Don’t isolate the people of Afghanistan!
イギリスに拠点を置き植民地の自由のため活動する運動組織『Liberation(解放)』によるアフガニスタンに関する声明:
2021年8月16日決議、8月17日発行
2021年8月15日日曜日のカーブル陥落によって、ターリバーンは9.11米同時テロ攻撃のあと追放されてから20年、権力への怒濤の復帰をほぼ完了しました。それは、長く苦しんできたアフガニスタンの国民にとっては悲劇です。同時に、過去40年にわたる西側によるアフガニスタンでの外交政策の腐敗と、過去20年間そこで行われたプロジェクトが無意味であったことを明らかにしています。
1970年代後半からの、米国、サウジアラビア、パキスタンによるイスラム教ムジャヒディン反政府運動家への武装支援は、1978年のアフガニスタン四月革命、そしてアフガニスタン人民民主党(PDPA)政権を弱体化させ、アフガニスタンのみならずより広い領域で反動的なジハード主義グループを過度に生み出す根元となりました。
これらジハード主義者グループが激しく反対したのは、アフガニスタン国内で現代的な社会を構築し貧困と封建的な過去の支配層を根絶しようとするPDPA政権の進歩的な政策でした。これら西側諸国に支持された反動分子らは、国連世界人権宣言で唱えられた人権と自由民権という概念そのもの、またそれがアフガニスタン国民、特に女性と子供たちに向けて適用されることにずっと敵対しています。
ソ連の介入
ソ連は南側にある隣国がCIAに支援されたジハード主義者らに攻撃されたため、その政府を支援するためアフガニスタンに介入しました。しかしそれを西側はイスラム勢力の武装を正当化するために利用しました。NATO加盟国の主要な関心事は、自分たちの外交政策リストに反することがらを領域内の国ぐにに拡散させないことと、それらの国ぐにがソビエト連邦と連携するのを未然に防ぐことでした。
モハマド・ナジブラー博士が率いるアフガニスタン国民和解政府は、1989年のソビエト軍の撤退以降も存続しましたが、その一方で主要なNOTO諸国にムジャヒディンを支援するサウジアラビアとパキスタンを加えた邪悪な同盟からの圧力は継続し、生き残りのため政府はもがき続けました。結局1992年春にカーブル(PDPA政権)は崩壊し、アフガニスタンは戦争で荒廃した国内のあちこちを支配するさまざまなイスラム主義勢力どうしの残忍な内戦に突入しました。カーブルの全域がまっ平らな更地となりました。ターリバーンは1994年にこの大混乱のなか登場し、1996年にはカーブルまでいたる血まみれの道を切り開いたのでした。
その後5年間イスラム原理主義者が支配したために、教育、医療、住宅および土地の権利に関して(PDPA政権下で)達成された社会的成果が、女性の解放を目指す動きもろとも、逆転されました。代わりに、アフガニスタンはアルカイダを含む最も反動的なイスラム主義勢力の訓練場となり、2001年の9.11テロ攻撃を開始する基地になりました。
アフガニスタンへの軍事的侵略という(ターリバーンによる)残虐行為への反応として西側は事実上20年間もアフガニスタンを占領し、約2兆ドルを出費し、そして悲しくも何千という(自国民の)命を失いました。最近になって西側の軍隊が急に撤退したことから、アフガニスタン政府は数週間で突然崩壊してしまいました。
軍事干渉の失敗
米国が樹立させたにもかかわらずアフガニスタン政府が崩壊したことは、外交政策の手段として軍事介入をしてもかならず失敗するという教訓です。私たち『解放』は常に、外力による政府の押し付けでは、アフガニスタンにおける民主主義と人びとの権利を保証できないと主張してきました。ターリバーンによるアフガニスタンの再支配という結果は、ターリバーンに反対する人びとが慌てふためいて出国しようとするほど甚大なる人道的災難です。また出国できない多くの人びとには、同じくらい恐ろしい結末が待ち構えています。
米国も英国も、アフガニスタンの一般市民の運命について何の関心も示していません。2021年8月12日の『スカイニュース』とのインタビューで、元国連大使・国家安全保障問題担当補佐官のジョン・ボルトンが発言したように、おそらく米国にこれ以上の期待はできないでしょう。彼はこう言いました。「国としてアフガニスタンについて議論しているときに、どういうわけか陥ってしまうのは、アフガニスタンにいるのはそこを守るためだとか、慈善のためだとかの概念です[…]アフガニスタンを〝アジアのスイス〟にするために私たちがそこにいると考えるのはいつも間違いでした。私たちは彼らの国づくりのためにそこにいるのではなく、自分たちの国を守るためにそこにいるのです。」
元国務長官のマイク・ポンペオによって監督されていたカタールでのターリバーンとの合意条項に、米国の真の関心事が赤裸々に示されています。すなわち、「ターリバーンとして知られており米国が国家承認していないアフガニスタンイスラム首長国だが、米国とその同盟国の安全を脅かすものたちにアフガニスタン入国のビザ、パスポート、旅行許可、またはその他の法的文書を発給しない。」この文言が明らかにするのは、アフガニスタンがターリバーンの手に落ちることが完全に予想されていたということです。 (この合意がなされたのは2020年2月、最近の恐ろしい出来事のほぼ1年半前でした。)
危機に対する西側の責任
米国、英国、およびNATO加盟国政府は、どの国も国際法に基づく許可なくアフガニスタンを監視していましたが、その自らの監視下で進展したこの危機に対して責任を負わなければなりません。自国の損失を減らすために、困窮しているアフガニスタンの国民をオオカミのまえに置き去りにする行為は許されません。
考えられもしなかった新型ターリバーンという妖怪が支配し、私たちの眼前でアフガニスタンに広がる危機は、米国、英国、NATOが主権国にたいして何年間も甚だしい違反行為を行ってきた結果です。
国連、国際社会、そして平和、人権と自由民権、社会正義を大切にする世界中のすべての人びとは、ターリバーンおよびパキスタンのようなその暗黙の同盟国に現在の事態について説明する義務があると主張しなければなりません。
国際社会は、アフガニスタンにおいて国際法が遵守され政権移行がなされるよう主張しなければなりません。ターリバーンの支配が制限なく継続することは許されず、国連世界人権宣言に唱えられている人権と自由民権の基本的規範と信条が遵守されなければなりません。もちろん、女性と少数民族の権利も含まれます。家を失い追い出されたアフガン人は、完全な難民の地位を与えられなければなりません。軍事介入ではなく国際外交と交渉が外交政策のデフォルト手段になるべきです。
今回のアフガニスタンの事態は、必ず大惨事に終わる介入戦争の失敗に次ぐ失敗の中で最新のものです。イラク、リビア、シリア、イエメンの国民はその現実を証言できます。しかしアフガニスタンをこうした帝国主義的蛮勇の最後の犠牲とするよう全力を尽くすのが国際社会の使命です。
『解放』はアフガニスタンの国民および進歩的な代表者が孤立したり、声をなくさぬよう、わたしたちのパートナーとともに働き続けます。
(出典:https://liberationorg.co.uk/comment-analysis/liberation-statement-on-afghanistan/)
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<注> リブレイション(Liberation 解放) https://liberationorg.co.uk/
1954年に「植民地の自由のための運動」としてイギリスで設立。半世紀以上にわたって、他の反帝国主義勢力とともに植民地解放のキャンペーンを行ってきた。1970年に現在の名称「Liberation(解放)」に変更し、ひきつづき「新植民地主義、経済的搾取、人種差別、人権侵害」に反対する調査と行動を行ってきた。About usにはさらに、「国際的で相互に関連する組織として、Liberation(解放)は擁護活動に従事し、他の志を同じくする組織を支援し、連帯します。Liberation(解放)は、国連、英国議会、国際労働機関、労働組合との懸念事項を強調し、議論するためのスペースと枠組みを提供します。」とある。