ヘラート安全保障対話の初日が開幕

テロ集団がモチベーションを高め、その脅威が集中するなか

First Day of Herat Security Dialogue, Center of Threats to Motivation Promotion of Terrorist Groups

 

By Hasht-E Subh ハシュテスブ
On Nov 30, 2022  2022年11月30日

レポーター:ハシュテスブ・デイリー記者兼アナリスト、アミン・カワ

 

「包括的政治機構、その姿と道筋」という名のサミットは、タジキスタンの首都ドゥシャンベで11月29日に始まった(訳注:翌30日に終了)。会議には多くのアフガン人政治家、市民社会の代表、学術研究者、メディア代表、外交官、EU諸国・アメリカ・パキスタン・インドのNGO代表が出席した。アフガニスタン戦略学研究所所長ダヴォウド・モラディアン(Davoud Moradian)博士はハシュテスブにこう語った、「これはアフガニスタンの組織が提唱し主催した最初の国際的会議です。その目的は、アフガニスタン問題について、アフガン出身の各個人、代表者、そして関係国の専門家たちが話し合う基盤を作ることです。」

アフガニスタンで国民各層を含みこむ包括政治体制を確立しテロと戦うことは、アフガン国内の市民、エリート政治家、そして国際社会のきわめて真剣で主要な要求である。アフガニスタンをターリバーンが支配して以来、周辺領域国の安全に対する危惧と、アフガン国内でのテロ集団の復活が、大国と周辺領域国の意志決定中枢における熱い議論の的となっている。このほど、アフガニスタン戦略学研究所(Afghan Institute for Strategic Studies: AISS)(訳注:カーブルに本部を置く独立非営利団体で、アフガン発展のための学術的研究を行っている)がタジキスタンで、第10回ヘラート安全サミットを開いた。テーマは「包括的政治機構、その姿と道筋」。この会議における初日の発言者は、包括的政治機構の確立と、女性の権利の確保を強調した。この会議には、200名近くの専門家とエリート政治家が、世界の様々な国から参加した。

アフガニスタン戦略学研究所が創始し10回目を迎えたこのサミットは、今年タジキスタンの首都ドゥシャンベの国立図書館で11月29日に始まった。初日の発言者が議論したのは「包括的政治機構」の確立について、「領域内合意の及ばぬ地政学的ブラックホール、アフガニスタン」、「裏切りと差別に抗うアフガン女性」そして「暴力の神聖化、統治手段としてのテロ」という4つのテーマだった。

この会議に参加したマニザー・バクタリ(Manizha Bakhtari)駐オーストリア・アフガン大使は、ハシュテスブのインタビューに答えて、ヘラート安全保障対話には討議すべき7本の柱があると述べた。「自治、領域内合意、女性問題、テロ、文化・芸術、国際社会の役割、そして将来の道筋の確定です。この歴史的会議は、安全問題、領域的・国際的関係の分野で重要な舞台となります。基本的な論議を新しく別の姿で始め、アフガン国内と周辺領域で起きている今日的問題や困難に対処するのです。」

さらに彼女はつぎのようにつけ加えた。「テロとターリバーンの存在は、政府とアフガン憲法を破壊したのみならず、国民の基本的権利をひどく傷つけました。アフガン女性はこれまでの成果を失い、教育権や労働権という基本的権利を奪われたのです。こうした危機的で敏感なときに、このような会議を開くことは、国にとって非常に重要です。ここで議論を尽くし、領域や西側の友好国と手を携えて、ひとつの舞台に立って、解決に向かうべきです。」

続いて国家安全保障局のラーマトゥラー・ナビル(Rahmatullah Nabil)元長官(訳注:2015年まで長官職、2019年の大統領選に立候補した)が登壇し、国際的テロリストたちがその「戦略的縦深性」(訳注:前線で攻撃を受けてもその中枢は深い位置にあり、攻撃しがたいこと)を獲得したと述べ、つぎのように強調した。「用心深い連中にも、アフガン危機に対しては、永続する平和的解決法があると楽観視する傾向がかつてありましたが、アメリカとNATO軍の完全撤退によって、それは潰えました。その結果、アフガン政府は崩壊し、ターリバーンが権力を握ったのです」と。

彼はさらに「テロ集団は、その技術、視座、動機を向上させました。そのため国際的なテロリストはアフガニスタンで戦略的縦深性を獲得したと言えます。それはこの領域にとって大きな試練です」と述べた。彼が声高に叫ぶのは、アフガニスタンだけでなく当該領域をこえてその先でもイデオロギー的動機の復活が増大しているということだ。特に、外国軍が国外に去った後に、そうなったと言う。

元アフガン政府役人の演説

ランジン・ダドファル・スパンタ博士(Rangin Dadfar Spanta)(訳注:カルザイ元大統領のもと外務大臣と国家安全保障顧問を歴任)は、このサミットの開会演説で「包括的政府は、政治的権威を機械的に分割して、国民の選択権という大原則を拒否し、確固たる政府を否定するものでは決してありません」と述べた。彼によると「今日のアフガニスタンは、策略によって周辺領域と世界における脅威と破壊工作の中心地にされてしまいました。国際的テロリストの避難場所という汚名はデュアランドライン(訳注:1893年、イギリスとアフガニスタンとの間で取り交わされたインドとの境界線(当時はパキスタンという国家は存在していない))の向こう側からもたらされたのです。これは領域と世界の平和と安定にとって、ゆゆしき脅威です。」

さらに彼は「ターリバーンが権力に返り咲いたことで、文明はとにかく、これまでになく混乱し、反人間的な思想が再び確立されてしまいました」と述べ、第一次ターリバーン治世について、次のようにも述べた。「あれは、悲しい恐怖の象徴で、文明的破裂の始まり、俗悪な社会と反文明の始まりでした」と。

さらにつぎのように続けた。「語られるにつれ、真意は曲がることがあります。イスラームの言い伝えでは、聖戦への懐旧。これは過去も現在も、民主主義と正義を支持するという大原則に決して抗うものではなく、もともとは社会的、民族的、文化的多様性を受け入れます。一方、ターリバーンの信仰は、イスラーム主義、サラフィー主義(訳注:初期イスラームの時代を規範とし、それに回帰すべきだとするイスラーム教スンナ派の思想)、デーオバンド派(訳注:北インドのデーオバンドにある宗教学校=マドラサで19世紀後半に起こったスンナ派イスラムの改革運動)の信仰に、部族主義が混ざり、できあがりました。」しかし、このことが、和平会談の準備の妨げを意味する訳ではなく、戦争はアフガン国民の選択肢にはないのだ。「戦争は邪悪で、破壊的な現象です。われわれは国内での戦争と殺人を止めなくてはなりません。しかし、請願書をしたためるとかの弱々しいやり方では、平和を達成できません。演壇に立って叫んでも無駄なのです。」

元国家安全保障顧問は、国民抵抗戦線(NRF)に与する国民の勇気、女性たちの市民的・情熱的奮闘、そして社会勢力による政治的奮闘を讃えた。そして、これらが相まって、最後は平和への道につながるはずだと付言した。

しかしながら、サイード・タイエブ・ジャワド(Said Tayeb Jawad)元駐ロシア・アフガン大使はこの会議で、バイデン政権にはアフガニスタンに関する明確な政策がないと語った。彼によると、アフガニスタンにおける失敗した政府の存在は次回の大統領選の重要な討論議題になる可能性がある。ジャワド氏はさらに、カタールがカンダハルのターリバーンに肩入れしたことで、ターリバーン内に断片化が生じていると述べた。また彼は、パキスタンとターリバーンの関係について、いかなる取引も、パキスタンの国家利益となるべく仕向けられているとも強調した。

前政権の和平交渉団のひとりだったファウジア・クーフィ(Fawzia Koofi)もサミット初日に登場した。彼女はターリバーン体制に抗議する女性たちの勇気を讃え、女性の抗議運動が拡大していると強調した。

彼女によると、「ターリバーンはアフガニスタンの女性たちが自分たちの権威主義体制にとって大きな脅威であると考えています。ところが、アフガン女性が求めているのは、自分たちの基本的人権の復活と遵守のみで、それ以上ではないのです。」彼女は、世界が女性の地位に関してダブルスタンダードな対応をすべきではないと強調した。つまり、カタールなどで女性が享受する権利と地位をアフガン女性もあたえられるべきだ、と。女性は変革の中心的要素となるべきで、政治と権力の主たるパートナーであるべきだ、と彼女は論じた。

しかしながら、同じく前政権の和平交渉団のひとりだったモハンマド・アミン・アフマディ(Mohammad Amin Ahmadi)は、ターリバーンが信じる唯一のものは、極端で前近代的な考えに則った、独占体制の確立であると非難した。

近隣諸国「代表」の演説

タジキスタンのファルハド・サリム(Farhad Salim)外務副大臣は、この会議での演説に際し、アフガニスタンにおけるテロ活動の増加について懸念を表明し、アフガニスタンに暮らす女性と各民族の権利が侵害されていると非難した。彼によると、タジキスタンがこのサミットのホスト国になったのは、アフガニスタンとの平和政策の証であり、サリム・タジキスタン外務省副大臣は、タジキスタンの政策はアフガニスタンにおける包括的政府の確立を援助することであると述べた。

しかしながら、オミルタイ・ビティモフ(Omirtai Bitimov)元駐アフガニスタン・カザフスタン大使は、類似した会議が近い将来開かれる、と自らの演説中に発表した。彼は加えて、次の会議では、アフガニスタン情勢が、アフガン人、領域国家の代表、主だった世界の強国によって討論されると語った。

同時に、パキスタンのアワーミー国民党(訳注:パシュトゥーン民族主義を掲げる左翼政党)のアフラシアブ・カタック(Afrasiab Khattak)党首は、この会議で、アフガニスタンが大国間の戦略競争の競技場となっていると述べた。彼はターリバーンを「極端にして原始的」と呼び、この集団に政府を運営する能力は無く、そのためその支配は長続きしないと強調した。彼は国連主導の国際的メカニズムが現在の危機を変化させ、アフガニスタンに安定した国内政府を打ち立てるのを支援するだろうと語った。

彼はさらに「パキスタンは最近、アフガニスタンを自国の第5の州とみなしており、アフガニスタンは大国の政治的・戦略的な戦場となってしまった」と述べた。彼によると、パキスタンのマクロ的・基本的政策はいまのところ軍部主導だ。だが「ひとたびパキスタンが民主国家になれば、アフガニスタンには平和が訪れます。」

イラン人研究家モハンマド・アリ・バハマニ・カジャリ(Mohammad Ali Bahmani Qajari)は、会議でつぎのに論じた。「冷戦期、イランは西側に属しました。領域に共産主義が広がるのを恐れたからです。」アブラハム合意(訳注:2020年、トランプ大統領の仲介で、アラブ首長国連邦とイスラエルが国交を正常化したが、イランは非難した)のあと、イランは建設的役割に転じ、アフガニスタン・イスラム共和国を支援した。しかしカジャリ氏によるとそれは一時的なもので、アブラハム合意の前のイランとアフガン政府の関係は、アフガニスタンと米国の二国間安全保障合意(訳注:2012年オバマとカルザイが締結)を受けて悪化していたし、さらにアブラハム合意のあとでも、アシュラフ・ガニー(Ashraf Ghani)前大統領の「水対石油」政策(訳注:2021年春イラン国境のすぐ近くにダムを完成させ、「水が欲しければ石油を」と煽った)が両国政府間の緊張の火に油を注いだ。彼は、ターリバーンの統治のせいで平和の構築と安定した政府の確立ができないと主張し、彼の国はアフガニスタンにおける協力的・安定的政府の樹立を支援すると述べた。

西側諸国の代表による演説

トマス・ニコルソン(Thomas Nicholson)EUアフガニスタン特別代表は次のように論じた。「アフガニスタンに関する我々の政策を考えるとき、ターリバーンとの政治的交流は考慮すべき要素のひとつです。人道的援助の分野でも我々は活動しており、人道的危機を避けるため、国連を通してこれまでに数億ユーロを寄付してきました。」加えてつぎのように述べた。「公的場面から女性たちを体系的に排除したことに対する我々の立場は明確です。とても心配しており、女性の地位を改善するために、もっと多くの手段がとられるべきです。ターリバーンには女性を守り尊敬する義務があります。西洋では女性の権利はごく当たり前ですが、国によっては、女性の存在そのものが、経済、進歩、安定にとって重要なのです。」

カレン・デッカー(Karen Decker)米国アフガンミッション臨時大使は、ヘラート安全保障対話をアフガニスタンの状況に関して「領域およびEU各国の代表と意見を交換できる素晴らしい機会」と考えている。11月29日(火)、彼女はツイッターで、タジキスタンにおける第10回ヘラート安全保障対話への参加を報告し、アフガン国民を米国が強く支援すると繰り返し述べた。

ヘラート安全保障対話参加者

サミットには、領域諸国も含め世界中から、演説者と参加者が集った。この会議の主催者はターリバーンもこのイベントに招待したが、代表を送ってこなかったと述べた。ターリバーンはメディアに対し、国民の利益となる会議はどんなものでも評価し支援すると述べていたにも関わらず、である。

参加者:元政府役人

ランジン・ダドファル・スパンタ元外務大臣・元国家安全保障顧問、ザルミ・ラスール(Zalmi Rasool)元外務大臣、ラーマトゥラー・ナビル元国家保安局長官、マニザー・バクタリ駐オーストリア大使、サイード・タイエブ・ジャワド元駐ロシア大使、ファウジア・クーフィおよびモハンマド・アミン・アフマディ前政府の和平交渉団メンバー、モハンマド・アラム・イズディヤール(Mohammad Alam Izdiyar)元上院議員の第1副官、その他、ナジフ・シャーラニー(Nazif Shahrani)アフガン出身・米国インディアナ大学人類学教授らの学者、アフガニスタンの前政府の見解を代表する政治的人物や報道関係者が参加している。

参加者:近隣国、西洋諸国、国際社会の代表

カレン・デッカー駐アフガニスタン米国大使館臨時大使、トマス・ニコルソンEUアフガニスタン特別代表、ニコライ・プロンティノフ将軍(ロシア科学アカデミー東洋研究所科学および分析情報センター長)、アサド・ドュラーニ将軍(元パキスタンISI長官)、スハシニ・ハイダル(Suhasini Haidar/インドで最古かつ最も読まれている日刊紙のひとつ「ヒンドゥー」の女性編集委員)、アフラシアブ・カタック(パキスタン、アワーミー国民党党首)、アイェーシャ・シッディカ(Ayesha Siddiqa/パキスタンの南アジア問題専門家)。その他、多くの外交官、アメリカやヨーロッパにあるNGOの代表者、他に、アフガニスタン問題を追うヨーロッパとアメリカの記者たちも数多く、この会議に出席している。

サミットこぼれ話

マシャッド出身のジハーディストのひとりイスマーイール・カーン(Ismail Khan)は、イラン政府によって参加を拒まれた。またパキスタンの国会議員モーセン・ダヴァール(Mohsen Davar)も参加できなかった。

この会議には多くの冒険的要素もあった。この会議の副作用のひとつに、会議の主催者マリアム・ヴァルダック(Maryam Vardak)による「首長国」という用語使用があった。それを聞いて、多くの参加者が失望した。会議の常連たちは、彼女にターリバーンをそう呼ばないよう要請した。彼女は、モハンマド・ハニフ・アトマール(Mohammad Hanif Atmar)がガニー氏の国家安全補佐官を務めていたとき、国家安全会議で補佐官の補佐官を務めた女性である。