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公的機関/研究機関/民間研究者などによるアフガニスタンにかかわる書籍、研究、提言は、ソ連の軍事介入以降おびただしい数にのぼる。ここでは『ウエッブ・アフガン』がお勧めする参考になる書籍や公開文献を紹介する。
新情報
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★『わたしのペンは鳥の翼』
アフガニスタンの女性作家たち著、古谷美登里=訳 (小学館・2022年)
昨年10月、twitterで『わたしのペンは鳥の翼』の訳者古屋美登里さんが「書影が出ました」と紹介されてこの本を知り、書店に並ぶ日を心待ちにしました。
アフガニスタンの女性作家18人による23編がいよいよ手元に届き、ワクワクと開くも、何度もページを捲る指が震えて読み進められなくなりいったん閉じる、でも気になってまた開く、を何度も繰り返した後に読み終えることができた本です。
こんなに苦しい読書は初めての経験だったのに、だからもう二度と手には取らないとはならず、落ち着いたらまた読もう!と思っている自分に驚き、「なぜ?」と問いかけると「これほど近くに!日常の場に私を連れて行ってくれたから。何を見るより、何を読むより、アフガン女性たちに近づけたように感じられたから。次はもう少し落ち着いて読めるかもしれないから。もう少し読み込まないともったいない気がするから…」と私の心は語っていました。
アフガニスタンの公用語のダリー語とパシュトー語で書かれた短編をアフガニスタンの女性や男性が英語に翻訳されたので、著者たちの自分らしさがしっかりと伝えられたのだろうなと感じています。
後記に「作品を読んでもらうことは精神的支援なのです」とあり、この言葉を覚えておこうと思いました。
苦しい苦しい作品群の中で、第1部の「犬は悪くない」で描かれた「代書屋」は興味深く、ダリー語勉強中の私は「原文のダリー語文でこの作品を読んでみたい」と叶わぬ夢を見ています。
「ペンの力の強さ」というものを改めて感じさせられた本で、多くの人々の手に渡ることを望んでいます!
【森中真弓】
★『わたしが明日殺されたら』
アフガニスタン次期大統領候補フォージア・クーフィ著、福田素子訳 (徳間書店・2011年)
北の辺境バダフシャーン州では、今(2022年秋)もターリバーンに対して激しい抵抗戦が繰り広げられている。かつてソ連の占領に抗ったのも州内の険しい山中に逃げこんだムジャヒディーンたちで、1992年に彼らは、とうとうソ連の置き土産ナジブラー政権を打ち倒した。何やら抵抗・反逆の地とも呼べそうなバダフシャーンだが、その北のはずれにクーフと呼ばれる小さな村がある。1975年、その村に生まれたのが本書の著者フォージア・クーフィ氏で、執筆当時(2010年)州選出の国会議員(二期目)であった。
クーフィ家は代々続く政治一家だ。父親(ムジャヒディーンが惨殺)も国会議員だった。父の死後、彼女を支えた兄によると『月給で暮らしていく』必要などない家柄だった。代々の搾取と蓄財が物を言ったのだろう。そして彼女の国会議員という地位も、おそらくは父親の地盤と金を引き継いだ結果であろう。
そんな著者の半生記を「生ぬるい」と脇に置くか? 置かれたくない出版社は「次期大統領候補」と著者名に惹句をつけた。彼女は、大統領選をカルザイと戦った『マスーダ・ジャラル』の夢を継ぐ女傑で、そのためにこの本は好事家の耳目を引くのか。そうではない。本書の魅力は、当事者だけが知るアフガニスタンの悲惨な日常が生々しく、女性の目線で記録されていることである。
誰も生まれ出る「家柄」を選ぶことはできない。著者はたまたま、大金持ちの国会議員の娘として生まれた。それは不幸にも、戦乱の時代が始まる頃だった。アフガン生まれの彼女以降の世代は、平和を知らない。その上、地方は「女性に教育などありえない」という文化だ。出自のせいもあり、殺されにそうになること、(ざっと)4回以上。逃げ回った体験は・・・数え切れない。すったもんだの挙げ句、国会議員にまで上りつめた一人の女性の物語だ。
兄たちの反対を押し切り自らすすんで教育を受け、ほかの有力者の妻(大抵第二以下の若夫人)の地位に甘んじることなく、必死で教養を身につけた結果、この半生記を著すことができた。これを冷たく評することが許されるのは、少なくとも「なまぬるい」平和に浸りきった私たちではないだろう。
しかも、これは悲しく怒りに満ちただけの本ではない。地獄とも呼べる環境に置かれてなおユーモア溢れる感覚、あけっぴろげな心情が随所で表され、読む者を楽しませてくれる。これは類い希なる文才だ。大いなる悲しみの中でこそ、笑いが大切なのかしらん、と思わせてくれる。
また、ここで描かれるクーフィ氏はスーパーウーマンからはほど遠く、暴力に打ち震え、大胆かと思いきや実は小心、伴侶には愛情だけでなく肉体を求め、ブルカを強制されると心の底から引っ込み思案になってしまう。そんな彼女を成功へと導いたのは、あのターリバーンも含めた市井のアフガン人の数々の親切だった。
そして2005年、国会に初登院。『何年ものあいだあまりに多くの涙を流したために、流す涙がのこっていなかった』クーフィ氏だが、国会に向かうバスの中で涙した。『その涙は幸せの涙』だったという。だが、ご存じのようにその『幸せ』は、もろくも吹き飛んでしまった。彼女は今ヨーロッパに亡命しているようだ。時に国連で発言するなど、アフガニスタンのよりよき未来のため、しぶとく精力的に活動している。
先に紹介した「アフガン民衆とともに」同様、本書も初出から10年以上が経つうえ、アフガニスタンの状況は大きく変わってしまった。今では、この本に描かれた昔のターリバーンが復活し、再び人々を苦しめていると伝え聞く。特に女性への虐待はいかばかりだろうか?現実を直視するのはつらいが、知らないで放っておける問題ではない。「彼らはさらに悪化した」との声があがるなか、私たちが手にできる必読の一冊である。
(本書は原題が「Letters to My Daughters」でカナダ版。書評子がかつて本サイトの「編集室から」で紹介したのは「The Favored Daughter」という米国版。後者はマラライ・ジョヤへの直接の評を割愛するなど、いろいろ改訂されている。)
【金子 明】
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★『アフガン民衆とともに』
元アフガニスタン国会議員マラライ・ジョヤ著:横田三郎訳 2012年 (耕文社刊)
かなり旧聞に属するが、わが国には「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」と持論を開陳してひどく叩かれた元首相がいる。何たるショービニスト的発言か、と。では、彼のような人物の避難所たるアフガニスタンで女性が国家の重大会議に呼ばれ演壇に立つと何が起きるか・・・
このサイトでおなじみの悪役ザルメイ・ハリルザド(米特別大使)が、アフガン占領の成果を誇示せんがためロヤジルガと呼ばれる伝統的国民会議を復活開催させたのは、2003年の秋だった。ちなみに、もう一人の悪役ハーミド・カルザイがまだ「共和国」の暫定大統領だったころの話だ(初代大統領になるのは翌年)。さて、そのロヤジルガに、はるばる西の辺境地帯から送られてきたのが、この本の著者である。名前はマラライ・ジョヤ(どうも仮名らしい)。まだ25歳の若者であった。
会議が開かれた大テントにはムジャヒディーンのお歴々が鎮座していた。どうにかこうにか発言の機会を得た彼女は、こうまくし立てた。『この国をかくのごとき状態に導いた犯罪者の出席を許し、このロヤジルガの正当性を揺るがすようなことをなさるのは、なにゆえでしょうか。犯罪者たちにここにいることを許しているのは、なにゆえでしょうか。彼らは、今この状況について責任を負うべきです。』
犯罪者と罵倒されたお歴々が怒りだし、スピーチはすぐに止めさせられた。悔しかったが、この声は全国中継され、やがて動画サイトで「マラライの90秒」として世界中に広まった。暗殺を恐れて、西への帰路は直通チャーター便に急遽変更されたほどだった。ちなみに地元空港では歓喜の群衆が出迎えたという。本書は、こうした経緯で当時一躍ときの人となったマラライの自伝である。
読んで驚いたのは、ムジャヒディーンの悪行への容赦なき切り込みである。彼女に、「昔は昔、今は今、今後の政府に必要な人材なら、うまく利用しようではないか」などという日和見は微塵もない。日本人にはちょっと人気のあのマスード(2001年暗殺)でさえ、なますに切り刻む。『宝石商人であり、ロシア人相手に商売をしていた』と暴露し、かつてソ連が撤退したあとには、ライバルの軍閥ヘクマティアールを敵に回して、『あたかも一片の骨を奪い合う犬のごとくカーブルの統治権をめぐって争いはじめた』と、にべもない。
原著が英語で書かれたのは2009年(邦訳の出版は遅れて2012年あたま)で、米大統領がブッシュからオバマに変わったころ。そのため当時のアフガン状況への鋭い批判が、本書のもうひとつの白眉である。「増派などまかりならん」とか「米兵はすみやかに撤退せよ」とか。ところが、いまやアフガニスタンは大きく変わってしまった。一般にムジャヒディーンよりも一層あくどいと伝えらているターリバーンの治世である。
『気の毒なアフガニスタンの人びとは、危険と貧困の中に暮らしている。愛する人たちを見捨てて、国を離れられるだろうか。彼らを地獄の火が燃えさかる中に残して、自分だけ安全な場所を求める気にはなれない』と書いたマラライもSNSによると、どうやら外国に亡命しているようだ。
では、本書をいま手にする理由は何か? 答えは単純である。国を変えるのは、あとに残された国民なのだ。恐ろしい女性差別に本気で命を張って戦い、それに勝利できる者は、いま現地で苦しんでいる女性たち以外に誰がいるというのか。ただし、そんな彼女たちにも精神的バックボーンが必要だ。社会を変える声を持つ先駆的人物が、人々の抵抗する心に火をつける。
マラライは社会福祉の実践者であり、素晴らしい政治家であった。スパルタカスとガリレオとブレヒトを称賛する。アフガン現代史を正しく伝えたい彼女は自伝の姿を借りて本書をしたためたのではないか。複雑なアフガン政治史を、こうもかみ砕いて教えてくれた本は、管見にしてこれまで無かった。
あとは我々が彼女のメッセージをどう読み、どう実行するかである。書かれた13年前よりも状況は悪い方へと傾いた。だが、いやだからこそ、マラライの炎は消え去るどころか、さらに激しく燃えさかっている。彼女はブレヒトの戯曲からこう引用する:
『真理を知らない者は、ただの愚か者です。
だが、真理を知っていながらそれを虚偽という者は犯罪者だ!』
【金子 明】
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★『ミーナ』— 立ちあがるアフガニスタン女性
メロディ・アーマチルド・チャビス/訳:RAWAと連帯する会 2005年 耕文社刊
久しぶりに「ミーナ」の本を手に取りました。
時々、必要に迫られて、部分的に確認のためにページをめくることはあったけれど、始めから通して読むのは久しぶりのことです。
ミーナに関する本は、このメロディ・アーマチルド・チャビスさんによる伝記が今のところ唯一のものだと思います。
私がアフガン支援に関わって、かれこれ18年になります。RAWAと連帯する会に入ったのは2006年なので16年の関わりです。先輩たちの活動の中で学ばせてもらってきましたがまだまだ勉強不足で、わからないことがいっぱいです。これまでパキスタンやアフガニスタンでRAWAメンバーと会い、交流をしてきました。もっとも英語のできない私は、横に座って聞くだけですが。初めごろはRAWAのメンバーは少し年配の人もいましたが、いつの間にか若い人たちが中心になり活動を担っているようです。それぞれに誇り高く、活動に確信を持ち、けれど時には冗談を言い合ったりできる素敵な人たちです。これまでも常に危険と隣り合わせで活動をしているため,細心の注意を払っています。そのため私たちは彼女たちの本名を知りません。
ミーナ、若くしてアフガン女性の解放に向けて全力で闘った女性です。ミーナが育った環境とその時代、ソ連の侵攻直前のアフガニスタンの政治状況、夫ファイズとの政治信条が異なる中でのお互いへの信頼と愛情、RAWAを作っていった状況など、大変丁寧に書かれています。決して「憶測」や「また聞き」によるものではなく、著者が実際にパキスタン・アフガニスタンに行き、RAWAのメンバーや周りの人々から何度も話を聞き、それらを元にして書かれています。ミーナは夫ファイズが「アフガン解放組織ALO」(毛沢東主義派)のため、同一視されることがありますが決してそうではありません。
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本書の中に 「ミーナが最も重要だと考えたのは女性の権利でした。どんな思想を勧められようとも、それが女性の人生に対してどのように影響を与えるかという視点で判断しました。女性の問題を考えるにあたって、社会全体の問題を抜きにして考えることはできません。貧困で教育を受けられない女性は決して自由にはなれない、ということをミーナは知っていました。このような現実社会を変えるには、社会が変わるべきなのだと悟ったのです。ミーナの頭の中では、女性の自由は男性のいかなる優れた発言よりもさらに革命的なことでした。女性の真の平等は内部からすべてを変革させるだろうと思いました」という一節がありますが、これこそミーナが考え、求めたことです。
またミーナは、「女たちの声」という小雑誌を作りました。紙もなく印刷所の当てもなく大変な困難な中で手作りの謄写版によるもので、1984年に前年の大規模なデモで殺された少女を記念する日に創刊号が出されました。この小雑誌は現政権の虐待や暴力を記録しましたが、最も重要だったのはこれがこの国で女性たちへの脅迫と抵抗を記録する唯一の出版物だったことです。
そこに書かれていたのはミーナの詩、これを是非紹介したいと思います。
わたしは決して後戻りしない
わたしは目覚めた女
わたしは立ち上がり 身を焼かれた我が子の灰をかぶって 嵐となる
わたしはわがはらからの流した血の中から立ち上がる
民族の怒りによって力を与えられた
廃墟と化し 焼き尽くされた村が わたしの中に敵への憎しみをかきたてる
もはやわたしをか弱きよるべなきものと思わないでほしい
おお友よ
わたしは目覚めた女
進むべき道を見つけたわたしは 決して後もどりしない
両のくるぶしが砕けようとも
わたしは無知という扉をこじ開ける
わたしは黄金の腕輪に別れを告げる
おお友よ おお同胞よ わたしはかつてのわたしではない
わたしは目覚めた女
進むべき道を見つけたわたしは 決して後もどりしない
とぎすまされた鋭い洞察力をもって
わたしはわが祖国を包む暗黒の中にすべてをみる
その暗やみでは 子を失った母のさけびが いまだ耳にこだまする
裸足でさまよう家なき子のように
喪のよそおいをして その手をヘンナで染めた花嫁のように
腹をすかせる自由に耐えている囚人たちに立ちはだかる壁のように
わたしは抵抗と勇気に充ちた英雄詩の中で生まれ変わる
わたしは血潮のうねりと勝利のなかで 死のまぎわに自由の歌を知った
おお友よ おお同胞よ わたしをか弱きよるべなきものと思わないでほしい
すべての力をふりしぼって ともに祖国解放への道を歩もう
わが声 立ちあがった幾千の女たちと混じり合い
わがこぶし 幾多の友のこぶしと握りあう
ともにわが民族の歩むべき狭き道をすすむ
すべての苦難と 囚われ人の足かせを砕かんがために
おお友よ おお同胞よ わたしはかつてのわたしではない
わたしは目覚めた女
進むべき道を見つけたわたしは 決して後もどりなどしない
ミーナがしてきたことは、常に弱者に寄り添って、それはどこかの国の政治家が常々口にするような言葉ではなく、実際に悲嘆に暮れている女性たちの下に足を運び、声を聴き、必要な支援をしていくということ、しかもそれがあらゆる権力の監視下で命の危険にさらされながら、本当に心からの活動であるということに私は心打たれました。「ミーナ」というお父さんがつけてくれた名前は、アフガニスタンの言葉で「光」を意味するそうです。この言葉の通り、ミーナは弱い者たちに対して光を届け、愛情をいっぱい降り注ぎました。この稀有な女性活動家の意思は、今も色あせることなく次の時代に受け継がれています。内戦時代や前のターリバーン政権の時はもちろん、2001年以降の20年間も決して民主主義の下に政治が行われたわけではなく、アメリカの傀儡政権の下、元軍閥たちが牛耳る社会でした。そして昨年のターリバーンによる政変以降、またもやアフガニスタンの女性やすべての人々にとって悪夢の再来のような状態に陥っています。RAWAの活動はミーナの時代のようにこれまで以上の危険と隣り合わせの状態になりましたが増々必要になっていると思います。そして現在のRAWAメンバーは実際に飢餓に直面する人々に食料を配布し、医療を無料で提供し、ターリバーンによる女子教育の禁止に対して各地で隠れ学校を作っています。ミーナの心は今も確実に受け継がれています。
この自伝は、訳者あとがきにもあるように「アフガニスタン女性とアメリカ女性から、日本に生きる女性への、いや男性も含めたすべての人への贈り物だ」と言えると思います。本書を読むことにより、是非もう一度ミーナが目指したもの、ミーナがしてきたことを見つめたいと思います。
今、私たちの生きる社会は驚くほど多くの問題を抱えています。ミーナの時代と違い、私たちには様々な活動ができる保証もあります。もちろん制約もありますが、広い活動ができるはずです。この本を読みなおし、今自分にできることにきちんと向き合っていくことがRAWAと連帯することであると再確認しました。
【桐生佳子】[/expander_maker]
isezaki
★<提言> ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障と国際平和
―東京外国語大学教授・伊勢崎賢治氏の講演より(いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関 長周新聞 2022年9月27日刊)
2003年10月に開始され、2005年7月7日に終了した「アフガニスタンにおける元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)計画」(参照:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/17/dmc_0707.html)を指導・遂行した伊勢崎賢治氏の講演記録。伊勢崎氏はファミリーヒストリーから語り始め、アフガニスタン問題、ロシア・ウクライナ戦争まで、いかにしたら現代人が戦争を克服できるのか、個人的経験を踏まえた貴重な提言を行っている。必読!
――「戦争では多くの人が亡くなる。戦争体験はファミリー・ヒストリーとして次世代に受け継がれる。おそらく個人の戦争に対する考え方はそこに左右されるだろう。
僕は国連や政府代表として現代の戦争をいろいろ見てきたが、ファミリー・ヒストリーとしての第二次世界大戦の体験がある。場所はマリアナ諸島サイパン。伊勢崎家はサイパン玉砕で、私の母と祖母、弟(叔父)など数人をのぞいて全滅した。もともと伊勢崎家は小笠原が本籍地だが、国の南方政策に従って一族郎党全員でサイパンに入植した。そこで戦争が勃発し、末期にアメリカがやってきた。
追い詰められた住民や日本兵に向かって米軍がスピーカーで「投降せよ」と呼びかけるなか、それを無視するかのように住民たちは断崖絶壁から身を投げた。私の一族もだ。いわゆる「バンザイ・クリフ」といわれる場所だ。
小学生のときに祖母から聞いた話では、当時「米兵に捕まれば女性はレイプされ、殺される」「男は拷問され、殺される」「どうせそんな辱めを受けるくらいなら天皇陛下のために死ね」と語り合われ、その同調圧力のなかでみんな崖から身を投げたという。」
伊勢崎の語り始めである。全文は右のタイトル名<ウクライナ危機から学ぶ日本の安全保障>をクリックしてお読みください。
★『アフガニスタン・ペーパーズ — 隠蔽された真実, 欺かれた勝利』 クレイグ・ウィットロック/河野純治典 2022年 岩波書店刊
表題書が手元に届いたのでざっと目を通した。著者は「ワシントンポスト」紙の記者クレイグ・ウィトロック。米国史上「最も長い戦争」と呼ばれるアフガニスタン戦争(2001年〜2021年)に関する、米国側が得た証言集だ。アフガニスタン関連の書物はいくつか読んだが、これは抜群に面白い。直接関与した兵士・軍属・政治家たちの生の声だからだ(米国・NATO・アフガニスタン含む)。
ここで“ざっと”と書いたのは、去年8月末に出版された原書(Afghanistan Papers: A Secret History of the War)をすでに読んでいたから。そんな不遜な態度で、天下の岩波出版物を評そうという書評子の不徳をまずお許しいただきたい。ちなみにニューヨークタイムズ(ライバル紙?)も認めるノンフィクション部門の2021年ベストセラーだ。(本サイトで連載した金子明の「アフガニスタン・ペーパーズを読む」は「アフガン戦争でなにを学んだか」のタイトルでここに収録されています。)
表紙の暗い写真は2002年2月に撮られたという米国中央軍の作戦室(フロリダ州タンパ)。現地アフガニスタンと衛星通信でつながっている。迷彩服を決めた15人の軍人たちが半円形に並び、正面のスクリーンには現地の映像らしきものが見える。軍によるマスコミ向け演出だろうが、こんなやつらを敵に回すのはまずかろうと思わせる迫力は十分にある。
ところがページを開くと、彼らのド真面目さを全否定する証言が次々飛び出してくるから傑作だ。もともと2019年末に掲載された「ワシントンポスト」紙の特集記事ということだが、一体全体どこから証言を仕入れたのか?前書きによると、①アフガニスタン復興特別審査官(SIGAR)、②ラムズフェルド国防長官のメモ書き、③口述歴史(米軍や大学などが行った聞き取り調査)がその源で、一部は裁判を経て公開にこぎつけたという。
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書評子の読んだ感触では、その割合(①:②:③)は5:2:3。つまり(たぶん)およそ半分はアフガニスタン復興特別審査官(SIGAR)が集めた証言だ。さてそのSIGARとは何か?博識たるべき記者が「よく知られていない連邦機関」と評するマイナー機関なのだが、実はアフガニスタン戦争につぎ込むリソースが正しいものだったか否かを評価する審査官なのだ。
SIGARはシガーで葉巻を連想する。政府にとってはやたら煙たい連中であろう。ただアフガニスタンに費やした額は天文学的数字なので、さすがの金満大国もこれをやらねば治まるまい。ちなみに、SIGARのウェブサイト(https://www.sigar.mil)は現在も意気軒昂で、面白いリポートを出し続けている。たれ込みホットラインもあるし、検索機能はとても充実。この「アフガニスタン・ペーパーズ」騒ぎへの反論もしっかり載せているので、あわせての一読も楽しい。
本書でどんな奇天烈な証言が飛び出すかは、前記の本サイト特集に詳しいのでここでは割愛する。ただ、それらにも負けずこの著者が優れているのは、アフガニスタン戦争を今に生きる歴史としてとらえようとする真剣な姿勢と、年代を追った展開が彩る物語性だ。まるで長い推理小説(この本368頁!)を一気に最後まで読み通させてしまうがごとき筆力だ。
しかもいまはインターネット時代なので、この本は最終ページで終わらない。SIGARは前述の通り未だにリポートを出し続けているし、著者のウィトロックもツイッター(@CraigMWhitlock)などのSNSで盛んに情報を発信中だ。この本がアメリカで出版されたのは去年の8月31日。一周年の記念日も近づいた。ぜひ手に取って、または図書館で借りて、読むことをお勧めする。
最後に、誰かSIGARのリポートを訳して日本で出版しないかな。あと、ターリバーンを取材した「裏アフガニスタン・ペーパーズ —ターリバーンからみた戦争の真実」もぜひ読んでみたい。
【金子 明】
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★『アフガニスタンの教訓 挑戦される国際秩序』 山本忠通/内藤正典 2022年 集英社新書
著者の山本氏は外務省職員。本国での勤務、諸外国での公使・大使職を歴任したあと国連事務総長特別代表・国連アフガニスタン支援ミッションの長として現地でアフガニスタン和平業務に従事。内藤氏は同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授、イスラームおよび中東学者。イスラム共和国代表とターリバン代表を同志社大学に招き両者が同席する世界初の国際会議を主催。本書は両者の対談の形をとり、山本氏の実践と内藤氏の研究との成果が縦横に語られ、外部からはうかがい知れないアフガニスタンの深層の矛盾が解き明かされていく。「国連、欧米の支援下、自由と民主主義を掲げた共和国政府はなぜ支持を得られず、イスラーム主義勢力が政権を奪回できたのか?」「アフガニスタン情勢のみならず、ロシアのウクライナ侵攻など、国際秩序への挑戦が相次ぐ中・・・問題の深層と教訓、日本のあるべき外交姿勢を語る。揺らぐ世界情勢を読み解くための必読書。」(本書カバーの言葉)※なおこの書については2022年8月5日付視点「ターリバーンの代弁者になってはならない」が詳述している。
★『タリバン台頭』 青木健太 2022年 岩波新書
著者は英ブラッドフォード大学で平和学を学び、アフガニスタン政府アドバイザー、在アフガニスタン日本国大使館書記官などで7年間の現地勤務。帰国後外務省、お茶の水大学講師などを経て現在は中東調査会研究員。豊富な現地体験と学究活動、アフガニスタンの歴史研究を踏まえた現状分析に定評がある。著者の課題は次の課題に答えることである。「〝テロとの戦い〟において〝敵〟だったはずのタリバンが、再びアフガニスタンで政権を掌握した。なぜタリバンは民衆に支持されたのか。恐怖政治で知られたタリバンは変わったのか、変わっていないのか。アフガニスタンが直面した困難には、私たちが生きる現代世界が抱える矛盾が集約されていた。」アフガニスタン問題に関心をもった読者にとってまず紐解いて損のない好適の入門書である。
アフガニスタン、パキスタンの双子のターリバーン問題
★ アフガニスタン、パキスタンの双子のターリバーン問題
USIP(United Stares Institute of Peace)
2022年5月4日水曜日
筆者:Asfandyar Mir、Ph.D.
パキスタン・ターリバーン(Tehreek-e-Taliban Pakistan)によるパキスタンでの攻撃は、アフガニスタンのターリバーンとパキスタンの間の緊張を高めることにつながる。そこにはどんな危機があるのだろうか?
パキスタンとアフガン・ターリバーンは、大きな危機の瀬戸際に立たされている。ターリバーンは、米軍およびアフガン政府に対する反乱の間主要な国家的支援者であったパキスタンに、政権をとって以来反抗してきた。それは、アフガニスタンとパキスタンのあいだの国境状態に異議を唱え(デュアランドライン問題)、パキスタンの反政府勢力であるテヘリク・エ・ターリバーン・パキスタン(TTP)、別名パキスタン・ターリバーンに避難所を提供することにあらわされた。TTPは数千人のパキスタン人を殺害し、ターリバーン・スタイルでシャリーアを遵守した国家をパキスタンで建設しようと狙っている。ターリバーンは長年の支援に対する感謝からパキスタンに従順になると考えていたイスラマバードを驚かせた。
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特に、ターリバーンの支配から8か月が経過した現在、パキスタンの治安部隊を標的としたTTPの攻撃が活発化しており、緊張が高まっている。4月21日には、パキスタンがTTPの拠点とみなすアフガン国内で空爆を行った。そしてその空爆は民間人の殺害に終わるなど、大きくエスカレートしている。これに対し、ターリバーンはカブールのイスラマバード特使を呼び出し、ターリバーンのヤクブ国防相をつうじてパキスタンを名指しこそしないものの、さらなる攻撃があった場合には報復すると威嚇した。それに対してパキスタンは、テロ集団によるアフガン領土の使用に対してこれまでで最も強い抗議を行い、それが停止されなければ再び国境を越えた行動を取る可能性を示唆した。
なぜこのような事態になったのか。この事態は、ターリバーンのTTPに対する計算、イスラマバードが取り得る政策オプション、米国にとって何が問題なのか、といった問題を提起している。
パキスタンはなぜ空爆を選択したのか?
パキスタンが国境を越えた空爆を行うのは、アフガニスタンにおけるTTPの軌跡と、ターリバーンがTTPを抑制できないことに対するパキスタン指導者の不満の高まりとが関係している。数年前に復活して以来、TTPはパキスタンを攻撃するためにアフガニスタンでの拠点を強化してきた。特に、反政府勢力としてのターリバーンの領土的影響力が大きかった地域で、TTPはその拠点を強化してきた。同国を占領した後、ターリバーンはTTPに事実上の政治的亡命を与えた。TTPはアフガニスタンでの政治的地位の向上を利用して、国境を越えた攻撃を強化し、現在では定期的に戦闘員をパキスタンに送り込んでいる。
ターリバーンによるアフガン支配後の最初の数か月間、パキスタン当局は、公の場でターリバーンのTTPに対する政治的アプローチを軽く見て、内々にターリバーンにアフガニスタンでのTTPの活動を制限するよう求め、取り締まりを要求するにとどめていた。その要求に対してターリバーンはパキスタンにTTPのいわゆる「不満」に対処するよう求め、会談の仲介を申し出た。数か月にわたる対話プロセスの後、TTPは政治的に増強し、勢いを増したように見える。4月、TTPは「アル・バドル(Al-Badr)」と名付けた春の攻勢を開始した。それはパキスタンに対するここ数年で最も重要な反乱軍の猛攻となった。
パキスタンが空爆にジェット戦闘機を導入したのは、毎月のように激化する暴力行為と治安の悪化に対応するためだった。これには少なくとも2つの高圧的な目的があったと思われる。第1に、パキスタンはおそらく爆撃によってTTPに、国境を越えた避難所は想定しているほど安全ではないというメッセージを送り、さらなる国境を越えた行動を抑止することを狙ったのだろう。そして第二に、パキスタンはターリバーンに衝撃を与えて、TTPへのアプローチを再考させようとしたのだろう。パキスタンの軍部指導者は、アフガン領内での軍事行動がアフガン人に不人気であることを知っているようだ。少なくとも、TTPとターリバーンの関係にくさびを打ち込み、ターリバーンの現実主義者にTTPへの支援の代償を考えさせることを期待したのだろう。
しかし、パキスタンは手の内を明かしすぎたのかもしれない。空爆により、少なくとも20人の子どもが他の民間人とともに死亡した。パキスタンの公式見解に反して、TTPの指導者が殺害されたという信頼できる報告はない。さらに重要なことは、たとえ一部の現実主義者がパキスタンとの敵対関係を維持する必要性を感じていたとしても、アフガニスタンでのTTPの地位と活動には変化がないため、ターリバーン全体は動じないように見えることである。同時に、ターリバーン内の反パキスタン感情は急上昇し、ターリバーン内のTTPへの支持を強めているように見える。パキスタンによる空爆は、アフガニスタンの主権を侵害するものとして、アフガニスタンの政治家全体の反パキスタン感情も活性化させた。パキスタンに立ち向かい、あるいは軍事的に対応することは、ターリバーンの国内政治的立場を強化する可能性がある。
ターリバーンのTTPに対する計算
ターリバーンは、アフガン国内でのTTPへの支援をほとんど隠そうとしない。しかし、2021年8月以降、彼らの支援の論理は依然として不明確である。
武力によってシャリーアを遵守する政治秩序を実現しようとするプロジェクト。TTPは、ターリバーン首領に忠誠を誓うことによって、自らをターリバーンに従属させ、連携に拍車をかけている。また、歴史を指摘する人もいる。TTPの多くは、ターリバーン創設時に自爆テロを行うなど、ターリバーンを支援した。ターリバーンとTTPは、アル=カーイダを同盟者として共有している。有力なハッカーニ一族とTTP、南部のターリバーン指導者の一部とTTPの政治指導者の間には、戦時中の強い人間的絆がある。部族の絆とパキスタン国家に対する軽蔑を軸にした民族的友好関係が、少なくともターリバーンの幹部と中間層には豊富に存在している。
このような歴史と背景を考えると、ターリバーンが政権乗っ取り後の立場を説明する1つの理由は、TTPをパキスタンとの交渉材料として使いたいからである。もう1つは、ターリバーンが、TTPのような同志である政治家が最終的にイスラマバードで権力を握ることを望んでいるという見方である。第3の視点は、TTPがターリバーンの上層部に深く支持されていることと、アフガニスタンにおけるTTPの規模を考えると、ターリバーンがTTPを追及するには、ISIS-Kの脅威が増大していることもあり、能力的に制約がある、というものだ。最後に、アフガニスタンの野党指導者の中には、ターリバーンの立場とTTPの暴力は、パキスタンの強力な情報機関であるISIが、過去何年にもわたってターリバーンを支援してきたことを免罪するための巧妙な策略であると考えている者もいる。
動機が何であれ、要するに、ターリバーンはTTPに対して意味のある行動をとる気がない。
パキスタンの政策対応
パキスタンが秘密行動ではなく、空爆を行ったのは、ターリバーンに公的なメッセージを送りたいと考えたからである。また、パキスタンが近年強化してきた無人兵器ではなく、有人兵器の使用を報告したことも注目される。以前、より限定的な標的を狙うために無人機を使用したが、ミサイルの爆撃に失敗した。しかし、標的設定能力は依然として鈍いため、その有用性は限られ、民間人への被害を考えると、逆効果になる可能性さえある。民間人を殺す攻撃が増えれば、TTPの新兵を増やすだけでなく、ターリバーンの反応を誘発する可能性がある。パキスタンではバルーチスタン分離主義者の脅威も同時に拡大しており、国内経済危機の中で、こうした暴力的なエスカレーションはパキスタンの安全保障上の負担を大幅に増大させることになる。
一方、ターリバーンがTTP問題の処理に協力してくれるというパキスタンの期待も、もはや限界に達しているのかもしれない。ターリバーンは、パキスタンの指導者が和平交渉でTTPを受け入れるよう主張しているようだ。シェバズ・シャリフ首相の新連立政権は、最近追放されたイムラン・カーンの容赦ない政治的挑戦から圧力を受けており、暴力に蓋をして経済に焦点を当てるために、もう一度会談の機会を与えたいと考えているのかもしれない。以前、パンジャブ州の州首相を務めたとき、シャリフは当時のTTP議長ハキムラ・メスードと州レベルの停戦を仲介しようとし、TTPにパンジャブを守るよう公に懇願するまでに至ったことがある。今回は、TTPが長期停戦の前に譲歩を要求しているため、行き詰まる可能性がある。
パキスタンがターリバーンに反旗を翻す用意があることを示す強い兆候はない。これは、ターリバーンを、アフガニスタンにおけるインドの影響とされるものへの最も安全な対抗策と見なすイデオロギー的惰性によるものであろう。また、ターリバーンに代わる有力な政治的代案がないためかもしれない。
それでも、短期的には、パキスタンはターリバーンに対してより強圧的な影響力を求めると思われる。下手をすると、パキスタンは、TTPを支持するターリバーンの指導者を疎外することで、ターリバーンの内政を操作しようとするかもしれない。パキスタンは、ターリバーン指導者の家族やパキスタンに残っているターリバーン指導者の資産に対する弾圧を試みるかもしれない。また、ターリバーンが好意的に受け止めているパキスタンの宗教聖職者たちに、彼らの行動を非難させることもできる。より高いレベルでは、ターリバーンに経済的圧迫を加えるために国境を閉鎖することもできる。ターリバーンの収入が限られていることを考えれば、これはターリバーンに大きな圧力をもたらし、同国の人道的危機を悪化させるだろう。
米国の政策への影響
米国の政策立案者が直面している一つの大きな疑問がある。パキスタンで拡大するテロリストの暴力に、米国は政策的にどう対処すべきか? 戦略的競争という要求が高まる中、米国のテロ対策資源は限られている。パキスタンが自ら招いた混乱は、確かに米国政府の責任ではない。しかし、アフガニスタン・パキスタン地域全般とパキスタンの政治・治安情勢は、アフガニスタンの国家的存続、この地域から発せられる多国間・地域間テロ活動のリスク、核セキュリティなど、最小限の米国の国家安全保障上の利益にさえ影響を与えうる方向へ進んでいる。米国は、ターリバーンとパキスタンの関係や、パキスタンにおけるテロ暴力の激化に十分な注意を払う必要がある。また、政策立案者はアフガニスタンに加え、パキスタンにおけるテロ活動のレベルと種類に関する明確な閾値を特定すべきであり、そのためにはテロ対策のアプローチに関するギアチェンジが必要となる。パキスタンにおけるTTPの領土的影響力の拡大や、TTPに依存し、インドに対するメッセージ性を強めているアルカイダの活動は、そうした危険なテロ活動の兆候となるであろう。
米政府はまた、ターリバーンに対する新たな協調的、強制的アプローチに対するパキスタンの受容度を測るべきである。多くの政策立案者は、アフガニスタンで米国と敵対するパキスタンに不満を抱いており、パキスタンが関与する強制的な計画には懐疑的である可能性が高い。さらに、どのような圧力がターリバーンの計算を変えることができるのか、予想するのは難しい。しかし、ターリバーンに対する国際的な非難が高まり、前進が限られる中、パキスタンのような比較的影響力の大きい国を含む多国間の協調的な圧力は、代替案よりはましである。空爆が示すように、パキスタンは過去にない方法でターリバーンに対する強制的な影響力を求めている。パキスタンが再調整を行う際に、隙ができるかもしれない。政策立案者は、テロ対策など米国の優先事項にとって重要なさまざまな政治問題について、パキスタンと共同でターリバーンに圧力をかける方法を探るべきだ。パキスタンは、ターリバーンの承認は白紙であることを公に示し、同盟国の一部に承認を求めるのをやめることで、部分的にはそうすることができる。また、ターリバーンの外交的扱いを減らし、テロ対策に関するメッセージを米国政府のそれと一致させることもできる。
米政府はパキスタンによる空爆についてコメントしていないが、民間人の被害を軽減するために、空爆による標的化に関するパキスタンのプロセスを慎重に評価する必要がある。これは、既存の二国間の軍対軍のチャンネルを通じて行うことができる。もしパキスタンの空爆が同様の規模で民間人に被害を与え続ければ、武力紛争法の違反となるだけでなく、標的となった地域の住民を過激化させ、この地域のテロの脅威を弱める上で逆効果となる可能性がある。また、パキスタンの国境を越えた標的設定が米国のシステムに依存している場合、パキスタンは米国政府提供の機器に関するエンドユーザーの制限(一般に国際人道法の遵守が求められる)に従わなくなる可能性がある。
最後に、パキスタンとターリバーンの関係悪化は、ターリバーンの政治的軌跡に関する米国の政策的利害に重要な示唆を与えている。ターリバーンは、9・11以前と同じように、アフガニスタンにおける外国人聖戦士(ジハーディスト)へのコミットメントのために大きなリスクを負うことをいとわず、国際的なアクターの懸念は、たとえ外交的承認を得ていない時期であっても二の次であるということを示している。このことは、ターリバーンがどのような政権であるかを物語っている。彼らは、一部のアナリストが喧伝するほど国家主義的に内向きでもなければ、国際的な関心に応えようとするわけでもない。政策立案者は、アフガニスタンの領土が国際テロリズムに利用されるのを防ぐというターリバーンのコミットメントについても現実的である必要がある。(完)
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★『アフガニスタン マスードが命を懸けた国』 長倉洋海 2022年4月10日 白水社
アメリカ9.11同時多発テロの2日前、自爆テロで生命を絶たれたアフマッド・シャー・マスード。ソ連軍侵攻の最初から武装闘争を組織し指導し戦い、勝利に導いた現場指揮官として、また、ジハードを戦うムジャヒディーン指導部の一人として、多くがパキスタンを拠点に活動した中にあって、あくまでも自らの出身地であるパンシール渓谷にこだわり、そこを解放区として理想社会の建設にとりくんだ稀有の指導者であった。その類まれな軍事指導理念に基づく一貫した戦いにより、ソ連軍撤退後にPDPAを打倒し政権奪取した後に国防の責任者となった。イスラームの理想に立脚した新社会の建設に取り組めるはずであったが、ムジャヒディーン内部の利権争い、派閥抗争に直面。アフガニスタンはいっそうの荒廃に沈んでいく。その中にあって、なんとか戦線を立て直そうとするマスードだが、新たな敵、国際的なイスラームテロリズムの潮流が立ちふさがってくる。邪悪な世界戦略の前に立ちふさがる最大の邪魔者マスードをアラブ人テロリストをつかって消し去ったビン・ラーディンの計画が、9月11日のアメリカ上空に炸裂する。著者の長倉は1983年から死の直前までマスードおよび彼の軍団に密着しながら、彼らの戦いを内部から見つめ、記録し、ターリバーンが再来した現在にあっても、マスードの意思を引き継いで戦い続ける人びとへの熱いまなざしを注ぐ。緊急出版でありながら、40年に及ぶアフガニスタン民衆の苦闘の歴史を通観する書となっている。長倉が本書でつぐむマスードの思想の一端・・・[expander_maker id=”1″ more=”Read More” ]
・長倉は言う。——アフガニスタン自体がさまざまな民族、集団の寄せ集まりなのだ。ただ、その違いを乗り越え、同じアフガニスタン人としてお互いを尊重し合いたいと考える人たちが確実にいる。マスードもその一人だった。しかし、マス・メディアはその点をあまり伝えてこなかった。(p.20)
・2001年4月EU議会に招待されたヨーロッパ滞在中、マスードは――”アフガニスタンの「内戦」は、「民族対立」が原因ではない。自分たちが戦っているのはテロリストだ。自分たちがいなくなれば、このテロリズムは世界に広がっていく”と話し、大胆な介入を続けるパキスタンを国際社会がしっかり監視するよう訴えた。(p.32)
・カーブルでの決起に失敗しパキスタンに逃れそこからさらに山中を逃亡する生活の中で「人々の支持のない革命は成功しない」とマスードは悟る(談)(p.64)
・このとき、急進的革命思想を見直し、闘争名である「マスード」をなのるようになり、パキスタン軍と一線を画して戦う姿勢を鮮明にし始めた。(同p.64)
・マスードは79年パンシールに戻り解放区建設に努める。サラン・ハイウェー攻撃、ソ連軍を悩ませる。
・「タジクやパシュトゥン、ハザラという区別はやめよう。私たちは皆同じアフガニスタン人だ」と、マスードはことあるごとに各地を遊説して訴えた。(p.87)
・マスードが目指していたのは、イスラムの規範のもとに、教育を進め、貧困をなくし、国としての発展を進めるという理想のイスラム共和国をつくることだった。諸外国の介入をなくし、自由で平和なアフガニスタンが夢だった。(p.89)
・このころ(83年頃)パキスタンはヘクマティアール派を優遇。資金や武器を同派に集中的に与えていた。ラバニのオフィスはパキスタンにあったがマスードはパンシールの拠点を離れなかった。ヘクマティアール派やサヤフ派がアラブ人を兵士として受け入れていたがマスードは「これはアフガニスタンの独立を勝ち取る私たちの戦なのだ」と言って外国人を参戦させることはなかった。(p.91)
・92年からの混乱。次のような率直な反省をマスードは語る。
「当初は、カブールでの混乱は短いだろうと考えていた。しかし、北のドスタム(ウズベク人司令官)、西のイスマイル・ハーン(西部に力を持つタジク人司令官)、東のハジ・カディール(パシュトゥン人司令官)らは、暫定政府の発足に合意する前に、それぞれに地位を押さえてしまったから、問題が顕在化した。皆が自分の支配地域を失うのを恐れて、なかなか中央政府に協力しようとはしなかった。また、長いゲリラ生活を終えて山を下り、急に権力を手にしたからだろうか、すっかり増長してしまった者もいた。私は戦闘を収めるのに忙しく、ラバニ(大統領)も内閣の中で指導者として力を発揮できず、歯止めがかからなくなった。私たちも初めての経験でどう対処したらいいのかわからなかったのです」(P.107)
・テロに会う一か月前に、フランスの女性ジャーナリストのインタビューに答えて、チャドリについてこんな話をしている。
「ここ(パンシール州)では女性たちは何も強制されてはいません。しかし彼女たちは習慣を捨てることができず、自発的にチャドリを身に着けてしまうのです。つけてはいけないと命令を下すことはできません。それではタリバンと同じことになってしまいます。アフガニスタンでは、不幸なことに女性たちは特殊な文化のもと、何世紀も抑圧されてきました。(中略)アフガニスタンでは現在、八〇%の女性が非識字者です(ちなみに男性の非識字者は五四%)。何より大切なのは教育です。教育の機会が与えられなければ、女性は自分を解放することはできません」(日本版「ELLE」2001年十二月号))(p.126)
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★ 「ウクライナは早く降伏するべき」そうした主張は日本の国益を損ねるトンデモ言説である
「国際法」を守ることは、日本の国益を守ることになる
篠田英朗 2022年3月28日 PRESIDENT online
本論稿において著者は、ロシアのウクライナへの侵略行為が国際社会の根本規範に明白に反していると指摘する。現代国際社会の秩序は、「国連憲章体制」とも呼ばれる。国連憲章は、世界憲法とは違うが、しかし193の加盟国が国際社会の根本秩序について合意した内容を持っているという点で、国際法の体系的な基盤となっている。第2次世界大戦以前は国家間の戦争は「宣戦布告」という果たし状を交わしルールに則って行うものとされた。しかし第2次世界大戦後は冷戦体制下、国連が存在してるにもかかわらず、朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソ連進駐下のアフガニスタンなど「宣戦布告なき戦争」がつづいた。さらには、非対称戦争とか対テロ戦争などと20世紀前半の概念では規定できない武力行使が頻発するようになってきた。そのような時代には、国際的な規範の確立が重要であり、それを破ったプーチンのロシアを勝利させてはならないのだということを、国際法理論的に証し出している。[本論を読む]
著者は東京外国語大学教授。
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。
書籍 /出版物
★『苦悩するパキスタン』水谷 章 2011年(2017年第2刷)花伝社刊
著者は1980年に外務省に入省。外交官としてパキスタンに滞在し同国の研究を行っている。本書は一橋大学大学院で2007年から2009年にかけて行われた講義をもとに執筆されている。現地での研究をベースに大学での講義ノートに整理・加筆がおこなわれているため、豊富なデータが詰め込まれているわりにはパキスタン政治経済の歴史と状況が俯瞰的かつ分かりやすく述べられており読みやすい。この種の著作に一般的にありがちな公平中立客観をうたう無味乾燥な叙述と異なり、タイトルにあるようにパキスタンの国家・国民・庶民の「苦悩」をビビッドに捉えていて、引き込まれる。学問的でありながらドキュメント作品を読むかのような楽しみを与えれくれる書である。
★『西南アジアの砂漠文化――生業のエートスから争乱の現在へ』松井健 2011年 人文書院刊
著者が1978年から始めたアフガニスタン・パキスタンでのフィールドワークをベースに30年におよぶ論及をまとめた労作。特筆すべきは世界最大級の民族集団であり国家的には分断されながらも自立独立性をかたくななまでに固守する遊牧民を出自とするパシュトゥーン族の民族文化をその成り立ちから現在までを実証している点である。同じ遊牧民であるバルーチュ族との比較をも行いながらパシュトゥーン族の文化を特徴づけるイスラームの受容と伝統的な慣習法であるパシュトゥーン・ワリの実相を実証的に解明していく叙述には引き込まれる。とくにパシュトゥーン・ワリの最大の特徴である血讐と女性の扱いを「性愛のテーマ」としてまとめ、それを譲ることのできないパシュトゥーンの精髄としてまとめられている点に惹かれる。果たしてパシュトゥーンがそれら時代遅れになった慣習法を固陋として捨て去る日は来るのか。「ジハード」の錦の御旗が達成されたこれからのアフガニスタンでのターリバーンの動向に注目したい。
★『黒い同盟 米国、サウジアラビア、イスラエル』宮田律 2019年 平凡社刊
アフガニスタン問題をその国の国境内だけをみて論じることはできない。ターリバーンの誕生と育成に関するパキスタンの介在は今や隠すことはできなくなった。一方、サウジアラビアを発祥とする過激なイスラーム思想を奉じたアル=カーイダの存在は希薄になったとはいえ、アラブの過激なイスラーム主義勢力は依然としてアフガン内に存在している。今後ターリバーンは「黒い同盟」と同対応していくのか、目が離せない。
★『アフガニスタンを知るための70章』前田耕作/山内和也(編著) 2021年 明石書店刊
本書はありきたりのノウハウ・ウンチク本と異なり、アフガニスタンに関する各分野の専門家45人が執筆するアフガン百科全書的専門性を維持している。しかし、アフガニスタンの魅力を伝える執筆の工夫やコラムの数々を通じて、アフガニスタンがすぐそこにあるような錯覚を与える親しみやすさを与えてくれる。本書の企画は2021年が日本とアフガニスタン修好条約交付の90周年を迎える節目の年に当たり、それに合わせた出版を企画したが発刊直前にターリバーンのカーブル占拠とイスラム共和国崩壊があり、急遽補論が執筆されたという。緊迫感もうかがえる。巻末に「アフガニスタンを知るための文献・映像」として情報リストが添えられていて便利。アフガニスタンに興味をもつすべての人の座右の一冊にふさわしい。
●『シルクロードの謎の民-パターン民族誌』J.スペイン著 勝藤猛/中川弘共訳 1980年 刀水書房
ソ連がアフガニスタンに武力介入した直後に発行された本書は、パシュトゥーン人(パターン族)とその社会、成り立ちを詳細に描いている。アフガニスタン現地で長年留学研究生活をおくりパシュトゥ語を自在に操る勝藤氏や現地に造詣の深い中川氏ならではの翻訳と解説が外部からの理解がむつかしいとされているJ.スペインの名著をとおしてパシュトゥン族の謎をのぞかせてくれる。「アフガン問題とはパシュトゥン問題にほかならない(アブドゥル・ハミド・ムータット)」との本質を理解するためには必読。
●『新生アフガニスタンへの旅-シルクロードの国の革命』野口寿一著 1981年 群出版刊
ソ連のアフガニスタンへの軍事介入直後の80年夏、全世界が反ソ連・反アフガンキャンペーンを展開し、モスクワオリンピックもボイコット攻撃を受け、外交・経済・報道制裁を受け真実の報道がなされなくなっていたアフガニスタン。そこに日本初の公式ジャーナリストビザを得て単身飛び込み40日にわたって人びとの生活を取材した写真記録。そこで著者が見たものは、イスラム教の影響が強まっている現在では想像も困難なほどの、社会改革と進歩をもとめる人びとのエネルギッシュで開明的な生き生きとした姿であった。世界の巨大な力によって覆い隠されていた真実の姿を写真を通して知ることができる。
●『タリバン-イスラム原理主義の戦士たち』アハメド・ラシッド著 2000年 講談社刊
セプテンバー・イレブンの直前まずイギリスで発行され世界的に話題になったタリバンの実像を豊富な取材によって紹介した本。「タリバン」は国際政治のミステリーを解くカギ●謎にみちた「タリバン」の最高指導者ムラー・オマルとはどんな人物か?●アメリカが500万ドルの懸賞金をかけて追う大物テロリストの潜伏先●CIAと巨大石油資本の策謀、ロシア、イラン、パキスタンの思惑と駆け引き。●世界最大の密輸ビジネスが跋扈し、麻薬マネーが踊る「アフガン回廊」とは?●超イスラム原理主義をふりかざす過激な「聖戦」がもたらす影響とは?、などなどの疑問にジャーナリスティックに答える。
●『アフガン戦争の真実-米ソ冷戦下の小国の悲劇』金成浩著 2002年 日本放送出版協会刊
第2次世界大戦の戦後処理の過程で分断された朝鮮半島を出自とする大阪生まれの筆者が、グレートパワーと周辺諸国の思惑によって自立を妨げられ苦悩するアフガニスタンを、同じ苦しみをもつ民族としての視点を共有し、ソ連軍進駐の謎に挑む。本書の価値は、当時知ることのできなかったソ連共産党内部の公式記録に、ソ連崩壊後公開され始めた内部資料にじかにアクセスすることにより、それまで秘密のベールに隠されていたソ連共産党内部の決定プロセスに迫りえたことである。そこで明らかにされた事実は「不凍港を求めて侵攻するソ連の南下政策」といった俗論とはかけ離れたソ連共産党とアフガニスタン人民民主党内部の革命を防衛するための「苦悩の決断」のプロセスである。しかしその後のアフガニスタンの現実は、その「苦悩の決断」=「武力による政権の維持」の無力さと悲惨さを実証するプロセスであった。
●『アフガニスタン国家再建への展望-国家統合をめぐる諸問題』鈴木均編著 2007年 明石書店刊
本書は2003年から2004年にかけてアジア経済研究所における「現代アフガニスタンの政治と社会」研究会および「アフガニスタンをめぐる政治過程と国際関係」研究会の最終成果として8人の筆者によって執筆されたものである。アフガニスタンの抱える困難が、近代的な市民によって形成される国民国家をモデルとして捉えようとするところにあるとの認識に立って、では、アフガニスタンにおいてどのような国家統合と国家建設が可能なのかを、共和制アフガニスタン、PDPA政権下、ムジャヒディーンの論理、その後の北部同盟-タリバン政権-カルザイ政権と変転するアフガニスタンの国家観・憲法観をあとづけながら解明しようとしている。しかしそこでも、アフガニスタンの相対的多数民族であるパシュトゥーン族のもつ矛盾、パキスタンとの関係が乗り越えるべき大きな障壁であることが明かしだされている。
●『ジハード戦士-真実の顔』アミール・ミール著 2008年 作品社刊
著者アミール・ミールは日本人読者へのまえがきで「国民国家としてのパキスタンを現在の泥沼状態に追いやった社会・政治的状況を跡付けしながら、捉えるよう試みた」と書いている。ここでいう泥沼状態とは、パキスタンがカシミールやアフガニスタン問題にからんでムジャヒディーンやタリバンやアルカイダなどを育て利用する「国際的テロリズムの中心国に陥りつつある」状態のことである。アメリカがそうであるようにパキスタン自体も自縄自縛に陥っている。9年2カ月をかけたソ連の失敗、20年かけたアメリカとNATOの失敗は、国際テロリズムの危機をより一層大きくする結果しか生まなかった。アフガン問題とはじつは、「パキスタン問題」なのである。
●『アフガン諜報戦争-CIAの見えざる闘い―ソ連侵攻から9・11前夜まで』(上下)スティーブ・コール著 2011年 白水社刊
上下合わせて1000ページ弱もありながら一気に読ませるエンターテインメント小説のようなピュリッツァー賞を受賞したドキュメンタリー。アフガニスタン問題がアフガンシスタンという国境内の内戦であるだけでなく国際的な対立から引き起こされる国際的な武力的神経的な紛争であり地球規模の戦争、とくに情報戦争であり、アメリカ国内の議会や政府による予算や人事が直接かの地の目に見える戦争、ターバンをまいたプレーヤーたちの対立抗争に直接影響を与えている、その情景がヴィヴィッドに描かれている。しかし、アフガニスタン内部特に執権党であったアフガニスタン人民民主党内部の動き、そこへのチャネル・工作については、膨大饒舌に語られる労作であるにも関わらずポッカりと穴が空いている。そこはまた、CIAの好敵手であるKGBの活躍する場であり、そここそが両者が激しい諜報合戦でぶつかりあう最前線だったはずなのだが。
●『アフガン侵攻1979-89-ソ連の軍事介入と撤退』ロドリク・ブレースウェート著 2013年 白水社刊
著者はロンドン生まれのイギリス人。英国軍情報部員として各地で勤務する傍らフランス語とロシア語を学び1955年から92年まで外務省勤務。特に88~89年はモスクワ駐在大使として現地でソ連崩壊の前後をつぶさに観察している。本書はそのような体験にもとづいてソ連軍のアフガン侵攻の内幕を解明していく。アフガニスタン政権から要請され6か月か1年以内に撤退するつもりでしぶしぶ軍をすすめたソ連が9年カ月もの泥沼戦争に引きずり込まれ、国家崩壊のきっかけともなってしまった誤算と戦争の惨禍、駆り出されたソ連軍兵士らの精神の荒廃と失望が詳細に描かれている。しかしスティーブ・コール(アメリカ人)の前著にも共通する点であるが、本書の著者(イギリス人)の視点からアフガニスタン人とくにイスラム教のしがらみと苦闘しながら男女平等や教育の権利、農奴的農民の開放など民主主義的な権利と思想の実現をめざす人びとへの眼差しは極めて希薄。両書であるだけに残念な側面だ。
●『わが政府 かく崩壊せり』アブドゥル・ハミド・ムータット著 野口壽一訳・解説 2018年 Barmakids Press刊
アフガニスタン軍幹部としてアフガニスタン4月革命(1978年)かかわった立役者のひとり。同年6月より約9年間、駐日アフガニスタン全権大使として日本に赴任したあと帰国し、副首相、副大統領に就任。1992年のアフガニスタン共和国崩壊のさいには大統領不在という特殊事情のもとで副大統領としてムジャヒディーンへの平和的な権力移行を指揮。著者はその間、政権内部にあって、パンジシール渓谷を拠点に強力な反政府武力闘争をつづけるアハマド・シャー・マスードとナジブラー大統領との間の交渉役をつとめた。本書は、なぜアフガニスタン人民民主党が敗北し政権が崩壊にいたったのか、ソ連KGBとの角逐、国連アフガニスタン担当との葛藤をふくめ、内部の目をとおして赤裸々に描いた回想録。敗北したアフガニスタン四月革命を内部から描いた日本語の書としては唯一。
★『日本・アフガニスタン関係全史』前田耕作監修・関根正男著 2006年 明石書店刊
本書をまとめた関根氏は、1975、77、78年にアフガニスタンを旅行してアフガンの魅力にとりつかれたという。それ以来、アフガン情報や、4000頁に及ぶ新聞掲載の記事(テレビ番組、スポーツ欄などを含む)について創刊号からワープロ化した。日本の文献に初めてアフガニスタンが登場するのは江戸末期。文物の渡来なら飛鳥時代に遡るという。近代以降は文化・技術・経済など様々な面で両国は緊密な交流を重ねてきた。年表や文献一覧など充実した資料をあわせ日本・アフガン関係1300年の全記録をたどる。本書をまとめた関根氏のアフガニスタンへの思いと情熱と労力には脱帽。
研究者 /専門家
●『アフガニスタンの混乱と地域情勢』<連載全3回>髙橋博史(元アフガニスタン大使)Web フランス 2021年9月9日 白水社webマガジン
はじめに
この原稿を書いている現在も、まだ、アフガニスタンでは国外脱出を試みようとする人々が、カブール空港に押し寄せている。同時にタリバーンがいかに恐ろしい人々であるかについて、BBCをはじめとする西側のマスコミが姦しく喧伝している。日本の報道もその枠から飛び出してはいない。
果たしてこの報道は事実なのであろうか。現実にカーブル空港に殺到している人々を見るとそれは事実としか言いようがない。しかし、これが真実であるか、と問われれば、否と答える以外にない。多くのアフガン人がこの機会を逃さず外国に逃げ出そうとしている。何故こうしたことが起きてしまったのか、考えてみる必要があるのではないだろうか。…[続きを読む]
政府/国連
●アフガニスタン和平と日本及び国連;そして日本と国連
前国連事務総長特別代表・国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)代表 山本忠通氏
日本人3人目の国際連合事務総長特別代表として2016年3月から2020年3月まで国連アフガニスタン支援ミッション代表に就任、現地カーブルで危険な激務をこなされた山本氏が社団法人霞関会に寄せられた報告と提言。タリバン、アメリカ、ガニー政権三者間の歴史的にも重大な和平交渉を国連の立場から仲介促進されたなまなましい経過から国連のありかた、日本の関わりなどについてなされた貴重な報告と提言。めったに聞けない貴重な事実が語られています。
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●最近のパキスタン情勢と日パキスタン関係
アフガニスタン問題を考える場合、周辺諸国とくにパキスタンの動向を抜きに語ることはできない。パキスタンにはアフガニスタンを構成するパシュトゥーン族やバルーチ族の自治区があり、それらはパキスタンの多数派であるパンジャビーと分離孤立して存在しているのでなく相互依存・相互対立ある場合は融合して存在する関係である。パキスタンはインドとの対抗上、イスラム教を国家統合の共通項として維持せざるを得ず3度にわたる印パ戦争の戦略的必要上アフガニスタンを後背陣地として何が何でも死守しなければならない。これを戦略的縦深(Strategic Depth)論といいパキスタン軍(ISI)と政府はこれを行動原理としてアフガニスタンの内政に深くかかわり、他方アフガニスタンのパシュトゥーン族はそれを利用してきた。この関係を日本政府(外務省)はよく理解している。それを簡潔に表現しているのが外務省南西アジア課のこの文書である。
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防衛省防衛研究所
●アフガニスタンとその周辺地域 ISAF撤退を見据えて
<東アジア戦略概観 2014>
オバマ政権時代もアフガニスタンでの外国軍駐留削減の試みがなされてきた。そのなかでも国際治安支援部隊(ISAF)のアフガニスタン駐留は、
2014 年末までに順次終了する予定であった。しかし外国軍撤退はなかなかすすまなかった。それはなぜなのか、この分析研究は、カルザイ政権13年の施策を振り返りながら、タリバンなどアフガニスタンの反政府勢力であるタリバン、ハッカニー・ネットワーク、ヒズベ・イスラミ、パキスタンタリバン運動、ウズベキスタン・イスラム運動などの具体的な動きの分析を通してアフガニスタン問題解決の困難性を分析する。その現実は2021年の現在もまったくと言っていいほど変わらない。【クリックしてpdf本文を読む】
●パキスタンのテロとの闘い
<東アジア戦略概観 2010>
アフガニスタン問題とは、つまるところ、パシュトゥーン問題である。イギリス帝国のインド亜大陸植民地支配によって数千万人を優に超えるパシュトゥーン人の居住地がアフガン側とインド側に真っ二つに分割された。インドとパキスタンのイギリスからの独立の過程でもデュラントラインが残り、アフガニスタンとパキスタンの国境問題として残されている。パキスタンはインドに対抗するためにアフガニスタンに自国に都合のよい政権を打ち立てるためパシュトゥーン人を利用し、またパシュトゥーン人もパキスタンを利用する。そこにイスラム過激主義が浸透し国家、民族、宗教、軍事のしがらみと周辺諸国とのしがらみが絡み合い、事態は限りなく複雑化している。本研究は10年前のものではあるが、パキスタン内部の政治軍事事情がいかにアフガニスタン内政と深く連動しているかを解明している。現在を紐解く基礎的な知識を提供してくれる。【クリックしてpdf本文を読む】
~joukou
●上皇上皇后両陛下のフィリピン御訪問-「慰霊の旅」の集大成として
<NIDS コメンタリー第98号>
第2次世界大戦でのフィリピンにおける日本人の犠牲者数は、約51万8000人(兵士:約49万 8600人)で、単一の戦域としては中国を凌駕して最大。他方、フィリピン人の犠牲者数は、全人口の約7%に当たる約111万人と言われる。
日本・フィリピン両国ともに甚大な人的被害が生じたため、戦後当初はフィリピンの日本に対する国民感情は、きわめて厳しいものがあった。
上皇上皇后両陛下(当時、天皇皇后両陛下)による海外における「慰霊の旅」の最後となった平成28年1月のフィリピン訪問は国交正常化60周年の国際親善と慰霊を目的とした、天皇として初めての訪問であった。
本コメンタリーはこの訪問を下記のようにまとめている。
〝「上皇上皇后両陛下による「慰霊の旅」は、単なる「慰霊」に留まるのではなく、「想起」と「記憶の継承」、「感謝」、そして「和解」という様々な意義を有しており、それは時間的・空間的広がりを持つ奥深いものであった。」〟
〝「先の大戦において甚大な被害を受けたフィリピンの大統領(アキノ大統領)が、「畏敬の念」という表現で、「慰霊の旅」を続けられる両陛下を讃えたのであった。フィリピン御訪問は、まさに、両陛下による「慰霊の旅」の集大成であったと言えよう。」〟
また、本論文ではつぎのようなアキノ大統領の言葉も記されている。
〝「両陛下にお会いして実感し、畏敬の念を抱いたのは、両陛下は生まれながらにしてこうした重荷を担い、両国の歴史に影を落とした時期に他者が下した決断の重みを背負ってこられねばならなかったということです」〟
戦争に直接の責任のない世代は上皇上皇后陛下の精神的あり方を共有しなければならない。
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アジア経済研究所
●史上初めて政府とターリバーンの和平交渉開始 2020年のアフガニスタン
<登利谷正人著>
本論考は、日本貿易振興機構(ジェトロ)が発行するアジア動向年報2021年版に収録されている。アフガニスタン政府、ターリバーン、アメリカの3者の和平交渉が本格化し、2021年9月までの米軍完全撤退にいたるまでの和平交渉の過程を、アフガン現地の当事者間の衝突や経済状況、コロナ状況などを俯瞰的に追いながら、詳細に後づける労作。軍事衝突の全国展開図や交渉経過政治動向日誌、諸社会経済図表などがまとめて収録してある。アフガニスタンのこの間の内政、軍事、交渉過程を追うには最適の手引書となっている。【クリックしてpdf本文を読む】
●「アフガニスタン 問題」とパキスタン
<深町宏樹著>
本論考の発表時期は2008年と若干古いが、「アフガニスタン問題」とパキスタンとの関係を歴史的視点を交えて考察しながらいくつかの論点があげられている点が参考になる。さらにその考察の上にインドをふくむ3国関係が対象にされる。アフガニスタン問題解決のむつかしさは、3国間の国境国益問題と民族問題、宗教問題の桎梏にあり、問題の解決は絶望的に困難であり、それは現在もなんら解決されることなく継続している。【クリックしてpdf本文を読む】
中東調査会
●中東かわら版<アフガニスタン>
中東調査会では会員の研究成果をホームページ上で閲覧できるようにしておりその中には貴重な研究があるが会員でなければ閲覧できない。しかし、「中東かわら版」という随意しかし比較的頻繁に発行されるニュースメールがあり、そのアーカイブは非会員でも閲覧できる。深堀した研究や論考は閲覧できないが、2007年より主なトピックごとにニュース化されているので時系列でアフガン情勢を顧みるとき有用である。「中東」とあるように、同研究会のメイン対象は中東でありアフガニスタンは重要ながら「その他」のあつかいである。【クリックして本文を読む】