If You Were Ahmad Massoud, What Would You Do?
(WAJ: 本エッセイの筆者は自問自答する。「アフガニスタン陥落から1年半後のいま、国民抵抗戦線(NRF)の指導者たるアフマド・マスードに何を期待するのか。アフガニスタン国内の政治的・軍事的状況の複雑さ、周辺諸国とターリバーンとの関係、そして世界政治が抱かせる彼への非現実的な期待の多さには辟易する。」「現状では、レジスタンス支持者の大多数が抱く正当な期待を(マスードが)満たすことは難しい。「反ターリバーンの政治家たちの中で、マスードほど国民の信頼を得るチャンスを持つ者はほとんどいない。マスードは、手遅れになる前にこの機会を利用し、反ターリバーン運動を最善のものとするために行動すべきだ。」「われわれ全員が国民と祖国に対して責任を負っていることを自覚しなければならない」。傾聴すべき提言である。)
By: Sohrab Takawor
By Hasht-E-Subh Daily Last updated Jan 28, 2023
ソラビ・タカウォール
ハシュテ・スブ・デイリー
2021年8月15日、30歳をわずかに越えたばかりの男、アフマド・マスード(Ahmad Massoud/訳注:アフマド・シャー・マスードの長男)は、崩壊しつつある軍隊の最後の兵士と指揮官数名を伴って、カーブル空港から生まれ故郷のパンジシールに飛んだ。ターリバーンに対抗する武装した地元抵抗勢力の希望の火を消さぬための行動だった。ターリバーンに抗うという彼の使命は、地域的、世界的な陰謀を前に不可能と思えた。ターリバーンは、「世界的対テロ戦争」の仕掛け人たち、ワシントン(トランプ大統領とその政権)の支援を受けた当時の共和党指導部の首脳らと協力し、すでに政権復帰の道を整えていた。一方、アフガニスタン・イスラム共和国の大統領、陸軍将軍、治安大臣、高官などの政治・軍事エリートはアメリカの飛行機に乗り込んでカーブルから逃げ出したのである。
アフマド・マスードは、共和国崩壊前は体制側の人だった。崩壊前の1、2年、彼はバラバラになっていた反ターリバーンの政治グループをまとめ、来たるべき困難な時代に備えようとした。しかし、当初から彼は2つの大きな障害にぶつかった。
まず、マスードの政治活動の開始時期が共和国末期と重なったこと。そのために、2001年以降、政府の主要パートナーであった国内のタジク人政治家たちが、そのパンジシール出身者までもが、マスードを政治的同盟者とは見なさなかった。むしろその多くは、マスードを脅威の存在とみなしていた。なぜならマスードが政界に進出すれば、タジク人の票田を一気におさえる力があり、既存のタジク人政治家は政権弱体がもたらす利権の拡大を阻まれると危惧した。
次に、旧共和国指導部内の動き。一部の反主流派たちは、民衆による新たな反ターリバーン抵抗戦線の形成について議論していた。しかしながら、共和国中枢にいる少数の意思決定者たちは、政治的にも軍事的にもマスードだけには協力しない方針を選択した。つまり、マスードがアフガニスタン・イスラム共和国防衛のための武装抵抗軍を率いるくらいなら、ターリバーンにアフガニスタンを支配させたほうがましだと考えた。
このような背景を知ると、アフガニスタン陥落から1年半後のいま、国民抵抗戦線(NRF)の指導者たるアフマド・マスードに何を期待するのが理にかなっているかを理解できる。アフガニスタン国内の政治的・軍事的状況の複雑さ、周辺諸国とターリバーンとの関係、そして世界政治が抱かせる彼への非現実的な期待の多さには辟易する。
不信感―反ターリバーン抵抗戦線の大きな欠点
現状では、レジスタンス支持者の大多数が抱く正当な期待を満たすことは難しい。支持を表明する政治勢力は亡命して散り散りになっている。そのため長期的戦略を立てることが難しく、政治的な行動を起こす余地もほとんどない。2001年に勝利した指導者たちが約束を果たさないことに国民は失望したものだが、今はそれを越えて、政治家に対する国民の不信感は最高潮に達している。つまりアフマド・マスードは、失望し敗北した世代を横目に、政治的色彩を持ちつつ活動している。
信頼できる同盟者がいない環境で抵抗運動を組織しながら、かつ信頼と希望を築き上げるのは、誰にとっても難しい。年配の政治家世代にはターリバーンに対抗する知的能力はなく、ジハード(訳注:かつてのソ連占領に抗った聖戦)やポストジハード時代の行動によって、彼らはこの30年間ずっと国民の信頼を失っている。
ターリバーンに対する怒りや不満があるにもかかわらず、アフマド・マスードの同輩の多くは無気力で不活発と見られている。しかしその分、彼に大きな期待を寄せる。政権崩壊後、メディアが注目したにもかかわらず、この若い世代から独立した政治運動は生まれていない。若者たちは、自分たちの政治的見解を明確に説明するマニフェストや行動指針を書いてさえいない。また、この世代が団体や協会、政党を結成して活動しようとする意気込みも、あまりに心もとない。残念ながら、この他人任せな態度は、かつての極端にイデオロギー的だった時代に負けず劣らず、政治領域に倫理的な危機を招いた。
さらに、昨今の著名人の中には、タジク人同士が政治的に対立するのはすべて、あの地域のせいだと非難する人がときにいる。残念ながら、言う方も言われる方も、同じ理由で互いを貶すことをためらわない。この状況を説明するために、筆者は「偏狭主義」という言葉を使っている。この言葉は未だ人口に膾炙していないが、タジク人政治エリートを危うくしている現在の無関心をうまく表している。反ターリバーン政治集団をしっかりと全体的に見据えることをせず、彼らはFacebookやTwitterで果てしない議論に集団的エネルギーを使うことを選んでいる。それは政治的結束を弱めるだけである。
これまでのところ、アフマド・マスードは、抵抗運動への政治的支持者間の信頼の欠如に対処する有効な手段を見つけられていない。彼の側近の中には、彼と同年代の政治家、市民、メディアの活動家から信頼も尊敬もされていない者がいる。彼が人が望むほど身近でない理由は理解できるが、若い世代ともっと関わるべきだという同輩の批判にも一理ある。
アフマド・マスードの同輩は、若くて知的で教養のある人たちなので、国民抵抗戦線の顧問チームや政治委員会に加わり共に活動できるだろう。
アフマド・マスードは、アフガニスタンをターリバーンの支配から解放するために、献身的で十分な知識を持った人物を採用しなければならない。そうした人物ならば委員会またはグループに加わり、知的、軍事的、政治的、社会的計画を立てるという難しい仕事をこなすことができる。その結果、より統一的で、進歩的で、心を鼓舞する物語がアフガニスタン国民の抵抗のために生み出される。さらに、国民抵抗戦線を政治的・社会的に正当な勢力と認めるよう、領域的・国際的な組織や政府に働きかけを行うべきだ。そうすれば、アフマド・マスードの個人的な責任を軽減し、抵抗運動を組織化するのに役立つだろう。
危機の後では、パートナーとの信頼関係の構築、オープンな対応、人的資源の有効活用が不可欠だ。人々は、それが正しいか正しくないかにかかわらず、期待の度合いを示すことによってその人をどれだけ信頼しているかを表わせる。反ターリバーンの政治家たちの中で、マスードほど国民の信頼を得るチャンスを持つ者はほとんどいない。マスードは、手遅れになる前にこの機会を利用し、反ターリバーン運動を最善のものとするために行動すべきだ。
われわれは、自由の代償を払う覚悟があるだろうか?
ターリバーンの復権は、多面的で複雑な事象である。わずか18か月でターリバーンに代わる包括的な政治・軍事的機構を考案するのは困難だ。特に、アフガニスタンの多くの政治勢力がターリバーン政権の復活に動揺しており、解放戦争を始めるのに必要な資金や軍事的資源が不足しているため、なおさらである。その上、抵抗自体、さらに占領地の解放、そして自由の達成にかかるコストは、反ターリバーンの政治的支持者にはまだ十分に受け入れられていない。この18か月間に反ターリバン勢力が払った犠牲にもかかわらず、ターリバーンはいまだに軍事装備を操り、自爆テロを集め、NATOから数十億ドルの武器を譲り受け、そして20億ドル近い国際援助を受けることができる。さらに、近隣諸国や一部の欧米資本によるターリバーンへの支持は依然として強く、「ターリバーン政権を維持する代わりにアフガニスタンの安定を保つ」という考え方は、世界の一部の政策立案者の間ではいまだに有効なアプローチと見なされている。
このような状況下でとるべき最も単純な手段は、反ターリバーン抵抗勢力に大きな期待をかけ、それに応えられないアフマド・マスードを非難することだ。アフマド・マスードは亡命した政治家(訳注:2021年9月ターリバーンにパンシジール州を掌握された後、マスードは国外に亡命した)として、この領域の貧弱な政府(訳注:亡命先のタジキスタン)の客分であり、周辺にある主要な国々の要求には従わざるを得ない。さらに、反ターリバーンの富裕層もレジスタンスへの財政的支援を拒み、裕福な知的・政治的エリートたちは能力不足のため、団結も相互理解もしない。こうして、われわれ皆が自由のために代償を払わないのなら、アフマド・マスードはおろか、誰一人として奇跡を起こすことなどできはしない。
われわれは、自由と抵抗のために代償を払う気があるのかどうか、自問自答しなければならない。アフガニスタンのディアスポラ(訳注:ユダヤ人がかつてそうであったと主張しているような世界への離散者)はどのような行動をとりうるのか。われわれの作家や知識人は、ターリバーンに対する統一された抵抗を作り出すために働いているのだろうか? われわれの詩人は詩的抵抗のための運動を率いているだろうか? われわれの商人は抵抗のための武器を購入しているだろうか? われわれの教師はジハード主義のカリキュラム実施に抗議しているだろうか? われわれは女性の権利を守るために団結し、市民的な抵抗をしているだろうか?
アフガニスタン人の政治的分裂、広範な怒り、ターリバーンとターリバーン主義への憎悪を利用して、ターリバーンを倒し、祖国を取り戻す機会を手にする物語を構築できるだろうか? もし構築できたとしても、アフマド・マスードにレジスタンス指導者としての責務放棄を許すわけではない。そうではなくて、むしろわれわれ全員が国民と祖国に対して責任を負っていることを自覚しなければならないということなのである。
(訳注:ユダヤ人がディアスポラだと言うのは歴史的には誤謬。正しくは「昔からユダヤの金持ちは富を求めて世界進出し、残った貧乏なユダヤ一般人はやがてモスレム化し、一部の金持ちどもが近代になって何やら懐かしくなり、故郷に帰りたいと騒ぎだし、『ディアスポラ』といいわけして舞い戻り、元は同祖で貧乏なモスレムを追い出した。」もちろん、アフガン人は正真正銘のディアスポラ。)
【原文を読む】
[…] しかし、国民的英雄とされたアフマド・シャー・マスードの息子といえども、むしろ、息子だからこその難しさが、アフガニスタンにはあります。今号に掲載した「もしあなたがアフマド・マスードだったらどうする?」が、含蓄深い洞察を行っています。そこに示される、闘う意思をもったアフガン民衆の知性に、同じような政治の混迷に直面している日本人は学ぶべきである、と私は思います。 […]