会的な労働を認めず家庭の4つの壁の中に押し込んでいる国。結婚を名目に児童婚という人身売買が公然と行われている国。父が妻や娘の殺生与奪権を持つ国。現代のしかもわずか8年前に、クルアーン(コーラン)を根拠に女性奴隷制を公然と称え実践したイスラム国(IS、ISIS、ISIL、ダーイッシュなどといわれる)。その生き残りが、アフガニスタンにそのイデオロギーを持ち込み、ターリバーンの一派に(全体ではないと思いたい)吹きこみ、いま、増殖しようとしている。「コバニの娘たち」とは、2014年にシリアでイスラム国と闘い勝利した女性だけの戦闘部隊のことである。コバニの娘たちは銃で武装していたが、アフガニスタンの娘たちは素手でターリバーンの中世的思想と闘っている。彼女らを負けさせてはならない。)
【本文】
今日のアフガニスタンの娘たちの存在は、この10年間の「コバニの娘たち」(訳注:アメリカ 人女性作家ゲイル・レモンが書いた本のタイトル、題材はシリアの町コバニでISISと戦う女性兵士たち)の状況に似ている。コバニの娘たちはかつてISISの戦闘員に直面し奴隷にされる危機に瀕していたが、アフガニスタンの女性たちはISISの別種であるターリバーンに今現在直面しているのだ。ISISの戦闘員は、かつてシリアで敵社会の少女たちを逮捕し、性的搾取のための奴隷にしていた。しかし、ターリバーンは今もアフガニスタンの少女たちから教育と労働を奪い続け、より容易く奴隷にしているのだ。両過激派とも根底にある論理は似ている。それは女性に対する不平等なアプローチで、女性には人間の尊厳など完備されていないとの思い込みである。
「コバニの娘たち」は、ヤジディ教徒(訳注:ヤジディ教はクルド人の一部に残る古来からの民俗宗教で、その信者はISISによると悪魔の手先)の少女たちが奴隷市場で売られているのを目の当たりにして、ISISに屈服することは、天国に行く前の現世でこの世の奴隷を無数に手に入れようとする欲望に満ちた過激派に負けて、性的奴隷に身を落とすことだと気づいた。
おそらく、数千年にわたる古代世界の征服と戦闘のすべてにおいて、征服者たちの足跡をたどるなら、戦士が戦う強い動機のひとつは性奴隷を得たいという欲望だっただろう。クルアーンの第9章「悔悟」の解説書によると、タブーク遠征(訳注:630年ムハンマドはビザンチン帝国 がシリアから攻め入ると聞き、兵を集め北部のタブークへと遠征した)に際し、改宗したばか りのアラブ人の中には参加を渋る者がいた(訳注:暑い盛りで大変だったし、実際タブークにはビザンチン軍の影も形も無かった)。その言い訳は「バヌ・アル・アスファール」(ビザンチン/訳注:字義は「黄色い者の子どもたち」でエチオピアの黒とローマの白の混血を指す)系の肌の明るい少女たちに骨抜きにされるからだとか。ISISやターリバーンはこうした性的渇望が現代にも残ることの典型例である。彼らは未だに、女性を自分たちと変わらぬ人間としてで はなく、売買できる商品と捉えている。
参考サイト:
ムハンマドのタブーク遠征
https://discover-the-truth.com/2016/08/01/banu-asfar-jadd-b-qays-and-the-blonde-women-claim/
コバニの娘たちは、未だかつてなく残忍な過激派の出現に直面して、降伏するか、死の危険を冒して戦うか、2つの選択肢しかなかった。娘たちは2番目の選択肢を選び、男たちと肩を並べ て武器を取り、戦闘大隊に志願し、軍事訓練を受け、鉄の意志を持ってISISに立ち向かった。 従順で、虐げられたオリエントの女性という固定観念が打ち砕かれ、世界は唖然とした。
見よ、東から来た少女たちは、比類なき勇気をもち武器を担いで戦場に入り、血に飢えた敵を前に塹壕を強化し、バヌ・アル・アスファール(ビザンチン)の少女たちへの欲望を抱いて戦場に入ったダーイシュ(訳注:中東におけるISISの別名)の攻撃者たちを次々と撃破した。 ISISの罠に落ち、あるいは捕らえられた何千人もの少女たちのシェルターとなることができ、 続いて脱出の道を探し求めた。自由と誇りは男性だけのものではないこと、少女たちは勇気と尊厳の点で東洋と西洋に違いはなく、どんな場所でも誰もが自分の尊厳と名誉を守るために立ち上がることができるのだと世界は学んだ。結局、ISISはコバニの少女たちによって打ち破られ、娘たちは勝利したのだ。
アフガニスタンの女性たちも、日に日に自分の能力に気づいてきている。女性たちは屈服して権利を放棄しても、性奴隷になる以外どこにも行き着かないと悟って、徒手空拳でターリバー ンに立ち向かっている。逮捕、拷問、死の危険があることも知っているが、屈辱的で奴隷のような生活は生きる価値がないことも知っている。コバニの娘たちの戦いについて本が書かれ、 映画が企画されているように(訳注:元米国務長官のヒラリー・クリントンがその娘と共同で テレビ映画化権を獲得し現在製作中)、今世紀で最も残忍かつ陰鬱な女性差別に対するアフガニ スタンの女性たちの闘いについて、やがては本が書かれ、自由の黄金史に新たな1ページが加えられるはずだ。口だけの非難は国連に任せよう。ターリバーンに対して実のある行動など、どうせ起こすはずもない。副事務総長がカーブルに来ても、ターリバーンを利する話しか出てこないのだ。
参考サイト 国連の動き: https://news.un.org/en/story/2023/01/1132677
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